●やる気のベクトル
フフフ、と不気味な笑いが重なり、不穏な空気が漂う。
「お掃除終わったら、先生にパフェ奢ってもらいたいなぁっ♪」
アルレット・デュ・ノー(
ja8805)が朗らかだ。だが、その目は笑っていない。
「やるにはやるよ? けどまあ、生徒には大変なことやらせて自分だけオイシイ思いしようだなんて。ねえ?」
「そうね。きっちりかっちり丁寧に掃除しましょうか」
高峰 彩香(
ja5000)とマリー・ベルリオーズ(
ja6276)の目が怪しく光る。
「任されたからにはきちんとやろうか」
彼女たちに向かって、鴉乃宮 歌音(
ja0427)が相槌を打つ。誰が見ても文句を付けられないくらい徹底的にやる。そうすれば、千鶴らしかぬ仕上がりに他の教師たちが『生徒に押し付けた』を理解してくれるはず。職権乱用なんてもっての他。
歌音の説明に、こくこくと首を縦に振る女子三人。その顔には、ベクトルの違ったやる気が漲らせる。
「…先輩、なんか怖いんすけど」
「…奇遇だね。ボクもだよ」
虎落 九朗(
jb0008)と宇高 大智(
ja4262)が頷き合う。
つい先程まで、
「てきとーすぎでしょー!」
ご立腹だったり、
「事故とかあっても先生の責任になるよね?」
恨み節を吐いたり、
「私、カラオケ行くけど誰か行くー?」
かしましくサボる画策をしていたのだが……。むしろ、あの時の方が平和だったかもしれない。
「ま、ボランティアだと思ってやるしかないか。やらないで逃げるよりはまだマシだろうからね」
グラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)が内容を確認するため、渡された紙に目を落とす。
「師走の最中に大掃除というイベントするのは判るんだけどね」
高虎 寧(
ja0416)は、どうやらどこも曰く付きになっていることが気になるらしい。
「うへー、どこも大変じゃねーか。っていうか、プールの掃除は夏前でいいんじゃねーのか?」
九朗はボヤきつつ、過去の依頼を思い出す。
(呼び出されたってことは…まさか、こないだのポテチの件がバレた、か…? いやいや。あれは良かれと思ってやったわけであって、決して悪意があったわけではないし…)
胸中で弁解をするが、本人に言わなければ意味がない。
「紙を眺めてても終わらないし、さっさと片付けようか」
大智が全員に呼びかけ、大掃除は開始した。
●運動場
寒い! 本気で寒い!
マフラーやニット帽を用意しなかったことを後悔しつつ、九朗は共に運動場に向かう二人に丁寧に頭を下げた。
「宇高先輩、高峰先輩。よろしくお願いしゃーっす!」
「うん。がんばろう」
大智が借りてきた草刈機を運びながら、冬でも爽やかな笑顔を返す。
やがて運動場に辿りついた三人は、想像以上の荒れっぷりに目を丸くした。雑草は伸び放題で、どこにも運動場の面影が無い。雑草の丈が1mを超えるなんてどれだけ肥沃な土地だというのか。是非とも畑に転用すべきだろう。
「こんなに荒れてるのを見ると残念だな。せめて伸び放題の草を取り除いてきれいにしよう」
大智はカメラを取り出すと、掃除前の光景を写真に収めていく。後で報告用として使うつもりらしい。
「まずは抜きやすいように刈り取るとしようかな」
そう言うや否や、彩香は風を纏い、大剣を振り回しながら目にもとまらぬ速さで数mを駆け抜けた。その背に刈り取られた草が舞う。豪快な動きに反して根元から刈られているため、雑草が引っこ抜き易くなっていた。
「そっちの方が早そうっすね」
それを見た九朗も直刀を抜くと、剣を振るって刈り込んでいく。
「お互いに当てない様に気を付けないとね」
彩香が周囲を気にしながら注意を促す。
「これで掃除をやっている姿はOKと」
掃除を押し付けられたうっぷんを晴らすかのように、剣を振るい続ける二人。大智はその姿を写真に収めると、彼もまた獲物を手に草刈りに加わった。
「そう言えば、『ツチノコ』が出たとか言う噂があったっけ?」
剣を振るいながら、彩香が噂を思い出した。―――そのとき、
ガサッ!
雑草の中から、唐突に『それ』は現れた。
「………へ?」
予想だにしない不意をついた出現に、剣を振りかぶったまま彩香の動きが止まる。
「どうしたんすか? 高峰先輩?」「高峰さん、どうした?」
「で」
「で?」
「出たーーーっ!」
彩香の思わぬ驚き声に、男二人がギョッとする。と同時に、草むらの中から大量のツチノコが飛び出てきた。
「な、なんだこりゃ!?」「お、おおお!? しゃ、写真写真!」「こ、これって天魔!? 天魔だよねっ!?」
叫び声と共にストロボが光り、炎と風を纏った大剣が閃き、無数の彗星が運動場に煌めく。辺り一帯には数多のツチノコが倒れ、戦場跡の様に殺伐とした光景が広がると、三人はぜぇぜぇと息を切らして腰をついた。
「よ、余計な体力使った…」
「よ、よし。次は雑草を引っこ抜こうか…」
騒ぎの最中に雑草がすべて刈り取られ、土も掘り起こされたことは不幸中の幸いかもしれない。その後、三人はたっぷり日暮れまでかけ、すべての雑草を取り除いた。
掃除道具を返却に向かいながら、九朗は疲労した腰をさする。ああ、くそ、腰が痛ぇ…。自分にヒールをかけると、前を歩く二人に呼びかけた。
「宇高先輩、高峰先輩もヒール、いるっすか?」
●理科室
ゴロゴロと台車を押しながら、理科室に向かうは歌音とグラルスのペア。歌音は白衣、軍手、マスク、埃よけの伊達眼鏡まで装着し、準備万端だ。
二人は目的地に着くや否や、テキパキと動き始めた。歌音が率先して指示を出す。テーブル等を雑巾で綺麗に拭き、台車を使ってそれらを廊下に並べ、グラルスが掃き掃除をすれば、歌音は薬品などを分別できるようにラベルを貼り直すと割れない様に隔離する。ところでなぜ、大掃除の時は部屋の隅や物陰から、マッチやら方位磁針やら色々と出てくるのだろうか。
「歌音さん、そろそろ器具を運び出しましょうか」
二人は科学教師を捕まえて各種器具の運ぶ場所を確認すると、台車を使って次々と運び入れていく。テンポよく運び終え、あとはモップがけをすれば終わりとなる。二人は疲れた体を伸ばしながら、最後の作業に取り掛かるために理科室へと戻った。
「『グロいマッチョ』て噂があったけど、あれって人体模型だと思うんだ」
理科室に戻ると、歌音が噂について言及し始めた。
「誰かが動かしたか、動くようなギミックがあるのだと思われる。天魔という可能性も無きにしろあらずだけど、それはないだろう」
その意見にグラルスが頷く。
「ええ。誰かの悪戯でしょうね」
二人の前には、先ほどまで影も形も無かった一体の人体模型があった。右半身マッチョ。左半身は内部構造が丸見えである。筋肉その他がビクンビクンと脈動する姿は、グロいとしか言いようがない。
人体模型はゆっくりと腕を上げると、ニカっ! と笑ってはおもむろに筋肉を誇示し始めた。そのままポージングを様々に変えている姿は……ハッキリ言ってキモグロい。
さて、と。
そんな人体模型に反応を示すことなく、歌音はパイルバンカーを腕に装着し始めた。グラルスも無言で魔法書も開く。
あ、あれ? 怖がらないの? 驚かないの?
人体模型がポージングを取ったまま冷や汗を流す。
ちょっとは反応しようよ。ねぇ、そっちの娘! リアクションプリーズ!!
「ああ、私は男なんだ」
人体模型の視線を理解したのか、中世的な容姿の歌音がにっこりと真実を告げる。その告白に、人体模型が驚愕の表情を浮かべた。
「まさか本当に出るとはね。何にせよ、このまま見過ごすわけにはいかないか」
グラルスの詠唱によって、血のような赤い斑点がついた濃緑色・半透明の無数の腕が床から伸びてくる。その不気味な腕が人体模型に絡みつくと、人体模型が恐怖に青ざめた。
追い討ちをかける様に歌音の攻撃が打ち込まれ、人体模型がバタバタと暴れ、逃げ出そうとする。
「まだ抵抗するつもりか。だったらこちらも容赦はしない、全力で叩き潰すまで!」
グラルスの起こした漆黒の風の渦が、容赦なく涙目の人体模型を呑み込んでいく。
……一方的な戦闘が終わると、歌音は周囲を見回し、清々しい表情を浮かべる。
「モップをかける前でよかったよ」
そして二人は、何事もなかったかの様に掃除を再開するのであった。
●茶室
マリーは多重人格者である。今回、表に出てきているのは『エリザ』。人格の中でおよそ掃除に向かないエリザが表に出てきているのは、本人にとっても他人格にとっても不幸以外の何物でもない。そもそも出席日数は足りているのに、エリザが遅刻早退欠席ばかりしたがため、掃除に駆り出されたのだ。
「かったるう…」
(文句言わない)
「…はい」
他人格に諫められ、エリザが観念する。
「がんばりましょう!」
渋るエリザを鼓舞し、アルレットが茶室の掃除を始める。
「日本の茶器って初めて見るけど……何か面白いねっ」
洗剤とスポンジで、埃を被った茶器を水道で一つ一つ丁寧に洗っていく。それに倣い、エリザも茶器を手に取った。
「冷たーい! お湯出ないのー?」
必死に暖房器具や給湯器を探すが、残念ながらそういった物は見当たらない。
「うう…暖房ぉ…お湯ぅ…」
エリザが涙目で茶器洗いに戻る。
「ほら、お掃除って動くからダイエットにも良いですよ!」
そんな彼女を励ましながら、アルレットは茶室を精力的に動き回っている。
次使う人が洗えば良いじゃん…掃除当番は茶道部じゃないの…? ぶーたれながらも、結局エリザも掃除を続けていく。
一段落したところで、二人は休憩を取ることにした。二人並んで茶室に座り、買ってきた温かいお茶を口にする。
「ベルリオーズ先輩もフランスでしたよね? 出身地はどこなんですか?」
永久なるガールラヴなアルレットにとって、エリザと二人きりと言う状況は実は至福な時間でもあった。同郷つながりと言うこともあり、二人はしばしの間ガールズトークに華を咲かせる。
と、エリザが異変に気付いた。
「あんなのあったっけ?」
茶室の眼前に、いつの間にか水たまりができていた。それは不自然なほどに鮮やかな水色をしている。
「あれって、ウワサの『水たまり』?」
興味を持ったアルレットが水たまりに向かっていく。
「ちょ、ちょっと。大丈夫?」
エリザが警戒の声をあげるが、もはやアルレットにその声は届いていない。
(石鹸とか油が混ざってるわけじゃないよねぇ? 悶絶してた人がいたってのも気になるなぁ。状況的には水を舐めちゃったとかしか考えられないけど……。そもそも誰なのさ、悶絶してた人って)
彼女は側に寄ると、少し舐めてみようと指先を水たまりに近づけた。
すると、突然水たまりの一部が盛り上がり、アルレットに襲い掛かる。
「天魔っ!?」
エリザが慌てて駆け寄ろうと足を踏み出した。が、アルレットの口から洩れてきたのは、
「あははははは!」
と盛大な笑い声。どうやら伸びた触手が彼女を擽りまくっているらしい。
「ちょっ! やめっ! そこ、だめぇ、あははははは!!」
気付けば、オレンジやピンク色をした水たまりが彼女の周囲に群がっている。
「ちょ、先輩っ、た、たすけっ! あは、あはははは!」
アルレットが涙を流しながら笑い続ける。その姿にエリザは何となく天を仰いだ。
……今日も世界は平和だわ。
●プール
寧は一人プールを訪れていた。
「まあ、色々恩を売ると考えて頑張ってみるかしらね」
匂いとか水気がキツイからと、彼女は体操着に防寒ジャンバー、さらには防水ポンチョで身を守り、匂い避けに口元はタオルで覆っている。これで過剰に濡れたりすることもなく、風邪もひかないだろう。
「全部終わった暁には、まったり校内で転寝したい処よね」
彼女は後で合流するメンバーのことも考え、一人で手を付けられそうなところから掃除にかかる。まずは備品倉庫の整理。片付けながら、デッキブラシを見つけ点検する。これでデッキ磨きに支障はなさそうだ。ついでに、体育教師に水の再注入不要と言うことを確認した。
二日目には他のメンバーも合流し、全員でプール掃除に取り掛かる。
「高虎先輩、お待たせしました。こっからは俺らも手伝います」
「この時期に水仕事はきついけど、気合いで終わらせよう」
九朗とグラルスが腕をまくり、大智と歌音がデッキブラシを手にする。寧が風上から水を撒くと、寧の指示でプールサイドの磨き掃除が始まった。
「さっさと片付けちゃいたいね」
力仕事を希望した彩香も加わり、ガシガシとブラシで磨く音が辺りに響く。一方では、平行して藻の掬い上げが開始した。寧が水中歩行で中心部を、残りのメンバーがプールの隅を担当する。
「うえー、なにこれー…」
エリザは藻を見ては呻く。手はしっかり動いているのだが、寒い寒いと連呼する口は止まらない。
藻を取り終えたら、水を抜いたプールの底を全員で磨いていく。
「下手に止まろうとするから転ぶ。スケートと同じだ」
そう言った歌音が豪快に滑って転んだりもする。
「暖かい飲み物の差し入れもないとか、マジ外道だよねあの教師」
「あ、俺ホットコーヒー持ってきてるっすよ。飲みますか?」
「温かいお茶もあるぞ」
不満を漏らしたエリザに、九朗と大智が魔法瓶を差し出した。
「あら、ありがとう。ついでに…身体も温めて欲しいかな」
エリザが悪戯心に大智の背後から抱きつくと、ジャージの上からでも感じる刺激に耐え切れず、大智が赤面して駆け出したりもする。
「ちょ、ちょっと走ってくる!」
ちなみに。笑いすぎて悶絶したアルレットも、ぐったりとして言葉少なではあるがプール掃除に励んでいる。名前が出てきていないからと言って、決してサボっているわけではないことを彼女の名誉のために付け加えておく。
プールの底を磨き終わると、一同の疲れた顔に笑顔が浮かぶ。一致団結した結果、生徒たちは予定よりも早く掃除を終えることができたのであった。
「みんな、お疲れ」
大智がひとりひとりを労って回る。
「〆は温かいカップラーメンね」
「お茶会にして、温まろうか」
寧と歌音の提案に皆が賛同の声を上げた。
和気あいあいと帰途につく生徒たちの姿を、何人かの教師が優しく見ていたことを彼らは知らない。
●年越す教師
―――数日後。
「はい、どうぞ」
一枚の紙が千鶴に手渡される。目の前にはにこやかな同僚教師の顔がある。
「大掃除お疲れさまでした。それ、追加の掃除場所です。資料室なんですが、生徒に見せられない資料も色々あるため、今度はお一人で頑張って下さいね。あ、文句は無しですよ。生徒に任せっぱなしで何もしなかった赤良瀬先生?」
最後の一言に千鶴が凍りつく。その背に北風が吹きつけ囁いた。
だから、マジメに働けと言ったのに。
この年、大晦日まで千鶴の姿を見かけた者はいなかったとか…。
掃除を終えた生徒たちに、良き年末良き年越しを。