玄関のドアが開いた。
久遠 仁刀(
ja2464)はドアを開けた家人の脇を抜け、直ぐに二階へ、千本麻美の部屋へと走る。
予感がした。大太刀は既に抜いてある。
「あ、あの! あなた達は?」
「私達は、連絡を受けてやって来た撃退士の者です。裕康氏ですね? 申し訳ありませんが、事態は急を要します。麻美さんの部屋までこのまま御同行下さい」
ドアを開けた途端、まるで押し入るようにして上がり込んできた撃退士達に、戸惑いの声を上げる千本裕康。
機嶋 結(
ja0725)はそんな彼に短く来意を伝えると、彼を促して久遠の後から階段を登る。長々と説明をしている暇はないが、幸い裕康は直ぐに表情を改め、無言で機嶋の後をついて来た。娘想いの父親なのであろう。子を守ろうとする気概に満ちた親の顔に、機嶋はふと、羨ましさにも似た感情を覚える。
「いるいる。とてもじゃないが、お嬢ちゃんが静かに部屋で一人っきりってフンイキじゃあないぜ。どうする? 紳士的に、まずノックでもしてみようか?」
久遠と共に二階に上がった狗月 暁良(
ja8545)が、部屋の扉を前に軽口を叩く。
扉には小さな兎のぬいぐるみが、『麻美のお部屋』と書かれた木のプレートを抱えてノブからぶら下がっていた。そのプレートが、ドアの動揺に合わせて僅かに揺れる。内部から聞こえてくる、複数の子供のような笑い声。
「……どうやら、紳士的な態度をとる余裕は無さそうだ」
久遠がノブを握り、ドアを押し開けた。
そして、三人の撃退士達は見た。
全開に開かれた掃き出し窓と、吹き込む風に翻るカーテン。輪になって踊る人形達。被甲した堂々たる戦馬に跨った銀甲冑の騎士と、その騎士の傍らに寄り添い立つ小柄な女の子の姿を!
「おやおや、もう来ちゃったよ?」
「大丈夫、頼もしい俺達が付いている♪」
「邪魔しちゃ嫌だよ、邪魔させないよ♪ 楽しい楽しい、空飛ぶデート♪」
部屋に飛び込んできた撃退士を囃し立てる人形達。一方、麻美の反応は茫として鈍い。虚ろな表情のままに、恭しく差し出された騎士の手を取ろうとする。
「麻美ッ!!?」
それは娘の様子を見た、裕康の声!
撃退士達の反応は早い。サーバント達を確認した次の瞬間、久遠と狗月の二人は裕康の叫び声に先んじて、揃って部屋の中へと飛び込んだ!
「待て、その手を取るな!」
「麻美ちゃんだろ? 気をしっかり持ちなよ、お姫様気分でボンヤリしてると、骨の髄までシャブられるぜ」
それぞれに風花と石火を発動させ、一気に騎士へと肉薄しようとする久遠と狗月。だが、その二人の進路を人形達が邪魔をする。たかが人形、体格差に物を言わせて強引に押し通ろうとする二人だが、人形達は腕や髪の毛を触手のように伸ばして通せんぼ。部屋の四隅へ触手を這わし、体を固定させた人形達はビクともしない。
「キャハハ、ダメダメ、まずは俺達と遊んでくんなきゃあ♪」
麻美の視線が一瞬、人形達と揉み合う久遠達に……そしてその背後で彼女の名を呼ぶ両親へと注がれるが、その姿は、直後に騎士の大きなマントの裏へと隠される。
「我らはギメル・ツァダイ様と新たな使徒に仕えるモノ。今宵も、貴女の望む場所へ、望むように」
マントが翻るや、まるで魔法のように、麻美は騎士の内懐に抱かれるようにして馬上に上がっていた。
「麻美さん。貴方には貴方を第一に心配する人がいる。肉親がいる。使徒になるという事は、貴方は人で無くなり、その肉親をも裏切ってしまうと言う事なのですよ。貴方は、本当に其れを選択するのですか」
機嶋が背後に麻美の両親を庇いながら、馬上の麻美へと声を投げかけた。
使徒は使徒で、人じゃない。
それは比喩でもなんでもない、撃退士達が骨身に染みて理解した絶対の法則。けれども今の麻美に、その言葉がどれだけ届いた事だろう。彼女は何も答えない。
騎士が拍車を当てると、馬は鼻息一つをブルルと漏らし、そのまま窓の外、星の夜空へ躍り出た!
●
「出てきたぞ!」
隣家の屋根に伏せていた蘇芳 更紗(
ja8374)が、背中に小天使の翼を生やして飛び上がった。
傍らでは、やはり同様に屋根に身を伏せていた九曜 昴(
ja0586)が、アサルトライフルを構えて引き金を絞る。
「暗黒星雲のような一撃を……ダークショットなのっ!」
一発、二発。
続けざまに放たれる漆黒の弾丸。狙いは当然、宙を駆ける鎧騎士。蘇芳、九曜を皮切りに、千本家の周囲で張り込んでいた、五人の撃退士達の火線が騎士へと集中する。
「残念だけど、彼女の家では夜遊びは禁止なんだ。交際が希望なら、まずは親御さんの許可を貰う事だね」
アリーセ・ファウスト(
ja8008)が、地上から黒い魔力弾による対空射撃。ガンドと呼ばれる強力な呪法が、騎士の携えた大型のナイトシールドの表面で弾け、衝撃とともに霧散する。
「おやおや、馬を狙ったというのに、騎士殿は上手く庇うじゃないか。だけど、どこまで頑張れるかな?」
「その通り! バンバン行くよ、行っちゃうよ♪ 撃たれて落ちろ、ブリューナクッ!」
神喰 朔桜(
ja2099)が、愛用のスナイパーライフルから五条の雷槍を射出する。
バチバチと唸りを上げ、高速で飛来する雷の槍を鎧騎士は躱せない。盾に、鎧に、戦馬の馬甲にそれぞれ雷が突き刺さる。馬の嘶き。ガクリと高度が下がるその瞬間を、撃退士達は見逃さない。
「天使とは申せ、禿げの分際で少女を拉致して手篭めにせんとは不埒千万! 真の漢としては断固阻止!」
前からは、翼を生やして立ち塞がる、蘇芳のバスタードソードの一撃が。
「鎧の騎士よ、彼女を置いて去りなさい」
後ろからは、麻美の部屋から翼とともに宙を駆け、大太刀蛍丸を振りかざした機嶋の一撃が。
前後同時の挟み撃ち。例え一刀は躱せても、もう一刀は躱せない!
ガギンッ!
鈍い打撃音と、激しい火花。
後方からの機嶋の一撃を、騎士は体勢を崩しながらもナイトシールドで撥ね返す。
「もらったっ!!」
空いた隙へ、蘇芳は前方からバスタードソードを横薙ぎに振り切ろうとして……
「だめ―――っ!!」
「なにっ?!」
両手を広げた麻美が騎士を庇う!
ギリギリの所で剣を止めた蘇芳の体が、突進する馬体に弾かれる。落下し、地面に激突する寸前、蘇芳は辛うじて身を起こして足から地面に着地した。
「そうは問屋が逃がさねーのだ!」
駆け去ろうとする騎馬目掛けて、青空・アルベール(
ja0732)が拳銃からマーキングを発射した。ダメージを与えない代わり、位置を使用者へと知らせ続ける特殊なアウルは、狙い過たず麻美の体に命中。マーキングの発信を頼りに、青空、九曜、アリーセの三人が宙を駆ける騎馬を追って走り出す。
頭を振って立ち上がった蘇芳の横に、翼を消した機嶋が降り立った。
「大丈夫ですか、蘇芳さん」
「ああ……だが、正直驚いたよ。あの大人しそうに見える麻美様が、剣の前に身を投げ出すとはな」
「彼女にとって、騎士は自由への憧れそのもののような存在なのでしょう。突然現れた撃退士と騎士、どちらに味方をするのか、彼女にとっては考えるまでもない事なのかも知れません」
とは言え、彼女の好きにさせるという選択肢も取り難い。少なくとも、ここに撃退士がいて、娘の事を大切に思う彼女の両親がいる内は。
騎士の追跡は一旦アルベール達に任せ、機嶋達は家に残った人形達を掃討するべく、未だ狗月らが戦闘中である筈の麻美の部屋へと舞い戻る。
●
「多分、麻美はここに来ているのだと思います」
そう言って裕康の停めた車から、撃退士達は辺りを警戒しながら三々五々に降り立った。
「確かに方角は合ってるけども」アルベールが、きょろきょろと周囲を見回しながら、不思議そうに呟く。
「聞いた話よりも、随分と賑やかな場所じゃない?」
地上から空中の騎馬を追う不利は如何ともし難く、アルベール達が騎士を追いかける事が出来たのは、結局マーキングの術法が効果を失う迄の十分間だけの事だった。それでも、騎士達の向かったおおよその方角位は判別出来た。その上で騎馬の速度、麻美の土地勘などを考慮すれば、相当程度まで騎馬の行く先を推定出来る。
―――何か、この方角に彼女の思い出の残る場所があるのではないか?
人形達の駆逐された麻美の部屋で、機嶋からそう問い質された裕康が初めに思い出した場所が、ここだった。
深夜、午前二時。
ガランと広い駐車場に駐められた車は、撃退士達の乗ってきた裕康のミニバンが一台きり。
それにも関わらず、明るい。
駐車場に面して並ぶその敷地は、まるで光の洪水のような満艦飾で溢れていた。高い塔、回る観覧車、敷地内を縦横に走るコースター。それらの全てに取り付けられたネオン管が、無節操な程の輝きで夜闇を極彩色に塗り潰す。
「……数年前に潰れた、麻美の思い出の遊園地……という割にはエラく明るいようなの。これはつまり……」
「面白いじゃないか。これも彼女が望んだ事なんだろう。ギメルやらという天使が彼女に入れ込んでいるのは、どうやら本当の事のようだね?」
アサルトライフルを構え、眩しげにネオン管を見上げる九曜の言葉の後を、アリーセがおかしそうに引き取った。
そう、ここは数年前に経営難によって閉園された、県内の遊園地跡地。まだ麻美が元気だった頃、家族三人で思いっきり遊んだ、思い出の場所だ。しかし、とうに閉鎖し、解体を待つばかりだった筈のこの遊園地が、こうして煌々とネオンの輝きを放っているのは何故なのか?
「ギメルってな、あの、容姿がトクチョウ的な天使のおっさんだろ?
アリーセの言う通りだな。麻美ちゃんからパパと呼ばれたさに、おっさん奮発しちゃったってワケだ」
そう言って、狗月は遊園地の正面ゲートを指し示す。
そこではひどく大きく、ひどく乱雑に取り付けられたネオン管がピカリピカリと瞬きながら、その潰れた遊園地の主の名前を主張していた。
曰く『麻美の遊園地』。
「親父さんの予測はバッチリ的中! 間違い無く居るね、麻美ちゃんも、銀ピカバケツ頭も。……ギメル何とかって天使のおっさんだって居るんじゃねーの?」
●
麻美は直ぐに見つかった。
何故なら遊園地の明かりも、賑やかさも、全ては見せ掛けのものだったから。
轟音とともに園内を巡るコースターにも、クリスマスツリーのように輝く大観覧車にも、人影は全く見られない。ドギツイ程に明るくて、心が潰れる程に寂しい遊園地。
「死人の運航スタッフと、浮かれ騒ぐ着ぐるみ以外、全く無人の遊園地、か……」
仲間の先頭に立ち、久遠は大太刀を抜き放つ。
彼の視線の先に、麻美がいた。
クルリ、クルリ。心の浮き立つような軽快な音楽に合わせて、軽やかに回るティーカップ。宝石箱をひっくり返したかのように煌めく明かりの中で、麻美は楽しそうに笑っていた。
「天使が用意出来る遊園地など、所詮こんなものでしかないんだろうな」
言って、久遠は大太刀をティーカップに座る麻美へと突き付ける。
……いや、違う。久遠の太刀先は麻美の直ぐ前、同じティーカップに乗った巨漢の漢に向けられていた。
白翼と、白服と、錫杖と。
久遠にはその全てに見覚えがあった。
「なあ、そうだろ!? 天使ギメルッ!」
「―――我は今楽しんでおるのだ。撃退士、遊びたいなら、そいつらと遊んでおけ」
ギメルの言葉に応じて、銀甲冑の騎士と幾体もの着ぐるみ達が撃退士達の前に立ちはだかる。
戦いが始まった。
●
「キャハハ! 病もない、老いもない、苦しみもない。永遠だよ! 永遠があるよ!」
甲高く笑うネコの着ぐるみが、サーベル片手にアルベールへと襲いかかる。
「その代わりに何を失う? 何を取り零す? 最終的に決めるのは彼女だけれど、契約前の情報提示が少ないのは、ちょっと頂けねーのだ!」
一方のアルベールは、二丁拳銃クロスファイアで迎え撃つ。近距離からの乱れ撃ちが、着ぐるみの体に無数の弾痕を刻み込んだ。深夜の戦いではあるが、幸い明かりには不自由しない。
「麻美……御両親を悲しませちゃダメ……。それにギメルの使徒なんて辞めた方がいいと思うの。……きっと、後で色々と後悔すると思うから……!」
九曜は裕康の前に立ち、近寄る着ぐるみ達に片っ端からストライクショットを叩き込む。一体一体はそれほど強い相手とは言えないが、例え一匹たりとも、一般人の裕康に近寄らせるわけには行かない。
戦いは、今のところは一見互角。
騎士一騎を除けば、着ぐるみを模したサーバント達に大した力は感じられない。また騎士を相手にした戦いも、機嶋、蘇芳、久遠らが中心となってよく凌ぐ事に成功していた。
だけど、そもそもこんな戦いに意味は無い。
撃退士が騎士に勝とうが負けようが、麻美が使徒になる事を承諾すれば、そこで全ては終わってしまう。
その事を知ってか知らずか。
九曜の背後で、父が娘の名を声を枯らして呼ばわった。
「麻美―――ッッッ!!!」
……そこで初めて、彼女は父が直ぐ近くにいる事に気がついた。
まるで自分がどこにいるのか判らなくなったかのように、戸惑いの表情を見せる麻美。
音楽が止まり、光が消え、ティーカップが緩やかに止まる。
●
「……目が覚めたみたいだね。楽しい夢は見れたかな? 残念ながら、夢じゃあなかったわけなんだけどね」
神喰は、麻美にニコリと笑顔を向けて、スナイパーライフルの筒先を彼女へ向ける。
間違いではない。撃退士なら、こうするのがアタリマエの事だから。
「目覚めたついでに、折角だから教えて行ってよ。天へと昇るか、地で踏み止まるか。そう、君にとってここが天へと至る追分、分岐点だよ」
言いながら、彼女は師より受け継いだ秘術の一つを開放する。
術の名前は至高天。アウルの奔流が体内で激しく渦を巻く。
「君が使徒になり、新しい世界を望むというなら……これが最初の選択だよ。全力で止める私達を、君は振り払わないといけない。声を出せ、自らの意志で掴み取れ。そして、自らの意志で、捨てるんだ」
……麻美は神喰の言葉に、首を左右に巡らせた。
天使がいる。鎧の騎士と、着ぐるみ達。
お父さんと、そして、お父さんを守り、彼女に武器を向ける八人の男女。
麻美は羽をそっと握り締める。
白鳥なんかじゃない。大きな大きな、天使の羽根。
そう、判ってる。これは夢じゃない。
私は選ばなければいけない。答えはもう、決まってる―――
●
麻美は、結局使徒にはならなかった。
明かりの途絶えた遊園地を、麻美と裕康、そして八人の撃退士達は後にする。
そこはもう遊園地なんかじゃない。ただの、閉鎖された暗い廃墟。
お父さんはちゃんとここに来てくれたし、思い出は今も私の中で輝いてる。
「ま、使徒になる以外に幸せになる方法が本当に無いのか、皆で一緒に探してみるのも、悪くねーと思うのだけど」
さり気ない風のアルベールの提案に、少女は笑顔で大きく頷いた。