「ハッハッハー! 夏こそは我の輝く最ッ高の季節! コンテストの開始が待ち遠しいぞ!」
そう言って、男、自称ロシア人のギメル・サーダイは、大きな姿見に向かって見事なサイドチェストを披露する。ムキリ! ……途端、如何なるオーラ故か、ビシリと鏡に大きなひび割れが走るが、男は気にした風もなくカンラカンラと高笑い。
―――激似であった。
似ているどころか、翼がない以外は天使ギメル・ツァダイそのまんまと言っていい。
驚愕の思いを抱きながら、撃退士達は控え室用に設営されたテントの中の様子を、外から交代で覗き見る。
次木浩平(なみきこうへい)より寄せられた天使現る(?)の一報に、急遽派遣された八名の撃退士達。彼らの多くは先の封都戦での従軍経験を持ち、中にはギメル当人と間近で遭遇した者まで含まれる。その彼らからしてさえ、目の前のスイミングキャップの筋肉男が、天使ギメル以外の何者にも見えないのだから驚きだ。
(うぇえええ!? 他人の空似ってレベルじゃないですよっ?)
金鞍 馬頭鬼(
ja2735)などは思わず二度見。
正直ここに来るまで、どうせ枯れ尾花が幽霊に見えた類の話だろうなんて思っていたのだが、いやいや、とんでもない! 枯れ尾花どころか、ガチグロ触手モンスターと鼻先で目が合ってしまったくらいの本物度合い。
「あぁ、うん、確かによく似てる。色々つやつやキラッキラなところなんか、特に似てるよな……」
桐生 直哉(
ja3043)は含むところを口にする。ちなみに、天使ギメルに対し、撃退士達の奉った尊称の一つが『禿げ天』だ。由来は、まあ敢えて説明する程の事もないだろう。
「……とは言え、外観が似ているだけでは、貴奴が天使ギメルに間違い無しとの断定は出来申さぬ。その辺、如何が致すべきで御座ろうか?」
東郷 遥(
ja0785)がテントの中を覗きながら、背後の仲間達に問いかけた。
状況証拠は真っ黒だが、直接の証拠に欠けているのもまた事実。かと言って下手に手出しをして、藪を突いて大蛇を出すような真似は極力避けたい。
「直接の証拠が欲しければ、直接の接触あるのみですね」
金鞍の言葉に、赤坂白秋(
ja7030)も大きく頷く。
「やるしかないな。相手にとって不足はねえぜ!」
(むしろ、不足しているのは僕らの方なような)
内心のツッコミを、だがレグルス・グラウシード(
ja8064)は敢えて口には出さなかった。弱気は損気。相手の正体如何に関わらず、とにかく気持ちよく帰ってもらえばそれでいい筈と、レグルスは自らを奮い立たせる。
そうだ、撃退士達の命を賭けた戦いは既に始まっているのだから!
●
「ギメルさん、どこか痒いところはありませんかぁ?!」
「力加減は如何ですかね?」
馬の被り物姿の金鞍が汗だくになって腰を揉み、傍らでは赤坂が首筋のマッサージに満身の力を込める。
一方、二人の声掛けに対するギメルの返事はそっけない。
「ぬるい。もちっと腰を入れて揉まんか」
『へい、かしこまり!』
正直なところ、最早二人が撃退士でないとしたら言い訳が難しいレベルにまで力を込めているのだが、ギメルは一向に満足した気配は見せず、もっともっとと度重なる要求に、二人は何時しか筋肉ムキムキマッチョマンの半裸体の上で、汗とオイルまみれで必死に肉の山と格闘する羽目に陥った
……いや、違うのだ。作戦なのだ。ここに至るまでにも結構苦労したのだ。読者諸兄におかれては、哀れな二人に対して是非とも、理解と共感の眼差しで暖かく見守って頂きたい。
まあここに至った経緯は、複雑なようで単純だ。
警備スタッフの次木に、赤坂が中に潜む段ボール箱をギメルの控え室へと運び入れて貰い、間近から相手を観察しようという作戦が、開始二秒でギメルにばれたのが事の始まり。
即座に逃げ散った次木にダンボールごと置いて行かれ、目の前で仁王立ちするギメル相手に、さてどう話を誤魔化そうかと赤坂が頭を悩ましたその瞬間、金鞍がギメルの背後から水差しの水を思いきりぶち撒けたのがダメ押しだ。
普通にその場でリプレイがバッドエンドを迎える筈のところを、実はこれはイベントでオイルマッサージのサービスに来たのだ、貴方に対しては特別に二人の要員を手配したのだと、咄嗟に口から出任せを並べてみせた赤坂の口八丁ぶりは称賛に値する。お陰で二人してこのような筋肉地獄に陥ったわけだが、バッドエンドになる事を思えば、これくらいで済んだ事はむしろ幸運だとさえいえるだろう。
それに今の状況が作戦通りだというのも嘘ではない。このギメルがもし本物の天使であるなら、どこかに羽の付け根の痕跡が残っているかもしれない。そのような異常がもし見つかれば、それはギメルの正体に迫る有力な証拠となるだろう。
(そう、どこかに羽根の痕が有ってもいい筈……)
金鞍は必死になって手を動かしながら、ギメルの広い背中に目を凝らす。
モミモミモミモミ
モミモミモミモミ
だが、金鞍の馬面に焦りの色が浮かぶ。
(何の痕跡も見当たらない!?)
こうなると話は厄介だ。痕跡がないから、じゃあ人間だとも言い難い。他にこのギメルが天使であると決定づける証拠も見当たらず、このままでは徒にモミモミモミモミ、時間と体力と、人間性に関わる大切な何かを浪費していくのみ。
こうなったら、残る手段は唯一つ―――
(おい、馬頭鬼。俺はやるぞ! 俺はあのスイミングキャップを取る! モミモミ)
(待て、赤坂さん。早まっては行けない! それはあくまで最後の手段……モミモミ)
(いやだ、俺はもう肉の塊をこうやって揉み続けるのには耐えられないぜ! あのキャップの下を確認しさえすれば……モミモミ)
そう、果たしてこのギメルは「禿」なのか?!
ギメルの背中の上で二人が交わす、光速のアイコンタクト。やがて首筋の筋肉を揉んでいた赤坂の指が、ソロリソロリとギメルのスイミングキャップに近付いて行く。
ああ、もう少しで縁に指が……しかし、そこまで。
彼の指は、いつの間にか身を起こしたギメルの大きな手にガッシリと掴まれ、まるでビクともしなかった。
「ひぃ!?」
「うむ、マッサージはこのくらいでいいだろう。ただ揉み手が非力なのには困ったものだ。折角だ、マッサージに適当な力加減というものを一つ、我自らお前達に教授してやろう。何、遠慮する事はないぞ?」
嫌だと言ったらしい。勘弁してくれとも言ったらしい。
けれども、テントから離れていた他の仲間達に聞こえたのは、二人の長く尾を引く悲鳴だけ。
『アッ―――!!』
●
「ろしあからきた おちゃんのテント、ここなーの?」
そう言ってぴっこ(
ja0236)は一人、ギメルのテントにひょっこり顔を覗かせる。
彼には目的があった。撃退士達が頭を悩ます難問、即ちギメルが自称通りのロシア人なのか、はたまた天使なのか。その疑問も、彼が用意した質問を相手にぶつける事でたちどころに氷解するに違いない。
「なんだ、何しに来た小僧? そろそろ会場に行かんと、コンテストが始まるぞ」
「おおお」
でかい。テントの中にいた相手は、まさに肉の山だった。感動する。
しかしそれでも挨拶は忘れないところが彼の偉いところだ。
「プリヴェ」
「ほう、懐かしいロシアの挨拶だ。我の信者か? 残念だな、色紙でもあればサインをくれてやったものを」
「おちゃん ろしあからきたなのー? ろしあぢんて みーんな のんべて ほんとーのー?」
「ふむ、小僧、よく知ってるな! そう、あの地では蛇口を捻ればウオトカが流れ出る。人から草木に至るまで、全てがアルコール含有率三十%の御伽の国よ!」
「へーえ」
詳しい。こんなに詳しいという事は、どうやら本物のロシア人に違いない。ぴっこは心なしかガッカリする。
実のところぴっこの質問では、例えば本物のギメルのような「ロシアからやってきた天使」の正体を判別する事は出来ないのだが、残念ながら彼がその事に思い至るのはずっと後の話。
「さあ、我はそろそろ行かねばならぬ。そうだ小僧、暇だったらテントの中を掃除していかんか。多少散らけてしまったのでな」
そう言って大男はぴっこを置いてその場から立ち去った。
掃除をする気はなかったが、それでも彼はお義理にテントの中を覗き込む。そして、ふと見覚えのある何かが転がっているのに気が付いた。その何かを、もっとよく見てみようとテントの中へと入り込み……
「駄目だぴっこ君! キミはこのテントに入らない方がいい!」
突然後ろから走りこんだ桐生が、ぴっこの両目を掌で覆う。
同時に、ドヤドヤと部屋に走りこんでくる何人もの仲間の気配。そのままテントの外へと押し出される寸前、丁嵐 桜(
ja6549)と東郷、二人の怒りに燃える声が辛うじてぴっこの耳に入る。
「金鞍さん、赤坂さん、返事をして下さい!」
「むごい、体中の骨がバラバラで御座る。撃退士である二人をここまで傷めつけるとは、一体誰が、どのような方法で……?!」
「わるーヤツも いるもんなーの」
ぴっこは泰然と呟いた。
●
「皆さん、大変お待たせしました!」
マイクを握ったアーレイ・バーグ(
ja0276)が声を上げ、同時にそのスイカのような爆乳をブルンと揺らす。
「こちらのきょぬーはアメリカ産、筋肉は大体日本産! 今年は外国の方も多数参加されています! 果たして勝利を収めるのは一体誰か! それでは、ビーチマッスル・コンテストの開幕です!」
司会役のアーレイによって華々しく開催宣言が行われた、今年のビーチマッスル・コンテスト。例年はどちらかと言うと、女性の曲線美に対する声援が目立っていたコンテストであるが、今年はどうやら事情が違う。
「さあ、次はロシアよりやって参りました筋肉の使者! エントリーNo.9、ギメル・サーダイさんです!」
「フハーッハッハッハ―――!!」
高笑いとともにギメルが現れた途端、その溢れる肉体美はビーチ中の視線を独り占め。彼の筋肉に魅せられた観客達は足を踏み鳴らし、声を枯らしてその天上の筋肉彫刻を賛美する!
『でかい!』『腹直筋が叫んでる!』
『キレテル、キレテル!』『ナイスバルク!』
「おおっと! 凄い声援、そして凄い筋肉です! ステイツでもこれ程の筋肉にはそうそうお目に掛かれません! ステイツなら抱かれたい男No.1ですねっ! かくいう私も心が揺らいでおります!」
アーレイの言葉も、満更お世辞だけでもない様子。
なんせ爆乳自慢の彼女よりも、ギメルの胸囲の方が上なのだ。これは惚れる!
「……どうせ負けるのは分かっていて参加したんだけど」
ステージ上の盛り上がりを袖から見守っていたレグルスだが、ふと自分の二の腕に目をやって思わず溜息。勿論未だ成長途上の彼にギメルのような上腕二頭筋が付く筈もないのだが、そんな理屈で思春期男子が心穏やかでいられる筈もない。
「今から牛乳飲んで来ようかな。明日からは筋トレの量も増やした方がいいかもしれない。撃退士の仕事だってあるんだし、体を鍛えてても別に変な事じゃないわけで……」
「レグルス殿、自信を持つで御座る。貴殿の肉体は決して捨てたものでは御座らんよ」
「東郷さん……」
水着代わりに晒しを巻いた東郷が、レグルスの肩をポンと叩く。振り返るレグルスに、隣に立つ赤いビキニの丁嵐がニッコリ笑顔で囁いた。
「そうですよ、レグルスさん。それに、私に考えがあるんです。あの筋肉ダルマのスペックが如何程か、あたしがガッツリ測り倒してやりますとも♪」
●
小柄な東郷が見事、女性陣として最初に俵を頭上高くに差し上げた時は、会場は大きく沸き返った。
しかしその後に登場した丁嵐の言葉は、先に倍するどよめきを会場内に引き起こす。ステージ上でグッと蹲踞の姿勢を取った丁嵐は、よりにもよってギメルを名指しにこう言った。
「あたしの特技は相撲なんですよー♪ 出来ればそちらのギメルさんに、是非御相手をして頂きたいんですけどねー?」
「ふむ、中々の命知らずと見える。良かろう、座興には面白い!」
男女差、体格差を考えれば、丁嵐のこの申し出は自殺そのもの。余りの無茶振りに会場は大きくどよめくが、ギメルはこれを一発即諾。無造作にステージ上へと上がると、尻を高く上げて立ち会いの姿勢。一方の丁嵐も気合十分、ギメルの正面に両手を付いて一歩も引かぬ覚悟である。
丁嵐には自信があった。
武器をとっての殴り合いならいざ知らず、競技としての相撲の範疇にある内は、例え相手が天使であっても何とかやれる。例え少々体格に劣るとはいえ、素人相手に相撲で負けるなんて有り得ない!
「えー、それでは、両者見合って―――」
いつの間にか行司役となったアーレイが、団扇を片手に立ち会いの合図。
「はっけよーい……残った!」
―――実は、丁嵐が見過ごしていた事が二つある。
一つは、ギメルの体がオイルマッサージで全身ぬるテカ状態な事。
もう一つは、彼女のビキニパンツが相撲をするのに全く不向きな事だった。
組みに行った丁嵐の指が、ギメルの肉の上でぬるりと滑る。
一方、何の容赦もなく丁嵐の『まわし』に指を掛けたギメルが、彼女の体をそのまま持ち上げに掛かった時、丁嵐は自らの犯した致命的なミスを痛感した。何せ、食い込んだからね、股間にパンツが。
「ぎゃ―――!!?」
乙女の魂の一大事に、丁嵐は思わず本気を出した!
光纏全開! 全身が桜色の輝きに包まれた丁嵐は、ヌルテカなオイルを物ともせず、ギメルに正面から組み付いた。がっぷり四つ、しかしそれでも相手はビクともしない!
「女、それでは行くぞ!」
丁嵐の両腕を抱え込み、ギメルはまるでブリッジをするかのように背を反らせ、そのまま一気に丁嵐をステージの上から引っこ抜く。
ズドンッ!!
大音響とともに、ステージ上に逆しまに突き刺さった丁嵐の体。
アーレイが、軍配代わりの団扇をギメルに上げる。
「えー、只今の決まり手はフロントスープレックス、フロントスープレックスで、ギメル山の勝ち……」
●
こうしてコンテストは平年通り、無事に幕を閉じた。
コンテスト参加者には、成績に応じて賞金とスポーツドリンクが配られる。
その日の晩、地元TV局のニュースチャンネルにて、以下の様なインタビューシーンが放映された。
インタビュアーに扮した桐生にマイクを向けられたギメル・サーダイは、満面の笑顔でこう語っている。
「今日は中々良い暇潰しになったぞ、人間共よ。最近は天界でも逞しい筋肉美を良しとする風潮に欠けるのが嘆かわしい。夏こそは我の季節! しばらく遊んでやる故、次はもっと体を鍛えて出直してくるがいい!」
「……ギメル・『ツァダイ』さんはロシアからお越しとの事ですが、日本で一番印象深かった思い出は?」
「京都観光……と言いたいところだが、最近は遊園地にも行ってな。故国にはない、面白い遊戯であった」
「ありがとうございました」