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畑、山林、畦道。
長閑な集落に広がる静寂は、すべてが緊張感に満ちていた。
「…婆さん」
思わず漏れた呟きが、外にまで響いた気がして慌てて息を呑む。
震える身体を丸め、抱き締めるは姿は小さく、無力で。
逃げ遅れた住民たちは『その時』が過ぎ去るのを、ただじっと待っていた。
「フェッチーノを何とか止めたというのに、まだ東北は落ち着かないのです」
オブリオ・M・ファンタズマ(
jb7188)の顔が曇っているのは、集落に迫る脅威だけが理由ではないだろう。
秋田広域に亘る鳥海山の侵攻。天使、使徒たちによる数多の襲撃。
彼女と陰鬱な天使との間にある因縁も、その中の一つだ。
端から見て、天界の動きはバラバラの様でもあり、一つ意志の下に動いている様でもあり。今一つ実態が掴めない。
「何だかとてもややこしいのです」
集落に接近する二匹の天魔についても同じだ。挟撃とも取れる動向は、果たして計画的なものか。はたまた偶然によるものか。
「気になる点は多いが後だ」
天宮 佳槻(
jb1989)は推察を止め、依頼書を捲る。
そこにあるのは片手では数え切れない、逃げ遅れた住民たちの名簿。
「集落に近づく前に倒し、安全地帯を広げた方がマシか」
人手を割き、集落から避難させる案も思い浮かんだ。しかし、避難中に襲撃される可能性も捨てきれない。
ならば闇雲に避難させるよりも、集落から離れた位置で危険を排除する方がリスクは低い。
「魔獣型を倒したら、即座にそちらへ加勢に向かいます」
天魔撃退を優先。ヴェス・ペーラ(
jb2743)が、その方針をスマホ越しに撃退署の部隊へと伝える。
優先順位は撃退署も同じだった様だ。
だが、人手不足の撃退署が派遣できたのは僅か五人。編成は悪くないが、新人が混ざっているらしく多少の不安は残る。
とは言え、戦えると判断したからこそ依頼に臨むはずだ。今は信じるしかない。
「こちらの地方の天魔も大分相手してるけど、又知らないタイプですか…」
「移動速度も速いでしょうね。突破されないことが第一です」
一方、天羽 伊都(
jb2199)と結城 馨(
ja0037)は、自分たちが相対する天魔の情報を洗い直していた。
翼がある魔獣型。飛行能力は確実にあるだろう。躯に浮かぶという紋様も気にかかるところだ。
「天魔の紋様は何回も見ていますが…隠す気無いのかしら?」
首を傾げる馨が思い浮かべたのは、顔に十字型の青い戦化粧を施した十字巨人。
「まあ何と言うか、元は大体人間使ってる割にはこうも色々派生するとは、生き物の神秘ってヤツですね」
伊都の指が銀色のコインを弾き、くるくると宙を舞う。
それが手に収まったとき、伊都の姿は黒獅子の騎士へと変わっていた。
「元凶となる天使や悪魔を減らせないのは残念ですが、脅威は除かせて貰います!」
準備を終えたところで、真っ先に行動を開始したのは月臣 朔羅(
ja0820)。
「先行して抑えてくるわね。大丈夫、無理はしないわ」
ひゅっ。
仲間の返答を待つことなく、風と化す。
一秒でも早く敵を見つけ、一歩でも遠く敵を足止めする為。全力疾走する背中が見る間に遠ざかってゆく。
遅れを取るまいとヴェスとオブリオが翼を広げ、佳槻は韋駄天を発動。地上を行く仲間たちにも風神の力が分け与えられる。
だがそれでも、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)とアレクシア・エンフィールド(
ja3291)の動きはどこかぎこちない。
「我ながら無様なものだな…」
「怪我を抱えたままの身では、足手纏いにしかなりませんが……」
二人とも先日の大規模作戦に於いて深手を負った身だ。本調子とは程遠い。
それでもフィオナの顔にはいつもと変わらぬ自信に満ちた笑み。
「とは言え、すべき事はせねば…。妹の手前、無様を晒し続けるわけにもいかぬ」
対して、アレクシアの表情は固い。癒えぬ痛みに耐えているせいだろう。それでも『強くなりたい』と誓った瞳は光を湛えたままだ。
「出来る事はありますし、その限りは尽くさせて頂きたいと思っています」
実の姉妹同然の幼馴染たちが視線で語り合う。
行くぞ、シア!
急ぎましょう、姉さん。
二人は傷ついた身体を押して、仲間の後を追いかけて行く―――。
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「見つけたわよ」
程無くして、朔羅の目が空翔ぶ魔獣の姿を捉えた。
先行した彼女に肩を並べる仲間はまだいない。
朔羅は即座にスナイパーライフルXG1を構え、間合いに入るや否や引き金を引き絞る。
着弾、そして舞い上がる無数の胡蝶。
機先は制した。今は足止めが出来ればそれでいい。
そう思った矢先、胡蝶を振り払った魔獣が朔羅めがけて突進。予想を越える移動力で見る間に距離を詰めると、鋭い爪を振り上げた。
だが朔羅はこれに慌てず、身を捻り。敵の側面へと回り込むと、換装したバスタードポップで側頭部へ銃口を定める。
近距離からの射撃。けれど当たらない。
一瞬にして視界の外へと身を移した魔獣は、獰猛な咆哮を響き渡らせた。
―――数ターン後。
朔羅は牽制攻撃をしながら後退していた。
その後を、銃弾をかいくぐりながら魔獣が追いかける。
魔獣の動きは疾い。肉薄、そして後退。一撃離脱の動きは、正に稲妻の如く。その度に魔獣の爪撃が朔羅の身を掠める。
その光景を前にして、追いついた仲間たちは一斉に援護に向かう。
「チョコマカと動かせるつもりはありません、繋ぎ止めます」
魔獣が朔羅に気を取られている隙に、オブリオは頭上から急接近。殺気を帯びた白の視線、白眼幻想で魔獣を射抜く。
しかし籠めた殺気が足りなかったのか。魔獣の動きは止まらない。
ならばと、PDWの銃口を向けた伊都。
「数が揃ってる時は落ち着いて、まず足を止めさせたい所……」
特定部位を狙うのではなく、回避と動きを制限させる為の平面撃ち。
魔獣が煩わしそうに身を捻る。
その背後へと回り込む、一つの影。
練り込んだアウルを弾丸に込めながら、ヴェスがズラトロクH49の照準を魔獣の背へ向けた。
「これでもう逃げられません」
胴体に着弾した一撃はマーキング効果によって、その位置を露にする。
続けて佳槻が八卦石縛風を発動。澱んだ氣が、いずこからともなく不吉なる砂塵を呼び寄せる。
ピキピキと音を立て、砂塵に巻かれながら石化してゆく魔獣の躯。
しかし、次の瞬間には砂塵が周囲へと吹き飛ばされていた。音も無く砕け散った石化の侵食は、表皮のみに留まっただけの様だ。
「何か見えましたね…やはり紋様ですか」
呟き、馨がライトニングを発動。
空を裂いた雷が敵を捉えるのとほぼ同時に、魔獣の躯に浮かぶ紋様が翡翠の光を帯びる。
バシィッ!
そして命中したはずの雷は、弾かれてあらぬ方向へ。
「魔法攻撃を反射ですか…厄介ですね」
すぐさま仲間たちへと警告を飛ばすものの、魔法攻撃を主とする馨が最も相性が悪い。
反射された攻撃に仲間が巻き込まれなかったのは、幸いと言えるだろう。
「バックアップは任せろ。存分に叩き潰してこい」
ここで、やや遅れて戦線へ加わったフィオナが最後尾で掌を伸ばす。途端、たちまち癒やされてゆく朔羅の身体。
「さて、ここからが本番ね。一気に片付けましょ」
朔羅は味方の攻撃に合わせて双銃を乱れ撃ちながら、再び魔獣へと接近を開始した。
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ヴロォォアァ!
空を劈く咆哮は、怒りか。苛立ちか。
撃退士たちは魔獣が空中にいることを逆手に取り、立体的に取り囲んでいた。
飛行可能なヴェスは背後に回り込み、オブリオは敵の頭上を抑える。佳槻は敵を引きずり下ろす為に、やや下方から。
伊都、朔羅は地上から弾幕を張り、馨は飛行ルートを遮る牽制攻撃を放つ。
中・遠距離攻撃を主体とした陣形は魔獣の動きを封じきれない迄も、移動範囲を狭める事には成功していた。また散開している為、同時に的となる事も無い。
だが、この陣形の欠点は敵の機動力も高いにも関わらず、壁役がいない事だ。後衛すら攻撃される可能性がある。
「ここはボクの出番だよね」
伊都は敵の意識を自らに引きつけようと挑発を発動。彼の堅牢な防御力ならば、集中敵に狙われても耐えきることが可能だろう。
しかし、魔獣は伊都にほとんどダメージを与えられないと分かるや、彼を狙う事を止めてしまった。
代わりに狙われたのは、最も近い距離に身を置く佳槻。
幾度と無く血飛沫が舞う度に、フィオナがケガの具合を見定めて癒しの力を発動する。
彼女の力のお陰で大事には至っていないが、戦場ではいつ何が起こるとも限らない。
朔羅は流れを引き寄せようと月纏雷破を発動。再び動きの束縛を狙う。
「疾っ!」
手刀を振るい、青白い光輪から帯状に電子刃を射出する。
貫かれる四肢と翼。それでも尚、動きを止められるのは一瞬のこと。運が味方していると思える程に、魔獣はすぐに効果を打ち破り、反撃に打って出ている。
そんな中、魔獣へと着実にダメージを積み重ねるのは、物理攻撃に注力する佳槻とヴェスの二人。
佳槻は鎌鼬で魔獣の躯を切り裂き、ヴェスは注意を逸らすように背後から攻撃を加え続ける。
「敵はサーバントです。オブリオさん、朔羅さんは気をつけて下さい」
ヴェスはダークショットの被弾の具合から、識別した情報を報告することも忘れない。
その声に反応し、警戒の色を強めるオブリオ。
すると、まるでそれに惹かれた様に魔獣がオブリオへと向き直った。
「気をつけろ! 今までとは――」
最後尾から魔獣を観察し続けていたフィオナが、今までと異なる動きに気づく。しかし、一呼吸遅い。
戦場に烈火の咆哮が響き渡り、豪炎がオブリオを呑み込んだ。
―――それとほぼ同時に。
「ウィルム、皆を守って!」
澄んだ声が後方より届く。それに応えるように、蛇の如き竜がオブリオを青い燐光で包み込む。
遅れて戦場に加わったアレクシアと召喚獣ウィルムの防護結界。ダメージが幾分か緩和されたことで、オブリオが気絶寸前で踏み止まる。
「その程度のケガ、我に任せるがいい」
更にフィオナは祝福を受け、オブリオは再び攻撃を開始。
その様子にアレクシアが安堵の息を漏らす。だが、彼女自身の息は荒く、額からは脂汗が滲んでいた。
全力疾走した際に癒えぬ傷口が再び開いたのだ。
(……っ……正直、身体が痛くないと言う訳ではありませんが……)
しかし姉も身を押している手前、自分ばかりが泣き言を言う訳にはいかない。
「ねぇ、ウィルム。皆を……姉さんを守ってあげてね……?」
彼女の願いに、『守護』を象徴する竜は小さく嘶いた。
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手負いの獣ほど、怖いものは無い。
朱に染まりし魔獣の眼が最後尾に向けた殺気、敵意。
弱者を狙うのは獣の本能ゆえに。
弾幕に被弾しながらも、魔獣は青褪めた顔をした少女へと迫ってゆく。
「シア!」
考えるよりも早く、フィオナは反射的に妹を後ろに引き倒していた。アレクシアの瞳が揺れる金髪を見上げる。
そんな二人を見下ろしながら、魔獣は構わず黒き毒霧を湛えた大顎を開いた。
「やらせるか」
毒の息吹が吹き出される直前、佳槻のインガルフチェーンが魔獣の後脚に絡みつき、攻撃のタイミングが僅かに遅れる。
「口から範囲攻撃してきそうなイメージよね。ゲームのイメージですけれど」
その隙に魔獣の眼前に立ち塞がったのは、マジックシールドを展開した馨。
後ろに控える二人の少女を護る為、自らを盾として息吹を遮り、毒に耐え抜く。
その間にフィオナはログジエルを活性化。
「我としたことが、よもや銃に頼ろうなどとは」
尚もアレクシアを探す魔獣の視線を遮ると、狙いなど付けずに直感で銃撃を撃ち放った。
そこへ伊都が側面から接近。追撃の黒刃を叩きつけると共に、後衛たちとの間に割って入る。
「君らの業はボクが背負うよ、安心して逝くといい」
黒の獅子に恐れをなしたのか。はたまた最後の抵抗が失敗した為か。周囲に毒の息吹を吹き散らしながら身を翻す魔獣。
「逃亡を図る気です」
毒霧に隠れた敵のその動きをマーキングで察知したヴェスが仲間たちへと示唆。
「逃がすと思っているのかしら。ほんと、悪い子ね」
全力移動で追い縋った朔羅が胴体へ執拗な銃撃を仕掛け、魔獣の行動を一歩遅らせる。
それが致命的。
「―――逃がしはしない」
オブリオの内に眠る本性が視線に湛えた冷酷な殺意。本能を握り潰された魔獣は束縛され、大地に墜ちる。
間髪要れずに、佳槻の鎌鼬とヴェスのダークショットが降り注ぐ。
「程良いダメージに調味料を加わえた所で、極上の業火をお見舞いしてやろうじゃない♪」
漆黒の刃を振り下ろした伊都が、黒の衝撃波が撃ち放つ。
もはや魔獣に抗う力など残っている筈もなく。紋様は既に色を失い。
「Of this I prayeth remedy for God's sake, as it please you, and for the Queen's soul's sake」
馨の流麗な詠唱が響き、渾身の魔力を乗せた淡き青の雷光が迸った。
ォオオォォォ……
天に昇る咆哮。
それをどこか遠くに聞きながら。
(……私は、強くなりたい。姉さんともお婆ちゃんとも、違う強さを…)
アレクシアは護られた事実をかみ締めながら、姉の背を見つめていた―――。
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その後、学園生たちは撃二手に分かれ行動。
魔獣撃破により街道の安全を確保できた事から、佳槻が住民の避難誘導に向かい、これにフィオナとアレクシアも協力。
一方で、残りの者は撃退署の援護へ。
巨人型天魔に押し切られそうになっていた撃退署のメンバーは、その知らせへ受けて無理せず足止めに終始。
結果的に敵の突破を許すことなく、学園生たちの到着を待って敵の撃破に成功したのだった。
「さすが久遠ヶ原の学生だな」
煙くゆる喫煙室で、耀は改めて報告書を眺めている。
『なんとなく不安なのです。だけど、大まかな舵取りは学園や撃退署の皆さんを信じる事しか出来ないのです』
オブリオと言う少女の言葉に苦笑が浮かべながら、天宮という学生が寄せた推察に目を通す。
『タイプの違う二体が逆方向から来た事。住民が残っていた事。
それらを踏まえると、撃退士の動きを計る為だったとも考えられる。
撃退士を「利用」しようとする天魔がいても不思議はなく、撃退士の側にその協力者が居る可能性も無いとは言えない』
なかなか面白い内容だが、魔獣はサーバント、巨人はディアボロだった。この二体が協力していたとは考えにくい。
ディアボロがこの地域にまだ居るという事は、つまり北西部では冥魔の駆逐が行われているが北東部まで手が回っていない。もしくは注意を払う必要が無いという事だろう。
秋田市でゲート展開があったが、それにしては襲撃規模が小さい。そう考えると鳥海山の目的は―――。
「なんとなく奴らの狙いが見えてきたかな」
耀は煙草を灰皿に押さえつけ、スマホを取り出す。
「花燐の意見も聞いてみるか」
夏の様な日差しを見上げながら、耀は遠く北へと流れ行く雲を目で追いかけた。