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学園にはいくつもある調理室の一つは貸し切られていた。作戦決行の昼休み。
既に放課後の料理教室に備えて、各種食材が取り揃えられた中、凪澤小紅(
ja0266)と春名璃世(
ja8279)
そして、今回の依頼主でもありヒロインでもある花華院華恋が顔を付き合わせている。
「――作戦はこうだ」
僅かに身を乗り出し、そう口火を切った小紅。
その声に調理台を挟んでいた二人は、ずいと中央に身を寄せ顔を付き合わせる。すると自然と小さな声で密談をするような形になった。
「そ、そんなことを言ってしまって大丈夫でしょうか?」
ゆらりと不安の色に揺れた瞳に、小紅は頷く。
「やはり、手渡されたものがこの努力の結果にあるという事を、知っているのと知らないのでは好感度が違うだろう」
「好きな人にお弁当を作ってあげたい。花華院さんの健気で一生懸命な想い。ちゃんと沢山届くように、私たちも精一杯お手伝いしたいの」
不安を取り除くように優しく掛けられた言葉に、華恋はその瞳を刹那逡巡させたあと、意を決したように胸元に握った拳に力を込めて重々しく首肯した。
その姿に小紅と璃世は、笑みを浮かべると任せろとばかりに華恋の肩に手を乗せて、ぐっと力を込め
「では、行ってくる」
「行ってきます」
その手を振って調理室を後にした。先にアンケートを取るメンバーがターゲットの位置情報を得ているだろう。
がらがらと引き違い戸が閉まる音を背に、華恋は大きく深呼吸。
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「すみません。お料理研究会の者です」
「好きな食べ物についてなど、定期的にアンケートしています。良ければお答えください」
昼休みいつも通り寂しい食事を終えたあと、廊下の一角で友人数名と今日の放課後どうする? という話で盛り上がっていたのは、件の生徒山本二郎だ。
そんな中。
にこやかに歩み寄ってきた、村上友里恵(
ja7260)とその保護者のような矢野古代(
jb1679)
掛けられた台詞に顔を見合わせたモトジロウたちは、遊びに行く算段を優先しようと口を開き掛けた矢先。
――ひらり……
「え」
彼らの手の中には、いつの間にかアンケート用紙が握られていた。
思わず紙とアンケート要員を交互に見つめて目を瞬かせる。
「お願いしまーす」
にこり。
笑顔を重ねたのは、美森あやか(
jb1451)
「今回は、高等部男子が好むお弁当というテーマでやっております」
「ご協力を」
素晴らしいごり押しに負けて、モトジロウとそれにつるんでいた男子数名。アンケート用紙と向かい合うことになった。
その姿に三人は互いに顔を見合わせ、こくりと深く首肯する。
「そういえば、今回のお話引き受けるきっかけって何ですか? 私は、心に秘めた乙女の恋……素敵なこと、これは応援しなければと思ったのですよ。お二人は彼女と同じように誰か想う方が居て?」
かりかりと鉛筆が走る音が響く中、友里恵は小さな声で二人へ問いかける。
「あたしは、作ったご飯をお兄ちゃんが『美味しいよ』って言って食べてくれるのが嬉しいから」
「俺はどうかな。料理は出来る方だし、あのカレンさんの様子を聞く限り、必要かと思ったんだ」
ふんわり笑顔で答えたあやかに、廊下の窓際に背中を預けいた古代は軽く肩を竦めて簡潔に答えた。
それになるほどと頷き、続けて個人的に知りたかった好みのタイプへと、話を持っていこうとすると
「出来たんだけど、これで良い?」
モトジロウ達から声がかかった。
あやかは、短く礼を告げそそくさと用紙を回収する。予定通りモトジロウのものが一番上に来るようにしなくては、折角の情報が台無しになってしまうというものだ。
「ご協力ありがとうございます」
揃った声が廊下に響いた。
その姿をモトジロウ達は見送って、自分達も移動するかと歩き始めると廊下の角から声が漏れてきた。
「あぁ、すまない。放課後は駄目なんだ」
いつもならそのまま通り過ぎただろう。少なくとも友人はそうした。しかし、モトジロウは飛び込んできた名前に、ふと足を止めてしまった。
「花華院さんに料理を教える約束があって……」
(あの花華院さんが料理?)
「花華院さんって料理お上手なの?」
(まさか、彼女は超が付くお嬢様だ。その彼女が手ずから台所に立つ必要があるなんて思えない)
「いや。全くの素人らしい」
ああ、やっぱりな。心内でモトジロウは頷く。それでも、と続く言葉に立ち聞きはと分かっていても足が動かない。
「お弁当をどうしても作ってあげたい人がいるんだそうだ」
「え、それってやっぱり」
春名の言葉に、意味深気に小紅は首を縦に振り、僅かに慌てたそぶりを付け足した。
「他人には言わないでくれ。内緒にしておきたいみたいだから」
「おーい! モトジロウさっさと来いよ。本鈴が鳴るぞ」
「あ、ああ。今いくー」
ぱたぱたと走り去る音が聞こえて二人は深く頷いた。
下拵えは完璧です――
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(まぁ……男に限らず手料理が美味しければ、好きになる確率は高くなるな)
人はそれを『餌付け』と呼ぶ。
時間通りに調理室の扉を叩いた鴻池柊(
ja1082)は、その扉を開いて足を止めた。
「違う違う。だから、猫の手だ、にゃーだ、にゃー!」
大の男が、声を大にしてにゃーにゃー叫んでいる。
「にゃ、にゃー?」
顔の横で猫招きをした華恋に古代はそうだと頷いた。
「そう、それでだな」
「ぐふっ」
華恋さん。包丁握った手で鳩尾入れました。
「だから、まな板から拳一個分体を離すことを意識してと注意を……」
(今日中に調理するところまで行くのか?)
その様子に困惑して立ち尽くしていた、柊を見つけてアンケートを元にメニューを決定していた残りメンバーが手を振った。
「特にアレルギーなども無いようですから、事前に相談したメニューで問題ないと思います」
アンケート用紙の隣に、メニューと弁当のデザイン画が描かれた紙を指さしあやかが告げる。
「玉子焼きの好みとか分かった?」
「甘めが好きだそうですよ」
柊は黒のバリスタエプロンを身につけつつ、それを覗き込み問いかけ確認した。
「よし、野菜は基本押し出し、肉魚は引き切り使い分けるんだぞ?」
こくこくと素直に頷く華恋の懸命な姿には
『料理には愛情などいらねぇ、レシピは知識。アレンジは経験を積んでからだ』
と古代は最初に告げたものの心打たれるものがある。口にしたことは嘘ではないし、その通りなのだが判断するのは人間。
情を持った相手なのだし、この努力を伝えるために、小紅と璃世が走ったわけだから、愛情もプラスされて然りだろう。
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「はい。主食は鶏と野菜の炊き込みご飯と、鮭と胡麻の二種類のおにぎりで勝負!」
にこりと告げて璃世は袖を捲り、牛蒡を握る。
「覚えたばかりの包丁さばきでは笹掻き難しいかもだけど、頑張ろうね」
はい。と気持ちの良い返事をし華恋は包丁と牛蒡を構える。
「牛蒡は香りが良くて肉の臭みを消します。人参は彩りと野菜を接種できますから」
その隣に立ったあやかも手伝うように人参に手を掛けた。
二人が手本にと切って見せる牛蒡はその名の如く笹の葉のように、人参は測ったように均一に切り揃えられていく。それを食い入るように見つめたあと華恋も包丁を構えた。
「ゆっくりで良いよ。時間掛かるだろうから私も隣で手伝うね……って、駄目っ!」
即ストップが掛かる。
「そのまま、動かしたら牛蒡じゃなくて花華院さんの指で笹掻きができちゃう」
「危険です。刃物の前に手を置かないで下さい」
「すみませ、っ痛!」
鮮血がシンクの上を滑り降り流水とともに排水口へと吸い込まれていく。
「お米を研ぐのは初めてだよね?」
「はい、えぇと、この小さな包丁で……」
ん。華恋さん。お米炊くだけで日が暮れます。
「研ぐっていうのは洗うことだよ」
にっこりと、笑いながらそういった璃世はざぁっとシンクに水を流し始める。
「一回目のすすぎは米糠の臭いをお米が水と一緒に吸っちゃわないように素早く!」
良いながら手早く、じゃっじゃっと水を受け米を研ぐ。
「その後は一定のリズムとスピードで研ごうね」
しっかりと頷いて見よう見まねで、華恋はボウルに手をかける。
じゃっじゃっじゃっ
「そうそう、上手い上手い。ゆっくりお水を流して……わあっだだっ駄目だよ! そんなに勢い良く」
生米も大量に排水口へ。農家のみなさん本当にごめんなさい。
「大丈夫ですかねぇ……?」
綺麗な色に茹で上がったブロッコリーを笊にあげる。
ふんわりと立ち上る湯気を避けながら、ちらりと華恋の様子を伺う友里恵。炊き込みご飯の手伝いに手いっぱいになっているあやかの代わりに彩り加える添え物を手伝っていた。
一生懸命な姿は好感が持てるものの、気持ちと技量が反比例。反復練習を重ねる前に料理を嫌いにならなければ良いけれど……そんな不安まで沸いて思わず声が漏れていた。
「大丈夫じゃないか?」
用意してきていた消毒液の残量を確認しながら古代も、ちらと様子を伺い肩を竦める。
かろうじて『今日は』という言葉は飲み込んだ。
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「じゃあ、今回は宜しく。俺は玉子焼きと五目煮を教えるから、頑張れ」
緩やかな柊の笑みで告げられて、華恋も確りと頷く。
「アンケートでモトジロウは甘めが好きらしい。砂糖を入れると焦げやすくなるから気を付けた方が良いな」
説明を加えながら、柊の腕に収まったボウルはかしゃかしゃと、小気味良い音を奏でる。手慣れた調子で菜箸が円を描き白身と黄身が美しく混ぜ合わさり解け合う。
「まずは、焼いてみせるから」
「はい、フライパンは温めておきまし、た、あつっ!」
(良く熱せとはいった。フライパンは良く熱してとはいった。しかし、その熱を確認するのに手をつけろとは言ってない)
「かざしてと言ったのにっ!」
慌てて華恋の手をフライパンから引き離し古代はその手を水に晒す。
お嬢様色々舞い上がってしまっている。
ついでに古代は五目煮の材料を刻む指南を続けた。
「にゃーだ。そうそう、おぉ、少しはましになったじゃないか」
「ありがとうございます」
褒めて伸ばそう。
「切るときは気を付けてな」
「はい」
味付けの分量を小さな器に計り入れつつ、柊は苦笑する。
いつもなら、目分量的に慣れたものだが、素人にはきっちり計った物を見せて加減を知ってもらう方が良いと思った。
「味付けは地元譲りだから、薄味になるけど大丈夫か?」
「はい。よろしいと思いますわ」
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ぎゅっぎゅっと炊きあがったご飯を握る手は、一度目は置くだけでばらけるほど緩く。二度目はご飯の粒が見えなくなるくらい、ぎゅーぎゅーに握られていた。
三度目の正直でなんとか形は歪なものの、力加減は妥当な物が出来あがり、柊が「これ使って、彩り良くな?」と用意してくれた弁当箱に納められた。
続けて鮭と胡麻を混ぜ込んだかやくご飯も握られる。
並べると大きさが不揃いなのが気になるが仕方ない。このあたりまで手伝ってしまっては華恋が自分で作ったと胸を張れない気がしたから。
「出来ましたわ!」
その声で反射的に、わぁぁっ! と歓声と拍手が起こる。
詰められたおかずは、五目煮・玉子焼き・唐揚げ。そして、目に鮮やかなブロッコリーが添えられる。
「もう少し冷ましてから蓋はした方が良い。折角だから、デザートも作ろう?」
小紅はそう声をかけて、調理台に華恋を手招きする。
まな板の上には、既に水切りされた豆腐が乗っていた。
「豆腐でデザートですの?」
首を傾げた華恋に小紅は、口角を引き上げて頷く。
「その名も、なんちゃってトリュフ。豆腐とココアパウダー、蜂蜜、ビスケット。これだけで、簡単に作ることが出来る」
「わぁ、なんだかとってもヘルシーそうね?」
「ああ、もちろんだ」
一連の材料に璃世やあやか、友里恵たちも集まり、それに釣られるように古代と柊も作業を覗き込んだ。
「で、どうするんだ?」
興味ありげに口にした柊に頷いて小紅は、まな板から取り上げた豆腐をフードプロセッサにちぎり入れる。
「ここにココアパウダー、蜂蜜も入れてしまって」
蓋、かぽり☆
ギュウウゥゥゥン一気にかき混ぜ!
その間に、小紅に言われた通り華恋は袋にビスケットを入れて、どかどか麺棒で叩き割る。
調理室に響いた音が収まると、真っ白で肌理の細やかな豆腐は、とろとろのチョコレートクリームのように早変わり。
細かく砕かれたビスケットはトレイの中に広げられた。
「あとはこれを一口大に取ってビスケットをまぶして、その上からココアパウダーを振りかければ大丈夫だ」
ぽんぽんぽんっと茶こしからパウダーで化粧されたなんちゃってトリュフを可愛らしくラッピング。
弁当箱に入りきらなかったものと併せて残りはみんなで舌鼓。
「花華院さん、恋のアタックはお弁当だけで終わってはいけないのです!」
ぱくりと綺麗に巻き上げられた(柊の試作品)玉子焼きを頬張りつつ、友里恵は宣言する。
「例えば偶然を装って、委員会で一緒になるとか、同じ部活に所属して一緒の時間を増やす。というのも有効だと思います」
現時点で既に恋の勝負は始まっているのです! 友里恵は言い切った。
因みに本人恋愛経験皆無です。
「『押して駄目なら押し倒せ』なのですよ♪」
見た目によらず過激派だ。
「恋する女の子ってただそれだけで可愛いなと思うよ。どうか花華院さんの想いが届きますように……」
「努力の痕は隠すな」
璃世と小紅の言葉も背中を押す。
机の上に載せた本が柊の手によって、つっと華恋の前へと寄せられる。
「はい。最初は上手くいかない事も多いだろうけどな……これをきっかけに好きな人の為に頑張れ」
初心者でも作れるレシピ本。
華恋は、はい。と頷いて両手でその本を受け取り大事そうに抱えた。
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(みんな私のために頑張ってくれたのです。私が勇気を出さなくては……)
いざ、お弁当を渡すべき時。流石の華恋も緊張する。
みんなの頑張れが詰まったお弁当。私の頑張りもめいっぱい詰まっている。
「大丈夫ですわ……」
小さな声で呟き深呼吸。
踏み出した一歩の先で待つのは、一番に喜んで貰いたい大好きな人。
差し出されたお弁当と華恋の間を逡巡する瞳。
遠目で見てもどんな会話がなされているか予想が付くというものだ。
「大丈夫そうだな」
「うん。大丈夫みたい」
いい大人から始まってトーテムポール状態でその様子を伺うのは、華恋に手を差し伸べた六人。
(私にもいつか……あんなに好きになれる人ができるのかな)
ほんの少しだけ璃世には華恋が眩しく見える。
「――俺に、だったんだ」
「はい! モトジロウ君の為に頑張りましたわ」
噂作戦もしっかり効果を出しているようだ。
「これからはあいつら次第だな」
「そうですね」
「上手く行くと良いですね」
しみじみと告げたあやかに友里恵は
「行きますよ」
はっきりと答えた。
「だって……」
みんなで作った最強のお弁当があるのだから――
(代筆:サラサ)