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りんごーん。
藤宮 流架(jz0111)の実家、骨董品店でもある荘厳な日本家屋の呼び鈴を、獅子堂 虎鉄(
ja1375)は、うりゃ、と押して夜空を仰いだ。
「今にも降り出しそうな空…生ぬるい風…絶好の百物語シチュエーションだな!――あ、先生!こんばんは!」
「はい、こんばんは。みんな、よく来たね。いらっしゃい」
玄関先の扉を開け、着物姿の流架が出迎える。
「やや、獅子堂君気合い入っているね。百物語に青い浴衣とは、実に雰囲気がある」
「がははは!先生、こういうのは形から入らないと、だぞ?」
「ふふ…。九条君の着物は奥深い黒だね。まるでお人形さんみたいだ。よく似合っているよ?」
「…どうも」
無表情のまま、九条 朔(
ja8694)が僅かに視線を宙に泳がす。彼女のまっすぐで癖のない長い髪は、着物の色とはまた異なる黒色で、お互いを引き立て合っていた。
「やや、艾原君は綺麗な瑠璃色の浴衣なんだね〜。瞳の色に映えてとても素敵だ」
「えへへー、あにぃも同じコト言ってくれたよー♪」
大きな緑色の瞳で笑んで、艾原 小夜(
ja8944)は浴衣の両袂をひらひらと踊らせながら、くるりと一回転した。
「ふふふ、さあ、みんなお入り」
カランコロンと下駄の音を鳴らし、五人の生徒が玄関口をくぐっていく。――五人、が。
「…やや?一人、いないね」
おかしいな、と流架が辺りを窺うと、街灯に照らされた道の向こうから、
「――いや、俺は遠慮すると――いや、だからちょっと待て、服を引っ張るのはやめろ――俺は参加しないと…」
自分の妹、桜香にズルズルと引きずられてくる、佐野 和輝(
ja0878)の姿が。
「…あああ…佐野君、ごめんよ」
とか言いつつ二人で彼を連行し、為す術なく百物語に参加することになった和輝であった。
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かくして、九十四本の蝋燭が灯される一室に通された六人。乱立する灯火達を囲むように、ひっそりと円形に着席する。手元に渡された一人一本の蝋燭が、妙に心根をざわめかせるような、不規則な揺らめき方をしていた。
「…では、一番手は私が」
やや前傾に腰を浮かし、着物の裾を直してまた正座の佇まいに戻る朔。ちらりと横目で左方を見やると、広い座敷の一番奥の暗がりの隅で、流架が静かに煙管をふかしていた。生徒達の方へ煙が行かない様に、外への襖を少し開けながら。
目線を正面の蝋燭へ戻し、朔は膝の上に重ね手をしたまま、ぽつりと語り始めた…。
「七人峠…という言伝えが、私の村にはありました。
それは名前の通り、その場に七人揃った時だけに姿を現す霊場です。
古来から、東洋では七という数字は不吉なものとされ、山に入る猟師も決して七人では行かないものでした。…これから話すのは、私がまだアウルに目覚めていない、十歳にも満たなかった頃の話です」
ザクザク…。
山を登る八人の大人の歩調に必死に後をついて行く私の後ろで、短い悲鳴と何かが崩れる音が聞こえました。足場の悪い崖道は、大人でも僅かな不意が命取りになります。一人の大人が底の見えない崖下へ転落したのです。私の父親が救出を名乗り、私も父の後をついて行こうとしましたが、父は他の大人に私を預け、単身崖底へ下りて行きました…。
不安に思いながらも私は先へ急ぐことに。すると、
ニャア、
こんな山の中に、不自然に現れた白猫が私の視界に留まっていました。目を奪われたのは一瞬でしたが、気づいた時には辺りは夕刻かと思うほど暗く、先を歩いていたはずの大人の姿、そして白猫の姿も消えていました。
おかしい、おかしい。
私は暗闇の中を走りました。誰か、と――。
その時、闇の中をボウと浮かぶ、と白い着物姿の若い女性を見つけたのです。私は安堵し走り寄りましたが、その途端、
女性の手が私の首を掴んだのです。低くニタリと笑う女性の声は、老婆のように低くしゃがれていました。
私の視界が暗転しようしたその時、鳴き声が一つ、聞こえたのです。
ニャア、
かろうじて振り返り、霞む中、私は見ました。一匹の黒猫を。唐突に女性の握力から解放され地面に尻もちをついた私は、怯えるように表情を歪ませて逃げる女性の姿を見て、もう一度振り返りました。
そこには、黒い着物の女性と、白猫の姿がありました…。
語り終えた朔は、そういえば、という表情を装い、
「此処にいるのも、七人でしたね」
最後まで表情を崩すことなく、さらりと含みのある一言を呟いて、手元の蝋燭をふぅ、と消した。
…ニャア、
どこか遠くで、猫の鳴き声が聞こえた様な気がした。
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「んー、朔ちゃんのお話、最後イイ感じに終わるねー。ゾワっとしちゃった!じゃあ二番手はあたしがいくねー。これは山間に旅行へ行った時のお話なんだけどー…」
小夜は身を乗り出すと声を潜めながら語り出した。…その目は蝋燭の灯りのせいか、キラキラと輝いているように見えたが…。
まだあたしが幼い頃、あにぃと二人で山中の神社のお祭りに行った時のことだったの。
あにぃに買ってもらった綿飴を片手に、境内の隅に五歳くらいの女の子が一人佇んでいるのを見つけたんだよね。賑やかなお祭りの中、その子が一人でつまらなそうだと思ってね、あたし、「一緒に食べよー?」って綿飴を差し出しながら近づいていったの。だけど、
ガシッ、
あにぃが力強くあたしの手を引き止めて、真っ青な顔で「駄目だ」って呟いたの。「なんで?」って頬を膨らませてあたしがあにぃの方へ振り返った時、
…ポン、
…不意にね、あたしの左肩が弾んだの。あたしは首だけをゆっくり左へ動かしたんだけど、境内の隅にいたはずの女の子がすぐ真横に佇んでて、あたしの左肩へ小さな手を乗せていたんだよ。
こっちから境内の隅までは二十メートルはあるはずなのに。その距離を瞬きするほどの一瞬で、ね。
ニタッ…。女の子の周りの空気が、不気味に蠢いた気がしたの…。よく見ると、彼女の口には鋭い牙、そして白目の「ない」黒い瞳が歪な弧を描いて、音のない言葉が「聞こえた」の。
「 オイシソウダネ 」
――あにぃはあたしを抱え上げて、一目散にその場を逃げ出した…。
「…えへへ、実はこの話、あたし全然覚えてなくてね、全部あにぃから聞いたのー。『お前はもっと怖がれ!バカ!』って半泣きで言われたー…。あにぃが言うには女の子は赤い浴衣姿に黒髪のおかっぱだったんだってー。あ、しかもこの神社、むかーし昔、人を食べちゃう鬼を封印した石があるんだって言ってたよー」
「…じゃあ、なんだ。まさかその石が何かの拍子で破壊されて、そこから復活した鬼が小夜の会ったおかっぱの――」
小夜の話に聞き入っていた犬飼 銀司(
ja9270)が、白い歯を見せながら面白そうに隣りに座る彼女に尋ねる。
「んー、どうなんだろうね?…でも、そうだったらあたし、あにぃがいなかったら今頃――」
小夜は手元の蝋燭を、静かに吹きかけて消した。
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「――よし、三番手は俺だな。これはダチが体験した話なんだが…」
銀司が語り始める横で「あう〜あう〜…」と小柄な身体を正に小動物さながら丸くし、震えさせる八種 萌(
ja8157)の姿が。
「…いや、萌、まだ怖がんな。これからだから、まだ俺始まってないから」
「はう〜はい〜…」
…どうやら怪談に免疫があまりないようだ。既に涙目の彼女。
「…まぁ、よくある話なんだが、俺の地元に三階建ての廃病院があるんだ。俺が餓鬼の頃はまだやってたらしいが今じゃ廃れちまってる。
そこが閉鎖する前、三人の子供が入り込んだわけだ。中はまぁ、想像通りのボロボロだったらしいな。古びた医療器具も散乱してたり壊されてたり…今まで面白半分な連中が相当、其処で遊んでいたんだろう。
全員で中を歩いていたが全く何も起こらねぇもんで退屈だったんだろうな、一階から二階、三階へと調べ、更に三つ目の怪談を上がってその階を探索したら帰るかって話になったんだ。
…まぁ、その階は変わっていたそうだ。どう…、と言われても困るな、あくまで感覚的に――だったらしいが…。
その階から見える景色は真っ暗だった。いや、暗い…というより何も「見えなかった」らしい。まるで閉ざされたような空間…つーかな。そこを歩き回ってたら一人が言ったわけだ」
『なぁ、もう帰ろうぜ?ここつまんねぇ』
「何も無いんだ、そう思うのも当然だろう?むしゃくしゃして足元にあった医療器具を蹴飛ばしたらしい。金属音のすげぇ音が廃病院の中を響いた。すると、何かがこっちに向かって走ってくる音が聞こえて、三人が振り返ると――」
『こんの餓鬼共が!なに騒いでやがる!』
「男だった。どんな男か、なんて聞くなよ?何の特徴もない、ただの普通な男だったんだ。
怒られてビビったあいつらは急いでその廃病院から逃げた。
…さて、おかしなトコロに気がついたか?この病院は三階建て、つまり三つ目の階段なんぞ無いわけだ。じゃああいつらは「何処」に行ってたんだろうな…?」
銀司の手元の蝋燭が消え、その煙が幽鬼の様に揺らめいた気がした。
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四――その数字は「死」を連想させるとして、昔から不吉な数として語られている。その「四」番手は萌だった。だが…彼女の怪談防衛ラインは既に突破されていたのか、正座の姿勢のまま白目を剥いて気絶していた。
「…器用だな」
隣りに座っていた和輝が意想外な顔で萌を見つめながら、小さく呟いた。
「…お、起こしてくれて、ありがとうございますぅ…(えぐえぐ)…あのあの、これは聞いた話なのですが…。
あるトンネルで多重玉突き事故が発生して、お、多くの人が亡くなったそうです。
ある男性など、首が切断されて(うぷっ)しまったそうなのですが…どれだけ捜索しても首が見つからなかったそうです!トンネルの通行が再開される頃になっても首は見つからず、やむなく捜索は中止になってしまったんです…。
それからしばらく。
あるカップルがそのトンネルを通りました。男性がこのトンネルでの大事故を思い出し、「此処で切断された死人の首、まだ見つからないんだって…」と話した瞬間――」
ゴトン!!
「車のボンネットの上に、腐乱した首が落ちてき、き――きゃあああああ」
以下、萌の悲鳴。
「…ふ、ふぅ、ふぅ…あ、ちなみに切断された首はトンネルの天井に飛んで行ったらしく、切断面の血が糊の役割をして張り付いていたそうです…うえっ…そ、想像したくないですぅ…」
だが恐らく、萌の脳裏には今――。彼女が悲鳴を上げながら浴衣の袖をはたはたと棚引かせるものだから、いつの間にか手元の蝋燭は消えていた。
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「…これは、ある友人から聞いた話だ」
和輝の、静寂に融け込む声。背筋は一本筋に正され、真っ直ぐな目線はほぼ逸れることなく、正面の灯火の揺らめきに当てられていた。
「そいつは自分を入れて四人で登山に出かけていたが、突然天候が崩れ、猛吹雪となったことで遭難してしまった。
幸い、近くに小屋があるのが見つかったそうでソコへ逃げ込んだのだが、そこは暖房器具がなかった。このまま寝てしまうと、確実に凍死だ。
その時、友人が一つの提案をしたんだ」
『四人全員が小屋の四隅に座り、五分毎に東周りに歩いて人を起こして回ろう。起こされた人は起こした人と交替して、次の方角へ向かうんだ』
「他に良い案が浮かばなかった面々は、その案で一夜を明かすことにした。
そして翌朝――その提案のお陰か、四人は酷く衰弱していたものの何とか生き延び、救助隊に保護された。
一見、無事に助かったのだから良かっただろう、と、思うだろうな。だが…よく考えてみてくれ。この方法、成立するには一人足りないんだ。
五人目は一体、誰だったのだろうな…」
語り終えた和輝が手元の蝋燭を吹き消そうとした時、何拍かの静止の後、彼は背後に気配を感じたようにふと、首を動かした。
「…どうし、ました?」
朔の問いに「いや…」と短く返して、和輝はすっと声を呑んだ。五本目の灯火が煙となって、天井へ消える。
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残された手元の蝋燭の灯りが、虎鉄の中性的な面にくっきりとした陰影を刻んでいた。「――よし、最後はおいらだな」と、虎鉄は心地を引き締める。
「みんなは『一人隠れんぼ』というものを聞いたことあるか?夜中の三時から二時間、米と自分の爪や血液を詰めた手足のある人形と隠れんぼをするんだ。詳細は省くが…知りたかったら、えーと…あ、コレでな?スマホで検索したやつだ。よかったら見てくれ。――で、これをやるとほぼ、何かしらの怪奇現象が起きるとか。今から話すのもその実証者の一人の話だ」
最後の怪談話が始まる。
「彼もネット掲示板で件の話に興味を持ち、早速実証してみた。
どうせなら強力にと、鶏のハツ、心臓だな、それを人形に埋め込んで開始したんだ。手筈通りに隠れた後、頃合いを見て人形をカッターで刺す。すると急に」
ザアアアアァァーーーッ!
「突然、誰も操作していないのにテレビに映る大音量の砂嵐。まるで人形の悲鳴のように、な?
気味が悪くなり、すぐに彼は塩水を持って押入れに隠れた。
暫くすると、」
ズルッズルッ
「何かが這い回る音がするんだ…」
ゴンッゴンッ
「何かが辺りを叩く音も。
――人形が彼を探しに来ている!?
恐ろしくなった彼は、息を殺してそのまま押入れの中に身を潜めていた…。
二時間後、彼は人形を探したが、発見したのは所定の場所ではなく玄関だった。彼は人形を見て、思わず震え上がった!
だって、血の通っていない筈の人形が、鮮血で染まっていたんだ。
鶏の心臓のせいで、一時的に命を得たのかもしれないな…?
後日、部屋中に何かが這い回った血痕が残っていたと彼は証言している。特に、彼が隠れていた押入れの戸には、べったりと…」
手元の蝋燭の火が燃える音まで聞こえてきそうな静かさの中、六人が囲んでいた大量の蝋燭の灯りは、いつの間にか闇に溶け込んでいた。何故だか、言いようのない不安。
虎鉄は喉を一つ鳴らし、その空間唯一の手元の灯りを――消した。
……。
………。
「……暗」
誰かが呟いたその時。
バァン!!
激しい音をたてて開いた襖の音に、きゃあああっ!と、主に萌の絶叫が響き渡る。
「――やや、ごめんごめん。両手空いてなくてお行儀悪く足で開けてしまったよ。ほら、スイカ切ってきたからお食べ」
いつの間に抜けだしていたのだろう、現れたのは、お盆にスイカと麦茶をのせた流架だった。空気読み人知らず、いや、読んだのか?
「せ、せんせ…」
酸欠の如く、萌がふにゃ、と畳に倒れ込んだ。
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縁側に並んでスイカを頬張る虎鉄達。その光景を、襖の縁に寄りかかり微笑しながら眺める流架。だがふと、睫毛を二度瞬かせて、もう一度彼らを見た。
そして、大して困っていない表情で、
「…やや?…今度は『一人多い』、ね?」
彼らの本当の「百物語」が始まるのは、また別のお話……。