逢魔ヶ刻。
痩せた黒猫。
寂しい少女。
三毛猫はもういない。
ああ――。
悲しい。
●情報収集
事件は逢魔ヶ刻に発生する。
ならば化け猫を探すのはその時間帯がベストだろうが、その前に捜索範囲を絞り込む必要があった。
「…………………。」
コキコキと首を鳴らして、ネピカ(
jb0614)は思案をめぐらせる。
一定の地域で行方不明者が増えている。ならばどこかに、猫の縄張りとも言える区域があるはずだ。
その考えに基いて、ネピカは子供の集う場所を探して歩き出した。
『君たち、このリストの子達の内の誰かと行方不明になる前に遊んだり、見かけたりしとらんかのう? お姉さんはリストの子達の「最後の目撃場所」を調査しておるんじゃよ。この地図でその場所を教えて欲しいのじゃ。ご協力お願いしますのじゃ』
スケッチブックに書かれた字を読んで、子供達はお互いに顔を見合わせた。
そして、保護者である親の顔を見る。母親が頷くのを確認し、子供達はもう一度ネピカのスケッチブックを見た。
「明美ちゃん」
一人の少女がスケッチブックを指差す。一番最近消えた少女の名前だ。
「公園で遊んでたんやけど、次の日からずーっとお休み」
公園と、明美の家。それを結ぶ道は数本あるが、ネピカは確かな手ごたえを感じた。
それほど広大な地域で起こっている事件ではない。確実に絞り込めるはずだ、と。
咲・ギネヴィア・マックスウェル(
jb2817)は落胆していた。
市長に飼い猫の顔写真つきデータの提供を頼んだのだが、猫は犬と違って登録の義務はない。
全世帯の飼い猫データは存在せず、ない物は提供ができないと謝られてしまった。
人間がだめならば、頼るべきは動物だ。
ぶらぶらと道を歩きながら、咲は目に止まった大柄な猫と一瞬視線を絡ませた。
次の瞬間、咲によって放たれた気迫に猫は竦み、硬直し、その場に凍りついたまま動かなくなる。
その猫に、咲はゆうゆうと近づいていって頭の中で話しかけた。
(御苦労、大尉。哨戒中を呼び止めてすまないが、我々はこの近隣に猫でない猫が潜伏しているという未確認情報を得て調査中だ。なにか情報はないか)
まさかの軍隊調の質問に、心なしか猫の背筋がピンと伸びる。
しかし猫は動かない。咲は少し考えて、はっと気付いてサンドイッチを猫に差し出した。
すると猫はむしゃむしゃとそれを食べ、図々しくもおかわりを催促する。
「この強欲猫野郎め……!」
思わず呻いてもう一つサンドイッチを放ると、猫はようやく満足した様に歩き出した。
ギブアンドテイクだ。猫の世界は厳しい。
咲が後ろを付いて歩くと、猫は公園の近くで立ち止まり、ごにゃあ、とふてぶてしい声で鳴いた。
それはまるで、ここから先へは恐ろしくて入れない――とでも言うようで。
咲は顔を上げて、公園の方を見る。にぃと口角を持ち上げたところで、思案顔のネピカがスケッチブックを手にふらりと咲の視界に現れた。
咲とネピカは互いに視線を交わし、にぃと笑う。
手ごたえあり、と。言葉はなくとも二人の表情が雄弁すぎるほどに物語っていた。
ネピカと咲による情報のおかげで、捜索範囲はかなり狭めることができた。
囮を立てるにしても、範囲が広すぎては難しい。
「……天魔を早く、見つけて、しまいましょう……」
夜科小夜(
ja7988)はサンドイッチを片手に力強く頷いた。
「くぅ♪ くぅくぅ♪ これで猫ちゃんもメロメロ♪」
紅鬼 姫乃(
jb3683)は班の全員に、マタタビの粉を配って歩く。
それをありがたく受け取りながら、
「僕は化け猫には狙われなさそうですねー。凡人ですから」
マーシー(
jb2391)がほのぼのと言う。
「いや、凡人だからこそ狙われるんじゃないか……?」
雪ノ下・正太郎(
ja0343)の的確なツッコミが入い、マーシーは軽く目を見開いた。
「なるほどー。凡人なので気付きませんでした」
嬉しげである。
そんな二人のやりとりに、強羅 龍仁(
ja8161)はやれやれと苦笑いした。
気になることが、一つある。
――あの二人は、無事だろうか。
この近所に住んでいる二人の子供と、とある事件で龍仁は知り合った。
奇妙な縁を感じているのは、グラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)も同じだった。まさにこの近所の閉鎖された公園で、龍人と共に二人の子供を救ったのだから。
●ハーメルンの笛吹き
「くぅくぅ♪ さーぁ猫ちゃんたち。ついてらっしゃあい」
姫乃はまたたびをエサに大量の猫を引き連れながら、路地から路地を巡って歩いていた。
この地域に野良猫はすこぶる多く、二十匹以上の猫がぞろぞろと姫乃の背後を歩いている。
班の全員にもまたたびを渡しておいたが、あちらの目的はあくまで化け猫だ。
今や、この地域の猫の半分は姫乃の所に集っているだろう。これで化け猫の捜索もはかどりそうだ。
うんうんと頷いて、姫乃は空を見上げる。
五時の鐘が鳴っていた。逢魔ヶ刻が近い。
姫乃はその背中から翼をはやし、猫達をまとわり付かせたまま藍色に染まり始めた空へと舞い上がった。
すっかりと人気のなくなった道や路地を見渡して、危険な子供はいないかと視線を巡らせる。
――と。
子供が二人。
金属バットを持った子供と、不安げに歩く子供が一人ずつ。互いにかなり離れた場所に居る。
姫乃は地面に降り立つと、二人の子供の近くにいる仲間――龍仁とグラルスに連絡を取った。
●二人の子供
千紗は一人で薄暗がりを歩いていた。
化け猫が出ると言う。
過去にディアボロに襲われた事がある千紗には、化物の恐ろしさがよく分かった。
けれども、だからこそ康孝が心配だ。
今日、康孝の家に電話をしたら、野球をすると言って出て行ったきり戻っていないという。それを聞くなり、千紗は鞄を掴んで家を飛び出していた。
「ばかなやっくん。ばかなやっくん。ばか、ばか」
怖いのに。危ないのに。たった一人で飛び出すなんて――。
「ちーちゃんの、ばか……」
暗がりが、怖い。
なー、とどこかで猫が鳴く。恐怖でその場に座り込んでしまいそうだった。
その肩に、とん、と誰かの手が触れる。千紗は危うく悲鳴を上げかけた。
ばっと振り返り、直後に呆ける。――知った顔が、あった。
「どうやら君達とは、少なからず縁があるようだね」
「グラルスのおにーちゃん!」
どうしてここに、とは聞かない。ただただ安堵して、千紗はその腰に抱きついた。
「大丈夫、僕らが来たからにはもう安心だよ」
その時、グラルスの携帯が着信音を響かせた。
――嫌な予感は的中する。
龍仁は姫乃から連絡を受け、思い切り顔を顰めて駆け出した。
過去に救った少年――康孝が巻き込まれてはいないかと親に連絡をいれてみたところ、「野球をするから」といってバッドを持ち出したと聞いた。
まさかとは思ったが、そのまさかである。
姫乃の言葉通りに道を駆けると、果たして一人の少年が、金属バットを片手に一匹の猫と対峙していた。化け猫かと思って一瞬ひやりとするが、龍仁の足音に驚いて逃げていったところをみると恐らく普通の猫だろう。
「あ、こら待て!」
「待つのはおまえの方だ!」
叫んで猫を追いかけようとした康孝の首根っこを引っつかみ、龍仁は驚愕に目を見開いた康孝の小さな体を引っ張り戻した。
「お、おっちゃん!? なんでこんなとこに――」
「それはこちらのセリフだ、康孝」
「俺は化け猫退治や。おるんやで。ほんとに」
知っているとも。だがそれを退治しに来たのだとは、あえて言わない。
「その化け猫を、おまえは一人でどうやって退治するつもりだったんだ……?」
それは、と康孝が答える前に龍仁が鳴り響く。
『標的と交戦中、援護可能なら来てくださいなーっと』
そんな、気の抜けたマーシーの応援要請だった。
●化け猫
小夜から十分な距離を取りつつ、その護衛に徹する。
マーシーである。
小夜はいかにも散歩中というふうに歩きながら、時々現れる猫に食パンを与えつつ化け猫の出現を待っていた。
警戒心が強く、小さな子供や女性しか狙わないというのなら、まさに小夜はうってつけの囮である。
と、一匹の三毛猫が小夜に近づくのを見て、マーシーはさっと気を引き締めた。
噂の化け猫も三毛猫だ。
なー、と鳴いた三毛猫に、小夜はそっとサンドイッチを千切って投げる。むしゃむしゃと食べて、もう一口。
そしてサンドイッチを食べ尽くすと――大口が、開いた。
猫の口が冗談のように上下左右に伸び開き、小夜を丸のみにしようと襲いかかる。
その顔面に、マーシーは弾丸を撃ち込んだ。衝撃で猫の頭が大きく傾き、そのすきに小夜は化け猫から距離を取る。
「躾がなってないですねー」
「あ、ありがとう……ございます……」
笑ったマーシーに礼を述べ、小夜も蛍丸の仁を構えた。
化け猫は軽くよろめき、瞳孔を細めて二人を睨んだ。
しかし相手が二人では不利と見たのか、逃げようと身を返した化け猫の体に、マーシーはマーキングを撃ち込む。
「10分間は逃がしませんよー」
怒り狂って、化け猫は再び大きく口を開いた。その口腔に、小夜は仁を深々と付き立てる。
耳をつんざくような、不快な猫の絶叫が響いて、小夜は顔を顰めた。
口から泡と血を垂れ流しながら、化け猫が全身の毛を逆立たせ、膨れ上がる。
それはみるみる人の大きさほどに肥大して、小夜とマーシーを憎しみのこもった瞳で睨みつけた。
再び、化け猫が血にまみれた口を大きく開く。その口を雷を纏った鋭い結晶が貫き、化け猫はよろめいた。
「二人とも、無事か!」
トリマリン・アローを放ったのはグラルス。声を上げたのは龍仁だ。
二人の子供も一緒である。
化け猫の姿を見た瞬間、千紗は悲鳴を上げて崩れ落ち、そのままくたりと動かなくなった。失神したのだ。
康孝もガクガクと全身を震わせ、青ざめる。
恐怖に耐えかねたように握り締められた康孝の肩に、龍仁は静かに手を置く。びくりと、康孝の肩が大きく跳ねた。
「わかったか、康孝。お前が戦おうとしていたのは――こんな化け物だ!」
一歩、康孝が下がった。恐怖が康孝の心を塗り潰す。
「心配するな…お前達は俺が護りきる。必ずだ」
勇気付ける言葉が、どこか遠くから聞こえるようだった。
血が、ひどく怖かった。化け猫の口から溢れて滴る大量の血があまりにも生々しくて、康孝の思考を同じ赤で染めていく。
その時である。
「待てい化物! 子供を狙う悪逆非道のその行い! この俺が成敗してくれる!!」
その場の雰囲気を強引にプラスの方向に押し上げる、あまりにも力強い声が逢魔ヶ刻の町に響いた。
声の方を探すと、どうやって登ったのか街灯の天辺に、光纏した正太郎の姿がある。
正太郎はとう! とばかりに街灯から飛び降りると、着地様に化け猫に強烈な一撃を叩きこんだ。
ぎゃう、と鳴いて化け猫は吹っ飛び、壁に激突してもんどりうつ。
「正義のヒーローリュウセイガー! ここに見・参!!」
完璧に、つかんだ。
康孝の現実的な恐怖心が、非現実的な存在の登場によって吹き飛んだ挙句、ヒーローショーに参加して興奮する子供の心を呼び起こしたのである。
康孝は歓喜して叫んでいた。
「リュウセイガー! なんやそれめっちゃかっこいい!」
男の子は単純である。
恐怖を与えて希望で支える――まあ、これはこれでありだろう。龍仁もとりあえず胸を撫で下ろす。
ふらつき、怒り狂ってばりばりと地面を引っかくディアボロの前に、スケッチブックを手にした女が立った。
『やっておるようじゃのう。私も助力するとしよう』
ぐっと首を反らせて、ネピカは化け猫の額にその石頭をたたき付ける。
仰け反った化け猫の頭を掴んで、追撃を食らわせたのは咲である。そのまま齧りつこうと口を開きかけ、
「あ、でもディボロは不味いのよね」
と呟く。ぽいと化け猫を投げ捨てると、その体は猫をまとわりつかせた姫乃の眼前に落ちた。
もはや、化け猫に助かる道はどこにもない。
それはまさに完全な、撃退士達の勝利だった。
――ああ、悔しい。
●こころのきず
「こんな! 危険な! 事をして! もし千紗にまで何かあったらどうするつもりだったんだ!」
「いだいいだいいだいおっちゃんいだだだだ!」
叱る龍仁と叫ぶ康孝である。
横抱きに抱えられて尻をばしばしとひっぱたかれ、康孝は泣き喚いた。
「せやけど俺、強くならなって――!」
「強さと一口に言っても、誰かを守ったり、また誰よりも力を持ってたりと様々だ。君はどう強くありたいのかな?」
グラルスの諭すような言葉に、どうって――と康孝は表情を曇らせる。
「……リュウセイガー!」
康孝は正太郎を見てきりりと表情を引き締めた。
それも、一つの答えだろうか。
「その為には沢山勉強して、体を鍛えるんだ。ゆっくりと確実に力をつけていけば、道は開けるよ」
うん、と康孝は答える。
「ああ……無事で良かった……」
しゅんとうなだれた康孝を、龍仁はそっと抱き締めた。
それを、千紗は少し離れたところから眺めている。
誰もが康孝を見ていた。康孝を叱り、康孝を励ましている。
千紗もそんな康孝を見て、くすくすと肩を揺らして笑っていた。
つまり誰も千紗の事を見ておらず、千紗は人の輪から外れて静かにしているのがすこぶる得意な子供であった。
その千紗の足に、するりと近寄る黒い影がある。
ひどく痩せた黒猫だった。なー、と鳴く声は小さくか細い。
「どうしたの? 猫――」
ちゃん、と言った声は開いた大口の呑まれて消えた。
まだ、一匹。
「――危ない!」
珍しく、小夜の声が大きく響いた。
まだ他にディアボロがいるかもしれないと警戒していた小夜だからこそ反応できたのだろう。
咄嗟に飛び出し、小夜は千紗をかばって地面に伏せた。
撃退士達の攻撃を一斉にその身に受けて、黒い化け猫は一瞬で息絶えた。
「小夜、千紗! 大丈夫か!」
「ちーちゃん!」
龍仁と康孝が、地面に伏せた二人に駆け寄る。
「ええ……大丈夫……です」
言って、体を起こした小夜の手に、ぬるりとぬめる物がある。
生暖かく、鉄臭い。血だ。けれどもこの血は――小夜のものでは、ない。
ざっくりと、傷があった。
化け猫の牙がぎりぎりでかすったのだろう。千紗の額から頬にかけて、深く抉れた傷がある。
「ちーちゃん!!」
状況が理解できていないのか、驚きで痛みを感じていないのか、千紗はきょとんとしているばかりだった。
●エピローグ
二匹の化け猫が死んで、行方不明事件はぱったりと発生しなくなった。
公園には子供達の笑い声と活気が戻り、事件は解決したのである。
千紗の顔の傷は、一生消えないだろうと医者は言う。
それでも千紗は平気だった。
笑う千紗の傷を見て、しかし康孝は心に決める。
いつか、強く。本当に強く。
絶対に、誰にも頼ることなく、ちゃんと自分で大切な人を守れるように――。