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「――えと、まあ和菓子には色々伝統があるけれどそういうことは気にせず、皆が楽しみながら自分なりの和菓子を作ってくれた方が俺は嬉しいな。だから気負いせずに楽しん、で――」
そう言うと藤宮 流架(jz0111)はへにょ、と教師用の調理台に胸からもたれかかった。表情には何とか笑みみたいなものを浮かべているが、胃の中はどうやらカオスっているようだ。
「先生…とりあえずコレ食べて凌いでいて下さい。私達、頑張りますからね!」
あまりの不憫な姿に月夜見 雛姫(
ja5241)は和菓子作りに準備していたチョコレートを一欠片、流架の口の中に入れてやった。
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「料理は元気! ってことで、皆よろしくな」
何事も第一印象からがモットーの柊 太陽(
ja0782)は、それぞれ一人一台の調理台に並んだ他の生徒達に軽く右手を振って快活な挨拶をすると、早速自らの作業にとりかかった。
「よし、まずは柏餅から作ろう! 柏の葉は湯通ししてから水気をとって、あ、乾燥した蓬(よもぎ)もお茶パックに入れて水に戻しておこう。それから――」
厨房の経験があるからか、太陽の手際は実に良かった。手元は滑るように次への作業へと移り変わってゆく。用意した二つのボウルには上新粉を始めとした必要な材料を適量投入し、軽く混ぜながら水を入れて再びよく混ぜる。
「うん、こんな感じかな? そしたらレンジで加熱〜♪」
そして調理完了の合図音が鳴るとボウルを取り出し、混ぜる、搗く、捏ねる!この作業を二回行い、生地の完成。
「ん、丁度いい柔らかさだー♪ よし、これを人数分に分けて伸ばして…」
「やや! こっちのボウルの生地、まさか蓬味かい?」
突如、にゅっ、と流架が太陽の真横でボウルを覗いていた。集中していた太陽はビクッと目を剥いて「ビックリした」と苦笑しながら呟く。
「うん、一つはプレーンな生地、もう一つは蓬を入れた生地にしてみたんだ。あ、味見してみる? ちょっと待ってね、今餡子包んであげる」
そう言って、太陽はまるで寿司でも握るかのようなスピードで蓬の生地に餡を包み、流架の口にひょい、と入れてやった。流架の口の中で蓬の香りと上品な餡の甘さが広がる。
「んー、ほんのりの甘さがいいね〜! 蓬もしっかり存在感あるよ〜!」
「よかった! あ、先生、折角の機会だから実は和菓子の他にも洋菓子も食べてもらいたいなぁ、と思って、今日は小倉のクリームロールケーキも作るよ! 楽しみにしていてね! ――あと、コレ」
太陽はエプロンのポケットから二つ折りにしたメモを取り出し、流架に手渡した。
「柏餅とロールケーキのレシピ。気が向いたら先生が作れるように」
そう言うと、太陽はその名の通り、眩しく笑った。
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「…流架さん、今あなたが隠れてつまみ食いした桜餅の生地、唐辛子で着色したものですけど」
「え――って、はうあっ!!」
さらし餡に砂糖を加えてかき混ぜながら目線はそのまま鍋に、アートルム(
ja7820)は抑揚のない声で呟いた。調理台の影から流架の短い悲鳴と悶える音が聞こえる。その間、アートルムは餡の入った鍋の火を消し、次の作業へと入った。別の鍋に葛を溶いた水と砂糖を入れ火にかけ、透明になるまでしっかり練り混ぜる。そうして出来上がった葛は、ラップをしいた底の浅い椀に流し入れ、その中央に冷ましておいたさらし餡を丸めていれる。
「…ふむ。これでラップを絞り球形にし、冷水で冷やせば…」
「く…、葛饅頭のでき、あがり…」
アートルムの言葉を弱々しく繋いで、流架が調理台に肘をつきながら身体を起こしていた。
「大丈夫ですか? すみません、料理の経験はあまりないもので…材料を間違えてしまいました」
涼やかな眼差しのまま、淡々と喋るアートルム。表情というものが読みとりづらい彼だが、決して冷ややかというわけではない。手近にあった椀に水を汲み、タラコ唇になった流架に差し出す。
「…こ、こちらの桜餅の生地は平気ですから、味見してみますか?」
アートルムは視線を不自然に流架から逸らすと、道明寺粉と着色した湯を使った桜餅の生地を団子のように丸め、楊枝を刺して流架に渡した。それを頬張り、もちもちと口を動かす流架を、アートルムは正視できなかった。
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「――最近は三色団子に餡子が入っているのがあるけどアレ、邪道だと思わない!? あたし三色団子はシンプルなのが一番だと思うんだ! ねぇ、先生はどう思う? …って、先生、何か唇腫れぼったくない? どしたの?」
山から摘んで来た新芽の蓬を湯がきながら、栗原 ひなこ(
ja3001)は近づいてきた流架の方へ顔を傾ける程度に寄せると、緩慢な瞬きを二度したのち、釣り目の瞳を大きくした。
「ん、ちょっとお茶目な間違いがね〜。栗原君、何か恵んでおくれ」
「え? あ、ちょっと待ってね、先生! 蓬、水に晒さないとっ。もたもたしてると色が悪くなっちゃうから、急いでやるのがコツなんだ〜」
ひなこはほんの数秒思考を巡らせたものの、即刻頭の回転を切り替える。空中に白く漂う蓬特有の香りを残したまま、湯がいた蓬を素早くボウルの水に晒す。…葉がいくつか流しに落ちた気がしたが、きっと気のせい。
「着色料や抹茶もあるけど、やっぱり緑の部分は蓬で作った方が美味しいと思うんだ♪ えへへ、ここはちょっとこだわりっ。――はい! 先生、味見してみる?」
――晒し終わった蓬を。「採れたてだから美味しいよ〜!」と無邪気な笑顔のひなこ。――訂正、晒し終わった新鮮な蓬を。…醤油かけたらおひたしになりそうだな、と、思案を巡らせながらも、流架はそのまま頂くことにした。
牛のように顎を動かす流架の横で、ひなこはボウルに入れた上新粉と砂糖を湯で微調整しながら、適度な柔らかさに捏ねていた。
「う〜ん…確か耳朶くらいの硬さが丁度いいんだよね。…耳朶の硬さってどのくらい? あ、このくらいかな〜」
眉根を絞り、左手で自らの耳朶の感触を確かめながらボウルの中の生地の硬さと比べて、湯でまた微調整。なかなかに難しいさじ加減。
「あ、先生の耳朶もちょっと貸してっ!」
「…耳朶貸してって、また斬新な表現をするね、栗原君。――って! 耳はちょっ、あ、俺、他の子の様子見てくるから〜!」
流架は首を傾げるようにすい、と身を翻し、ひなこの頭にぽんと軽く手を置いてから逃走した。
「ん? どしたんだろ? ――あっ、生地蒸さなきゃっ!」
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和菓子――。味覚は元より、芸術作品としての側面も要求される。季節感の表現一つにも、材料を吟味するものだ。例えば――。
「…それでは、名に恥じぬものを作りましょう。まずは『冬』の白雪と温もりを表現させる、酒饅頭から」
わがし(
ja1142)は竹笠に手をかけ、僅かに視界を開けさせると手早く作業を開始した。薄力粉、酒粕、日本酒や重層、そして漉し餡。どれもわがしが選別したものだ。
手際良く形を成して酒饅頭を蒸し器に入れると、蒸し加減に注意しながら火にかける。早すぎても遅すぎてもいけない。
「この隙に、『秋』の月見団子の準備をしましょうか」
十五夜の月に供える丸い形の団子。だが今回は、団子の姿形にアレンジを加える予定だ。
「――わあ、いい匂い。これは酒饅頭かな」
ひょっこりと蒸し器の横に現れた流架が、軽く問いかける表情でわがしを見ていた。
「藤宮教員。――おや、そろそろ蒸し上がったようですね。どうぞ、お確かめ下さい」
ひっそりとした囁きでわがしは返し、蒸し器の蓋を開ける。大量に上がる湯気と共に、芳醇な酒と仄かな甘みの香りが二人の顔を温かく擽った。湯気が空気に散るのを待って、二人は眼差しを蒸し器の中へ伏せる。ふんわりと膨らんだ艶のよい酒饅頭に仕上がっていた。
「ふむ、よい出来です。藤宮教員、今回は皆さんと協力して『四季を表現する和菓子』を作成しています。和菓子は心、皆さんの思いがこもった素晴らしい和菓子が完成するはずです。どうか楽しみにしていて下さい」
わがしが首を起こして流架を正面に見る。彼の澄んだ面に流架はしめやかに瞬くと、双眸を弓形にして微笑んだ。
「君達はいい子だね。ありがとう。楽しみにしているよ。勿論、君の和菓子も、ね?」
流架にゆるりと頬を傾けられて、わがしはやや照れくさそうに、竹笠のつばを引き寄せた。
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「よいしょ、よいしょ」
雛姫の小さなかけ声と共に、長く艶やかな黒髪が前へ後ろへと揺れていた。「やっぱり餡子は漉し餡です〜♪」と、雛姫は口元に笑みを零しながらこし器に小豆をのせ、木べらで丁寧にこしてゆく。
「――うん、こんな感じですね!」
そう満足そうに独白して、目鼻立ちの整った愛らしい顔が、パッ、と子犬のような無邪気な笑顔へ変わる。
「よ〜し、練った道明寺粉にこの餡子を包んで…よいしょ、…桜の葉を巻けば、完成です〜! 紅食で色付けしたものも綺麗に練れましたし、紅白桜餅ですね! ――ではこの調子で、次のスイーツにいってみましょう」
道明寺粉でべとべとになった手を洗い直し、調理台に新たな材料を用意する雛姫。その様子を遠目で見ていた流架がふと、もの珍しそうに表情を輝かせて近寄って来る。
「やや。それ、インスタントコーヒーかい? チョコレートも。…あ、そういえばさっき、薄れゆく意識の中で命を繋ぎとめてくれたチョコレートが…。月夜見君、感謝するよ〜」
「ふふふ♪ あ、今回私は桜餅の他にも、和と洋のコラボ作品、洋風あんみつも作りますからね! その為のコーヒーとチョコなんです」
そう言うと、雛姫はお湯で溶かしたインスタントコーヒーに牛乳を入れカフェオレにし、冷蔵庫の中に閉まう。そして冷やしている間、海から入手し、綺麗に汚れを落として乾燥させた天草で、寒天を作る準備を始めた。
「すごいなぁ、本格的だね」
流架が感心して思わず声を上げる。
「折角ですから一から手作りしたくて。薄力粉とバターとお砂糖で、ショートブレッドも作りますよ! チョコ餅も♪」
「わ〜!」
ぱちぱちと拍手しながら感嘆する流架。「月夜見スペシャルあんみつ、楽しみにしているよ」と期待の言葉を残して、ふらりと他の調理台へと消えた。
「ん、頑張りましょう! ――あれ? 予備に買っておいたチョコが減ってます…。さっきまであったはずなんですけど…???」
後に残されたのは、消失(?)したチョコレートの残り香だけであった。
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「…藤宮さん、今、何を召し上がったのですか?」
丁度戻ってきたらしい神咲 夕霞(
ja8581)が見咎めて、流架の肩をぽんと叩く。彼女が調理台を数秒離れた瞬間の犯行だった。
「わっ! ……えーと。君の作った漉し餡、美味しいよ」
「あ、そちらの餡を召し上がったのですか。藤宮さんに味見をして頂きたかったので丁度よかったです。食べる人に甘さを合わせないと意味がありませんからね」
よかった、お咎めなしだと胸を撫で下ろした流架は、「少し甘さを控えたこっちの餡がいいかな」と少し逡巡して、感想を伝えた。すると彼女は意外そうに、
「おや、そうですか。実は私も甘すぎるのは苦手なんですよね」
と苦笑しながら、甘さを控えた餡の方で流架用の桜餅と、皆の分も手早く作成する。
「あ、道明寺と長命寺だ! すごいね、二種類作れるのかい?」
「ええ。和菓子を作ること自体は久しぶりですが。関東と関西、色々と違うものがありますよね。この桜餅もそうですが、作り方から違うのに、同じ名前というのも興味深いです」
薄く唇を綻ばせて語る夕霞。
「餡も余っていますし、少し季節外れですが、私の家ではよく作っていた蓬餅も作りましょうか。とはいえ、母の味には勝てませんが」
そう言葉を口にして、夕霞の胸にわいた温かな懐古の念。思いを馳せているのか、その表情は穏やかに微笑んでいた。
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「――草木が芽吹いて、自然が目覚める『春』。木々が誇らしげに枝をふるわせて、花が咲き乱れる季節ですよね。どうぞ、藤宮さん。春の味をお楽しみ下さい」
流架の目の前には、春夏秋冬巡に並んだ様々な和菓子が艶やかな光沢を放っている。夕霞が、まずは春を彩る和菓子を流架に進めた。
「では、いただきます。――うん、春はやっぱり桜餅だね。ん、この桜餅はアートルム君のかな? 桜の葉、ちゃんと塩抜きしたんだね。食べ応えがあって美味しいよ♪」
「それはよかったです。ちゃんとレシピを調査したかいがありました」
「神咲君の二種類の桜餅も食べ比べができて楽しいし、蓬餅も甘さ控えめの餡にしてくれたんだね。うん、上品なお味だ。やや、月夜見君の桜餅はとても丁寧に餡をこしているね。やっぱり漉し餡サイコーだよね〜」
「ね〜♪」
二人して同じように首を傾げる流架と雛姫。
「ん、柏餅、なんかとても新鮮! 蓬味、やっぱりいいねぇ〜柊君。やや! 三色団子見るとお花見を思い出すなぁ。うん、シンプルな甘さが逆にお団子を引き立てているね。美味しいよ」
「ホントっ? よかった! 見た目あんまり良くないんだけど、心をこめて作ったんだよ!」
ひなこが嬉しそうに双眸を細める後ろで、太陽も同じ表情で照れくさそうに頭の後ろを掻いていた。
「『夏』。蒼穹の下、涼を感じさせる和菓子は如何でしょうか。どうぞ、葛饅頭です。仕上げに少し蒸して、透明感を出しました」
「わぁ、綺麗だねぇ。んー、よく冷えていてプルンとした食感も楽しいなぁ。お味もいいね」
流架の上機嫌な笑みに、アートルムの頬が心持ち緩んだ気がした。
「『秋』と『冬』は僕が作成させていただきました。まずは秋から。月見団子で満月に浮かぶ兎の姿を、冬は柔らかくも確かな雪を表現しました。食器まで拘れなかったのが無念ですが、どうぞ」
淡々と言葉を発しながら、皿を差し出すわがし。
「きなこを振りまいたお皿の上に兎がのっています。素敵ですね」
夕霞を始め、皆がその芸術作品に見惚れているが…目で味わった後は、勿論口で。「ごめんね、兎君」と、申し訳なさそうに呟いて、流架はぱくっと兎を口に入れた。
「…うん、甘味は抑えているけれど、お団子本来の美味しさを感じるよ。こちらの酒饅頭もふんわりして、しっかり食べ応えがあるね。――うん、ご馳走さま! 皆、お腹も心も贅沢させてくれてありがとう。さあ、皆もお食べ。他の子と交換して色んな味を楽しんでご覧?」
一台の調理台を囲むように座る、六人の生徒と一人の教師。
太陽のロールケーキを幸せいっぱいに頬張るひなこ。ひなこの口に付いたクリームを笑いながら拭ってあげる太陽。雛姫の洋風あんみつを黙々と、だが、あっという間にペロリと平らげてしまった、わがしとアートルム。それを嬉しそうに見つめながら、色んな桜餅を味わう雛姫。そして、濃いめに点てたお茶を片手に、ん〜、まだ要修業ですね、と自分で作った蓬餅を食べる夕霞。
そんな生徒達を見つめながら、流架は優しい眼差しで、笑んだ。