●1日目
「全部一人で作ったの?」
昼休み。食堂に座った千鶴は、目の前のお弁当に目を奪われていた。
「はい。本格的な味はまだ出せないですが…」
楊 礼信(
jb3855)が容器に入ったおかずを説明していく。
衣を付けて予め揚げておいたエビを辛さ抑えたチリソースで仕上げたエビチリ。
青梗菜とキノコ数種類を炒め、オイスターソースで味を調えた青菜炒め。
春雨とささみ、キュウリをごま油とお酢で和えた春雨サラダ。
魔法瓶に入った、鶏ガラベースのスープに椎茸とニラを加えたかき玉入り中華スープ。
どれもこれもがおいしそうで、千鶴はこぼれ落ちそうになる涎を慌てて拭う。
「それじゃ、遠慮なくいただ…」
「ちょっと待って下さい! まだもう一品あるんです」
礼信は箸を持った千鶴を制すると、席を立ちあがる。
すぐ戻ります。そう言って食堂から立ち去る背中に千鶴の声が飛んだ。
えー、早く食べたーい!
その声に急かされ、礼信は家庭科室に飛び込むとすぐさま料理に取り掛かる。
最後の品は炒飯。具材はネギと卵だけ。味付けも薄めでおかずの味を殺さないように。だが、シンプルなものほど美味しく仕上げるのは難しいものだ。
ジャッジャッ!
小気味よく中華鍋を振るう音が、彼しかいない家庭科室に響く。
「お待たせしました。卵チャーハンです」
少しして、できたての炒飯が千鶴の目の前に運ばれた。
「一人分だけ作ると手間ばかりですし、ついでに自分の分も作りました。一緒に食事させて貰っても良いですよね?」
涎を拭うのも忘れた千鶴がコクコクと首を振る。ほかほかの炒飯を目の前にして、辛抱たまらないようだ。
いただきます!
二人揃って手を合わせるや否や、千鶴が炒飯を口にする。
「お味はどうですか?」
「おいしーい! また作って欲しいわ♪」
ご満悦な表情で、千鶴がおかずにも箸を伸ばす。
礼信の実家は有名中華料理店。すでに料理の腕はそれなりの水準に達しているのだから、この反応も当然かもしれない。
「…先生が生徒にお昼を無心するのも正直どうかと思いますけど」
千鶴が思いついた案。それは、生徒に愛妻弁当を作ってもらう! と言うものであった。
給料日まで6人に毎日交代で弁当を作ってもらえば、愛妻弁当を堪能しつつ難を凌げる算段である。1000久遠までであれば、弁当にかかる出費は千鶴が負担する。流石に材料費まで生徒に負担させるほど図々しくは無かった様だ。
「満足してもらえたみたいで良かったです」
美味しそうにパクパクと食べ進める千鶴を前に、これも料理の勉強の一環だと思えば良い経験なんだろうと礼信は納得し、その食べっぷりに嬉しさを覚えるのだった。
●2日目&3日目
その手が人参と蓮根をキレイな花形に飾り切りする。
「花月さんも、ご一緒にどうですか?」
鈴木千早(
ja0203)が手を止め、傍らに立つ娘に微笑みかける。
その誘いに素直に従い、彼の手際を興味深げに眺めていた苑邑花月(
ja0830)がおずおずと横に並ぶ。
「あまり…お役に立たないかも、ですけれど」
千早と花月は、千鶴への愛妻弁当作りを2人で一緒に行うことにしていた。2人で買い物に行き、2人で調理場に並ぶ。1人がお弁当を担当し、1人はサポートに回る。次の日は担当を交代。
「それでは、こちらに胡麻を和えていただけますか?」
今日は千早の担当日。茹でたほうれん草と味付けされた胡麻を手渡され、花月はそれらを丁寧に和え始める。
ちらり。
千早の手元を覗けば、彼は慣れた手つきで手綱蒟蒻を作っていた。
祖母の手伝いなどで経験を積んだ千早の動きに無駄は無く、それほど料理をしない花月は改めて感嘆する。
その視線をそっと上げれば、微笑み絶やさず料理と向かい合う横顔。その横顔に注ぐ眼差しは尊敬と憧れ。そして、僅かに見え隠れする乙女心。
いつの間にか手が止まっていた花月と、ふと顔をあげた千早の視線が絡まる。
「あ、あの…赤良瀬先生…大変、ですのね…」
「そうですね。でも、手作り弁当も良いものですよね」
慌てて作業に戻る花月に、千早の微笑みが向けられる。
コトコト…。
がんも、椎茸、竹の子、人参、蒟蒻、蓮根。具沢山の煮物が心地よい音を立てる。
朝の調理場に立つ二人を、温かく柔らかい空気が静かに包んでいた。
そして、お昼休み。
千早は学生気分に戻ってもらう意味で千鶴を教室に招くと、机を合わせてお弁当を広げた。
「この煮物おいし〜♪ でもこれ、愛妻って言うよりは少し懐かしい感じがするわね」
「少し…と言うか、古臭い感じですが」
煮物の上に乗った絹さやを箸で摘まみながらの千鶴の率直な感想に、千早が苦笑いを浮かべる。
彼の作ったお弁当は、白米に漬物、焼き鮭に煮物、出汁巻き卵、ほうれん草の胡麻和えと言う極シンプルな和風もの。彼の祖母が作ってくれた物が殆どであり、自然と味も祖母のそれに近くなっていた。
「花月さんも手伝って下さったんですよ」
千早が優しい笑顔を送り、突然のフリに花月が顔を赤らめ慌てる。
「お茶は、濃い方がお好きなのですよね?」
できれば点てたいところなのですが、と少し残念そうに千早がお茶を淹れ始める。湯の温度や茶葉の量など、茶道を嗜む千早の細かい気の配りが、普通に淹れたはずのお茶の味や香りを引き立てた。
「…ほっ。お茶って日本人の心よねぇ」
わかった風なことを言いながら、千鶴が満足げにお茶をすする。
「作った物を喜んで食べて頂けるのは、嬉しいですね」
空になったお弁当箱を片付けながら、千早が嬉しそうに呟く。
「明日は苑邑さんが作ってくれるのね。楽しみにしてるわよ」
「花月で、少し、でも…お役に立てるのならば…喜んで…」
次の日。
「大丈夫ですか?」
花月の背に千早の声がかけられる。
教える様な腕ではないですが、俺で良かったら少しお手伝いしますよ。その声は、あくまで自然に優しく。
「それでは…ひじきの煮物を、手伝って…頂けますか?」
家庭的な味を、出したいのです。花月の申し出に千早が微笑み、横に並ぶ。だが、千早はあくまでサポートに徹し、要所で手を差し伸べるだけ。おかずの一品一品を花月が丹精込めて作り上げていく。。
「花月さんは余り料理をなさらないのですね」
「は、はい…千早さんと、比べたら、恥ずかしい限り…です…」
「花月さんも中々のお手並みですよ」
今日も二人を優しい空気が包む。
この日の昼食はテラス。寒さも和らぐお昼の陽光の中、千鶴を招いてお弁当が広げられる。
花月の作ったお弁当は、穴子の蒲焼と胡瓜と卵の巻き寿司、枝豆入ひじきの煮物、ごぼうサラダ、アスパラと人参の豚肉巻き、プチトマト。飲み物には、脂を緩和する温かい烏龍茶。
「お弁当も美味しいけど、雰囲気がいいわよね」
枝豆によって彩映えるひじきの煮物に箸を伸ばしながら、千鶴が改めて周囲を見渡す。
そこに散りばめられるは、花月の得意とするフラワーアレンジメント。和の雰囲気を出しつつ、控えめでも存在感のある花々がテラスを囲む。
「食事の邪魔に、ならないように…香りは、少ない花を、選んだので…」
「うんうん。雰囲気って大事よね。とっても素敵だと思うわよ」
それに、ここまでしてくれたっていうことが嬉しいのよ。千鶴が上機嫌で頷く。
「今日も二人のお手製?」
「今日は花月さんが作られたんですよ」
「いえ…千早さんにも、お手伝いして、いただきました…」
二人を包む空気を微笑ましく感じながら、千鶴はにこにことお弁当を平らげた。
(ん〜、ひょっとして私、お邪魔?)
●4日目
前日の夕方。八角 日和(
ja4931)は島をあちこち駆け回っていた。
「先生も色々大変なんだなぁ…。でも生徒が作るのに愛妻? …まぁ、いっか」
予算を提示されてはいたが、出来る限り材料費を節約したい。そう考えた彼女が思いついたのは、冬でも採れる山菜やキノコを使ったお弁当。
いつも島を散策している彼女は山菜の自生する場所を把握しており、あっという間に弁当に十分な量を採り終えた。
米や油、調味料はすでに家にある。大根とカブの葉はスーパーで融通してもらってタダ。ベーコンと卵、弁当箱だけは購入して…。
うん。しっかり者の彼女はきっと良い奥さんになるだろう。
両手に材料を抱えた帰り道、ふと思いつく。
「山菜とキノコだけじゃ寂しいかな…」
と言うわけで、夜の海へ魚の調達に。
寒い季節をものともせず、彼女は夜釣りで見事にメバルを釣り上げた。
「さて、作るからには本気出すよっ」
当日の早朝、早起きをした日和は腕を捲り、お弁当作りに取り掛かる。
昨夜のうちに捌いておいたメバルを焼く間に、やはり昨夜のうちに作っておいたフキノトウ味噌でおにぎりを握る。
「前日のうちにやっておけば、手間が減って楽だよね」
昨日採った山菜やキノコを使い、次々とおかずを作り上げていく。ムキタケのベーコン巻き、春の七草入り出汁巻き卵、ユキノシタの胡麻和え。
「〜♪」
出来上がったおかずを3つの弁当箱に詰める。自分の分はやや少なめに。ん? 3つ??
「できたっ」
彼女は丁寧に弁当箱を包むと、学校へと向かうのだった。
そして、昼休み。
「今日は何のお弁当が食べれるのかしら♪ あ、一緒に食べる?」
「あ、ごめんなさい、先生。もう1人渡す人が居るから…」
「あ、そうなの? 誰? お友達?」
その問いに、日和の顔がみるみる真っ赤になる。
(あら…これは)
にんまりする千鶴に弁当を押しつけ、日和は顔を隠しながら足早に去って行く。
「そ、それじゃあ!」
「あ、うん。ありがとうね!」
ぽつん。
一人残された千鶴が、ちょっと寂しげに食堂に座る。
「おっ! 山菜とキノコがメインね! この焼魚もおいしそう♪」
中身を見た途端に上機嫌となった千鶴が美味しくお弁当を食べている頃、大学部の校舎では笑顔で恋人と弁当を広げる日和の姿があった。
●5日目
まな板の上にでん! と控えるはサーロインが200g!
「食事と言えば肉! 日本に正しいステーキを伝えるのです!」
ステーキ布教の使命に燃えたメリケン人のアーレイ・バーグ(
ja0276)は、焼きたてステーキを食べさせようと家庭科室で熱く燃えていた。
レシピはネットを参考にしただけだが、ステーキに情熱を注ぐメリケン人に手抜きはない!
まずは大蒜の芯を取って薄くスライス。次によく熱したフライパンに牛脂を溶かし、大蒜を炒める。その合間に常温保存していた肉を取りだし、筋を丁寧に切り取る。
焼く直前に、肉の両面へ塩胡椒をふりかけたら、いよいよ本番。肉を投下!
両面を強火で焼き上げ、料理用ワインをじゅわーっ! ミディアムまで火を通したら出来上がり♪
ほら、いいタイミングで千鶴先生がいらっしゃいました。
「何…このいいにほい…」
焼けたステーキを1, 2分休める間に、ライスとコールスローサラダ(スーパーのお惣菜)、ウーロン茶をテーブルへ。
「せんせー! ステーキ出来ましたー!」
アーレイがささっと盛りつけ、満面の笑みで千鶴の前に皿を置く。その匂いと見た目が、恐ろしく食欲をかき立てる。
「お弁当にするとステーキは微妙なので、焼きたてにしてみました!」
「ご、ごくり……これ、高かったんじゃない?」
通販でーす!
その笑顔と回答に、千鶴が胸を撫で下ろす。
(まぁ予算は伝えてあるし、大丈夫よね)
「えと、それじゃ、いただきます」
手を合わせ、ナイフとフォークを手に取る。大した抵抗もなくカットされたステーキは早々に口の中へ。
パクり。
「おっ、おいっし、あっまーいっ!」
溢れる肉汁に千鶴の目に星が煌めく。
もはや愛妻どころか弁当の体すら成していないが、そんなことはお構いなしに千鶴は食べる、食べる、食べる!
アッと言う間に平らげると、満ち足りた表情を浮かべる千鶴がそこにいた。
「し・あ・わ・せ…」
後片付けを終え、立ち去ろうとした千鶴にアーレイが一言添える。
「あ、そういえば今日のお肉は松阪牛のサーロインだったんですよー? 日本人は霜降りが好きらしいですね?」
にっこりと立ち去る彼女の背を見て、千鶴が呆然とする。
へ、へぇ。それはおいしいわけよね、うん。
プルプルと震える身体――が、爆発。
「って! 生徒にそんな高いモノ用意させて何もしない訳にはいかないでしょーっ!?」
後日、涙目でアーレイにお代を押し付ける千鶴の姿が目撃されたと言う。
「美味しかった…美味しかったわよぉ…」
●6日目
慣れた手つきで生地を練り上げているのは、藍 星露(
ja5127)。
材料は卵、強力粉、重層など。彼女が作るのは、家庭でも簡単に作れる蒸しパンである。
だが、その表情は何とも言い難いものであった。
「愛妻弁当…ねぇ」
彼女は人妻。つまり愛する旦那がいる。その旦那以外に『愛妻』弁当を作ると言うのは、少々複雑な気分であった。
「まあ、飢え死にされるとあれだし、頑張って作りましょうかっ」
幸いと言うべきか相手は女性、それに先生。星露は気分を変えると、お弁当作りに集中する。
彼女のお弁当の中華風。1日目の礼信も中華だったため、敢えて担当日を離して千鶴に飽きられない様に配慮していた。
メインは中華風蒸しパン。おかずにはエビと肉それぞれを詰めた二種類の春巻きと焼売、それから春雨サラダ。
春巻きと焼売を選んだのは、忙しい朝に弁当を作る手間を減らすため。前日に作って冷凍しておけば調理過程を大幅に短縮できる。まさに主婦らしい彼女ならではのチョイス。
他にも、点心系のおかずを選んだのには理由があった。それは…。
「ごめんね。行儀が悪くって」
昼休みの食堂の隅っこで千鶴が頭を下げる。彼女の腰掛けるテーブルの上には、雑多に書類が広げられていた。
「ちょっと仕事がたまっちゃっててね。このお弁当食べやすくてとっても助かるわ♪」
そう言って、片手で摘まんだ焼売を口に放り入れる。その間もペンを動かす手は休むことなく続いている。
「先生、温かいお茶でもどうですか?」
星露がジャスミン茶を注げば、爽やかな香りが辺りに漂う。
あ〜、これ安らぐわね。ペンを動かす手を止め、お茶をすすった千鶴がほぅっとため息をつく。
「この春巻きと焼売、何かいつも食べるのと違う気がするんだけど?」
「先生は魚好きって聞いたので、干した魚を細かく砕いて粉上にしたものを挽肉の中に混ぜてあるんです」
中華料理で味に深みを出す技法の一つである。
見えないところで凝ってるわね〜。千鶴が感嘆し、仕事の手を止め弁当に集中する。
「ちゃんと食べないと失礼よね」
キレイに食べ終えたところで千鶴が首をかしげた。
「とってもおいしかったー! でも、なんだろう? 見た目オーソドックスだけど、今までのお弁当で一番愛妻って感じがしたわね?」
「ふふ、なんででしょうね?」
微笑む星露の胸元で、チェーンに通された誓いの指輪が幸せそうに輝いていた。