●
夏への扉が開きました。
太陽の季節です。
外へ飛び出したら先ずは、海水浴へどうぞ――。
そんな謳い文句をTVで見たのは――事の発端、御子神 凛月(jz0373)
車一台、バイク二台、海の駐車場へと到着した。
「アレク、運転お疲れ様です。凛月もお疲れ。――海、初めてなんだよな?」
遠目に、ふおぉ……、と海を眺めていた凛月へ、端整な顔つきの彼――鴻池 柊(
ja1082)が、ヘルメットを外しながら声をかけた。凛月は視線を合わせただけで、短く顎を引く。
「着替えたら海で泳ぐ練習するか。その方が、より海を楽しめるだろうからな」
「――甘いわね、柊」
服の下は既に戦闘態勢デスヨ、旦那。
・
・
・
夏!
海!
彼、藤宮 流架(jz0111)のバイクに乗せてもらって――。
水色な裾、ひらり。
白のホルターネックの水着の上にレース素材のワンピースを羽織った、青な夏色彼女――木嶋 藍(
jb8679)が砂浜へ、ぴょぃん。
「(うーん、やっぱりかっこよかった)」
思い出しては、にまぁ、頬が緩み。
余韻に浸って、どきり、肌が赤む。
其処へ\viva女の子と海☆/
イケメンだけど女の子大好きです。女の子大好きだけど坊ちゃんです。坊ちゃんだけど――の、砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)が、サーフパンツにパーカー纏い、藍の肩へぽんと掌を置いた。
「――ほら、藍ちゃん。一緒に伊藤ちゃんを襲撃しに行こっ☆」
目標――前方で準備体操という名のラジオ体操を行なっている、ダイナマ 伊藤(jz0126)
武器は、
「水鉄砲そうび! ジェンさん、奇襲攻撃でいこう!」
白い砂浜踏み締めて。
こっそりそろそろ――抜き足、差し足、“忍び”足。
「は……忍者の、気配?」
Ninjaアンテナ、ぴーん。
健康的な小麦色の肌に、赤毛がふわり。リベリア(
jc2159)の意識がそわそわ。
ごめんね。
水着姿のアスヴァンとインフィなんだ。
「……そっか」
忍者らぶ、しゅん。
じゃきん。
水鉄砲片手に、竜胆と藍は初手の位置にスタンバイ。
はい、ここで問題です。
夏と言えば?
「――戦争だぁ! ダイナマ先生よろしくくらえー!」
ぷしゅしゅーーーっ!!!>藍
ぷしゅー>竜胆
「Σおふッ!?」
解答権すら存在しなかったダイナマの顔や身体に、偏りのある水の威力が襲う。
突然の攻撃に彼は防戦一方。
そりゃそうだ。――水鉄砲持ってないもん!
「あ、ごめんなさい。大丈夫、先生のもあるよ! これ使って!」
藍に放たれたのは、半透明の水鉄砲。
レトロさを感じた。だが、そんな“昔遊び”がレジャーでは燃えるのだ。
「よっしゃあ! バッチ来いこらぁ!」
「HAHAHA☆ インフィの藍ちゃんに勝てるかなっ!」
ぷしゅぷしゅぷしゅしゅーーーっ!!!>藍
ぷしゅー>竜胆
竜胆のやる気スイッチは何処にあるのだろう。
THE他力本願。
竜胆の長い髪束が、走る気のない馬の尻尾のようにのらりくらりと揺れていた。
「水も滴るなんとかだねー」
「ほんとだねー、ジェンさーん」
ん?
何か変だな――竜胆がそう察した時には既に遅かった。
「「くらえーーー!!!」」
竜胆のやる気スイッチを探して穿て!
――の、集中砲火。
「Σちょ、まっ、藍ちゃんどうして!? 僕を裏切るの!?」
「あはは! 油断してちゃダメだよ、ジェンさん!」
ぷしゅぷしゅしゅーーーっ!!!×2
ぷしゅっぷしゅっ>竜胆
竜胆の味方は全身を滴る水だけであった。
色男に――なれ、た……?(がくっ by竜胆
・
・
・
海が広くて大きくて。
紫地に黒白の花が咲いたパレオをはためかせ、波打ち際で海面を眺める凛月。慎重さと奇妙さが相俟ったその表情に、すす、とリベリアが彼女の傍らへ。
「……海、楽しいよ?」
「ほ、ほんと?」
「うん。……あ、でも。海には、クラゲやサメ、危険な生き物がいっぱい。がんばって」
「え」
「うそ。本当は、いっぱいじゃなくて、たくさん」
「Σええッ!?」
驚倒する凛月に対して、リベリアの無表情は変わらない。黒曜石な瞳の奥底では、お茶面なからかいをしているつもりなのだが。
見かねた柊が、凛月のフォローへ回る。
「凛月、安心しろ。少なくともこの海は平気だ」
「……ぜったい?」
――多分。
その言葉が危うく口を衝きそうになったが、平然を装い「ああ」と返した柊の返答に、凛月が漸く胸を撫で下ろす。そして、リベリアをじろり。
「……逃げろー」
ひらりん、と、リベリアの尾っぽが逸早く翻り――、
ざぶん。
彼女の姿は陽に輝いたブルーへ消えていた。
「……もう」
「ほら、凛月。先ずは海の水に慣れろ。浅瀬に行くぞ」
ぱちゃぱちゃ。
二人が弾いたその音の水面下で――こぽこぽこぽ。
リベリアが白い気泡を携えて、全身が染まるかのようなエメラルドグリーンの中を“ぱたぱた”。
手足を用いず、翼の運動のみで泳ぐという謎の泳法で水深ふかくもぐりもぐり。鮮やかな色の魚が彼女と並行して泳ぎ、様々な形の貝が宝石のように海を彩っていた。
ふと、見上げると、陽が射した海面が翡翠の色合いでとろりと溶ける。
「(海、きれい)」
海の呼吸は美しく、温もりは穏やかであった。
・
・
・
青い空に透き通る海。
白砂のビーチを眺めながら過ごす夏の時間。
「……ふむ。
激戦の後じゃ、ゆっくり休むには丁度よい」
白なパラソルの下、デッキチェアにころりと寝転がりつつ、小さな手にはフルーツと花で飾ったブルーハワイ。
これぞ大人の余暇――みたいなもの。
見目は幼女だが、実年齢は二千歳を優に超えているらしい。力と記憶を失った神――白蛇(
jb0889)
「うむ、美味い。らむの甘い香りとぶるーきゅらそーの鮮やかな青が――、と、なんじゃ藤宮教師。わしがかくてるを飲んでいるのが不思議か?」
「不思議というか、アンバランス」
「相変わらず無礼なやつじゃな。別に洋酒やかくてるを嗜まぬ訳ではない」
へぇ、と、流架は口角を軽く上げると、パラソルの調整を始めた。白蛇が、ちらり、目線だけを彼に向けて何とはなしにそれを窺う。
「……なんじゃ。言いたいことでもあるのか?」
「別に」
「よい、物申してみよ」
「いや……君はやっぱり日本酒の方が似合うなぁ、と思って」
「……して、その心は?」
「おばあちゃんだから」
すぱぱぱ、ぱぱ、ぱーーーん!!!
本日もハリセンが華麗に舞います。
「(そういえば、あやつの前で飲んだ記憶は無いな……)」
自分と同じく日本酒好きな“彼女”は、この瞬間も鍛錬に励んでいるのだろうか。
――抜けるような青空の下。
無意識に傾けたグラスのみなもが、黄金の瞳をしめやかに揺らした。
・
・
・
此方は紫なパラソル。
その下のビーチチェアに腰をかけるのは、デニム素材に蝶の刺繍があしらわれたホルスタービキニ姿の彼女――常塚 咲月(
ja0156)だ。丈の長いシースルーカーディガンを羽織り、柔和な眼差しでビーチを眺める。
皆が各々の色彩を放ちながら、爽やかな夏の風に、心と身体で戯れていた。
空中で光る水滴のひとしずくまでも、何だかとても愛おしい。
「皆、楽しそうで、きらきらしてる……」
満足そうに双眸を細めて、咲月は眠りに入るかのように緩慢に瞼を閉じた。
ゆっくりと一つ、深呼吸。
揺り起こされたのは、想い出。思い起こされたのは、安堵。咲月の脳裏に、様々な“色”が渦を巻いた。それは、小さくて――彼女にとっては唯一の世界。
色鮮やかで、大切な人達。
自分が此処に在れる理由。
だから。咲月は自分の世界の人達を護れるのなら、自分はどうなっても構わないと思っていた。
死は恐ろしくない。
正し、それは自らの命のみ。
その時、その瞬間、大切な人達を護って自分の命が消えたとしても、それは咲月の命が“必要”であったという“証”。散った命の分、自分の“色”が幸せになってくれるのなら――これ以上のことはない。
だが、
「――あ……そっか……。大切だから、怖かったんだ……」
咲月が行える唯一。
そうだと信じていたことが、自分の道を鎖しているのかもしれない――。
「不変なんて望んでなかったのに……心に触れたいと思っていたのに……」
何時、何処で、“怖い”と感じたのだろう。
「悔しい……」
だけれど。
晴れて、高く見えるこの空のように、
「ん、気持ち良い……」
心は麗らかだ。
「――月! 海、行くぞ」
「う? ひーちゃん、待っ……わ……」
馴染みのある声音が彼女の意識を攫い、強かな力が彼女の腕を攫った。
咲月の心次第を知ってか知らずか――彼女の幼馴染であり、親友でもある柊のその行動は、何故か有無を言わさなかった。
ちゃぷん。
二つの浮き輪をドッキングさせた二人用の浮き輪が、波をのんびりと漂う。
一つの輪に咲月、もう一つの輪に凛月。二人は半透明の縁へ、ちょん、と両手をかけ、ぷかぷかぷかぷか。心地良い浮遊感に、咲月と凛月は猫のように双眸をほっそりとさせ、
「「はふぅ……」」
吐息。
時折、両脚をぱたぱたと動かしたり、手のひらで海面を弾いたりするが、
「「はふぅ……」」
まるで、日向ぼっこをしている猫のような気抜けさで。
「(性格は全く違うのに、並ぶと妙に釣り合いが取れているような……月も凛月もマイペースだからか?)」
黒紫色のサーフパンツに、パーカータイプのラッシュガードな彼。波の飛沫を眩しそうに浴びながら、傍で二人の保護者を担う柊が首を捻るようにして見た。木蘭色に映る、二匹の猫。
「海、結構綺麗だな。――凛月、あまり覗き込むと落ちるぞ。浮き輪から」
「のぞいてない。ねむいの」
「……いくら気持ち良いからって此処で寝るなよ。頼むから」
「へいき」
――あやしい。
弱り顔のまま、ふと、波際へ流れた柊の瞳が俄に膨らんだ。
「悪い、少し離れるけど平気か? 凛月、眠いならビーチに――」
「や、ここいる」
「行って来ていいよ……凛月さんと二人で遊んでるから……」
――浮かんでるだけだろう。
言い置こうとした言葉を呑み込んで、水中を泳ぐ柊の脚は“彼”の許へ。
柊の問いに厭みなどなかった。
だが、流架の面は怪訝に――苦く。
「先生、俺が月を闇に……いえ、黒に染めても良いですか?」
「は?」
「――って聞いたらどうします?」
「なに? 悪いが、柊君。意味が分からないよ」
二人並んで。
打ち寄せる波地に腰を落としていた。
「すみません。……月の世界のことです。
あいつ、自分の世界を維持する為ならどんな事でもしますから。……何度も忠告しているんですけどね。月が居なくなってしまうのは月の世界だとは言えない事。月を必要としている人の気持ちを蔑ろにしている事。皆……月に、今の世界で生きて欲しいと願っているのに。もう、俺が言っても響かない。長く一緒に居すぎたんでしょうね」
「……」
「俺は親猫です。子がどんな“形”であれ進むと決めたのなら……その先は見守るだけです。それに、今は面白いものを見つけましたし」
「――柊君」
強い声で、低く、流架は指摘した。
「君と“約束”は、した。だが、君や彼女が望むような“見守り方”ではないのかもしれない。その時は……赦してくれとは言わないが、どうか、汲んでほしい」
柊は僅かに意表を突かれた面持ちになる。
は、と息をついた。そして、痛切に訴えるかのような流架の面を見つめながら、柊は頬を傾けて目を細めた。
「先生には、先生の未来がありますからね」
●
ぐうぅぅぅ〜〜〜。
腹の虫が鳴けば、いざ\海の家/
竜胆と藍の姿があった。
「たまには私に払わせてよう。バイトしてるんだから任せて!」
骨董品店「春霞」の看板娘は伊達ではない。
だが、伊達では竜胆も負けてはいなかった。しかし、彼の場合、種類が違う。
「伊達に大学部3年繰り返してないんだから、年上には甘えてよ」
「……ジェンさん、だからだよ」
「……そっか」
拗ねる態度に折れた音が重なった。
「よし、いっぱい食べるよ〜。あ、あと友達にお土産買っていくね! ワカメにウニにシラスに……」
なにそのガッツリ海産チョイス。
青な娘の食べっぷりに、蝶の娘も参戦。
海の家はフル稼働。
「ご飯もの、全部……」
がま口財布ぱかっ。
――。
各々、食事は満足。
別腹カモン。
「おや、リベリア君。かき氷かい?」
「うん。美味しい」
リベリアは唇をピンク色に染めながら、定番のイチゴ味を頬張っていた。
しゃくしゃく、
しゃくしゃく、
き〜〜〜ん。
「けど、……痛い」
正称、アイスクリーム頭痛。
とても分かりやすいネーミングの頭痛がいたたたたっ。「頑張れ頑張れ」と謎の応援を残し、流架はベンチに座る三人組の所へ。
「あ、流架先生……良い所に……肝試し……一緒に行って貰って、いい……? お話、したい事もある……」
「やや? ああ、構わないよ。……凛月ちゃん、平気かい?」
「なんかさむいんだけど」
「今、凛月さんとかき氷全種コンプリート中……」
「……お腹壊すからやめなさい」
「俺も言ったんですけどね」
柊の横顔が深い溜息をついた。
其処へ、藍と竜胆も加わる。
藍の手には、レモンミルク味の特盛りかき氷が。
「あれ、藤宮センセはかき氷食べないの? お近づきの印に僕のハバネロシロップ使う?」
「じゃあ、ジェンティアン君にはイチゴミルクを買ってきてあげようか。氷抜きで」
……わぁ、なにこの流れこわいby藍
一方、その頃。
ダイナマは神社へ。
白蛇は一人、海の家から“撤退”して、デッキチェアでのんびりと青リンゴ味のかき氷を堪能していた。
「――“仕込み”は既に、完了じゃ」
●
夏の午後――。
影は濃い。
波の穏やかさに漂うのは、二つのビニールボート。
かったるい泳ぎはぽいちょして日光浴を楽しみましょう――と、竜胆。お喋り相手のお誘いには、ひと汗流してきたダイナマをご指名。
ぷーかぷか。
二人の長い毛先が、鏡のような海の表面で戯れる。
空を泳ぐ海鳥。
その羽を目線で追いながら、竜胆が平素の調子で口を開いた。
「3人の話は色々聞いたけどさ、一番共感出来るのは伊藤ちゃんかなと思って」
「あん?」
「なんだろうねー。心から喜んでもらいたいのに、本当に相手の為になることを考えるのって……色々とあるよね」
「キレイなもんだけがいーわけじゃねぇだろ。泥に塗れても自分らしく乾いてりゃあ悩むことなんてねぇぜ?」
「あ、既に泥んこ?」
「かっぴかぴ」
思わず笑みが零れた。
オッドアイが傾いて、ダイナマを見やる。
「見守るってイイ男?」
「もち。オレが手本よ」
その清々しい返答に、竜胆はきょとんと睫毛を扇がせたが、やがて眩しそうに目を細くして――「確かに」と、囁いたのだった。
・
・
・
「おや、御子神殿。海に入るのかの?」
「ん。でも……」
「……ふむ、手助けしよう」
白蛇が召喚したのは、泳ぎを得意とする竜――壁の司。
共に騎乗し、優雅な海上散歩と洒落こもう。その白蛇の粋な計らいに、凛月は両目をきらきらと輝かせた。
「他に乗りたい者あらば言うがよい。安くしておくぞ?」
「私、一緒したい。……凛月、いい?」
「ええ。でも、リベリアは私の後ろよ」
「ふむ、よかろう。後程、海の家の飲食物を一つ提供してもらうぞ」
「……じゃあ、おでんの玉子で」
小さいよ、玉子小さいよ。
「……冗談。大根と昆布も付ける」
夏を摘むような風が薫る。
その風に乗って、きゃっきゃと遊び戯れる凛月の声が二人の耳に届いた。
「ふふふ。りっちゃん楽しそう」
「藍君は? 楽しんでくれているかい?」
「うん、勿論。だって、流架先生が一緒してくれてるんだもん。……思いきって突撃してよかった」
少し、望みたくて。
手を伸ばしてにこーと笑ったら、彼が軽やかに触れてくれたから。
何処までも鮮やかな瑠璃色の海で、ぷかぷかり。
藍はドーナツ型の浮き輪にすぽっと座り、白い脚を伸ばす。浮き輪の縁に腕をかけながら、流架の面が藍へ向いた。瞳がぶつかる。藍が少し気恥ずかしそうな表情で僅かに頬を傾けた。
「良い所ばかりでしょ?」
「海、かい?」
「はい。私、海大好きなんです。先生にも、好きになってもらえたら嬉しい」
空が暮れても、
海が暮れても、
「明ける色とか、音が本当に綺麗なの。夕日も、深い青も。ねぇ、先生。いっぱいいっぱい、楽しいことして、笑ってね」
そう願って、藍は白い歯を零した。
流架の瞳が一瞬、俄に大きくなる。そして、“あの時”と同じように破顔した。
「じゃあ、君も俺の傍でたくさん笑ってね。君の笑顔、好きだ。元気が出る」
「……先生のその好きって……いえ、何でもないです。うん、うん! 先生の傍にいるよ。先生との時間が嬉しいの。それに、私、欲張りですもん」
「そうだね。我儘で欲張りでお転婆、だったかな?」
「あ、そういうこと言っちゃう!?」
「言っちゃう」
「もー!」
「あははっ」
――え?
初めて“聞いた”。
驚きの声が口を走る前に、藍は両手を引かれて――ざぶん。
青に沈む。
交わした言葉のひとつひとつが、音のない歌のようであった。
・
・
・
ドラゴンリゾートを心ゆくまで堪能した凛月。
海の家へ向かう白蛇とリベリアを見送っていると、奏でるような声音が彼女の名を呼んだ。
「や、御子神ちゃん」
「貴方……じ、じぇんてぃあん、だったわよね?」
「気軽にジェンって呼んでくれて構わないよ」
「ジェン」
竜胆の瞳を不思議そうに見つめながら、彼女はこくりと頷く。
「(ん?)」
その視線に首を傾げながらも、竜胆は身上に似ている子がいると語りかけた。
病弱で屋敷に籠もり、泳ぎどころか単独行動の経験すらなかった“彼女”は、現在、学園で竜胆の斜め上を成長中。その内、竜胆を追い越していくことだろう。物理的にも。
「海は広い、世界はもっと広い。君もいっぱい見て知って成長出来るよ」
そう微笑んで、
「触れても平気?」
「……ん」
彼女の頭にぽん、と手を置き――「Fight」と、優しく撫でた。
「……ありが、とう。ジェンも頑張って」
「うん?」
「二つの色の世界で泳ぐの、大変だと思うから。……でも、綺麗ね」
凛月は臆することなく、竜胆の瞳を覗き込んだ。
緑と、青紫の輝きを。
●
白昼が夕日に溶かされ、ひぐらしが鳴く。
やがて、辺りは夜のしじま。
夜空は海の水に洗われたかのように澄んでいた。
ぽっかりと嗤うのは、月。
「そういえば……海の家で噂を聞いたな。
何でも、神社の石段で少女が事故死したそうだ。少女は10歳程で、死亡時の姿は麦藁帽子に白い服。それ以来、石段で金縛りが発生したり、少女の幻影を見た人がいるそうだ。奇声を上げて襲ってきた、という話も聞いたな」
白蛇の“仕込み”がしっかりと働いていた。
だが、
それ、此処で言う?
肝試しする神社の前でそういうこと言いますか、柊。
「肝試し……、楽しみ。忍者でないかな……」
肝試しがどういったものか理解していない少女もいるが、取り敢えず――、
「脅かすにしても何事も、やるからには全力でしょ。楽しんでね☆ じゃ、肝試し開始☆」
愉快そうな竜胆の合図が、余計に空恐ろしかった。
・
・
・
「……流架先生、その、一緒に行ってください」
「やや?」
「大丈夫、先生は私が守ります」
「では、藍君は俺が守ろう」
藍は、ぱあぁーーーと花が咲くように笑ったが、石段の下に添えられている献花を見て、さあぁーーーと顔を真っ青にしたのだった。
月明かりの下。
一段、一段、踏み締めて。
時折、狐火のような灯しが薄闇を浮遊してゆく。
それに紛れて、
ぬるりん。
――“ヤツ”は来た。
「(先ずは定番、いくよー)」
茂みに隠れる竜胆が、“ヤツ”=濡れコンニャクの初手。
「Σわっ、なんかきたーーー!!」
「ん?」
斜め後ろの藍に目をやった振り向き様、流架の回し蹴りが炸裂。
ホームラン!
夜空で輝いたのはコンニャクの星であった。
「(あ……まあ、まだストックあるからいいか)」
と、思いきや、
「(え)」
ヤツはUターンをしてきて竜胆の顔面にただいまああぁぁぁっ!!!
べちーーーんっっっ!!!
「(Σ!!?)」
め(がね)がぁ、め(がね)がああぁぁぁ〜〜〜!!!
この際に、藍と流架は積まれた段ボール箱トラップ(?)を回避。因みに、中には何も入っていなかった。からの――、だるま。枝の先から降ってきた赤いフォルムを流架がキャッチする。
「……願掛けでもしろって意味かな。ねぇ? 藍く――」
肩越しに藍を窺うと、彼女は重ねた指先を自身の胸元に寄せながら神妙な面持ちをしていた。流架の気遣わしげな眼差しと視線が合う。藍は微笑みかけようとしたが、震える手許は治まらず、失敗してしまった。
曖昧なものを怖がるのは、“それ”に、大事なものを奪われた“きおく”が“ある”から。
家族。
時間。
色。
音――、針がぐるぐる。
「(先生に情けないところを見せたくないけど、どうしても手の震えが止まらない)」
一人でも平気だと、笑えればいいのに。
「――ほら」
「え……?」
差し伸べられた、掌。
「心の内を口に出せなくてもいい。だが、少しでも解せればと願うよ」
――強い安心感と、あたたかい包容力。
藍は、ほっとした表情で彼の掌に添い、「先生の掌、大きいね。……ありがとうございます」と睫毛を伏せようとして――、
ふと。
石段の表面が、にやり。
「Σわあぁぁぁーーーーー!!!!!」
「ちょっ、なに、藍く――」
あらぬ方向へ走り出す藍。
その手には、しっかりと流架の掌が握られていた。
「……すまぬ。このたいみんぐはなかったのう」
石段下の笑みの主、白蛇が苦く詫びた。
・
・
・
二番手、リベリア。
わくわく。
表情はともかく、彼女の心は躍っていた。
初めの一歩――その石段に、白な紙切れが一枚。拾い上げてみると、血のような色文字で“助けて”と、只、一言。
「……わお」
リベリアはヘルプメッセージを、そっ、と元の位置へ戻した。
ざわざわ、
風もないのに茂みが嗤い声を出し「……びっくり」とリベリア。
カーン、カーン、
何かを木に打ち付けるような音に「……なんだろ」とリベリア。
ぼこぼこ、
水に混じった土が呼吸をする音に「……おばけ?」とリベリア。
驚いているんです。
これでも精一杯驚いております。
そろそろ境内へ差し掛かろうかという時。
「は」
スケ○ヨ――ではありません。
ホワイトマスクを着用した竜胆であった。
茂みと暗を利用して、生首が浮いているように見せていたのだが、「……忍者?」――リベリアの反応は不意を食らうほど真逆で。
「……ほんとの忍者? それか、忍者のおばけ?」
瞳の奥の好奇心。期待感。
リベリアの無表情の裏に確かに存在していたのは――心惹かれる純粋さ。
「(なんか、ごめん……)」
申し訳なさげにかぶりを振るホワイトマスク。
「……なんだ、がっかり」
しゅん。
リベリアが小さく呟いた。
・
・
・
「肝試しなんてよく考えついたな。まさか“お膳立て”……他の意味も含まれてたりしないよな? もしそうなら、色々と楽しそうなんだが」
「……」
「ん? どうした、凛月。行くんだろ?」
「柊……この先何があっても、絶対に私から離れるんじゃないわよ」
「何処で覚えたんだ、そんな台詞」
「昼ドラ」
柊と凛月。
宵闇に呑まれる。
ぎゅぅ。
どちらともなく繋いだ手。
ひんやりとした凛月の指先から伝わってくるのは、必要以上に固く握り締めてくる圧と動揺であった。
「凛月、手だけで良いのか? 腕が良いのかと思ってたけどな」
「馬鹿」
「声が震えてるぞ。怖いならもう少しこっちに来い」
「こっ、わくない!」
ああ言えばこう言う。
彼女のこの反応が、如何やら柊のツボにくるようで。むくむくと悪戯心が湧く。
「凛月、女性の声しないか?」
「うるさいしないそんなこ――」
え。
――。
「? どうした?」
「きこえる」
――聞こえる。
『助けて……』
か細く、掠れ、
『助けて……』
怨みがましい女性のようなそんな声が――。
「きゃああああああああああっっっ!!!」
悲鳴採点などというものがあれば、間違いなく満点であっただろう。
凛月は猛スピードですたこらっしゅ。何処にそんな脚力あったんだというくらいに石段を駆け抜けていった。
絶対に離れないでと懇願した相手を残して。
「……声、凛月だけに聞こえたみたいだな。恐らく砂原、か」
ぽつり、柊は冷静に呟いた。
凛月に置いていかれてしまったものの、此処で立ち往生しているわけにもいかない。何故なら――、
「凄い勢いだったが、転んで怪我したりしてないよな。……まさか、泣いてたりしてないよな」
何だかんだで心配が渦を巻き、柊は足早に石段を上がっていった。
案の定、凛月は境内のど真ん中で膝を抱えながら蹲っていた。駆け寄ってきた柊に、うっすらと涙を浮かべた上目遣いで「遅い!!」と一喝。その様に、柊は吹き出しそうになる口許を掌で覆った。
数分後。
社で個包装されたマカロンを手に取ると、二人は再び石段へ。
そして、
又もや凛月が餌食となった。
「きゃああああああああああっっっ!!?」
竜胆が発動させた黒手が凛月の脚を撫でるように掴んでいたのだが、一番の餌食は――パニック状態となった凛月にぽかぽかと叩かれる柊であった。
・
・
・
そろそろいちばん終わり。
「平気かい? 咲月君」
「ん……。ついた……腰、今回は抜けなかった……」
「白いワンピースが見えたね。白蛇君かな? ――と、思ったが、彼女は“種が尽きた”と言って石段下にいたからね。ふむ、ちょっと追いかけてみようか」
「Σう……!? やめ、やめて……先、行こ……」
――薄闇に白いワンピース。そして、麦藁帽子。
それらを纏った“ナニか”が、石段の脇からふぃぃぃ〜〜〜と二人の視界を過ぎっていった。
だが、二人は露知らず。
ワンピースを翻せば、白蛇が召喚した千里眼だったということを。
そして、おいでませと言わんばかりの存在感で石段に積まれていたもの。
流架は再びの段ボールであった。
先程は、空。
では、今回も――……?
と、思いきや、
「「おー」」
宵闇に浮かぶ鮮やかな朱の鱗。
柔らかなクリーム色の羽毛がぼんやりと淡く光り、緑の尾羽と飾り羽が天へと軌道する。
ピーィ。
ちぱちぱちぱ、と二人の拍手が響いた。
さようなら、鳳凰。
とても和ませていただきました。
途中、流架は思わず吹き出してしまった。
藁苞・ジェンティアン・竜胆の着ぐるみ(只の藁苞の着ぐるみ)が木の陰から二人を見つめていたのだが、この場にそぐわない輝かしさを纏っていたのだ。その明度は、美しさすら感じさせる。
だが、二人は足早に遠ざかっていった。
納豆は朝食によろしく。
――。
そして、境内へ。
社には残りの二つ。咲月は深緑色、流架は桜色のマカロンを指先で摘まんで――ひと息。
ささやかな夜風が二人の髪を揺らす。
彼の横顔を切なげに見つめながら、咲月は「大切な話……」と、小さく遠慮を入れた。流架の眼差しが、ゆるりとした瞬きと共に咲月へ移る。そして、促すように目で頷いた。
咲月は瞼を緩やかに一度閉ざすと、
「この頃、心がもやもや、ざわざわする事が多くて……気持ちが悪くて……」
物思いに耽る瞳の色で睫毛を持ち上げた。
「自分の世界を護る為なら……自分の命を、って駄目な事なんだと思う……だから護る為に生きたいって願える様になりたい……」
「……」
「死ぬ事は怖く、ない……でも、死んだら……もう先生と会えない……そんなの、やだ……」
自分の世界の人達が幸せであるように望んだ。
だけれど、
その色の欠片の中でたった一つを――“特別”を認識してしまったから。
「今日……姉さんが“特別大切な人の為なら笑って貰えるだけで幸せ。この人の為なら頑張れる”って言ってたのを想い出した……だからあの時、心の中で懇願したんだって……分かった」
「……ん?」
「“貴方に、自分の一番近くで笑って欲しい。護りたい”って。私にとって貴方は一番で、大切な人なんだって……」
咲月の心を揺るがして、染めたのは――、
「胸がきゅーってなるのも、ぽかぽかするのも貴方だけ……」
切に、告げた。
見据えるような流架の瞳が俄に膨らむ。
縁より生むもの、繋ぐもの――彼は何処か思い詰めた表情で。一瞬、流架の視線が彼女から逸れた。そして再び正視し、穏やかな微笑みを返す。
「君の世界の在り方は君が決めることだが……正直、ほっとした」
「う……?」
「未来が在る」
「そっか……」
「……」
「……」
「ありがとう、咲月君」
「……ん」
流架が平素と変わらない表情で「行こうか」と声をかけ、二人は皆の許へ歩き出した。
一歩、進めたのは咲月。
宵は静かであった。
●
こうして、肝試しは終了した。
お化けなんていない。
お化けなんて嘘さ。
そう竜胆に説明されたリベリアが「……?」と、不思議そうに小首を傾げる。
「それ、おばけじゃなかったんだ……」
「え?」
一同が怪訝な表情でリベリアの視線を辿った先は――凛月の肩。
は、虚空。
「――きっ、」
「……冗談」
……。
………。
…………。
ほんとだよね?
唯一人、リベリアだけが澄ました色の無表情をしていた。
・
・
・
月の明かりが、暗闇に染まることを拒む。
「流架先生、みんな車に乗りました。鴻池さんも準備オッケーだそうです」
「ん。ありがとう、藍君」
「じゃあ、私も車に――」
「後ろ、おいで?」
「え……でも、疲れてません?」
「平気」
一台の車と二台のバイクが海岸線沿いを走る。
濁りのない夏。
葉を傾げ、咲く花は、蒼い夜にも美しい。きっと、明日も――。