鈴森 なずな(
ja0367)は目を開く。
ディメンションサークルをくぐった先。そこはもう、雪の舞い散る旭川だった。
喧騒が聞こえる。
街の中心部は大変な騒ぎで、あちこちで人が逃げ惑い、普段じゃ滅多に見かけないサーバント達が、雪の街を我が物顔に闊歩してる。そんな中、私は仲間と協力して道を切り拓き、何とか襲撃事件のど真ん中、旭川市役所へと辿り着く。
旭川市役所、総合庁舎。二階建ての低層棟に取り囲まれるようにして屹立する、九階建ての大きなビル。
だけど、私の目はその隣に立つ、二体のサイクロプスに釘付けだったよ。
緑色で、大っきな棍棒を持った一つ目の大巨人。身長は十メートルだと聞いてたけれど、間近で見上げるソレは、本当に、隣のビルよりも大きな怪獣に見えた。
その上、建物の中にいる天使は、あの大きな巨人よりも、もっともっと強いんだって!
それでも、私、今すごくワクワクしてる。生きるか死ぬかの綱渡りを楽しんでる。
ほんと、全く。
どうかしてるよ、なずなさん?
―――クスリと笑って、鈴森はその場で軽く足慣らし。そう。今から十一名の仲間達と一緒に、彼女はあの怪物だらけのビルの中へと突入するのだ。
生還の保証は、無論ない。
●
「よし。みんな、行くぞ!」
久遠 仁刀(
ja2464)の声に、撃退士達は一斉に頷き、走り出す。
狙うは庁舎正面玄関口。スタートを切った位置から、距離で見るならたったの百メートル程。撃退士の足ならほんの数秒。邪魔さえなければ、いや、例え邪魔が入ったとしても何ほどの事もない短い距離。
だがその邪魔が、身長十メートルの大巨人、二体のサイクロプスともなれば、話は別だ。
庁舎へ向けて走る撃退士達の姿は、即座にサイクロプスの一体に気付かれた。巨人はビルを回りこみ、雄叫びを上げ、撃退士目掛けて突進を開始する。
ここまでは撃退士の想定の内。
想定になかったのは、思いの外機敏なサイクロプスの動きと、その、腹に響く巨大な足音だった。馬鹿馬鹿しい程大きな足が、一歩ごとにアスファルトに大穴を穿ち、釣瓶撃ちの大砲のように連続して轟く重低音が激しい振動とタッグを組んで撃退士に襲い掛かる。
ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ!!
「来たぞっ!」
走りながら、水無月 神奈(
ja0914)が叫ぶと、全員が一層足を速め、後方から迫る地響きから少しでも距離を取ろうと必死に走る。
見えた、正面玄関口。
ガラス扉は開いている!
初めに飛び込んだのは緋伝 璃狗(
ja0014)、鈴森ら、足で勝る二人の鬼道忍軍。続いて桜宮 有栖(
ja4490)、大神 直人(
ja2693)、澄野・絣(
ja1044)ら後衛組を先頭に、撃退士達が一塊になって庁舎玄関口に雪崩込む。
サイクロプスは途方もない怪物であるが、同時にその巨体ゆえ、一般の建物の中には入って来れない。まともに相手をせずとも、建物の中にまで逃げ込めば、勝負は撃退士の勝ちの筈。
「全員いるか!?」
言いながら、小田切ルビィ(
ja0841)はホール内の仲間達に視線を飛ばす。
五人、六人、七人……数人足りない!
「ソフィア達がまだ外ですわっ!!」
「私が行くっ!」
桜井・L・瑞穂(
ja0027)の声に、咄嗟に鈴森が踵を返して駆け戻る。
そこで鈴森は見た。
懸命に建物の中に駆け込もうとするソフィア 白百合(
ja0379)と、神喰 朔桜(
ja2099)の二人のダアト。そして最後列の殿で大太刀を構えた八東儀ほのか(
ja0415)と、彼女に向かって今にも巨大な棍棒を振り下ろさんとする巨人の姿を。
「ほのちゃん!」
「私は大丈夫だから、行ってユリちゃん!」
言って、八東儀はサイクロプスに太刀を構えて向き直る。自分は兎も角、華奢なダアトのユリちゃんがサイクロプスの一撃に耐えられるとは思えないし……
頭上から振り下ろされる暴風のような大棍棒の一撃を前に、思わず八東儀は身を固くした。
「……どの道、今からでは逃げられないしね」
「そうでもないよ」
「えっ……?」
声と共に、誰かが八東儀を突き飛ばした。
その直後、つい今の今まで彼女が立ってた位置を、轟音と共にサイクロプスの大棍棒が叩き潰す!
ズゴオオォォ―――ンッッ!!!
「鈴……っっ!!」
爆弾が破裂したかのような衝撃と土埃の中で、八東儀は仲間の名前を叫ぶ。
今、確かに自分を押しのけて、身代わりとなって目の前で潰されてしまった彼女の名前を。
だから、横からまたその彼女の声がした時は、本当に、心の底から驚いた。
「ほら、今の内だよ。早く逃げよう!」
「きゃっ?! す、鈴森さん? あれ、今、確かにクシャッて……」
「にんぽー分身の術、だよ」
鈴森はへたり込んだ八東儀に肩を貸し、玄関口で手招きをする仲間の元へと走り出す。
「私も成功するとは思わなかったけど、どうやら上手くいったみたい。まだまだ入り口、怪我人出すには早いからね」
もっとも、二分の一の確率で死んだかもっぽい事は、取り敢えずは黙っとこう。
何はともあれ、ようやく入り口。
撃退士達は総勢十二名、何とか無事に総合庁舎の中へ突入する事に成功する。
●
「あんた達、助けに来てくれたのか?」
「ここまで降りてきたのに、あのデカイ化け物がいるせいで逃げられなかったんだ!」
庁舎ホールに辿り着いた撃退士達を始めに迎えたのは、天使ではなく、逃げ遅れた職員達であった。聞けば、上階を中心に他にも逃げ遅れた者達が居る筈だという。生存者に出会した時点で、撃退士達は予ての手筈通り、主に生存者の救援に当たる『救助班』と、天使対応を主任務とする『足止め班』の二班に分かれて活動を開始する。
救助班のメンバーは小田切を筆頭に、緋伝、鈴森、澄野、桜宮の計五名。
彼ら救助班の最初の仕事が、一階に集まっている生存者達の為の安全圏の確保だった。
「この階で、人が立て籠もれるような部屋はないか? 出来れば防火戸のような頑丈な扉がある部屋がいい」
「ああ、それなら、多分……」
小田切の言葉に、職員が心当たりを案内をする。
天魔相手に通常は不可能な立て籠もりという手段も、撃退士が阻霊陣を使う事によって選択肢の一つとなり得る。本来は生存者を連れて庁舎を脱出出来れば一番なのだが、残念ながら撃退士だけなら兎も角、一般人を連れて表のサイクロプスをやり過ごすのは不可能に近い。
「それではこちらも、動き出すとしましょうか」
慌ただしく働き始めた救助班を見やりながら、ソフィアら、残りの七名から構成される足止め班も動き出す。
救助班にも劣らず、足止め班にも当初から予定されていた重大な仕事がある。むしろ、撃退士達はその為に危険を犯して市庁舎までやって来たと言ってもいいくらいだ。
「皆さん、見つかりました。職員の方にも聞きましたが、これで十分使えるそうです」
ソフィアが見つけてきたものは、職員用スペースの壁に取り付けられていた非常用放送設備であった。本来は火災発生などの緊急時に、事前録音された音声警報を放送する為の設備であるが、マイクを使えば通常の館内放送設備としても使用できる。
「ああ、これなら大丈夫そうですね。それでは、早速放送に入りますか……?」
マイクを手に取った大神の言葉に、撃退士達は一瞬緊張の色を浮かべる。
館内放送は、今回の作戦のポイント・オブ・ノーリターン。ここを踏み越えれば、場合によってはこの場に天使が殴りこんできたとしてもおかしくはない。
「大丈夫、何が来ても飲まれる気はないし、やられるつもりもないさ」
「おーっほっほっほ、腕が鳴るというものですわ♪ 天使がこの乱痴気騒ぎを祭だと言うのなら、是非にもわたくし達と一緒に、祭りで踊っていただかなくては」
久遠は大太刀を構え、桜井は口元に手を当てての高笑い。
表現は違えど、撃退士に恐れの色は見られない。
仲間の強い姿勢に、大神は意を決して非常放送のスイッチを入れる。
●
緋伝は仲間と共に廊下を走りながら、先程目にしたエレベーターの状況を思い返していた。
彼が見た時、エレベーターは既に完全に破壊されていた。扉は函ごと大きく切り裂かれ、中のボタンも滅茶苦茶に潰されていた。勿論エレベーターはピクリとも動かない。
(エレベーターが壊れていた事自体は問題ない。だが)
元々緋伝自身、自らエレベーターを使用不能にするつもりでいた。
頭数で勝るサーバント達が、エレベーターで自由にこちらの先回りをするという事は、小勢の撃退士にとっては避けたい事態である。その意味で、敵の手によってエレベーターが既に破壊されていた事はむしろ手間が省けたと言っていいくらいであるが……
(問題は、天使達が一体何を狙っているのか、という事だな)
天使達にとっても、エレベーターは邪魔なのだ。それが一体何を意味するのだろう?
そこで、緋伝の思考はスピーカーの音によって中断される。
「あ、始めたようですねー」
緋伝の横を走っていた澄野が、天井際のスピーカーに目をやった。スピーカーから流れ出したブツブツ、ボソボソと言った雑音は、すぐに大神の穏やかな声に取って代わる。
『―――総合庁舎内の皆さん、俺達は久遠ヶ原学園より派遣されてきた撃退士です。現在、撃退士の手により、庁舎内に徘徊する天魔の掃討、排除が開始されています。皆さんは周囲のなるべく安全な場所に隠れて、撃退士の救援を待っていて下さい』
大神から同じメッセージがもう一度繰り返された後、マイクの主が切り替わる。
「御機嫌よう。ギメル様、この放送を聞いておられますかしら? 送られたビデオは拝見しましたわ。何でも、今回の事に対してご意見を募ってらっしゃるとか。それで実は、是非とも私達の意見も聞いて頂きたいと思ってますの。天使様に直接会う事が恐れ多い、シャイな人間の心ばせにご高配を頂けるなら、内線電話による会話を希望させて頂きますわ。こちらの内線番号は112x。それでは、お電話お待ちしておりますわね♪」
こちらの、お嬢様喋りの声の主は勿論桜井。
彼女の言葉を最後にスピーカーは沈黙し、放送が終わる。
「……あちらも、随分と思い切ったものですね」
走りながら、桜宮の声。緋伝達も無言で同意する。
同じ放送を聞いた筈の他の生存者達には、まるで思い至らなかったであろう。その短い放送の是非に、撃退士達がどれだけ頭を悩ませたのかを。
生き残るだけなら、放送などは有害無益。生存者を助け出すにしたって、放送などせずともやりようはある。この放送は、始めの生存者向けのメッセージも含め、つまるところ、天使ギメル一人に聞かせる為のものなのだ。
お膝元に撃退士が来たぞ!
さあどうだ、放っておくわけにはいかないぞ!
撃退士達は、強大な力を持つ天使に対して、そんなメッセージを送っているのだ。今、旭川中で繰り広げられている他の討伐作戦の為にも、天使の足をどうしてもこの庁舎内に留めさせる必要がある。この放送は、その為の重要な働き掛けであった。
「みんな、前を見な。放送の余韻を楽しんでいる暇はないようだぜ」
先頭を走る小田切の声に、撃退士達は前方に視線を向ける。
いた。
事前に情報を聞いていた通りの、武器を携えた白いスケルトン達。数はそれほどでもない。
先手必勝、緋伝、鈴森らが後方から苦無を投擲するのに合わせて、救助班の五名は戦闘を開始する。
●
放送を終えた桜井がマイクを切る。
奇妙な静寂の中で、足止め班―――八東儀、水無月、久遠、桜井、ソフィア、神喰、大神の七名は、互いに顔を見合わせた。
「……内線、掛かってくると思うか?」
久遠の言葉に、神喰が返す。
「意外に掛かってくるんじゃないかな? 向こうも、議事場で演説を録画するくらいはしてたんだしね」
ただ電話を待つだけの状況ではない。
館内設備に対する相応の知識があれば、放送で示した内線番号の場所を突き止める事は容易い筈だ。天使なら、電話をかけるのと同じくらいの気安さで、配下のサーバントをこちらに差し向ける事だって出来るだろう。
武器を構え、陣を組み。鳴らぬ内線電話と、周囲の廊下とを交互に警戒する落ち着かない時間。
幸いにも、その時間はすぐに終わる。ガチャリ、ガチャリと、廊下の向こうよりゆっくりと歩み来たる一体のサーバント。全身を金属製の鎧に身を包み、十字槍と盾で武装した騎士姿の怪物。
「不死騎だ。事前の情報にもあったが、強敵だぞ」
水無月が太刀を構えて前に出る。
「放送後に来たのが、不死騎が一体だけ。……これは何かのメッセージだと思います?」
桜井は中衛に立ち、盾を構えて防御の姿勢。
「俺達を気にしていると言いたいのか、はたまた全然気にしていないと言いたいのか。どうです? あなたのご主人は何と言ってましたか?」
大神の言葉に不死騎は何も答えず、ただ槍を構える。
一体のサーバントに対し、撃退士七名、戦意は十分。
どちらにしろ、やるしかない!
●
「思ったよりも、生存者が沢山いるね」と鈴森。
「……死体も殆ど見かけないし」
先の対スケルトン戦を無難に勝利した救助班は、現在五階。一階からここまで階を上がった時点で、彼らは既にニ十名以上の生存者を発見していた。
「どうも、上階になるほど生存者が多いみたいですね。さっき会った職員の方にも聞きましたが、始めにエレベーターが止まり、階段を骸骨に押さえられて身動きがとれなくなったと言う状況の方が多いようです」
「エレベーターが一階で破壊されていたのは俺も見た。人を逃さず、最低限を除いては無駄に殺しもしない。天使がゲートを作るつもりだとすると辻褄は合うが、それなら何故直ぐに結界を張ろうとしないんだ?」
桜宮の言葉に、緋伝が疑問を口にする。
実際、上階で見かけるスケルトン達の行動は逃亡阻止の哨戒が主のようで、一般人に対して事更に危害を加えようという様子は見られなかった。
「単に、撃退士側の対応が思ったよりも素早かったという事じゃねーか?」
フロア内を走りながら、小田切は頭を捻る。
「ハゲ天共が旭川を襲ってから、まだ大して時間は経っちゃいない。獲物とするつもりで人間をビルに閉じ込めた。一度閉じ込めれば、無駄に殺す必要はない。その後、ゆっくりゲートを作って感情を吸収しようとした矢先、撃退士がやってきた。これでも話に矛盾はないぜ?」
そうだ、それで矛盾はない。
大規模なゲートを作る場合、結界が発動するまでには数日単位の準備期間が必要だという話は、緋伝も聞いた事がある。天使達が大挙して旭川に襲いかかってから、まだ僅か数時間ほどしか経っていない。結界が出現していないのはむしろ当たり前の事なのだ。
しかし……
緋伝が黙り込んだ事で、撃退士達の会話は一旦途切れる。
議論に決着がついたわけではないが、彼らにゆっくり議論しているような暇は無く、僅かにあった余裕も、次のフロアに向かった事でその全てがなくなった。
「皆さん、こっちですー」
澄野の鋭敏聴覚の技が見つけた、いや聞きつけた先。
庁舎七階のフロアで、撃退士達は一度に五十名もの生存者を発見したのだ。
「はいはい、皆さん落ち着いて下さいー」
「大丈夫です、必ず私達が皆さんを助けて見せますから」
不安を口にし、次々と撃退士に詰め寄って来る生存者達。五名の撃退士達は皆、そんな生存者への対応に忙殺され、直ぐに疑問を抱く暇すらなくなった。
●
「やああぁぁっ―――!」
ドギンッ!
八東儀の大上段からの大太刀が、鈍い音と共に不死騎の盾で弾かれる。続いて後衛から放たれた大神の銃弾にも、目立ったダメージは見られない。
「くそー、なんだこいつぅ。やたらに硬いのが可愛くない!」
「ほのちゃん、気をつけて!」
ソフィアが八東儀の背後に付き、八東儀は弾かれた太刀を構え直す。
八東儀の隣では、久遠と水無月の二人が、やはり大太刀を握って肩を並べる。致命的な深手こそないものの、前衛の三人を中心に、撃退士達のダメージは軽くはない。サイクロプス程の圧倒的なパワーにこそ欠けるものの、戦歴の浅い撃退士にとって、不死騎は十分以上の強敵である。
「次、私が槍を引き受けるから、その間に皆は頼む!」
水無月が前に飛び出し、単身十字槍に身を晒す。
彼女に槍が向けられた隙に、八東儀と久遠は不死騎の両サイドへ。
「えい、もうちょっと溜めておきたかったが、仕方がない。出し惜しみはなしだ、ほのか、タイミング合わせていくぞ!」
「あいさー、久遠さん! こちらも全力で行きますっ!」
「それでは、微力ながら助太刀をっ!」
「ほのちゃん、こっちも行くよ!」
前衛の動きに合わせて、後衛からは大神とソフィアの遠距離攻撃が放たれる。
撃退士の攻撃も、その全てが敵の盾に防がれているわけではない。一発一発の傷は浅くとも、既に相当のダメージが積み重なっている筈なのだ。
「さあっ! それでは、お立会い。天真正伝香取神道流、神集之太刀だよ!」
不死騎が後衛の攻撃に気を逸らしたところを、低空に刃をかざした八東儀が、投げ放たれた喧嘩ゴマ如きの勢いで体ごと太刀を回し、側方から足を刈りに行く。
不死騎は咄嗟に盾を下ろすが、間に合わない。八東儀の大太刀が足を薙ぐと、不死騎はたまらず片膝をつく。
「これで終いだ! 親分に泣きついて、さっさと天国に迄連れ帰って貰うんだな!」
久遠の大太刀から放たれた、それは真っ黒な衝撃波!
膝をついた不死騎に盾を構える余裕はなく、そのまま迫る衝撃波に吹き飛ばされる。
不死騎を貫いた衝撃波は背後の壁まで砕け散らし、轟音と共に壁に激突した不死騎の全身へ、バラバラと粉塵を積もらせた。
完全に動きを止めた不死騎を前に、七人は揃って大きく息を吐く。
―――勝つには勝ったが損害も大きい、というのが、正直な所であった。
たった一体のサーバントに対して、撃退士七人がかりでこの有様だ。久遠こそ『剣魂』による自己治癒が可能なものの、その他のメンバーが怪我をした分についてはアストラルヴァンガードである桜井一人に頼るしかなく、そう何度もお世話になるというわけには行かなかった。
今この状態で二体目の不死騎が現れたら。
それどころか、天使が現れたらどうなるのか?
そしてどうやら、天使とは余程人の嫌がる事が好きらしい。
先の放送で、桜井が天使に伝えた内線番号112x。その内線電話が、まるで撃退士達が不死騎を倒すのを待っていたかのようなタイミングで唐突に部屋に鳴り響く。
ドゥルルルゥ… ドゥルルルゥ…
内線の呼び出し音に、すぐに応じる者は居なかった。
互いに目配せを応酬した末、七回目のコール音で桜井が受話器を取り上げる。
「はい、どちら様ですこと?」
『不死騎を倒したようだな。結構。撃退士というのも、満更嘘ではなさそうだ』
低い男の声。
ビデオの中、ギメルと名乗った天使の声を桜井は覚えていた。
「これはこれは、ギメル様。先の放送は聞いて頂けたのですわね?」
桜井の上げた名前に、周囲の撃退士達が少しでも電話の内容を聞こうと近寄ってくる。
『勿論。祭りの参加者を集めたのは俺だからな。歓迎するよ、撃退士の諸君。……と、言いたいところだが……』
ほら、きましたわ。
ギメルの言葉に、桜井は電話口で黙って舌を出した。
『お前達が二班になって行動している事は知っているが、それでもお前達は少数に過ぎる。一体お前達は何をしに来たのだ? 如何に愚かな人間とは言え、まさかその程度の戦力で、天使をどうにか出来るとは思ってはいまい』
「貴方こそ何のおつもり? 人様の領域に土足で踏み入っておきながら、何とも図々しい。生存者も既に仲間が確保に回っているところですわ。残念ながら、祭りはもう終わりですわよ!」
『生存者……? ああ、成る程。上階に置いている人間共の事か』
……ギメルの何気ない物言いに、桜井はひどく嫌な予感がした。
『残念だが、思い違いだ。お前達は何も確保などしてやいないのだよ。ほら―――』
その言葉と同時に、目に見えない、何か衝撃波のようなものがビル内を行き過ぎる。
音もなく、痛みもない。
だが、決定的な何かが起こった事に、桜井は、そしてその場の全ての撃退士達が気が付いていた。
『ついでだ、聞きたい事がある。そこで待っていろ』
「皆、ギメルが来ますわよっ!!」
電話が切れると同時に、桜井は声を上げる。
天使が来るといって、ぼんやり待ってなどはいられない。何が起こったかハッキリとは分からぬまま、撃退士達はその場から走りだした。
だが、撃退士達は直ぐに知る事になる。
桜井の携帯していたアウル式光通信機から、緋伝の焦りを含んだ声が聞こえてきたのはその直後の事。
『一体何が起こったんだ? ビルの生存者達が、突然皆意識を失って倒れてしまったんだ!』
●
『おそらく、ギメルの仕業ですわ! 現在こちらはギメルに追われていて、阻霊陣を使う余裕がありませんの。引き継ぎを頼みますわ!』
「……了解」
緋伝は通話機を仕舞い、阻霊陣を発動させる。
「ダメです。皆眠っているのか、気絶しているのか。どうやっても目を覚ましません」
「やられたな……」
桜井の言葉に、小田切は部屋を見回した。先程まであれほど騒がしかった生存者達が、今はその全員が意識を失っていた。遂にゲートが開いたという訳ではなさそうだが、何にしろ、全く意識のない、しかもこれだけ沢山の人間を避難させる事は最早不可能だ。
「どうする? 正直、救助はもう意味がないと思うけど……」
「鈴森さんの言う通りですねー。それにこうして寝付かせたという事は、直ぐに命を取る気はないという事だとも思いますよー?」
「戻ろう。今足止め班はギメルに追われているらしい。これが奴の仕業なら、本丸のギメル自身をどうにかしなければ意味がない」
緋伝の言葉に、全員が頷き、走りだす。
七階から直通階段を一気に駆け降りれば、足止め班との合流にそれ程の時間は掛からない。
「……あ、だめですー。下からスケルトンの集団が……」
澄野の耳に、ガシャガシャと、集団で骨を鳴らして規則正しく階段を登ってくる足音が聞こえた。
「こちらからも見えた。敵は下の踊り場から、十体以上。どうやら奴さん、本気になってきたみたいだぜ?」
小田切は笑って、巨大なクレイモアを構える。
隣で、桜宮が長大な和弓を引き絞り、一際武装の整ったスケルトンの一体に矢先を向けた。
「この隊列なら、指揮官役のリーダーがいる筈です。狙いを絞って、隊を蹴散らしましょう」
●
七人の足止め班は庁舎の中を必死で逃げる。
とにかく、今の場所からは一歩でも遠くへ!
幸い彼らの居る低層棟はかなり大きな建物であり、逃げ回る場所には困らない。事前の打ち合わせにあった援軍の合流時間も間近に迫っている。天使一人を撒くだけなら十分に勝算は……
……そんな皮算用は、ただの一撃で砕け散る。
二階の廊下を走っている撃退士の中で、初めに外のサイクロプスに気が付いたのは水無月だった。
サイクロプスが壁越しにこちらを狙ってる!
「みんな、外だ! 狙われているぞ!」
慌てて建物内部で散開した撃退士達から一瞬遅れて、大棍棒の一撃が低層棟の天井ごと二階の廊下を叩き潰す。たった一撃で、二階の屋内廊下があっという間に青天井へと早変わりだ。
凄まじいサイクロプスの破壊力。
しかも、敵はサイクロプスだけではなかった。
「お前達に幾つか聞きたい事がある」
サイクロプスが砕いた壁の向こうに、撃退士達は空に浮かぶ天使の姿を見た。
羽を羽ばたかせ、手には輝く錫杖を握った大柄な男。天使ギメル・ツァダイ。
「ここに来たのはお前達だけか? 援軍は? この程度の戦力で天使相手にどうにかなると考える程、人間は愚か者揃いなのか? それとも……」
「それが知りたいなら天使様、実力で来なよ! 闘志十分、五体満足の撃退士から言葉だけで話が聞き出せると思う程、天使様だって世間知らずってわけじゃあないんでしょ?」
ギメルの言葉に、威勢よく応じたのは神喰だ。
怖いもの知らず、糞度胸と言わば言え。天使と会話をするためにこそ、ここへ来た。時間稼ぎの観点からも、一秒の会話が即ち一秒の足止めに他ならない。
神喰の言葉に、ギメルはニヤリと笑って手の錫杖を振り上げる。
「面白い。それではお望み通りと行くとしよう。ただし、あっさりは死んでくれるな? 死体から情報を聞き出すのは多少骨が折れるのでな」
言うなり、ギメルは錫杖を振り下ろす。
閃光。
そして大爆発。
●
ギメルが放った火球は、ただの一撃で撃退士達の隊列を薙ぎ倒した。激しい爆風が崩れた壁を更に大きく抉り、鉄筋の入った柱さえもが折れ歪む。
「ほのちゃん!!」
ソフィアが、自分をかばって重症を負った親友の姿に悲鳴を上げた。
「……へへ、ユリちゃん。大丈夫だった?」
八東儀の傷は重い。
しかし他の撃退士の状況も大同小異。無傷の者は一人もいない。
同様に爆風に吹き飛ばされ、何とか瓦礫の中で身を起こした神喰は、ギメルが再度術を放とうとしている様子を見て、素早く呪文の詠唱。ギメル目掛けて、自己の周囲に発生した七つの黒い光球を叩きつける。
だが、彼女の術は、ギメルにまるで痛痒を与えられないようだった。
「どうした、人の術とはその程度のものなのか?」
「……そうだ、と言ったらどうしてくれる? 格の違いでも見せてくれるのかな?」
「その通りだとも」
いいざま、ギメルの手から放たれた炎球が彼女目掛けて投擲された。
神喰は身を躱そうとするが、間に合わない。神喰の体に接触した炎の塊が閃光と共に彼女の全身を燃え上がらせると、神喰は叫び声を上げる事すら出来ずにその場に倒れ込む。
「大口を叩く割にはひ弱な連中よ。そら、もう一発行くぞ!」
「神喰!」
神喰に対するギメルの続け様の投擲に対し、水無月が動く。彼女は意識のない神喰の体を素早く抱きかかえると。その場で全力跳躍! 一跳び十メートルもの大ジャンプが、辛うじて二人の体を炎球の炎から逃れさせる。
辛くも生き残ってはいるものの、撃退士達は既にボロボロだ。ほんの数発のギメルの術が、撃退士一行に及ぼした被害は甚大で、中でも八東儀、久遠、そして水無月に抱えられた神喰の傷が特に酷い。
だが、撃退士はそれでも戦意を失わない。
「殿は任せろ。意地は張らせてもらう」
久遠が太刀を手に立ち上がると、八東儀は傷ついた腕に無理やりテーピングで太刀を縛り付ける。
「私は、ここでもうひと頑張りするよ。ユリちゃん、みんなも全力で走って!」
「いやだよ、ほのちゃんが残るなら私も残る!」
「そうですわ! 私達は一心同体! 大丈夫、あんなへなちょこ爆弾の一発や二発、わたくしが受け止めて差し上げますとも!」
逃げる時はみんな一緒に、逃げられぬ時もみんな一緒に。
傷の深い八東儀を囲むように、ソフィアや桜井が前に出る。
「ハハハ! 人間の友情とやらは滑稽なものだ。安心しろ、情報を吸い出すまでは生かしてやるぞ!」
撃退士達を一撃で薙ぎ倒した、あの爆撃。
傷ついた七人を前に、ギメルは再び錫杖に火球を燈す。
そして―――
●
ズドドドンッ!!
火球が放たれる寸前、ギメルの翼を撃退士達の飛び道具が撃ち抜いた。
傷ついた七人をかばい、前に出る五人の撃退士達。
そう、遂に救助班がこの場に到着したのだ!
「―――ほう。上にいた奴らか。よかろう、お前達も一緒に死にたいのなら……」
「聞こえるか、ギメル。俺達の仕事は、もう終わったんだよ」
ギメルの言葉を遮り、緋伝は手持ちのアウル式光通信機をギメルに向けた。
通信機から流れ出す、オペレーター・土屋直輝(jz0073)の声。
『……聞こえていますか? 作戦は成功です、現在援軍の撃退士達、及び学園親衛隊が総合庁舎前庭を進行中。聞こえていますか? 作戦は成功です、援軍は間に合いました……』
作戦は成功した!
少年の言葉の意味を理解するよりも先に、ビルの向こうから、この場にいなかったもう一体のサイクロプスが崩れ落ちる轟音が響いてくる。同時に聞こえる、断末魔。
「作戦は成功した、か。つまるところ、お前達はただの足止め、あちらが本命という訳だ。ああも手早くサイクロプスを片付けたのであれば、確かにそれなりの力はあるようだ」
あっさりと錫杖の火球を収めると、ギメルは翼を一打ち、上空へと舞い上がる。
「頃合いだな。まだまだ、怪我でもするわけにはいかん身故、この場で失礼させて頂こう」
緋伝の背後では、もう一台の通信機を使い、桜井がこの場に親衛隊を呼んでいた。幾らもしない内に、サイクロプスを屠った親衛隊がこの場に集まるだろう。
宙を飛ぶギメルに、緋伝は最後の言葉を投げ掛ける。
「ギメル、お前の行動は不可解だ。
派手にビルの占拠などをせずとも、人間にばれぬよう、隠れてゲート生成に励めば同じ事。撃退士を呼びつけるような真似は必要なく、また今も、援軍が集まればあっさり占領した土地を見捨てようとする。
何が目的だ? もしや、お前の目的は撃退士をこの場に呼び集める事なのか?」
緋伝の問いに、ギメルは再び羽を一打ち。
旭川の空に舞い上がって哄笑する。
「言ったろう!? 祭だよ。愚かな人間共を舞踊らせるための春の祭り。お前達はよく踊ってくれたぞ! ハーッハッハッハァッ!」
●
ギメルは逃亡し、その場に残された全てのサーバントは親衛隊の手によって駆除された。
ギメルの術によって眠らされた生存者達も、やがて皆目を覚ます。
撃退士達は見事に任務を成し遂げた。天使と直接やりあって生き延びた者は、『大惨事』の生存者以外に、学園内にもそうはいない。これは誇っていい戦果といえるだろう。
だが、ギメルは一体何故この地を襲撃したのだろう?
その謎を解く為、撃退士達は京都で再び巨大な戦いに身を投じる事になるのだが、それはまた先の話。