深夜である。いや、深夜の筈だ。
依頼斡旋所に煌々と点いた灯り。活動する人の気配、キーボードを叩く音に、時折轟く叫び声。
学生はおろか、教職員さえもが下校した後の学校施設としては随分賑やかであるが、それでも時刻はとっくに午前零時を過ぎている。本来なら通る者もなく、ひっそりと静まり返っていて当然の時間帯だ。
だけど、もう時間がないのである。
秋の校内天魔講習の出し物依頼に八名の撃退士が集まった時点で、本番までの残り時間は既に十六時間を切っていた。この短い時間内に、撃退士達は出し物を決め、劇の内容を決め、台本を練り、配役し、スライドを作成し、殺陣の打ち合わせを行い、新入生に配る小冊子の製本迄をこなさなければならないのだ。寝ている暇なんてあるわきゃない!
「も〜! せめて三日前に呼んでくれたら、スライド作りで徹夜なんてしなくて済んだのになぁ」
ぼやきながら、パソコンのキーボードをペコペコと叩いているのは武田 美月(
ja4394)。彼女の周囲にはファイルされた天魔に関する資料が山となって積み重なり、碌に身動きする余地もない。
「仕方あるまい、任務はいつでも時と場所を選ばないのだ」
そう言う新田原 護(
ja0410)の状況も、隣の武田と御同様。依頼斡旋所直々のお声掛りとあって、用意される資料に遺漏がないのは結構だが、如何せんその絶対量が多過ぎる。目当ての情報を探し出すだけでも一苦労だ。
「そっちの進捗はどう? 手が空いたなら、こっちのプリント綴じを手伝って欲しいんだけど」
「うにゃー! 終わらないのです〜っ」
そして暮居 凪(
ja0503)と若菜 白兎(
ja2109)の二人、冊子制作班の混迷度はスライド班に比べても尚深い。レーザープリンターから勢い良く吐き出される紙束を、暮居は空中で捉え、整え、並べて置かれた紙束を若菜が端からホッチキスで留めていく。
全力全開! 二人共に、製本作業で体から光纏の光がダダ漏れになるほどの気合の入れようだが、それでも尚戦況は分が悪い。彼らの居る広い会議室の半分は、既に未綴じの紙束で一杯という有様だ。
「あ、じゃあ私、そっち手伝うわよ。こっちから綴じて行けばいいんでしょ?」
「わぁ♪ 簾先輩、ありがとうございますなの」
言うなり、若菜はやって来た簾 筱慧(
ja8654)の前に紙束をドサササァァ。
眼前に積まれた紙の予想外のド分量に簾は思わず息を呑むが、今更やっぱ辞めますなんて言えやしない。彼女は覚悟を決めて、胸を大きく一揺すり! 腕まくりも勇ましく、手にホッチキスを握り込む。
「皆さんお疲れ様です、台本の読み合わせを終わらせてきました」
「……おやまぁ、何だか時間をおう事にドンドン酷くなってるみたいだな」
「こういう泥縄な仕事風景は、あまり新入生に見せたくないですね……」
混雑した部屋にどやどやと入ってきたのは、寸劇の舞台担当である楊 玲花(
ja0249)、鷺谷 明(
ja0776)、雫(
ja1894)の三人。勿論他人のフリなど許されるわけもなく、三人は部屋に戻るなり、それぞれがスライド班や冊子制作班の手伝いに引き込まれていく。
唸るプリンター、乱れ舞う紙束。猛り狂うホッチキス!
撃退士達の繰り広げる戦いの喧騒は、その日一晩、途絶える事はなかった。
そして、翌朝。本番当日。
その日は朝から、久遠ヶ原学園大学部敷地内にある大ホールに、年代学年バラバラの、だけども不思議に初々しい学生達が続々と飲み込まれていく様子が見て取れた。
この日の為にあちこちに掲げられた、幟に垂れ幕、横断幕。書かれた文字はどれも同じ。
『新入生歓迎! 秋の校内天魔講習会!』
●
「客入りはどう? こっちは用意してきた冊子が四百部、全部捌けちゃったわ!」
「見た感じ、七分入り、くらいなの」
舞台袖に駆け込んできた暮居の言葉に、緞帳の端から客席を覗き見た若菜が答える。七分入りと言っても、千人収容の大ホールなら七百人。四百部の冊子が捌けるのも当然で、やっつけ寸劇の客入りとしては十二分の数字だろう。
「わ、わたし、ちょっと緊張してきちゃったの……」
「大丈夫よ、白兎ちゃん♪ 普段、私達がやってる事を見せるだけなんだから」
「うー、そうですよね。……うん、がんばる!」
「簾、若菜! そろそろ土屋の挨拶が終わるぞ、準備はいいか!」
「はーい!」
新田原の声に、揃って答える若菜と簾。舞台上では、既に依頼斡旋所職員の土屋直輝(jz0073)による講演の挨拶が始まっていた。彼の挨拶が終わり次第、撃退士達による寸劇は開始される。
別に芸術的な演技をしたいわけではない。
依頼とは何か、天魔とは何か。
自分達の積み重ねてきた経験を、少しでも分り易く後輩達に伝えたいと思うだけだ。
「とはいえ、見せる限りは、上手く魅せれるように、ね?」
土屋の挨拶が終わった後の舞台に、簾は若菜と共に進み出る。
彼女達二人が撃退士役。場面は依頼斡旋所からのスタートだ!
●
『久遠ヶ原学園内の依頼斡旋所。ここでは常時、沢山の撃退士向け依頼が貼り出されています』
楊のナレーション。
「うわぁ! 依頼って沢山あるんですね!」
「これだけあったら目移りしちゃうわね」
舞台の上では、斡旋所を模したセットの前で簾と若菜の二人が依頼の掲示物に見入っている。ややあって、簾が一枚の張り紙を手に取った。
「あら、大変。天魔に襲われた街があるんですって。白兎ちゃん、これのお話を聞いてみない?」
「そうですね。あの、すいませ〜ん」
(で、ここで一度暗転、と)
舞台上の若菜達が斡旋所セットの裏に回り込んだ所で、暮居は一旦照明を落とす。その間に、舞台袖からプロジェクターと一緒に飛び出してくる武田と新田原の二人。
頃合見て、暮居は照明をオン。舞台に武田達の姿が照らし出される。
「はいっ! というわけで撃退士の二人は、どうやら天魔退治の依頼を引き受けるようだね?
天魔退治は、撃退士にとってとてもベーシックな依頼の一つで、需要も多いんだよ♪ それに、今回の劇では扱わないけど、他にも依頼の種類は盛り沢山! 手元の小冊子にも書かれていると思うけど、捜し物の依頼に、誰かを助けに行く依頼。ピンチのお店を盛り上げたり、恋のキューピットを頼まれたりする事もあるんだよ♪ 皆も、是非自分の得意なジャンルを見つけてみてね」
武田の説明に合わせて、新田原がプロジェクターを切り替え、スクリーンに様々な依頼風景を映し出す。巨大な怪物との戦闘シーン、学園で何か探しものをしているらしき情景、あるいは猫耳メイドのアルバイトにしか見えない光景、エトセトラ。
武田が喋り終わった所で、舞台は再び暗転する。
●
『撃退士達は、街を襲う天魔を退治するという依頼を引き受けました。久遠ヶ原学園から件の街まで、ディメンションサークルならひとっ飛び! 二人は転送先の街で、改めて依頼人から事情を聞いてみる事にしました』
民家風のセットで、簾と若菜の二人は依頼人役の雫と言葉を交わす。
「お願いです! 街を襲い、そして私の両親を殺した天魔をやっつけて下さい!」
雫が若菜の手を握った。
若菜は、雫の思わぬ真剣な演技に一瞬、まるで本当の依頼を受けたかのような錯覚を覚える。あるいは雫は無意識に、天魔によって天涯孤独の身となった自らの身の上を重ねているのかもしれない。観客は、その雫の演技に引き込まれる。
「……それで、街を襲った天魔とはどのような相手でしたか? 格好は? 相手は一匹でしたか?」
横合いから話しかける簾。
その質問に雫が答えようとした時、舞台の上手に怪しげな人影が現れた。
「あ、街を襲ったのはあの怪物です!」
雫の叫び。暮居の操作により、怪物に三方向から突き刺さるスポットライト。光輪の中に大鎧の武者姿が浮かび上がる。鷺谷演じる天魔、サブラヒナイトの登場だ!
再び暗転。
スライド組の状況説明。今度のメイン話者は、武田に代わって新田原。
「舞台に顔を出した、先程の怪物はサブラヒナイトと言う……勿論、ここにいるのは役者による演技だから安心するように」
新田原の説明に合わせて、武田が動画映像をスクリーンの上に映し出す。
それは、学園生が『封都戦』と呼ぶ、京都を舞台に繰り広げられた大規模な戦いの記録だった。荒廃した京都の大通りを、隊伍を組んで撮影者に向かってゆっくりと進む鎧武者達。
新田原の説明は続く。
「この怪物は、恐らく諸君達が今後経験するであろう、京都奪還作戦における厄介者の一つである。長弓を放ち、太刀を振るい、しかもその鎧は物理攻撃の多くをはね返す。何より映像にもあるように、こいつは小隊の指揮官を兼ね、多人数での戦いを得意とする難敵だ。配役上、劇中では一体だけしか出てこないが、現実にこの天魔と出会った場合、多数の敵との戦いを覚悟する必要があるだろう」
暗転。
●
『依頼主から事情を聞いた撃退士達は、遂に街を襲った件の天魔を発見しました。敵は強力な怪物です。果たして、撃退士はどのような連携を見せるのでしょうか?』
楊のナレーションと同時に、鷺谷は簾達に襲いかかる。
実の所、殺陣に関して練習する時間は殆どなく、あまり細かい打ち合わせをしていない。適当に流れで襲い掛かるからいい感じに反撃してくれ……なんて大胆溢れる大雑把加減。お陰で、舞台上で繰り広げられる戦いは不必要なまでのリアルさに満ちていた!
「わぁ、ちょっと危ないわよって……」
ブゥゥンッ!!
鷺谷の大太刀が、慌てて身を仰け反らせた簾の鼻先を掠めて過ぎる。手加減する気があるのかないのか、客席まで届く剣圧に、観客は無邪気に大喜びだ。
「いやァ―――ッ!」
簾に迫る鷺谷に、サイドから若菜が身の丈を遥かに超える大剣を振りかぶって突っ掛けた。振り下ろされる大剣を太刀で受け流しながら、鷺谷は危ういところで身を躱す。
二転、三転、そして四転!
素早く舞台上でトンボを切った鷺谷は、大剣片手に追ってくる若菜に向けて「地縛霊」を撃ち出した。オドロオドロしい、苦悶の表情を浮かべた煙の如き亡霊が若菜の足にまとわりつくと、若菜の突進はピタリと止まる。亡霊の足止めは効果覿面、されど、撃退士はもう一人!
「行くわよ、サブラヒナイトッ!」
若菜の背後から高々と飛び上がった簾が、鷺谷に向かって飛燕翔扇を投げ放つ!
真っ直ぐに飛来した大ぶりの扇子が鷺谷の大太刀を弾き飛ばすと、まるで糸の切れた操り人形のように、鷺谷はドウと音を立てて舞台の上に倒れ伏した。
そして暗転。スライド組の武田、新田原が三度舞台に顔を出す。
「おめでとう、見事撃退士の勝利だね♪ さて、今回の敵、サブラヒナイトは天使軍の操るサーバントだったわけだけど、天魔の種類はそれだけじゃないって事は説明しておこうかな? 天使陣営には、天使にシュトラッサー、そしてサーバントの三種類。悪魔陣営には、悪魔にヴァニタス、ディアボロの三種類。当然皆も知ってるように、天使と悪魔の強さはその他の怪物とは大違いだよ!」
「天魔も上級の格になると、我々人間と同じく感情や理性を持っているようだ。また、その強さも並ではない。諸君らがもしそれら上級天魔と出会してしまった場合、まずは逃げる事をお勧めする」
「ともあれ、今回は撃退士達の大勝利! さあ、エンドロールの最後まで、きちっと〆るのが撃退士の仕事だよ♪」
●
『こうして、撃退士は見事天魔を撃退し、依頼を果たす事に成功しました』
楊のナレーションに、観客席から沸き起こる拍手。
『どうもありがとうございます。
さて、それでは残り時間も押して参りましたので、最後に先輩撃退士である彼らに、それぞれの体験談や教訓、新入生である皆さんに伝えておきたい想い等を伺ってみたいと思います。えーっと……』
誰を指名するか、楊は一瞬言い淀んだ。
その間に雫は自らマイクを握り、つかつかと舞台の中央に進み出る。
「今回の劇では、誰も死んでしまう事なく依頼を解決する事が出来ました。これは大変喜ばしい事です。
……けれど、天魔との戦いには常に命の危険がある事を忘れないで下さい」
雫の脳裏に浮かぶ、様々な過去の依頼。経験。
幼い少女の身でありながら、彼女の戦歴は第十期生の中でも十本の指に入る苛烈なものだ。
「己の力を過信せず、仲間の力を信じて協力し合わなければいけません。それが出来なければ待って居るのは死だけです。偉そうに話している私ですが、過去に何度も無力感を味わいました。此処に居る皆さんが、その様な目に遭わない事を願っています」
「私は、死ぬなとは言わん」
雫の次にマイクを握ったのは鷺谷だった。既に変化の術も解き、兜を脱いだ彼は、先程までの不気味らしい様相から大きく様変わりをして見える。
「だが命の使い所は考えろ。自らの為だけに使うも良し、他人の為に使うも良し。熟慮の末の結論ならば、ドブに捨てるのも構わんし、当然最後まで大事に取っておくというのも有りだろう。
悔いなく生きて、悔いなく死ね。誰が何と言おうと貴様らの命は貴様ら自身のものに他ならん。他に憚る事無く、己が意を通すがいい」
皮肉に微笑む鷺谷の言葉に、新入生達が微かにざわめく。
そのざわめきは、次に新田原がマイクを握った事で、更にボリュームを増していく。
「命を捨てるなど、私が許さん!」
開口一番、新田原は言い切った。
「敵は強大で、一方撃退士は数も力も限られている。故に、諸君は死んではならん。仲間の為に、戦う力を持たぬ無辜の民の為に。たとえ辛くとも、君達は生きて足掻いて、戦い続けて欲しい」
新田原の言葉の後、新入生達のざわめきは止まらない。
ひとしきりざわついた後で、会場の端に座っていた一人の学生がおずおずと手を上げる。
『はい、そこの貴方? 何か質問でしょうか?』
楊の差し向けた言葉に、学生は立ち上がって声を上げた。
「それで、えっと。……結局どっちなんですか? 好きに死ねばいいのか、死んじゃ駄目なのか」
その質問に、舞台の上で撃退士達は互いに顔を合わせ、目を見合わせる。
再び新田原がマイクを握る。
「それが分からないのは、貴様の心の中に、自らによって打ち立てた戦いの理由がないからだ。また次の一年後、今度は貴様から後輩へ、その答えを教えてあげられるような、そんな撃退士に育って欲しい。以上だ」
そっけない新田原の言葉に対し、客席から聞こえてくるは……
―――歓声と、鳴り止まぬ万雷の拍手。
●
「皆、お疲れ様」
舞台袖から幕引きの合図を出しながら、暮居は一人、観客席を埋める新入生の顔に改めて目をやった。
顔。初々しい、熱っぽい、何処か危うくて、理想に燃えた学生達の、顔。彼らが今後の一年間でどんな体験をするのか。神ならぬ身の彼女にそれを推し量る術はない。
舞台の灯りを消しながら、彼女は呟く。
「さて。あの中から、どれぐらいの人が私達と肩を並べてくれるかしら、ね?」と。