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放課後の空き教室。ふと常葉奏(jz0017)が窓の外に目を向ける。
降り続ける雨はサーサーと。
季節は梅雨。空は灰色の世界に染まっていた。
「それでは改めて宜しくお願いします、雛菊ちゃん」
レイラ(
ja0365)がしゃがみ込み、目線の高さを雛菊のそれに合わせる。微笑みかける笑顔は優しく。親しみやすく。
「こちらこそ、よろしくおねがいします」
雛菊も一語一語を確かめるように丁寧に頭を下げ返す。
上げた視線がレイラと重なり合うと、雛菊は「えへへー」と照れくさそうに笑った。
「奏ちゃんも宜しくお願いします」
「え!? あ! こ、こちらこそ!」
立ち上がり、奏にも向き合ったレイラ。奏はと言えば、突然の挨拶にわたわたと慌ててしまう。
「おねえちゃん、しっかりー」
そんな奏の姿に雛菊は無邪気に笑い転げた。
幼い少女が依頼に出してまで求めたもの。それは『あおい鈴蘭』。
薄いクリーム色の栞の中で咲いているそれは、彼女の母親が描いたものだと言う。
小さな花の部分は鈴。それは今にも風に乗って音を鳴らしそうで。
花の色は鮮やかに。青く、蒼く、碧く。
だが、鈴は勿論のこと『あおい』色をつける鈴蘭は自然界に存在しない。母親が思い巡らし、想像によって描いたのだろう。
そして、雛菊もそのことは知っている。
それでも。それでもこの花が欲しいのだと、少女は真っ直ぐな瞳でそう語っていた。それはわずか数日前。
その願いはきっと今も変わりなく、凪澤 小紅(
ja0266)は幼き願いを噛み締めた。
ふと胸に何かが込み上げた気がして、彼女は静かに目を閉じる。
「雛菊の想いには応えてあげたいものだな。全力で」
「無い筈の花を贈りたい……だからこそ、物そのものじゃなくそこにある意味が大事になってくる、という事でしょうか」
ヘリオドール(
jb6006)はその意味を掴もうと少女を見つめる。だが、視線が捉えたのは幼き少女、ただその姿。それでも迷いなど無縁な無垢の輝きは、意志の弱い彼には眩しく、惹き込まれるようで。
冥魔の一族である彼は、まだ人間界の習慣などを良くわかっていない。それでも、彼は少女に出来る限りのことをしてあげようと考えていた。
「まあ、人の機微も踏まえて、やれるだけの事はやれたら良いわよね」
グレイシア・明守華=ピークス(
jb5092)が少女の願いを反芻する。
それはきっと、色々感謝したい気持ちが合わさってこの様な形になったのだろう。
存在しないことを理解はしていても、それで納得して終わる。そんな割り切りをするには、まだちょっと幼い年頃。
それでも想う気持ちは素晴らしいものだから、とグレイシアは改めて感じ入る。
「だから…手伝ってあげるのも良いわよね」
そんな友人の言葉に同意したのは炎武 瑠美(
jb4684)。
「結婚される方にプレゼントすると言う事ですし、私達からも何かお祝いの品が準備できるといいのですが……」
数日前の顔合わせの席で、彼女はそう言っていた。
ただ単に雛菊の願いを叶えるならば『あおい鈴蘭』のイミテーションを作れば十分だっただろう。
だがそれでは何か違う気がする、と瑠美はあるものの製作に取りかかった。
それは『実物のあおい鈴蘭』。
通常は存在しない『あおい鈴蘭』ではあるが、青い染料を溶かした水に一晩もつけておけば鈴蘭の白い花はあおく色付く。それを押し花に、栞を作ってみてはと考えたのだ。
「キレイに出来たみたいね」
取り出した鮮やかな『あおい鈴蘭』の押し花にグレイシアが感嘆の声をあげ、雛菊がすごーいと目と輝かせた。
だが、プレゼントとして用意するものはこれだけではない。
「栞を虹に見立ててはどうでしょうか? すでに4色ありますし…」
「鈴をつかった鈴蘭をブローチにしてみるもいいのではと思いました」
すなわち、ヘリオドールが挙げた『虹に見立てた七色の栞』とレイラの挙げた『あおい鈴蘭のブローチ』。
「何でもいいが、単純な作り物じゃ意味が無いだろ。俺はよくわからないが『まごころ』ってのは、形じゃないんだろ?」
顔合わせ中、ほとんど無言をだったティーダ(
jb6116)の一言。
けれど、その一言はとても大切で。一同は雛菊にもプレゼント作りに加わってもらうことにした。
がんばろうな、と小紅が雛菊の頭を撫でる。
その掌は少女の願いをなぞるように。少女の心を包み込むように。
うん、がんばるよ! と元気よく答えた雛菊がくすぐったそうに微笑んだ。
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「じゃあ、さっそく始めよう!」
奏が掛け声を合図に、一同は各々作業に取り掛かった。
まずは道具調達役を買って出たグレイシアの手が、机を合わせて作った作業場の上に次々と道具を並べていく。
「足りないものがあったら言ってちょうだいね。すぐに買ってくるわよ」
画用紙、粘土細工セット、小さな鈴、染料、ハサミに鉛筆など。
ブローチ作りに着手したのはレイラと小紅。
レイラは粘土細工を広げながら、雛菊に花言葉を説明する。
鈴蘭の『幸福が帰る』『幸福の再来』など。
雛菊の『純潔』『無邪気』など。
「鈴蘭は幸福が帰ってくるの。だから、雛菊ちゃんのおもいは伝わる、おもいはつながるよ」
雛菊を励ましながら、レイラは粘土を捏ねていく。
その傍らでは、小紅が緑色のプラスチックを葉と茎の形に切り取っていた。
「おねえちゃんじょうずだね」
「ん…そうか?」
小さく細やかな形状を、器用に切り分ける小紅。その手元を雛菊がまじまじと見入る。
その視線に少々緊張を覚えながら、小紅は丁寧にハサミを動かし続けた。
一方、栞作りの方も順調に作業は進んでいた。
奏が定規で画用紙に線を引き、栞の形を決める。それをグレイシアがハサミで切り分けていく。
失敗してもいいように少し多めに切ったら、次は栞に描く花の下書き開始。
植物図鑑を片手にへリオドールが虹に見立てる為の花を選定していく。
雛菊の母親が作った栞は青、赤、黄、青紫の花の4色。
青:花があおい鈴になった鈴蘭。
赤:雪の中で咲くサルビア。
黄:夜空の下で淡く輝く様に黄色い花をつけたヒルガオ。
青紫:特に背景は無く、一輪だけ描かれた紫苑。
それに合わせて、ヘリオドールは花言葉を加味しながら、虹に足りない色の花を選定していった。
緑:夜露に濡れたヨモギ。
橙:雨粒に打たれても萎れないマリーゴールド(金盞花)。
藍:朝日に照らされたアヤメ。
「えぇっと……こんな感じでどうでしょう」
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その頃、瑠美は持参した鈴蘭の押し花を栞にする作業を始めていた。
「え…と、ここをこうして」
実のところ、やや対人恐怖症の毛がある彼女は初対面の人が多い中での作業に凄く緊張している。
それは手持ち無沙汰になった雛菊が食い入るように手元を覗き込んだ途端、覚束ない手つきになってしまう程に。
「ほらほら、何やってるのよ」
そんな瑠美にグレイシアが助け船を出す。
年齢はグレイシアの方が下なのだが押しの良さ()も相まって、傍から見れば二人は同輩の様に見える。
グレイシアとしては同じアスヴァン仲間で力量も近いことがあり、一緒に経験を培い、励まし合う仲で居続ければと思っていた。
と、そんな風に瑠美を見ていた視線がそっと外れる。そして、逸らした視線はそのまま胸元へ。
「………フッ」
唯一確実に負けている部分を見つめて、ちょっと遠い目。流石に成長期の差と言うものもあろう。
「将来に期待よ」
ぐぐっと拳を握り、虚空に向けて誓う。いつか追い抜いて、いやせめて追いついて見せると!
おねえちゃん?
雛菊の呼びかけにハッと我に返れば、全員の視線がグレイシアへと注がれていた。
作業が進む中、雛菊はとてとてと教室の隅で腰かけているティーダに近付いた。
「おにいちゃんもつくらないの?」
「物作りしているお前でも眺めてるさ」
そもそも彼は平穏な日常に進んで首を突っ込むタイプではない。たまたまこの依頼の結末が気になりここにいるだけのこと。
だが、雛菊はそんな事情など知る由もなく、ティーダの手を引く。
「いっしょにやろうよ、きっとたのしいよ!」
そこには戸惑いも迷いも無く。あまりに真っ直ぐとした瞳と言葉にティーダは思わず頷いてしまう。
「上手く出来る保証はない。それでも良いいなら…」
その答えに雛菊は破顔し、ティーダの手を引いて作業台へと戻っていった。
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プレゼント作りもいよいよ佳境に。雛菊にも本格的に手伝ってもらう頃合いとなる。
まずはブローチ。
レイラが粘土を十分に捏ね終えたところで、芯に針金を用意して雛菊に形を整えさせ始めた。
「これを見て下さいね」
レイラは予め作成してきたブローチの設計図を見せる。それは幼い雛菊が参考にできるように、わかりやすく完成形を絵に起こしたもの。
んしょ、んしょ。
「そうそう。上手です」
設計図を見ながら、雛菊が肉付けする形で懸命に粘土を形作っていく。
「次は茎と葉を貼るぞ」
続いて小紅の教えの下、接着剤に葉と茎の型のプラスチックを貼っていく。
「よし、その調子だ」
接着剤が手に付かぬよう、小紅が時折フォローを差し伸べる。
そして最後。花の部分に鈴を取り付け。
「雛菊ちゃん、例のものはありましたでしょうか?」
レイラの問いかけに、雛菊は手提げ袋をごそごそと漁る。
取り出したのは母親が使っていた絵具。
鈴にぺたぺたと、雛菊が懐かしきあおの絵具で色を塗ってゆく。
それらの鈴を乾かした後、芯に添えた針金に鈴をつければ完成である。
「わー、おんなじだ!」
それは母親の作った栞と同じ図柄。自分で作ったものを前に、雛菊が満足そうに笑みを浮かべた。
だが、まだ作業は終わっていない。栞の仕上げが残っている。
下書きを終えた栞にやはり雛菊が色を付けていく。
「あっ!」
「大丈夫。まだありますよ」
時折筆がはみ出すも、すぐにヘリオドールが予備で作っていたものに差し替える。
「仕方ないわね。手伝ってあげるわよ」
「ちょっとずつ描くといいです」
見かねたグレイシアと瑠美が雛菊に手を差し伸べ、一緒に絵を完成させていく。
「すごいきれいだねー」
三種の栞を描き終える頃には、雨はすっかりとあがり、黄昏の空が顔を覗かせていた。
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「おとうさん、よろこんでくれるかな?」
「もちろんだ。あれだけ頑張ったんだ。喜ばないはずがないぞ」
小紅が力強く頷く。その掌は優しく雛菊の手を引いていた。
一行は雛菊の父にプレゼントを渡すため、雛菊の家へと向かっていた。
「雛菊ちゃんの大切なおもい。うまく伝わるといいですね」
レイラもにっこりと微笑みかける。
そんなやり取りを見ながら、瑠美はぼんやりと考えていた。
(それにしても結婚ですか……)
彼女にも気になる人は確かにいる。ずっと気がかりではあったと言うべきか。
けれど、それは同じ孤児院で育ってきたという幼馴染の様な関係であり、恋とは遠い存在の様の気がしている。
ふと、雛菊を中心に談笑に耽る皆の姿を見つめた。
学園でも友達がカップルになったりすることを見かけることもある。ここにいる皆はどうなのだろうか?
(後で勇気を出して皆さんに聞いてみようかしら?)
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「はい、お父さん!」
雛菊が満面の笑みを浮かべ、その手には自作のプレゼント。
面食らった父親――『咲花 葵』が戸惑いを見せる。初対面の若者たちに思わず救いを求める程に。
「雛菊ちゃんが作ったんですよ」
グレイシアが礼儀正しく、事情を説明する。
雛菊の依頼、願い。それによって生みだされた鈴蘭のブローチと七色の栞。
「あおい鈴蘭の栞は押し花で作ってみました」
瑠美が付け加える。
突然のことに思考が、心が付いて行かないのだろう。未だに咲花は戸惑いを隠せない。
「えっとね、その、あの…」
雛菊が言葉を探す。言いたいことはいっぱいある。だが、言葉は紡がれない。それは幼いからではなく、想いを表せる適切な言葉がどこにもなかったから。
その代わり、ただ一言にすべてを籠める。
―――おとうさん、ありがとう。
感謝と、父を想う気持ちが斜陽に浮かび上がる。
目に映る七色の栞は、今は亡き母親の過去と幼い娘が作った未来の形。
その間に自分がいる。二人の間を己が結んでいる。
呆ける咲花の瞳が徐々に彩を取り戻していく。
「願わくば咲花さんには未来を見て欲しいと思う。雛菊と一緒にね」
畳み掛ける様に、小紅が栞に込められた花言葉を伝える。
「あおい鈴蘭は幸福の帰還。想いはいつだってそこにあります」
レイラが咲花のためのブローチを取り出す。
そこには小さな小さな家族。
鈴蘭の脇に『雛菊』と父親の『葵』の花を添えられている。3人はお互い寄り添い、幸せそうに微笑んでいる様に見えた。
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「絵葉書のお姉さんへの贈り物につけるメッセージお願いしていいですか?」
ヘリオドールの申し出に、咲花が微笑み快諾する。
「雛菊さんもお願いしていいでしょうか? 雛菊さんにもお祝いメッセージを書いてもらえれば、お相手の方も凄く喜ばれるかと思います」
うん! と笑顔を取り戻した父親を前に、無垢な笑顔が弾ける。
「では、頼んでもいいかな」
咲花が二通の手紙を差し出す。一通は咲花のしたためた近況を伝える手紙。もう一通は雛菊が書いた『結婚おめでとう』のメッセージ。
「必ず」
小紅が咲花の想いと雛菊の優しさを受け取る。それと共に手にするのは七色の栞と鈴蘭のブローチ。
一同はこれから花嫁へ直接届けに行く。プレゼントと共にこの親子の話を伝えるために。
「おねえちゃんたち、どうもありがとう!」
謝意の想いが言葉よりも表情よりも、何よりも全身から伝わってくる。
「我慢ってのは子供のするもんじゃない。何か伝えたいこと、やりたいことがあるなら親の顔色なんて見るな…いつの間にか『聞き分けの良い子』で、全部片付けられちまうぞ」
ティーダの忠告にキョトンとし、そして「うん、わかった」と破顔。雛菊は勢いよく抱きついた。
別れ際、小紅が雛菊を抱きしめ、くるしいよー、と胸の中で嬉しそうな声をあげる。
その無邪気な声は、笑顔を無くした少女の顔を僅かに綻ばせ。
鈴蘭のブローチと栞が二人をいつまでも見守り繋ぎ続ける。
そして父親と娘を繋いだ虹は、きっと花嫁の新しい人生も同じように―――。