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マスター:橘 律希
シナリオ形態:ショート
難易度:普通
参加人数:6人
サポート:2人
リプレイ完成日時:2013/03/06


みんなの思い出



オープニング

● realist

 私の彼は冗談は元より、お世辞の一つも言わない。

「ご要望のものだ」
 彼が袋に入った様々な花火を取り出す。
「結構あるね。これ、どうしたの?」
「友人その他にあたって、かき集めた」
「よく集まったね。こんな時期に大変だったでしょ?」
「ああ。この三日間、ほとんど寝ていない」
「普通、こういうときは『大したことなかったよ』とか『お前のためなら』とか言って、株を上げるもんじゃない?」
「事実は事実だ。誰かさんが無茶を言わなければ、お気に入りの靴を履きつぶすこともなかった」
 彼はポケットから取り出した蝋燭を地面に突き立てると、そのまま風よけのための壁を作り始めた。
 私はそっと隈の浮き出る横顔を見つめる。
 彼は率直に物事を言い、そこに裏表はない。
 誤解や軋轢を生むことも多いが、先ほどの言葉も本当に事実を言っただけで嫌味など含んでいないことを知っている。
 むしろ、彼の性格を知る私としては「海で線香花火がやりたい」という無茶なお願いに真剣に向き合い、その願いを叶えようと奔走してくれた事実に、ただただ嬉しく、胸がいっぱいになっていた。
「あーあ。これで海だったら最高だったのにね」
「潮風は身体にさわる。ここなら病院からそう離れてないし、周囲の樹木が風を防いでくれる」
「むー。雰囲気と言うものも重要よ?」
「ここでも花火は楽しめる」
 火事には十分に気を付けないといけないがな。そう言って、彼は蝋燭に火を灯す。
 ほら。
 暮れなずむ夕暮れの下でも、花火が鮮やかに存在を輝き放つ。
 しばしの間、私たちは無言で花火を楽しんだ。

「次は打ち上げ花火が見たいな。花火が降ってくるところを見てみたい」
「相当近くに行かないとダメだな。あと、さすがに打ち上げ花火は夏まで無理だ」
 彼は相変わらず淡々と事実だけを述べる。
 それでも彼は私の無茶な願いを叶えるため、そこら中を駆け回ってくれるのだろう。ひょっとすると花火師に直談判しに行くかもしれない。
 困った顔をする花火師に頭を下げる彼を想像して、笑みがこぼれる。
「どうした?」
「ねぇ、わたしがいつ死ぬのか知ってる?」
 唐突な問いかけ。一瞬の間。
 私の彼は決して嘘は言わない。

 ただ、一つを除いては。

「…俺が死んだ後に決まってるだろう。俺の寿命が終えるのを見届けた後、やっとお前は死ねる」
 私は一瞬の間に優しさを感じ、無愛想な声に思いの深さを覚える。
 湧き上がる感情が溢れ出さない様に、そっと蓋をする。大切に。大切に。
 彼と出会えた。それだけで生きてきた意味はある。
 だから、恐れはない。
 最期の時は―――彼の腕の中と決めているのだから。


● romancist

 俺の彼女は、いつも無茶を言っては俺を困らせる。

 観覧車の頂上で夜景が灯る瞬間を見たい。誕生日に、部屋中をバラで埋め尽くされてみたい。弾き語りで告白されたい。天の川が見える満点の星空の下で指輪を交換したい。
 まったく、数え上げればキリがない。
「あとはこれだけだねー」
 彼女が線香花火を取り出したので、一緒にしゃがみ込む。
「火、点けるぞ」
 すでに蝋燭は燃え尽きていた。
 ライターの火を近づけると、線香花火がゆっくりと燃え始める。
 ゆっくりと丸まった火種が、パチパチと小さな火花を散らす。
「キレイだね。私、線香花火が一番好き」
 見惚れる彼女に見惚れる。
 胸元で銀のロケットが眩く瞬く。
 おそらく今の体力では、彼女が春を乗り越えることさえ厳しいだろう。下手をすれば、もう外出することもできないかもしれない。

 わずか3cm。

 そう。たった3cmの腫瘍が、彼女の未来を閉ざした。
 何もできない自分。不甲斐ない自分に絶望する。
 医学知識、財力、権力。いずれか一つでも秀でていれば、彼女を助けられるのだろうか。
「私、幸せだよ」
 そんな思いを見透かしたの様に、彼女は火花を見たまま笑った。
「ああ、俺もだよ」
 新しい線香花火に火を点ける。
「本当はめんどうな女だなぁとか思ってるんでしょ」
「思ってない」
「バレンタインにいっぱいチョコ貰ったくせにー」
「知らん。全部突き返した」
「ほらー、貰ってるー」
「突き返したと言ったろう」
「そう意味じゃないってば!」
 彼女がぶつくさと文句を言っている。その姿のどこに病魔がいると言うのか。
「でも安心したよ。この長ーい冬が過ぎ去れば、すぐに新しい春が来るってことだからさ」
「怒るぞ」
「ん……ごめん」
 最後の線香花火が短い命を散らし、闇に包まれた二人に沈黙が流れる。
「……ウェディングドレス、着たいな。ステンドグラスがキレイな教会で」
 薄闇にぼんやり浮かぶ彼女の横顔。彼女が決して涙を流したりしないことを知っている。
「そんな簡単なお願いは初めてだ」
 俺は彼女の手を握る。この手は決して離さない。例え何があろうとも―――。


● reason and emotion
 あれだけあった花火も、これで終わり。
 いつしか空を闇が覆い始めていた。
 私が最後の線香花火を彼へと向ける。彼も無言でライターの火を点ける。
 二人だけの時間が終わる。時の流れは止められない。
「写真撮るの忘れてた!」
「カメラ持ってないぞ」
「使い捨てカメラ持ってきたよ、はい」

 そのときだった。

 ギャルルル…。
 突如、眼前に漆黒の固まりが躍り出てきた。
 犬――いや、違う。犬と言うには、爪が鋭すぎる。牙が太すぎる。敵意がありすぎる。
 咄嗟に私と犬もどきの間に彼が立ち塞がる。
「逃げろっ!」
 動きに迷いは無く。厳然たる決意の声に、私の身体が弾ける。
 そして、その声で遅まきながら私は理解した。私たちが今、ただの獲物でしかないことを。
「早くしろっ!」
 声の裏にある死の覚悟。
 いやだ、離れたくない!
 だが、想いとは裏腹に身体は急き立てる。危機を察知した本能と彼の想いを無駄にしてはならないと言う理解。
 私は死を恐れていないはずだったのに…。
 彼の腕の中で最期を迎えると決めていたはずなのに…。
 夕と夜の狭間、理性と感情の間を、私は駆け抜けていた―――。



 彼女の走り去る音を耳に、俺は大仰なリアクションで犬もどきの気を引く。
 彼女が死を迎え入れていることは知っている。
 それでも俺は生きて欲しいのだ。例えそれが、刹那の1秒でも。足掻きの一秒でも。
 ならば、俺がやれることはただ一つ。
「お前らの相手は俺がしてやる」
 噛みしめた言葉で恐怖を沈め、脳をフル回転させる。
 もう辺りは暗い。それを活かす他ない。
「こっちだ! 来いっ!」
 意を決し、彼女とは反対方向、闇の広がる林へと飛び込む。
 逃げるのではなく、誘き寄せる様に。生きるためではなく、この命を捧げるために。
 少しでも長く、遠くへ。
 後ろから迫りくる音に首を巡らせる。木々をすり抜け、障害物など存在しないかの様に犬もどきは追ってきていた。
「ざけんなっ!」
 俺は木々の影に隠れ、藪に飛び込み、ライターを投げてはあさっての方向で物音を鳴らし―――それらがどれほど効果があるのかはわからない。ただ、そうしながらもがむしゃらに走る。走りながらスマホを取り出す。
 現代科学を初めて恨む。タッチパネルを見る余裕がない。液晶の灯りが恨めしい。
 電話が通じるまでに俺の命はあるだろうか? 息は続くのだろうか?
 脳裏によぎったのは、まだ見たことのない彼女の泣き顔。
「…くそっ! 死んでたまるか!」
 理性を感情が後押し、俺はただただ闇の狭間を駆け抜けていく―――。


 


リプレイ本文

●闇裂く音
 ピーーーーー……
「なんだ?」
 闇に沈んだ山頂近くの茂みの中。息を殺し、耳を澄ませていた青年が顔をあげた。
 耳に届くのは夜風の音。葉擦れの音。小川のせせらぎ。
 それらの音に混じり、夜の山中に微かに響くのは……長い長い、ホイッスルの音だった。
(助けが来たのか!)
 乱れた息を整えていた瞳が強く輝き、心が再び活力を取り戻す。
 青年はまだ一度だって諦めてはいない。彼女の未来を知ったあの日から。

 息の続く限りホイッスルを吹き続けた礼野 智美(ja3600)が口を放す。
「もし依頼人を見つけたら電話連絡する心算ですが、余裕が無かったらもう一度ホイッスル鳴らしますので」
 共に駆けつけた仲間たちに声をかけるや否や、智美は一足先に山道を駆け出す。
 弾む息が白く染まり、空気の冷たさを伝える。懐中電灯に照らされた山道が、周囲の闇の深さを強調する。
「赤良瀬先生がふざけてない…それだけ状況が悪いって事か。どうか間に合ってくれ」
 状況を説明をしてくれた女教師の顔を思い出す。
 その目にいつもの子供の様な陽気さはなく、ただ真っ直ぐに自分たちを見つめていた。
『キミたちを信じてる』
 その視線が語った言葉に応えるためにも、脇目も振らずに駆け抜ける。
 目指すは、頂上にある展望台。

「通報場所はこの上だな」
 智美とは別ルートを取った鳳 静矢(ja3856)は、山から流れ出る小川に辿り着いた。懐中電灯で照らしても尚、闇の先に消える上流を見上げると、一気に駆け上がり始める。
 通報をしてきた青年は小川にいたらしい。その情報を頼りに小川沿いの捜索に向かう。足を滑らせている可能性もあり得る。何より、天魔に追われている状況であれば余裕はない。
「時間が惜しい…急がねば!」
 急勾配の斜面も、熟練の撃退士である彼にとっては何の妨げにもならない。小さな滝を軽々と跳躍し、全力で闇を駆け抜けていく。
 その少し後を、鈴木悠司(ja0226)が続いていた。
 全速力で直進的に進む静矢に対し、彼はホイッスルを吹いたり、ペンライトを振ったり、大声をあげて周囲に呼び掛けながら走っている。
 それらは、青年を追う天魔たちの気を引くための行動だ。
 速度は落とさいまま、時折小川から離れすぎない程度に山中に足を踏み入れ、小川周辺の探索も行う。
 普段は笑顔も多く、いい加減なところもある彼だが、今は真剣そのもの。この依頼を受けてから、笑顔はまだない。
「急がなきゃね…」
 次に笑うのは、この依頼が無事に解決したときだと心に決め、悠司は捜索を続けるのだった。


●闇を駆ける
 黒衣に身を包み、黒き翼を広げた悪魔が、闇に溶け込む様に空を舞う。
「火の元放置は火事の元やでー?」
 雲に覆われ、星の無い夜空に蛇蝎神 黒龍(jb3200)の声が辺りに響いた。
「なんなんだ、それは?」
 傍で、やはり翼を広げたヴィルヘルミナ(jb2952)が半分呆れた様に問う。
「花火のこと言えば、自分らが敵じゃないことわかるかな思て」
 黒龍は飄々と答え、頂上目指して空を駆け上がっていく。
 ヴィルヘルミナは彼とは方向を変え、小川へと向かって行った。
(なにやら予感がする。きっと私好みの展開だ)
 絶望に挑む者をこよなく愛する彼女にとって、今回の依頼は心射抜かれるのに十分すぎるものであった。説明を聞いたときに高鳴った胸の鼓動は、今も鳴り止んでいない。可能なら、自分自身の物にしたいほどである。
「聞こえるかね? 救助に来たぞ」
 通報の内容から、敵は狼型サーバントだと推測された。ただし、よく知られた個体とは体色が異なるので亜種とも考えられる。
 尤も、敵が何であれ、彼女は救助者二人を渡す気など毛頭ない。手にしたフラッシュライトをさながらサーチライトの様に照らしては、川沿いを飛び続ける。
 山肌は常緑樹に遮られているため、向こうに見つけてもらうことを期待して、彼女は呼び掛け続けた。

「花火をした地点がここ、そして小川。人間は追われると必ず低い方へと逃げるから、人が走れる高低差を考えるとこっちの方向」
 ソーニャ(jb2649)は携帯の地図を片手に、青年が逃げたと推測した方向へと向かっていた。
(ボクはなにより飛ぶのが好き。こんな時でなきゃ飛ばしてもらえない)
 だが、時は一刻を争う。如何に飛行能力を有する天使とは言え、飛べる時間は限られる。
 その代わり、透過能力であれば直線的に移動することができる上、効果時間が長い。
(だったら、ゴーストモードで)
 移動力重視で装備も身軽にした彼女は、木々や藪をすり抜け、音もなく山の中を駆け抜け抜けていく。
 それと同時に夜目を使って目を凝らし、鋭敏聴覚でわずかな異変も逃さぬよう耳を澄ませる。
 聞こえるのは自分の吐息だけ。木々に遮られた山中は風の音すら聞こえなかった。


●闇に沈むもの
「ここじゃなかったか」
 智美が頂上にある展望台へと辿り着く。
 辺りを見渡せど、ベンチとコイン式の双眼鏡があるくらいで、どこにも身を守るような建物はない。そして、要救助者の姿も見当たらない。
 展望台から山中を見下ろしつつ、携帯を取り出し仲間たちと連絡を取る。
 その間に、展望台に降り立つ黒い影が一つ。
「なんや、こっちはハズレかいな」
 黒龍が辺りを見渡し、肩をすくめる。
「まだ、誰も見つけてないらしい」
 智美が情報を共有しかけたところで、展望台の一角、ガサガサと揺れた茂みの中から一人の青年が姿を現した。
「げ、撃退士…なのか?」
 枝や葉にまみれた身体はあちこち擦りむき、膝に手をつき息も絶え絶えながらも、その瞳に宿る光は失われていない。
「大丈夫か?」
「無事で何よりやね」
 声をかけ、二人は駆け寄ろうとして気付く。青年近くの闇が揺らいだことに。
 智美の反応は早かった。
 縮地を使い、暗闇から突如姿を現した黒い狼へ一気に駆け寄ると、雷打蹴を放って意識を自らに向けさせる。
「今のうちだ!」
 智美が阻霊符を発動しながら敵を引き付けている間に、黒龍は闇の翼を広げて青年の元に向かう。彼を抱きかかえ、空へと退避するつもりで。
 しかし、青年を抱きかかえると同時に、すぐ側の闇からもう一匹の黒狼が現れた。この獣たちは闇に沈み、その存在を認知しにくくさせる能力を持っているらしい。
 不意を突かれ、飛び上がりきる前の二人に鋭い爪が襲い掛かる。
「させへんよ!」
 咄嗟に黒龍が青年を庇い、ナイトミストで彼もまた夜の闇と同化する。急に目標を見失った黒狼の爪が、闇だけを切り裂いた。
 安堵したのも束の間、咄嗟の対応に態勢を崩した黒龍の腕から青年がずり落ちる。
「しもた!」
 智美は最初の一体と交戦中でフォローに入ることができない。地面に倒れた青年に食らい付こうと、黒狼が身を翻した。
「私の目の前でさせるか…! 離れろ!」
 青年に牙が届く直前、黒狼の側面に一つの影が勢いよくぶつかる。
 それは、小川沿いに昇り続けて山を踏破した静矢であった。
 手にした大太刀を、斬りつけると言うよりは体重を乗せて身体ごとぶつかるように叩きつける。
 その強烈な一撃を受けた黒狼の身体が、大地の上を転がっていった。
「お前たちの相手は私だ」
 駆け登り続けた疲れなど一切見せず、静矢が敵を挑発しながら大剣に持ち替える。
「てやっ!」
 他方では、闘気を解放した智美が直刀を薙ぎ払い、黒狼を吹き飛ばしていた。

 黒狼たちがよろよろと起き上がり、怒りの目を智美と静矢に向ける。獣の意識は、完全に二人に注がれていた。
 その隙に、青年を抱え直した黒龍が今度こそ空へと舞い上がる。
「人の恋路邪魔する奴はボクらにやられて地獄行きやでー…て前にもいったような気ィするなぁ」
 その声を背に、救助者を巻き込む心配の無くなった智美と静矢が戦いに深く集中する。
 静矢の構える大剣に紫の霧状オーラが集束され、刀身が紫色に輝き出す。
 智美の纏う金色のアウルが、燃え盛る炎の様に激しく揺らめいている。
 二人の圧力に押され、黒狼たちがわずかに怯んだ。
「どこにも行かせはせんよ」
 先を取ったのは静矢。荒々しく叫び、真正面から敵に向かっていく。
 迎撃として放たれた爪のカウンターを身をよじってギリギリのところで躱す。
「狼型天魔…吠えて仲間を呼ぶかもしれないからな、潰させてもらう!」
 横に薙いだ大剣が黒狼の顎を吹き飛ばし、振り上げた大剣にアウルを込めて力任せに振り下ろす!
 ドンッ!
 斬り伏せられた黒狼は、ひび割れを残し、大地に沈んだ。

 智美と交戦中の黒狼が仲魔の死を察し、慌てて逃げ出そうと身を翻して駆け出す。
「逃がすかっ!」
 アウルを脚部に集約させ、飛躍した瞬発力で智美がその背中を追って突進していく。
 一瞬で彼我の距離をゼロにした烈風の如き勢いをそのままに、直刀を真っ直ぐに突き放つ。
 ズドッ!
 貫かれた背中に風穴を開け、遠く吹き飛ばされた黒狼が動くことは二度となかった。
「終わったな」
「こいつら…サーバントじゃない。ディアボロだ」
 智美が亡骸を改めて確認し、確信する。たしかに、サーバントと言うのはあくまで事前情報ではあった。
「ディアボロとなると…ソーニャが心配だな」
 静矢が眉間に皺を寄せる。天使である彼女にとって、今回の様な救助・守勢に回る状況でディアボロと対峙するのは分が悪い。
 智美が電話をかけてみるが通じる気配がない。
「鳳さん」
 静矢と智美は視線を交わすと、再び駆けだした。


●闇に抗う姿
 ―――時は少し戻る。

(なんで私は…)
 その頃、深い山林に迷い込んだ女性は、自分自身に絶望していた。
 死を目の前にして、青年から離れてしまったことに。
 青年の腕の中で死を迎えると決めていたにも関わらず、その大切な人を死の淵に置いたまま去ってしまったことに。
 その身は山中を走り回ったせいで、あちこちが血で滲んでいる。弱った心臓は破裂しそうなほどに脈打っている。
 木に背を預け、荒く息を切らす女性は、疲労の余り今にも倒れこみそうだった。
 ぐるるる……
 その女性の背後、木を挟んだ茂みから静かに黒狼が近付く。だが、女性が気付かない。
 ガアッ!
 黒狼が叫び、振り被った爪で女性と、女性のもたれていた木を吹き飛ばした。倒れた木が激しい音を立てる。
 木が間に入っていたことが幸いだったのだろう。茂みに激しく突き飛ばされるも、女性の傷は浅かった。
 しかし、脅威はまだ去っていない。
 深く沈み込み、黒狼が高く跳躍する。牙を剥き、倒れた女性へと飛びかかった。
 ガチン!
 牙が虚しく空を切る。
 獲物を見失った黒狼が首を巡らせれば、わずかに離れた場所でソーニャが立っていた。その腕の中に女性を抱えて。
「危ないところでした」
 予測地点には誰もおらず、周囲の探索を行っていたところに聞こえた乱れた息遣い。望みを託して駆けつけ、そして彼女は間に合った。
 ソーニャは脇に女性を抱えたまま、躊躇することなく身を翻す。
 小柄であっても、撃退士である彼女の力は一般人のそれを軽く凌駕している。女性一人抱えて走るのは訳ないことであった。
 周囲は智美の発した阻霊符の効果によって、透過能力は封じられている。女性を抱えているソーニャは元より、黒狼も木々を避けながら山林を駆け抜けざるを得ない。
 だが、黒狼はそんな状況を楽しむかのように、逃げる二人の後を嬉々として追ってくる。
 ソーニャは半身を捻り、右手に構えた銃を撃って牽制する。
 わずかでもいい。時間を稼げば、助けが来る。
 仲間を信じる一方で、後ろに気を取られ過ぎていたのかもしれない。
 唐突に、闇と同化していた別の黒狼が前方から現れた。直前まで気付けなかったソーニャの反応がわずかに遅れる。
「あぐ…っ!」
 反射的に身を呈して女性を護ったものの、鋭い爪はその身を深く裂いていた。
 二匹の獣は、足を止めた二人を取り囲むようにゆっくりと距離を詰めてくる。
「死ぬのは運命」
 負った深手にも状況にも悲嘆することなく、ワイヤーで牽制しながらソーニャが呟いた。
「でも最後まで生をあきらめない。守りたい」
 浮かぶ焦りを飲み込み、感情を静かに力に変え、黒狼たちと対峙する。
 その姿に触発され、女性が叫ぶ。
「私は…、私もまだ彼に謝ってない!」
「くふふ、実に素晴らしいな。それでこそ人界に来た甲斐があるという物だ」
 上空より、生い茂る枝と葉を突き抜けて姿を現したヴィルヘルミナが氷の刃を黒狼の足元に打ち放つ。
「そこまでだ、駄犬どもが。これは貴様らにくれてやるには惜しい物だ」
 黒狼を二人に近づかせないように足止めしたところへ、悠司がその背後から不意を突いて攻撃を仕掛ける。
「二人から離れろっ!」
 打ち出す拳をアウルの力で加速させ、その拳速は敵に避ける間も与えない。悠司の拳に身を穿たれた黒狼が、もんどりうって倒れ込む。
「こんな所で死なせない。キミも、キミの彼も、絶対に…」
 木の倒壊音と銃の発砲音を頼りに、二人はこの場に駆けつけることができたのだった。
 悠司が前衛に立ち、多少傷を負うも臆することなく、ヒット&アウェイを続けて敵を引き付ける。
 ソーニャが女性を護りながら射撃し、悠司の援護に回る。
 その合間を縫って、ヴィルヘルミナの放つ氷の刃が黒狼たちの身体を切り裂いていく。
 一度態勢を整えてしまえば、黒狼たちを殲滅するのにさして時間はかからなかった。


●闇に浮かぶ希望
「彼は、彼は…!?」
「落ち着け、娘よ。待て、しかして希望せよ」
 焦る女性を手で制しながら、ヴィルヘルミナが女性の傷を癒す。
「みんな無事で何よりだ」
「キミの彼も無事だ」
 連絡を受けた智美と静矢が合流し、智美が青年の無事を伝える。
 安堵し、張りつめていた気持ちが緩んだのだろう。崩れ落ちそうになった女性の身体を悠司が優しく支えた。
「キミも彼も、助かったんだよ」
 悠司が満面の笑みを送る。
(この二人は、本当にお互いがお互いを大切にしてるんだね)
 だからこそ二人は最後まで諦めず、それ故に二人とも助かったのだと悠司は思う。
「死ぬのは運命」
 ソーニャが再び女性に語りかける。敢えて言葉続けず、無言で問いかける。
 それに、女性が静かに、力強く頷く。
「でも私は諦めない。この先、何があっても―――彼と生きてみせる」
「刹那を愛せ。時よ止まれと願いながら、神のお恵みなんぞに頼らず生きろ。飢えて、足掻いて、それを超える様こそが何よりも美しいのだ」
 女性の答えに、ヴィルヘルミナが満足そうな表情を浮かべる。
「ほれ、坊やも来たようだ」
 闇を見上げれば、黒き翼が女性の希望を携えて浮かんでいた。

「そうや、これ」
 黒龍が下りながら、青年に天使の羽衣を渡す。
「彼女も色々大変だったみたいやで。まだ夜も寒いし、それ掛けてあげるとええんちゃうかな」
 その衣は、ヴェールのように女性を優しく包み込むだろう。
「今日も夜空がキレイやね」
 見上げた空には、無数の星が瞬いていた。

 


依頼結果

依頼成功度:普通
MVP: カリスマ猫・ソーニャ(jb2649)
重体: −
面白かった!:5人

撃退士・
鈴木悠司(ja0226)

大学部9年3組 男 阿修羅
凛刃の戦巫女・
礼野 智美(ja3600)

大学部2年7組 女 阿修羅
撃退士・
鳳 静矢(ja3856)

卒業 男 ルインズブレイド
カリスマ猫・
ソーニャ(jb2649)

大学部3年129組 女 インフィルトレイター
“慧知冷然”・
ヴィルヘルミナ(jb2952)

大学部6年54組 女 陰陽師
By Your Side・
蛇蝎神 黒龍(jb3200)

大学部6年4組 男 ナイトウォーカー