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「あ、海月」
小さく呟いて、公園の敷地内の木々の合間を、卯月 瑞花(
ja0623)は猫を思わせるような身軽さでひらり、と跳んだ。潜伏するに丁度良い枝の上へ立ち、心持ち顎を上げると、大きな双眸をほっそりとさせる。
金色の柔らかそうな髪が春風でふわりと踊り、掛け衿から伸びる彼女の華奢な首筋を露わにした。
「……今のところ、ディアボロの気配はなしだね。夜の作戦に備えないと」
周辺の撒いた枯葉をもう一度確認して、ディアボロの警戒を怠らないようにする。聴覚に全神経を集中させ、少しの枯葉への重みも――そう、接近を聞き逃さない為に。
真昼の空に浮かぶ、淡く透き通った白い月。波のない海にたゆたう海月を見て、彼女の温んだ吐息が零れた。
「――今日で終わらせるんだから。犠牲者の血、これ以上吸わせないよ!」
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黄昏が過ぎ、世界を闇へ変える。
元々人通りの少なかった公園は、この無血死体事件をきっかけに全くと言っていいほど人の姿を消した。
(……ふふふ、大丈夫よぉ。人がいなくても、私ならちゃんといるわよぉ……。ココよ、ココ、足元よぉ)
妖艶な心の声の主は、草木の間で完璧なカモフラージュを行う雨宮 アカリ(
ja4010)だった。朝から一切この場所を動かず、緑の背景と化していた彼女は、迷彩服に良く言えば短冊状、悪く言えばもじゃもじゃのギリースーツを装着。顔には白い肌へバッチリの――迷彩メイク。これ以上にないというくらいのガチな視覚的カモフラージュだった。……しかし、それが天魔に対して意味がないことに、彼女は気づいていないのだが。
(うふふ……。昔を思い出すわねぇ)
とある国の非公式戦闘要員だった頃の血が騒ぐ。息を殺したままアカリが笑んでいることに、少し離れた木の上の少女、舞 冥華(
ja0504)の忍者としての感覚がそれを教えていた。和風ロリ系の忍び服が、小さな身体に愛らしいほどマッチしている。
「……あかり、ごきげんー?」
のほほんとした口調、しかし八歳の少女にしては淡々とした喋り方だった。
「忍じゃの実力、しめせるちゃんす……。へび、まだかな。……ふゅーりは……、ん、今あそこか」
冥華は感覚を集中させると、公園内の草むらや暗がり、僅かな地面の凹凸も見逃さないよう、重点的に地面を捜索するフューリ=ツヴァイル=ヴァラハ(
ja0380)の行動を確認した。フューリ、アカリ、そして冥華の三人は、今回の討伐対象である蛇型ディアボロの潜伏場所を、地上、地中、樹上の場合の可能性を考えた上で、フューリを囮にして捜索していた。
闇に沈んでいる公園は、所々街灯の白さで浮かび上がっている。
いつでも戦闘態勢に入れるよう、捜索ともに、警戒も万全だ。フューリは屈みながら草むらを掻き分け、手がかりを探していく。
「…そういえばあたし、な〜んか細くて長いにょろにょろしたのに縁があるきがするよ〜」
フューリは記憶のページをめくりながら、そう呟いて苦笑する。そして、ふと。
「蛇……、蛇ねぇ〜。……マムシ? あ、日本って確か、マムシ酒とかゆ〜のあるって聞いたことあるなぁ……。……美味しいのかな」
……。………。
「……今は、考えるのやめとこ」
……ディアボロ漬けのマムシ酒しか頭に浮かんでこない。そんなの、ごめんこうむる。
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(音や臭いに敏感なら、動いている物を獲物として認識するだろうな。潜伏場所は未だ不明だが、襲う時は透過能力を使って近づくのかもしれない……)
一方、こちらは水辺を潜伏場所と想定した囮班。
二十メートル前方、池に架かった朱い欄干が見える位置の草むらへ身を隠しているのは、ロシア人のクォーターである梶夜 零紀(
ja0728)。灰色を帯びたダークブルーの鋭い眼光で、注意深く様子を窺っている。
(……これ以上、犠牲者を増やすようなことはさせない。今夜でケリをつける)
零紀の武器、ファルシオンを握る手が無意識に強まる。
(……! ……来たか)
零紀は一人の人間の気配を捉える。――そう、この班の囮役、藍 星露(
ja5127)だ。すらりとした長い脚で、歩調を変えることなく歩く彼女の手には、開かれた一冊のノート。
「……ふふ、アカリったら素晴らしいデータだわ」
星露が持つノートとは、事前に蛇の生態をまとめておいた、アカリ作成の資料ノートだった。囮役の危険回避、ともに迅速な対処の仕方をアドバイスしている。実に余念がない完璧な資料に、星露も感嘆する。
(さて、と……。ココなら近くに零紀も待機していてくれるから安心かしら)
アカリからノートを受け取った時に、ページに仕込んでおいた小さな刃先をちょい、と出し、星露は自らの人差し指の腹を傷つける。
「さぁ……いらっしゃい、蛇さん♪」
欄干に肘をつき、白くて細い指から赤い滴が溢れて、池の水へ落下する。血というインクがじわり、と広がっていった。今回のディアボロは血を好んで人を襲っている。そこに着眼点をあてた星露は、血の臭いで誘き出す作戦を考えていたのだ。そしてそれは――。
的中する。
不自然に揺らいだ池の水面。ごぼごぼと無数の泡らしきもの。確認できたのは一瞬、しかし星露は見逃さなかった。
静寂の中、夜風が星露の長い髪をそよがせる。近づく、威圧的な気配。
「――来るわ」
自分に言い聞かせるように小さく呟いた星露の言葉通り、激しい水しぶきとともに夜の池が口を開いて、闇をも轟かす咆哮を上げながら池の中の主が、ディアボロが姿を現した。
「ふふ、近頃獲物にありつけないから我慢が利かなかったみたいね! ――はあっ!!」
己の顔面に向かって迫ってくるディアボロの首を、星露は身体を回旋させて避け、遠心力を乗せたまま腰を低く落とし、中国拳法の型、「掌」を突きだした。
クリティカルヒット! 攻撃がかわされた後の隙というのは、致命的なものと言わざるを得ない。星露のスキル、「掌底」の見事な攻撃で、ディアボロは水辺からかなり離れた場所へ吹き飛ばされた。地面を何度かバウンドし転がったディアボロが、唸りを上げ物陰に隠れようとする。だが、
「くす……その隙、頂くのです!」
夜空を舞う蝶、――いや、その姿は、和洋折衷でアレンジされた着物をまとう瑞花だった。ひらひらと羽ばたかせる袂から水風船をいくつか取り出し、ディアボロの顔目がけて投げつける。破裂したその中身は香水。これでディアボロは隠れても意味を成さなくなり、プラス、嗅覚をしばらく麻痺させることに成功。
「見事だ、瑞花」
「全力跳躍」で一気に潜伏場所から距離を詰めた零紀が、ディアボロの退路を断つ。猛々しい双眸はそのまま、ファルシオンを上段に構えた。
「えへ、ありがとー! ……さぁて、んふふ♪ あたし好みの蒲焼きにしてあげますー♪」
瑞花はディアボロに向けて優雅に胡蝶扇を扇ぐと、紅蓮に輝く球体が発射され、ディアボロを包み込み高熱と閃光を発生させる。
ギャアアッッ!!
耳をつんざくようなディアボロの悲鳴。
そこへ追撃の為、瞬時にして間合いを詰めた零紀の剣が跳ね上がり、強烈な一閃、「スマッシュ」が放たれる。だが、紙一重――、ディアボロは身をくねらせ斬撃をかわす。そして標的を零紀に定め、牙を剥き襲いかかった。
ゴッ!!
凄まじい衝撃と重い音が零紀の身体に振動するが、彼は実戦的格闘術であるシステマをマスターしている。鍛え抜かれた五体は自然と動いていた。ファルシオンを眼前に持ち上げディアボロの牙を防ぐが、殺気の猛るまま真正面から押され、零紀は防御した体勢で後方へ退る。背後の木に背を預け、零紀も渾身の力でディアボロの頭を押し返す。
(……この神経毒がやっかいだな)
この状況下で冷静な表情のままの零紀。眼前にある牙の先からは毒が滴っているというのに……。どうにかできないだろうか、と考えている中(勿論考えられる状況下でもない)、
「ファイヤーーー!!」
と、いうかけ声とともに鳴り響いた銃声音。
「――うっ!?」
それは零紀の目の前を通り過ぎて行った……ように見えた。何故ならディアボロの毒牙が二本、撃ち飛ばされていたからだ。堪らずディアボロは零紀から頭を反らし、苦しみ悶える。
「不安要素、排除したわぁ」
どこからか聞こえる妖艶な声。
「ふふ、次はどこがいいかしらぁ? 目? 舌?」
聞こえる声。
「うふふ……」
………声。
「アカリ。悪いけどカモフラ解いて。戦闘中に踏んじゃいそうだわ」
星露の指摘により、了解(ヤー)と返答したアカリが背景の一部から姿を現す。
(そこにいたのね……)(そこにいたのか……)(さすがアカリちゃん、プロ♪)
三人の心の声を余所に、ディアボロに打ち込まれる拳と、スキル「影手裏剣」。
「出たな〜マムシざ――じゃ、なかった。ディアボロ! 覚悟しろ!!」
「ここがねんぐのおさめどきー」
フューリと冥華が駆けつけ、六人の撃退士がディアボロを囲んだ。
ゴッ、と空気が鳴る。常人の動体視力の限界を超えた速さで繰り出されたディアボロの攻撃。そして、それを受けるフューリの身体も一瞬、陽炎のように揺らめいた。
「――あたしを捉えようなんてまだまだ! やああっ!!」
身体を後方へかわしながら、そのまま回し蹴り。体勢同じく、スキル「ロイヒテンシュテルン・リュトムス」発動! 光り輝く星の輝きを込め、リズミカルに放たれるフューリの蹴り技。夜空の下で点滅するその輝きは、月の輝きにさえも負けないほど強く、美しい。
宙へ舞ったディアボロに追い討ちをかける為、冥華も忍びが扱うに相応しいスキル、影を操り凝縮した「影手裏剣」を再び発動させ、攻撃を仕掛けた。だが、そのスキル自体の威力は低いのが欠点。ディアボロはフューリの攻撃でかなり体力を減らしていたが、空中で既に次の標的を決めていた。
地面へ着地したと同時に、冥華へ向かって蛇行して来る。
「わわー」
「冥華ちゃん! ――このぉっ!!」
双剣に持ち替えた瑞花が「迅雷」を発動。その名の通り、雷の如く猛烈な速度で加速し接近。ディアボロの青黒い首を、一気に下から薙いで離脱。そのタイミングを狙って、星露のスキル「輪舞曲・ヴリドラ」の一撃! 中国拳法の動きを取り入れた華麗な技だ。身体を大きく旋回させた重みのある攻撃が、彼女の武器、トンファーに乗りディアボロを弾き飛ばす。
しかし、弾き飛ばされながらディアボロは激しく身をくねらせていた為、尾が冥華に直撃。
「ふわわー」
幸い、構えていた忍刀で防げたが、軽い身体の冥華は衝撃で、ポーンと小石のように飛ばされた。
「――おっ、と」
零紀は視界で投げ出された小さな背中を追い駆け、跳躍して見事、空中で彼女をキャッチ。
「おおー、かえるみたいだー。零紀、かんしゃー。……忍じゃ、ならん?」
「いや……勧誘されても……」
ザックリと刻まれたディアボロの首の傷から大量の血が噴き出し、その身体を濡らしていた。鎌首をもたげるその動きも緩慢としている。牙なし口を裂けるほど大きく開いて、ディアボロは獣の声に似た咆哮を上げた。
その姿を見たアカリが、
「ふふ、お腹が減っているならこれでも食べたらどうかしらぁ?」
と、弱ったディアボロの尾をガシッ、と掴むと、大口を開けたままのディアボロ自身の口へ突っ込んだ! そのまま押し込む! 押し込む! ……その光景の異常なこと。
「あははっ! ナーイス、アカリちゃん! そのままぁ〜♪」
跳躍した瑞花が空中で双剣を翳す。彼女の意図を瞬時に悟ったアカリは、ニヤリと口の端を上げた。
「あたしも手を貸すよ、アカリ!」
「くす、あたしも乗るわ」
最後の力で暴れるディアボロの身体を、フューリと星露がガッシリと押さえつける。そして――。
「貫けーーーっ!!」
落下速度を得た強力な攻撃、瑞花の双剣が、ディアボロの頭部と口に入っている尾を同時に串刺しにした。悲鳴にならない音がゴボゴボと、ディアボロの口の隙間から零れる。しかし身体を痙攣させてはいるが、二本の剣を貫いているのにも関わらず、まだ絶命しない。
そこへ。
「人を食らった罰、その身で受けるがいい」
零紀の一撃がディアボロの首元へ深々と、
「忍じゃのちめーどあげるためには、これぐらいやらんとねー?」
冥華の忍刀が、ディアボロの頭部へ三本目の串刺しの攻撃となった。
動かなくなったディアボロの骸を、月夜の下、六人が見下ろす。
勝利したというのに、全員は未だその場を動けないでいた。理由は一つ。かつてこんな蛇(ディアボロだが)の姿を見たことがあったであろうか。自らの尾を食べるようなこの姿。
「……ウロボロス、みたいだね」
「? うろぼろすー?」
聞き慣れない単語に、瑞花へ問う冥華。
「うん。本で読んだことあるよ。何か、蛇が自分の尾っぽを食べてた気持ち悪いイラストだったの憶えてる。何でも『死と再生』とか『循環性』、『永続性』とかを象徴するんだってさ〜」
「へ〜、死と再生かぁ……すごいな。あははっ、まさかコイツも生きかえったりしないよな〜!」
「もう、フューリったら、そんなことありえないわ」
「生きかえるのー? へび、すごい」
「……いや、ないだろそれは」
「うん、ないないー! ごめんね〜あたしが変なコト言っちゃったから!」
……。
………。
…………。
夏でもないのに、やけに生温かい風が一陣、六人の横をすり抜けて行った。
「……ふふ、この蛇、時代が時代なら、この池の主として祀られていたのかもねぇ……」
風に揺れる白い髪を掻き上げるように横へ流すアカリの表情が、意味深に笑む。
渇いた夜空に浮かぶ月が、血を含んだように笑って見えた。
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無血死体事件が無事に解決したというのに、相変わらずこの公園には人が少ない。これでは公衆の憩いや、遊ぶ為に公開されている意味がないのではないか、と、ぼんやり考えて、零紀は公園内に設置されたベンチに腰を下ろした。再びこの場を訪れたのは、ゆっくりと散歩を楽しむ為だった。よく見ると緑は豊かだし、咲いている花は色鮮やかで美しい。空気も賑やかな界隈から離れているせいか、澄んでいるように感じる。
ベンチに背中を預けて零紀は大きく深呼吸すると、僅かに微笑んで、肩に掛けていたバッグからスケッチブックを取り出した。
「……いい絵が描けそうだな」
今では綺麗に片づけられたディアボロの骸が在ったその場所に、よく探してみると小さな墓がある。
そこへ時々、長い白い髪の赤い瞳をもつ少女が、胸に十字を切っていくことは、誰も知らない……。