●
集うのは、物語と言葉。
そして――……
●
朝の囀りが心を癒す。
日の光が心をあたためる。
珈琲の香りが、橙に揺れる小花――春都(
jb2291)の心を満たす。
寝不足な意識に、実のある疲れに、あと一呼吸分の息抜きに、“さざなむ”憩いを求めて――漣 悠璃が経営する喫茶店「Cadena」。
「――ご馳走さまでした!」
「私の珈琲、お口に合ったかしら?」
「はい、とっても♪ それに、悠璃さんのおかげで最後のツメもしっかり気合い入れられます!」
「そう? なら、私も嬉しいわ。数日前から学園の化学室で試行錯誤してたんでしょ? 春都さんのサプライズ、“実る”といいわね」
「ありがとうございます。――では、また披露宴で!」
碧空が高い。
誰かの想いは届くだろうか。
誰かの願いは叶うだろうか。
「……“誰”か、は……」
――私?
●
Spot――スヴニール教会。
「ようこそ」の想いを。
「ありがとう」の心を。
今日という日和の“縁”に、伝えたい。
Welcome
to our
Wedding Reception
Ruka
Ai
Thanks for all our encounters
2017.8.31
新郎新婦――つまり、御子神 流架(jz0111)と御子神 藍(
jb8679)の控え室では、“ガラスの靴”を履いた藍が花嫁の幸せを願うおまじない――Something fourを手のひらに添えて眺めていた。
“Old”――瑠璃のブローチ。
“Borrow”――ハンカチ。
祖母から受け継ぎ、そして、流架の母から借り受けたもの。
「(NewとBlueは……)」
新しいもの。それは、作業を終えた“製作者”が率直な感想をぽつりと零した――
『ふむ、流k……桜餅殿は捕食される側、か』
“New”――リングピロー。
先頃、白蛇(
jb0889)が御子神 凛月(jz0373)に贈った“想い出”と一緒のものであった。しかし、全てが同様というわけではない。
一つは、指人形のマスコット。
男性側には、フェルト生地の白燕尾服を着飾った桜餅。もう一度言おう、桜餅デス。女性側には、レース素材のウエディングドレスでドレスアップした青毛のジャンガリアンハムスター。寄り添う二人――ではなく、一つと一匹。どちらも人間には程遠いが、これも一種のしあわせのかたちだとおもう。
もう一つは、絆を結ぶリボン。
二人の愛を約束する、という意を表現する誓いの紐は、淡い自然で染めた薄緑だ。
そして、青。
それは――……
「……、……藍?」
席を外していた流架が戻ってきた。
藍は、調子の違う気恥ずかしさと、小さじ一杯分の期待を込めて、とっておきな“純白”で彼に向き直った。
「ど、どうかな……?」
今日という本番まで秘密にしてきた、プリンセスラインのウエディングドレス。
星屑を彷彿とさせるビーズ刺繍のコサージュで飾ったビスチェと、タッキングとフリルで羽のようにふんわりと広がるスカートが女性らしく華やかだった。大小の花が咲き誇るスカートの内側には、“幸せのおまじない☆”をそっと忍ばせて。
“Blue”――ピン。
それは、親友であるユリア・スズノミヤ(
ja9826)から贈られたお洒落な配慮。
濃いロイヤルブルーの絹リボンを結んだ飾り用の大きめのピンには、白百合、赤鷹、てるてる坊主のチャームが付いていた。藍の心を支える、力強い味方。
左耳に垂らした雫は、恋人の時に流架から貰ったエメラルドのドロップピアス。
髪はハーフアップでフェミニンにアレンジ。緩めに結った海底の色を、ロマンティックベールがシフォンに包む。
――夏の終わりのシンデレラ。
流架の目が、夢を謡うかのように緩やかに瞬く。
「……綺麗だな」
「ほ、ほんと?」
「ああ、抱き締めてキスしたいくらいだ。いいかい?」
「Σふぁっ!? まっ、まだダメ! だ、だだだって“誓います”してないもん!」
狼狽と羞恥で表情をごちゃ混ぜにする藍を眺めながら、流架は声に出して笑った。
藍が「もうー」と上目に対する流架は、白の燕尾服。
真白以外の色といえば、右耳に垂らしたアクアマリンの雫と、左胸に飾ったブートニアだ。オレンジブロッサムとホワイトローズ、勿忘草の香が“あの日”を追想させる。
愛情の度合いに制限などない。それは、惚気も一緒だ。
「……やっぱり、流架は綺麗だね。この人が、私の旦那様なんだなぁ……ああ、まだドキドキする。バージンロードで涙が零れたらどうしよう」
「いいよ? 泣いても」
流架の顔がぐっと近づいた。流架の瞳の中に藍が映っている。きょとんとする自分と春の日差しめいた流架の顔を同時に見ながら、藍は流架の言葉を待っていた。
「君の雫は、俺が何度でも掬うよ」
彼の手で、そっとベールダウンがされる。
「さあ、行こうか。皆が待っている」
●
時に切なく、
時に力強く、
愛を育む全ての人達に捧げる“メロディ”――。
一歩、一歩、季節の花が敷き詰められたガラスのバージンロードを二人で歩く。
右手の席には、心安らぐ顔触れが和やかな瞳で待っていた。
動きやすいパンツスーツを着用し、乏しい表情ながらにケセラセラと日々を楽しむ夏雄(のちの祭乃守 夏折(
ja0559))
左の耳許には姫早百合、左手の薬指には白とベビーピンクのメレダイヤが2石ずつ付いたエンゲージリングを添えている。ショールスタイルの黒のリバーレースボレロと合わせた、ビジュー刺繍のローズグレーシフォンドレスを優雅に纏い、stellaよりも美しく輝くユリア。
スリーピースの黒スーツに、白百合姫に選んでもらった退紅色のネクタイ。“青い海”からの贈り物であるネクタイピンを留め、左手の薬指には勿論、愛の象徴を。ユリアの真面目な保護者で、硬派な恋人、飛鷹 蓮(
jb3429)
大切で、大好きな、藍の“桜の親友”達。
藍は三人に前以て、精一杯の心を籠めて手製した桜のリストレットを贈っていた。それはユリアと蓮の手首を彩り、夏雄は勿論、身に付けずポケットの内に仕舞った。
彼らの後ろの座席には、ユリアと蓮に負けず劣らずのカップルが歩む二人を見守っている。
日本人の肌に似合う色合いのダークスーツに、藤色のタイとポケットチーフで華やかに演出。容姿端麗に加え優雅な所作、どこぞの姫叔父(ひめぎみ)でも通る、不知火藤忠(
jc2194)
エレガントと甘さを併せ持つAラインのワインカラーワンピースに、胸元には藤のコサージュを。ペタルピンクの唇で緩やかな弧を描く、御子神 凛月(jz0373)
そして、もう一人。
細身のダークスーツに、アンティークな百合モチーフのラベルピンを添えた彼は、藍の幼き頃からの“ネロリ”の支え。深みのあるグリーンジャスパーの双眸を眩しそうに細める、夕貴 周(
jb8699)
優しい光に行き先を照らされながら、一歩、一歩――。
左手の席には、貴い縁の顔触れが微笑む口許で待っていた。
あたたかみのある淡黄に咲く花の訪問着を品格よく纏い、感慨深げに微笑んでいる白蛇。
知的で清涼感のあるプルシャンブルーのドレスに、ぶかぶかのシルクハット。眠そうな表情とジト目は彼女の常々な“愛嬌”でもある、ハートファシア(
ja7617)
スタイリッシュなチャコールグレーのスーツ。ラベンダー色のネクタイに、時計デザインのカフスボタンを装い、切れ長の目尻を下げるダイナマ 伊藤(jz0126)
迦具山 臣や悠璃、流架の親族も列席している。
――最後の、一歩。
神父が聖書の中から婚姻にふさわしい一節を二人に贈り、神に祈りを捧げた。
そして、神父の問いかけ。
結婚の誓約を結ぶ言葉――――
「誓います」
「……誓います」
――――互いの心に、愛に、未来に。
誓約の証として、リングピローからマリッジリングを交換する。
外すことなく永く着けていたい、という二人の願いは、細身のシンプルなフォルムで落ち着いた。
一石の翡翠をあしらったリングは流架の手から藍の左の薬指に、一石の瑠璃をあしらったリングは藍の手から流架の左の薬指に――想いを捧げる。
ベールアップの儀式の先。
流架が藍の肘に手を添えた。彼の香りに顔を上げると、心を静め、祈る。
あなたをずっと愛することを誓うよ。
瞳の中の言明に返る言葉は、微笑み置いた唇が代わりに――。
交わした誓いの言葉。
唇で封をして。
守っていこう。
・
・
・
私の大切な親友に。
私の大好きな恩師に。
「Happy Wedding☆」
ユリアの陽気なかけ声が合図になった。
流架と藍がチャペルから外の大階段に出ると、フラワーシャワーコーンからパッと舞い広がった祝福の雨が降ってきた。はらはらひらひら、カラフルな花弁が蒼穹の空に映える。その御空に相応しい笑顔で、周は心からの幸を、花に、米に――
「ライスシャワーは知っていましたが……金平糖シャワーとは珍しい思いつきですね。面白い人だな、ユリアさんは」
きーらーきーらーひーかーるー、こんぺいとうのーほーしーよー☆byユリア
――というわけで、昼空の星屑に想いを乗せた。自分の想いだけではなく、“彼女”の想いも届きますように、と。
周は、挙式後に降らせる祝福のシャワーの準備を手伝っている時に、ユリアから聞いていた。
『七色の金平糖は星屑のように綺麗だし、口の中で溶けにくく長続きするからねん。だから、お互いへの愛がずっと続きますように……って、願いを籠めたかったの』
まだ数える程しか会っていないというのに、周は不思議と、ユリア“らしさ”を感じた。
「……その大量すぎる米は、らいすしゃわーで使い切れるのかの?」
フラワーをシャワシャワしながら、白蛇が神妙な面持ちで、用意されたピラミッドライスを眺めて呟く。
「まあ、残った分は持ち帰るか祝いに渡すじゃろう。よし、気にせずふらわーしゃわーじゃ」
はい。残った米は全て新郎新婦に美味しく頂いてもらう算段を立てている言い出しっぺの忍軍が此処に一人。
「流石に全部は投げ切れないよね……60kgの米俵じゃ多すぎたかな。まあ、いいや。育ち盛りの藍君がもりもり食べると思うし」
そんな夏雄は結婚式が始まる前、空いている時間でぶらぶらと適当に散歩をしていた。自分なりに思い出巡りをして色々と浸ったりしようかとも考えたのだが、全く浸れる気がしなかったのは恐らく、そういうのが向いていない性質なのだろう。
何はともあれ。
「……ほう。
いや、あの坂の続きに今のような光景があるとは。流石にね、想いも深くなろうというものさ。まぁ、“何はともあれ”二人とも。お幸せに、だ」
金平糖をつまみ食いしていた藍が、親友の言葉に柔らかくはにかんだ。
「(そういえば彼も学園を出るんだっけ。まぁ、行きたい所に自分の足で行けるのなら――なんて、今更いう事でもないかな)」
夏雄の考える“彼”とは、一体“誰”のことを指しているのだろう。
「――な・つ・お」
夏雄は、明瞭に聞き慣れたその声音から逃げるようにすたこらっしゅ!
>りつは なつおに たいやきミサイルをはっしゃした!
>なつおは とうぶに500のダメージ!
>なつおは よわっている!
>りつは なつおを つかまえた!
翻訳すると、凛月に捕獲された夏雄。
「いい加減にしなさい、夏雄。何時まで私から逃げるつもり?」
「……だって、大見得切って約束果たせなかったし」
件の“お宝交換”は未だに継続中な為、夏雄は凛月に対して肩身が狭い思いをしていた。しかし、凛月は“好きなようにしている”だろうか。そればかりが気がかりで、忍軍らしく気配を消して様子を窺っていた――つもりだった。
「しゃんとしなさい。――はい、確かに返したわよ」
「ん?」
顔を上げた夏雄が凛月の目線の先を辿ると、自身の襟元には“何時かの彩りの一羽”が羽を休めていた。
「何時もお守り代わりにこの“目印”を持っていたのだけれど、私ならもう大丈夫。ありがとう」
「おー……。でも、私はこれと交換出来る宝物を持っていないんだ」
「でしょうね。だから、約束しなさい」
「約束?」
「貴女が見つけた宝物を、何時か私に見せて頂戴。何時でもいいわ。でも、人から貰ったものは駄目よ。ちゃんと貴女が探して、貴女自身で得たもの。いいわね?」
「……」
「――いいわね?」
「あっ、はい」
凛月は満足顔に笑むと、藤忠の許へ向かった。
「……。
……おかえり、だ」
夏雄の襟元で、“金の鳥”が応えるように囀った気がした。
「なっちゃん、お米多いな……! ――あ、白蛇さま! リングピローありがとう。白蛇さまの心がとても温かかったよ」
「うむ。先日も手を抜いたわけではない。じゃが、真似事であったのも事実。故に、此度は一針一針に想いを込めた。主らの未来に幸あれと。主らが互いを愛し続ける努力を出来るようにと」
「……うん。ありがとう、白蛇さま」
「しかし、じゃ。……愛が無条件に永遠であると、勘違いしてくれるなよ。愛され続ける事も、愛し続ける事も、不断の努力が必要なのじゃから」
「やや? 努力? 俺が結婚をした理由は唯一つだよ」
頬を傾けた白蛇が、穏やかな視線で問う。
「彼女が俺を愛し、俺が彼女を愛したからだ。唯一人と決めたなら、二人で在り続ける為に互いを欲していくだけだよ」
「流架……」
「ふむ、説教臭くなったな。まあ、よく言う言葉じゃが、結婚は終点ではなく、始点である。そこは忘れないで欲しい。二人ならば問題はなかろうと思うが、な」
「ああ」
「それでも何かあらば相談するが良い。子らの悩みや愚痴を聞くのも神の勤め故」
白蛇の慈愛に満ちた面差しは、“白き母”であった。
・
・
・
――さて、“幸せのバトンタッチ”のお時間です。
「行っくよーっ! せーーー……のぉっ!!」
藍選手、ブーケを振りかぶって空高く投げたーーー!!!
ホワイトローズの清楚で爽やかな香りが青へ舞う。
距離感のあるブーケの高さと、離れた位置で観戦していた“彼女”の様子を確認して、
「(……ふふ、計画通り)」
ニヤリ。
ユリアの紅い唇が悪戯な弧を描いた。そして、「へい、かもん☆」――事前に従えて(ry 声をかけておいたダイナマを召喚。
「こんなことだろうと策を練っておいてよかったにゃ。じゃ、行くよん?」
「合点承知之助」
“ダイ先生と一緒に夏えもんにラブたっくるして強制的にブーケ争奪戦へ参加させる作戦(長っ)”――
「たっくるー☆」
開始!
――と、思いきや。
「……ごめんね、ユリア君。忍法・空蝉Mk-2のじゅ、」
――そうは問屋が卸さない。
「あ、すまん」
黙々と撮影係に徹していた白百合の王子の足が、どろんを決め込もうとする夏雄の足に“偶然”掛かった。
「つん……!?」
おっとっと。
「――ぎゃーーーーーす……!!!」
結婚を司る女神ユノが微笑んだのは――……
「……何故、俺を見る」
だって、8月の空から舞い落ちてきたブーケが白百合姫の頭に咲いたから。
・
・
・
おめでたい。
御目出、鯛。
故にお祝いを。
OIWAIを。
「おめでとうございます、ふじみゃせんせ……ではなくなるのですね」
「おや、ハート君。……なくならないよ、“俺”は」
「それでも、どうか忘れないで下さい。私達を、そして失った子達を。喜びを、悲しみを、過去の花を」
――自分を。
「健やかに、お歩みください。『流架』先生」
「ハート君……」
流架はその呼び名に胸を熱くして、ハートファシアの大切なシルクハットを撫でようと――
「……あ、先生袴を着るのかなと思って、赤褌用意しました。“爛漫”の文字入りです」
その掌が突如、伝家の宝刀・桜餅チョップに変形して彼女のシルクハットへ振り下ろされる!
「――真剣白“歯”取り!」
ガブッッッ!!!
「い゛だっ!! こっ、こら、放しなさいっ!!」
手をぶんぶんぶん。
ハートファシアの身体もぶんぶんぶん。
顔を合わせれば何時も通り。それは、変わらない、ということ。
だから、「忘れないよ――」。
そう。
心は変わらない。
けれど、ふと――。
ユリアは手許の“幸せ”を眺めた。
周りの“笑顔”を眺めた。
二人の“倖せ”を眺めた。
「(今は少しずつ移り変わっていく)」
揺るぎない、揺れ。
「(その変化が、少し……
“ ”――)」
だから、言葉にしない。
言葉には“重い”が宿るから。
だから、言葉にしよう。
言葉には“想い”が宿るから。
「……移り変わるお披露目が、“宴”が、こんなにも輝いている。だから、えんじょいうえでぃんぐ、だねん☆」
人生は楽しんだもの勝ち。
・
・
・
「わ……! れーくん達ありがとう、すごく綺麗!」
薄紅豊かに咲き誇る、夏の桜――。
披露宴の場であるガーデンを彩る装花の桜は、藍の希望であった。臣が手配した桜を、助力に来た蓮が「……夏に咲く桜か。藍の心を抱擁する紅雨のようだな」と、臣と共に作り出した倖せの“雨”。
「おめでとうですよー!」
春都が一足遅れて祝いに駆けつけた。その彼女がクラッカーを、
ぱぁん!
と鳴らせば、
にょきにょきぶわわわぽぽぽぽぽ。
成り咲く、満開の桜――餅の木。
会場から拍手が沸き起こった。
「ん、大丈夫。美味しく出来てる」
もぐもぐもちもち。
桜に実った桜餅を毒味する春都の努力によって完成した“桜の木”の種。
ガーデンの景観を損なわぬよう、さり気なく占めた存在感。皆様どうぞ、新鮮な桜餅(セルフ)をお召し上がり下さい。夕日を浴びれば花弁となり消えゆく運命、野暮な遠慮は要りません。
「藍と流架、結婚おめでとう」
藤忠が、漸くといったところか、と、戯ける仕草でメインテーブルに来た。急ぎの任務で来られなくなったという妹分からの電報を渡す。桜のバルーンに込められていたのは、
『末永くお幸せに! 温かい家庭を築いていってくださいね』
あたたかい祝福の気持ち。
「この二人なら問題無いだろうな」
「えへへ。藤忠さんも、りっちゃんと一緒にずーっと倖せを見せてね」
藤忠は和やかに笑むと、手にしていたワイングラスを二人へ向けて軽く上げたのだった。
無垢な純白から、彼の瞳色のミニドレス。
新郎は白から黒へ。
桔梗と桜で彩ったお揃いのリストレットを手首に添えて。
優しく、懐かしく香るのは、月桂樹の葉とオレンジの花であしらわれた清楚な“冠”――ヘッドドレス。
「御子神先生、はじめまして。夕貴周です。藍ちゃんから話を聞いていましたから、初めまして、という感じはしないですね」
それは、藍の祖母から送ってもらったオレンジの花の“追憶”で部屋を満たし、手製した、周からの贈り物。
手先の器用さには自信があった。だが、馳せる香りの所為か、何度も失敗して作り上げた為、挙式は彼らしからぬ滑り込みセーフ。
「一言だけ、伝えさせてください。
どうかお幸せに。
まあ……、僕の幼馴染はやんちゃですから。沢山笑わせてくれると思います」
「ありがとう。うん、お転婆で楽しい林檎姫だよ」
周はくすりと微笑むと、視線を緩やかに藍へ移した。
「綺麗だな、藍ちゃん。たとえ記憶が思い出せなくとも、もう大丈夫。あなたは1人じゃない。それに『俺』も、もう泣いてばかりだったあーちゃんじゃない」
「……私、心配なんかしてないよ。あーちゃんが強くて優しいこと知ってるから」
私がいるべき場所。
俺が在るべき姿。
交わした願いは、自由だから。
「俺も幸せになるよ。だから……。幸せを見届けさせてくれてありがとう。おめでとう」
祝福を言葉に、優しさを温もりにして、周は藍の頭を撫でた。藍はその手をそっと掬うと、両手で軽く包んで“幸福のお守り”を握らせる。
「ユリもんの“こっそり”を拾ったの。あげるね。……ありがとう、あーちゃん」
周は自らの手に目線を落とすと、そこには、レース素材で包まれた“幸福の天使”――パールシャワーの一粒が周の瞳を照らしていた。
ハートファシアと蓮がヴァイオリンでデュエット。奏でる旋律は、愛の喜びを表す。
テーブルラウンドでは、新郎新婦から感謝の心を籠めた桜のブーケが全員に贈られた。
過ぎゆく時間。
溢れる笑顔。
満ちる倖せ。
「――流架、世界で一番幸せな花嫁にしてくれてありがとう。ねえ、心を教えて。あなたが見た夢は叶った?」
「ああ。今は……“半分”」
「半分?」
「……ん。好きな女性を奥さんにして、子供を産んでもらい、大事なものの為に働く。……有り触れた倖せでいい。
――藍。俺に、愛することを教えてくれて……ありがとう」
微笑み宿した唇が、惹かれ合うように重なった。
想うまま。
望むまま。
どうか、“貴方”も、“貴女”も、愛する人との明日が待っていますように――……。
●
「ダイせんせ、デートしよう♪」
――披露宴後。
桜の木の種の回収を手伝ってもらったダイナマの手を引き、春都と彼はイングリッシュガーデンを訪れていた。
ブルーモーメントの儚い蒼の下、春都の胸は余韻に躍る。
豊かで楽しい時間。
愛し合う二人が倖せそうな笑顔でいるだけで、此方も幸せな気持ちになった。
――だからだろうか。
彼への愛しさが、唇から、心から、溢れる。
「ダイ先生、好きだよ」
あの日の、あの夜と同じように、想いを告げた。真っ直ぐな琥珀の瞳で彼を見据える。
「どうした? 改まって」
ダイナマは首を傾げるように彼女を見て、口角を上げた。
返答を待つ彼の面持ちは、波打たない。
それでも――
「御子神家の当主問題の時、ね……解決する為に昔の報告書を読んだ事があったの。その時、ダイ先生の過去も知った。でも、先生に恋した私の心は変わらなかったよ。どんな先生でも愛おしいから」
何度同じ選択を与えられようが、
「誰よりもあなたを想うよ。小さいけれど、真っ直ぐに」
私が選ぶ答えは一緒だと、
「時々、ふっと先生が消えてしまいそうで……誰かの為に消えるんじゃないかと、怖かった。だから想い出を重ねたかったの。先生は私にとって、かけがえのない大事な人だよ。自分を大切にして、と……伝わってるかな」
心の芯で感じている。
「大切なもの沢山作っていい。その手から零させない道選んだ。幸せだと笑っていて欲しいの。俯いてもいい、私が照らすよ。沈んでもいい、そっと寄り添いに行くから。傷つけられても踏み折られても大丈夫――何度でも立ち上がって、手を伸ばすよ」
春都の願いは可愛らしく、ささやかで――
「先生は唯一で特別な人だから。私もダイ先生の特別になりたい」
誠意を籠めた誓い。
視線が結ばれたまま、夏の終わりの風が吹く。
互いの胸は騒がない。
ダイナマはあるがままの淀みのない表情で、口を開いた。
「……オレな、“あの時”――神代の間でのルカと凛月の顔が忘れらんねぇんだわ」
それは、彼の意識を微かに遠く違えた“理由”。
「春都はオレにとって、“只”な存在じゃねぇぜ。だが……きっと、お前の意識とは“境”が違う。まだ、な。……まあ、焦んなくてもオレは消えたりしねぇからよ。オレのこと、ゆっくり知っていってくれれば嬉しいぜ」
願い置き先ゆく彼。
想いと未来を向ける彼女。
橙の小花をきらきら飛び立てて、何時か、太陽の傍へ――……。
●
満点の星空に浮かぶ、季節の欠片。
「凛月、この後空いているか? とても良い気分なんだ。酒に付き合ってくれると嬉しい」
「う……うむ!」
ロマンチックな夜のデートに夕食を兼ね、藤忠は街奥にあるカジュアルなバーに凛月を連れてきていた。ムーディな照明に、互いの瞳の色が深くなる。
先ずは、軽くワインで乾杯。
「藤忠。私、パスタが食べたい」
「パスタか、良いな。具はどうする? 野菜か魚介か肉……何でも、手に入った食材によるとか。凛月が選んで良いぞ。今日は茄子、桜海老、鶏肉らしい」
「お茄子!」
即答。
「そう言えば、味噌汁の具も茄子が好きだと言っていたな。ソースはトマト系かクリーム系かオイル系か、色々と選べるぞ」
「え? あ、むぅ……えっと、じゃあ……和風オイル、これにするわ」
「サラダや海老のアヒージョも注文するか」
「んっ、食べる」
「夜はまだ長いからな。俺と共に楽しんでもらえたら嬉しい」
藤忠は微笑みを浮かべながら、自身の“幸”を紅染の双眸に映した。
今日の結婚式。
互いの好きなもの、好きなことの話。
尽きない話題に花咲かせ、食事に、酒に、舌鼓。
「カクテルならアレキサンダーが飲みやすいと思う。チョコレートの様な味だ。だが、レディキラーと言われているから気を付けろよ」
「……私を家に帰す気あるのかしら?」
「ん? それは……勿論。さっぱりしたいのならミモザもいいぞ。俺はモスコミュール……カクテル言葉が面白い」
「むぅ?」
「まぁ、酒に関しては言葉に拘らず楽しく飲めるのが一番だ」
この先、どんなに愛していてもすれ違うことはあるだろう。その時、“喧嘩をしたらその日のうちに仲直りをする”――そんな風に恋愛をして、想いを育み、何時までも一緒にいることが出来たら――……。
そんな、密やかな願い言葉を琥珀な水面に浮かべ、藤忠はライムの爽やかな香で唇を濡らした。
時間の針が迫る前に、ドルチェタイム。
フォンデュはチーズにするかチョコレートにするか、凛月に選んでもらった。結果、暗く色艶の良い甘い香りが運ばれてくる。
「鍋に具材を落としたら罰ゲームだな。スイスでは頬にキスする事もあるらしい」
「Σふぉっ……!?」
「冗談だからそんなに慌てるな。――酔っているかって? 今日は控えめに飲んでいるぞ。凛月をしっかり送り届けないと……だからな」
「……」
「凛月?」
「私……藤忠を酔わせられるほど、魅力的になれるかしら……?」
自覚の無い兎姫の上目に、藤忠は息を詰めた。
甘い時間は終わりを告げ――「春霞」前。
「送ってくれてありがとう」
「ああ。今日は楽しかった。此方こそ、ありがとう。またな、凛月」
藤忠は愛しむ声音で凛月の頭をひと撫ですると、ゆったりと手を引き、足先を帰路へ向けた。――が、凛月がその腕をたおやかに掴む。
顎を上げ、ヒールの踵を浮かした。驚いた表情の彼の頬へ首を伸ばす。
兎の吐息のような、キス。
それは確かで、優しい感覚だった。
凛月は真珠の頬を赤く染めながら、睨むような、縋るような、そんな潤みを湛えた瞳で顎を引くと、間近で見据えていた彼に弁明した。
「……いちご、おとしたから」
「いちご……?」
「ひとつ、おとしたの。だっ、だから、ばつげーむしてあげたのよっ。じゃ、じゃあまたねっ」
頬に寄せた“魔法”だけ残して、凛月は脱兎の如く玄関へ駆けだした。
藤忠は、指先で彼女の跡に触れる。
香り。
感触。
伝えられた愛情――
「……ああ。また明日な」
暫く、この“酔い”は冷めそうにない。
●
晴れた夜空。
星の群れ。
足音の絶えた街。
無言の学び舎――。
「よう、荷物と心は纏まったか?」
校門を閉めながら、フード頭の生徒がくるりと振り返った。声の主は高等部の保険医。
夜更けの学園前で“ばったり”と出会う、二人。
「おや、ダイナマ君。こんな真夜中に奇遇だね。美容を犠牲にして何の用だい?」
「自律神経を乱してやがる忍軍の見送り、かしら」
「……。結構だ。どんな顔をすればいいのか分からない」
夏雄はフードを目深に引き寄せると、ぷいっ、と、そっぽを向いた。
「……明日も何時もが続くんだ」
息を吐くように、唇から零れる言葉。
「何時もが、続いてほしいんだ。これは私の我儘だ」
祈るように、唇から溢れる想い。
「態々、何時もから一人消える区切りなんてつけたくないんだ」
「あやふやでいいってか?」
「うん。居ても居なくてもいい。けど、居てほしい人には居るような気がしてくれればいい。それにほら、その方が忍軍っぽい。それが、“私らしさ”――と、思う事にしておこう」
それは確かな、夏雄の意志。
「皆もこの“嵜”、存分に振るうと良いと思うなぁ。“自分らしさ”を“適度”にね」
――そうそう、と付け足して、夏雄はダイナマへ向き直る。
「勿論、君もね」
再び包まれる静寂。
夏夜の香り。
燐光な月光を浴びながら、只、唯、互いの目を見つめ返して。
ダイナマが唐突に薄く笑んだ。それはまるで、何かに納得したかのように。
「夏雄は、青空好きか?」
「んー? そうだね、好きか嫌いかと問われたら好きなほうかな。青は晴れだし。暖かいし。天気のいい日は空を仰いで、飛行機雲とか入道雲を探しているよ」
「そうか。オレも好きだぜ。だから、お前と青空が見れて嬉しかったわ」
――肩を並べて、同じ青へ目線を置いた“あの日”。
「夏雄」
「ん?」
傍らへ歩んできたダイナマが、大きな掌を彼女の頭に置いて――
「また、会おうな」
優しく撫でた。
「おー、これは……生命力が?」
引いた温もりに夏雄が顔を上げると、既に彼の背中は歩き出していた。彼の道を。
だから、夏雄も歩み始める。自分の道を。
しかし、その前に――
「ああ、またね」
ポケットの中の懐中時計が、返事をするかのように一際大きく時を刻んだ。
彼は右へ。
彼女は左へ。
互いに、前へ、前へ。
――二人は“らしく”、一度も振り返らなかった。
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やがては移り変わる日々。
やがては移り変わる季節。
だからこそ、今が愛しい。
聞こえる秋の息遣いに、木々は名残、青。
その隙間から見える、月と星。
差し込んでくる糸筋のような光を仰ぎながら、白蛇は一人、月見酒。
唇を潤いで満たす。
「わしは変わらぬ。じゃが……世界は、変わってゆく。星さえもが、時の彼方に見たものとは、違う。記憶にはないが、確かにそう感じる」
胸で温んだ香を吐く。
「この先、誰の道筋にも不幸があるだろう。だが、それを乗り越え進み行く事を祈り、言祝ごう」
心で、ささやかに零す――。
「世界に、幸あれ」
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集ったのは、心と拍手。
手を振る“昨日”に感謝を籠めて、また“明日”――。