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「温泉チケットがあるんだが…君達、良かったら一緒に行かないかい? ――あ、混浴らしいんだけどね、うん。
……まさか女湯を、そして男湯を…は、さすがにいないだろうが…覗こうとする子なんていないよね?
い る ハ ズ ないよね?」
にっこり。
そんなわけで藤宮 流架(jz0111)を引率者に、八人の生徒は今、久遠ヶ原の市街地から人里離れた温泉へと来ていた。
「な…何ッ、混浴だとッ!?
そそそそんな素晴らしけしからん文化がこの日本にはあるのかッ!」
え、素晴らしい?
けしからん?
本意はさて置き、彼――ラグナ・グラウシード(
ja3538)には誰が呼び始めたであろうか、いつしか二つ名というものが存在していた。
「行こう是非行こう!
いや混浴が目的ではないぞ!
日々の疲れを癒しに行くのだそうだともッ!」
紅玉色の瞳は爛々と。無駄に力強い拳と発声は演歌でも歌いだすのではなかろうか。
さあ「非モテ騎士」ラグナ君は今日も元気に二つ名を背負い、非モテ街道…ではなく、雪道を走る。独走する――!!
ズザザザーーッ!
――ラグナ選手、カーリングのストーンの如く G O A L !
「厳しい依頼も多くて疲れも溜まっていますから、たまには温泉でのんびりするのも良いですね。せっかくの好意ですからゆっくり寛がせて貰います」
黒の絹糸を編み込んだかのような艶やかな髪を一本の三つ編みに束ね、楊 玲花(
ja0249)は伏し目がちに微笑み、地面を静かに踏みしめた。
ふと、心身と降る雪を黒い双眸に映しながら面を上げると、行く手に立ち上る湯煙が見える。雪景色の中で見る湯煙は何とも言えない風情があった。
その景色の中、非モテ騎士会の友、若杉 英斗(
ja4230)と元非モテの友、星杜 焔(
ja5378)に雪だるまと成ったラグナが引っ張り出されている光景もあったが、それもまた風情…であろうか。
そんな彼らの前を、雪成 藤花(
ja0292)が笑みを浮かべた口元を楚々と隠し、通り過ぎる。
「ふふ、温泉っていいですよね。体ほぐしてのんびりと…。
友達や見知った人も多いし、楽しみ。ルカ先生もよろしくお願いしますね」
「やや、こちらこそ。日頃から頑張ってくれている君達へのご褒美だよ。この機に、ゆっくり疲れを癒しなさい」
「はい、ありがとうございます。雪見の露天なんてきっと素敵ですよね」
実は誕生日が同じ流架と藤花。
親近感があってか、湯に浸かる前からのほほんとした雰囲気が二人に漂っていた。
「『一緒に温泉行きたいねー』って言いあっていた友達や彼氏さんは今回一緒じゃないけど下見!! これは下見なの!! いつか一緒に来る時の為の!!」
半分雪に埋もれている「久遠ヶ原秘湯」と文字が書かれた看板の横を、藤咲 千尋(
ja8564)が溌剌とした声と共に駆け抜けた。
「わー!! 雪景色キレーイ!! あ、ラグナさん可愛い雪だるまになってるー!!」
彼女の後ろ姿に控えめな笑みを置きながら、市街ではあまり見られない光景に水上 悠(
jb3734)も感嘆の声を上げる。
「久遠ヶ原にこのような場所があるとは知らなかったな。
…ふむ。だが、とりあえず中へ入ろう。このままだと身体が凍えそうだ」
ガラリ。
流架が開けた古い温泉宿の扉は、独特な趣きある空気で一同を迎え入れた。
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番頭に案内されるまま、女性陣は女湯の、男性陣は男湯の暖簾(のれん)をくぐって行く。
建物は古びているが、温泉の設備は最新のようだ。
さあ。漢の脱衣所、始まるよ☆
脱衣所は藤むしろの自然な色合いがリラックスできるよう仕上げられており、ほっとする環境を生み出していた。
「とても寒い依頼に入ったから温泉はありがたいですよ」
前回の依頼が脳裏に過ぎって森田 良助(
ja9460)はぶるっ、と身震いをした。主に氷と氷と氷関係であったのだが。
脱衣所を見回しつつ服を脱ぎ始める良助。…だが。
チラリ。
自分の身体に視線をやっては他の者へと移し、それを交互に繰り返しては「うーむ」と小さく唸る。身長が低いことに対してはそれほど悩んではいないのだが、やはり身体つきとなると――。
「なんとも…何か『でる』ような雰囲気があるね〜」
やや細い垂れ目を弓形にして楽しげに微笑む焔。露わとなったその腹筋はアスリートのように割れ、胸板や腕も力強くガッシリとしていて立派な筋肉質であることが窺える。
「…何なんだ、この謎の浴衣は!」
特許申請中…かどうかは知らないが、透けないめくれない女性の味方!…と言わんばかりの浴衣を手に眺め、
「(何だか違う! 期待してたのと違う!)」
と、海に向かって叫びたい気持ちをぐっと我慢するラグナも、実に鍛え抜かれた体躯をしていた。
「ま…まあいい、せっかく来たのだから楽しまねばな」
こくこく、と小刻みに頷いて自分の言葉に納得する。友人の英斗と焔と一緒に来ることが出来たのだ、それだけでも幸福なことなのだから。ラグナ君、大人です。
「日帰り温泉か。たまにはのんびりするのもいいよな。ただ、この浴衣は邪魔だよなぁ…身体は洗いにくそうだし…」
「確かにな。…だが、混浴となると致し方ないのだろう」
「だな。…あ。水上さんって、年齢のわりに随分落ち着いた柄の下着なんだな」
「…そうか? いや、年は若杉とそう変わらないと思うのだが…」
そんなやりとりを交わす英斗と悠も、撃退士として必要な筋力をしっかりとつけた男らしい身体つき。
隅の方で呑気に鼻歌を歌いながら浴衣に袖を通す流架も同様。細身ではあるが、脆弱そうな印象は一切ない。
「…やっぱり憧れるよなぁ」
一同を見渡した良助はふぅ、と小さく溜め息を吐くと、自らの二の腕を恨めしそうに見つめた。
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さて。こちらは淑女の脱衣所です。
「(混浴はちょっとそわそわするけど、藤花ちゃんと玲花さんも一緒だし平気平気ー!!)」
そう、自分に言い聞かせながら千尋は持参してきた水着を着用した。
せっかくの温泉に水着では風情がないかな…と迷ったりもしたが、混浴となるとやはり気恥ずかしいものがある。
「夏に買って結局一度も着なかったビキニ、まさか冬に出番がくるとは思わなかったねー水着さん」
『全クデスヨー千尋チャン!』by水着
千尋達は浴場へ出ると、柚子の香りがするボディソープをたっぷりと泡立て、絹のタオルで丁寧に身体を洗った。
「…戦い続きとは言え、傷も目立たない玉の肌。
いくら磨いても見せる殿方がいないのは正直残念ですけど、磨いておくのに越したことはないですからね」
きめ細かく、正に透き通るような肌、と言うべきであろうか。柔肌な玲花の肢体に、泡が躍るように滑っていく。
「玲花さんのお肌キレーイ!! たまご肌って言うんだっけ? 藤花ちゃんもお肌つるつるー!! それに二人とも…羨まし、ごにょごにょ」
「えっ、そうでしょうか。その、少し恥ずかしいのですが…ありがとうございます、藤咲先輩」
「…もう少し締まるべきところが締まってくれると良いんですけど。やっぱり何事もほどほどが一番ですからね。
あなたもつやの良いお綺麗な肌をされていますよ」
さり気なく胸元を隠す二人と、心なしか肩を落とす千尋達の女子トークは、隣りの浴場から聞こえてくる喧騒とも悲鳴とも葛藤ともいえる声を浄化するように掻き消していた。
身を清めた上で浴衣を羽織った三人。
その表情に期待という色を灯しながら露天風呂へ続く扉を開くと――、
其処には彼女たちを裏切ることなく迎え入れた景色が在った。
静かに澄んだ空気の中、音の「無い」雪がひたすら音色を奏でている。
藤花は浴衣の裾を押さえながら、そおっと湯に足を浸からせた。瞬間、頬を綻ばせた彼女は引き寄せられるように湯の中に身体を沈め「んんー」と感嘆の声を漏らす。
「お風呂気持ちいいなぁ。学園島ではなかなか大きなお風呂に縁がないから…やっぱり嬉しいですね。…あ、泉質の看板…えっと」
効能の立て看板の文字を追う藤花の横で、
「…透けないと分かっていても、やはり混浴というのはちょっと緊張しますね。
まあ、命知らずな殿方がいるとは思いませんけど」
玲花は肩に湯をかけながら辺りに視線を向けた。その広さと湯煙のせいか全景を見渡すことは出来ないが、ひんやりと雪の降る中での露天風呂は格別に良いものであった。
「さすがに学園のお風呂ではこんな風に身体を伸ばしてリラックス出来ませんから、得がたい機会ですね」
伸ばした四肢から伝わってくる優しくなめらかな湯の感触。
身体を包み込む源泉が、日常の疲れを吸いとってくれるように感じた。
(ガサ…ガサ)
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時は少し巻き戻り。
漢の湯へイラッシャイマセ。
「――ふふ、向こうも楽しそうだね〜」
壁の向こう、桃源郷――ではなく女湯から聞こえてくる和気あいあいとした藤花達の雰囲気に、ほのぼのと笑みを浮かべながら身体を洗う焔であったが、
「(こ…この薄い壁一枚の向こうにパラダイスがッ!)」
どうやら隣りの非モテ騎士、落ち着いた焔とは対照的にかなり動揺している様子。
ノゾキダメ、ゼッタイダメ!
何故かカタコトのような制止と、しかし!だがしかしッ!…と、いう欲望がラグナの頭の中で今正にガチンコ対決中。
「(そういえば藤って名前についてる人が三人もいるね〜)」
ふと、焔は首を傾げるように思い起こし「珍しいこともあるものだな〜」と、口元は笑みの形のまま、視線を何気なく隣りの友へ。
――瞬時に理解。いつも頼りになる焔の先輩は悶えていました。
「ラグナさん落ち着いて! 年上かつフリー…いや、多分だけど、なのはあのセクシーで綺麗なお姉さんだけだよ!」
「覗いてもどうせオチが待っているだけですよ」
ラグナを間に挟んでいた英斗も淡々とフォローする。
「く…わ、若杉殿、星杜殿、私を殴ってくれ!
自分の中の劣情が荒れ狂いすぎて、このままではどうにかなってしまいそうだ!」
ラグナは髪を振り乱してそう叫ぶと、バァンと壁に両手をついて爪をギリギリ…。見ているこちらの胸が切なくなるくらい、既にいっぱいいっぱいの様だ。
だが、さすがに殴るわけにもいかない。英斗は短く溜め息を吐いて、
「仕方ないなぁ…わかったよ、ラグナさん。
――きらきら☆非モテ道奥義、湯煙非モテ固め!」
ゴギッ!
変型コブラツイスト極まりましたー!
「浴衣で温泉に入るなんてなんか変な感じがするなぁ…。でも身体もバッチリ洗ったし、ゆったり浸かりに行こうーっと!」
「…あ、俺も行く」
いそいそと露天風呂の扉を開ける良助に、身体を洗い終えた悠も浴衣を整えながら後を追った。
そんな二人を視界に入れながら、英斗は鼻歌まじりに頭を洗う流架に声をかける。
「藤宮先生、この間は大変だったみたいですね。報告書読みましたよ」
「や、やや? …ふむ、大変だったのは俺などではなく、生徒達だったのだがね。目を通してくれてありがとう、英斗く…、
――うぐっ!?
はうあっ、シ、シャンプーが目にっ…目に入ってイタイイタイ!」
「……。先生の背中でも流そうかと思ったのですが…まずは頭の泡から流した方が良さそうですね」
お手数かけます。
●
露天風呂ナウ。
「そちらは気持ちいいですかー?」
「――うん、適度なお湯の温度が眠気を誘うくらい気持ちいいよ〜。学業に依頼、バイトに餌付けの毎日で…ちょっと寝不足だから…かも、しれない…けど、ブクブク…」
「ほ、焔さん? 溺れちゃいますから寝ちゃ駄目ですよー?」
焔の反応に藤花は心配げに声をかけるが「大丈夫だよ〜」と、いつもののんびりとした調子が返ってきて思わず微笑んでしまう。
さり気ない会話、さり気ないやり取りがとても楽しくて。――大切で。
大きな岩を挟んで背中合わせに浸かる焔と藤花の胸には、きっと同じ想いが宿っていることだろう。
「この至福の時間がずっと続けばいいのに」
包容されるような温みと幻想的な景色を青い瞳に映し、悠は笑みを口元に緩やかな瞬きをした。
彼の右斜め前、少し離れたところで、良助は風呂時に愛用しているひよこの人形をぷかぷかと湯船に浮かばせながら温泉を堪能している。
そのあまり、演歌を歌い始めた良助は正にオヤジ臭を全開に漂わせていた。大海原(湯船)を泳ぐひよこ人形にそのBGMは実にシュールであったが。
「流架先生みーっけ!! わあ、アヒル隊長だー!!」
「――はっ!? ち、千尋君!? いや…これは、その…うむ」
湯船にぷかぷか。こっそりと持ってきていたアヒル隊長をしゅっと背中に隠し、流架は額にかいた変な汗を手の甲で拭いながら千尋へ顔を向けた。
そんな彼の様子に温厚な眼差しを向けたまま、
「先生、傷はもう大丈夫? 妹さんは?」
千尋はひっそりと案じ、囁く。
心の揺らぎが彼女の肌を伝い、湯が波を打ったように見えた。
千尋と視線を合わせたままの流架の瞳が一瞬僅かに瞠目したが「…俺もあの子も、もう心配はいらないよ。ありがとう」と、ゆるりとした瞬きで頷いた。
「ん、それなら良かった!!
…私は最近、力が抜けちゃったみたいな感じ。
撃退士は死と隣り合わせだってちゃんと覚悟はしてたつもりなんだけど、いざ突き付けられるとぐらつくね。
あ、でも大丈夫!! ちゃんと元気だよ!!」
にこっと笑って白い歯を見せる千尋に、流架が瞳に憂いを含んで何か言いかけようとした瞬間――、
ガサッ!
「ギャーーーッ! 出たーーー!!」
良助の悲鳴が露天風呂一帯に響き渡る。
何を見たのであろうか、良助は大げさに驚いて湯船から跳び転げると一目散に走り抜け――、
女浴場の扉に手をかけた。
ワザとではない、覗こうと思ったワケでもない!
――真意はどうか分からないが、
「良助君、いかーーーん!!」
流架の手から放たれたアヒル隊長の剛速球が良助の後頭部にクリティカルヒットした。
「ふふ、可愛い。おいで?」
藤花の言葉に集まってくる良助の悲鳴の正体、それは――。
兎や狸、猿といった動物達であった。
●
湯上りといったらお約束。
各々好きな牛乳を購入し、
…不器用なラグナは焔に瓶の蓋を開けてもらい、
手は腰に、一列になって、
せーの!
ぐびぐびぷはー!
「くーっ! この一杯の為に生きてるって感じですね!」
「…定番ではありますけど、やっぱりお風呂上りに飲むコーヒー牛乳は格別ですね」
美味しそうに飲み終えた英斗と玲花、そして他の者を見渡して良助がニヤリ、
「ぬふふ。小学生の頃、給食の牛乳を10パック飲んで『牛乳飲みの良ちゃん』という称号を得た僕は伊達じゃない!」
一杯目を物凄い速さで飲み干していた良助が調子に乗って二杯目に口をつけて――、
「――ごふっ、ごっふぁっ!」
盛大にむせ、自爆を披露してくれました。
焔の手製桜餅に皆で舌鼓を打ち、歓談し。
疲れを癒し、心を温めて。
灯した心を明日へ――、繋いでいこう。
「…みんな、いつもお疲れ様」