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闇に埋もれる木々の中で、ライトが浮かんでは消え、浮かんでは消える。
茂みをかき分け、闇を踏みしだき。一刻も早く目的地へと、無数の人影が先を急ぐ。
「雅倉さん、大丈夫ですか?」
雁鉄 静寂(
jb3365)は、黙して語らない背中を追い続けていた。
時折差し出す気遣いは、けれど闇に阻まれて。
辿り着く恐怖、辿り着けぬ恐怖。
滲み出す葛藤とは裏腹に、先往く暁の足は止まることなく、躊躇うことなく。
揺らぐ心を抑えつける後ろ姿に、静寂は言葉を無くす。
(別れとは寂しいものです。特に死別とあらば苦痛は耐え難い)
例え言葉が届かなくとも、せめて傍らで支えに。
「最後までエスコートします」
呟きが示すは内なる決意。静寂は駆ける速度をあげ、そっと暁と肩を並べた。
「最後の対話くらいゆっくりさせてやりたいものだな」
蒼桐 遼布(
jb2501)が闇の向こうの未来に目を伏せる。
暁と純。おそらくは避けること叶わぬ2人の結末。
それを与えたのは彼の同胞であり、すなわち冥魔。遼布の顔に浮かぶ、微かな苦渋の色。
「蒼桐さん」
その表情に何かを感じて、黄昏ひりょ(
jb3452)が想いを紡ぐ。
「別れが避けられぬ運命ならば、俺は二人の時間を少しでも長く作ってあげたい」
心からの想いと願いに、春名 璃世(
ja8279)が言葉を繋ぐ。
「最期に言葉を、想いを交わせるように」
瞳に宿る輝きは、言葉よりも多くの想いに溢れ。
「俺たちにできるのはそれだけだ」
迷いの無い、あまりにも明確なひりょの言葉。
遼布は2人の想いに頷きながら、闇に尾を引く悲壮な覚悟を追い続けた。
「もう少しです」
程なくしてあがった暁の声は硬く。GPSで座標を確認する顔に表情はない。
その目は死して尚、大地に佇むデビルキャリアーの影を捉え―――そして見開かれる。
「あれはっ!?」
突如、闇夜を染め上げた赤光。それは巨大な肉壁の向こう側で揺らめき、瞬く間に消え失せる。
「炎?」
誰ともなく挙がった疑問。
と、同時にデビルキャリアーの裏から聞こえる怒声。
くそがっ! 死んでも守るぞ!
瞬間、御堂・玲獅(
ja0388)は理解する。
「天魔の襲撃に違いありません」
発したのは、豊富な経験から裏付けられた確信。
その声に弾け、一同は一斉に動き出す。
「行くわよ!」
陽波 飛鳥(
ja3599)の初動は誰よりも早く。阻霊符を発動しながら地を蹴る足は、眼前の巨大な骸の右側へ。
何が起きたかを正確に把握する為に。事態が手遅れになる前に。
宙に跳ねる赤の髪と青のリボンが、全力で夜を疾走していく。
他方、反対側で煌めくは純白の軌跡。
佐藤 七佳(
ja0030)は光翼の如きアウルを背に広げ、闇を裂いて駆けていた。
ナイトゴーグルを着けた彼女の動きは無駄なく、最短距離を。
「不意討ちのつもりなの?」
突如巻き起こった風の渦。しかし、それで彼女の全力が止まることはなく。
旋風を突き抜けた彼女の目に映るは、木々と闇の狭間に漂う人型の天魔。その数、三体。
「緑の一体はあたしが」
逆巻く風の中に立つ翡翠色の人型と対峙し、その背中に届く、息も絶え絶えの声。
「遅えんだよ…」
肩越しに一瞥すれば、血染めの撃退署の男たちが膝を折る。
「大丈夫なの?」
「俺たちはいい。それよりも、これ以上はこいつが持たねえぞ」
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撃退署の男たちへの攻撃に巻き込まれたのか。それとも区別なく敵と認識されたのか。
いずれにせよ、既に朽ちていたデビルキャリアーの身には無数の罅が刻まれている。
おそらく持ってあと数撃。それで巨躯は崩壊し、中の体液が流れ出す。
それが男の見解。
そしてそれは、純の延命が終わることを意味していた。
「これ以上はやらせないんだから!」
事態を把握しながら、璃世が敢然と敵の前に躍り出る。
敵の気を惹く為にタウントを発動すれば、ターコイズグリーンのオーラに浮かぶ白き羽の幻影がそれに呼応して、美しく舞い上がる。
その光景に誘われ、木々の中から姿を現したのは紅蓮と濃紺、2体の人型。
「まだです…」
玲獅の警告が更なる敵の存在を知らしめる。
「正面に1体。奥にも1体……動いています」
生命探知が捉えたのは、木々の先の暗闇に沈む影。
仲間に場所を示し、自らは盾を掲げて前進。
これ以上の敵の進撃を拒むべく、木陰に潜む褐色の人型へと迫ってゆく。
その間に、飛鳥は木々の奥にライトを向けていた。
「きっと指揮官よね」
敵の動きはどこか統制が取れている。ならば、それを指揮する存在がいるに違いない。
「どこにいる?」
遼布も目を凝らすが、山の闇夜は死角そのもの。明かりの中に浮かぶ影は見当たらない。
踏み出せない一歩。その背中を仲間の声が押す。
「ここは俺たちに任せて、奥の敵をお願いします」
告げるひりょは韋駄天を発動。二人の脚に与える風神の力。
飛鳥と遼布は声に応え、仲間を信じ。次の瞬間には、疾風と化して闇の中へ飛び込んでいった。
戦いの喧騒はすぐ傍で。
暁を先導するのは、手を引く静寂。
「雅倉さん、行きましょう」
見つからぬように。気取られぬように。
ライトを消し、サイレントウォークで足音を忍ばせる。夜の番人で得た視界は、闇の中に命の残り火を探す。
やがて接した冥魔の骸は、隔世の壁のように高く、高く聳え。
「今のうちです」
静寂が促し、けれど暁は動けない。
避けがたい運命を実感し、覚悟を決めた足は竦み、震える。
「お気持ちはお察しします。だけど…」
躊躇う背中に手を伸ばし、温もりを通して静寂が伝えるのは彼を導く想い。
彼女はきっと待っています。
一拍の後、動き始めた足が後ろを振り返ることはなく。
見送る静寂が誰にもなく問いかける。
(せめて最期くらい、愛し合ったものと居たいと思うのは贅沢なことでしょうか)
否、最期なればこそ、最大の贅沢を。
邪魔などさせない。静寂は銃を手に、周囲へと鋭い視線を向けた。
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ガントレットに仕込まれたワイヤーが宙に舞う。
「最期を看取る、傍目には綺麗な行為に見えるわ。でも、そんな事の為に殺される命は救われないわね」
それは憐憫ではなく、言葉を変えた七佳の死の宣告。
相手が何であろうと命を断つ行為を悪と見做し。それを為し続けた果てに、本当の正義が見つかると信じ。
目的の為に薙ぎ払われる少女の腕は躊躇いなく。
疾駆する速度を乗せた無数の斬撃は風を蹴散らし、絡んだ翡翠の人型にアウルを叩き込んだ。
「私は最後まで諦めません」
発動した審判の鎖は玲獅の意思を乗せ、褐色の人型へと絡み付く。
だが、その狙いは叶わず。
動きを止めるべく具現化された鎖は、敵が天界に身を置く存在であることを知らせて霧散する。
「まさかサーバントですか!?」
代わり、頬を掠める血。巻き上がった砂塵。
しかしそれらに怯むことなく、玲獅は冷静に次の行動に打って出る。
白蛇の盾を構え、人型の従者へぶつける自らの身体。
止まらぬのならば、押し返すまで。
手段は何だって構わない。今大切なのは、敵の手が後方に伸びぬこと。暁と純、そして傷つく斥候隊を護ること。
玲獅は己のすべてをかけ、強引に敵の身体を抑え込む。
その横顔に、濃紺の人型が腕を向ける。
どこからともなく集う夜露は水鏡のように。その鏡面から放たれる無数の飛沫。
対して、展開されるアウルの防壁。間に割って入った璃世が、横殴りの針雨を防ぎきる。
(雅倉さんと巌さんだけじゃない。ここにいる皆にも大事な人がいる)
そう。戦いに臨むと言うことは勝つだけではない。いつだって護る戦いでもある。
「皆は私が守るから!」
迫り来る炎の渦。放つアウルを再び防壁に。それは大切な友人の為に。
「春名さん!」
防壁に守られるひりょの傍で、炎に巻かれた璃世が血を流す。
けれど、その瞳に後悔の色は見えず。
「背中は黄昏くんが守ってくれる。私は前を見て盾に徹するだけ…!」
湛える瞳の輝きが、眼前に立つ敵を射抜く。
その信頼に応えるべく、ひりょは治癒膏の発動。
「背中を任された以上その信頼に応えなきゃな」
手は休まることなく、修験護符を掲げて炸裂符を撃ち放つ。
前衛で身体を張る友人を支えるべく。そして何より、惜別の刻を護るため。
「恋人達の再会の時間……邪魔させはしない」
薄青のオーラを身に纏い、ひりょは四種の護符を駆使して敵に挑んでゆく。
(私は母の死に目にさえ会えなかったから)
飛鳥の胸に回帰する記憶。母の面影。
抱えていた寂しさ。ぶつけたかった憤りと文句。そして…大好きだったという言葉。
伝えたかったことは山ほどあれど。死に分かれてしまえばそれも叶わず。想いは伝えられてこそ、意味を得ることを飛鳥は知っている。
「絶対に2人を会わせる。あんな想いだけはさせない!」
誓いを力に。願いをその手に。黒の世界に吹き上った灼熱の焔の如き黄金のアウル。
「炙り出してあげる!」
木々の上、幹の裏、藪の中。
焔のリングから生み出し赤弾が、陰に弾け、追い立てる。
「ようやく姿を見せたな」
慌てて藪から現れた白き従者へ、間髪入れずに飛びかかるは蒼銀の雷。
四肢に纏いしオーラを迸らせ、遼布が雷蹴打を叩き込む。
「削龍active。Re-generete。悪いが時間が惜しいんで最初から振り切っていくぜ」
着地と同時にゾロアスターを掲げ、猛る血は龍の力に覚醒。右腕から舞う血飛沫が、遼布の一部を龍体に変異させる。
対して、敵が掲げるは白き腕。掌が帯びた白の輝きは、背後で交戦する人型を包み込む。
「回復役でもあるようね。早々に落とさせてもらうわよ」
見る間に癒される敵の姿を横目に、飛鳥は忍刀・血霞を構え直した。
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静寂は耳を澄ませる。
敵の存在を察知する為の行為は、喧騒の中で別の音を拾っていた。
「もう、謝るな…」
愛する者へ届ける暁の声は気丈に。それに応える声は夜空に溶けて聞こえない。
無意識に力籠められる銃握る両手。それは祈るように。願うように。
「すばしっこいのよ!」
飛鳥の薙ぎ払いし忍刀が空を切る。
顔に浮かぶは焦りの色。されど、それは単調な攻撃を呼び、敵は淡々と身を躱し続ける。
「必ず会わせるって誓った。絶対にやり抜く。だから…っ」
一撃加えようと、薙がれた切っ先は大きな弧を描き、それは易々と避けられ―――。
「引っ掛かったようね」
次の瞬間、突如転じた動きは流れるように。身を沈ませて放たれたるは渾身の掌底。
それは単調な動きに慣れた従者の中心を捉え、宙へと大きく吹き飛ばす。
「お前らは2人の邪魔だっ!」
その隙逃さず、宙駆ける遼布の一撃は重く、早く。天界に仇為す冥魔の極性をも帯びて。
振り下ろされた剣閃は、従者を大きく削いで叩き落とした。
「あたしは、あたしの求める答えに達するまで、斬り捨てる事に躊躇は無いわ」
七佳がアウルを多重魔法陣状に組み上げる。
彼女が追い求めるもの。『すべてのものにとっての正義』。
それに僅かでも近付こうとするが如く。
多重魔法陣から放射された光の束が、彼女の身体を前へと弾けさせる。
その行く手を阻むのは、自由を取り戻した翡翠の人型。巻き起こるは風の檻。
しかし。煌めく新緑の鋼糸は風の檻を斬り裂いて。
「せめて苦痛なく葬ってあげるわ……あたしの独善だけど、苦しんで死ぬよりはきっとマシよね」
次の瞬間、少女の手は翡翠の人型を、八つ裂いた。
「皆、私から離れて!」
璃世がタウントで惹き付けられた敵に応戦する。
閃く忍刀が訴えるのは、範囲攻撃に仲間を巻き込まないという強い意思。
傷つくのは己だけでいい。それが壁となった自らの役目。
その背中を、支えるのは力強い声。
「春名さん一人に背負わせはしない!」
護符を手に、放つ支援攻撃は優しさと。癒す回復の手はいたわりと。
そんな二人を後押しすべく、玲獅がフェアリーテイルから光弾を乱れ放つ。
縦横無尽に敵の死角を突いた彼女の攻撃は、敵の注意を引き、意識を逸らし。駆けつけた飛鳥と遼布に、不意を突く隙を与える。
「お待たせ!」
「双極active。Re-generete。これから援護に回る」
遼布の双撃は2体の敵を打ち、飛鳥の薙ぎ払いが敵の体勢を崩させる。
「絶対に2人の邪魔はさせまんから」
玲獅が改めて示した全員の決意。その数々の想いの前に、もはや形勢が翻ることはなく。
空はいつしか、白み始めていた―――。
●
戦い終えた撃退士たちが、デビルキャリアの元へと駆け戻る。
「二人は?」
息を弾ませた飛鳥の問いに、静寂は空を仰いだ。
「朝陽を…見るそうです」
寄り添う影の向こう側で、夜明けが近付いている。一つ、また一つと消えてゆく星の瞬き。
ゆっくりと移ろう生と死の狭間で、七佳は自問する。
(命断つものを悪とするならば、今ここで命を繋ぐことができればそれは正義なの?)
しかし、それは叶わぬ疑問。死神から見逃される術など持つはずも無い。
戦い、勝利し、それでもやはり変えられる運命。
「どうすれば…いいんだよ…まったく…」
同族の所為で迎えた結末に、遼布の心は項垂れる。痛みを感じるのは身体ではなく、心。握り締める拳を伝う雫が、大地に紅を残す。
やがて、闇裂く光が辺りに射し込む。力強く、優しく、平等に。
「見えるか?」
暁の言葉に応えはなく。返るのは、寝息とも言える穏やかな呼吸音だけ。
「消えていい命など存在しません。無様でも…私はあがきます」
差し出された玲獅の手が、純の背に優しく添えられる。
『サクリファイス』。純の奥底へと流れ込む、玲獅の生命力、そして想い。
それはほんの僅かに、純の瞼に力を与え。
「…夜明け……あなたのことね」
暁光を眩しそうに見つめながら、
純は、くすり、と笑った。
(おいて行かれる方が辛いって思ってた。でも…おいていく方も辛いんだ…)
璃世の脳裏に浮かぶ、大好きな笑顔の数々。
「会いたいな…」
そう思えることが、幸せなのだと、今は思う。
(俺にもいつかこういう時が来るかもしれない)
並び、ひりょは明けの空に誓う。
仲間の笑顔を護ることを。その為に全力を尽くすことを。そして、己が命を省みることを。
「ちゃんと、お別れさせられたよ…」
瞼の裏に浮かぶ亡き母に微笑みかけ、飛鳥は溢れる感情が堰を切らぬよう空を見上げる。
広がるのは、暖かな黄金色の世界。そこは喜びと哀しみの色に彩られて。
「雅倉さん…巌さん…」
静寂は冷えきった掌をそっと陽光から隠す。
デビルキャリアーから引き上げた純の身体は、ただただ冷たく。
その冷たさだけが、彼女が存在してかた証のように思えて。今はまだ、その記憶を温もりで上書きすることなど、できそうにもなく。
そして、巌 純は、
愛すべき者に寄り添われ、
愛すべき者の光に包まれながら、
その生涯に、幕を下ろした。
ありがとう
遺した言葉は誰にでも無く、あの美しき黄金色の空に向けられて。
流れ落ちた一粒の滴は、暁に消える最後の一等星の様に―――。