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空があまりにも蒼くて、
無意識に陽光へ翳した傷口は生身で感じる同等の暖かさで包まれ――太陽を向いて咲く花の幸福を感じたような気がした。
「(僕は、剛に断たれた)」
過ぎ去った時のピースが定まらない意識の中、九鬼 龍磨(
jb8028)の記憶に先の依頼での苦渋が馳せる。あの時ああしていれば、こうしていれば、未だに心縛られる事も無かったのだろうか。
「(……“柔よく剛を制する”と言うけど、“剛よく柔を断つ”とも言うし……ああ、悔しいな)」
ならば。
「僕、には」
何が。
「圧倒的、な、闘争心に、勝つ……為、には……」
無くてはならない?
「――それは君自身だろう」
ぼやけて欠けた龍磨の脳裏に、柔和ではあるが迷いの無い意思を含んだ言葉が滑り込んだ。「(あ、先生の声だ)」と、言の葉の意味と共に認識したと同時、龍磨の意識は急速に集束していく。
「(そうだ。
僕は守るだけではなく攻める動きを実戦にてご教授願いたく、今――)」
空にいるんだ。
龍磨は落下していく身体を捩って旋回させると、一際高い喬木の先端を足場にして一気に加速した。目指すは一点――戦闘科目教師、藤宮 流架(jz0111)
「よく来た」
緑玉石の双眸を嬉々として細め、流架は楕円の盾を刀で真っ向から受け止めた。加算されたスピードの威力が刀身を伝い露骨に流架の両腕へ圧し掛かるが、口元は笑んだまま刀身で重力を崩すと、ひらり舞うように後退する。
「――にはは。
手加減無用、喧嘩上等でお願いしたらモロに鳥になって来ちゃいました。勝てなくても、後に控えている3人の負担が少しでも減ればいいな、って思ったんだけど……ふぅ、並渦虫が追いつきませんよ。ちょーっと先生のピアスを拝借しようとしたらこのザマだし。
先生、もしかして僕の対抗スキル、わざと消費させてました?」
焦点の無い白眼が確実に流架を捉え、龍磨の影獅子が虚ろな咆哮を上げた。流架は意地の悪そうな笑みで肯定すると、防御という概念を捨てた龍磨の無双の拳を、音色を奏でるように刀身で弾く。そして、平然たる表情のまま龍磨へ述べた。
「人とは脆弱な生き物だが、その精神は限りなく深く、強固なものなのだよ。修羅になりたいのなら止めはしないが、“もがく”のも美しいと俺は思うがね」
「もが、く――」
記憶が例え過ちでも、其れは心揺らす程大切で。
唐突に意識を手放す瞬間、龍磨は心の中で僅かな火が灯ったのを感じたような気がした。
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未知との遭遇。
もとい、ファイトシミュレータでの模擬訓練は続く。
「漸く……ですね。藤宮先生。俺じゃ相手にならないかも知れませんが」
容姿の整った長身――鴻池 柊(
ja1082)が、品の良い微笑みを浮かべる。木蘭色の瞳には、言わずして語り、また、語りして意図しないものが生まれるような――そんな期待感が色付いていた。
「それでは……宜しくお願いします」
訓練開始を告げる音が鳴り響いたと同時、柊はヒリュウを具現化。召喚獣の中では小柄だが、索敵をするならヒリュウの視覚共有が有効な手段となる。高度の限界まで上昇させると、柊は二対一組の銃を構え――木漏れ日の加減で色を変える木々の乱立へ撃ち込んだ。
柊の速射が右へ左へと激しく無尽する。
目標の動きは獣の狩り行動のように慎重で、その反面、挑発的に柊を煽っていた。
「(――来る)」
上空からの視野が警戒を発した瞬間――、
「……っ! 本当に手加減なしですね……!」
「ふふ。――ほら、足を止めない。何なら琴でも弾こうか?」
一陣の風が二人の微笑する音を攫って行く。
銃身が砕けるのではないかと思う程の流架の紫電一閃を、柊は形振り構わずの態勢で受け止めていた。押し合いの均衡を柊は水面蹴りで崩し、低い体勢のまま上空の的へ弾を放つ。
「藤宮先生との手合わせがこんなにも楽しいとはな。
――先生。俺は盾であり……剣でありたいんです。大切な人達を護る為に。大切な人達を護る為なら、どんな犠牲も厭わない。――それが、俺の誓いです」
暗青色の竜、ストレイシオンが咆哮と共に強烈なブレスを流架へ目掛ける。
――柊は読んでいた。彼がそれを躱す事も、彼が風に揺らいで舞い散る花弁の様に“待って”いる事も。
スピアを手にした柊が体当たりせんばかりに流架へ突撃する。
「“あいつ”にとっての俺は……親猫でしかないんです。それに俺は、卒業したら家業を継ぎます」
「ん、君には君の人生がある」
華麗な動きで縺れるように――意識から自由まで意図しない行動と想いが交錯するようで。
「――先生、俺の我儘ですが……あいつの存在が誰かの世界にも影響する事を……必要とされている事を教えてやって下さい」
スピアで、刀で、
肩で、腕で、膝で、足で、血飛沫と血の匂いが景色を朱に染める。
貴方が答えを隠しているのなら、
「ふふ。過去も現在もこれからも、君にとって、あの子にとって――偶然を装った必然であれば……きっと、ね」
――託します。
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ひらり。
時は幾程の刻、経過したであろう。
新緑や枯れ色の木々の空間で呼吸を整える中。手の平――包帯の白に、紅の薄い花弁が踊る様を落ちつける。
「(おや、可憐な少女を彷彿とさせるね。
そう言えば此処へ足を運ぶ際、藤宮教論のご実家で桜が咲いていたのを目にしたな。ふふ、死を愛する故の生もこれだから美しい)」
そっと息を吹きかけると花弁が戯れて、津島 治(
jc1270)は声を出して笑んでしまいそうになる唇を人差し指で制した。
「(――おっと。
ふむ、気づかれてはいない様だが……僕も偶には戯れるとしよう)」
捩じれた木々に身を掩蔽していた治は、丈の長いコートを翻しざま一閃――白刃を対象目掛けて放った。右手には燐光珠が煌めく。
だが、空間を裂くように移動する白色の刃は突如、爆ぜた。力の欠片が舞い散るのを黒曜石の瞳に映して、治は「おやおや」と、肩を竦める。
「僕は人間界に来てから脱走と云う名の退院を阻止したり、美女を口説いたりと戦闘は一切していないのだ。だから、お手柔らかに頼みたかったのだが……ふむ、僕はどうやら君を本気にさせてしまったようだね?」
開けた空間で、解き放たれた闘争心が渦を巻いているような気がした。
中心に佇む彼――それはまるで林の中に隠した巨木。翼の文様が描かれた神秘的な和弓を射た体勢のまま、仁良井 叶伊(
ja0618)の姿があった。
研ぎ澄ませた感覚で行動を観測し、それを“結果”とし“予知”とした叶伊の反撃は実に正確であった。
「……本気?
いえ、今回は阿修羅としての戦い方を学び、実践レベル迄鍛えるのが目的ですので……。あ……しかし、一切の手抜き無しなのはいつも通りですが……」
切れ込んだ瞼を一度短く閉ざし。自身に説く語り口で、叶伊は澄んだ眼差しを治へ向けた。
そして姿勢を低く落とし、足幅を上下に広げて地面に根を張る。手元の武器はいつの間にかアレスティングチェーンを緩く垂らしていた。
「人の醜きは傲慢さかと思いますので……」
視線を結んだまま、治は薄く笑む。
先程、訓練を開始した時に受けた牽制だけでは無い。予測したくない手腕を覚悟しなくてはならない――そう、思考を整理して。
「其れら、油断と慢心を捨てて行かせてもらいます。お覚悟を、……とは言いませんが……お気をつけ願えれば」
絶妙な間合いを瞬時に確保した叶伊が迫る。
「心遣いに感謝だ。
――さあ、最後まで対戦を楽しもうじゃあないか」
蛇の如く這う鎖が眼前を過ぎった瞬間、治の右肩は既に熱を持ち始めていた。遅れて痛みが走る。
治は羽ばたくように身を後退させながら燐光珠で追撃を阻止しようとするが、叶伊は表情ひとつ変えずに上体を逸らして躱し、攻撃の手を休めない。
「(津島さんの職では此方を攪乱しない限り勝機を掴むのは厳しいと思いますが……やはり、そう来ますか)」
目につくあらゆる障害物を利用したヒットアンドアウエイ戦法。
時折、治の悪戯心が動いて茶化した様にやって来た一撃二撃は、流石に叶伊も予測が出来なかったようだが。
「――これ以上は厳しいか。仕方が無い、腹を括ろう」
正面、しかも接近戦は避けたい治であったが、止む無し。
伸とした白のフォルムが美しい白龍三節棍で果敢に挑む。落ち着いた一定のリズムで打ち込む様は優雅で、更に隙を狙って拳打や蹴りも加え叶伊の動きを乱そうとするが、
「(機会を得ましたね。初めて使うこの“切り札”、具合はどうでしょうか)」
白龍と相反する虐殺の色――血のグラシャラボラスの柄を叶伊が握ったと瞬時、衝撃音と共に空間が揺れたのを二人は感じた。
炸裂と名のつく符、そして、斧槍を幸福で纏うかの様な純白の光を宿した一撃――滅光が互いにぶつかり合ったのだ。
「(――ふふ。やはり一瞬だったか)」
今思えば。
守りを得意としない治が接近の意を決したのも、この為であったのかもしれない。
「(一瞬で終わる……その様の死に方も良さそうだな)」
この余韻に身を浸し、治は口許に笑みを浮かべたまま現を手放した。
「有意義な時間とお相手、ありがとうございました」
叶伊はしめやかに敬意を示すと、腰から三十度ばかり頭を下げて一礼の姿勢で保ち、治との演習を締め括った。
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「――やや、気概?」
「そう。戦いへの気概。
今からおいらは桜色軟体、……じゃなかった。流架戦生君に戦いを挑む訳だけど、どういった気概で迎え撃ってくれるのか。今日はこれを教えてもらう為に来たんだ」
フードを目深に被ったおかめ――又の名を、夏雄(
ja0559)
「……その前に聞いていいかな。おかめの面をつける理由って何?」
「少しでも敵と認識してもらう為だけど、何か? 別に狙っている訳じゃないよ。ホラーゲームのクリーチャー枠とか、」
「――もしくは、序盤で主人公に宣戦布告して真っ先に死ぬキャラ枠とかね」
「……。
お、おいらふざけてないもん」
「はいはい。
――ええと、何だっけ。ああ、気概だったよね、うん」
傾げた首筋を片手で押さえて、流架は記憶を辿るような眼差しを覗かせる。
「何て伝えればいいのだろうね。
理屈ではないが、足場が脆いかどうかは自身の信念次第ではないかな。だから――きっと手加減は出来ないと思うよ」
「……なるほどだ。あ、あと――」
演習の開始を告げる音。
夏雄にとっては運悪く、吐いた言葉を飲み込むことが出来なかった。
「……やっぱ恐いから、訓練受けずに帰っていい?」
不意に、夏雄の視界がひっくり返った。
何が起きたのか分からないまま、直後に衝撃がくる。
「ごめんね、よく聞こえなかった。もう一度“言える”かい?」
「……いや、いい」
容赦なく投げ飛ばされたのが“答え”だったようだ。しかも、右手の痺れを感じるかと思ったら鉄パイプも少し歪んでいるときた。
「おいらの心の支え(棒だけに)……」
めらっ。
夏雄は身軽に起き上がると、土を味方に、土遁・土爆布を目眩まし目的で放つ。効果の良い視界の遮断を期待しつつ、夏雄は手頃な場所に身を隠した。そして、
「やーい粒餡桜餅ー」
――挑発。その結果、
「ふげっ」
頭部にチョップをされて、その時初めて背後からの気配を察した。だが、面の下で夏雄はニヤリと笑む。
再度の目眩ましから距離をとった隙に、夏雄はパーカーを脱いで鉄パイプに袖を括りつける。そして流架の頭上目掛けて放り投げると、金剛の術を発動させて勝負をつけた。
「(狙うは頭部。何処かの桜色軟体食物教員君に教えてもらった気がするし、素直に実戦だ。――って、あ)」
「無手で挑もうする姿勢は評価するが……俺が天魔だったら君、今頃真っ二つに咲いてしまっているよ?」
右手で夏雄の腕を取ったまま流架が弱り調子で言い、左手で彼女の面を外す。「可愛いのに何でいつもフード被ってるかな」と、真顔で流架が言うものだから、夏雄はきょとんと睫毛を二度扇がせて、
「おのれ桜餅……」
と、切れ味悪く呟いた。
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其れは喧噪の宴。
砕け、
弾き、
穿ち、
枯れない一片の想いが、流架と翡翠 龍斗(
ja7594)の闘争心を激しく揺らす。
「翡翠鬼影流は、原初は無手の業でしたが発展を望むあまり数々の強者を取り込んできました。故に、武芸十八般に近い性質になり、俺も其れを全て受け継いでいます」
触れる物全てを叩き壊していくかの様な闘神の乱舞――。
右へ左へ、時には刀で受け流し、龍斗が僅かに息をついた瞬間、流架は低く腰を落として彼の足を払う。同時、速度をそのまま龍斗の鳩尾へ踵落とし。
龍斗の口元が朱に塗れる。だが。先の激しい戦闘で満身創痍となったのにも関わらず、その様はまるで遊戯の如く。流架と同じ目線へ、世界へ、高みへ――、
「先生、本気で行きます」
喉が震えた。歓喜の笑い声なのか、咆哮なのか、自分でも分からない。ただ叫び、金色の髪が逆立つのを感じた。
「狡知を含めての実力だ。君なら“分かる”よね? ――かかっておいで」
人間業とは思われぬ二人の攻防。そう感覚するのは、彼らの双眸が常とはかけ離れた狂喜で染まっているせいかもしれない。
流架が龍斗の肩に手をかければ龍斗は彼と密着の近い部位を指で穿とうとし、拳打の隙すら無い程に組み合えば口内の血を霧状に噴き出して流架の手先を鈍らせる。
「翡翠の業はどうです?」
二人の間に僅かな空間が生まれた機を龍斗は逃さない。龍斗は流架の刀身を足裏で拘束すると、左の剛撃を彼の顔面へ加えた。――人差し指は穿ち、容赦無く。
「(――手応えあり。流架先生の次の手はどう出るか、
――ぐっ!?)」
左、――人差し指の根元が炎を帯びたかのようだった。灼く苦痛に、思わず声が喉の奥から迸る。状態の窺えない拳を強引に引き剥がすと、その様は見事に喰い千切れる手前で留まっていた。
「――名残惜しいが、今回は此処までとしよう」
龍斗が面を上げると、素知らぬ顔をした流架が口に溜まった血を不味そうに吐き出していた。龍斗は「いえ、まだ、」と、焦燥を無自覚に口走ってしまう。だが、次の言葉に息を詰めて切り、瞬時に気持ちの整理をしたと分かる表情になった。
「二度は言わないよ。
――見誤るんじゃない。いいね?」
龍帝は笑む。
まだまだ遠いからこそ――楽しくてしょうがない。
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骨董品店「春霞」。
各々想いを胸に、ようやく座敷へ腰を落ちつけていた。流架が用意していた和菓子とは別に、龍磨が持ち込んでいた甘味ものにも舌鼓をしながら、一人、甘味を苦手とする柊は縁側で一服。
「――やっぱり、俺にとっては羨望の存在です。藤宮先生は」
互いに煙管を燻らし、隣りに位置する流架は息を漏らして微笑する。
賑やかな座敷へ目を向ければ、叶伊が治から手の外れる手品を教わっていたり、変態保健医に襲われそうになっている龍斗を横目でスルーしながらの夏雄と龍磨。
そんな彼らを背に、柊と流架は呑気に茶を啜った。