吹き付ける風の中に死臭を嗅ぎ、小田切ルビィ(
ja0841)は無意識に顔をしかめた。
「世界の終りは、ある日突然訪れた。怪しげな預言者がさんざか吹聴して来た『世界最後の日』は、巨大隕石が落ちるわけでもなく、核戦争が始まるわけでもなく……」
呟きながら、小田切はビデオカメラを回す。
ジャーナリストとして、通信社に籍を置く者として、彼にはこの事態を記録する義務がある。例えそれがどんなに異常で、おかしくて、まるで夢の中のような光景であったとしても。
周囲を山に囲まれ、海に向かって口を開けた狭隘な平地に拓かれた街、大原市。
突然に死者の溢れかえったその街で、絶望の中、尚生き残る事を志す。
これはそんな、十人の人間の物語。
●
薄暗い倉庫の中、外から扉を叩く音に子供が怯えて泣き始める。
頑丈な鉄扉はしばらくはもつだろう。だが外にいる『奴ら』は諦めるどころか、その打撃音に引かれたかの様にその数を増していくばかり。
「大丈夫だからね? お菓子食べる? うちの桜餅は美味しいんだから♪」
子供をあやしながら、道明寺 詩愛(
ja3388)は奇妙な既視感を感じていた。
周囲を動く死体に囲まれた小さな部屋で怯える男女。
それは、どこかで見たシーン。映画との違いは、その部屋の中にいるのが役者ではなく、自分だという、たったそれだけ。
「ホラー映画は大好きですけど、まさか自分がこんな状況に陥るなんて、ね……」
●
「待ってなよ、ライム。うちが必ずお前達を助けに行くさね」
九十九(
ja1149)は塀の上をひた走る。中学校から九十九のアパートまで、日頃は閑静な住宅街の通りも、今は蠢く死体で一杯だった。
故郷を離れ、日本に留学してまだ日の浅い九十九にとって、今、家族と言えるものは自宅に残してきた三毛猫のライムを始めとする、数匹の猫達だけだった。だから彼は中学校が『奴ら』に襲われた時、迷わず学校を抜け出し、猫達の元へ向けて走り出したのだ。
「待ってなよ。受けた恩を返さなきゃ好漢じゃない。例えそれが猫相手だろうとねぃ」
●
「ここは、どこだろう?」
ゼロノッド=ジャコランタン(
ja4513)には、記憶が無い。
気がついたらここに居た。
だから、ソフィー・オルコット(
jb1987)と合流したのも偶然だ。本能的に『奴ら』を避け、何となく海に向かって歩いていた所、小さなケーキ屋さんの前にいた彼女と出会したのだ。
「貴方は……まだ感染されてはいないようですね。町は普通の状態では無いようです。どうでしょう、一緒に街を脱出しませんか?」
そう言って、ゼロに向けてにっこり笑顔を送るソフィー。
可愛らしいメイド姿に、物々しい釘打ち銃。両肩に重そうなショルダーバッグを幾つも担ぎ、まるで遊牧民の引越しの様な彼女の姿に、ゼロは少し興味を惹かれ、彼女と同道する事に決めた。
「あの、どちらに行かれるのです?」
ソフィーのショルダーバッグを一つ受け取り担ぎあげ、そのまま無造作に歩き始めるゼロに、ソフィーは慌てて声を投げ掛ける。
「海」
ゼロは答える。
何故海なのかは、ゼロ自身にも分からない。
●
ぜーはー
ぜーはー
漸く『奴ら』をまき、地領院 恋(
ja8071)は荒い息をつく。
危ないところだった。
死人の群れの真っ只中にその少女の姿を見つけた時、地領院は何を思う間もなく駆け出し、気がついた時にはもう、サラリーマン風の親父の脳天を叩き割っていた。
そこから先は、断片的な記憶だけ。何とか生きて少女を助けられたのは奇跡に近い。
「……さあ、それじゃあ行こうか。ここも安全じゃない。取り敢えずはショッピングセンターか、ホームセンターにでも行って、ドーグを見繕っておきたいな。その後は、船にでも乗って脱出出来れば……」
「あの……お姉さん」
「うん?」
もじもじと俯いていた少女―――九十九 遊紗(
ja1048)が、意を決したように顔を上げ、地領院の顔を振り仰ぐ。
「どうしてさっき、ボクを助けてくれたの? ボクだってもう絶対ダメだと思ったのに。かまれたら、お姉さんも死んじゃうんだよ?」
「そりゃ、危ない目に有ってる子供を助けるのは当然さ……」
そう言って地領院は腰を屈め、目に涙を浮べている遊紗の頭をゆっくりと撫でる。
「……だけど、遊紗ちゃんは少し似てるかもね。アタシの妹に、さ」
●
「大丈夫かなぁ、警察の人、助けてくれたりしないかなぁ」
そんな佐藤 七佳(
ja0030)の淡い期待は、警察署の手前に辿り着いた段階で早くも崩れ去った。
警官。親子。老人。
男。女。
初期に署内へと連行された感染者から、感染は一気に広まったのだろう。敷地内をうろつくそれらの人影は、全てが皆『奴ら』だった。
「きゃ、わっ、と!」
乗って来た自転車ごと回れ右。慌てて佐藤はそこから離れようとするが、いつの間にか署内の敷地から溢れだした何体もの『奴ら』が、彼女の周囲を取り囲む。突破を躊躇した隙に、後ろから荷台を捕まれ、佐藤は自転車から放り出された。
ガシャン!
何とか転倒する自転車をよけて立ち上がったが、その大きな音は、更に多くの『奴ら』を引き寄せる。
「来ないで下さい! な、殴っちゃいますよッ!」
精一杯の威嚇を込めて、佐藤はバールを体の前に突き出した。学校から逃げる時、用務員室で拾った鉄のバール。だが、『奴ら』にはその棒を恐れる知能すらないのだ。
警棒を握った片腕の『警察官』が、佐藤に向かって大きく口を開けて跳びかかる。
もう駄目だと彼女は目を瞑ろうとした、その時。
パンッ!
乾いた銃声が響き、佐藤のホンの鼻先で『警察官』の頭部が破裂する。
「佐藤! こっちだ、手を掴めッ!」
「デニス先生!? あ、はいっ!」
一台の車が、道路上の『奴ら』を跳ね飛ばしつつ、佐藤に向かって速度を落とす事なく走り寄る。
後部座席のドアを開け、大きな体で手を伸ばす男の姿に彼女は見覚えがあった。戸惑いながらも、その手に向かって無我夢中で飛びつく。デニス・トールマン(
jb2314)は、そんな佐藤の体を車内でがっちり受け止め、車のドアを閉める。
「危ないところだったな、女子高生。……しかし、惜しいねぇ。俺も彼女が隣町で待ってなけりゃ、さっきの射撃のお礼にと、JKから熱烈なハグを頂戴する所なんだが……」
「そ、そんなんじゃないです!」
拳銃片手に、運転席で笑うミハイル・エッカート(
jb0544)の言葉に、佐藤は慌ててデニスから身を離す。
●死
大きく歪んだ鉄扉は、もう限界だった。
「皆はもう、駐車場についた頃頃かな?」
倉庫の床面から続く、戦時中に掘られた地下通路。その通路を使えば、外に出る事なく駐車場の植え込みの陰に出られる。配達用のライトバンにも乗れる筈だ。
けれど、それはそこに『奴ら』がいなければの話。
「駐車場にいる人達まで皆こちらに引き付けてしまわないと、結局は車も外に出られませんしね。そうすると、やっぱり誰かが残らないと駄目なわけで……」
倉庫の中にあったプロパンガスのボンベを、道明寺は自ら開く。悪臭のするガスが勢いよく噴出する。
「あの子、私のリボン、大事にしてくれるかなぁ」
お守り代わりにと渡したリボン。
子供はありがとうと言ってくれた。
鉄扉が遂に開き、死に損ない共が雪崩を打って倉庫の中へと侵入する。
道明寺に向かって伸ばされる腕。腕。腕。
その腕が彼女に掴みかからんとする寸前、道明寺はニッコリ笑ってライターに点火する。
爆発。
●
ショッピングモールの屋上からカメラを回していた小田切は、『奴ら』の合間を走ってこちらへ向かって来る、姉妹らしい二人の姿に気がついた。長身の、金属バットを振り回す若い女と、まだ小学生のように見える女の子。
「おーい、ここだ、走れ!」
小田切は声を上げ、思わず大きく手を振った。
二人が小田切に気が付き、足を速める。だが、モールの周囲は今や『奴ら』の巣も同然の有様だ。走る二人に気がついた『奴ら』が、二人を追い、彼女達を押し包もうとする。
「くそっ、やらせるかよ!」
小田切はカメラを片手に走り出す。
●
「畜生! あと少しなのにッ!」
毒吐きながらも、地領院は遊紗を庇い、休まず金属バットを振るい続ける。
ショッピングモールはもう見えている。目と鼻の先といっていい。
だが状況は悪かった。
遊紗が初めに地領院に助けられた時よりも、尚。
(でも、恋お姉さん一人だけなら、きっとあのモールにまでたどり着ける。ボクが足を引っ張ってるから……)
地領院の握る金属バットが遂に二つにへし折れた時、遊紗は覚悟を決めた。
「恋お姉さんは、生き残って大事な家族を探し出してね! 約束だよ!」
遊紗は地領院と繋いでいた手を振り払い、大きな声を上げながらモールとは反対の方角へと走り出す。囮になる為に、一体でも多くの『奴ら』を引きつける為に。
大好きな恋お姉さんの為に。
●死
遊紗が走り出した時、地領院の頭に思い浮かんだのは、弟と妹の顔だった。
肉親が大事。決まってる。遊紗は偶々出会った、行きずりの子供に過ぎない。
だから、彼女は走り出した。
モールとは反対方向、『奴ら』に囲まれた遊紗のいる所へと。
走りながら、灯油の入ったペットボトルの中身を周囲に振り撒き、頭からも被った。
そして遊紗に掴みかかろうとするデブの襟首を掴み、強引に引き起こす。まるで抗議の声を上げるかのように手足を振り回すそいつに、地領院はニヤリと笑ってこう言った。
「アハハハッ!! お前にあの子は勿体ねェよ、ロリコン野郎。心配すんな、あたしが代わりにバッチリ御相手してやるぜ!」
デブが彼女の腕を掴み、歯を立てる。
これで感染だ。でも、もうどうでもいい。
「さあ遊紗ちゃん、逃げな! あたしの目の前で死ぬなんて、そんなワガママは許さねーぞ!!」
遊紗が立ち上がった。泣いていた。
期せずして、モールからも銀髪の男が駆け寄ってくる。
それだけを確認して、地領院はデブを抱え込みながらオイルライターに火を付けた。
●死
佐藤、ミハイル、デニスの乗った車は、国道沿いに街を脱出しようとした所で、不気味な、宇宙服のような化学防護服に身を包んだ一団と行き当たった。装甲車を並べて国道を完全に封鎖したその一団は、封鎖を無理矢理に突破しようとした避難民達に対して、無言のまま容赦の無い銃撃を加える。
辺りはたちまち銃声と、悲鳴轟く地獄絵図と化した。
「くそ、あいつらこの国の軍隊じゃないねーな? 何者か知らんが、ここまで来て死ねるかよ!」
乗り捨てられた車両の影で、ミハイルは歯噛みする。ここから、防護服の一団が封鎖したラインまで僅か二十メートル。決して長い距離ではないが、それでも、蜂の巣にされるには十分過ぎる。
「……俺が突っ込もう。あいつらが混乱している間に、お前達は何とか封鎖を突破するんだ」
「え? でも、そんな、デニス先生!?」
「気にするな」
言って、デニスは左手の甲を佐藤達に向ける。
小さな歯型の痕。
「さっきのどさくさに、避難民に紛れていた『奴ら』に噛まれちまった。感染者になるのはゴメンだが、自殺する度胸もないんでな。まあ、あいつらなら、やり損じてくれる心配は無いだろう」
「―――すまないな、デニス」
「何、隣町で彼女が待ってるんだろう? 彼女に宜しく言っといてくれよ、ミハイル」
そう言って、デニスはハンマーを片手に走り出す。
雄叫び。
防護服達はすぐに気が付き、射撃を開始。デニスの体は濃密な弾幕に曝されるが、止まらない。
(これが『奴ら』に為るという事か)
デニスは、既に痛みを感じない。
急速に混濁していく意識。ただ、正面の奴らを殴り飛ばさないといけない事だけは判っている。何十発もの弾丸を浴びて、尚向かってくるデニスに対し、算を乱して逃げ惑う防護服達。その真ん中に、デニスはハンマーを振り下ろす。轟音。
混乱の隙を突き、一台のバイクがデニスの傍らをすり抜け、封鎖線を突破した。
(さあ、行け。行くんだ)
その思いを最後に、デニスの意識は消え去った。
●
「すごいお船ですね! これはゼロ様の持ち物でしょうか?」
ソフィーは目を丸くし、大型ヨットの船室で小躍りする。
考えてみれば、おかしな話だった。
記憶をなくしている筈のゼロは、まるで迷う様子もなく、波止場の片隅に隠れるようにして係留されていたこの大型ヨットに足を運んだ。途中に有った幾つもの鍵やセキュリティも、ゼロに対してはフリーパス。
「このお船があれば何処へでも行けますね♪ そうだ、どうせなら、港に居られた他の方達も一緒に……」
「ソフィーちゃん。ボク、思い出したよ」
「え?」
唐突にそう言って、ゼロはソフィーを振り返る。
赤い目玉を輝かし、いつの間にか手にした拳銃をソフィーに向けて。
「いや、違うな。思い出したんじゃない、ボクは目を覚ましたんだ! だっておかしいよね? あんな死体が突然歩き出したりしてさ。このヨットだってそう。確かにこれはボクの持ち物だけど、ボクみたいな子供が、こんなおっきな船を持ってるわけがないもの!」
「ぜろ、様……? あの……」
ゼロの豹変に戸惑うソフィー。
ゼロは笑いながら撃鉄を起こす。
「つまり、これは夢なんダ! 全部夢の中のお話さ! ソフィーちゃんはまだ目を覚まさないの? 可哀想! 港に居た人達も、今必死に逃げている人達も、皆々可哀想! ボクはもう目を覚ましたよ? だから、ボクが責任をもって他の皆を起こして回らないとダメだよね?」
(夢? これが、この惨劇の世界が、夢の中? どこからが、どこまでが夢なのですか? それとも……)
ソフィーの思考は千々に乱れて、まとまらない。
ゼロが何を言っているのか。これが夢なのか、そうでないのか。
ただ、ゼロの赤い目玉が怖かった。
「ソフィーちゃん。夢の中で目を覚ます方法って知ってる? 簡単だよ、死ねばいいんだ。死ねば皆目が覚める。だからソフィーちゃん、おはよう! 今日も一日、ガンバロー♪」
銃声。
●
「おい、ライム。何処行くんさね? この山道で迷ったら大変だ」
愛猫達と無事に合流した九十九はその後、人通りの多い国道を避け、単身ハイキングルートからの山越えによる市内脱出を試みていた。勿論猫達も一緒に。
「こら、ライムったら。山は怖いんさ、そうそう好き勝手に歩いてちゃ……」
ニャア。
九十九の小言にも、ライムはまるで平気な顔。そのまま本来のルートを外れ、九十九を藪の中の獣道へと案内する。その自信あり気な態度に、彼は何となくこのまま従ってみようという気になった。……どの道、今からでは一人で帰る自信がない。迷子癖は、九十九に幾つかある弱点の一つだった。
猫に導かれて、九十九は山を超える。
正規のハイキングルートの先に、銃を構えた所属不明の兵士達がいた事も、山越えを試みた人間達の大部分がその兵士達によって殺された事も、彼は幸運にも気が付かなかった。