大型獣の咆吼は、人の内に眠る原初の感情を呼び起こす。
ライオンとゾウ、二頭の動物が放つ雄叫びは、周囲の人間をたちまちの内に恐慌状態に陥らせた。歩行者は逆方向に走り出し、車道の車は止まり、あるいは強引なUターンを試みて、それは結果的に玉突き事故寸前の激しい渋滞を引き起こす。車が動かなくなったドライバー達は、ゾウが一台の乗用車をぺしゃんこに踏み潰したのを見た途端、我先にと車を捨てて逃げ去った。
「皆さん、慌てずに避難してください」
「ここは危険です! 速やかに避難をお願いします!」
混乱する群衆に対し、龍炎(
ja8831)、レオンハルト・ハイドリヒ(
jb0736)の二人の撃退士達が手分けをして声を掛け、避難誘導に当たる。事情を知らないまま建物から顔を出したような通行人達も、二人の呼び掛けと、更には血相を変えて逃げてくる人間に行き当たると、肝を潰して再び建物の中に引っ込んだ。
「おい、これは一体何の騒ぎだ? 君達は何者かね!?」
通りかかった一人の男が、避難を呼び掛ける龍炎の肩を掴んで声を荒げる。
龍炎は男に、学園の生徒証を見せながら答えた。
「俺達は撃退士です。今、仲間の撃退士が動物達を抑えているので、今の内に早く避難して下さい。トレーラーには絶対に近付かないで下さいね」
本当の事を言うと龍炎ら撃退士もただの通りすがりに過ぎず、これが一体何の騒ぎなのか、事情を知りたいのはむしろ彼らの方だろう。
だが、彼らは一つだけ、群衆達の知らない事を知っていた。
動物達の首筋に跨った、子供の玩具のような小さな人形。それが小型のサーバントである事を。
サーバントがいる限り、ただのハンターや警察が何十人来たところで意味は無い。天魔相手に事態を収める事が出来るのは、彼ら撃退士だけなのだ。
トレーラーの方へ走る者。避難誘導に当たる者。ライオンの、そしてゾウの前に立ち塞がる者。
総計八名の撃退士が、今サーバントに立ち向かう。
●
「撃退士です。大丈夫ですか!?」
そう言って桐生 直哉(
ja3043)は、青木 凛子(
ja5657)と共に車道で停車しているトレーラーヘッドへと駆け寄った。車内に居たのは二人の男。助手席の男が携帯電話で警察らしき相手と話をしている横で、運転席の男が桐生達に気が付いた。
「いや、俺らは大丈夫だが……そうだ、こうしちゃいられねぇ! コンテナの扉を早く閉めちまわねぇと」
「扉?」桐生の隣で、青木が首を捻る。
「ゾウもライオンも、とっくに外出して街の通りをお散歩中よ?」
「違うんだねーちゃん、コンテナにはまだトラとライオンが一匹ずつ残ってるんだよ! もう逃げた分はともかく、ソッチの方まで逃がすわけには……」
言いながら、運転席の男は鍵束を手に慌てて車から降りようとする。
その男の動きを、桐生がドアを押さえて遮った。
「すいませんが、外に出ないで下さい。この事件は天魔が関係している可能性が高い。コンテナは今から俺達が見に行ってきますから」
「えぇ?! しかし、いや、あんた達を疑うわけじゃねぇが、突然天魔とか言われても……」
運転席の男は戸惑いの顔を見せる。緊急事態とはいえ、突然現れた部外者に積み荷を任せるのは抵抗があるのだろう。とは言え、ここでゆっくり話をしている暇はない。男が考え込む隙を突いて、青木は男が持っていた鍵束を外から素早く引っ手繰る!
「貸りるわよっ!」
「あ、おい、こらっ!」
「外は危ないから、アナタはそこに居て頂戴!」
反射的に声を上げる男に青木は一声言い放ち、同時に鍵束から素早く「トラ」と書かれた鍵を外して桐生に向けて投げ渡す。
「直哉ちゃんは手前の虎コンテナをお願いね! あたしは後ろの二つを見に行くから!」
「了解!」
二人はそれぞれにトレーラーのコンテナへと走り出す。
残った動物も逃げ出すかもしれない……それは確かに大ごとだが、もっと危ないのは、コンテナの中にまだ別のサーバントが隠れているかもしれない事だった。コンテナの確認作業は危険であり、男には悪いがとても一般人を連れてはいけない。
「トラのコンテナを確認! トラが一頭居るだけで、特におかしな様子もないようだ」
「このおっきい空のコンテナは、きっとゾウのコンテナね。閂が鋸で切ったみたいに綺麗に切られてるわ」
トレーラーに積まれているコンテナは三つ。
トラとゾウのコンテナを確認した青木と桐生は、最後にライオンのコンテナを覗こうとして……咄嗟に、二人はコンテナの扉を外から押さえつけた。その扉を、内側から猛烈な衝撃が襲ったのはその次の瞬間の事だった!
ドガンッ! ドガンッ!
二人は光纏全開! 全力で扉を押さえに掛るが、二度三度と加えられる力の凄まじさに、さしもの撃退士も二人揃って吹き飛ばされそうになる。
「開けろよー! 折角ライオンに乗ろうって決めたのに、これじゃ外に出られないじゃないかー!!」
打撃音に混じって聞こえる、子供のような甲高い声。
間違いない、サーバントの片割れがコンテナの中にいる!
●
「おやあ? もしかしてこいつら撃退士?」
ライオンに跨るピエロがお道化た声を出すと、隣のゾウの上でうさぎがピョンピョンと手を叩いて跳ね回る。
「踏んじゃえ踏んじゃえ♪ 邪魔な撃退士はやっつけろ♪」
自らに跨る人形の声に応じて、ライオンとゾウ、二頭の獣は眼前に立ち塞がる四人の人間に向けて威嚇の声を上げる。野生の迫力は十二分! それだけで一般人ならパニックに陥るだろうその咆吼は、しかし撃退士には通用しない。
「上にいるの、やっぱりサーバントみたいだね。動物を操ってこんな事させるなんて許せないよ!」
「ゾウの足止めは、僕のヒリュウが受け持ちましょう。ライオンの方は宜しくお願いします」
憤然と腕まくりをしてライオンに向かう八角 日和(
ja4931)に、召喚したヒリュウを飛ばしながら油断なくゾウを見張る時駆 白兎(
jb0657)。そうして八角の後ろには鷹司 律(
jb0791)が立ち、レン・ラーグトス(
ja8199)が太刀を構えて時駆の横に並ぶ。
動物&サーバントに、こちらは撃退士が二人ずつ。数の上では丁度いい。
けたたましく笑う人形に、アウルの光を身に纏って立ち向かう四人の撃退士達。
戦闘開始!
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「まずは挨拶代わり。これを食らって動けますか?」
時駆のヒリュウが、口から甲高い超音波を放射する。
天魔には然程の効果もないが、一般の動物相手ならどんな猛獣でも怯ませるバハムートテイマーの技の一つ。狙い通りゾウは避ける事も出来ず、正面から超音波を浴びて硬直した。
「こんな子供騙し効くもんか! ほら、動け! 動かないと絞め殺すぞ!」
うさぎが歯軋りをしてゾウを叱咤すると、ゾウは再び動き出すが、そこに再びヒリュウが超音波を浴びせ掛けると、ゾウはまた動きを止めてしまう。動いて止まり、また動く。完全硬直とはいかないが、それでも効果は十分だ。
「よーし、白兎くん、いいよ! 今の内に、あたしがあの悪い腫れ物を引っ剥してやるから!」
ヒリュウとゾウが膠着状態に陥った隙を突いて、レンがゾウの体に取り付いた。硬直したゾウの体を木登りよろしく攀じ登るつもりであったが、うさぎの方もそれをぼんやり見ている程には甘くない。
「何やってんだよ、そら動け!」
うさぎは伸縮自在の腕の先にナイフを握り、一声上げてゾウの尻を突き刺した!
ゾウは堪らず、超音波も忘れて半狂乱になって暴れ、まるで明後日の方へと走り出す。
「あ、しまった!」
狂乱したゾウの向かう先を見て、レンが叫ぶ。
歩道の脇に、数名の逃げ遅れた通行人がまだ残っていた。突進してくるゾウに通行人達は慌てて逃げようと駆け出すが、このままでは間に合わない!
ドカンッ!
「ウグッ!」
ゾウの突進を受け止めたのは、避難誘導中のレオンハルトだった。
彼はクレイモアごと体当たりをするようにしてゾウの向きを変え、見事通行人を守る事に成功する。だが百倍もの体重差に、レオンハルト自身はまるでサッカーボールのように蹴飛ばされ、車道沿いに植えられていた街路樹に激突した。
……街路樹に叩きつけられたレオンハルトは、だが、激しい衝撃の中で少しだけ笑う。
通行人を助けられた、その事に。
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「キャハハ! どうだ、追いつけないだろーっ!」
高速で流れるピエロの笑い声。
最高時速六十キロにも及ぶライオンの速力は人間を遥かに上回り、それは例え撃退士であっても変わらない。懸命に後を追いかける八角をグングンと引き離し、ライオンはあっという間に避難誘導圏ギリギリの位置にまで到達する。
そこから外は、実質的には殆ど避難誘導が行われておらず、一般の通行人も多い。なんとしてもライオンをそこまで行かせるわけにはいかなかった。
ライオンを追跡する八角が、スマホから龍炎、鷹司の二人に連絡を飛ばすと、連絡を受けた龍炎がライオンの進路上にその姿を見せる。
「あぁ? なんだ、そこの人間!」
「……ライオンって、随分足が速いんですね。でも此処から先は行かせませんよ、っと!」
言い様、龍炎は掌中の巻物からシャボン玉状の泡を乱れ撃つ。
足元を狙った威嚇攻撃だが、ライオンは龍炎の攻撃を嫌って進路を右へ直角に折り曲げた。急激に進路を変えたライオンの後ろを、八角も足を緩めずに追随。
龍炎を避けて脇道へ入ったライオンは、今度は道の先で鷹司が待ち受けているのに出会した。
ライオンのたてがみにしがみついたピエロが叫ぶ。
「さっきからなんだ、それで待ち伏せのつもりか? おい、ライオン、あの男の脇を走り抜けろ!」
「そうは行きませんとも!」
ライオンが、鷹司の脇を走り抜けようとする。
……あるいは、鷹司の武器がただの剣のようなものであったら、あっさり抜かれてこの待ち伏せは失敗に終わったかもしれない。だが、彼の武器は火炎放射器! サーカス団のライオンとして、多少の炎に怖がりなどしないが、それでも鼻先に真っ赤な炎を浴びせ掛けられては堪らない。ライオンは鳴き声一つ、ピエロの静止の声も聞かずに炎を避け、進路を右へ曲がって走り出す。
気が付けば、ライオンは再び元の現場近くへと舞い戻っていた。
既にこれまでの走りで、元来長距離向けではないライオンの足は限界に来ている。撃退士の待ち伏せによって体力を浪費し、ライオンにはもう、これ以上走り続ける力は残っていない。
そして、それを八角は待っていた。
全身の筋肉を強化した八角は、『柴垣潜り』による四足歩行によって急速にライオンとの距離を詰めて行く。
「もー! いっぱいいっぱい走らされて、私だって大変だったんだからね!」
「わあ! こら、ライオン、走れ! 来るな、こっち来るな!!」
走りながら、八角はサーバルクロウを装着。
ライオンの背の上で、ピエロは慌ててナイフを握った腕を伸ばし、後方から迫る八角を迎撃する。
ピエロの刃は、八角の肩を浅く薙いだ。……だが、それまで。四足歩行のまま飛び掛かった八角のクロウがピエロを直撃。小さなピエロをライオンの上から弾き飛ばす!
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ドガンッ! ドガンッ!
桐生と青木は衝撃に震える扉を抑えながら、互いに目配せを交わす。どのみち今のまま、鍵もないコンテナを手で抑え続けるのには限界があった。
(直哉ちゃん、いくわよ!)
(了解、凛子さん!)
「開けろよー! 開けないと、扉ごと壊しちゃうぞ!」
サーバントの声に合わせて、コンテナの内部でライオンが助走を始める気配。
一度後ろに引き、勢いをつけて扉に向けて体当たりを……
「今よっ!!」
二人はタイミングを合わせて観音開きの扉を全開。
開いた扉から、一頭の雌ライオンが飛び出してくる。
「うわぁ、なんだぁ?!」
ライオンの背中の上で、子グマが驚きの声を上げた。その姿を確認した瞬間、二人は左右から揃ってハイキックをぶちかます!
青木のシルバーレガースは、右側から子グマの腹へ。
桐生のアルラキスは、左側から子グマの顔面に。
突然の奇襲に、サーバントは全く反応出来ないまま直撃を食らい、ワタを撒き散らしてぶっ飛んだ!
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レオンハルトの活躍によって何とか通行人への被害を免れた後も、ゾウと時駆達との戦いは続いていた。
だが、その戦いももう佳境。
「そー、らっと!」
街路樹の枝から、レンがゾウの背中へと飛び移る。邪魔な大太刀は仕舞い、短めのダガーを顕現。レンは象の背中の上を手をついて進みながら、首に跨るうさぎとの間合いを測る。
「さあ、悪い腫れ物は今直ぐとってやるからねぇ?」
「舐めるな、撃退士!」
うさぎはナイフを握った腕を長く伸ばし、レンのダガーと切り結ぶ。しかし元々格闘が得意な性質ではないようで、うさぎはアッという間にナイフを弾かれ、ゾウの頭の上へと追い詰められた。だが、ナイフだけがうさぎの持つ武器ではない。レンがうさぎに飛びかかろうとした寸前、彼女の体をゾウの長い鼻が掴み上げる。
「あ、ちょっと、こら、放しなさいってば!」
「はっはー! やーい、バカ撃退士! 悔しかったらここまでおいで!」
象の鼻に囚われたレンを見下ろし、うさぎは思いっきり高笑い。
そんなうさぎに向かって、時駆がゾウの足元から声を上げる。
「やい、そこのうさぎ! レン先輩が捕まっても、まだ僕のヒリュウが残っているぞ! 正々堂々、正面から勝負しろ!」
言うなり、時駆はうさぎの真正面からヒリュウを特攻!
この破れかぶれな突撃に、うさぎは余裕を持って迎撃を……しようとした途端、ヒリュウの姿がうさぎの視界から霞のように消え去った。
「何?! 消えた?」
うさぎの一瞬の動揺を時駆は見逃さない。
それは召喚解除から連携させた、高速再召喚によるヒリュウの幻惑移動術。時駆がヒリュウを呼び出した場所は、勿論うさぎの真後ろだ!
「さっき、正面から勝負しろと言いましたね。あれは嘘です」
ヒリュウのチャージラッシュが、悲鳴を上げるうさぎの体をゾウの上から叩き落す。
●
「すいません、我々はサーカス団のものですが、逃げた動物達が何処に行ったか知りませんか?」
「あら、遅かったじゃない?」
麻酔銃を持った数名の男達が、停車したトレーラーの側にいた青木に向かって声を掛ける。
ここまで、余程急いで来たのだろう。ゼーゼーと息を切らす男達に、横でコンテナにもたれ掛かっていた桐生が、立てた親指で背後のコンテナを指し示した。
「トラと雌ライオンはコンテナの中です。一部鍵が壊れていますが、特に暴れる様子もありませんね。逃げたゾウと雄ライオンの二頭は……」
桐生の視線が向いた先に、自然と男達も目を向ける。
車の往来の止まった広い車道の真ん中。そこにいるのは、ゾウとライオン、そして六人の撃退士達。
八角に喉をワシャワシャされたライオンが、ゴロゴロと気持ち良さそうに喉を鳴らすのを見て、サーカス団の男達は盛大な安堵の溜息を漏らすのだった。