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休み時間の鐘が鳴る。
生徒達が行き交う賑やかさの中、
「恋…んー…?」
眉根を寄せながら、思案するように小首を傾げて。
ボトルグリーンの瞳の君、常塚 咲月(
ja0156)は廊下の壁に楚々と凭れた。
「特別大切な人…。
ぽかぽかで…温かくて…胸が、きゅーってする…?」
ささやかな日々が嬉しくて。
だけれど、季節は足早に過ぎていくものだから。
だからこそ色褪せない想いを言の葉に乗せて――大好きな人に残したい。
「柿乃さんは…そう、想って…伊藤先生に自分の気持ちを伝えたのかな…」
恋は盲目。
でも、もしかしたら真実よりもずっと――確かな言葉なのかもしれない。
**
「こんにちは…。今度、こんな事…するんだけど…良かったら、これ…参加してみない…?」
心地良い響きに呼び止められた柿乃 種が「はい…?」と応えて進んでいた廊下を引き返すと、口元に微かな笑みを置いた咲月から一枚のチラシが手渡される。紙面には水彩色鉛筆で彩られたイラストと、何やらイベントごとの日時と時間が表記されていた。
「『喫茶店Cadenaでクッキーを作ろう』…ですか? …先輩、これは?」
怪訝な表情をしながらも、種の視線は手元のチラシへ注がれたまま。そこへ――、
「おぉー、そのチラシ私も持っているのですよー。嬉しい偶然ですね♪」
咲月が返答するよりも早く種へ声をかけてきたのは、声の調子と共におっとりとした雰囲気を持つ駿河 紗雪(
ja7147)であった。
「クッキー美味しそうなのです。でも1人で参加は勇気いるですよねぇ」
紗雪はそう言って何気なく微笑みを湛えたが……実は彼女、事前に咲月からチラシを受け取り、種に話しかけるタイミングを今か今かと目を光らせてスタンバイしていた。
「(まずはこのミッションをコンプリートしないことには話が進まないのです。どんな手を使ってでも種さんを喫茶店へお連れしなくては)」
紗雪の眠れる野生が密かに目覚める。
「えっと…柿乃さん、ほら…今月はバレンタインデーもあったし…ね…? それに、お菓子作りって…楽しいよ…?」
「咲月さんの言う通りなのです♪
あの、種さん。もしご都合が宜しければ私とご一緒しませんか? ええ、私と」
さり気なく強調して二回。
大事なことなので、にこり。by紗雪
「作るのも食べるのもきっと楽しいと思うのですよー♪」
そんな二人の誘いに(素直な)種は思案した素振りもなく、口元を綻ばせて首を縦に振ったのだった。
**
「失礼しまーす…藤宮先生いらっしゃいますかー?」
職員室に赴いたのは奥戸 通(
jb3571)
控えめに扉を開けて様子を窺いながら、緩い縦巻きパーマの毛先をひょこひょこと揺らして入室した彼女に、
「――やや。通君、どうした?」
藤宮 流架(jz0111)が自分の席から手をひらひらと振って答えた。
「ダイ先生は……いませんね。よし!」
周囲にダイナマ 伊藤(jz0126)の姿がないことを確認すると、安堵した表情で流架の側へ駆け寄った通であったが――彼の机の上の光景に思わず二度見してしまった。
どうやら、わけあり品の桜餅を大量に購入して桜餅タワーを作っていたらしい。何をやっているんだ、この教師。
おすそ分けしてもらった桜餅を口に頬張りながら「例の依頼…お茶会を開くという流れになったのですが…」と前置きして、通が小声気味で話し出す。
「当日、流架先生はダイ先生と一緒にCadenaへ来ていただいてもよろしいですか?」
流架の誘いならダイナマは断るはずもないと踏んでのことだ。駄々をこねたら耳を引っ張ってでも…と語尾に付け足す通。
咲月が手製したチラシを見せながら、当日の流れも説明していく。
「――うむ、わかった。
安心しておくれ。ダイの奴は耳を引き千切ってでも俺が連れて行くよ」
「ありがとうございます、先生!
…でも、ダイ先生の耳は結構なので本体のお連れをお願いしますね?」
ご尤も。
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広く、青い空に恵まれた当日。
大海原を流れゆく船雲を見上げながら、紗雪と種は緩やかなカーブを描いた上り坂を歩いていた。
目的地は勿論、街外れにある丘の小さな喫茶店。
二人が女子トークで盛り上がっている中――、
坂を抜ける手前に差しかかった時のことであった。「んぅー?」と紗雪がふと、何かに気づいた素振りで坂の一角を見上げる。種も紗雪の視線を追うと、
「ははっ、甘えん坊さんだな」
優しげな響きの声音が二人の耳に届いた。
そこには、細い切れ長の眼をした男性がゴミ捨て場に腰を屈めていた。街中に出れば女性にもててしょうがないだろうと想像できる美形、姫路 眞央(
ja8399)が、打ち捨てられているダンボール箱を覗き込んでいる姿に二人は違和感を覚える。
どうやら紗雪達に気づいている様子はなく、眞央の視線は未だに古びたダンボールの中。子犬でも眺めているのだろうかと種が眞央の下へ近づこうとした矢先、
「――さあ、私と一緒に帰ろうか」
密やかな発声で独りごちた彼が、ダンボール箱から拾い上げたもの。
彼は歯を見せずに微笑んで――、
胸に抱えた 『クマのぬいぐるみ』 を切なげに見つめたまま、何処かへ去って行った。
「…。
……。
……はっ。思わず凝視してしまいました。何て奇妙な殿方なのでしょう。あのクマさんにはメ○ーさんのような不思議な魅力でもあったのでしょうか?」
得体の知れないモノを好きになった彼女の思考原理も、どうやら独特のようだ。
実は予め、こちらのルートを眞央に報告していた紗雪。
「(眞央さん、グッジョブなのです。種さんの乙女(?)ポイントはバッチリ稼げたはずなのですよ! …違う意味でかもしれませんが)」
仕掛けたこの展開が果たして少女漫画的であったかどうかは――この際、置いておく。
**
おとぎ話しの世界に入り込んだかのような。
そんなコロンバージュ造りの喫茶店は、この日の為に店主が貸し切りにしてくれていた。
到着した紗雪達が中へ入ると、既に咲月と通が厨房で準備を進めていた。
透き通るような白金色の髪を持つフェミニストの彼、桜木 真里(
ja5827)と、地球を愛する碧眼の天使、チャイム・エアフライト(
jb4289)が、クッキーを焼いた後すぐにお茶会が始められるように支度をしている。
「こんにちは、柿乃。今日はよろしくね」
「あはっ、あたしはチャイムだよ。飛び入り参加しちゃったんだけど、一緒に楽しもうね」
挨拶をする二人の後ろからもう一人、
「…あ、先程の」
種がはっと彼の顔を凝視し、無意識に小声で呟いた。
夢見る乙女がドキッとするような偶然の出会いを装って現れたのは――ゴミ捨て場の彼、眞央。
偶然の出会い・その2 〜ドキ☆気になる殿方は一児の父だった。淡い憧れから始まる禁断の恋〜
その幕が今、上がる!
――冗談です。
「――おう。
駿河に柿乃か。こんちは。今日は美味ぇクッキー期待してっからな」
豪快なその重低音。「彼」の声に種の視線が眞央の横顔を滑って奥へ逸れた瞬間、
ドガガゴーーーン!!
種は噴火した火山のように顔を真っ赤にさせ、顔面から卒倒した。
「(…そういえば…お茶会に伊藤先生がいらっしゃること、種さんにまだお伝えしていませんでした)」
さっちゃん(紗雪)、てへぺろ☆
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気を取り直してクッキングタイム。
「さー…クッキー作ろー…レシピ通りにすれば上手く焼けるからね…?」
バレッタで髪を纏め上げた咲月がエプロンの紐をきゅっと腰で結び、生地を作る作業から開始する。
咲月が用意してくれていたクッキーのレシピ内容を口の中で反復しながら、料理下手な真里は手順を通にフォローしてもらう。だが、
「――えっと、砂糖だよね?」
「はい、次は砂糖ですよ〜…って、ちょっ、待って真里さんそれお塩!!!」
早速ベタな間違えをやってくれた。
その横では、種が混ぜ合わせた砂糖とバターに薄力粉をふるって丁寧に混ぜ合わせている。その姿を見て、
「わあ! 柿乃さん上手だね。良かったらコツとか教えてもらえると嬉しいな」
世間知らずなチャイムは両目を輝かせると、純粋な年下パワー全開で種に甘え始めた。照れながらも快く応じる種と、嬉しげに口許を綻ばせるチャイム。
「ふふ、お二人とも、まるで姉妹のようなのです」
足りないところの補助に回っていた紗雪が、そんな二人を眺めて白い歯を零す。
「――あ。そろそろですかね?」
通が冷蔵庫で一時間休ませた生地を取り出した。麺棒で伸ばしたら型を使って抜いていく。
「あ…奥戸…どうしよう、破れちゃった」
「ん〜…型抜きは結構難しいですからねー…あっ! 真里さん、こうやって生地を丸めて棒状にはできますか?
…よし…できましたね! あとは5mmくらいの薄さに切るだけなので簡単ですよ!」
星の型からふにゃけたヒトデが誕生した真里のミラクルハンド。肩を落とし苦笑する彼に、通は優しく声をかけて励ます。一緒に楽しもうとする想いこそが大切なのだ。
「えへへ〜…タコさん型クッキーですよ〜?」
何とも珍妙なタコ型を持参してきた通は、手元に無限増殖していくタコさんクッキーを眺めては満遍の笑みを浮かべる。
「ふふ、奥戸らしいね。…ええと、あとはオーブンで焼くだけかな?
時間の設定は常塚さんにお任せして…奥戸、色々と教えてくれてありがとう」
向けられた柔らかい笑みと礼に「いいえ! 今度は彼女さんに作ってあげて下さいね!」と通が顔を輝かせて言うと、真里は気恥ずかしげな表情で目を伏せたのだった。
**
ふんわりとした芳香な洋菓子の甘さ。
そして、紗雪が丁寧に淹れたカモミールティーの香りが午後のお茶会を穏やかに彩る。
「――へえ、美味ぇじゃねぇか! こう…なんつーんだ? 歯と歯の間を駆け抜ける香ばしさと甘さが絶妙、みてーな?」
「どんだけすきっ歯なんだ、お前。
…うむ。でも、ダイが絶賛するのも分かるな。本当に美味しい。――やや!? これは桜餅型!? ク、クッキーでお目見えする日が来るとは…!」
「ふふ、葉っぱの形とか頑張ってみたのですよ。お腹いっぱい召し上がって下さいなのです」
嬉々としてクッキーを頬張る流架に紗雪は笑顔で返すと、ちらり、横目でダイナマを見た。
「(生伊藤先生なのです。触ったら冬の間風邪をひかないという噂は本当でしょうか…)」
ジンクス?
それとも天然記念物?
ちょっと触ってみたい…という紗雪の心に油断が生まれた。
バシャーン!
ハーブティーのおかわりを用意していた紗雪の手元があらぬ方向へ。淹れたてのお茶をものの見事に、自らの頭から飲んでしまった。
「ちょっ、紗雪君!?」
コントのよう、というにはあまりに気の毒な状態になってしまった彼女。布巾を持った流架が慌てて介抱しにいく。
すると、
バシャーン!
セカンドインパクト発生。
突発的な事故に驚いたせいか、飲もうとしていたお茶を種までもが被ってしまっていた。何だ、この連鎖反応。
「お前さんらナニやっとん!? ちょい見せろ。火傷してねぇか?」
ダイナマが案じ顔になって席を立つが、彼と種との新たな恋愛フラグを防ぐ為――、
「お茶が君に恋するあまりその身を投げ出してしまったようだな」
ゴミ捨て場の貴公子…ではなく、芸能一家の現当主でもある眞央が、すっと清潔なハンカチを種へ差し出した。
白地の布には赤い糸で『君に恋している』と刺繍が施されている。それを見た種が思わず「わぁ…素敵です」と頬を僅かに紅潮させ、呟いた。
「(…あ、いい感じ…かな? 彼女がきちんと自分の気持ちと向き合えるよう、話を聞いてあげられたらいいけど)」
人が人を好きになるきっかけはそれぞれだと思いながらも、種の意中の彼がダイナマであることに『変わっている』と思わずにはいられない真里。
この雰囲気を壊さぬよう、真里が慎重に種へ話題を持ちかけようとした瞬間――。
「朝起きて居ないと思ったら、こんな所で何してるの!?」
――木っ端微塵とは正にこういうことか。硝子のように砕け散る和やかな空気。
店の扉を蹴り飛ばす勢いで店内へ入って来たのは、身長190cmの鍛え抜かれた体躯を持つ――女子生徒(?)だった。
―――誰っ!!?
ディオ・サルヴィトーレ(
ja9794)です。
「こんな大勢の女性と会っていたなんて…私のことは遊びだったの!? ヒドイわ!」
血相を変えてダイナマに詰め寄るディオ。
だが、ダイナマはおろか、ディオ以外の一同があまりの出来事に唖然としてしまっている。
圧倒的破壊力を持つディオの女装姿と、彼の制服の下から聞こえる音――恐らくボディとコルセットが戦っているのであろうが、その音があまりにも強烈で、ディオの捲くし立てがまるで耳に入ってこない。
種を暗黒面に堕とすわけには…という、ディオの切実なる気持ちの表れであったとは思うのだが。
「私があなたに抱いていた気持ちは幻想だったわ…」
最後にそう言い残して、台風の目・ディオは足早にその場を去って行った。
「……。
……あ? なんだ、アレ……」
ダイナマの問いに一同が同意した。
**
「柿乃さん、今日は色々教えてくれてありがとうっ。あたしね、まだ人間界に慣れてなかったから、だからわからないこと沢山教えてくれて嬉しかったよ」
大きな双眸を弓形にしてチャイムが陽気に種へ抱きつく。お互いに「あーん」をしてクッキーを食べさせあったりなど、まるで十年来の親友のようであった。
種自身もスキンシップを好む体質の為、周りには余計にそう見えたのだろう。
――だからこそ、傷つけないように言葉を選んでチャイムは言う。
「もし柿乃さんに好きな人がいたらね、いきなり気持ちを伝えると相手の人もびっくりしちゃうだろうから、ちゃんと胸に手を当てて本当はどうしたいか、あたしにも考えるお手伝いをさせてほしいな」
「うん。憧れを恋と勘違いしていることもあるって聞くしね。でも、柿乃がその人を本当に好きだと思うのなら…俺は応援するよ」
親しみを込めて、真里もチャイムと共に微笑んだ。
「柿乃さん…恋って…心が温かくなるんだって…」
咲月が胸元のネックレスに手を当てながら、心地良さそうに言葉を口にする。
「ふふ。早く種さんだけの唯一の人に出会えると良いと思うのですよー」
「――私も柿乃さんの恋が実るよう応援しますからね」
紗雪の声に続き、いつの間にか黄土色の全身タイツが紛れていた。
―――誰っ!!?
クッキーの妖精・ディオです。
「ええと…?
…皆さん、ありがとうございます。そうですね…あの、上手く言えませんが…改めて自分の気持ちを確かめる良い機会を頂きました。今日は本当に楽しかったです!」
恋――。
形がなく、定義すら曖昧なその存在。
だけれど、愛する人を幸福にするような――そんな素敵な恋愛を、あなたも……ね?