賑やかな楽奏の最後の一小節が鳴り終わり。
一瞬の間を置いて。まだ余韻の残る観客席から、大きな拍手が沸き起こる。
撃退士達は―――より正確には、久遠ヶ原学園高等部東第二吹奏楽部とその助っ人の面々達は、それらの音を舞台から壁一枚隔てた控え室の中から聞いていた。
時刻は午後七時、ちょっと過ぎ。
午後から始まった春の新歓コンサートも、残りは僅か二団体。東第二吹奏楽部の演奏順は最後から二番目であり、つまりは、彼らの出番はもうこの次だという事だ。
「あら、スゴイ盛況じゃない? 千人くらいは座ってるわよ、お客さん」
「……う〜。愛ちゃん、ちょっと緊張してきたですの」
控え室に置かれたTVモニターには、満員御礼。それどころか、立ち見客まで出ている会場の様子が映し出されている。その映像にユグ=ルーインズ(
jb4265)は感心したように声を上げ、周 愛奈(
ja9363)は両腕を抱きしめながら武者震いを繰り返す。
照明の落ちた舞台上では、今しがた演奏を終えたグループが撤収を始めていた。
彼らが退けば、次は自分達があの舞台に上がるのだ。
胸がドキドキ。
今更になって、メイベル(
jb2691)の指先も震えて来る。
(千人って! 本当に私の笛で、あの沢山の人達を喜ばせる事が出来るのでしょうか!?)
今から数分後には、千人の客を前に舞台で笛を吹いている。吹いている筈だ。でもその姿が、その情景が、メイベルにはどうしても想像する事ができなかった。たった数分後の事なのに!
総勢十名。その内八名が助っ人なんて、急造もいいところの凸凹楽団。
程度の差こそあれ、メンバー皆が緊張している事に違いはない。ガクガクブルブル。そんな彼らを前に、小脇にホルンを抱えた行々林貴子は両足を踏みしめ、胸を張ってこう言った。
「さあ、いよいよよ! 素人なりに舞台を楽しめばそれでいい……なんて、私は言わないわ。音楽は戦いであり、仮でもなんでも、演奏家であるなら舞台の上で全力を尽くしなさい! 音楽で得られる喜びと楽しみは、全力を尽くしたその先で、貴方達を待っているものなのだから」
行々林部長の言葉に、前田 空牙(
jb3589)は頷く。
彼だけではない、九人全員が頷いた。
「さあ出番よ。出し惜しみ無しで行くわ!」
『おおぉー!!』
●
「お願いします、この曲がどうしても演奏したくて!」
時は少し遡り。
一同が控え室で気合を入れた、その丁度四十八時間前。練習用に借りた会議室の一角で、指宿 瑠璃(
jb5401)はノートPCの画面に映る動画を指し示しながら、行々林部長に頭を下げていた。それはブラスバンドによるマーチング、というよりかはむしろ派手なダンス動画。椅子や譜面台もなく、演奏者が楽器を吹きながら舞台の上をクルクルと踊り回る。
「今ブレイク中の女性アイドルグループの曲です。学生なら知っている人も多いんじゃないでしょうか。曲の振り付けも派手に見えて解りやすいし、観客の目を惹くのは間違いないと思うんです!」
「ふーむ。まあ、確かに面白くはあるんだけど。踊りねぇ……?」
熱く言い募る指宿の言葉を鷹揚に受け止めながら、行々林は自らの右後方を振り返った。
「それじゃあ、ちょっと合わせてみようよ♪」
「あ、繰り返しの所、もう一度頭からお願いします!」
「はーい、愛ちゃん了解ですの」
行々林の視線の先で、譜面をめくりながら曲の音合わせをする前田、メイベル、愛奈の三人。その横では、嚶鳴に指導されながら、ユグ、テイ(
ja3138)の二人が教則本相手に練習に励んでいた。
「ふむ」
行々林の見た所、経験者である前田達三名に大きな問題はない。
ユグ、テイの二人も半素人ながら、勘はいい。叩くだけ叩きこめば、まあ一、二曲、ボロを出さない程度には仕上げる事も出来るだろうし……
「振り付けは体に染み込んでいるので大丈夫です! 皆には、私からガッチリ振り付け指導をしますから!」
「まあ、そこまで言うならやりましょう。どのみち三曲は必要だし、派手なのがいいのも間違いないわ」
「やた! 部長さん、ありがとうございます!」
行々林のOKに、指宿は躍り上がり、譜面の束を抱えて嬉しそうに前田達の元へと走っていく。
「……さて」
そんな彼女の様子をしばらくニコニコ見つめていた行々林は、ややあってくるーりと、先程とは反対の左後方へと振り返った。
「聞いた? 二人共」
「はい、聞きました」
「自分も聞いたで御座る!」
行々林の言葉に、そう返事を返したのは瑞姫 イェーガー(
jb1529)と静馬 源一(
jb2368)の二人。楽器の横に、何故か正座で畏まる二人に対し、行々林は先程の笑顔を一転、ヘビがカエルを睨みつけるかのような視線を送る。視線どころか、先の割れた舌まで出てきそうな迫力だ。
行々林は言った。
「貴方達が依頼を引き受けてくれた事には大変感謝してるわ! でも、残念ながら貴方達に音楽経験はなく、それでもあと二日で、何とか舞台に上がれる程度にまで上達して貰う必要がある。その上、たった今ダンス付きの曲まで追加された。……これがどういう事かお分かり?」
「はい、勿論でござる部長殿! 当日までひたすら練習あるのみ! 登校中から下校中、寝る前までひたすらホルンを吹き続けるで御座るよ! あ、流石に授業中は自重するで御座るが……」
元気よく挙手して、溢れる熱意を述べ伝える静馬。
アッパレとも殊勝とも言える少年の言葉に、隣で瑞姫もウンウンと頷き同意する。
だが。けれど。
行々林は静馬の決意表明文の内容を、静かに、そして断固として訂正した。
「……静馬君。貴方はいい子だけれど、一つ勘違いをしているわね」
「というと?」
問い返す静馬に、行々林は足をドカンと強く踏み鳴らす。反動で、座っていた瑞姫、静馬の体が床から大きく跳ね上がる。
「わあぁっ?!」
「これは依頼よ! 正式な。天魔退治と何一つ変わるところのない、依頼。だから依頼の間は授業なんて行く必要ないの! 瑞姫さんの尽力のお陰で、寝泊まりの場所はおろか、クラブ棟のミニホールまで借りれたわ。ありがとう、瑞姫さん。これでこれから本番までの間、思う存分音楽漬けに出来る! 素晴らしい!」
ハイテンションで獅子吼する行々林。
思わず後退ろうとした二人の肩を、彼女は素早く押さえて引き止める。
怖い。
「幸い、貴方達は撃退士! 普通人では耐えられなくても、常人の十倍タフで頑丈な貴方達なら、十倍のシゴキにも耐えていけると私は信じてるわ! さあ行くわよ! 舞台が私達を待っている。本番までに、音楽イロハのイくらいは叩きこんであげるわっ!」
「お、お手柔らかに、部長さん……」
「……せめて、三倍くらいで勘弁して欲しいでござる……」
怯える二人の様子に、行々林は果たして気がついているのかいないのか。
ともあれ、東第二吹奏楽部メンバーの練習はこうして開始されたのだった!
●
それから二日間の練習は、それはそれはタイヘンなものだった。
ホルンが泣き、トロンボーンが叫び、トランペットが踊り狂う。
サックスとフルートの哀願がドラムの音に掻き消され、ピアノは笑い、ギターの弦は弾け飛び、エレキベースのスピーカーは炎を吹き上げ自己主張。
彼らに何が起こったか、彼女達にどんな試練が降りかかったのか。
その詳細をここで記すにはあまりにも字数が限られている。
ただ、彼らは頑張った! メイベルの差し入れた『爆裂元気エリュシオンZ』をぐいと飲み干し、起きてから寝るまで、授業も出ずにクラブ棟で音楽三昧。脳裏に浮かぶ『逃亡』の二文字を意思の力で振り払い、撃退士としての使命感と体力、行々林部長の鬼のシゴキを糧として、彼らはコンサート当日までの四十八時間を乗り切ったのだ。
そうして手にした彼らの『音』。
彼らは第四野外音楽堂に集まる千人の聴衆を前に、その音色を解き放つ。
●
タッタン タッタン
タララララッ タッタン♪
嚶鳴のスネアドラムの音が野外音楽堂全体に響き渡る。
そして始まる、ジャズ風の軽快なミュージック。
陽気な曲。
明るい曲。
指宿のトロンボーンとユグのトランペットが、空に向けて、スコンと抜ける様な音を打ち上げる。
(皆すごいの! すごく上手くなってるの!)
愛奈は感嘆する。
感嘆しながら、小さな指を鍵盤の上でクルクルと回し、明るく、軽く。
行々林部長から『経験者』と目されていた彼女だけど、本当は結構不安だった。小さな頃にピアノを習っていたけど、久遠ヶ原に来てからしばらくピアノを弾いてなかったから。
(でも、いけるの! 皆が頑張っているように、愛ちゃんも頑張るのよ!)
昔、彼女にピアノを教えてくれた先生がしていたように、愛奈は全身を弾ませ、音を紡ぐ。
(死んだで御座る! 静馬源一、死んだで御座る!)
ブンジャブンジャと必死の裏打ち。
同じパートの行々林に何とか追いすがりながら、静馬は金色のホルンにありったけの息を注ぎ込む。
練習期間中、一同の中で行々林から最も厳し……いや、熱心に指導されたのが静馬だった。「部長殿! 自分にホルンの心髄を教えてほしーで御座る!」等と、思わず口走ったのが運の尽き。行々林は静馬の熱意を喜び、願い通り静馬にホルンの心髄を叩き込んだのである。ただし、ホントにきつかった! 鉛弾をも跳ね返す撃退士としての力がなければ、二日目の午後には死んでいたかもしれない。
だからこそ、今、静馬はこの舞台に立っている。
(静馬源一は死んだで御座る。……故に、今ここにいるのはニュー静馬! 生まれ変わった自分の音を、皆に是非とも聞いて欲しいで御座るよ!)
行々林と静馬にライトが当たる。その機を逃さず、静馬はニンジャヒーローを発動!
静馬はホルンを吹きながら、叫び出したい気分だった。
(皆! 自分を見て欲しいでござる! このクラブに入れば、たった二日で生まれ変わる事が出来るで御座るよ!)
なんて。
……まあ、生まれ変わる為には、一度死ななきゃいけない事は黙っておくで御座る。
ニンニン。
●
「みんなー! 僕の歌を聞けー!!」
前田がヒリュウを召喚し、更に自らも背に翼を生やして飛び上がる。
嚶鳴のドラムに愛奈のピアノ。そこに被さるようにして、空の上から前田の伸びやかな声が零れ出す。
二曲目。
それは撃退士の歌。今日を戦い、明日に希望を見出す者の歌。
本来は女性ボーカルの歌だが、前田はそれを元キーのままで歌う。
楽しそうに。嬉しそうに。
(だって、楽しいもんね♪)
ヒリュウの小さな手を取り、前田は和気藹々を発動させる。キィキィと楽しげに鳴くヒリュウと前田。別にこんなスキルなんて必要ない位に、その姿は和気藹々。
歌を歌う。
皆が笑顔で見つめてくれる。
(そうだ、これが歌だよ。僕はこの光景が見たくて堕天したんだ!)
ヒリュウと手を取り合い、前田は文字通りに舞い上がる。
(わかる、わかりますよ、前田くん!)
フルートを吹きながら、メイベルには前田の気持ちが手に取るように理解出来た。
一緒だから。同じだから。
天使、悪魔の違いはあれ、彼女もやはり、この光景を見る為に故郷を離れ、はぐれ悪魔となったのだ。
(そうですとも。拍手喝采雨あられ。歌を歌い、楽器を鳴らし、それで皆が喜び笑ってくれる。こんないい事、魔界の何処にもありませんでした!)
本番直前まで抱いていた不安は、音を出す程に儚く消えた。
メイベルの心に沸き起こる喜びと感謝の念が、フルートを震わせ、音を出す。
テイは感じる。仲間達の喜びの音を。
彼はベースを弾きながら、その気持ちを耳で、そして全身で受け止める。
(うん、いい曲で、いい音だ)
仲間との繋がりを歌い、日々を積み上げる撃退士の歌。とてもいい曲だと思う。そして、ベースとして、仲間達の音を下支えできる自分を、少し、テイは誇りに思う。
(けど。なんでこう、ボクは目立たない裏方仕事が好きなんだろうね?)
苦笑しながらも、テイは自らのそんなスタイルが嫌いではない。
今 瞬間のメモリー 積み重ねたエナジー
全力で今日が 駆け抜けてく♪
「みんなー! 音楽好きかなー! 僕は天使だけどすっごく大好きだよー!!」
●
三曲目。
それは勿論、指宿が行々林部長に頭を下げて頼み込んだあの曲だ。
嚶鳴のバチの音に合わせて、行々林と静馬のホルンが旋律を奏でながら両翼へ。中央には、アイドル風の改造制服に身を包んだ指宿がトロンボーンをふりふり踊り出す。
アップテンポな調子と派手なパフォーマンスに、観客達も大喜びだ。
けれど、最も喜んだのは何を隠そう、曲を推薦した指宿自身であろう。
憧れてたのだ。
絶対やろうと思ってたのだ。
練習はきつかったし、行々林部長の指導は怖かったけど、それも今となってはたった二夜の夢の如し。
(だってアイドルですよ、アイドルソングなんですよ!)
ステージの上で光り輝く憧れの存在。
千人の聴衆を前にして、スポットライトの熱に汗をにじませながら踊っている内に、指宿はまるで自分が本当のアイドルになってしまったかのような気がしてくる。
曲の盛り上がりに合わせて、ユグはトランペットを吹きながら羽を生やして飛び上がった。
飛んだ拍子に少し音を外したけど、そんな事は気にしなくても大丈夫。音を楽しむから音楽で、音を楽しませるから音楽なのだ。
精一杯やって、練習もして。
それでも外す音は外せばいい。今は皆で楽しみましょうよ♪
ユグが空中を八の字に飛び回りながら、舞台の上にヒラヒラと紙吹雪を撒き散らす。
「あはん♪ ついでに、天使の微笑ならぬ、天使の投げキッスもおまけよん♪」
チュッ♪
瑞姫は足を上げて、踊る。
くるりと回り、またくるり。衣装替えに発動させたナイトドレスの長い裾が、瑞姫が踊るのに合わせて花弁のように咲き誇る。
(部長もそうだし、瑠璃もそうだし、皆もそうだ。皆々、頑張ってる)
熱意を持って事を成そうとする者を手伝う事は、彼女の喜びである。
下手なのは分かってる。
経験がない事だって知っている。
それでも、皆の熱意に当てられたのだ。
初めは手伝おうと思った。でも、今はこう思ってる。
(私も、皆に負けられないな)と。
チラホラと舞い散る紙吹雪を浴びて、瑞姫は腹の底からテナーサックスを吹き鳴らす。
●
万雷の拍手を浴び。
斯くして、東第二吹奏楽部の演奏は大盛況の内に幕を閉じる。
所詮は急造凸凹楽団。彼らより上手い団体は幾らでもいたし、パフォーマンスだって派手なチームは彼らに負けず劣らず派手だった。
それでも、一番楽しかったのは彼らの演奏だったと断言できる。
何せ、演奏していた本人が楽しかったと言うのだから、間違いない!
沸き立つような高揚と、心満たした喜び。
後々まで、彼らは瑞姫が記録してくれていたCDを聞き返しては、あの時、ステージの上で感じたその思いを振り返るのであった。