●偶然
「悲鳴!?」
撃退士たちが叫声を耳にしたのは、只の偶然だった。千朱の自宅に向かう途中で、偶々陸橋を通りかかったに過ぎない。
だが、非日常的な出来事への経験には事欠かない者たちだ。反応は早い。
「高速の上に誰かいるようですわ」
即座にナイトビジョンを装着したMaha Kali Ma(
jb6317)が、薄暗い高速の上に立ち竦む少女の姿を捕捉。その声に釣られ、欄干に飛び乗った紫鷹(
jb0224)が眼鏡越しに目を細めた。
「何故あんな所に人が……!」
少女はその場から微動だにせず、一方で見通しの良い直線にも拘らず、車が千朱に気付いた様子もない。むしろスピードを上げて接近している
「早く助けなきゃなの!」
異常な事態を察し、真っ先に神埼 律(
ja8118)が動く。スキル発動の時間すら惜しまなければ、きっと間に合わない。
律は欄干を飛び越え、躊躇無く車行き交う高速道へと身を踊らせる。アスファルトの上を転がり、着地の衝撃を分散。けれど勢いを完全に殺す事なく、ダッシュへと繋げる。
「絶対に助けるの!」
一息で中央分離帯の防護壁を飛び越えれば、車は千朱の眼前へと差し迫っていた。
●救いの手
眩いヘッドライトの中で、千朱の脳裏に様々な記憶が走馬灯の如く駆け抜ける。
家族、友人、喜び、悲しみ。幾つもの記憶の果てに浮かんだのは、亡き兄の最期。
兄は死んだ。おそらくは痛みを感じる暇も無く。けれど、絶望と恐怖に染めた顔は、一瞬を永遠に感じていた事だろう。
そう、今の私の様に。
(私も死ぬの?)
否定を求めた問いに、千朱に絡みつく異形の存在が、にやり、と笑う。
再びこみ上げる恐怖を、絶叫が追いかけた。
「嫌…イヤよ、いやぁぁぁ!!」
―――と。
ヒュッ、ヒュッ。
視界の片隅で何かが閃き、傍らを風切り音が通り過ぎた。
途端、硬直していた四肢が重力を取り戻し、糸が切れたように崩れ落ちかける千朱の身体。それは律のワイヤーが、千朱を天魔から開放した事を示していた。
キキキィィィーー!!
「今なの! 車線から早くお願いなの!」
聞こえた声が誰なのかと思う間もなく、甲高いブレーキ音の中で身体が宙に泳ぐ。腕を掴まれた感触に目を向ければ、西洋人形の様な男ー江戸川 騎士(
jb5439)ーが防護壁から飛び出て来たところだった。
「まあ、判りやすく天魔に好かれちまって」
闇の翼を発動できていれば、このまま千朱を抱えて空に逃避もできただろう。しかし、スキルを二つも発動する猶予は無い。
故に。
「仕方ねえ」
と、車との衝突寸前、ギリギリのタイミングで、自らと千朱の身体を入れ替える。
「ひぃっ!?」
中央分離帯に投げ出された千朱の眼前で、騎士とスピンした車が重なった。
あの時と、兄の時と同じ様な光景。それは千朱の精神を壊すには十分で。けれど、寸でのところで崩壊は免れる。
なぜなら、
「間一髪じゃねーの」
透過能力で衝突を免れた騎士が、飄々と佇んでいたが為に。
『い、今の音!?』
「あ、うん。大丈夫だよ」
電話越しの慌てた声に、キイ・ローランド(
jb5908)が落ち着いた声色で答える。
幸い、スピンした車は衝突も横転もせずに路上のど真ん中で停止していた。
陸橋の上より上下線へと発炎筒を放り投げながら、キイは警察との電話を続ける。
「天魔が現れたんだ。だから通行止めの手配をお願いできるかな」
彼方に目を向ければ、早くも後続の車がこちらへと向かって来ている。迅速に事態を収拾させなければ、二次災害が起きるのは目に見えていた。
「先に起きた事故と似ているな…」
夜空を翔けながら、谷崎結唯(
jb5786)が現況と事前情報を照らし合わせる。
話を聞いた限り、天魔絡みの可能性が高いと思ってはいたが…、なるほど。恐らく同一の天魔の仕業だろう。
「まだ安堵はできませんね」
結唯と並び飛行するMaが、伊達眼鏡越しに一連の事故の『犯人』たちを見据える。
後に知ることになるその名は『怖喰い』。人の恐怖を好み、その様な状況下へ人を恣意的に導く、半ガス状のディアボロだ。
その動きはゆらゆらと緩慢ながらも、狙いが千朱に向いたままである事が一目でわかる。
「Maさん、肩を借りるぞ!」
Maに抱えられていた紫鷹が、Maを足場にして路側帯へと飛び降りる。
くるくるっ、すたっ!
「お前たちの相手はこの紫鷹だ! 覚悟しろ!」(ビシィ!
赤面するニンジャヒーローの登場に、千朱の目は白黒と。目まぐるしく変化する状況は、完全に彼女の理解を置き去りにしていた。
「もう怖がる必要はないぜ」
戸惑う千朱を安心させるべく、力強い声で地領院 恋(
ja8071)が呼びかける。
そして、星の輝きを発動。
恐怖で埋め尽くされていたはずの闇夜が、希望の輝きで塗り潰された。
●黒の脅威
闇から浮かび上がった『怖喰い』の姿は、黒い鎌を携えた死神に見えた。
……ココロォォ……クワセェロォォ……。
「見つめるなら、私にしたらどうだ?」
千朱に執着する悪魔の視線を遮り、紫鷹が影手裏剣を発動。無数の黒き刃が、雨あられの様に降り注ぐ。
その行為に怒りを向けたのか。はたまたニンジャヒーローの姿に惹かれるものがあったのか。二体の矛先が、紫鷹へと切り替わった。
…殺呪殺死痛呪呪殺痛死苦…。
言葉とは形容し難い、呪詞の詠唱。それは脳内で反響し、意識を強制的に身体から引き剥がしにかかる。
「くっ…!?」
抗いきれず、四肢を束縛される紫鷹。
他方、騎士は空中へ離脱すべく、闇の翼を発動。
「暴れんじゃねえぞ」
千朱を担ぎ上げ、空へと飛翔を試みる。
と同時に、防護壁をすり抜けたMaの不意打ちの一撃。騎士の飛翔に合わせた絶妙のタイミングは、共に戦線を渡り歩いてきた二人ならではの阿吽の呼吸だ。
襲いかかる散弾が、異形の躯へ吸い込まれて行けば、
「悪いがその女に用があるんでな。返してもらうぞ」
結唯も支援射撃に加勢し、闇を裂く弾丸で『怖喰い』の面を穿った。
―――だが。
敵の攻撃に転じる動きは、緩慢な移動力とは比べ物にならないほど早かった。
騎士の飛翔よりも、二人の援護射撃よりも一瞬早く。騎士の背を鎌刃が捉え、傷口より噴き出した黒いガスが、騎士の身を包み込む。
…憎恨憤怨妬怒恨憤妬怨憎…。
身の毛もよだつ怨念に、蝕まれる心。
「ふざけんなっ!」
乱される集中力を立て直そうと気を吐くも、意思に反して闇の翼が掻き消えた。
スキルキャンセル。
思いも寄らぬ事態に、さすがの騎士も次の行動への決断が遅れる。その隙を逃さず、新たな鎌刃が追撃をかけた。
「厄介な能力を持ってるじゃねえか!」
離脱失敗の事態を前に、恋が即座にアウルを練り上げる。その最中、千朱の怯えた顔が目に映った。当然だろう。騎士が庇ってくれているとは言え、彼女もまた天魔に攻撃されているようなものなのだ。
心配しなくていい。アタシ達が、
「絶対に! 守り切ってやるんだからよッ!」
荒々しくも想いを乗せた咆哮が、紫電のアウルとなって四方八方へと吹き荒れる。
…アロロロ…。
数瞬後、スキルを封じられた『怖喰い』たちの動きが目に見えて戸惑いと困惑を帯びていた。しかし、恋が発動した<無ノ咆哮>の効果はそれだけに留まらない。
「うおっ!」
「くっ!?」
驚愕の表情を浮かべる騎士と紫鷹。二人にも封印の効果が発動したのだ。
「んなッ!?」
再びの予期せぬ事態に、恋にも浮かんだ焦りの色。見れば、二人の身体に無数の影が絡み付いていたる。影自体の存在が薄すぎて、今まで認識することはなかったが、おそらくは先ほどの交戦中に付与されたと見られる。
そこまで把握し、恋はふと気付く。
スキルを発動する瞬間、二人を認識できていただろうか? 存在を感じ取れていただろうか?
つまり、あの影の能力は…、
「識別を阻害する能力かよッ!?」
●挺身
「あれは…?」
ここまで発炎筒や通行止めの要請などで、陰ながら二次災害の阻止に尽力していたキイの動きが、傍と止まった。
<星の輝き>や発炎筒などの灯りがあるにも関わらず、減速もせずにこちらへ向かってくる車が一台。
僅かに蛇行しながら走る様は、居眠り運転と思われた。
「皆、車が来るよ! 気をつけて!」
警告を飛ばしながら、キイは車の方へと足を向ける。
車の進行方向、つまりここには、束縛状態にある紫鷹と、千朱を抱えた騎士がいた。撃退士なれば耐えきることもできようが、一般人はひとたまりもない。
全力で駆けながら全身に漲らせるアウル。盾を掲げた腕に力を込めるれば、
ドンッ!
鈍い衝突音が響いた。
衝突した体勢のまま、車とキイが路上を滑ってゆく。力を受け流し、少しずつ勢いを殺す為だ。
「このぉっ!」
脚にアウルを込め、大地を踏みしめること数秒。土塁を車止め代わりに利用して、キイは車を安全に停止させることに成功した。
「これ以上、事件を起こされては面倒なんでな」
封印効果が解けるまでの時を援護すべく、結唯が引き金を。
しかし『怖喰い』はゆらゆらと揺らいでは、弾丸をあっさりと躱してのける。鈍い機動力とは裏腹に、その敏捷性は思いの外に高かった。
幸いにして、攻撃力はそれほど高くない。撃退士たちは千朱の身を守り案じながら、その時が来るのを待ち続ける。
「チョロチョロしてんじゃねぇッ!!」
今、恋が錬成したの種子を敵の一体に投げつけた。足許に落ちるや否や、芽吹いた蔓が一気に成長。『怖喰い』を絡め取っては動きを束縛する。
ここで封印の効果が消失。すかさず闇の翼を広げ直した騎士に合わせて、Maから再びの援護射撃が飛んだ。
「今度こそ、邪魔はさせませんわ」
友人の銃声に見送られながら、漸く千朱の身が空へと離脱した。
●殲滅
「よし! 後は殲滅するだけだな」
束縛と封印から脱した紫鷹が、忍刀を構えなおす。
範囲攻撃は使えない。こちらの封印が解けたということは、敵の『存在を薄くして識別も阻害する』能力もまた、発動している可能性があるからだ。
ならば、と。紫鷹は迸るアウルを脚に靡かせ、路上を疾駆。
それに合わせ、広げた腕を引き絞りながら律が土塁を一気に駆け下りた。
「トドメなのっ」
「終わりだ!」
二つの迅雷が交錯し、無数の煌きと一条の剣閃が『怖喰い』を捉える。
バラバラと、異形の躯が形を保てずに崩れ落ちた。
「灯りは多い方が良いですものね♪」
サーチライトを手にしながら、Maは炎槍を撃ち放つ。天魔相手では炎は数秒で消えてしまうが、短時間でも燃えれば目立つし、目印にはなろう。
ましてや、相手は冥魔に属するもの。天の属性を帯びるMaの炎は、予想以上に大きく燃え上がった。
……グェェ……。
苦しみ悶える様子を冷淡に一瞥しながら、結唯が銃口を向ける。
自らもはぐれとは言え、人間からすれば目の前の悪魔と変わりはないかもしれない。
だが…、否、だからこそ。
「…滅ぼしてやる、何もかも」
結唯の意志を乗せた弾丸が、異形の命を穿ち、貫いた。
明らかに傾いた形勢を理解する知性はあるのだろう。最後の一体が突如転進すると、高速脇の土塁へと近づいていった。
透過能力で身を隠そうとしたのだろうが、しかし何故か敵は土塁の前でまごついている。
「逃がすわけねえだろ?」
千朱を陸橋に避難させた騎士が、阻霊符を片手に不敵に笑う。
「おいィ? てめえは何、背中向けてんだァ!?」
逃げ場を無くしてまごつく『怖喰い』を前に、獣の如く眼をギラつかせた恋が斧槍【戦神】を荒々しく振り上げた。バチバチと放たれる紫電が、大気を奮わせる。
「うおらァッ!!」
ここで事故を起こした運転手を避難させていたキイが、ようやく戦線に到達。
「出遅れた分、思いっきりいかせてもらうよ」
突進する勢いに堅牢な白銀の力を乗せ、よろめく背中に強烈な一撃を浴びせる。
ドカン、と大きな激突音が、土塁とキイの間で鳴り響いた。
「あらら、あっけないね」
拍子抜けしたキイの声の足元では、無残なほどに押し潰された骸が転がっていた。
●生きる術
敵を殲滅して数分後。
陸橋の上に、スキルで千朱の心身を癒すキイと恋の姿があった。
「救急車が来るまでは安静にしておいた方がいいよ」
骨折している腕に添え木を当て、キイは手際よく応急処置を施す。何せこの高さから落ちたのだ。精密検査は必要だろう。
「少しは落ち着いたか?」
先ほどまでの荒々しい姿はどこへやら。恋の無愛想ながらも優しさを滲ませた口調で語りかける。そのギャップを前に、千朱は張り詰めていた緊張感が緩んでいくのを感じた。
他方、高速では、残る撃退士たちが事後処理に追われていた。
「ええとこういう時は…管理センター? ううん、違うの、私個人の発言力よりは…」
報告を兼ねた学園への電話の中で、律が早急な復旧作業への働き掛けを願い出る。
幸いにして事故、負傷者は共に軽微で済んだ。発炎筒や様々な形で明かりを灯した事で、遠方からでも異常を察知できた為だろう。
やがて事後処理が一段落した頃、紫鷹は救急車に乗り込む千朱に声をかけた。
「疲れているところすまないが、先程の敵について話を聞きたいんだが」
彼女の話次第では、まだ他にも同様の天魔がいる可能性が浮上する。心は痛むが、目撃者と被害者、両方の経験をした彼女の言葉は貴重な情報であった。
「……話せるか?」
「ごめ、んなさい…」
俯く千朱の身体が震えている。恋のマインドケアによって落ち着きを取り戻したとは言え、思い出すには辛い出来事が短期間で起き過ぎた。
「遅くなってすまなかった」
軽く抱きしめ、紫鷹は千朱の背中を優しく撫でる。
おそらく彼女は、この先一連の事件と向き合わなければならない。それは一生消えることはない傷痕ともなり得る。
「トラウマ、か」
その声に振り返れば、千朱を見つめる結唯が居た。近すぎず、遠すぎず。心に触れようとも、突き放そうとも捉えられる距離で、結唯が言葉を紡ぐ。
「忘れなければいい」
傷を胸に抱えたまま生きることは辛い。忘れようとすることは新たな苦しみを生む。ならばいっそのこと…。
「お前を、お前達をこんな目に合わせたのは私の仲間だ。だから」
―――悪魔を、私を恨め。
その声に、表情に、色は無い。
「谷崎さ…」
紫鷹の言葉を視線で制し、結唯はもう一度だけ告げる。
「お前は生き続ける義務がある。その為の術がないというなら、私を憎め」
これは優しさか。それとも…。
千朱はただじっと、命の恩人である悪魔の言葉に耳を傾ける。
「いつか私を殺しに来るといい。ただし、簡単に殺されてやるつもりはないからそのつもりでいろ」
そういい残し、結唯は静かに夜の闇へと消えていった。
「生きる義務…」
見上げた夜空に、半月が浮かんでいる。あの時と同じように、今日も世界を優しく包んでいるのだろうか?
その問いに答える者は無く。
千朱の瞳から、この日初めて、涙が零れた。