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コン
コン
……
玄関の戸が弱々しく鳴いた。
どうせ、風や雨粒にでも叩かれたのだろう。
しかし、
コン
コン
……
――ガラリ。
扉を引けば、其処にはだぁれもいない。
気の所為だ。
胸に仕舞った揺らめき一つ、灯りへ返すは踵と袖。
「もうし……」
――背を撫でる幽しに、首筋伝う一つの雫。一呼吸置いて振り向けば、ほぅら、やはり。
枝垂れな程に雨に濡れ、頭を垂れる白い女性。幽鬼とするならばなんて似つかわしい様だろう。
確かに彼女はヒトではない。そう――、
「何だ、おばあちゃんか。《雫衣》と《霊体化》でオツなことを……ほら、早くお入り」
本人曰く、ヒトの身に墜ちた“神”――白蛇(
jb0889)であった。寝ぼけたような締まりのない顔の御子神 流架(jz0111)が、彼女を迎え入れる。
「――は? 宿泊?」
「朝酒用に日本酒も持ってきたのじゃ。世話になってやろう」
白蛇がしれっと言った。
びしょ濡れと云えばこの人も。
「流架……着物貸してください。あ、下着の替えは持ってきてます」
彼の頬には花萌葱な乱れ髪が張り付いており、全身からは水が滴り落ちていた。何処の入水未遂者、と思いきや、大雨の中をバイクでカッ飛ばしてきた翡翠 龍斗(
ja7594)だ。
流架が冗談で差し出した女性用の着物も何のそのと着こなしてしまった。心なしか、女性らしいしなまで垣間見える。やはりそちらの素質があったよう(ry
屋敷の中は薄闇の蒼で立ち込めている。
まるで、浅い水底のようだ。そんな空気を、“明ける日”が朗らかに照らす。
「初めまして! 兄貴分がいつもお世話になってます」
不知火あけび(
jc1857)が、家主(と化している)の流架、ダイナマ 伊藤(jz0126)、御子神 凛月(jz0373)と挨拶を交わした。あけびの顔一面には満悦らしい笑みが浮かんでいる。
「姫叔父の彼女さんに会うのは初めてですよね! わあ、美人さんだ。えへへ、仲良くしてもらえると嬉しいです。姫叔父共々これからもよろしくお願いします」
皆の怪談話が楽しみ!――と、サムライガールは少女のかんばせでころころと笑った。
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本物はどんと来いだがお化け屋敷や怪談噺が苦手な春都(
jb2291)は、ケセランのぬいぐるみをぎゅっと抱き締めていた。
癒される――けど?
春都は胡座をかくダイナマの隣へ腰を下ろした。そして、「(うん、やっぱり)」と腑に落ちる。
首を傾げながら彼女を見る京紫へ、
「……安心する。怖い話も先生となら怖くない、かな」
春都はそう、微笑み置いた。
蝋燭の火が微かに瞬く。
「一番手、行かせてもらいます。これは、私自身が怖かったという話なのですが……。
あれは一年前。
私と友人達はある神宮で成人式を行いました。偉い人の話は眠たかったけど、夜ご飯と一緒に初お酒を楽しんだり、写真を撮ったり、とても楽しい成人式でした」
そう、この時までは……。
「その翌日、です」
春都の面から、身体から、穏やかな気配が消える。
「成人式で使用した荷物を片づけようと思い、私はキャリーバッグを部屋へ運びました。ファスナーを摘まみ……」
ジーッ。
「チャックを開けました。私が中の荷物へ視線をやると――」
そこに、
「私は悲鳴を上げました」
――ヤツはいた。
「に、荷物の上に……上に……ゴキ○リの死体が入っていたのですっ!」
女性陣からガチの悲鳴が響き渡った。
「私は泣くほどソイツが大嫌いでそれが荷物の中にちょこんって!」
春都は感情のまま早口で捲し立てる。
一拍置いて、はっ、と、我に返り、深呼吸をした。
「幸いな事に潰れてはいなかったので荷物は燃やさずに済みました」
潰……。
ヤツを想像しただけで鳥肌が立つ者も少なくはないだろうが、潰……。
「チャックはしっかり閉まっていたのにどうやって……。皆さんもバックを開ける時はお気を付け下さい」
今、この瞬間も、黒い悪魔は常に忍び寄っているのだから――。
春都の一礼を合図に、蝋燭の火が一本常世へと消えた。
・
・
・
「……怖い話? 日常生活の体験でいいのなら」
艶めかしい龍子ちゃんもとい龍斗が二番手をゆく。
「そもそも、何を基準に怖いと判断するか知らん」
そう前置きをすると、龍斗は馳せる面持ちで語り始めた。
「実家では、深夜帯になると……遠くで騎馬戦……昔の鎧武者の雄叫びと戦闘の音がするくらいか」
……くらい?
「ほら、音はするが、気配はないってやつだ。俺は過去の文献を見て、興味本位で現場に行き、土地を掘り返した。すると案の定、数多くの人骨、鎧の欠片、錆びた刀があった」
冷静に聞けばほんとうにあったこわいはなしなのに、何故だろう……土を掘る龍斗=修羅の姿を思い浮かべるとぜんぜんこわくない。
「必要なら、持ってきてるから見せようか? 人骨はないが――」
その時。
カタカタ……カタカタ……
居間に響き渡る怪しげな音。
その発生源はどうやら、龍斗の荷物からのようだ。まさかゴキ○(ry
「ああ、これは実家にあった人斬り包丁だ」
龍斗が澄ました顔で取り出したるは、一振りの古い日本刀。
「俺の祖先が打ったものだが、人の首を斬り落としても切れ味は衰えず、刀身は緋色に染まっていくそうだ。
――ああ、流架。台所の包丁の切れ味が悪くなっていると言われたので、研いでおきました。秘伝の技術ですから、切れ味(岩切れる妖刀レベル)は保証します」
……まさか、その刀で研いでないよね?
龍斗を除いた一同がゾッとした瞬間だった。
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「なんで戻ってきちゃったんだろう……」
藍染地に朱の薊が咲く浴衣を借り纏い、木嶋 藍(
jb8679)は遠い目をしていた。
骨董品店「春霞」のアルバイトから帰宅途中、悪天候すぎてUターン。そしてこの有様だ。
「でも、やるからには覚悟決めるよ。流架、なんか来たら斬って……流架なら斬れる」
当の流架はと云うと、藍の隣で生返事をしながら彼女を枕にしそうな勢いだ。寝惚けていても大丈夫、斬れるキレる。
藍はくすりと微笑むと、目線を灯火へ移しながら、常日頃と変わらない語り口調で話し始めた。
「あれはいつだったかな……子供の頃、友達と山にキャンプしに行ったの。
そこには古い防空壕跡があって。
見た感じは小さな洞窟、って感じだった」
一瞬、冷たい風が敷布のように纏わりついたような気がした。
「友達と2人でドキドキしながら中に入っていくと、ちょっと大きい場所に出たんだ。そこは凄く寒くて……」
――ちりん。
「ふと、小さい鈴の音が聞こえたの。風もないのに。音のした方を見ると、子供のてのひらサイズかな……
壁に、
――真っ赤な着物を着た人形が吊るされていた」
ちりちりちりちりちり……
「人形の首に結われた鈴は絶対に鳴るはずがないのに……何故か、鳴るの」
ち り ん。
寂しく冴えたその音は、集った者達の耳に暫く反響していた。
「――その後?
動けない私達の手を引っ張って外に連れてってくれた”モノ”が居たの。
多分、それも”人”ではないなにか……でもその手は優しかった。だから私にとって怖いけど……暖かい思い出なんだ」
藍が目線を伏せる際に耳に髪をかけると、彼女の袖口から、ちりん――“優しい”音色が鳴ったのであった。
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四の手に、あけび。
「私のお師匠様兼姫叔父の親友の天使がいてね。
最終決戦で私を庇って重体になって、少し前まで入院してた。私も姫叔父もほぼ毎日お見舞いに行ってたよ」
これは、その病院での出来事。
「ある日ベッド脇に漆器の小箱が置いてあった。
これは何? って、私が聞いたら、お師匠様は顔を俯かせ、姫叔父は――
『知らない方が良い』
……そう言った」
やがて、病室の窓を刻々と濃くしていく茜色は薄墨に染まった。
「私は面会時間終了後、病室に宿題を忘れたことに気付いた。天魔に関するレポートだからお師匠様に色々聞いてて。
私はこっそり壁走りで病室に向かったんだ」
病室からは、淡い灯りが漏れていた。
「中を覗くと、そこには小箱の蓋と二つの影があった」
ゆらぁり……
「お師匠様に襲い掛からんとする……長い髪の女が――」
誰かがごくりと固唾を呑んだ。
「これがその時の小箱です」
あるの!?
「中身はメイクセットと鬘で。
姫叔父は昔、お師匠様に揶揄い半分で藤姫って呼ばれてたからね。化粧してみろと言われて渋々やったみたい。私もお師匠様もつい、
『似合いすぎて怖い』
って、言っちゃって」
つまり、
「怒った姫叔父がお師匠様にもメイクしようとした話、ということで。……下手な女性より美人だったよ」
あけびのその発言に、凛月だけが何とも言えない表情をしていた。
・
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・
残るは二の噺。
三度の拳より怪談好き――かどうか定かではないが、雨の中をうきうきで駆けつけたもう一人のおばあ(ry ――緋打石(
jb5225)が、“本当にあった怖い話”を物語る。
「これは知り合いから聞いた話なのじゃが……」
揺蕩う蝋燭の影に、借りた着物の柳柄が妖しく首を垂らした。
「ある悪魔の話じゃ。
彼には愛しい女性がいた。
彼女を妻にし、二人は仲睦まじく過ごしていたのじゃ」
何処か、情の細かい語り。緋打石は紫の双眸を細くする。
「悪魔は彼だけではなく、彼女もそうであった。しかし、夫より先に寿命が来てしもうたのじゃ。天魔といえども寿命はあるからのう。不幸にも互いの寿命は噛み合っていなかったのじゃ」
歯車は一つ狂えば、未来へ繋がる螺子を容赦なく奪ってくる。
「……男は、妻を失った悲しみで跡形もなく消えてしまったそうじゃ。
いや、不思議だが本当にある話らしい。
生きる気力を失ってしまうと悪魔ですら容易く死んでしまう――……そう、彼は死んだのじゃ」
悪魔には一人の娘がいたという。
悪魔は死ぬ前、一人前に育った娘にこう訊いたそうだ。
『此処ですることはあるか』
――と。
「なあ、何と言われて彼は死んでもいいと思ったのかのう」
あの時、
「娘は何と言えばよかったのか――……いや、何と言ったのだろうな」
貴方なら、
貴女なら、
「其方なら、どう言う」
ぼこっ、ぼこぼこ……
「いや、どうすべきだったと思う」
緋打石は小さな身を乗り出し、一同を問い詰めるように見渡した。
光の加減か。
目の錯覚か。
そのあどけない顔が酷く歪んでいるように見えるのは、
その白くて細い指先が尖っているように見えるのは、
その華奢な身体が膨らんでいるように見えるのは、
果たして気の所為――
「……のう?」
女性陣の誰かが短く悲鳴を上げた。
獰猛な面で、“大きい”悪魔の少女が薄ら笑う。その背後の壁には、漆黒の色を落とす影が不気味に膨らんでいた――。
緋打石は《変化の術》で一同の恐怖を煽った人型のキメラの姿から、そっと元の自分へと戻った。
「……」
――あの時、“娘”は何と言ったのか。
『勝手にすれば』
その答えは、“フュージリア=フレースヴェルグ”のみが知っていた。
その言葉が正しかったどうかは知らない。
誰も。
――“私”も。
・
・
・
「……流架、手を繋いでいい?」
怪談に耐性のない藍が、恐怖心で瞳を濡らしながら流架の袖を掴んだ。舟を漕いでいた流架は、不安がる藍の声音に首を起こす。
「いいよ。ほら」
藍の掌に自身の掌を重ねた。
温もりが、優しさが、絡む指先を通して伝わってくる。
「私、今、甘えられた?」
流架が穏やかに目で頷いた。
「そっか……こういう事なんだ。揺るがないひとがいるって支えになるな。以前の私なら、絶対に言えなかったから……」
――あなたと手を繋ぎたい、って。
「ずっと、こうしていられたらいいな」
この愛もきっと、揺らがない。
「わしの噺は“桜餅こわい”じゃ」
最後のバッターは白蛇だ。
「ある日どこかの店――“春霞”とでもしておこう。その店に不意の客が飛び込んで来た。其奴は自分を追ってくる流しの桜餅売りから匿って欲しいと……」
2時の方向から鬼の殺気。
「冗談じゃ。尚、落ちは粒餡を食わせようとしてぶっ飛ばされる、じゃ。
さて、本当の話を始めよう。あれは平安の頃か……
一組の貧しく金も心も余裕のない夫婦が居った。
だからか、折角出来た稚児を殴る蹴るしていたのじゃ。川に顔を押し付けたり、焼けた火箸を当てるなどもしておった」
――子は宝。
しかし、夫婦にとっては足枷以外の何ものでもなかった。
「数年後のある日。
川での蛮行時、ついにやりすぎ、稚児を窒息死させてしまったのじゃ。
死体はそのまま川に流し、村の人間には川に落ちたと説明した。
一部の村の者が探してくれたが、子は見つからない。
――数日後。
その夫婦が川に落ちた」
白蛇の声音には、何の感情も籠められていなかった。
「夫婦の死体はすぐに見つかったが……足首に手形があってな。まるで、誰かに川に引きずり込まれた跡――……そう、手の大きさは子供さいずでなぁ。
丁度、程なくして見つかった二人の子供と同程度の――。
そうそう。
その子供じゃが……あの世でも親子共にあれる事が嬉しいのか、笑顔を浮かべておったよ」
子は親を選べない。
しかし、子にとって親とは“神”なのだ。
白蛇の口角には柔らかい笑みが浮かんでいた。
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――斯くして、今宵の怪談噺は終わりを告げる。
「将来色々と協力出来たら良いですね」
白蛇が持参した桜餅に舌鼓をしながら、あけびは流架へ声をかける。その面には一瞬、“当主”として不知火を背負う責務が垣間見えた。「当主同士、良き話し相手になろう」、流架はそう微笑んだのであった。
春都はダイナマに手伝いを申し出、手土産の西瓜を切りに御勝手へ向かっていた。
暗と灯りを含んだ廊下。
ふと、春都の繊細な指先が、ダイナマの掌へ滑る。
彼は歩みを止め、視線で問うた。
その面を、春都は思い詰めたように仰ぐ。
「先生、あのね。私、気づいたの。『約束』した心に偽りはなかった。でも自分の心から『逃げた』んだって」
だから、もう、逃げたくない。
「ダイ先生、好きです。
先生の傍にいたい。もしもの未来にじゃなくて、今、私が、先生を幸せにしたい。小さいけど真っ直ぐに、誰よりもあなたを想うから。傍に、いてくれませんか?」
物静かな佇まいで、ダイナマは静聴していた。しかし、その唇は動かない。
「……私は、先生にとって“只”の生徒?」
何時もは即答をする彼が、しなかった。
彼は、一人の人間を愛しすぎた。
最愛の女性を失い、大切な弟を失い、それでも、信仰のような戀をしていたから――。
彼の幸せは、どんな“形”をしているのだろう。
「……ありがとうな。その、なんだ。一つ、勝手を言わせてもらうならよ」
彼にしては珍しい、
「オレの“戀”が、春都の“唯”になるまで……付き合っちゃもらえねぇかしら」
――我儘。
橙の小花は、明るさを零すように太陽へ微笑みかけた。
**
攫い、水。
鮮やか尾花。
恐怖の欠片は、夏の隅へ――。