●濃霧
「視界が悪いと魔法の無駄撃ちが怖いな。確実に仕留めていきたいか」
グラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)の魔法が生み出した炎の奔流が、30cmほどの奇怪な虫の形をしたディアボロの群れを呑み込み、次々と消し炭にしていく。
燃え盛る炎の空間から逃れた虫が彼方へと飛び立とうとしたところへ、向坂 玲治(
ja6214)が狙いもそこそこに荒々しく銃を乱射する。虫形は必死に弾幕を避け続けるも、わずか一発。一発の弾丸が浮遊する敵の身体を貫くと、それはあっさりと地に落ちた。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ何とやらだ」
円陣の後方では、ユリア(
jb2624)が杖を振るっては、彼女の周りで月光色に輝く無数の欠片が舞う。
「群がってくると逆にまとめて攻撃しやすくなるんだよ、と」
それらがダイヤモンドダストの如く周囲を凍てつかせ、虫形たちの熱を急速に奪い去る。次の瞬間には、大量のディアボロが地面の上で横たえていた。
「逃がすでない、ブレスで仕留めよ」
唯一冷気を耐え切った虫形が上空へと飛び立つのを見逃さず、雪風 時雨(
jb1445)が傍らを飛ぶ幼竜へと指示を飛ばす。それに応えた幼竜が、進路を塞ぐように回り込んだ幼竜のブレスが、最後の一匹を消し飛ばした。
「ふぅ……これで一段落か?」
玲治は銃をホルスターに収めると、深く息を吐いた。
「この辺りで、少し休憩しようか」
周辺を確認し終えたところで、救急箱を取り出しながら雨野 挫斬(
ja0919)が提案する。
ここまでで、一体何十匹の虫形を退治しただろうか。
入り口、中央広場、コーヒーカップやメリーゴーランド、そしてここローラーコースターの跡地と、休む間もなく戦闘を繰り広げてきた。
「視界が悪く、得物もいつもと違うのがこれほどとは……何とかするしかないんだけどな」
玲治は手に持つハンドガンを見ながら嘆息した。
今日の敵は深い霧によって敵の姿が捉えにくい上に、光弾で遠距離攻撃を仕掛けてくる。となれば、彼がいつも愛用している大きな戦槌よりも、遠距離攻撃できる拳銃の方が得策ではあった。だが、黒い無機質な塊は彼を心許ない気分にさせる。
「霧が厄介だよね。近付かれる前に攻撃するのが難しくなるし」
ユリアが疲労の色が浮かべる。休憩中と言えども、羽音が聞こえないか、敵の発する明かりが見えないかと警戒を続けているため、あまり休まりはしない。
今回の依頼では、ある意味で濃霧が一番の敵と言えた。
霧の中へライトを投げ込むことで、敵の気を引き付けたり、おびき寄せたりと戦況を有利に運べたときもある。それでも、濃霧と敵の数の多さは毎回の戦闘を長引かせた。それはつまり、こちらが攻撃に被弾する機会を増やし、スキルの消耗が早まったことを意味する。
唯一の掬いは、敵の攻撃力が低いこと。とは言え、浅い傷も積み重なれば、身体を蝕むことに変わりは無い。
……ただ一人を除いては。
「にしても寂しい所だねえ、昔はガキどもやバカップルがきゃっきゃうふふしてた場所なんだろうに今は見る影も無いと来た」
綿貫 由太郎(
ja3564)が軽口を叩く。どう言うわけか、彼だけはここまで無傷であった。支援射撃に回っていたとは言え、一度も攻撃を受けていないのは、ただ単純に運が良かっただけではあるが…。。
そんな彼も、精神の方は他の者と同様に擦り減っていた。視界の悪い中、物陰などを気に配り続けることは想像以上に疲弊する。
今日は身体のキレが一段といいみたいだよ。それでも、由太郎は場を和ませようと飄々とおどけて見せた。
「腹が減っては戦はできぬと言うであろう。皆、遠慮せず食べるといい」
口数少なく腰を下ろす一向に、時雨が持参した弁当やちらし寿司を振る舞う。彼自身は、傍らを飛び回るヒリュウと戯れている。
「ほれほれ怯えるな怯えるな。ほら、みかんをやろう」
そろそろヒリュウが異世界に戻る時間である。もう今日は呼び出せない。惜別の時間に、彼は今までの戦果を労っていた。
「あとちょっとだ…。がんばろう、俺」
その脇で、目の前に広げられた弁当へ思うように手が伸びないのは、虫が苦手な永連 紫遠(
ja2143)。接近戦の多かった彼女は、誰よりも虫の様相をした奇異な敵の姿と対峙しており、そういった意味では誰よりも精神的なダメージを受けていた。
「ホタルみたいに光ってるんだし、この濃い霧の中でも位置が判別できればいいんだけど…」
そうは言っても、敵も常に光っているわけではない。真っ白な視界の中、ぬぼっと出てこられては焦ったことが何度あったことか。
一方、紫遠とは対照的に、挫斬はチョコレートバーを片手に陽気な声をあげていた。
「フフ、遊園地を舞う蛍かぁ。ん〜、ロマンティックだね! しかも、解体まで出来るなんて私好み!」
彼女にとっての解体とは、天魔に向ける恋愛感情とも性欲とも言い替えることのできる本能的な欲求であった。濃霧に気味の悪い虫形の敵が多数飛び回るという『如何にもな』雰囲気は、そんな彼女の独特な感性を刺激して止まない。
「これで雑魚だけじゃなく強いのがいたら最高なんだけどね! あははは!」
傷だらけにも関わらず、普段よりも大きく揺らめく陽炎の様な光纏が、彼女の高揚ぶりを如実に表している。
「今のうちに、スキルを活性化し直しておいた方がよさそうだね」
グラルスは使用する魔法の構成を考えつつ、周囲を漂う霧を見つめる。
あの霧は何か不自然だ。もしかしたら、天魔が関係しているのかもしれない―――。
だが、まずはすべてのエリアを回る必要がある。残すエリアは1つ。観覧車の残るエリアのみ。
「休憩終了! さ、次の場所に行こう!」
挫斬が元気よく立ち上がり、率先して歩き出す。
残りのメンバーも重い腰を上げると、再び仄暗い霧の中へと入っていくのだった。
●虫形
観覧車のあるエリアへは、一度中央広場に戻る必要がある。
序盤で踏み入れた場所に戻ると、先ほどよりも霧が深くなっている気がした。
…ぶぅぅぅん…
沈黙の先に、微かな羽音が聞こえる。方角は、観覧車のあるエリア。
「不意打ちには注意したいね。特に光弾」
その音に、ユリアが警戒を強める。
羽音からまだ距離が離れていることはわかるが、確実に敵はいる。一行は、静かに観覧車のあるエリアへ足を踏み入れた。
「これはまた、哀愁漂うねぇ」
由太郎はゴンドラや操作室などにペンライトをかざし、錆びれた観覧車を見上げる。天頂は濃い霧に阻まれ、全く見えない。朽ちたゴンドラがキィキィと音を立てた。
周囲を見渡した一行は、すぐに標的を発見する。
「敵発見!」
「上にも何かいるぞ」
挫斬が前方濃霧の奥に潜む影を、玲治が上空を浮遊する姿を見つけた。
「蜂に蜂の巣にされてしまうなんぞ愚の骨頂、ここは炙り出して見るとしよう」
すぐさま時雨が前方へとライトを投げる。すでに何度も行ってきた方法であり、この後の敵の動きも予測はつく。
何体かの敵がライトに向かって光弾を放ち、それを合図に更に奥から敵がおびき寄せられる。
「上は俺に任せてくれ」
紫遠は小天使の翼を広げると、降り注ぐ光弾を避けながら一直線に突進する。その勢いのまま敵とすれ違い、一閃した両手剣が敵を真っ二つに断つ。
だが、そんな彼女を待ち構えていたのか、前後左右から様々な色の光弾が乱れ飛ぶ。咄嗟に身体を捻るが、すべては避けきれずに被弾する。青と紫の光弾が、痛みと共に凍傷と吐き気を与えてくる。
思わず態勢を崩す紫遠。その隙を狙って、一匹の虫形が顎をガチガチと鳴らせて飛びかかる。
バンッ!
しかし、その攻撃は届くことなく、虫形が吹き飛んだ。
「危ないところだったねぇ」
下を見れば、上空に向かってショットガンを構える由太郎の姿があった。彼は再び引き金を引くと、支援射撃を続ける。紫遠は感謝の視線を送ると、傷だらけの身体に鞭打ち、再び敵へと突撃して行った。
「俺が引き付ける。まとめて薙ぎ払ってくれよ」
地上では、玲治が単身敵陣に突っ込み、敵の注意を引き付けていた。増幅させたアウルが防御を強化し、構えたシールドで敵の攻撃をいなし続ける。それと同時に、敵が密集する様に立ち位置を変えつつ敵を誘導していく。
その動きを追い続けていたグラルスが、タイミングを逃すことなく詠唱に入る。
「孔雀の息吹よ、すべてを撃ち抜け!」
浮かび上がったマカライトの結晶が、淡緑に輝く光を放つ。次の瞬間、玲治によって一列に誘導された虫形を、一直線に伸びる光が薙ぎ払った。
「数が多いから、どんどん落としていこう」
次々と集まる虫形に向けて、ユリアが月光色の光球を放つ。杖によって増幅した魔力が、光球をより一層強く輝せる。光球は敵の群れの中心で爆発し、さながら花火の様に光の粒子を撒き散らしては敵を殲滅する。
敵の光弾に幾つか被弾するものの、玲治が敵を引き付け、グラルスとユリアの範囲魔法が効率よく敵を一掃する。討ち漏らした敵は、挫斬と時雨が銃撃しては次々と落としていた。
「ん〜、やっぱり銃はつまんないな〜。こんなに簡単に潰れるんじゃ面白くないし。大物がでてこないかな〜」
余裕が生まれ、挫斬が思わずこぼす。
その声に導かれるように、ゆっくりと『それ』は姿を現した。
●女王
『それ』の出現に最初に気付いたのは、ゴンドラの上で戦っていた紫遠。
「落着け紫遠。あんな虫がいる筈がない。あれは熊だ。そう思い込むんだ」
姿形は今までの虫形とほぼ同じ。頭が蜂で、身体はホタル。だが、大きさだけが異なる。体長は2mほどか。重そうな身体を引きずるように浮遊する異形の姿に、紫遠は嫌悪の顔を隠せない。
「本命のご登場か。こいつを倒せばこの霧も晴れるってことかな」
巨体の周囲だけ霧がより濃くなっていることに気付き、グラルスは確信する。女王が不自然な霧の発生源なのだと。
「女王蜂と言ったところか。早急に失せるがよい」
時雨の投げ込んだフラッシュライトが女王とその周辺を照らし出し、背後で付き従う様に浮遊する新たな虫形の姿を露わにする。
続けざまに時雨は拳銃の引き金を引くと、放たれた弾丸は狙い違わず女王の身体を貫いた。
「雑魚の撃破は任せてね。まずは敵の数を減らすよ!」
ユリアが女王に群がる虫形へと最後の魔法を放つ。
「やった! 大物発見!」
挫斬は女王の登場に歓喜の声をあげる。濁った赤き闘気が吹き上がり、陽炎の如き光纏が一層激しく揺らめく。
周囲に群がる虫たちは仲間が対処してくれる。ならば自分が狙うのは――。彼女は漆黒の大鎌を携え、一気に女王へと駆け寄った。
「きゃははは! 解体してあげる!」
正面から向き合う寸前にくるりと身を捻り、女王の横に回り込んだ勢いを乗せて大鎌を薙ぎ払う。その一撃は女王の羽を切り裂いた。
羽を失い、バランスを崩した女王にすかさず近づくは由太郎。ショットガンを女王の身体に突きつける。
「蛍だか蜂だかわからんかったが習性は蜂だったか、まぁこれを倒せば終わり……だよねえ?」
ゼロ距離射撃による散弾を食らい、女王の身体の一部が激しく吹き飛んだ。
「ようやくこいつの出番だな!」
戦槌を掲げた玲治が、更に追撃を仕掛ける。握るその手に力を込め、今日一番の荒々しい一撃が女王の身体を深くえぐり込む。同時に、女王の背後から紫遠が大剣を突き立てた。
「思ったより硬いな。なら、こいつでどうだ! 黒玉の渦よ、すべてを呑み込め!」
グラルスの詠唱が、漆黒の風の渦を巻き起こし、女王を呑み込んでいく。
しかし、それらの猛攻にも、女王は何事もなかったの様に光弾を四方八方へと飛ばし、応戦する。
それは後衛で支援射撃に徹していた時雨とユリアにも襲い掛かる。
「そう何度も同じ攻撃が通じるとでも…っ!?」
時雨が軌道を見切って避けようとしたところで、光弾が突如軌道を変えた。黒い光弾を浴びた時雨とユリアが、眩暈を起こして膝をつく。
「うぐっ!」「曲がったっ!?」
それを見た玲治はシールドで光弾を叩き潰しにかかる。だが、緑色の光弾は破裂と共に放電し、玲治の身体に痺れを走らせた。
数人がもはや限界を迎える中、挫斬は飛び交う光弾を避けながら、女王にぴったりとへばりつき離れない。目の前の戦闘に、解体衝動に浸った彼女が、恍惚の嗤いを浮かべながら大鎌を振りかぶる。その姿は天魔にとっての―――死神。
「きゃはははは! これでおしまい!」
その一撃が、女王の頭を跳ね飛ばした。胴体は地響きを立てて大地へと崩れ落ち、頭はゴロゴロと大地を転がる。
頭だけになっても尚、ガチガチと顎を鳴らす頭を手に取り、彼女はそっと口づけする。それは、戦いを愉しませてくれた事に対する彼女なりのお礼。
彼女の唇が離れると、女王の瞳は光を失い崩れ去るのだった…。
●黄昏
「危ないところだったな…」
女王が動かなくなったことを確認すると、玲治が安堵する。これ以上の攻撃は、シールドで防いでも耐え切れない可能性があったためだ。だが、彼が敵を引き付けたお蔭で、敵を範囲攻撃で一掃できたのは今回の隠れた活躍であった。
時雨は召喚獣とのケガの共有によって、紫遠は単身上空で戦ったことにより、もはや立っているのがやっとの状態であった。
「ケガもそうだし、スキルもほとんど使い切ってるから、これ以上の戦闘はちょっと無理だよな」
紫遠が冷静に現状を分析する。
「そうそう。やるべきことはやったわけだし、俺たちは撤退しよう。みんな、疲れ果てていることだしねぇ」
最後までほとんど傷を負うことのなかった由太郎が促す。その背中に視線が集まるが、彼が元気なのはただ運が良かっただけであり、彼を責めるのは筋違いではある。それでもやるせない気持ちで皆の視線が集まる。
「女王が居なくなったアリや蜂の群は別な固体が女王となる事があるそうな…」
倒れた女王を見つめていた時雨は、ふと思い出した。麓の村で見つかった車の遺体を襲った蜂は討伐されたのであろうか? 胸に不安と疑問が湧き起こる。
「ははは、まさかそれで包囲を一匹抜けたとかそんな手抜かりがある筈が…?」
時雨の不安を吹き払うかの様な乾いた笑いに、グラルスとユリアが応えた。
「先発隊が周囲の哨戒に当たっている様だし、大丈夫だとは思うけどね」
「きっと時間の問題だよ」
彼らを包む霧が急速に薄くなっていく。発生源である女王が倒れたからだろうか? 魔法的なものだったのかもしれない。
空はすでに夕暮れ時。やがて夜が訪れるが、仮に敵が残っていても光を放つ敵の特性上、霧がなければ哨戒組も発見もしやすいはずだ。
雲の切れ間から夕焼け空が顔を覗かせた。
差し込む光が、入り口近くに倒れていた亡骸を包む。
「お友達と一緒に弔ってあげないとね」
駆け寄った挫斬の顔が、夕陽で朱色に染まる。
それはまるで返り血を消すかの様に、彼女の優しい一面を浮かび上がらせるかの様に。