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――秋の息吹で山全体が赤や黄色に彩られた世界。
しっとりとした風情と、思わず溜め息をついてしまいそうになる紅葉の海。その漣が広がる奥へと進むと、そこには凛とした日本の佇まいを象徴するかのような老舗旅館「桜朱」へ辿り着く。
「わー!! 素敵な雰囲気の旅館だねー!!」
旅の疲れも吹っ飛ぶという言葉は正に、藤咲 千尋(
ja8564)のような爽やかな笑顔と快活な性質に感化されるからだろうか。
ミニバンから飛び降りる千尋の後に続いて、櫟 諏訪(
ja1215)も頬を緩ませて紅葉の絨毯へ足を下ろす。…色鮮やかな美しい葉よりもつい、千尋へと目線がいってしまうのは彼女が愛しい恋人だからこそ。
「――よし、チェックインして部屋に荷物置いたら、各々好きに行動していいからな」
約三時間の運転により、すっかり縮こまってしまった身体を労わるように撫でさすりながら、ダイナマ 伊藤(jz0126)も生徒達に声をかけながら車を降りる。
「この旅館、すごい老舗で豪華なんですけど、先生、予算大丈夫ですか?」
言葉とは裏腹に、大して心配気に聞こえない声の主の方へダイナマは面を向けると、長い黒曜石のような髪を風に戯れさせている神楽坂 紫苑(
ja0526)の姿が。
「もち、全然平気よー? ルカとお前さんらの為なら、オレはいつでも大枚叩ける覚悟なんだぜ?」
上っ面(…なのかどうかは判別できないが)の扇情的な重低音で片目を瞑り、ダイナマはそう語ると紫苑の肩を叩いた。
「…全く。相変わらずですね」
安定のダイナマを眺めて言笑する紫苑に、ダイナマは「あ?」と瞬いていたが。
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「おー…綺麗な紅葉だ…後で写メ撮ろう…」
見事な紅葉で染め上げられた山の中。
肩あきデザインの白の長袖Tシャツと黒のショートパンツ、すらりと伸びる脚にはニーハイソックスとシューズを履いた常塚 咲月(
ja0156)は、樹々を仰ぎながら感嘆の声を上げる。
スケッチブックと色鉛筆を片手に、黒のパーカーを羽織った咲月はある神社に赴いていた。
この地方に伝わる季節外れの桜の木の伝説――。
つまりは発祥の地、であるはずなのだが……旅館の女将や地元の老人に尋ねたところ、どうやら原点の理由自体があやふやなようで。
「いつの時代から発祥したか不明…そして…今まで桜を目にしたことがあると言った人も…もう全員亡くなっている…。
んー…。とりあえず一番歴史のあるって聞いた神社へ来てみたけど…」
目の前には寂びた朱色の鳥居と石灯籠。咲月は石段を上り頂上付近の神域へ辿り着くが、本殿ほか、いずれも小さく古い。人の気配も感じられず。
「…少し休憩…あ、綺麗な色のモミジ…お土産に持って帰ろう…」
咲月は拾い上げたモミジをスケッチブックに挟むが、ふと、開いた白紙のページに思想を重ねるように瞬くと、
「素敵な優しさと…雅な景色…。いい風景画が描けそう…」
揺らめく芸術の鼓動に身を任せ、咲月の色鉛筆が白き世界へ心地よい音を響かせ始めた。
「ふぅむ。伝説の桜を見た人がいても意識が夢現じゃあ…場所の特定もできないっすよね。しかもその方々は全員、お亡くなりになっていると。
…むむ。名探偵夕乃、到着して早々ピンチっす!」
腕組みをしながら旅館の回廊を右往左往している「迷」探偵――ではなく、夕日色を宿す円らな瞳の少女、夏木 夕乃(
ja9092)
彼女も件の桜を調査するべく女将や年嵩の仲居に聞き込みをしていたのだが、やはり咲月同様、確たる情報は得られず。
「――だけど、こんなことでめげる自分じゃないっすよ! ココで収穫がなければ街で聞き込みっす!
ふふ。真実はいつもひ――、
…っと、その前にダイ先生にお願いすることがあるんだった!」
くるりと踵を返し、元気いっぱいに廊下を駆けていく夕乃。だが――。
「アーーーッ!!」
――磨き上げられた床の滑りは時に凶器です。
ドガガドゴーーン!!
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昼食は諏訪の誘いで昭和レトロな町屋カフェで過ごした一同。
午後の太陽はいつも明るくて暖かく、まどろむように優しい――。
「さて、わしは散歩をする。さあ藤宮教師、ついてくるのじゃ」
「え。ちょ、待って白蛇君、引っ張らないで――」
「わしのことは白蛇様と呼べと言っておろう!」
パシーン!と容赦なく藤宮 流架(jz0111)(の頭髪)に振り下ろされるハリセン。
幼い容姿とは裏腹に尊大な口調で語るは、自称二千歳以上の白蛇(
jb0889)
そんな彼女に半ば強引に連れられながらも、木々に囲まれる散り紅葉の美しさを悠長に堪能しながら、だがどこか、流架の意識は茫洋と漂っているかのようであった。
「ところで、じゃ」
彼へか、それとも自分へか、心を現に引き戻すように前置きをして、白蛇は話しだす。
「主の先日の依頼、わしは役に立てたかの? 今の主を見るとどうにも、な」
彼女の澄んだ眼差しが、ゆるりとした瞬きとともに流架へ移った。
尋ねられた思慮深い声音に、流架は白蛇を厳かに見据えると――、
「君には、よくしてもらったよ」
淀みなく、言の葉を口にした。
「…そうか。だが、悩みがあればいつでもわしに話すが良い。求める答えを返せるかは分からぬが、亀の甲羅に話しかけるよりましじゃろう。
一応わしは学生で主は教師じゃが遠慮はいらぬ。
話し辛いならば共に風呂にでも入るか。腹を割って話すには良い場所じゃ」
「ふふ…それも――、…いや、いかんだろうそれは。君、女の子じゃないか。粛清されてしまうよ、俺」
「む? そうなのか?
ああ、そうじゃ藤宮教師。主にこれを呉れてやる」
白蛇は小幅で流架の側へ寄ると、懐から取り出したものを彼へ手渡した。
「やや? 俺に? …おや、赤鉄鋼の欠片だね。綺麗な色だ。ありがとう、白蛇君。大切にするね」
「うむ。迷い足掻きながら前へ進むが良い。愛しき、人の子よ。
…それはそうと何度も言わせるでない。わしのことは――」
「ああ、はいはい。わかってるよ、白蛇――、へっくしゅーん! ――君」
「こ、こやつ…!」
――この後、少女がハリセンを片手に、緑玉色の瞳をもつ男性と鬼ごっこをする姿が観光客の間で目撃されたという。
「ダイナマ先生、ラムレーズンはお留守番ですか…?」
「――あ? おう、さすがにこんなだだっ広いトコで脱走されたらたまんねーからな。今回は留守番させたぜ」
「そうですか…残念です…」
「…いや、どんな意味で残念なんだ? 久慈羅」
「…? いえ、丸々と太らせてみたいので…。えっと、ラムレーズンのお土産にどんぐり持って帰りますね。食べてくれるかな…」
そんな会話をしながら真っ赤なモミジのアーチを歩く、ダイナマと久慈羅 菜都(
ja8631)
鮮やかでドラマチックな景色に視界を奪われながら、ふと、思い出したように菜都が、
「えっと、よく考えたら誰かの誕生日をお祝いするの、初めてでした…。喜んでもらいたいけど、どうしたらいいんですか…?」
小首を傾げてダイナマに尋ねる。
答えはすぐに返ってきた。「そんなの簡単だろ」と、片目を瞑り、
「笑ってりゃいいんだ。笑いっつーんはな、人を安心させたり喜ばせたりできる、一番有効な手段なんだぜ」
そう言ってダイナマは屈託なく笑う。菜都はきょとんと睫毛を二度扇がせた後、次いで、
「…そうですね。先生を見ると…そう思います」
菜都は年相応の少女の顔(かんばせ)で、白い歯を零した。
「おー、紅葉すごいきれいですねー?」
「うん、本当だね!! でも、すわくんと一緒だからもっともっと綺麗に見えるよ!!」
「ち、千尋ちゃん…」
照れくさそうに頭を掻く諏訪に「えへへ」と、千尋が無邪気に笑いかけた。そんな二人を祝福するかのように、紅葉の五月雨が周囲を幻想的に舞う。
午前中は郷土資料館や老舗の土産店で桜の伝説を調べていた諏訪達であったが、他の生徒が得た情報以上の成果は得られなかった。
「桜の木のことは残念だけど、今回の旅行は流架先生に素敵な想い出を作ってもらうことだし!! それに綺麗な景色や皆をいっぱい撮影して、世界に一つしかないアルバムが作れたらいいなー!! 皆にも一言ずつもらって、先生にプレゼントするのー!!」
「うん、自分もそう思いますよー。まだ時間もありますし、紅葉散策をしながらもっと写真撮りましょうかー。…自分と千尋ちゃんの想い出もいっぱい作りたいですしねー」
あちこちで色付く紅葉を愛でながら、今この瞬間は二人、憩いのひと時を――。
「――月乃宮、桜餅の方はどうだ? 自分の方はそろそろ完成するぞ」
「……はい、私の方もあとは桜の香りをお餅になじませれば出来上がりですぅ……」
昼過ぎから旅館の厨房を借りていた紫苑と月乃宮 恋音(
jb1221)は、夕方に計画している誕生日会に向けて和菓子を制作していた。
到着早々、昼まで爆睡していた紫苑だったのだが、それは連日徹夜で手製の誕生日プレゼントを仕上げていた為。そんな彼が欠伸を噛み殺して作ったものは、抹茶生地の間に小豆ときなこのクリームを交互に塗り重ねた、和のミルクレープ。
「……あ、そろそろ板前さんが戻ってくるお時間ですね。私はこの桜餅をお部屋の方へ隠しておきますぅ……」
恋音は重箱に丁寧に詰めた桜餅を抱えようとするが…。
――ぎゅむ。
柔らかい弾力に弾かれる重箱。その豊満な胸は服装で誤魔化そうにも――やはり限界がある。
「…自分が持とう。その、まあ…な」
「……あ、ありがとうございます、神楽坂先輩……」
沸騰寸前のように頬を赤く染めて、恋音は目線を伏せながら囁いた。
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――今宵馳せる風景は、宵に浮かぶ桜かもしれない。
だが、流架の双眸は愉しげに色付いていた。それもそのはず――。
「流架先生お誕生日おめでとうございますよー!」
「先生おめでとー…」
格天井スタイルの豪勢な大広間。
喜びを分け合うような祝福の言葉と、心地よい拍手の音が響いている。
「お誕生日オメデトウございます。地味なミルクレープですけど」
「……おめでとうございます、藤宮先生。私からは手作りの桜餅を……」
そして、まるで和菓子職人が手がけたような完成度の高い和菓子が、紫苑と恋音の手から運ばれてくる。それは確かな温度、想いをも表した、彼への贈り物。
「ありがとう、みんな。…ふふ、まるで幸せな夢の中を漂っているようだ。嬉しいよ…とても――」
目の縁に突きあげてくる感情を堪えるように、流架は万感籠もった言葉を置いて微笑んだ。
「先生、お誕生日おめでとう!! プレゼントだよ!! せっかくだからみんなにも!!」
千尋が懐から、綺麗にラミネート加工された栞を取り出す。
流架へは桜の葉と紅葉の色彩を、他の者へはモミジを挟んで。諏訪と紅葉散策をしていた時に集めて作製した、出来たてホヤホヤの栞だった。
「自分からもプレゼントありますよー!」
「えっと、あたしからもこれを…。気に入って頂けるといいんですけど…」
諏訪からは柄の落ち着いた巾着袋を、菜都からは手作りのコースターを譲り受ける。コースターの中央には桜餅がデザインされていて、なんと、コースターはダイナマにも用意されていた。柄は勿論――。
「ラ、ラムの顔じゃねぇか…! ちくしょう! コップの底バンバンのせてやりてーが、久慈羅からの贈り物にそんなコトできねぇー!」
誕生会の主役でもない爆弾教師が悶える様子は、安定の放置。
――その他にも紫苑からは黒のレザーグローブ、恋音からは桜の模様が入った和菓子用楊枝ナイフと小皿のプレゼントを受け取った。
そして紫苑が徹夜で仕上げたものはというと…。
「ありがとう、素敵なマフラーだ。編み物も上手なんだね――紫苑君は」
流架へ手渡したのはダイナマ。だが、感謝の言葉と面は紫苑へ。
実は自分が用意したというのは内緒で、ダイナマからも流架へプレゼントを渡してほしいという紫苑の粋な計らいだったのだが……速効バレる。
解せぬと首を傾げる紫苑の横で、
「…お前からはもう貰っている。だから何もいらん」
「あいよ」
二人の教師の短いやり取りは終わった。
――さあ、宴もたけなわ。
盛り上がりも最高潮!
「一番、夏木夕乃歌います!」
夕乃がビッ、と挙手をする。そして立ち上がった彼女は嬉々としてダイナマの腕をとり、二人は檜舞台へ上がった。
そう、夕乃は予め、昼間の内に彼にデュエットを申し込んでいたのだ。ダイナマと歌うことに意味があると力説された、この歌を――!
「♪せかーいで いちばん さくらもちっ♪」
その歌詞を聞いて烏龍茶を盛大に噴き出した流架であったが「…全く、夕乃君は」と、弱り調子で呟いて、楽しげに踊る二人を見て笑った。
歌の終わりに、夕乃は自宅から大切に運んできた桜饅頭入りのクーラーボックスを流架へ手渡す。そして彼にすいと顔を寄せ、内緒話をするように口の横で片手を立てると、
「…先生、桜に綺麗な思い出があるでしょう。桜で物思いに沈む人って、大抵そうです」
瞳を俄に膨らませた流架を見届けて、夕乃は優しく微笑んだ。
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――沢山騒いで楽しんだ後は身体と心の洗濯、湯の時間です!
浴槽には大理石、大きな窓から飛び込む景色は自然と一体化したような紅葉の世界。のんびりゆったりと温泉浴を楽しめる空間に響くのは――キャッキャウフフのガールズトーク。
「ふむ。お主の胸は発育が良いようだのう。肌も白き人の子じゃ」
「……あ、あの。恥ずかしい、ですぅ……」
「羨まし…くなんてないっすよ! こんちくせぅー! 羨ましいといえば…藤咲先輩カップルはいつも仲良いっすね!」
「そ、そうかな!? えへへー、すわくん優しいから!!」
…そんな会話が隣りの男風呂に響いているとは、露知らず。
浴衣姿の物憂げな風情で、流架は一人夜風に当たっていた。
杉の柱に寄りかかり中庭を眺めていたが、まるで狂おしいものを夢見るようなその表情。だが人が近づいてくる気配は感じたらしく、そろりと彼の首が動いた。
「やや、咲月君か。…どうした?」
「先生…何してるの…? あ…そうだ…誕生日プレゼント…」
咲月は薄く唇を綻ばせて流架の下へ歩んでゆくと、手にしていた包みを両手で差し出す。
蕾のような包みを開花するかの如く手の平へ現れたのは、皮紐に球体のオニキスと水晶が通ったストラップだった。
「Peppar Peppar …先生にとって、いい一年だといいね…?」
楽しいことが続きますように――。咲月はひっそりと胸の内を告げ、流架の頭を優しく撫でた。
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…その夢は誰が見たのだろう。
目眩を覚えるような満開の桜。涙を覚えるような想い。
花弁の雪の中で、淡い紫の着物を纏った黒髪の男性が一人佇んでいた。
その姿は、絵本の狭間に消えゆくように揺らめいていて――。
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晴天の空が広がった、後日。
職員室にある流架の机には、スケッチブックで作られた一つのアルバムが置かれていた。
色褪せることなく甦る記憶と共に――大切そうに。