「どひゃー」
なんて、若菜 白兎(
ja2109)は驚いた。
ギメルがそこで笑っていた。
にこやかに、爽やかに、文字通りの甘いマスク。それもその筈、なんたってチョコだからね! 1/1スケール、ギメル胸像チョコのリアルさ加減と、サイズからくる迫力は正に圧巻。冠り物まで含めた大きさは若菜の背丈に並ぶ程だ。
「あら、新規入隊の子かしら? 御免なさいね、今ちょっと手が離せなくて」
部屋の入口で立ち尽くす若菜に対し、眼鏡の少女が胸像にコテを当てながら声を掛ける。
若菜は、事前に資料を見ていたから知っていた。エプロンを掛け、ギメルチョコを相手に奮闘する彼女こそは『ギメル愛し隊』創設者・磑森紅音子、その人だ。
彼女以外にも、部屋の中では数十名を超える少女達が、自らの愛を凝り固めた様々な手作りチョコの制作に励んでいた。部屋に渦巻く、チョコが溶けてしまいそうな程の熱気に若菜は思わず圧倒される。
「大丈夫、驚かないで。明日のイベントの為に、皆チョコを作っているだけだから。……あなた、入隊希望、でいいのよね?」
磑森の問いかけに、若菜は直立不動で敬礼を返す。
「は、はい。よろしくお願いしますなのっ」
(―――そう。今思えば、あの時から。昨日、ギメルチョコを見た時から、もう始まっていたの……!)
若菜は拳をギュッと握り締める。
そう、始まっていた。驚きの連鎖が、大騒ぎのハチャメチャが。彼女がギメルチョコに驚いた事などはホンの手始め。ギメルとの出会い、撃退士の正念場、嬉し恥ずかし乙女の祭典バレンタインデーは、あの時既に始まりの号砲を轟かせていたのだと、今なら分かる。
キャーキャーと鳴り止まぬ黄色い大歓声の中で、若菜は毅然と顔を上げた。
彼女の前に立つ。
それは、裸のギメル―――!
●
時は少しだけ遡り、バレンタインデー当日の朝の事。
イベント会場に向かう為の一次集合場所であるとある駅前広場にて、愛し隊の面々は驚いた。
「男よ」
「男だわ」
これ迄男性の入隊を拒んでいたわけでもなかったものの、実際の話、女学生中心の隊において、男性隊員の存在は皆無であった。珍しいと言えば、珍しい。だが、それ以上に萌える。ギメル萌えの男子って、やっぱり居るんだわ、と。
「……何か、おかしな視線を感じないか?」
緋伝 璃狗(
ja0014)の困惑に、イリン・フーダット(
jb2959)や牛図(
jb3275)も周囲を見回しながら同意する。
「目立たない格好をしてきた筈ですが。もしや、私達の正体がバレたのでしょうか?」
「えと、おちつかない、です」
男性陣を中心にざわざわと、さざ波のように揺れる人いきれ。
その波は、彼が公園にやってきた時に頂点に達した。
「むむむ、場所はここで良いでござるか? 全く、目立たぬ服装を選ぶのに手間取ったでござる」
そう言って、丈長のトレンチコートをまとって現れた男、ギメ=ルサー=ダイ(
jb2663)。彼の登場に、愛し隊の隊員達は皆大きくどよめく。
「誰?」
「ギメル様?」
「え? 何でここに?」
服装が目立つとか目立たないとか、そんな次元の話ではない。それも当然、誰に似てるって、彼は天使ギメル・ツァダイにそっくりなのだ。よく見れば眼の色だけは違うものの、一見も二見もギメルにクリソツ。これが目立たぬわけがない。
愛し隊も驚き、驚かれた事に、ギメもまた驚いた。
しかし誰が驚いたって、千本麻美(jz0166)がこの場で一番驚いた。一般人のフリをしていた事も忘れ、使徒の地も全開に思わずギメを問い正す。
「ええぇ? ギメル様……じゃない? あなた誰です?!」
「違う、我はギメ=ルサー=ダイ。断じてギメルではないぞ! ここで騒ぎを起こす気もない、誤解なのだ!」
「ギメって、ギメ=ルサー=ダイって……! それ、フザケてませんよねっ??」
詰め寄る麻美。
彼女の疑念も無理はない。ギメの名前は本名なのだが、そこからして突っ込まずにはいられない程のギリギリ加減。ギメは麻美に対し、自分はギメルに憧れた一ファンに過ぎないと、汗だくになって抗弁する。
一方でそんな彼の様子を、広場の隅から他人のふりで傍観する撃退士達が三人。
「……こうなればギメはギメルの生き別れ、歪みねぇ双子の兄弟で大決定? 美少年との絡みか、モリモリマッチョマン同士のぶつかり合いか、どっちがグッダーか話し合うべき?」
エルオラ・アズール(
ja0174)の提案に、エルレーン・バルハザード(
ja0889)とエリス・バーグ(
jb1428)が乗っかった。
「げへへ。私、璃狗君みたいな子が誘い受けだったら超萌えるのっ」
「筋肉、筋肉こそが正義です! 素敵です! ハァハァ。本物のギメル様の生筋肉が早く見たい……!」
完璧の演技。見事な潜入。どこから聞いても腐女子の会話だ。
地だろうって? まさか。
●
その後何とか落ち着いた愛し隊の一行は、磑森と麻美の引率の元、電車に乗ってイベント会場があるという都内某所の高級住宅街と赴いた。
そこで、撃退士達は驚いた。
案内された先にそびえ立つ、超広大な大豪邸。
それも凄いが、更なる驚きは門柱に。
「堂々『つぁだい』の表札を掛けている……だと……?」
ごくり。
緋伝は思わず唾を飲み下す。
門の先には、バラの前庭。
広い玄関ホールに赤絨毯。
訪れた一行を前に、通路の両側にズラリと並んだ鎧騎士らが一斉に頭を垂れて唱和する。
『いらっしゃいませ、お客様』
「……あれ、もしかして、この人達全員サーバントなんじゃ……げふっ」
「しっ」エルオラは、エルレーンの脇腹に肘鉄砲を一発。「刺激は駄目。どうせ戦った所で勝てるわけないし? 世の中諦めは肝心。というか血のバレンタインになったら困るし?」
そうして、一行は広いホールへと案内される。
イベント会場だというそこは、一流ホテル張りの大ホール。
天井の高い、軽食や飲み物が銀食器で並べられたそのホールで、麻美は部屋に立つ長身の男に手を振った。
「ギメル様ー♪ 愛し隊の皆さんを連れて来ましたよー♪」
その声に、撃退士達は振り向いた。
磑森も、愛し隊の皆も。皆が皆、そちらの方を振り向いた。
「来たか。改めて言おう。ようこそ。我は、諸君らの来訪を歓迎する」
(ギメルだ! まさか、ほんとうに出てくるなんてっ)
エルレーンは内心の驚愕を押し殺す。
もしかしたら会えるんじゃないかなとは思ってた。顔を覚えられぬよう、わざわざ変化の術で顔形も変えてきた(胸も盛った!)。だけど、本当に、普通にイベント会場に居るなんて!
歓声が上がる。大歓声が。
猪のように、虎のように、愛し隊は走り出す。手に手にチョコを握り、旭川を壊滅させ、京都を破壊し、天魔大戦の指揮を取り、夏のビーチにも遊園地にも参観日にも顔を出す、モリモリマッチョの筋肉天使、ギメル・ツァダイの前へと走り出す。
だが、愛し隊の面々は気がついた。彼女らに先んじて立ち塞がる四人の姿に。
撃退士が立っていた。
ギメルに用があるのは、彼女達だけではない。むしろ撃退士こそが本気も本気。命を護る為に、因縁の為に、あるいは自らの人生を賭けて、撃退士達は『愛し隊』とギメルとの間に立ち塞がったのだ。
「……ほう、以前見た顔も混じっておる。やはり来たか、撃退士共。どうした、用があるなら、言ってみるがいい」
余裕の態度を崩さぬギメルを前に、牛図は一歩前に踏み出した。
「僕を一番に、どうかハグしてもらえませんか? 僕、お父さん見たくおっきい人にぎゅってしてもらいたくて……!」
キタ━━━(・∀・)━━━ッ!
「我を差し置いて、何を言う! 先の大戦では実に残念であったな、ギメル・ツァダイ。勝負だ! このギメ、貴様の顔を一時足りとも忘れたことはなかったぞ!」
キタ━━━(≧▽≦)━━━ッ!
「筋肉パッツンパッツンの理想の男性、ギメル様! 私の全てを捧げます! 代わりにどうか、このエリス・バーグに力をお与え下さい! 私は姉をボッコボコにして見返したいのです!」
キタ━━━(‘ω’)━━━ッ!
「俺を覚えていたとは驚きだな。それならそれで、話は早い。この緋伝、今日は私用でやって来た。勝負だ、ギメル。俺が全身全霊を込めて作ったこのチョコで、お前に「美味い♪」と言わせてやる!」
キタ━━━(@▽@)━━━ッ!
「フハーッハハハハ!! いいぞ撃退士共、ならば戦え! 戦って見事勝ち取るがいい!!」
叫ぶ撃退士達を前に、ギメルは高らかに宣言。
銀食器を蹴散らしテーブルに上がり、ムキリと諸肌脱いで仁王立ち!
踊る、踊る。逞しい、小麦色の筋肉が踊って歌う。大胸筋が、腹筋が、上腕二頭筋が、大殿筋が、下腿三頭筋が。輝くオーラさえ伴って、ギメルの全てが晒される!!
「かかって来い! 我は天使ギメル! 如何なる挑戦でも受けて立つ!」
キタ━━━(・∀・(≧▽≦(‘ω’(@▽@)━━━ッッ!!
●
裸のギメルが現れた。
いや、パンツは履いてるけどね。
ホールを揺るがす、鳴り止まぬ黄色い大歓声。若菜がギメルチョコを見た時から続く大騒ぎのドタバタが、ここに来て遂に最高潮。
四角関係? むしろ五角?
大体男で、一人が女。因縁浅からぬと見える彼らが、それぞれにハグだの捧げるだのと叫び出したのだから堪らない。これなんてエロゲ? ギメルエロい!
「ぶはぁぁッッ!!」
「きゃあ!? お姉さま、お姉さま、しっかりして下さいなの!」
感極まったか、鼻血を吹き出し倒れる磑森。万が一に備え、彼女を守る為に身構えていた若菜だが、鼻血を吹いて倒れる所迄はカバー出来ぬ。慌てて磑森の看病に回る若菜を尻目に、撃退士達の戦いが始まった。
「ギメルよ、我が貴様の力を試してやろう!」
ギメがコートを脱いで、その真の姿を顕にする。
コートの下は白地に金糸飾り、ギメルの装束そっくりの天使の正装。露出した脇腹、むき出しの肩。半裸のギメルを前に、彼は腕を組んでマッシブポーズを見せ付ける。
「あ、これ、変でないか味見して下さい。とりゅふです! あの、恥ずかしいので最初に渡したいです!」
最初最初と牛図が拘るのは、ギメルが万一害意を持っていた時、一般人を犠牲にしない為の深謀遠慮(多分)。
牛図は巨体を揺らし、ミットのような馬鹿でかい手に不似合いな、可愛らしくラッピングされたトリュフの袋を差し出した。
「ギメル! 俺は負けない。旭川の借りは今返す!」
緋伝は懐から、大きな箱を取り出し蓋を開ける。出てきたのは濃緑の、粒の大きなチョコレート。
「見ろギメル! 味は上品な甘さの大人向け。和風素材を使った高級抹茶味の和風チョコだ!」
「私には、差し出すものがありません。チョコも安物の既成品です。だから……」
言って、エリスはえいやと上着を脱ぎ下ろす。服は地味でも、スリーサイズは姉と同じ。普段真面目な人間程にキレたらコワイ。上着の下から現れる、制服のブラウスに包まれた104センチのド爆乳。
「脱ぎます!」
●
ギメルを中心に盛り上がるホールの片隅で、麻美は一人おやつを食べていた。
きっと大騒ぎになるだろうなと思っていたが、蓋を開ければ予想以上。ギメルがああまでノッてしまうと、正直使徒である麻美であっても、とっても手がつけられない。ただまあ、ギメル様が楽しそうだし、別にいいよねと麻美は納得する。私も割と楽しいし。
「……で、貴方達はあの騒ぎに参加しないんですか?」
麻美の視線の先に佇む、エルオラ、若菜、エルレーン。
エルオラは微笑む。
「まあ、私達が今更参加した所でどうにか出来るわけがありませんし? 本当は隊の人に聞こうと思ったのですが、皆さん興奮されてますし。それなら、千本さんにお尋ね出来ないかと思いまして?」
「何をです?」
「例えば……どうして、貴方は愛し隊に近付いたんですか?」
「私が、ギメル様にチョコレートをあげたかったから。どうせやるなら人を集めて、皆でワイワイ楽しく騒ぎたかったから。それだけですよ」
「いや、わたしは騙されないのよっ」
若菜は声を上げた。
「ギメルさん程の天使が直接動くなら、裏にはちゃんとした理由がある筈なの。わたしの考えでは、きっと『ギメルさんハーレム計画』の一環に違いないのよっ」
「……ギメル様の真意は、私は知らない。まだ出来立てホヤホヤの使徒だしね、私。でも多分、ギメル様は人間の事を知ろうとされてるんだと思う」
「にんげん?」
エルレーンが小首を傾げる。
「知らないの? てゆーか、ギメ様、そんなもの知ってどうするの?」
「天使のヒトって、人間のこと、実は全然知らないの、知ってる? 普段人間の感情を食べてるのに、人間がいつ怒って、いつ泣いて、いつ笑うのか、天使のヒト達は全然知らない。それじゃあ駄目だって、ギメル様はよく言ってたよ。
人間を知って。その後に何をするのか私は知らない。もしかしたら、本当に『ギメルさんハーレム計画』が立ち上がるのかも。まあ、なんたってギメル様だし。……さて、そろそろ決着もついたみたいね」
「決着?」
エルオラは、若菜は、エルレーンは振り向いた。
そして、見た。ギメルのマッスルオーラ(物理)の輝く様を。
物理波動を伴って、ギメルの筋肉が光って叫ぶその様を!
距離を取っていた彼女達はまだしも、ギメをはじめ、ギメルの間近に居た五人の撃退士達は爆弾を投げつけられたかの如く、吹っ飛んだ。
『ぐはぁぁ!?』
五人は、洒落にならない大威力に血反吐吐いて倒れこむ。一般隊員を守る為、庇護の翼を広げていたイリンは特に傷が深かった。
「ば、馬鹿な!? スキルを使った様子など、無かった筈なのに」
「ハーッハハハハ! チョコ? 裸? 筋肉? ぬるいぬるい。我のこの肉体を見よ! 丹念に焼かれ、ワセリンに輝くこのチョコレート色の肉体美を!! マッスルオーラは物理力! 見知り置け、これこそが天界名物、ギメル・チョコ色ポージングよ! ハッハッハ! これしきで吹き飛ぶようでは、まだまだ修行が足らんぞッ!」
ギメルは笑う。
奇しくもその姿は、磑森の用意した1/1ギメルチョコにそっくりだった。
ギメルのパフォーマンスに、再び場を包む大歓声―――
●
―――結果的には、ファンサービスが激しいだけの、ごく平和裏なイベントだったと言えるだろう。
撃退士や愛し隊の差し出すチョコを、好き嫌いなく、ギメルは無尽蔵の胃袋で食べ切った。
ギメルは満足。愛し隊も満足。マッスルオーラにやられた以外、撃退士達も概ねみんな満足した。
追伸。
後日、例の大豪邸に完全装備をした撃退士の大軍が雪崩込んだが、不思議な事に、そこにはギメルとは何の関係もない家族が住んでいただけだった。ずっとそこは彼らの家で、たまたまバレンタインデーの前後三日、旅行で家を空けていただけだと言う。
ギメル一派の行方は杳として知れない。
……が、千本麻美は未だに愛し隊の一員であり、時折、ネットにも姿を見せるという事だ。