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縁側に咲く、一本の彼岸花。
揺ら揺らと、鬼の首を振り乱すように揺れる色。
鮮やかな――赤。
●命の尊さ、正義の天秤:佐藤 七佳(
ja0030)
縁側にふわりとそよぐ風が、心を解く。一人では抱けない、悩みの糸を。
――食事。
栄養、即ち人間が生命を維持し、活動し、そして成長する為の必要な絶対的行為。
不可解さが、七佳の心の泉に波紋を起こす。
「人は家畜を虐殺し、植物を収穫しそれを食べることで命を繋ぐ。天魔も人を殺し、魂を収穫し己の糧としていると聞きます。他者の命を糧として奪うという事は同じなのに、何故天魔の行いを皆は悪と言うんでしょうか?」
我々が悪と断じる、天魔の人食い行為。だが人も――同じなのだ。人は動物の生命を奪い、多くの人は何も気にせずにその命を食している。ゲートを牧場や農場と考えれば、人と天魔がしている事は同じ事なのではないか。自らの糧にする為に弱者を飼育し、良質な糧として、収穫しているだけではないのか。
何故人は、人が食べられる行為を「悪」と考えるのだろう。
「……そうだね。人間は動物をたくさん殺す。悠久の時を経た大樹も、美しく命を咲かせる花も、道端を歩く小さな虫達も、そうとは意識していなくても殺し続けている」
彼――、藤宮 流架(jz0111)の表情と言葉は、悲しみとも迷いともつかない深い憂いを帯びていた。
「声にならない痛みは…いつだって木霊しているんだ。言葉が通じない、自分達より知能の低い生き物は強い者の糧になる。食べる為、生き残る為に。――だが、人間は常に残酷だ」
「…自分に不都合だというだけで、同族もそれ以外の生き物も殺すから…、でしょうか?」
胸に湧き上がる苦渋の裏に隠れる真実を、静かに口にする七佳。彼女の長い黒髪が風に踊らされ、まるで琴線のような音色を奏でるかの如く、七佳の思いと言葉をのせて流架の耳へ届く。
「君は…賢しい子だね」
その瞬間、七佳は流架の微笑に一つの世界を見た気がした。まるで――触れたら壊れてしまいそうな、脆く美しい硝子のような――。
「人間全てが人格者じゃない。だから――、怖く、気持ち悪く、おぞましく、憎く、理解が出来ないのかもしれない。同じ人間が、自分達が食べられるという行為を。人間は我が儘で、傲慢で、結局『信じたいこと』を『真実』だと思い込んで、納得しているだけなのかもしれない。……盲目して、疑わないのかもしれない」
人々の為に、盲目した理想の為に、その手を汚すのが正義なのだろうか。
ならば己の正義の在り方とは。
「…先生。他者の命を奪う事が悪ならば、正義って何なんでしょうか? …私達は、人とは、悪なんでしょうか…? 考えるほど、私達と天魔の違い、正義と悪が分からなくなります」
皆の言う「正義」とは「己に都合の良い事」ではないのか?
七佳の双眸に、暗い色が差す。心が引っ張られ、塗り潰されるのを感じた。怒りなのか、悲しみなのか、それとも――罪悪感なのか。
神妙に目線を伏せる七佳。そんな彼女を見て、
「…だから俺は、悲しむことを忘れないようにしている」
流架が囁くように言った。七佳がゆるりと首を起こして彼と瞳を交わす。
「想いを、胸に置き去りのままにしないように…しているよ。だから君も、君が得た『命』も、疑ってはいけない。
君には――、君の『正義』を疑わないで生きてほしい」
「私の……『正義』」
正義の在り方、自分の――掟。
●修羅の連鎖、律する心:柳津 半奈(
ja0535)
「使わぬ力こそが最も強い。即ち、強いとは戦わぬ事と、心得ます」
迷いの無い、きっぱりとした語気で気丈を示す半奈。微かに風が頬を撫で、彼女の白いフードに凛とした青い瞳が海のように映える。だが――、そこにどこか思い詰めた色を垣間見た気がして、流架の心を揺すった。
「闘いとは本来、目的ではなく手段です。何かをなそうとする者達の利害が矛盾こそすれば、初めて争いが生じる。闘いで生じ得るあらゆる消耗を省き別の手段で目的を達成できるならば、それが『善の善』であり即ち、強い事になるでしょう」
「…ほう。君は争いから生まれる憎しみや私怨の連鎖自体を根絶する選択を選ぶというのか。…なるほど、興味深い」
彼の言葉に、半奈の体内で鼓動が大きく響いた。
そうだ。力に対して力で抗い、流れた血で血を贖おうとする人の心は、弱さに他ならない。逃れ得ない重責、刃の業、迸る憎しみが心を焼かせるなど――、修羅の道ではないか。
そうだ、だから――。
「必要なのは、力を律する心です。力を責任の下に維持管理し…力を行使する、即ち戦うべき機が何処にあるのか見誤らないように。少なくとも、そうあれる様…努めるべきです。そうすれば…現世にこんなにも無意味な争いが溢れることは…」
――なかったはず。そう紡ごうとして、半奈の胸を違和感が支配した。いや、拒絶――と言ってもいいだろう。
(…でも半奈、知識と本音をすり替えてはいない?
私は怒りも憎しみも心に抱えている。
弱者の生き血を啜る悪徳を、怒るままに根絶やさんとする修羅の心を)
いざその時、その瞬間がくるとしたら、果たして――争いの道を選ばずにいられるのか。
この心を、この怒りを、律する事ができるのだろうか。
(私は…強く…あれる?
私は…、
判らない…)
「…無意味な争い、か。…だが、そこに生まれた死、生まれた絶望…俺には、意味があるものと捉えなければ…きっと、俺自身が保てないかもしれない。有るべき区別、保つべき境――。きっと、見失ってしまう。君の強さは…俺の闇を照らす美徳のようだ。だから――」
まるで絵本に想いを閉じ込めるかのように、忘れないかのように――、
「君が道を違わぬことを、切に願う」
半奈は流架を見つめ返して、眉を下げた。
(私は……)
●心のぬくもり、その理由:櫟 諏訪(
ja1215)
「まず何から話すかと考えたら、この学園に来た時のことからでしょうかー?」
お土産に持参した桜餅を片手に、ほのぼのとした諏訪の声と空気が縁側を包む。
「自分いわゆる普通の家庭出身で、検査で偶然、力があると分かって学園に来たというのもあって、戦う理由を最初は持っていなかったんですよねー」
そう言って、諏訪は唇に力を加えて微笑んだ。その後、彼はこう繋いだ。
学園で様々な経験をしていくうちに、依頼で感謝されることがこれほど心にぬくもりを与えるものなのだと。誰かを助けることができるのが自分の性にあっている――、そう感じたのだという。
「特に大きなきっかけとなったのが封都、ですねー」
その言葉を口にした諏訪は諮る面持ちになって、ゆるゆると目線を下げていき地面の一点を見据える。身体は現に、だが心は茫洋と漂い浮遊しているかのようだった。
「封都に救助へ赴くとともに、少女の行方不明の母親がいる場所の手掛かりを捜索する依頼に参加したのですが、子供に悲しい顔をさせてしまっていては、撃退士失格だと思ったのですよー? 幸い、その後母親は救助作戦で無事に助けられたそうでほっとしましたよー?」
理想を追っても、ただ現実を見据えなければならない瞬間も存在する。それでも、信じる平和への思いと決意を胸に。
「自分の戦う理由はそこにあって、自分の手を伸ばせる範囲は限られていますけど、少なくともその範囲内にいる人に笑顔でいてほしいというのが理由ですかねー?」
未熟故に、己の強さとはまだわからないと諏訪は言う。だが、この想いを貫き続けることが強くなるということに繋がるのではないかと――、彼は目笑し、雄大な空を仰いだ。
「流架先生はそういう想い、ありますかー?」
「――やや? 俺かい? …そうだね」
左脚に肘をついた掌で、流架は口元を覆った。そして、
「…前を見続けていれば、そう在れると…信じているよ」
諏訪は眉で八の字を書く。
どう捉えていいのか、いまいちわかりづらい言葉だった。
「いつか俺が―――、まで」
戯れる風が、残酷な義を攫う。
●涙の泉、血の覚悟:桜木 真里(
ja5827)
――強さとは。
命、生涯をかけて人が守りたいものとは。
それは人ゆえに惑うのか、惑うがゆえに人なのだろうか。
「藤宮先生の強さって何ですか?」
黄昏始めた光りが、真里の生真面目な面にくっきりとした陰影を刻んでいた。
「俺の強さ? …ふふ、俺は君の考えをまず聞きたい。君は、自身の強さの在り方をどう判断するのだろうか」
厳かに視線を上げた流架と瞳がぶつかり、真里は頬を僅かに凍らせる。常の彼とは違う雰囲気に、自身の歯車が呑み込まれるかのようだった。
「…色々考えましたが、」
前置きをして、真里は話し出す。
「俺は意志だと思います。何かを成そうとする意志があるから前に進めるし、意志が固ければ簡単に折れる事はないんだと思う。いざという時に迷って揺れてしまわないように、強くありたいです」
力に翻弄され、力に迷うことになるのなら――固い決意と意志で、自分と戦うことを選ぶ。
守りたいものを――、「自分の心」をこの胸で包んで守る為に。
「何故、守りたいと思うかは…大切な人が傷ついたり失ったりする事を、俺が嫌だと思うから。だから…例えば、俺が死ぬ事で俺の大切な人が助かるんだとしたら、迷わず死を選びます。その人が俺の為に泣いてくれたり、逆に怨まれたとしても」
自分に忠実だと、夢に描くような覚悟だと分かっている。己の我侭な行動でも、大切な人にはどうかいつまでも――笑っていてほしいから。
人の世界は狭い。人の手にはあまりにも狭く、失いたくないものは両手から滑り落ちるように多い。だから人は――必死にすくうのだ。大切なものを、愛するものを、己の想いの泉から。
「これが、今の俺の答えです。俺の大切な人を含め、出来るだけのたくさんの人が幸せになって欲しい。すごく難しくて、綺麗事だと分かっています…それでも俺は、そう願うんです」
理想を血に流し、決意を滾らせる真里の瞳。
その姿を眺めて、流架は眉宇を切なく歪めて短く一度、目を瞑る。そして、
「自分の撒く『種』の成長は――、見届けなければならないんだよ」
痛切に、訴えた。
果たしてそれが、彼の解だったのだろうか。
●包容、揺らがぬ芯:艾原 小夜(
ja8944)
縁側に座った流架と小夜の黒髪を、風は優しく包容するかのように撫でた。
彼女が勧めてくれたお団子と緑茶のボトルを交互に口にした流架は、静かな面差しを小夜に向け「ありがとう。とても美味しかったよ」と、感謝の言葉を伝える。だが、彼女はそれに気づかないかのように、軽く問いかける表情で流架を見ていた。
「…やや? …どうした?」
思慮深い声音に尋ねられ、小夜は睫毛を二度扇がせた後、薄く笑んだまま首を唸る。
(……先生、なんかいつもと違う…どしたんだろ……)
漣のような心情から小夜はゆっくりと心を現に引き戻し、独りごちる横顔で語り始めた。
「あたしが思う『強さ』は……相手を信じて受け入れる事、かなー」
刹那雨さえも引き裂くような、彼女の孤独――。
「…こっち来る事が決まった頃から、前の学校の友達がヨソヨソしくなっちゃってねー。なんでーって強めに聞いたら『危ない力を持った子と仲良くしちゃダメ』って、お母さん達に言われたってみーんな言っててさー。何人かには直接『小夜が怖い』って言われたしー」
――「自分とは違う」と忌み嫌う、人ゆえの侮辱。恐れ畏れる、人ゆえの嫌悪。
「あたし、皆に痛い事しないのにーってすっごい思ったのー。…あたしを信じてもらえてないんだなーって、思ったんだー」
数秒の無言の時を経た後、二人はほぼ同時にお互いの顔へ移る。
瞳がぶつかった。
痛ましさで歪んだ表情の流架に、小夜が歯を見せずに微笑む。
――大丈夫だよ、と。
「…あはっ、だからねー? あたしは人を信じられる人になろーって決めたんだー。気持ちとか持っててるモノとかひっくるめて、その人を受け止められるおっきい人間になろーって。この力を使いこなせる心のつよーい人になろーって」
見上げた空には、輝く希望が行く手を照らしてくれるから。
「…これから出会う誰かが、あの時のあたしみたいに悲しくならないようにねー」
折れず、揺らがぬ他者への信頼。
愛するべきものに幸あれと、心から――願う。
「……あのね、あたしは笑顔の先生の方が好きだなー。
だから――、」
春風のような軽やかさで、小夜は流架に微笑んだ。
「先生が心から笑えるように、あたしは『信じる』からねー」
●使命を糧に、力を代償に:白蛇(
jb0889)
「わしの『義』じゃと?
…ふむ」
自称、二千歳以上の歳月を生きてきたと言う小柄な少女は、僅かに首を傾けると、顎を二、三度さすってから徐に口を開いた。
「わしは生まれた時より、この世界を守るべく使命を負った神じゃ。
信仰を失い、力を使い果たし、記憶をなくし、只人に堕ちた今でも、その使命――義は変わらん」
悪を清め、払い流すのは自分の務め。疑問の余地などなく、疲れたと投げ出せるものでもない。偉そうな事を言葉にしても、今の自分に出来る事など多寡が知れているが――、白蛇はそう発して、口の端を僅かに上げた。
「それと、わしにとっての『強さ』は、己が信念を貫くことじゃ。
わしならば、護るべきを護る盾であり、払うべきを払う矛であり、清めるべきを清める弓たることじゃな。
まあ若い時は揺らぎ、折れるのも悪くはない。いや、それを通じてこそ、人の子は成長を果たす。
悩めよ、若者」
――誰にでもその瞬間は訪れる。
光を見失いそうになる時も、行く末を檻の群れに蝕まれそうになる時も。だからこそ、物事は己の正しい選択をしてこそ、道を歩んでこそ、成し遂げる意味があるのだ。
折れる余地なく、元から完成してしまっていた白蛇からの、切な忠告だった。
「久遠ヶ原に来てから微々たるものではあるが、わしの力も戻り始めておるし……力を、強さを取り戻した時にわしがどうなっているか、楽しみじゃわい」
白蛇は顔をひょい、と流架へ向けると、双眸を弓形にして愉快そうにカッカッカと笑った。
成長の余地、成長の糧を得ることに、勿論――白蛇自身も遅いなどということはないのだから。
「まだ語り足りぬが…こんなところ、かの。これで満足か? 求めていた答えとずれていたらすまなんだの」
「いや――ありがとう、白蛇君。君の瞳に映る景色を、俺も見た気がしたよ」
「…ふむ、そうか。…それと藤宮教師よ。前から言っておろう。わしの事は白蛇君ではなく、白蛇様と呼べい!」
「え? ああ、はいはい。わかったよ――、白蛇君」
「――! わかっておらんではないか!」
声を出して、流架は陽気に笑った。
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赤い花を見つめながら、彼は想う。
やがて来るその時は、『鬼』のようではなく、せめて――、
『花』のように散りたいと――。