●
「…すごいです。制服ピッタリ、です」
開店前「Cadena」の店内。星野 華月(
ja4936)は口元を綻ばせながら、初めて袖を通したウエイトレスの制服を一頻り満足そうに眺めて、目の前のダイナマ 伊藤(jz0126)を見上げた。
「だろー? 星野は小柄だからな、ちゃんとお前さんの身体に合わせておいたぜ」
ダイナマは片目を瞑りいつもの豪快な笑顔で答えると、華月の前髪をくしゃくしゃと撫でた。
「藤宮先生。特別メニューの和菓子の材料はここで平気ですか?」
「――ああ、ありがとう、道明寺君。そこでいいよ。二人とも、早朝から手伝いに来てくれてありがとうね。助かるよ」
「いいえ、気にしないで下さい。物心つく前から修業してきた経験を活かしたいですし。――よいしょ、っと」
厨房の戸棚に材料をしまいながら、青いリボンとポニーテールの黒髪を絹糸のように滑らかに揺らして、道明寺 詩愛(
ja3388)はにこやかに振り返った。こちらを心配そうに窺っていた藤宮 流架(jz0111)は、どこかほっとしたような表情をして、声にならない笑いを呼気で発する。
「やや、そういえば君のご実家は老舗の和菓子屋さんだったね。これは今回の特別メニューの和菓子三点盛りが楽しみだな〜。勿論、星野君が淹れてくれる緑茶も期待しているよ」
流架は双眸を細めてそう言うと、見上げてくる詩愛の頭に右手、そして左手で華月の頭の上にぽん、と手のひらを弾ませた。
「はい、頑張りますね」
華月がにぱっと、嬉しげに白い歯を見せて笑む。
「いいなー。なぁルカ、オレも撫でて♪」
「うるさい。お前はさっさと仕込みを始めろ」
――打って変わってこの扱い。しょんぼり項垂れるダイナマがかわいそうになり、華月は持参した踏み台を使って彼の頭を撫でようと、小さな身体で精一杯手を伸ばした。…いや、調理台に届くように持ってきたわけであって、こうゆうコトに使用する為ではなかったのだが。
「いらっしゃいませ。特別メニューの冷やし緑茶と和菓子のセットはいかがですか?」
部活のラーメン屋営業で接客慣れした詩愛の声が店内に響く。彼女お手製レシピの葛餅、水饅頭、わらび餅の豪華三点セット特別メニューは、暑い夏真っ盛りに涼を感じさせてくれるということで、売れ行きはかなり好評だ。
「はーい、緑茶でまーす」
その冷たい和菓子と共に提供される冷やし緑茶も、まろやかで深みのある甘味が美味しいと、こちらもおかわりがひっきりなしだ。華月が低温でじっくり出した緑茶を急速に冷却して、緑の鮮やかな色を長時間保っていられるようにしている。味も見た目も完璧な組み合わせ。
「――あ、藤宮先生、ご指名入りました」
「は〜い、ご指名ね…って、ご指名って何っ!?」
スカートの裾を人魚の尾びれの様にはたはたと靡かせながら厨房に入って来た詩愛。流架の狼狽を緩和する落ち着きでもって、
「実は私、久遠ヶ原学園の一風変わった戦闘科目の教員と保健医がこの喫茶店でバイトしている、っていう口コミを広げたんです。そうすれば集客率のアップが望めるんじゃないかな、と思いまして。バッチリですよ! お客さんたくさんいらしてます!」
詩愛はにこりと微笑みながら応じた。
「一風変わった、って…」
同時に発した流架とダイナマの言葉がキレイにハモり、静かに厨房に響いた。
「…? お茶、飲みます?」
華月はゆっくりと首を傾げ、澄んだ眼差しのまま目を丸くして、二人に入れたばかりの緑茶を差し出した。現状は理解していないが、場の空気を察して。
「…お前さん、いい子だな。オレの座敷童にならな――グエァッ!」
流架の紐靴が今、ダイナマの背骨にGOAL―――!!
「――こちら、アイスティーと甘夏のレアチーズでございます。どうぞごゆっくり」
温んだ吐息を零しながら、若い男の客が商品を運んできたLamia Sis(
ja4090)をうっとりと見つめていた。シャツがはち切れんばかりの胸元と、妖艶な瞳の美女。彼女は唇を艶やかに笑んでみせ、男に軽くお辞儀をすると、色香を残したままカウンターへ向かった。そして水差しから三人分の氷水をグラスに注ぐと、それをトレイにのせ厨房の方へ入る。
「皆、お水はいかが? いくら冷房が効いているからといって、水分補給を怠っては駄目よ?」
「――お、ありがてぇ! サンキュー。客の入りはどうだ?」
「お昼のピークは過ぎましたね。今でしたら二人くらいは休憩に入っても平気だと思います。星野さん、先に休んできていいわよ。あ、先生方、道明寺さんも入れてよろしいですか?」
「ん、いいよ〜。様子を見て俺が接客のヘルプに入るから、いつでも呼んでおくれ」
踏み台からちょん、と下りた華月がエプロンを外して「行ってきまーす」とのんびりした言葉を残し、厨房を出ると――。
「ざ、座敷童だ! この喫茶店、座敷童がいる…!」
と、ホールの方から客の歓声が上がっていた。それに対する、華月の戸惑いの悲鳴も。
「すげぇなー、星野大人気。――あ、おいLamia。お前さんは料理しないんか?」
「……ふふ。私が料理すると…営業停止になりかねないもの」
そしてもう一度、妖しく「ふふ…」と微笑むと、Lamiaは厨房を後にした。残されたダイナマとその会話を耳にしていた流架は一瞬、Lamiaが魔女スタイルで錬金釜を練り混ぜている姿が脳裏を横切ったのであった。
「――あ、らみあおねーさん! やっほー! お疲れ様!」
彼女がホールへ出ると、こちらへ手のひらを振りながら無邪気に笑う、藤咲 千尋(
ja8564)の姿が。
「あら? 千尋さん、どうしたの? シフトは明日じゃ…」
「うん! でもバナナのティラミスタルトが気になっちゃって」
言ってから、照れくさそうに髪の毛をいじり、付け足す。
「あ、でもほら! オススメの味はきっちり把握しなくっちゃ!! ねっ?」
「ふふ。いいわ、すぐ用意してくるから好きな席に座って待っていて。あ、あと、今日のピークタイムの情報と時間別来客のカウント、気温推測データもまとめておくから明日、よければ役立てて頂戴」
「わーい! さっすが!」
喫茶店「Cadena」オススメ、バナナとティラミスのタルト。カスタードタルトにコーヒーシロップを含ませたチョコレートスポンジと、なめらかなマスカルポーネクリームを重ねたタルトであり、バナナと生クリームで飾りつけ、仕上げにミントの葉をのせれば完成。切り分けたタルトを盛り付けた皿と、流架からアイスティーのサービスが千尋に運ばれてくる。眩しいものでも見るように目を細めて無邪気な笑顔のまま「うっはーーおいしーーー!!」とタルトに舌鼓する千尋をLamiaは穏やかな表情で見届けて、彼女も遅れて休憩に入ることに。「この時間帯と客入りだったら俺とダイで回せるから、君も休んでおいで」と流架に言われ、賄いデザートの白玉クリームあんみつを休憩室で頬張るLamia。途端に彼女の頬がほわん、と緩む。
「やっぱり甘い物は脳が働くには必要ね…疲れがとれる気がするわ」
窓から見える、いつもと同じ青い空。一片の雲が風に流されていった。
●
あーたらしーい、朝が来た!
今日も喫茶店「Cadena」は開店前の朝から賑わっている。
規則正しい包丁の音が途絶えることなく響いているのは、寮の厨房から包丁、共にフライパンを持参してきた水鏡 蒼眞(
ja8066)が、厨房でパスタの材料を刻んでいるからであった。一方ホールでは、
「うきゃー、ちょっとアラン氏見て見てー、どうどうー?? 似合うー??」
「へえ、中々似合ってるじゃねぇか。注文間違えたり何か落としたりするなよ」
普段着ない制服に袖を通した千尋が、器用に爪先でくるりと回ってポーズをとる。彼女の上機嫌振りを、薄く笑みを浮かべて眺めるアラン・カートライト(
ja8773)。
「平気平気ー!! わたし頑張るんだからー!!」
バレエの如く、くるくると回る千尋の身体がどんどん後方の棚へ。そして案の定、彼女の背中に衝撃が走る。
――ドンッ!
「――っ!」
アラン、棚から落ちた天使の置物をナイスキャッチ!
「……千尋」
「……えへ」
今日も一日が始まる。
「ようこそ、Cadenaへ。至福のひと時を約束しましょう、レディ」
メニュー表を片手に、来店した女性グループを迎え入れるアラン。突如現れた見目麗しい執事に、女性達は頬を赤らめながら黄色い悲鳴を上げる。
椅子を引いて女性の着席をフォローすることも勿論、紳士アランにとってはお手のもの。
「あの、此処は珈琲が美味しいって聞いたんですけど、あなたのオススメってありますか?」
「…珈琲? あんなモン、ただの苦い汁だ。是非とも紅茶を。俺が自ら、あなた方の目の前で最高の一杯を提供しよう」
アランの端整な容貌がふっ、と笑みで緩む。途端、女性達が「きゃあっ! 嬉しい!」と華やいだ声を上げた。その声は厨房にまで響いてくる。
「やや、賑やかだなぁ――」
「うおおっ! 足の指、蚊に喰われたぁっ! すっげ痒ぃ!」
突如、包丁を扱う流架の横で、足の指を捩らせ悶えるダイナマ。流架の目線はまな板へ注がれたままだが、目元はぴくぴくと痙攣している。そこへ、
「おっさん、コレを使え」
蒼眞がナイフブロックから包丁を取り出し、ダイナマへ差し出した。
「――オイィ! その処置は失うモンがでけぇだろっ!」
「第一、何でおっさんサンダルなんだよ。ちゃんと靴履けよ、危ねぇだろ」
蒼眞はぶっきらぼうにそう言うと、面をすぐにまな板に向け、自分の仕事に専念し始める。普段、所属寮の食堂を弟分と二人で回している為か、彼の料理を手がける腕は極上、と言ってもよいほど見事であった。横から感心しながら眺めるダイナマ。
「すげぇな…フライパン振っても全然具が落っこちねぇ」
「こんくらい余裕だ。食い盛りの男共が食う量と比べたら、小洒落たカフェのパスタなんざ軽いモンだ。まあ、ケーキとかの飾りつけはあんま得意じゃねぇからよ、おっさん頼むぜ」
手元のフライパンを身体の一部のように器用に扱う蒼眞。「そろそろ仕上げか」と小さく呟いた彼は、調味料が並ぶ箇所からカレー粉を取り出し、軽くナポリタンに振りかけた。
「お! 隠し味とかか、ソレ!」
「ああ。興味があるなら後で作ってやるよ、おっさん」
「おー、あんがとな! …って、あのよ、さっきからオレのことおっさんおっさんって、オレまだ三十よ?」
「あ? 成人過ぎたら男は誰でもおっさ――っ!」
殺気といってもよいほどの、強く強烈な意識の収束。蒼眞とダイナマが振り返った視線の先には、材料ののっていないまな板に刃を置いたまま、包丁の柄を握り締める流架の後ろ姿が。
「――ねえ、蒼眞ちゃん! ナポリタンできた?」
救いの女神千尋が、屈託のない笑みで厨房に登場!
硬直状態、解除――。
「え、オススメですか? わたしはこの、バナナのティラミスタルトが大好きですよー!!」
客にオススメを聞かれ、自身たっぷりに返答する千尋。
(えへへ、味見済みだしー!)
彼女の弾けた笑顔につられたのか、来店時から今まで無表情だった客の男性が、千尋に視線を向けながらはにかんでいた。彼女の明るさは天性のものなのだろう。何事も、自分の力の限り精一杯に。そして元気と笑顔で。千尋の元気の源、兄が言っていた言葉を信じて、彼女は来店を知らせた鈴の音の方へ振り向き、輝かしい笑顔で客を迎えた。
「このセイロンという紅茶は渋みがなく、さっぱりとした後味だ。紅茶の渋みが苦手な人にもオススメだな。ミルク、レモン、アイスティーなどのアレンジティーにも最適な、シンプルな美味しさが魅力でもある。――さあ、どうぞ、レディ達。俺の手製のスコーンも如何に紅茶と合うか、その舌で感じて頂きたい」
銀製のティーポットで淹れた紅茶と、アランお手製の一口サイズのスコーンを二つ添え、女性客に提供する。
「紅茶の生命は色と香り。その色を楽しむ為に内側は白く、香りが広がりやすい浅いかたちのカップを選ぶことも大事だ」
紅茶に妥協は許さない、紅茶紳士アラン。
味と香りの余韻にも楽しみながら、その紅茶と絶妙に合うスコーンを満足そうに味わう客の姿を見て、アランは穏やかに眉を下げて、目笑する。
「紅茶紳士ー! お願いしまーす!」
千尋の呼び声に首を傾けて見やると、どうやら他の客達がアランの紅茶サービスを見ていたのか、俺も、私も、と紅茶の注文が殺到していた。
その様子を眺めて、アランは口元を軽く右手で覆うと、
「やれやれ、忙しくなりそうだな」
と歌うような軽やかさで囁いて、手を外した口元の端を楽しそうに上げた。
●
「――はい、皆、本当にお疲れ様! 頑張ってくれたご褒美だよ。沢山お食べ!」
夜の帳は既に下がっているが、「Cadena」の幕はまだ下がらない。仕事を終えた開放感いっぱいの者達の宴が、これから始まるのだ!
「すごーい! お寿司にピザにフライドチキン! 蒼眞ちゃんが作ったカレー粉隠し味のナポリタンも、やーん、このお店のデザートも〜! いただきまーす!」
「おう! 藤咲も皆も腹いっぱい食えや! そしてその味忘れんなっ!」
テーブルに所狭しと並べられた食べ物やデザート、そして飲み物の数々は、ダイナマの自費である。彼の汗と涙と懐の結晶。
「先生、これ、作ってきました。うちの姓はこれが由来ですから自信作ですよ」
そう言って詩愛は流架の隣りに座ると、彼の表情を窺いながら四段重箱の蓋を開けた。中にはなんと、流架の大好物、道明寺の桜餅がお出迎え!
「やや! 桜餅だ〜!」
子供のようにぱっと顔を輝かせたと思ったら、既に一口目を味わっている。
「んー、やっぱり道明寺好きだなぁ〜♪」
「…その、藤宮先生…。道明寺が好きって…、違うとわかっていても恥ずかしいです…」
目元を少し赤く染めながら、視線を外す詩愛。流架は彼女の言葉をよくよく思案するように、道明寺…、と口の中で反復した後、わあっ! とその意に気づいて声を上げた。
「ご、ごめんよ、そういう意味で言ったわけではなくてね、ええと」
「イチャイチャすんならオレとも――」
流架の十六文キックに吹っ飛ばされるダイナマ。
「お前可愛いな。大丈夫、きっと恋も叶うさ」
全力でその恋を応援するアランが、ぽん、と彼の肩を叩いた。
「何、この焼きプリン、すごく美味しいわ」
「あ、それ、水鏡さんが作ってくれたプリンですよね?」
「ああ」
飲み物片手に、短く返事する蒼眞。緑茶淹れ達人の華月は微笑みを絶やさず皆を見守り、ラフな格好でだらりと椅子に座るLamiaは好物の甘い物に舌鼓。
「さ、少しだけ春気分、華やかさを味わいましょう」
詩愛の掌から放たれるアウルの光は、無数の桜の花弁に姿を変える。風に揺れ、舞う如き散る桜吹雪のようだった。
はらはら、はらはら、と。今宵の宴は、まだ終わらない。