●静寂の釣り堀
「釣り堀ってこんなふうになってるんですね」
現場に到着するなり、撃退士・水葉さくら(
ja9860)は辺りを見回してそう言った。
彼女の目の前には、テニスコートほどの大きな生簀が2つ並んで設置されていた。周囲にはプラスチック製の椅子が何個か転がっている。これらは釣りを楽しむ客が使っていたものだろう。今は天魔出現の影響で誰もいない。ただ浄水器の稼働する機械音が響くだけだ。
「釣りかぁ…一回もしたことないけど、楽しいんやろうか?」
歌謡い・亀山 淳紅(
ja2261)は興味津々、と近くに置かれた釣り道具をながめている。
「釣りは楽しいわよ」
くすくすと撃退士・青木 凛子(
ja5657)が笑った。
「娘が小さい頃はヤマメやイワナをとったり、釣堀には大切な思い出がいっぱいよ。また家族連れや多くの方たちが安心して楽しめるようになって頂きたいわ」
娘たちの愛らしい姿を思い出しているらしい。
「おい、管理人に話をきいてきたぞ」
なごんでいると、管理小屋に行っていた撃退士・梨木 悠(
ja6231)が彼らのもとに戻ってきた。魔を砕く誉・高峰 彩香(
ja5000)が首を傾ける。
「どうだった?」
「浄水器を操作すると釣り堀の水を抜けるそうだ。好きに操作して構わないらしい。それと、釣り堀に残っている普通の魚はすべて処分してかまわないそうだ。ディアボロに食い荒らされてしまった魚はもう売り物にならないらしい」
「そうなんだ。ちょっとかわいそうだね」
「魚の事はあんまり気にする必要ないんじゃないかな……?」
神速の剣豪・礼野 智美(
ja3600)がうーん、と首をひねる。
「ある程度出現から時間経ってるし……結構敵に食い殺されてる可能性高いかと。それよりは設備そのものにダメージいかさないようにしないと」
「そうですね。魚はまた仕入れることができますが、生簀に替えはありません。設備を守ったほうが釣り堀を再開しやすいでしょう」
騎士の刻印・レイル=ティアリー(
ja9968)が頷く。
釣り堀では魚は消耗品のようだ。
「施設を傷つけないよう、まずは敵を釣り出してみるか。確か、血の匂いにひきつけられる習性があるのだったな」
一騎当千・中津 謳華(
ja4212)は、荷物の中から輸血パックを取り出した。
「試してみる価値はありそうね」
凛子も丈夫そうな釣竿を取り出す。その糸の先には肉が仕掛けられていた。彼女はこれでディアボロを釣り上げるつもりらしい。
「さて、ディアボロ釣りと参りましょうか」
レイルの言葉を受けて、仲間たちは戦闘の準備を開始した。
●ディアボロ釣り
「淳紅ちゃん、水抜いていいわよ!」
「あいあい了解ですー、ほんなら水抜くでー!」
凛子の指示で淳紅は浄水器のバルブを操作した。ゴゴゴゴ、と音をたてて生簀の水が排出される。作戦を開始するにあたり、撃退士たちはまず釣り堀から水を抜くことにした。先に敵の機動力をそいでおく作戦だ。大きな生簀だが、この様子ならあまり時間をかけずに水を抜くことができるだろう。
「水中から出てこようとしてこないのは厄介だよね」
彩香は生簀のひとつをそっと覗き込む。そこには大きな魚影が3匹ぶん、ゆっくりと泳いでいた。どうやら敵は3匹ずつ生簀の中にいるようだ。
まずは阻霊符を使ってお互いの生簀を行き来できないようにしたうえで、ひとつづつ片付けていく作戦だ。
「サメ型の人、なんでしょうか……それとも、人型 のサメ、なんでしょうか……」
ディアボロにはヒレのほかに人間の手足が生えていた。泳ぐのにあわせて手足がゆれている光景は、とてもシュールだ。
「これくらい水を抜いたら、ジャンプはできないだろ」
生簀の水が3分の2ほどになったところで、悠が武器を具現化した。謳華が輸血パックを手に近づく。
「……さて、釣りの時間といこうか」
ぼたぼたと血が水面に落ちる。その隣でレイルが自分の腕を傷つけた。
こちらからも血が生簀へとしたたり落ちた。
「さあ、新鮮なエサが待ってますよ。尤も味の保証はしませんが」
こぼれた血のにおいに反応したのだろう、バシャバシャと激しく水しぶきを立てながらディアボロが群がってきた。
頭上にエサがあることに気付いたようだが、水を抜いたせいで飛びつくことはできない。
ディアボロは二度三度とジャンプして、その行為が無駄だとわかると手足を使って生簀の淵にあがってきた。がりがりと生簀の壁に爪をたて、その体を水の中から持ち上げる。
「はあっ!」
生簀の淵に乗り上げたディアボロに向かって、智美が剣を繰り出した。烈風を伴うその突きはディアボロを生簀から外へと弾き飛ばす。淳紅が作り出した風がさらにほかのディアボロも地上へと追いやった。
ギィィ、と悲鳴をあげながらディアボロは地面の上に転がった。
釣り出されたことに気が付いたのか慌てて生簀に戻ろうとするが、それを許す撃退士たちではない。
「逃がしません」
悠はアサルトライフルの引き金をひいた。足を撃ち抜かれてがくりと膝をつく。
そこへ謳華が拳を叩き込んだ。
「生憎と、喰らい尽くすのは俺の領分だ……!」
重すぎる一撃を受けて、ディアボロは動かなくなった。残るディアボロにレイルの槍が迫る。
「そろそろ三枚に下ろして差し上げましょう」
ひゅっ、と風を切る音がして、ディアボロは文字通り『三枚』に切り裂かれた。
「まずは水槽1個ぶんの掃除完了。さて、あともうひとつ……っと」
凜子が水の中を覗き込んだ。先ほどまでゆったりと動いていたディアボロは、水の底でじっと縮こまっている。
「警戒……されてしまったのでしょうか」
さくらが心配げな声になる。皆困惑した顔になった。
●袋のディアボロ
「これくらい抜いたらええかな?」
再度浄水器のバルブを操作していた淳紅が仲間に声をかけた。
3匹のディアボロを倒した撃退士たちは更に水槽の水を抜いていた。仲間の死を感知し、エサに引っかからなくなった敵を追い込むためだ。
凜子は水位を注意深く観察する。生簀の水深はもう50センチほどになっていた
「大人が中で暴れるぶんには十分でしょ。淳紅ちゃんとさくらちゃんは小柄だから、下に降りる時は気を付けてね」
「よっしゃ、まかしといてください」
ごごご、と音がして水門が閉じられる。
「これ以上は敵が暴れて施設が壊れる危険がある。そろそろ仕掛け時だな」
悠が水のなくなった生簀を見下ろした。眼下ではディアボロが這い上がろうと必死に壁面へ爪をたてていた。水があったころならともかく、水のない5メートルもの壁に囲まれた状態では外に出ることはできない。まさに袋のネズミだった。
ディアボロたちも、自分たちが窮地に立っていると理解しているようで、逃げ出そうと必死にもがいている。
「場違いな魚にはいなくなってもらうよ」
彩香が上からアサルトライフルの狙いをつけた。凜子と悠がそれに続く。
銃声があたりに響き渡った。
次々に攻撃を受けてディアボロは逃げ惑う。一人の狙撃ならともかく、3人同時だ。逃げ出しようがなかった。
だが、手ごたえが浅い。
「うーん、背中からじゃ致命傷にはならないみたいだな」
引き金を引きながら、悠がそう漏らす。
ダメージを与えてはいるのだが、背中側には身が詰まっているのかディアボロは暴れ続けている。
「俺たちが下でとどめを刺そう」
援護射撃を受ける形で、智美と謳華、レイルの3人が水槽の下に降りた。
逃げられないなら、一人でも多くの人間を道連れにしようとでも思ったのだろうか?
ディアボロたちは一斉に向かって来た。
「行かせません……っ」
智美にかみつこうとしたディアボロにさくらが槍を投げた。頭を刺し貫かれ、ひるんだところを智美の刀が両断する。ばしゃん、と水柱をあげてディアボロは倒れた。
残った2匹も動きが悪かった。水をとりあげられ、上から狙撃されたのでは身動きができない。
「魚はオカンに捌かれなさい」
パン、パンと乾いた音がしてディアボロの手足にいくつもの穴があく。
水の中に倒れこんだところに謳華とレイルが迫った。
「中津荒神流に滅ぼせぬものは……無い!!」
同時に頭をつぶされて、ディアボロはついに動かなくなった。
●黄昏の釣り堀
「これは、壁のコンクリを塗りなおす必要がありそうね」
戦闘終了後、完全に水を抜いた生簀に降り立った凜子は壁面を見上げた。
そこには、外に出ようともがいたディアボロの爪痕が刻み込まれている。注意深く攻撃していたおかげで、撃退士たちの手による傷はない。しかしディアボロの傷は別だ。
「塗り直し程度ですんでよかったと言うべきでしょう。この程度なら、すぐに元に戻りますよ」
壁面の掃除をしていたレイルが微笑む。
傷はあるが、主要な設備に影響はない。この程度なら、修繕すれば再度釣り堀として利用できるだろう。
「結局魚はほとんど廃棄になったね」
ため息をついて、彩香は底に残っていた魚の死骸を一か所に集める。もともと、ほとんど食い尽くされてぼろぼろになっていた魚はディアボロに巻き込まれて死んでしまった。
「余裕があれば……釣りがしたかったのですが……この状態では無理そうですね」
もう一方の生簀をさくらが覗き込む。こちらに巣食っていたディアボロは釣り上げて倒したため、まだ何匹かの魚が残っていた。だが、その魚影は10にも満たない。
これでは釣り遊びは成立しそうになかった。
「まあこれでも食って元気を出せ」
しょんぼりと肩をおとすさくらに謳華が饅頭を手渡した。
どうやら戦闘後のおやつとして持ってきていたらしい。
「……ふむ、やはり手足の生えた魚なんぞより饅頭の方が美味い。皆も食うか?」
声をかけると、仲間たちから嬉しそうな声があがった。
気を遣う戦闘で、思っていたよりも疲れていたらしい。
饅頭の甘さに舌鼓をうっていると、管理人小屋に報告へ行っていた悠がやってきた。何かあったのか、その表情は不満げだ。
「どないしたんや?」
淳紅が声をかけると、悠は肩をすくめた。
「報告と一緒に、俺と淳紅の報酬を修繕費として渡そうとしたんだが、断られてしまった」
「えー、ほんまに?」
「ディアボロを倒してくれただけでも十分助かった、これからの立て直しは自分の仕事だそうだ」
「そっかー、残念やな」
「子供が気にするな、とも言われてしまった……そんなに子供に見えたかな」
管理人の顔を思い出して、悠は苦笑する。
祖父といっても差支えのない年齢の管理人にとっては、高校生の悠は真実子供なのかもしれないが。
「お金だと受け取りづらかったのかもしれないわね。そのぶん張り切ってお掃除しましょ」
にっこりと笑って凜子が悠にデッキブラシを差し出す。
余裕の対応ができるのは彼女も親の立場だからだろうか。
悠は素直にそれを受け取って掃除を始める。
出没したことによる風評被害は多かれ少なかれ避けられないだろう。
一度失くした信頼を取り戻すのはたやすくはないが、少しずつ、取り返していくしかない。
少しでも手助けになるように、と祈りながら撃退士たちは後片付けをした。