●月曜、朝
「校長先生の説明の通り、今日から噂の調査をさせて頂きます」
「先生方には必要に応じて便宜を図って頂けると助かります」
朝礼の場を借り、常葉奏と黒井 明斗(
jb0525)が状況を説明すれば、途端、不安と恐怖の入り雑じった言葉が教師の間に飛び交った。
「まだ居ると決まったわけじゃないので、落ち着いて欲しい」
「悪戯に騒いで子供たちを刺激しないで欲しいんです」
浮き足立つ教師たちへ、教育実習生に扮した紫鷹(
jb0224)と亀山 淳紅(
ja2261)が冷静さを求める。それでも収まりきらない動揺は、単なる噂と思っていたモノが撃退士の存在によって急に現実味を帯びたせいだろう。
「もし天魔を見かけても絶対に手は出さないで下さい」
そのまま注意喚起に移る淳紅を余所に、教師たちの囁き声が消える事は無く。ざわめきは収まる事無く朝礼は締め括られた。
朝礼後、明斗は噂の内容を確認する為、淳紅は最近急に給食を残すようになった生徒が居ないか尋ねる為、各々教師たちに声をかけ始める。
そんな中、担任に連れられ職員室を後にするのは水無月 ヒロ(
jb5185)。転校生として潜入調査を行う彼の下へ、奏が駆け寄っていく。
「水無月さん…」
「と、常葉さん、プール以来だね」
振り返ったヒロに合わせ、スカートの裾がひらりと靡く。自身の容姿を考慮した上で『女装』という選択肢を取ったヒロの姿に、奏はぎこちない笑みを浮かべた。
「えっと…その…、か、かわいい格好だね」
※本当は、頑張ってね、と言いたかった様です。
「こ、これは止むを得ず…ボクは女の子が好きな普通の男の子だからっ!」
ぐっ、と胸の前で両拳を握れば、その仕草もまた可愛らしく。
「う、うん…。そ、それじゃまた後で」
校舎外へと立ち去る少女の背を見送りながら、早期解決を誓うヒロなのであった。
●月曜、深夜
月明かり淡い空の下、仁良井 叶伊(
ja0618)と向坂 玲治(
ja6214)の二人はグラウンド脇の体育倉庫前に居た。
「鍵、持ってんだろ?」
「はい、昼間拝借して合鍵を作って起きました」
叶伊が扉を開け、玲治がライトの灯りを倉庫の中に向ける。
既に明斗の生命探知によって生物が居ない事は確認済み。しかし噂以外に情報が無い今、虱潰しに手掛かりを調べるしか術が無い。
「何か痕跡が残っているかもしれません。慎重に調べましょう」
「それじゃあ始めるか、と言いたいとこだが…」
改めて倉庫内に灯りを走らせば、玲治の口から大きく溜息が洩れる。
「まずは片付けるところからだな」
倉庫の中には、様々な用具が雑多に押し込まれていた。
「よし、開いたぞ」
同じ頃。校舎脇では、紫鷹と明斗が兎小屋の調査を開始。生命探知と異界認識に集中する明斗の足先で、兎が鼻をひくひくと動かした。
「この中には普通の兎しかいませんね」
異界認識で検知できるレベルには制限があるが、明斗ほど熟練した撃退士の目を誤魔化せる下級天魔はそうそういない筈だ。
「おそらく虫と思いますが、小さな反応が幾つか倉庫裏にありました。僕はそちらを確認してこようと思います」
「では私は中を調べておこう」
一方、校舎内に目を向ければ、教室を巡る奏とヒロの姿が。
「ここも異常なし、と」
教室によっては金魚や亀が水槽で飼われているが、異界認識の使用回数には限りがある。その為、天魔の可能性が低い小さな生物に関しては毎夜二人がチェックすることになったのだった。
「……水無月さんは何でまだ女装してるの?」
「い、いや、着替える暇がなくって(汗」
二人の間には、微妙な距離が開いている。奏は『女の子』なヒロに戸惑っている所為であり、ヒロは夏のプール以来、妙に奏の事を意識してドギマギしている為だ。
(か、顔が見れないよぉ〜)
ヒロは時折ぎこちなく話しかけながら、奏と共に一つずつ教室や準備室を確認して回っていった。
●火曜、朝
「思ったよりも動き難いモノだな」
窓ガラスを姿見にしながら、紫鷹はパンツスーツ姿の己の身体を見回した。四肢を動かし稼動域を確認していれば、程なくして本日担当する教室の前へ到着。
昨日の調査は特に進展無く、今日も昨日に引き続いて教育実習生として調査を続ける必要がある。
「今日は5年2組か」
昨日は1年。明日は4年。出来る限り多くの生徒と接する為、日毎学年を変える手筈だ。
「眼鏡は、と」
内ポケットから眼鏡を取り出し、睨んでいると誤解されがちな表情を笑顔で崩すと、紫鷹は教室へと足を踏み入れた。
音楽室から伸びやかなアルトボイスが響く。
「それじゃあ、先生について歌って下さい」
大阪訛りの言葉で呼び掛ければ、淳紅の歌声に導かれて生徒たちが斉唱。最初は感情見えにくい淳紅に距離置きかけた生徒たちも、その歌声を聞いた後は真面目に授業を受けていた。
「先生は何歳まで大阪にしたの?」
授業を終えれば、興味津々で淳紅に群がる生徒たち。雑談に興じながら、淳紅は離れたところでヒソヒソと話す子供たちに目をつけた。
…カチリ。
裏門の解錠音を確認すると、叶伊は『侵入』スキルを利用して素早く学校の敷地内へ。塀沿いの植木の陰へ身を隠すと、一度校舎へと目を向けた。
「誰にも発見されずに済んだようですね」
人影のない校内をもう一度見渡し、動き始める叶伊。2mを超える身体はどの様な手段で校内へ侵入しても目立ってしまう為、彼は姿を発見されぬ事に細心の注意を払い調査に臨んでいる。
「先ずは職員用倉庫を回ってみましょうか」
現段階では噂を裏付けるモノは何も掴めていない。だが、彼の中には相当事態が進行していると言う感触がある。胸に淀む懸念をなぞるように、彼は調査に没頭していく。
その頃。校舎を挟んだ反対側では、明斗が体育館と塀の間に身を潜めていた。
叶伊と違って、小学生らしい服装(サスペンダー&半ズボン)に身を包むも、さすがに授業中に校内をうろつくのは不自然すぎると、人気の無いところを選んで調査を進めている。
「しかし天魔を飼う…ですか」
それが事実なら、何が切っ掛けで被害に転じるとも限らない。ましてや本当は飼われているのではなく、意図的に潜伏しているのだとしたら?
「只の噂で終わって欲しいですね…」
下小窓から中を覗き込めば、明斗の視界に体育館の中を調査する玲治の姿が映った。作業着を着込み業者に扮している為、ある程度は人目を気にせず動き回れるのだろう。
「上も見てみるか」
玲治はキャットウォークへと飛び移り、カーテンの裏を覗き込み調べてゆく。
―――と、
にゃ〜。
不意に一匹の黒猫が、玲治の足元を通り過ぎた。
「大丈夫です。普通の猫でした」
異界認識を行った明斗の声を背に、玲治が頭を掻いて体育館を見渡す。
「夜にもう少し詳しく調査しておくか」
二人はその場から離れると、各々不審がられないように注意しながら別所の調査に向かって行った。
●火曜、深夜
ほとんどのメンバーが体育館で一斉調査を行っている中、ヒロは奏を連れだって校舎を見回っていた。
「水無月さんは本当にいると思う?」
「うーん…どうかなぁ」
二つの灯りが揺らめく中、静寂に支配された校舎に足音だけが響き渡る。
「噂が本当かどうか分からないけど、今大切なのは物事に対してボクたちが何をするかってことじゃないかな」
想いを紡ぎながらも、視線はドギマギと落ち着きなく。泳ぐ視線が、意図せずあるモノを拾い上げた。
「火の玉?」
三階廊下の突き当たり。月明かり届かぬ暗がりに、小さな火の玉が二つ浮かんでいる。しかし、ふわふわと漂う様な事は無く、ゆらゆらと輝いては宙の一点で静止し続けている。
『体育館は異常なさそうだ。そっちはどうだ?』
無線から玲治の声が届く。と同時に、火の玉から声が発せられた。
「やっぱり来ちまったかい。これは諦めなきゃダメかねぇ」
ここで漸く火の玉が瞳であること、そして闇に人影が沈んでいることに、二人は気付いた。
「誰なの!?」
「常葉さん、下がって!」
奏が問い掛け、ヒロは奏を守る為に前へと進み出る。しかし影は何をするでもなく、闇に溶け込むように姿を消してしまう。
「あれっ? いない!?」
「下だよ!透過したんだ!」
ヒロはすぐさま阻霊符を発動し、他メンバーへ無線を飛ばす。その報を受け、体育館に居たメンバーは屋外へと散開。時同じくして屋上で一人見張りをしていた淳紅は、ナイトスコープで眼下の暗闇を見下ろした。
「あれやな」
数秒後。裏門の側に人影を見つけるや否や、淳紅は瞬間移動を発動。その行く手に、単身躍り出る。
「おやおや、びっくりさせないでおくれ」
月明かりに照らされ、陰っていた顔に紅い瞳以外の色が灯れば、美しい黒髪の老婆が姿を現した。
と、その姿に淳紅の中で何かが引っ掛かり、
「……婆ちゃん、俺らどっかで……」
ほんの一瞬、無意識に逸れてしまった意識。その刹那の間に、周囲には深い黒霧が立ち込めていた。
「くっ!」
即座にその場から後退して霧から離脱。辺りを見回すも、老婆の姿は既に夜闇に見えず。
「逃げられてもうたか…」
微かに疼いた記憶を振り払いながら、淳紅は仲間たちに顛末を報告するのだった。
●木曜、昼
調査を開始してから早四日。その後、調査に進展はなく、老婆についても噂についても、撃退士たちはほとんど情報を掴めないでいた。
兎小屋、体育倉庫、職員用倉庫、校内、屋上。体育館は二日に分けて。いずれもこれといった手掛かり無く、目星をつけた生徒たちも悉く空振りに終わっている。
そんな中、3年1組の教室では、今日も紫鷹が授業を通して生徒たちの調査を続けていた。
「――これが食物連鎖、と言うものだ。もしペットを飼っていたら、何を食べているのか? 何を食べるのか? 一度よく観察してみるといい」
不自然にならぬよう気をつけながら、紫鷹は生徒たちの身近な生き物に話題を移していく。
そしてこの日。紫鷹の下へ一つの切っ掛けが舞い込んだ。
「…ずっと何も食べない子、いるの…」
紫鷹に当てられ、重い口を開いたのは昴と言う少年だった。
「ふむ。どんなペットなんだ? 食べなくなる前は、どんなご飯をあげていた?」
優しく質問を重ねながら、昴の挙動に目を配る。
「小鳥…なんだけど、何を食べてたのかはよく…わかんない……拾ったんだ」
「鳥、か。幾つか心当たりはあるが…できれば鳥の種類を知りたい。写真か何かないか?」
昴は無言で首を振り、俯きながら席に座ってしまう。紫鷹はこれ以上踏み込むのはまだ早いと判断。名前と顔を脳裏に刻み込むと、何事もなかったかのように授業を続けた。
「ねえねえ、先生って撃退士だよね?」
この日、最後の音楽の授業を終えた後、淳紅が女生徒の一人に問い掛けられた。
「いや、自分は…」
一瞬答えに詰まれば、その隙を縫って生徒たちが次々と囀る。
「だって、目赤いもんね」「カラフルな目って撃退士の証なんだぜ」「はいはーい、それ知ってるー」
盛り上がる生徒たちを前に、淳紅は逡巡。
「撃退士を引退して、教師に転職したんです」
咄嗟に誤魔化してみたものの、生徒たちがそれを素直に受け取ったという雰囲気はあまりない。淳紅は生徒たちに別れを告げると、すぐさまスマホで仲間たちに連絡を取り始めた。
「時間がないですね」
報告を受け、叶伊が時計に目を移す。既に放課後とは言え、自分たちの存在は遅かれ早かれ広まる事だろう。それによって、天魔を飼っている子供や天魔がどう動くかわからない以上、事は急を要する。
「ちょうど気になる子を見つけたところだ。おそらく今までで一番可能性が高い」
紫鷹が昴の存在を報告をすると、明斗が別の情報を。
「給食時間や休み時間に生徒たちに紛れて情報を拾ってたんですが、天魔の存在が危険か否かでいさかいを起こした女の子がいたようです」
それが凛と言う名の少女で、先の昴少年と幼馴染みということも判明している。
撃退士たちは昴と凜を最有力候補と定めると、二人の姿を探して校内外を散り散りになった。
●木曜、宵の口
(子供のころは誰だって『特別』にあこがれるもんだ)
呟きと共に玲治は光纏。無骨な塊の前で、静かに魔具を構える。
「その良し悪しまでは分からなくったってな」
予想通り、淳紅のシンパシーによって昴と凜の記憶から天魔と所在得る事が出来た。二人にはヒロと奏が付き添っており、今頃家まで送り届けられた事だろう。
「まさかこんなところにいるとはな」
紫鷹がライトを向ければ、光の中に焼却炉が浮かび上がる。火事を避ける為か、倉庫や他の施設から離れた位置にあり、生命探知などの有効範囲から微かに外れていたらしい。
「確かに生命反応があります」
改めて明斗が存在の最終確認を行えば、玲治が焼却炉の扉に手をかける。既に阻霊符も発動済みだ。
「準備は良いか?」
全員の頷きを待って、扉を開放。途端、鳴き声をあげながら、雀ほどの小さな火の鳥が夜闇に飛翔した。
「逃さんで」
即座に淳紅が頭上に向けてマジックスクリューを放てば、火の鳥はこれを紙一重で回避。
間髪入れず、茂みから放たれた矢が一閃。気配を断っていた叶伊によるその一撃は翼を掠め、校外へと飛び立とうとした火の鳥の動きを牽制する。
そこへ明斗が星の輝きを発動。アウルで紡いだ鎖で絡め取ると、火で出来た躯を地上に引きずり落とした。
「お前が人を傷つけてからじゃ遅いんでな…」
もがく火の鳥に向けて、玲治は光輝く掌打を打ち下ろし。火の鳥は一撃の下に絶命すると、小さな骸を大地に横たえた。
●金曜、朝
「今日は皆さんに話しておくことがあります」
全校生徒を前に、壇上で淳紅が声を張る。
「生き物を飼う。その行為事態はとても優しいものだと思います。人として素晴らしいものです。ですが――」
どういう形であれ、天魔は危険な存在であることを、感情ではなく意思を乗せて訴えかける。
「例えばそう。みんなの親や友達、そして君達自身にも危害を加えてしまう危険があるんです」
「そんなの…知ってたもん…」
凜は俯き、ポロポロと涙を零す。対して昴は、涙を堪えながらヒロが残した言葉を思い出していた。
●木曜、夕暮れ
「ころしちゃうの!?」
状況を知った凜が悲鳴にも似た声をあげれば、ヒロはそれに優しい微笑みで答えた。
「違うよ。ボクたちは捕まえに来たんだよ」
無論そんな事実はない。おそらく今頃火の鳥は討伐されている筈だ。だが、大切な者を亡くす衝撃を敢えて二人の小さな心と体に負わせたくはない。
だから、嘘を語る。
「天魔って言うのはね。こことは違う別の世界から来るんだ」
それは誰も傷つけないから。傷つかせたくないから。
「ボクたちはそこに鳥を返す為、捕まえに来たんだよ」
ヒロの言葉に、昴はくしゃくしゃの顔で尋ね直した。
「……助けてくれるの?」
「うん、ボクたちに任せてね!」
力強く、優しい嘘は秋風にさらわれ。二羽の鳥が、中睦まじく空を翔けていった。