●深夜の広場にて
さながら誘蛾灯のように、恋人たちに捧げるはずのイルミネーションはサーバントを引き寄せてしまった。広場の中央にそびえ立つ四本の塔の先端にそれぞれ一体ずつ。せっかくの目玉企画も巨大な羽に遮られては楽しむことができない。裏側から透かすように浮き上がった模様はまるで警告するように毒々しい紫色をしていた。
「デートの下見に来ただけの筈だったんだが、まさか害虫駆除をするハメになるとはな」
モスを見上げ、美森 仁也(
jb2552)がやれやれと溜息をついた。空気が白く染まって、溶けるように消える。冬本番というにはまだ早いが深夜にもなると体の芯から冷えるような寒さだった。
「本番でなくてよかったんじゃないですか。デートの最中にサーバントが出現するなんて、ツイてないにもほどがありますからね」
東條 雅也(
jb9625)が励ますように軽口を叩く。
施設側の対応が早かったのと、モスが塔の先端に張り付いたまま動こうとしないため幸いにも被害者は出ていない。肝心なデートを邪魔された人々を別にすれば、だが。
「けど虫というのは冬の間は穏やかにしているものじゃないのか?」
首を傾げる仁也。昆虫の多くは成体の姿で冬を超すことができない。そのため卵や冬眠など、様々な形で生き延びようとするもの――なのだが。
「まぁ、相手はサーバントですから。もしかすると人の温もりに惹かれてやって来たのかもしれないですね」
雅也は苦笑しながら答えた。もしそうなのだとすれば皮肉な話だ。愛を囁き合うカップルたちは避難してしまったのだから。
「時間だ。奴らの動きに注意しなければな」
軽く身体を動かしながら、時計も見ずに元 海峰(
ja9628)が時刻を言い当てた。視力を失って久しいが作戦に必要な時間は正確に把握している。長年の修練による賜物だった。
海峰の言葉通り、停電が起きたかのようにイルミネーションが一斉に消え、ただ一つ光源として残された塔がさらに眩く輝きだした。
三体のモスが光を失った塔から離れ、一つの塔に密集する。四対の羽が蠢くさまはある種のおぞましささえ感じさせた。
「上手くいったようだね。大切な人と共に過ごす時間を奪うなんて、悪趣味にもほどがある」
照明を調節していた各務 与一(
jb2342)が長大な和弓を手に、仲間たちが待つ広場へと走る。愛しい人との時間がどれほど貴重なものか、誰よりもわかっているつもりだ。カップルだけでなく家族と夜景を楽しみに来る人々もいることだろう。一刻も早く、恋の光を取り戻さなくては。
与一は固く唇を引き締めた。敵を一箇所に集中させる作戦は成功した。ここからが正念場だ。
広場の中央で輝く塔の周りに、招集された撃退士たちがそれぞれ配置につく。敵は頑なに動く気配を見せない。確実に仕留めるためには好都合な状況だった。
「光に群がる虫けらか。その光が身を焼くとも知らずに……」
影野 恭弥(
ja0018)がおもむろに銃を向けた。その先では四体のモスが小刻みに羽を揺らし、塔の光を浴びるように止まっている。恭弥は一瞬にして意識レベルを深く落とし込んだ。神経が研ぎ澄まされていく感覚。引き金が指と一体化し、心臓の拍動による照準のブレさえも許さない。
「堕ちろ虫けら」
小さく呟いた言葉とともに放たれた弾丸が合図だった。作戦の要となる照明を傷つけぬよう計算された弾道がモスの翼に穴を穿つ。飛び立つ前に続けざまに二発を撃ちこむと、バランスを崩したモスが落下する。重力に引かれるまま地面に激突するかと思われたが塔の半分程度の高さで持ち直した。
それと同時に他の三体が飛翔する。逃せば闇夜に紛れてしまい再発見は難しい。
だが、闇よりも黒い影が行く手を阻んだ。
「良い夜だねぇ。あとはお邪魔虫がいなければ完璧かな」
どこか見る者に恐怖を感じさせる微笑を浮かべ、来崎 麻夜(
jb0905)がクスクスと声を漏らす。
「さぁ、黒く染まろう? ボクより黒く、真っ黒に……ね」
麻夜がしなやかに腕を振る。暗闇の中に潜んでいた鎖鞭がモスの背中を直撃する、確かな手応え。狂気とも思える笑い声を上げながら再び鞭を打つと、モスの動きが鈍った。
「マヤ、こっちは、任せて」
一陣の風が夜闇を切り裂く。ヒビキ・ユーヤ(
jb9420)は翼をはためかせ鉄球を投げ下ろした。重たい一撃をモスの頭上に見舞う。そしてハンマー投げの要領で遠心力を加えた追撃を放ち、対象を叩き落とした。
「飛べなければ、逃げれない、よね?」
「早いうちに仕留めておきましょうか。何が起こるかわかりませんしね」
雅也はちょうどモスの落下地点に待ち受けていた。普段は見ることのできない翼を顕現させ、力強く上昇する。空中ですれ違うようにして衝撃波を放つつもりだった。接近戦をするにはデータが足りない気もするが、ためらいはなかった。
「……良いか。喰らったら喰らったで」
弁解するように呟く。だがモスはほとんど無抵抗のまま雅也の攻撃を受けた。ユーヤの先制攻撃のおかげで脳震盪に近い症状を起こしていたのだろう。サーバントに人間の常識を当てはめることはできないが、ダメージを負えばふらつくのは当然の成り行きだ。
すれ違うほんの一瞬で敵の状態を読みきった雅也は、空中で旋回し集中力を高める。アウルを一点に集めることで威力が飛躍的に増すのだ。
「さようなら、だね」
雅也の頭上で、ほぼ同時にユーヤが鉄球を放つ。
物理攻撃と魔力の塊に撃ち抜かれたモスに抗う手段はなかった。地上に落ちるのを待たず、乱戦のなかで四散した。
「おっと、もう一匹いたか」
麻生 遊夜(
ja1838)の視線の先では麻夜とユーヤの攻撃を逃れたモスが、逆に攻撃を仕掛けようとしていた。塔の上から地上へと風を送るように羽ばたく。イルミネーションの光を受けて空中でなにかが煌めいた。
鱗粉。そんな言葉が頭をよぎる。本来ならば蝶や蛾の羽に付いているものだが、その生態を模したサーバントが身を守る手段として能力を備えていても不思議ではない。
「こういう類の攻撃は避けるに限るな」
咄嗟の状況判断で塔の下から離脱する。距離が近いことも幸いして攻撃範囲はそれほど広くない。走りながら後方を確認すると、モスがさらに高く羽ばたこうとしていた。射程圏内に捉えているうちに撃ち抜かなければ。
遊夜は反転し、勢いのまま跳躍しながら空中で姿勢を固定する。
「逃がさん、堕ちろ!」
二丁の拳銃が烈火のごとく弾を放つ。引き金を絞る度、モスの巨大な羽に風穴が空いていく。風を上手くつかまえることができなくなったせいでモスは安定感を失っていた。
それはすなわち、周囲への警戒が薄まることにほかならない。
「デートスポットには、美しいものだけあればいい。悪いけどサーバントを眺めるのは趣味じゃないんだ」
塔から標的が十分離れたことを確認し、仁也は大鎌を振りかぶった。上空から風を切るように一閃する。鋭利で巨大な刃が塔の光を受けてほんの刹那、輝きを放つ。それはまるで死の宣告のようだった。
「羽を失くした昆虫にはさっさと退場してもらおうか」
どんな生物も空を飛ぶ術を失えば落ちていく。仁也の大鎌がサーバントの片翼を切り離すと、モスは悶えながら重力の束縛に囚われた。仁也は自ら地面の方向に加速し、自由落下する敵の胴を目掛けて死神のごとく武器を食い込ませた。
空中で舞う影がもうひとつ。
海峰の両目は確実にモスを捉えていた。視力が弱いためぼんやりとした輪郭を把握しているだけだが、それで十分だ。生物界では外敵に脅威を示すための羽の模様も、海峰にはまったく関係なかった。むしろ標的を区別しやすくて助かるほどだ。
開戦と同時に恭弥が体力を削ったおかげで敵の動きは鈍っている。上空から観察していたところ、鱗粉を散布する攻撃手段を備えているようだが、さらに高所を抑えてしまえば問題ない。海峰は迷いなくモスの背中に降り立ち、二本の小太刀を鞘から抜き放った。
「夫婦喧嘩は犬も喰わないというがカップルを邪魔する虫はなんと呼ぶべきだろうな」
懸命に羽を動かして追い払おうとするモスに問いかける。当然返事はない。海峰は至極真剣な表情のまま羽の付け根に小太刀を突き刺した。
耳をつんざくような悲鳴を上げてモスが落下する。誤算だったのは空中で羽が分離し、胴体部だけになったサーバントが回転したことだった。
モスは奇妙に口をすぼめた。海峰は本能的な直感で悟った。昆虫のなかには毒を纏うだけでなく、積極的に反撃の材料として使うものがいる。モスは最後の道連れとばかりに毒液を吐こうとしているのだ。
「クッ……」
瞬時に離れようとするが、自由落下をしながらの回避では間に合わない。負傷を覚悟で急所となる部分を庇うほかない、そう思った矢先、サーバントの頭部が破裂するように撃ち抜かれた。毒液は目標に到達することなく、意志を失った胴体に降り注いだ。
物体となったモスの身体のあとから海峰はゆっくりと着地した。
「助かった。礼を言う」
海峰が手を差し伸べると、恭弥は無愛想に応じた。
「所詮相手は下等生物だ。感謝されるほどではない」
そう話した恭也の姿形は闇よりも濃い漆黒に染まっていた。
「弓聖与一の名にかけて。立ち塞がる敵全てを射抜いてみせる」
与一が擬装用の伊達眼鏡を捨てると、暗闇に赤い双眸が浮かび上がった。かつて船上の扇を射抜いた弓の達人のように、光の周りで乱舞するモスに狙いを定める。
上空では麻夜が鞭を振るい、モスの動きを止めている。
何だか楽しそうに戦っているようにも見えるが、与一は赤い瞳を細めて余計な思考を追い払った。わずかでも邪念が入れば弓は外れる。モス以外の情報を限りなくシャットアウトしていく。すると不思議と的が大きくなったように感じるのだ。
張りつめた弓が唸りを上げる。指先に乗せられた矢じりは対照的に、固定されたかのように平穏を保っている。与一は静かにつがえる指を話した。限りなく完璧に近い均衡を破って放たれた矢は狙い違わず急所である首もとを貫いた。
「この矢で、魔を射抜く」
覚悟の言葉とともにさらに三射。的確に、そして着実にダメージを重ねる。
だがモスの体力を削り切るには至らなかった。道連れとばかりに落下しながら毒液を吐き出す。与一は集中状態から強引に抜け出し、横っ飛びに避けた。先ほどまでいた場所が白い煙を上げる。強酸性の毒のようだった。
モスは追い打ちをかけるべく与一に近づこうとしたが、空から降ってきた弾丸に遮られる。
「皆、消えちゃおう? だって、こんなにも良い夜だもの」
麻夜が笑っていた。すべての装飾品が黒色であるため、闇の中から突如として現れたように見えた。悪魔の血を活性化させたことによりさらに暗黒に近い存在となっていた。麻夜はいつの間にか持ち替えた銃のトリガーをゆっくりと引く。
「さようならだね」
奇しくもユーヤと同じ台詞を口にし、最後のモスを狙撃する。禍々しいまでの憎悪の込められた弾がモスのこめかみを貫いた。
●勝利の光
「これで明日から営業が再開できるだろうな。無事に終わってよかった」
海峰が目を覆い隠すように包帯を巻きながら安堵の声を漏らした。光纏を解除した今となってはイルミネーションを視認することはできないが、カップルたちの平穏を無事にとり戻したことは事実だ。
「今度は大切な人と、見に来たいものですね」
仁也が声をかけた相手は与一だった。シルバーのネックレスを愛おしげに触れているのを見て、自分と同じように想う人がいるのだと悟ったのだ。
惨劇のような戦いの後だからこそ、ひしと感じるものがある。仁也は自らの拳を強く握りしめ、愛しい人のために戦うことを改めて心に誓った。
「はい。いつかその日が来るまで、この光景をずっと守りましょう」
与一は微笑んだ。なにより大切な人と再開するときまで頑張ろうという決意を胸にして。
そのとき突然、一箇所しか点いていなかったイルミネーションの光が広場全体を覆った。色とりどりの電飾が祝福するように撃退士達を包み込む。夜の闇がキャンバスに描かれた水彩画のような鮮やかさで彩られた。
「ちょっとくらいご褒美があってもいいよな」
こっそりと管理室を訪れていた雅也は弁解するように呟き、満足気な笑みを浮かべた。恋人たちは皆避難してしまったから、モスの討伐に参加したメンバーで貸し切り状態だ。依頼人もこのくらいの贅沢は許してくれるだろう。
「光っていうのは、いつだって誰かの心を癒してくれるものだからな」
眼前に映る光景を、同じようにキラキラした瞳で見つめているのは遊夜、麻夜、ユーヤの三人だった。遊夜を中心にして両側から女性陣が寄り添っている。
「どうよ? 人気スポットらしいぜ」
遊夜が両腕につかまっている女子たちに声をかける。さすがに雑誌やテレビの取材を受けるほど話題になっているだけあって、いつまでも飽きることのない光景だった。
「静かな夜のほうが好きだけど……たまには派手な夜も悪くないねぇ。先輩と一緒なら、ななおさら、ねぇ」
「ん、すごく、きれい」
麻夜とユーヤが賛同の言葉を口にする。一仕事を終えたせいか、イルミネーションはひときわ美しく感じられた。この絶景を瞳の中だけに収めておくのはもったいない。遊夜は素早く決断した。
「うっし。せっかくの良い夜だ。記念写真でも撮るとするか」
誰かいないかと周囲を見回す。塔の根本に佇むように恭弥が立っていた。
「ちょっと、頼んでいいか」
「……」
遊夜からカメラを渡され、恭弥は無表情のままファインダーを覗く。夜景をバックに、三人がポーズを取るため準備していると、合図もなしにシャッターが押された。
「これでいいか」
つっけんどんな態度で恭弥はカメラを返した。
そこには楽しそうに笑う三人の姿と、撃退士たちがサーバントから奪還したイルミネーションの光が、見事な構図で記録されていた。