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夜天を裂いて、火柱が舞い上る。
未だ氷結したままの雪の白さに映る赤粉の夢。
周囲を溶かすことはなく、此処が己が領土と示すように燃焼も止まっている。
まるで焔にて紡がれた陣の結界。
幻火の中へと、アリーセ・A・シュタイベルト(
jb8475)は手を差し伸べるが、その肌を焦がす事はない。
「熱く、ない……いえ、歌ってすらいない」
揺らめき、踊る火炎の光。本来ならば鼓膜を破るような轟音を響かせている筈だ。
「命が踊る様を炎のようとさえ、知らないのね」
口遊むアリーセの口調は言葉に反して歌うかのよう。
どのような生物、現象に至っても歌のような旋律がある。本来ならは夜の静寂にさえ。
けれど、それらが全く排除されている。
そうアリーセが感じるのは、悪魔の血を引いているだけではないだろう。
「感情を燃やして、畏怖の念をくべろと言うのでしょうか」
人の恐怖を喰らって燃え盛る炎。ああ、これが誰かを護る為にあるのならば、この美しさに見惚れ、認める事が出来ただろうに。
森浦 萌々佳(
ja0835)は緩やかな眼差しの中、焔の中へと握り締めた雪を放る。
さらりと砂の如く解け、けれど溶けずにきらきらと輝くのみ。ふとすれば乱反射に見えるかもしれない。
極楽浄土の紅蓮華、ここにあり。赤に橙、雪に映える光の金粉。
氷雪と燃焼が交じり合っている。
確かにこれは幻想と夢の塊。幻影の灯篭だ。
人の世に在り得ざるもの。
が、天威の規模で展開されているからこそ、無視など出来ない。
森浦の想いの通り。これは恐怖を煽る炎だから。
「……ねちっこいことしよってからに」
これが誰の手によるものなのか、ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)は直感で判る。
敗北の傷は心の底に残っている。遺恨は刃にて返せと、踏み込む一歩。
絶望とは何か。焔の中で見るのは何か。
「さて……?」
正体の能力も不明。が、踏み出したゼロに合わせて、矢野 胡桃(
ja2617)も後に続く。
怖れはなければ、緊張も皆無。己が右腕が先んじたのであれば、主として続くのみ。
「絶望の篝火、ねぇ?」
踏み込む前から呑まれていれば、話しにならない。
だから断じるのは矢野の知人である天宮 佳槻(
jb1989)もだ。
「……叩き消してあげるわ」
「これまた派手だな。が、虎の威を借りる狐に見えるぞ」
そう、これは無視出来ない。巨大過ぎる幻は、まるで牽制の為の布陣に天宮には見える。
「こちらに裂ける戦力が薄いと見た。それならば」
「ええ、二度は言わないわ」
雪さえ溶かせぬ焔ならば、握り潰すまで。大鎌を担いだゼロも軽く視線で頷く。
「現に、俺の肌さえ焼けておらんからな」
天火の中で軽く笑うゼロ。それに釣られるように、続く皆。
「これも奴の仕業なら……」
呟くオブリオ・M・ファンタズマ。何時もはふんわりと穏やかな彼女も、踏みしめる雪と掻き分け進む幻の火の中で決意を固める。
戦意を集め、集中するには十分に過ぎる場だ。
だから戦いの中で何を求めるのか。それが知らず、言葉として漏れる。
「打ち砕き続ければ、人を助ける事に繋がる筈なのです……だから」
雪を、枝を、投げ込みながら本物の炎で罠を用意されていないか調べる面々の中で。
オブリオもまた、足元の雪を固めて投げ込みながら、口にする。
「時間が出来れば、診療所の人々を励ましにいきたいのです……」
その為にも、早く、一刻も早く天の介入を防がなければ。
元気を、笑顔を。このような炎に喰われる訳にはいかない。
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ただの幻影と断じて進む中、天宮は翼を具現化させ上空からの偵察へと飛ぶ。
が、地も空も幻影ばかり。これでは虎の威どころか、張子の虎だ。
「幻影に力を裂き過ぎているのか?」
そう思い、けれど慎重に進む中、恙祓 篝(
jb7851)が零す怒りの熱。
「気にいらねぇ」
理由は自分でも不明。篝とて説明しろと云われても不可能だろう。
理屈ではないのだ。紅炎を手繰り、扱う身として、心と魂が嚇怒を上げている。
これは偽り。真なる炎ではない。
そんなものに包まれ、遅々として進んでいる今が。
「腹が立つんだよ」
理屈ではないのだ。こんな幻影、篝の火を一斉に爆ぜさせ、消し去りたいと思うことは。
だが、それでどうにかなる訳ではないだろう。やっと半分を進んだ所で、未だ変化はなし。ある意味、こうして警戒している事自体が術中に嵌っているのではないかと疑う程だったが、何時、何が起きるかは解らない。
「言い替えれば、敵の腹の中、ですね」
吟ずるアリーセの言葉は的を得ている。
牽制、注意を引く為の布陣と敵ならば、ここまで引き摺りこんでからの不意打ちこそが本望であろう。
「となると、そろそろなのです……」
半分を過ぎ、相手の陣の真ん中以上に踏み込んだ。
行きは良くも帰りは怖き。そんな歌を思い出し、オブリオは矢野の隣へと護衛の為に傍に立つ。
そんな様子を見た矢野も出し惜しみは此処では無意味と悟った。
「そろそろ、ね」
索敵ならば燃え盛る炎の幻影に惑わされずに奥底を見渡せる。
陣ならば中央、結界にしても中心点に術者がいるものだ。視界さえ届けばと、五感を研ぎ澄ました先に矢野が捉えたのは、炎で形作られたヒトガタだった。
「……あれが」
全員に警告を発しようとした時、ゆらりと周囲の景色が歪む。
炎が脈打ち、大地から立ち上がる気配。今まではいなかった自分達の先に、無数の炎のヒトガタが姿を現していく。
「やっとやな。さ、お仕置きの時間やで?」
死神の鎌を構えるゼロ。舌打ちと共に阿修羅の刀を鞘ば知らせる篝。
だが、前衛の主である二人の攻撃手が踏み込む寸前、体内の力が抜けていく。
「……なっ……!?」
そして、一歩遅れて気付いたのは天宮だ。
「炎気での乱れ、か。体内の力や魔力を奪う延焼だ、これは」
上空に位置しようとした天宮も受け、その言葉で全員が理解する。
これ以上近寄れば、攻防、物魔、速精、全てが精彩を欠ける。肌や肉を焼かずとも、内部の影響を与える炎なのだ。
「そして、中央は更に酷いわね」
端的にいえば雪が溶けている。
白い炎が中央のヒトガタから噴き上がり、蒸気となって立ち昇る程の熱を放っているのだ。
踏み込めばタダではすまない。その上で、今もなお膨れ上がる炎のヒトガタの数。全てを斬り捨てて届くには危険だが。
「いえ、新手のものたちに、生命の反応はありません」
生命探知で更に幻影か否かを確かめていたアリーセが静止を掛ける。
空間から湧き上り、炎が形を成していったものたち。これら全て幻影に過ぎない。
サーバントであるなら確実に引っかかる筈のものが当てはまらないのだ。となれはば、蜃気楼のようなものだろう。
「危ねぇ……幻影に斬り懸る所だった」
乱戦を覚悟しようとした篝は吐息を付き、最初の一体へとマーキングを放つ矢野。
これは当る。そして位置を矢野に感覚として知らせるアウルの弾丸。
戦いはこれより。焦らされ、待たされ、罠はないか、幻影の偽りを探していたのも終わるのだ。
痛みと熱。血と戦意。交わることこそ、炎威の真髄なれば。
「さぁ、我が有能なる右腕。我等に仇為す者にお仕置きを」
篝に命ずるものはいない。ただ、ただ、刀に纏う炎気を収束させていく。
けれど、己が為だけで立つのではない。
誰かの為に、その命だけではなく心も守りたいから森浦は黄金と白の流星として鎖を鳴らす。
「お任せあれ。我が偉大なる陛下」
これを倒せば幻影の炎も消えるのだろう。
闇と光、相反する名を持つ鎖を奔らせるアリーセ。彼女の唇から漏れる小さな歌は、皆の士気を高める戦唄。
そして、これが終わればアツアツのピッツァを焼こう。元気を取り戻して欲しくて、未来を見据えオブリオが空へと飛ぶ。
熱とは、何も簒奪の象徴ではなく。
「見かけ倒し、という事はないよな」
拳銃を構える天宮の言葉が、開戦の知らせ。
自分達は決して、ここまでの幻影ではないと知らしめるかのように。
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「さて……。逃がさないから、そのつもりで、ね」
矢野の言葉の通り。銃口より弾雨と飛び出し、逃げる空間を塞ぐ。
さながら弾丸の牢獄だ。前後左右にと避ける隙間はなく、駆け寄るゼロの鎌刃を防ぐ術はない。
「貴方へのオシオキは、私がするわけではないの。……行きなさい、ゼロ!」
そして主へと右腕たるゼロへの礼が下る。斬撃が空を、そしてサーバントを斬り裂く音こそが何よりの返答だ。
それもゼロの放ったモノはただの斬閃に非ず。自身をも闇に染め、漆黒に染まった一撃を俊速で繰り出して、秘めた闇を弾けさせる。
鎌の一閃が炎のヒトガタを斬り裂いた瞬間に無数の闇刃となって四方に走る斬刃の嵐。
だが、容赦のなさはヒトガタとてだ。握り締めた拳を振り抜いた途端、轟き奔る地走りの火。
ゼロは気質を冥魔のモノへと戻している。故にこの一撃とて軽くはない。
文字通り闇を払う炎撃に襲われるゼロの身を包んだのは、森浦の庇護の翼だ。
「だからこそ、させません……っ…」
攻撃の要である以上に、誰かが倒れる事を是と出来ない。身を焼く炎の熱に耐えながら、返しと放たれる純白の光の衝撃波。
雪よりも白炎よりもなお、純白な祈りに似た森浦の光衝に弾かれるヒトガタ。
「そんな炎で折れる意思じゃないですよ〜!!」
「そう、その程度じゃ倒れねぇ。腹立ってんだよ!」
そして一瞬遅れて繰り出される篝の剣閃。
己にはこれしかないと、愚直ながら振るわれる裂帛の斬気は焔を纏うかの如く。
然りと切り裂く手応えを覚え、吼えるのだ。
「この偽りの炎は何も照らさない。明日も、今も。だから」
次なる抜刀術の為、鞘へと落ちる阿修羅の刃。
「――見せてやるよ、本物の『篝火』ってやつを!」
そう戦気を滾らせる篝。が、半径10メートルの白炎に飛び込んだ瞬間、肌が焦げ、肉まで熱で焼く熱に晒されて減少している生命力。前衛のゼロと篝は言わずもがな、そのサポートに飛び込んだ森浦とアリーセ、そして癒し手の護衛と入ったオブリオまでその影響は受けている。
「これは、速攻戦しか……」
空を飛ぶ翼を具現化し、天宮の鎌鼬に合わせて帯電した左腕を突き出すオブリオ。共に斬り裂く刃風と、灼雷の御手となるが動きは封じられない。
「風で火は消せても、山火事は消せない……」
つまりは天宮の呟きが全て。単純な敵として、幻影に力を裂いてもこのサーバントは強い。天宮の風のアウルで左右されない程の猛火を纏っている。
「これは、もしや」
前衛と中衛を巻き込む範囲で作られている敵を焼く白炎結界。
癒し手がどうしても前衛を癒す為に踏み込む為に必要な間合いを計算しているように展開されていると、他ならぬ癒し手のアリーセは気づく。
「対、撃退士用の戦術……?」
疑問は、けれど口から漏れる士気高揚の歌へと変わる。困惑の暇はないのだと、白鎖が奏でて紡ぐ戦乙女の飛刃。
肩に突き刺さるが、やはりサーバントも気にしない。周囲を焼き尽くす炎を併用して押し切るつもりなのだ。
燈狼やヤタガラス。秋田の天使が幻影を操るサーバントを多用するのには何か理由があるのかとオブリオは思うが、炎が一際燃え上がり、一撃を受けた森浦が自分の傷へと自己再生を促す。
「下がったら、押し切られます、ね……」
炎が踊り、刃と闇、そして光と銃弾が跳ねる。
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補助を受ける為の位置取りが全く使えない。
その為に間合いに踏み込めば、被害が増大する様はまるで蟻地獄だ。
能力を知れていれば対処は簡単かもしれない。が、不意打ちには凶悪過ぎる力だった。
「さっさと燃え尽きろ!」
負傷の度合いは薄いとただの武技のみで振るうゼロの鎌刃を避けて、再び奔る地走りの火撃。
させぬと鳴り響く矢野の警鐘の弾丸。撃ち落そうとするが、炎の前に蒸発する。
「なら……仕方なしですね〜」
再度、森浦がゼロへの攻撃を庇うが限界がある。炎陣と二重の責め苦では気力も尽きるだろう。庇護の翼が切れた今、天宮の乾坤網があるが、それもどの程度の効果があるか。
そして、その為に炎の中へと踏み入る必要性があり、全滅の可能性が点滅するから……。
「速く……!」
焦るように。焼かれていく肉と肌の痛みが、より篝の抜刀に冴えを宿らせる。
だが、削れて腕の半ばまで。存在を断てず、故に倒れない。
物魔、遠近が解らないより、間合いや技の性質を捉えられない方が恐ろしい。現に互いをフォローしようとして、白炎による負傷者が増えていく。
お互いを助けようすれば、炎に誘われて飛びこむようになっているのだ。
けれど、決して引かない。誘われたのではなく、消す為にいるのだから。
人の世にこのような火は不要。ならばこそ。
「相手とて削れています……削り合いならば、癒せる私達が有利なのですから」
立て直せる、何度でも癒して見せると魔具を介して歌声で森浦を癒すアリーセ。それも限界があると解っていてもだ。
どんなにボロボロに焼け焦げても、倒した上で笑顔で戻りたくて森浦は眦を決す。
後方、唯一負傷を負っていない矢野。彼女の銃の間合いまで攻撃を飛ばせないのは事実だが、それでも脅威。
「そろそろ倒しなさい、我が右腕。それ以上の傷は私の傷よ」
再び放たれる弾丸の嵐。檻とを成すには乱戦となり過ぎているが、弾丸を掻い潜って闇が迫る。
「陛下に傷は負わせられない。故にお任せあれ」
まるで平時の悪ふざけのように。けれど、この程度の火で怯え、恐し、崩れる心ではないと漆黒に染まるゼロ。天界に仇成す闇の刃。
それを支援するのは天宮が立ち昇らせる不浄の気。地より巻き上がり、淀んだ砂塵がヒトガタを刻めばそこにあるのは石像。防御力は上昇しても、不動の眷属を斬り捨てるにゼロの闇撫は何ら問題ない。
「さ、炎の仇花は散る刻やで」
闇に滑る死神の鎌。右肩から左脇までを斬り裂き、内部で炸裂した闇刃の乱舞が斬り乱れる。
確実な致命傷。だが、ダメ押しと上空からオブリオの投擲する光のナイフが額へと突き刺さり、その衝撃で石像が崩れ往く。
確実に。絶対に。幾ら身を焼かれても譲れないものがある。
「もう逃げられませんよ――――これで」
朽ち果てて下さい。その言葉を紡ぐより速く、ぼろりと崩れた石像の頭。
瞬間、炎はまるで泡沫の夢だったかのように弾けて光の粒子となる。
幻影を形成した光たちは、季節外れの蛍のようで。
「でも、幻は見飽きました……診療所のみんなが元気になって、笑ってくれる現実が良いのですよ」
その言葉が全員の代弁。
寒さが残る山の中、吹き付ける風に痛みを覚え。
灼熱の幻想は消え去り、氷雪の夜天に抗う撃退士達が、月を見上げた。
しらじらと、三日月が浮かんでいた。
絶望など拒絶する光を湛えて。
(代筆:燕乃)