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「ねぇ、ファリス」
聞き覚えのある声に呼び止められ、ファリス・フルフラット(
ja7831)は振り返った。
昼休みのこと。昼食後のひと時を、晴れ渡った青空の下で散歩を楽しむのも悪くない、と考えた彼女は中庭に出ていた。
「ああ、あなたですか。どうかしましたか?」
眩い陽光に目を細めながら振り向いた先には、ファリスと同じクラスの女子生徒がいた。
「その……噂で聞いたんだけど、今夜あなたが美術室に肝試しに行くって……。ホントなの?」
ええ、まぁ、と普通に頷きながら答えるファリス。それを見て、女子生徒は眉根を顰めて近寄って来た。
「やめた方がいいよ! 美術室の噂知ってるでしょ!? 作品展前に病気で死んだ美術部員の幽霊……捕まったら殺されて作品にされるって! 最近怖い噂ばっかり聞くし……やめた方がいいよ〜」
怯えながらも必死にとめようとする彼女に、一瞬申し訳ない、とファリスの目が歪む。
「……平気ですよ。そんなのはいません。私が証明してみせます。それに私一人ではありませんから。ご心配、ありがとうございます」
では、と、踵を返してファリスは歩き出した。
――くだらない、疎ましい、そして、許しがたく。自分は撃退士。戦にて先陣を駆け、未来へ目指すは人類の勝利。自分達にはやらねばならないことが、勝利しなければならない戦いがあるというのに―――まるでエゴを剥き出しにしたような今回の事件に、ファリスは純粋な怒りを覚えていた。
ギリギリ……
人混みに紛れて、ファリスの耳に嫌な音が響いた気がした。それはあまりにはっきりとした音――まるで、歯ぎしりのような――。
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日が暮れ、学園がすっかり夜に包まれた頃。空には星が瞬き、月はただ黙々と浮かんでいた。
「……暗いし、すごく静か……怖い……ん……でも、がんばる……」
夜の学園。誰もいない教室や廊下は、耳が痛いほど静かだ。学校にはたくさん人がいるというイメージがあるだけに、余計そう感じるのだろう。
ぶかぶかの制服の袖をキュっと握りながら、桜坂 秋姫(
ja8585)はファリスと共に長い廊下を歩いていた。秋姫の幼い肌に窓から差し込んだ月光がかかり、その色彩をより幻想的に見せ、艶のある黒髪がそれによく映えている。外見は十歳の少女だが、れっきとした高等部というのだから驚きだ。
「噂……ちゃんと広まっていた……アキとファリスさんが美術室のおばけ……見にいくこと……」
「ええ、私も確認しました。今や学園の七不思議的噂の広まりは驚くほど早い。興味と恐怖の対象が混合し、歯止めが利かなくなりそうです。作戦の失敗は許されませんね」
「……ん……アキ……犯人に……お願いしたい……ん……アキはおばけ、怖い……おばけのこと……ばかにしてる人ばかりじゃない……から……」
幼い子供のそれではあるが、強い意志を秘めた瞳の輝き。ファリスは何気ない表情のまま片時秋姫を見つめ、穏和な笑みを置いてから目線を前へ戻す。
「何かあったら私があなたを守ります。安心して下さい」
「……ん……ありがとう……」
(ぐっふっふっふ……♪)
ファリスと秋姫を少し離れた所から温かい目で見守る――ではなく、違う意味での熱い眼差しと闘牛のような荒い息をたてながら、美女二人をガン見する男がいた。学園の制服を着ていなければ教師か、はたまた清掃員の人に見えてしまう。が、彼、久我 常久(
ja7273)もまたれっきとしたこの学園の生徒。
(怖がる女子を吊り橋効果でゲットできるチャンスだ! こんな美味しい依頼、逃がす手はない……ぐっふっふ♪ 連絡手段のスカイプで二人のアカウントもゲットしてるし電話かけ放題! わしの魅力伝え放題!)
早速不純な動機でスマホに手を伸ばし――。
「――ん? 誰だ? ……久我さん、どうしました? 状況に変化でも?」
「おお、ファリスちゃん! いや何、わしがすぐ側についているからな! 何も心配はいらない! がっはっは!」
「……はあ」
「もし良ければ、今度わしとスイーツでも一緒に――」
「電波が悪いので切ります」
プッ……と糸が切れた音とともに会話切断。電波って……同じ階の数十メートルしか離れていない場所にいるんだけど……。しかしめげない。
「……ん……だれ……く、久我さん……あ、あの……なんです、か……」
「秋姫ちゃん! あのな――!」
「……ご……ごめんなさ(ぷるぷる)」
プッ。
……まだ、何も喋っていない……。しかしめげない、諦めない! それがロリコンジャスティス。
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「夜の闇、響く悲鳴は、誰のものかな〜……字余り。明けぬ夜、俺らの手で、朝日を迎えん……む〜〜」
肩に羽織る程度にかけている上着の袖が、前へ後ろへ、と遊んでいる。俳句を詠みながら廊下を行ったり来たりする金髪碧眼の男子生徒、宮村 昴(
ja7241)は、ふと、夜空を見上げた。やや明るすぎる感があるが、冷たくも、その柔らかな輝きは、妖美な微笑のようにも見える。
「……うん、綺麗だな」
囁きと吐息が零れる。まるで意識が茫洋と漂い、浮遊しているようだった。昴は、もし自分が日本舞踊をやっていたらこんな感じで舞っているのかな、などとありもしない想像をして、ふふっ、と楽しそうに笑う。その時、手にしていたスマホのスカイプに連絡が。
「あ、あまねちゃんだ」
心を現に戻して彼女のコールに出る。
「宮村先輩なのー? こっちはちゃんと配置についたのー。いつでもバッチ来い! なのー。いちおう連絡しておこうとおもって、なのー」
可愛らしい少女の声に、昴は思わずはにかんで自然と頬が緩んでしまう。
「そっかぁ、ありがと。洋服はお母さんに作ってもらえたのかな?」
「うん! なのー! とってもかわいいブラウスと赤い釣りスカートなのー! 変化のじゅつでおかっぱさんにも変身してるのー! はりきっちゃうなのー!」
今回の依頼参加者で最年少のあまね(
ja1985)は、犯人を脅かす為に、いつものフリルのついた甘ロリ系の着物や制服ではなく、学校の怪談の定番、花子さんに扮する作戦だ。同様に、昴もあまねと同じく単独行動で幽霊を演じながら犯人にお灸をすえてやるつもりだ。
「よーし! 目ん玉歯ん玉ビックリ作戦、開始だね!」
「??? おーーー、なのー!」
目には目を、歯には歯を、お化けには――お化けを。
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「……ファリスさん……」
「ええ、『彼』ですね。釣られたようです」
美術室へ向かう途中から、ファリスと秋姫はずっと誰かに見られているような感じを受けていた。二人を捕らえて放さない、ねっとりとした嫌な視線と温度。
それと今、廊下で対峙している状態なのだ。
右手に大鎌、そして黒を基調とした痛んだローブを纏い、白骨化した顔――、一般的に想像される禍々しいその姿は、正に死神だった。階段を上り、美術室への廊下にさしかかった時、それはゆっくりと二人の背後に姿を現したのだった。
「…………うう……」
ファリスの上着を掴む秋姫の手から、カタカタと小さな震えが伝わった。蒼白になった顔色を見れば、かなり動揺していることがわかる。最初から人間相手とわかっていても、夜の学園内で暗闇に佇む死神(生徒だが)と遭遇、という状況下では、元々怖がりの秋姫にとっては致命傷なのだ。
(このままここにいるのは得策ではない。当初の予定通り、美術室へ――)
ファリスは出来るだけ穏和な表情をつくると、少し身を屈めて秋姫と目線を合わせた。そして小声で話しかける。
「美術室まで走ります。行けますか?」
ゴクッと、生唾を飲み込む音が聞こえた。それは明らかに秋姫の喉から聞こえた音だった。
「……はい……アキなら……平気、です……」
そして二人は「廊下は走らない!」と書かれた張り紙の横を全速力で走り抜ける。ファリスは秋姫を庇うように走りながら、ちらりと廊下を振り返った。死神に扮した生徒は、長いローブの裾などものともせず、宙に浮遊しているかのように器用に追いかけて来る。どうやら彼も二人を美術室へ追い詰める気でいるらしい。
(やはり味をしめているようですね)
追いかけて来る犯人の更に後方へ久我がスタンバイしているのを確認するが、ファリスは「少し待って」と合図し、秋姫と共に美術室へ駆けこんだ。
(……よしよし、うまく美術室へ逃げ込んだな。ここにも仕掛けをしておいたんだ。驚くがいい!)
扉の前でくふふ、と肩を上下させ笑いを堪える犯人。
……。………。だが一向に悲鳴は聞こえてこない。悲鳴どころか、物音ひとつ伝わってこないのだ。
(……あれ?)
奇妙に思い、そろ……と扉を開け、中を窺う。暗闇の中、イーゼルや石膏像などが点在しているが、二人の姿はどこにもない。おかしいな……と思って犯人が奥へ進むと。
シャッ……シャッ……
何かを撫でるような音が聞こえた。それは、絵筆をキャンパスに塗るような音。
(何……? 何、この音!?)
なんか怖い、しかし何故か足は前へ進んでしまう。そして、へっぴり腰の死神が見たのは――。
「……ねぇ……君は、おばけを見たことがあるのかなぁ……?」
月光にうっすらと照らされた、白く長い髪の長身の男。痩せたその身体と風貌は、まるで幽鬼。絵筆を動かす腕をぴたりと止め、囁くように言葉を発して緩慢に首を動かす。虚ろにした眼差しと微笑する口許。その唇の端から、すーっと赤い液体が流れ出て――。
「いい作品、つくってあげようね……」
そこで、犯人の理性のメーターは吹っ飛んだ。
「――ほげえええああああああっっ!!!」
イーゼルをバタバタ倒しながら、転がるように美術室から逃げ出す犯人。その行動を、半ば呆然と見送った美術室の幽霊――ではなく、事前に流しておいた噂の幽霊を演じた千ヶ崎 華音(
ja3083)は、おもしろい悲鳴だったなぁ……、と、彼に開け放たれ、キィキィと音をたてて揺れる扉を見つめていた。
カーテンの溜まりに隠れていたファリスと秋姫が出て来る。
「……あの人……すごく怖がってた……ん……もしかして、おばけ……苦手……?」
「――と、いうより」
「――ぎょええええっ!! 白髪鬼!!」
「何だと失礼なヤツだ!! シルバーブロンドだっ!!」
……どうやら犯人が逃げた先で久我と遭遇したらしい。暗闇の中、二メートルの恰幅のいい巨漢を見たら確かに鬼とかぶるかもしれないが……。廊下でバタバタと暴れる音が聞こえ、騒がしい足音は遠ざかって聞こえなくなった。犯人の逃げ足は速いようだ。
「……恐らく、自己体験型の恐怖に弱いのでしょう」
「たまにいるよね、怖いの好きなのにおばけやしきとかだめな人」
そう言って華音が上着の袖で口許の赤い液体を拭う。
「……それ……な、なんです……?」
先程から気になっていたのか、秋姫が恐る恐る華音に尋ねた。
「これはねー、イチゴシロップ。味があって、おいしいよ。……じゃあ僕、彼をおいかけてきます。よいしょ」
ドン、と傍らにブロードアックスを垂らす様に置いて、ずりずりと引きずりながら華音は美術室を出て行った。
(……なんか変な叫び声聞こえたけど、気のせいかな)
俳句を呟きながら、スキル「星の輝き」を発動させて幽霊らしさの演出をバッチリだした準備万端の昴は、眉根を僅かに顰めて首を傾げていた。そこへ、スマホに久我から連絡が入る。犯人は美術室から逃げ出し、どうやらこちらへ向かっているらしい。
(よし、やっと出番だね! スキルは最小限に抑えて、と)
昴を中心とした微弱な輝きは、まるでふわふわと漂う人魂のようになった。
(あ、いい感じ! ん――! いい句、閃いた♪)
そしてここで一句、と前置きする。
「人魂や、光り映すは、おばけの顔なり〜……字余り。……あ」
言い終わってから視線を感じた。振り返ると、階段の踊り場で非常口のマークのような動きで固まったまま昴を見る、一人の――死神が。
(――誰っ!? あ、犯人の生徒か)
突如現れた死神の格好をした生徒に一瞬判断力が鈍るが、気を取り直して、
「……聞いちゃった? 俺の字余り、聞いちゃった?」
昴は幽霊を装う。……犯人の無言が肯定するように「聞いちゃった」と、言わんばかり。右手に薙刀を構え、のそお〜っと昴が近づこうとした矢先だった。
「きゃああああああっっーーーー!!」
絹を裂くような、犯人の悲鳴。あまりの大声に、昴の身体も一瞬ビクッと跳ね上がる。そして。
ズゴゴドゴンドガコッ!
その音は明らかに、犯人がおにぎりの如く階段を激しく転げ落ちる音だった。ここまでの驚きようを予測していなかった昴は、首の裏側を掻きながら苦笑する。
「……あの驚きよう、絶対俺のせいだけじゃないよね」
哀れ極まる犯人は、男子トイレの一番奥に立てこもり、肩を嗚咽に上下させていた。
(な、何で、何で幽霊のオンパレードなんだよ〜! もうこのまま朝までここに……)
隠れていられるほど、甘くない。硬質的な床に響く、足音。トイレの空間に、一歩一歩反響してくる。
「おばけのまねをする悪い子は、どこー?」
少女の囁きと、くすくすと喉で笑う声が犯人の隠れる扉の前で止まった。一瞬の沈黙の後、
「――お化けの世界に連れて行くぞー、なのー」
扉の上から覗きこむ、トイレの花子さんが!
「……あれれ、なのー」
その無反応な不自然さに、あまねがひょい、とトイレの中へ着地し、小首を傾げて犯人の身体をツンツンとつつく。
犯人は悲鳴すら上げず、気絶していた。
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久我の鉄拳で強制的に目を覚まされた犯人の生徒は、今夜のことですっかり懲りたのか、大人しく正座をして秋姫の話とファリスと久我の説教に耳を傾けていた。
「……だから、お願いします……みんがみんな、おばけのことばかにしてるわけじゃないんだってこと……わかってください」
「怪奇を信ずるのなら、自らの手で証明するべきです。そのための研究会でしょう」
「お前さんのした下らない事のせいで女が傷ついたんだ。男は女を楽しませる為に生きてるもんだろうがよ。あ?」
「……あの……ん……もう、そのくらいで許して……あげて……」
秋姫のアメとファリスと久我のムチが交互に続いて、犯人の生徒は萎んだ柿のようになっている。このまま続いたら日が昇ってしまいそうだ。でも、それも面白いかも、と、少し意地の悪い顔で、昴は机に腰をかけながらその光景を眺めていた。
少し離れた所で、ぼんやり夜空を見上げる華音と、彼の口の拭き残したイチゴシロップの匂いにつられて、よじよじと彼の身体を木登りするあまね。華音の肩にちょい、とぶら下がるあまねが不思議そうに、未だ天国と地獄を繰り返す犯人の方を指差した。
「みんな、アレ、見えてるの、なのー?」
「うーん、どうなんだろうねぇ」
「なんかとっても、気持ち悪いのー。ねぇ先輩、アレ、なんなのー?」
「僕もよくわからないけど、アレはたぶん――」
二人には見えていた。犯人の生徒の背後に憑く、―――が。