●
「人のいない廃墟に巣食うディアボロ…何か前にもあったな」
あの時は廃ビルに沸いていたが、と脳裏で呟いて、千葉 真一(
ja0070)は残暑の熱さがまだ残る草地の上で、浅く溜め息を零しながら洋館を仰ぎ見る。
こんな死体のように佇む廃墟へ、獲物が迷い込んでくるのを待つというのも期待出来ない場所に、存在する理由が何かあるのだろうか。
「――ともあれ、油断せずに行こうか」
ヒーローの証である彼の赤いマフラーが、緩い雨風に揺れる。陰鬱で、無秩序な闇の口へと、六人の撃退士は呑みこまれていった。
●
奇妙に歪んだ、洋館の「体内」。邪な色合いに染められたその空間は、妙に心根をざわめかせる。
「…なんだ…? 少し、違和感があるような…」
ペンライトのスイッチを入れながら、黒縁眼鏡から覗かせる双眸を僅かに細くし、八辻 鴉坤(
ja7362)が首を傾げる。
「…思ったより暗いですね。気を引き締めていきましょう」
鴉坤と同じように、持参したフラッシュライトで光源を確保していた一条 常盤(
ja8160)だったが、その目線は不自然に宙を泳ぎ、声音に若干の硬さを含ませていた。
(どどど、どうして霊園の近くにこんな曰くありげな洋館があるのですーっ)
内心、今すぐにでも回れ右をして脱兎したいところだが、そこは撃退士としての意地、誇りがそうはさせない。……というか、
女のすすり泣くような雨の中、鬱蒼とした森と生ぬるい空気が漂う霊園を一人で駆け抜けるなんていう度胸と勇気は、(恐らく)ない!!
挙動が少しおかしい常盤を見て、僅かに眉を顰め案じ顔になるマキナ・ベルヴェルク(
ja0067)だが、
「ラムレーズンが何かを感じとって飛び出し、主人を導いた――、なんてのは考えすぎかねぇ」
と、片目を細くしながら思案気に呟く相羽 守矢(
ja9372)が彼女の横を通り抜けた。彼が上目遣いに首を傾げながら二階へと続く階段の方へ歩みを進めるので、マキナも面を向けて目線で追う。
「ああ、それは自分も思った。正夢? なんか呼ばれたような気もするんだよな、先生が。波長が合う、という感じか? 早く合流した方がよさそうだ。…まぁ、あの先生だから心配はないと思うが」
声の調子に僅かな影を差しながら、神楽坂 紫苑(
ja0526)も階段へ、守矢の後へ続く。
「…では、当初の予定通り、まずは全員で書斎を確認。その後に班別に別れ行動、ということでよろしいでしょうか?」
水の流れるようなマキナの声音に耳を通し、他の五人は短く頷いた。
●
「窓が開いてないからかな…暗いというか…空気が澱んでいる気がする」
正体の知れない不可思議な気分は未だ、鴉坤の胸に渦を巻いている。
そして、この書斎も。
守矢がペンライトで視界を確保しながら慎重に進む横で、紫苑が黒の手袋をはめながら、「すごい埃だな。日記でも残っていればいい方、か」と、囁いて書棚の本へと手をかける。
「…これが、人形と写真ですね」
「イザベル、か。へぇ…、写真の女の子とよく似てるな。…あ、人形に汚れが。……うん、綺麗になった」
デスクに置いてあった古びた写真をマキナが手にし、その横で真一が人形の頬についていた汚れを指で拭って、両手でそれを持ち上げる。
この家の娘と精巧に似せて作られた西洋人形「イザベル」。その姿は想像以上に美しく、輝かしく、そして何故か――禍々しく、存在しているように見えた。
(…果たして、この写真の子と人形の繋がりは。精巧過ぎるという、真意は――。一体何なのでしょう)
命の宿っていない蒼いガラスの瞳。――魅せて、捕らえるような。
何故だか茫洋と、人形の「意識」が漂う気配を感じてマキナは一度きつく瞼を閉じ、頭を緩く振る。そんなことなどない、決して。その彼女の様子に、「おい、大丈夫か?」と、案じ顔になって真一が声をかけた。瞬きで頷き返したマキナは、
(…単に、私の杞憂であればよいのですが)
と、思案する表情で手の中の写真にもう一度、視線を落とした。
(こ、怖っ! 人形怖いです!)
恐怖で目を剥きながらも、常盤も遠巻きからしっかりと確認していた。
「へぇ…。埃で汚れているし、傷も結構ひどいけど…かなりの年代物だ。いい家具だよ、これ。…でも、手がかりというものはやっぱりないね。その写真と人形は気になるけど、ディアボロの気配も今のところ感じられないし、ラムさんと先生も気になるから…そろそろ本格的な行動に移ろうか」
紫苑と共に書棚やデスクの引き出しなどを念入りに調べていた鴉坤だったが、どうやら他のメンバーもこれという手がかりを得られていない様子に、一同を見渡して提案を勧める。
「…そうだな。曰くありげな場所に、元撃退士とはいえ先生一人ってのも、まぁ…心配だしな」
と、応えながら鴉坤の方へ軽く振り向く守矢。
「ディアボロ捜索とラムレーズンの捕獲及び、先生との合流の二手に分かれるのでいいな?」
「はい。予定通り、ダイナマ先生とラムちゃんの捕獲は相羽先輩、八辻先輩、マキナ先輩にお任せします。どうか、ご武運を!」
「…あ? ああ。あんた達も気をつけろよ。…ん? 先生の捕獲?」
常盤の発した言葉に一抹の不安を覚える三人だが、とりあえず、元来た暗がりの中を手元の明かりで照らしながら書斎から出る一同。
混沌を含み湿った空気がゆっくりと動いている気がした。雨の滴が天井から滴り、激しい痛みが見てとれる壁や床を涙のように濡らしている。脆く、腐った廊下はギシギシと、先程とは違う不安な――、
「――おい! 気をつけろ、一条! 神楽坂!」
真一が音の違和感を察知して叫ぶと同時に、階段の方へ歩みを進めていた常盤と紫苑の足元の床板が、大きな衝撃音と共に崩れ始めた。
「――っ!」
咄嗟に紫苑は後方へ跳び退り間一髪、その場を回避するが、
「――ひゃ、わうっ!」
濡れた床板に足をとられた常盤はバランスを崩し、不安定な体勢のまま一階の闇へと落下してしまう。
「一条!」
真一達が膝をついて、奈落のように口を開けた暗闇へ彼女の名を叫ぶ。底を明かりで照らすと、重い音が響いた一階ではどっ、と大量に砂礫のような埃が濛々と舞い上がっていた。安否を確認しに向かおうと屈んでいた腰を皆が上げた瞬間、
「皆さんご安心をー! 私なら平気ですー! 何やら柔らかいクッションのようなものが衝撃を和らげてくれたようで――、すっ!?」
語尾で急激に跳ねあがった彼女の声のトーンに、突如、緊張感が走る。常盤の頭上に位置する五人は、警戒しながら再度、下を覗き見ると――。
常盤の細い腰の下で埋もれていたのは「クッションのようなもの」ではなく、落下の衝撃(恐らく彼女のヒップアタック)で手足をピクピクと痙攣させているダイナマ 伊藤(jz0126)だった。
(…じ、自分も落ちていたら、すごい構図になっていただろうな)
その様子を見て、紫苑が苦い顔をしながら脳裏で呟く。
「…ぐ、ふおぉ…ま、まさか天井から美女が降ってくるとは…! ナイス、ピーチアタック…!」
ダイナマは口の端に笑みみたいなものを浮かべ、骨を軋ませながらぷるぷると親指でグッドサインを作る。
「はっ! す、すいません、先生。お怪我は――、……と言うより、生存の確認はできましたね、ハイ。それでは私は任務の方へ戻らせていただきます」
「…! クッションにしておいてこの扱い…! お前さん、やりおる…!」
「…なんだ、全然平気じゃん、この先生」
余計な気遣いして損した、と言わんばかりの調子で守矢が呟きながら一階へ降りて来る。その後ろを「相変わらずですね、本当に」と、苦笑する紫苑と他のメンバー。
「…これは…ひまわりの種、でしょうか」
床に散乱する腐った木の破片や埃とともに、小さな種がいくつか散らばっていることにマキナが気づいて、小首を傾げながら拾い上げる。どうやらラムレーズンの捕獲用に、常盤が持参してきていたものだったらしい。落下した衝撃で袋の口が開いてしまったようだ。
「…先生もある意味、もう少し警戒してください。危なっかし――」
膝をついて立ち上がろうとした常盤の言葉が、不意に途切れる。彼女はそのままの体勢で固まり、ある一点を見つめていた。視界には相変わらず黒々とした闇がわだかまっていたが、廊下の一番奥の部屋――。
木が腐り、ドアはボロボロに崩れていたが、中は物置であろうか。その闇の隅で一瞬、何かが動いたように見えたのだ。
「…何だ? この感覚」
真一も違和感のある空気の澱みを感じていた。
「お、お化けなどいないお化けなどいない…」
と、蒼白しながら呪文ように唱える常盤。
そして、闇の口から「それ」が姿を現した。――小さい身体をもそもそと動かし、こっちの苦労も知らない円らな瞳で。
「ひぁう!? ――っ…て、ラムちゃんでしたか」
「――なにっ!? 野郎! ひまわりの種に釣られて出てきやがったな!」
常盤の言葉を聞いて、がばちょ、と身体を起こすダイナマ。彼の復活はいつだって早い。
だが、
「いや……、待て――!! その後ろだ!!」
閃光が瞬くように、真一の声が爆ぜた。
物置の闇が渦を巻くように揺れ、影が蠢く。黒い蜃気楼のように身体の色をうねらせ、その獣…、ディアボロは肉食獣を思わせる獰猛さでこちらへ目がけ飛びかかってきた。
「…『諧謔』、解放します」
「変身っ! 天・拳・絶・闘、ゴウライガっっ!」
マキナは闘気を解放すると同時に主紳を屠る狼の如く、その身を黒焔で纏い、真一は勇気と自らの士気を胸に、ヒーローゴウライガへと姿を変える。
ごっ!!
空気を裂く音と、切る衝撃。
ディアボロとの距離が一番近かった常盤を庇うように前へ出た鴉坤は、咄嗟に首を振り、ぎりぎり、どす黒い鉤爪をかわした。だが、ディアボロの身体は再び景色の一部へと溶け込んでゆく。
(落ち着け、見えないだけで消えたわけじゃない)
二撃目を予測した鴉坤は、受け防御を可能にする為防壁を出現させようと意識を集中させた。
しかし、
「がっ…!?」
鴉坤の視界が波打った瞬間、腹部に灼熱が走る。何が起きたか理解する間もなく、彼の目線は宙へと浮遊した。
いや――、浮遊ではない。そのまま食らい破られるのではないかというほど、強烈な力で肉へ食い込ませるディアボロの牙と顎が、鴉坤の身体をそのまま宙へ持ち上げていたのだ。真っ赤に染まった己の腹部を凝視したまま、鴉坤の顔がみるみる引きつっていく。
「八辻先輩! ――このっ、放しなさい!!」
常盤の腰間でホワイトナイト・ツインエッジの白刃が煌めく。懐に入り込む彼女の気配に、ディアボロは鴉坤を牙から投げだして瞬時に後方へ跳び退った。
ざくっ…!
鋭利な刃が肉を裂く、生々しい音。
(斬った…!)
常盤は柄から伝わった振動を感じ、確信する。
「安心しろ、八辻。すぐに回復するからな」
「…す、まない、神楽坂さ、ん…。せ、先生…、情けないところをお見せ、して…すみま、せん…」
「謝る必要なんてねぇだろ。…ジッとしてろ、八辻。いいな?」
ダイナマが鴉坤を床に横たえ、駆け寄って来た紫苑が彼の傷口に手の平を翳し、アウルの光を送り込む。その様子を切に、心配そうに見つめる常盤だったが、
「おう、一条。お前さんは相羽達の加勢に行け。――二度と、こんな真似ができねぇようにヤツの息の音とめてこい。いいな?」
向けられたダイナマの面にいつもの飄々さなく、その瞳には蒼き炎が宿っていた。
空気が鳴った。
繰り出されたディアボロの右腕と共にその身体も「空間」の色へ消える。そして、それを受ける守矢の身体もまた、陽炎のように揺らめいた。人の目で追えぬほどの一瞬のうち、ディアボロの鉤爪と守矢の黒漆太刀が交錯する。
そう、姿見えぬ者と「交錯」したのだ。
ディアボロが眼前の空間を薙ぎ払い、薙ぎ払われた空間に一瞬前に存在していた守矢の身体は後方へ跳び退った。そしてもう一度、後方へ跳んで距離をとる。と、同時に、
「…『封神縛鎖』、拘束しなさい」
ヒュッ
彼女に付き従うように焔鎖が現れ、強烈に奔るマキナのキャノンナックルが「空間」へと振り下ろされた。だが、
ガッ!!
拳から伝わる手応えは、鈍く重たい。黒い影のようなディアボロの身体は、家具を破壊しながらグチャグチャに弾き飛ばされていた。床を転がり、転倒は収まりきったが、
「ゴウライ、かかと落としっ!」
そこを図っていたように、太陽の輝きの如く、闘気を練った真一の「イグニッション」がディアボロの背骨を一撃。
そう――、明らかに守矢達の目にはディアボロの姿が見えているのだ。何故なら、ディアボロの右脛には闇の中でも淡く輝く、塗料が目印となっていた。先程常盤が放った一撃によるものであった。
「あらかじめ、蛍光塗料を刀身に塗布しておいて正解でした。そして――八辻先輩が流された血も、決して無駄になどなってはいません!」
純白の光を宿した常盤の双剣は、鴉坤の血液で濡れたディアボロの顎を目がけ、斬り払う。黒焔の鎖で拘束されているディアボロには回避することなどできず、下顎を失った口からはごぼごぼと大量の血が吐き出されていた。
「――役にたてたのなら、嬉しいな」
その声に、常盤達が眉を顰めた案じ顔で振り返ると、立って動けるまでに回復した鴉坤の姿が。
鴉坤がアウルの力で作り出したナイフと、紫苑が放った弓矢が対を成すように空気を切ってゆき、ディアボロの両眼を潰す。
「トドメ、頼むぞ」
構えた弓を下ろしながら、紫苑が静かに呟いた。
「ああ。行くぞ、マキナ」
「はい。ディアボロに、『終曲』を」
守矢とマキナが左右に散開しつつ、叫びとも悲鳴ともつかないディアボロの呪いの「言葉」を聞きながら走りだした。まだ目の前の脅威が完全に去ったわけではない。
――対象の、完全なる沈黙を。
肩に担ぐようにしていた刀を上段に構え、
「おおおっ!!」
咆哮とともに、守矢が右から、
「理不尽も不条理も退ける存在で在りたい」
終焉を内包した強烈な一撃を拳に、マキナが左から、
ディアボロに左右から同時に攻めかかり、確実に仕留める。
――後には、魂のないディアボロの肉塊が、ただ静かに、人形のように転がっていた。
●
「先生が見たその夢には意味がある――…そうは思いませんか?」
マキナの言葉に謀る面持ちになって、眼前の古びた廃洋館を改めて見据えるダイナマ。
「さぁ…どうだったんだろうな。…ただ、あの夢は、
すげぇ幻想的で、恐ろしく歪んだ、空想と悪夢の世界だったような気がする…」
深い恨みをもった人間が死んだ時、人形が替わりに持ち主の恨みを果たすといわれている。
一体あの家族は、屋敷を残して何処へ消えたのだろう。神隠しにあったのか、それとも『化け物』に食われてしまったのだろうか。
今ではもう、わかることはない……。
●
アリガトウ
ア リ ガ ト ウ …