●深淵への入り口
現場へ急行した撃退士たちを出迎えたのは、狼狽したベテラン技師だった。
「来てくださって、ありがとうございます!」
赤城は真っ青な顔で駆け寄ってくる。
限界を超えて立ち上がる者・戒 龍雲(
jb6175)は、その様子を見て目を見開いた。
「あなたも作業に参加されてたのでしょう? よく逃げられましたね」
「運がよかったんですよ。下に行くために、上からエレベーターを呼び出している途中で、襲撃にあいましたから。同僚の青山と一緒に乗り込んでいたら、私も巻き込まれていたでしょう」
「……となると、要救助者は、ポンプ室に一人だけ居るんですね? それでエレベーターの箱の下シャフトの下部に敵が一体、ポンプ室へと繋がる螺旋階段に敵が三体と。ポンプ室と螺旋階段を繋ぐ扉は壊れていて開かずEVも作動不良の状態……なるほど状況は理解した」
情報を整理しなおして、龍雲は頷く。
夢で彼女にフラれた(笑)・ミハイル・エッカート(
jb0544)更に状況を追加した。
「ポンプ室は水漏れしていて、早く救助しないと手遅れになる。その間20分か、充分だ。有り余るほどだぜ」
にやりと笑う顔は自信に満ちている。
余裕のある者はもうひとりいた。
「…速度勝負ゥ? 装備やジョブの関係で弱体化しているけど私の得意分野だわァ…♪」
血戦姫・黒百合(
ja0422)は武器を構えながら、くすくすと笑う。
「急ぎましょう。時間との勝負ですから」
破壊姫・雫(
ja1894)が、現場へ繋がる通路へと向かう。
「ボクも行くよ」
その後を月の恵みを雫と降りて・不破 十六夜(
jb6122)が追った。すぐ側をついてくる十六夜を見て、雫が首をかしげる。
「……? 何でしょうか」
彼女とは個人的な付き合いはなかったはずだが。
「な、なんでもないっ」
十六夜は首をふるふると振った。
実は、雫は十六夜の生き別れた姉によく似ている。だから、本当に姉なのか、近くでよく確かめようと思ったのだが……雫が十六夜を見る目は他人に対するそれだ。
(お姉ちゃんだと思うけど、ボクを知らない知らない雰囲気だし……)
もっと問いただせば理由がわかるだろうか。
しかし、そうするには、今はあまりに時間がない。
「こうしている間にも、青山さんに危険が迫ってる。すぐに救助に行こう! 俺はエレベーターから行くよ!」
龍雲がエレベーターの扉に手をかけた。
ごご、と思い音をさせながら、扉がゆっくりと開く。籠がないから、その先にあるのは真っ暗な闇だ。
「じゃあ私は、物質透過スキルで、まっすぐポンプ室に向かいますねぇ」
黒百合が、するりと水に潜るようにして床に沈んだ。
残されたミハイル、雫、十六夜が非常口へのドアをくぐる。三人は螺旋階段を使って現場へ向かうつもりだ。
部隊は3つに分けられた。
●深淵の底へ
黒百合はするすると闇の中を下降していた。
透過対象はコンクリートで固められた地面。当然のことながら、目印になりそうなものはない。あらかじめ、見取り図で確認した位置関係とコンパスだけが頼りだ。
「……6、5、4」
下降しすぎないよう、あらかじめ割り出しておいた落下速度を慎重に数える。
「3、2、1、ビンゴ!!」
計算どおりの落下地点で、足元の感触が変わった。ポンプ室の天井だ。
黒百合は、くるりと体を反転させると、天井からポンプ室に顔をのぞかせた。
「はいィ、特急で助けに来たわよォ♪」
「うわあああっ、な、ななななな」
ばしゃん、と水しぶきをあげて青山が尻もちをついた。
そらそうだ。
極限状態で、いきなり天井から顔が生えたら誰だって驚く。
「安心してくださいねぇ。あなたを助けに来た撃退士ですからぁ」
「げ……撃退士さん……こんなこともできるんですね」
「ひとにもよりますけどねぇ」
黒百合はするりと天井から降り立つと、優雅に床へと降り立った。ポンプからあふれた水はまだ、彼女のくるぶしほどまでしかない。かなり余裕をもって、現場まで到達することができたようだ。
あとは青山を地上まで連れて行けば任務完了だが。
「螺旋階段もエレベーターも、敵がいるからひとりで戻ることはできませんよねぇ」
どちらの敵も、一撃で倒せるような弱い敵ではない。救助者をかばいながらひとりで突破しようとするのは無謀というものだろう。
救助者を無事地上まで送り届けるまでが、救助活動だ。
とりあえず阻霊符を貼りながら、どちらに合流しようかと黒百合が首をかしげたその時。
ガアン! という大きな音がエレベーターの扉から響いてきた。
「何事?」
こちらからは、龍雲が突入していたはずだ。
黒百合は白く輝く槍を実体化させると、エレベーターのドアをこじ開けた。真っ暗な闇の中を見上げる。すると更に戦闘音らしい、何かがぶつかる音が響いてきた。
「これは……」
暗視ゴーグルごしに目をこらす。
と、何か大きなものが落下してくるのが見えた。
あわてて身を引くと、目の前に人間がものすごい勢いで落下してきた。
「龍雲ちゃん?!」
「痛ぇ……!」
抱き起こしてみると、腕と肩がざっくり切られて血が流れていた。
「何があったんですかぁ?!」
「コウモリにやられました。翼を使って、中間点の箱まで降りて、そこから箱の床に穴をあけて更に下に出るまではよかったんですが……その先に降りたところで、奴と出くわしました」
それでひとりで戦ってこの怪我というわけだ。
ヂィッ、という鋭い威嚇が上方から響いてきた。
コウモリはまだ戦い足りないらしい。このまま放っておいては、要救助者である青山にも危険が及ぶだろう。
「協力して倒しましょうかぁ」
「狭いシャフト内での戦闘だ。どれ程すばしっこくてもその行動範囲は限られる。一度けん制して敵がそれにあわせて攻撃してくる時にカウンターを撃つようにして敵の素早さを殺していこう」
ふたりはシャフトの中の闇に向かって武器を構えた。
●螺旋の深淵
「ちょっと冷たいかも知れないけど我慢してね」
十六夜が螺旋階段の手すりと、仲間の手のひらに氷結晶をかけた。雫は冷えた手すりに座り、そのまま下へと滑り降りる。他の仲間ふたりも、その後に続いた。
螺旋階段中央の支柱に捕まって降りたいところだったが、強度の問題だろう、支柱と階段はがっちり密着してしまっていた。これではまっすぐ下降することができない。
代わりに、と提案されたのが「手すりを滑る」だ。
不安定ながら、滑り台として利用することによって、手っ取り早く現場に行こうというわけだ。
それでも、地下60メートルは遠い。
窓もなく、ただ延々と続く螺旋を見続けているとくらくらしてきた。
ポンプ室まではあとどれくらいだろう、代わり映えのしない光景に、気だけが逸る。
十六夜は、すぐ目の前を滑る雫の背中を見た。
やはり、姉に似ている。
だが彼女は、まっすぐ前だけを見ていて、自分を省みようとはしてくれなかった。まるで他人と仕事をしているかのように。
何故無視をするのか。
いますぐ姉を問いただしたい。
けれど状況がそれを十六夜に許さなかった。
(時間があれば根掘り葉掘り聞けるのに〜)
十六夜は悔しげに唇を噛んだ。
「おい、前!」
ミハイルの声で、十六夜は顔をあげた。雫の背中の先、前方に黒い影が見える。事前情報にあった、山犬のディアボロだ。
まがりくねった螺旋のせいで発見が遅れたらしい。
十六夜が手すりから降りると、雫はもう既に武器を構えていた。
山犬の体が跳ねた、と思った瞬間、雫は左腕を前にかざして、山犬に突進していった。わざと腕に噛みつかせ、そのまま山犬の動きを止める。
「おね……雫さん!」
十六夜の叫びが、螺旋階段中に響いた。
「私の怪我一つで時間を短縮出来るなら、考える必要もありません」
表情一つ変えずに雫が言う。
これが、彼女の時間短縮の策なのだ。
十六夜は炎のアウルを作り出すと、雫の体にまとわせた。強化されたパワーを上乗せし、雫の剣が山犬を切り裂いた。
キャン、と甲高い声をあげて、山犬はふっとばされる。
その後ろからまたもう一匹山犬が突進してきた。
とっさに十六夜がムチを繰り出して、山犬の体を麻痺させる。
「ボクの力じゃ素早く倒す事が出来ないから、悪いけど力を貸して」
「わかりました!」
更に一閃。
二匹目の山犬も動かなくなった。
「あと一匹……って、こっちからかよ!」
背後から迫ってくる足音を聞きつけ、ミハイルが叫んだ。
「どうして後ろから?! 入ったときは何もいなかったですよね」
「黒百合が下に降りるまでは阻霊符を使ってない。その間に回りこまれたみたいだな」
来い! とミハイルが山犬にアピールする。
山犬はまっすぐミハイルに突進してきた。
彼もまた山犬にぶつかるかと思われた瞬間……ミハイルの体から冷気が吹き出した。
そのまま、冷気に絡め取られるようにして山犬の動きが鈍る。
一歩、二歩、足取り重く進んだかと思うと、山犬はどさりとその場に倒れこんだ。
「おとなしく寝てろ。そして死にさらせ」
眠る山犬は三人の集中攻撃によって、息絶えた。
「急ぎましょう」
彼らは、また手すりに乗ると、最下層へと滑り降りていった。
●深淵からの脱出
エレベーターシャフト内では、激しい空中戦が行われていた。
3メートル四方、高さ30メートルという特殊な空間内で、コウモリと龍雲がすれ違いざまに斬り合う。状況は突入直後と変わらないように見えるが、今は黒百合からの援護がある。
スナイパーライフルでの、文字通りの援護射撃。
銃弾がかすめるのを感じ取ったコウモリの動きが鈍る。
そのチャンスを見逃さず、龍雲はコウモリの体を薙ぎ払った。
一瞬体がしびれ、コウモリは真っ逆さまに落下する。
パン、と乾いた音がして、落下途中でコウモリは頭を狙撃されて絶命した。
「危ないところだった」
龍雲がシャフトの底に降りてきた。
戦っているときは気づかなかったが、ポンプ室からの水はかなりの量になっていた。青山はすでに胸まで水に浸かってしまっている。
「シャフトの安全が確保されてるから、窒息死をする危険はありませんけど、早く上に運んだほうがよさそうですねぇ」
螺旋階段から突入したメンバーはどうなっているだろうか。
階段室に目を向けたちょうどそのとき、バン! と大きな音をたてて階段室の扉がふっとんだ。
大きな水しぶきをあげて扉は反対側の扉にぶち当たる。
「大丈夫か?」
ミハイルが階段の上からひょいと顔をのぞかせた。そのまま水上を歩いてやってくる。
「青山さんは無事ですよぉ♪ コウモリも片付きました」
「でも結構、ずぶ濡れだな。よ……っと」
ミハイルは青山を引き上げて、螺旋階段の水のない場所へと運んだ。
ずぶぬれの青山にタオルと防寒着を渡す。
「ここは地下だ 。気温が低いから体温奪われるぞ」
せっかく窒息死を免れたのに、低体温症で死んでしまっては元も子もない。
「あ……ありがとうございます」
「ディアボロは倒したし、後は青山さんを地上に連れて行くだけだね。でも」
十六夜は上を見上げた。
螺旋は長々と60メートルぶん続いている。
「階段登るのがイヤなら飛べる仲間に担いでもらうか?」
「そうですね。俺と黒百合で運ぼう」
龍雲と黒百合が青山の体を両脇から抱え上げた。これなら安定して上に引き上げられるだろう。
「螺旋階段か、たしかに面倒だな。緊急用の階段だが、一般人にとっては心が折れるだろうよ。……撃退士でも、ちょっと疲れるけどな」
ミハイルたちは笑い合うと、帰還のために長い螺旋階段を登り始めた。