●各自散開
公園は不気味なほどに静かだった。
ディアボロどころか動物の気配すら感じられず、傾きはじめた太陽が公園全体を物悲しい朱色に染めている。
「それで――だ」
最初に口を開いたのは、強羅・龍仁(
ja8161)だった。
場所は公園の入口。正面には案内図がある。
「やっくんは、どこでかくれんぼしてたのかしら?」
どこでディアボロを見たのか、とはあえて聞かない。すでに十分怯えている子供に対して、これ以上恐怖を与えても状況が悪くなるだけである事を、青木・凛子(
ja5657)はよく理解していた。
凛子は主婦として、また母として完璧な笑顔をたたえ、なんて事ないように優しく首を傾げて見せる。
くわえタバコの巨漢――龍仁だ――に手を引かれ、不安と緊張と恐怖に引きつっていた少年は、凛子の声に少しだけ表情を和らげて案内図を指差した。
少年の名は康孝という。友達の少女を公園に置き去りにして、自分一人だけ逃げてきた弱虫の少年だ。
康孝の指差した場所は中央広場――ツリーハウス、公衆トイレ、アスレチックと、どの場所からも距離はさほど離れていない。
ここにディアボロが出たのだとすると、だ。
「ぐずぐずしてるヒマはねぇっすよ」
苛立った様子で手の平に拳を打ちつけ、赤槻・空也(
ja0813)は中央広場に見える時計を睨んだ。康孝が公園から逃げ出して、かなり時間が経っている。取り残された少女――千紗を、既にディアボロが見つけている可能性もゼロではない。
もし、そうであったら。
そう考えると、耐えようのない怒りが空也を襲った。
今すぐに駆け出して、それでも間に合わないかもしれない。だというのに、怯えて竦む康孝の弱さに苛立ちがよぎった。
「おい、びびってんじゃねぇぞ坊主。しゃきっとしろ! 天魔相手にガキだからは通用しねーんだよ。むしろあのクソ共にとっちゃ絶好のエサだぜ? エサ! 掴み取りてぇなら、テメーの全力捻り出せや…ッ!」
救えなかったら、どうする。置いてきてしまった事を、逃げてきてしまった事を、一生悔いて生きる事になるのだ。
「びびってへん! オレ、ちーちゃんを探すんや!」
強がるように康孝は言い返す。
「だからはよう、先進も……!」
「焦るのはよくないが――確かに、急いだ方がいいだろう」
あくまで冷静に呟き、天風・静流(
ja0373)はとん、と公園の案内図に指を置く。
「スキルを使ってもいいだろうが、もしもという事もある。何人かが先行して確認した方が確実だろう。私はツリーハウスへ向う」
「そんじゃ俺はアスレチックを当たらせてもらうっす」
頷いた空也は、既に歩き出していた。一秒でも時間が惜しい。
それじゃあ、とグラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)は全員に頷きかける。
「僕はトイレの方を確認するよ。見つけたら青木さんに連絡して、強羅さんに康孝君をつれてきてもらう作戦でいいですね?」
異論は上がらない。
「ディアボロが出たら、僕らが引きつけてる間にその子を見つけておいてください。……それじゃあ、行くよ!」
静流、空也、グラルスが先行して公園に散り、凛子と龍仁は中央広場へ移動する事となった。三人からの連絡に即座に対応するには、そこが一番都合がいい。
中央広場は康孝がディアボロを目撃した場所だが、龍仁の生命探知で安全は確認できている。
ゆうゆうと歩き出す凛子に続いて、龍仁も康孝の手を引いて歩き出した。
だがふいに康孝の足が止まり、龍仁はほぼ足元を見るような形で康孝を見下ろす。
じわりと、康孝の目に涙が浮かんでいた。その足はガクガクと震え、自分の意思ではどうあってもこれ以上前に進めないらしい。
どれだけ強がったところでまだ子供だ。どうしようもなく、怖いのだ。
「泣き虫の騎士様か……さて、お姫様を助けにいくとするか」
「う、うん……」
不安げにうつむいた康孝の頭を、龍仁はぽんと軽く叩く。
「安心しろ、俺がお前の盾となって如何なる敵からも護ってみせる。だから、お前は彼女を探して見つけてやるんだ」
康孝は龍仁を見上げる。
ぎゅっと唇を引き結び、康孝は力強く頷いた。
●ラプンツェルの悲鳴
他のメンバーに先行してツリーハウスに向った静流は、想像以上にまずい状況にでくわす事となった。
竹馬のように長い足。丸太のような胴体――ディアボロだ。それが、ツリーハウスをのぞき込むように体を傾けている。
中に千紗がいるのだと、一目見ただけで察しがついた。
悲鳴は、まさにその一瞬後に上がった。
「何、何、何!? いやあぁ! やっくん!」
恐慌をきたした千紗の悲鳴の中、静流の判断は冷静だった。リボルバーを引き抜いて一発打ち込み、ディアボロの注意を引く。
「そこから出てくるな! ――かならず康孝が迎えに行く!!」
びくと体を跳ねさせて、千紗は「やっくんが?」と小さく呟いた。
ディアボロの注意がこちらに向いた事を確認して、静流は駆け出した。
空気を高くつんざいた少女の声は、間違いなく中央広場まで届いただろう。
ならば今、自分がやる事は一つ。
一刻も早くあのディアボロを、無力な少女から引き離す事だ。
●竹馬の足音
アスレチックである。
四角い箱が積み重なったようなアスレチックを見上げ、空也はとりあえず手近な箱をのぞき込んだ。
大声を上げてディアボロを呼び寄せてしまっても問題だが、この箱を一つ一つ確認していくのは骨が折れそうだ。
「見つけたらもう輪切りだったとか…あン時みてーなのはもう…要らねーぜ…ッ!」
吐き捨てて、空也は軽快な足取りでアスレチックを駆け上る。開けた視界の中にディアボロを探し――空也は動きを止めた。
竹馬のような足。丸太のような体。カマの腕――。
ディアボロが、いた。ガチガチと嬉しげに歯を打ち合わせながら、跳ねるようにアスレチックへと、空也へと近づいてくる。
即座に凛子への連絡を済ませ、空也は焔色の光を噴き上げた。
アスレチックのすぐ下までたどり着いたディアボロが、全身を反らすようにして空也を見上げてくる。
「来たかよデクがよォ…ッ! ふざけた体しやがってよォ…潰すッ!」
甲高い――少女の悲鳴が上がったのはその時だった。ここではないどこか、ツリーハウスの方向だ。
途端にディアボロが向きを変え、嬉々としてそちらへと向う。
「ッ――行かせるかよォ!」
咄嗟に、空也はヒポグリフォK46にアウルの力を込め、撃った。
大きくぐらついたディアボロは、しかし倒れず踏みとどまり、ぐるりと胴体部分だけを回して空也へと向き直る。
随分、硬い。
次の瞬間、ディアボロが大きく跳躍し、空也との距離を一気に詰めた。
正面に、立った。――立ってしまった。
嬉しげにガチガチと歯を鳴らしながら、ディアボロが大きくカマの腕を振り回す。後方に飛んだ空也の頬を、鋭いカマがかすめて浅く皮膚を裂いた。
「クソがッ――!」
頬を伝った血をぐいと拭い、空也はゆらゆらと揺れるディアボロを睨み上げる。
応援が来るまで、一人で耐え切れるか。そんな考えがよぎるのと、詠唱が聞こえたのは同時だった。
「黒玉の渦よ、すべてを呑み込め――ジェット・ヴォーテクス!」
突如巻き起こった漆黒の風に呑み込まれ、ディアボロの体が大きく揺らぎ、倒れた。アスレチックから転がり落ち、じたばたともがき暴れる体を、空也はぽかんとして見下ろす。
「青木さんから連絡があってね、応援に来たよ」
穏やかな声の主が誰なのか、空也は知っている。声の方に顔を向けると、思ったとおりの銀髪の青年、グラルスが立っていた。
「どうやら、千紗さんはツリーハウスらしいね」
空也はグラルスと視線を交わし、頷き合う。
棒状の足で器用に立ち上がったディアボロを見て、グラルスは少しだけ嘆息した。
――朦朧は、入らなかったか。
また、ツリーハウスの方から悲鳴が上がった。
ディアボロは子供の声に反応するらしく、悲鳴を聞いていそいそとそちらへ駆け出そうとする。
行かせるものかと、グラルスは再び詠唱を始めた。
「貫け、電気石の矢よ――!」
雷を纏った鋭い結晶に貫かれ、ディアボロの胴体の一部が弾け飛んだ。
上手く、こちらに意識が向いた。
次の一手はもう決まっている。グラルスはアスレチックの上部に立つ空也を見上げた。
「空也君!」
グラルスが合図すると同時に空也はアスレチックから飛び降りた。ディアボロの背後に着地し、拳に渾身の力を込める。
「クソ天魔が…テメーらにバッドエンド叩き付けてやらァ…ッ!」
空也の拳が、ディアボロの胴体を粉砕した。
胴体の支えを失った棒状の手足が、放り出されたゴミのように地面に落ちる。
ガチガチ、ガチガチ。
楽しげに打ち鳴らされていた歯の音が消え――。
そしてディアボロはすべての動きを止めた。
●騎士の到着
悲鳴を聞いた瞬間、康孝は蒼白になった。
「ちーちゃんや!」
叫んで駆け出そうとするが、しかし龍仁はその手を決して離さない。
「離せ! 離してや! ちーちゃんとこ行かな、オレ――!」
「ああ、わかってる」
叫んで暴れる康孝に短く答え、龍仁はその小さな体を抱え上げた。
きょとんとして目をまたたかせる康孝に、
「この方が早い」
と言ってのける。何より、この方が安全だ。
「空也ちゃんとグラルスちゃん、アスレチックでディアボロをやっつけたって」
並んで駆け出した凛子が、ぱちん、と優雅に携帯を閉じる。龍仁は深くうなずいた。
あちらの始末が付いたのならば――後は、こちらだ。
林に入ると、リボルバーでディアボロを牽制する静流の姿が飛び込んできた。
静流も二人の存在に気付き、大きく腕を振ってツリーハウスを指す。
「ツリーハウスにいる! 保護してくれ!」
龍仁と凛子の目配せは一瞬――それだけで伝わった。龍仁はツリーハウスへと足を早め、凛子はディアボロへと駆ける。
二人の考えている事は同じだった。お姫様は、ナイトが迎えに行かなければ意味がない。
「竹馬なんて懐かしいじゃない。あたしとも遊んでくれないかしら?」
弾丸を打ち込み、後退した静流と入れ替わるようにして、凛子はディアボロの側面から強烈な蹴りを叩きこんだ。
静流との戦闘でダメージが溜まっていたのか、ディアボロの丸太部分がその一撃で大きく欠ける。
妖艶に笑って、凛子は軽く後退してディアボロから距離を取った。
と、武器を薙刀に持ち変えた静流が横に並んだ。その体から立ち上る、凄まじいまでの殺気。
「守りごと砕いて潰す……!」
凛子も笑みを深くして、ディアボロをあおぎ見た。
「竹馬ちゃんだもの、跪いたら負けよね……?」
ならば狙うのは、足か。
静流が先に出た。ナギナタを振り上げてディアボロの腕をたたき落とし、そのままディアボロの背後に着地する。
それを追うように駆けた凛子の蹴りがディアボロの足を粉砕し、
「さあ――跪きなさい」
ディアボロはどうと倒れ伏した。
ディアボロは静流と凛子が引き受けてくれた。
もう一匹は空也とグラルスが倒したという。
龍仁は康孝の体を抱えたままツリーハウスのはしごを半ばまで上り、千紗を迎えに行くようにと康孝をうながした。
「行けるな? 康孝」
力強く頷いて、康孝はツリーハウスへと続く最後のはしごを上りきる。
ひょいと顔をのぞかせると、ツリーハウスのすみっこで膝を抱える千紗の姿が目に入った。
「ちーちゃん!」
呼ぶと、ぱっと千紗が顔を上げる。
「やっくん!」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、千紗は康孝に抱きついた。
遅いよぉ、と文句を言う千紗の体を抱き締めて、ごめんな、ごめんなと康孝は繰り返す。
からみ合う様にして出てきた二人の子供に、龍仁は我知らず安堵の息を吐いた。
もう、大丈夫だろう。
「とりあえず怒るのは後だ。――よく頑張ったな 」
とは言え、未だに林では二人の撃退士が軽快にディアボロをたたきのめす音が聞こえてきている。
龍仁は二人の子供を連れて、そそくさと中央広場へと引き上げた。
●そしてハッピーエンド
とっぷりと、日が暮れていた。
公園のやわらかな街灯の下、青木のピンヒールがカッと鋭く石畳を叩く。
――あくまで、たおやかな笑顔のまま。
「入っちゃだめ、て書いてあるのには理由があったでしょう? またここで遊びたい?」
康孝と千紗は、そろって首を左右に振った。笑顔であるだけに余計に怖い。
すると青木はふいに肩の力を抜き、膝を曲げて子供達と視線を合わせた。
「やっくんが、ちゃんとちーちゃん見つけてくれたわね。偉かったねえ」
くしゃりと髪をなでられて、康孝は頬を上気させて頷いた。
「あたりまえや! や、約束したんやからな!」
そこにはもう、友達を見捨ててきてしまったとめそめそ泣いていた気弱な少年の姿はない。
「ちーちゃん、素敵なヒーローとお友達になれてよかったわねえ」
ん、とだけ頷いた千紗の髪をなでると、安心したせいか、千紗の腹の虫が盛大に鳴いた。
もう夜になる。育ち盛り食べ盛りの小学生が、昼からこんな時間まで何も食べていないなど地獄だろう。
真っ赤になってうつむいてしまった千紗に、龍仁は穏やかに笑って紙包みを差し出した。
「……あの?」
「ずっと隠れていたんだ。腹が減ってるだろうと思ってな」
差し出された紙の包みを恐る恐る受け取って、千紗は中身を見て大きく目を見開いた。
美味しそうなサンドイッチ――ぎゅっと唇を噛み締めて、千紗はぽろぽろと涙を流しながらそれにかじりつく。
こんなにたくさんの人に心配してもらって、こんな風に優しくしてもらった事なんて――今までたったの一度だってなかった。
「あ、そや! 言い忘れとった!」
慌てて言って、康孝は突然ぎゅっと千紗の手を握り締めた。
そうして、満面の笑みで言ったのである。
「ちーちゃん、みーつけた!」