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「……おぉ……」
「会議室に入ったとたん、カカオ臭が半端ないですね」
月乃宮 恋音(
jb1221)と袋井 雅人(
jb1469)のカップルが見た会議室の机には、見ただけで全身が甘ったるくなりそうなほど、大量のチョコが積まれていた。
「それより恋音さん、それ」
「……背中にまでおっぱいが出来てる……」
もう一組のカップル、浪風 悠人(
ja3452) 浪風 威鈴(
ja8371)夫妻が恋音の姿を見て、若干怯えている。
トレードマークともいえる超巨乳が体の前面のみならず、後面にまで出来ていたのだ。
「……こ、これはですねぇ…そのぉ……」
背負っていた超巨乳を降ろす恋音。
よく見るとそれは、バストの形をしたチョコだった。
恋音の爆乳と同サイズ、包装紙も恋音の服と同じデザインである。
「……過去の依頼で看板として作ったチョコなのですよぉ……」
「なんだ贋乳なのだわ」
椿はホッとした顔をしたが、正直、恋音なら背中に乳が出来たっておかしくないと思っている。
「カロリーが凄そうです」
鷹司 律(
jb0791)が、“チョコぱい”の大きさに唖然とする。
「……そうですねぇ、中身が詰まっていると仮定して計算すると二十三万キロカロリー程度です……体重に直すと三十キロは増える計算になります……」
「三十キロ!? これ食べたら僕、ほぼ倍になっちゃうよ!」
高槻 ゆな(
ja0198)の体重は37キロ。
体がもう一つ増えるほどの超カロリー言っても過言ではない。
「さすがは恋音ちゃんなのだわ、乳贋作は伊達じゃないのだわ!」
なぜか決め台詞のように言う椿。
「チョコを食べるのが怖くなってきますね」
ウサ・メトゥス(
ja9020)も女の子、増体重は敵である。
「……量が多いからそうなるだけですぅ……チョコは美容の友なのですよぉ……」
「そうなの?」
「アンチエイジング効果の高いポリフェノールが、多量に含まれていまあすのでぇ……特に、肌の老化に効果的なのですぅ……」
とたん、恋音の“チョコぱい”を凄まじい勢いでガリガリ食べ出す椿。
「椿さん、気持ちはわかりますが太りますよ?」
悠人が、ドン引きしてその様子を見ている。
「……チョコには、代謝の上昇効果があり、実は肥満予防にも有効ですから、ほどほどなら大丈夫ではないかとぉ……」
「そうなんですか?」
「……興奮を鎮めるリラックス作用もありますし……」
恋音が言った途端、狂ったように“チョコぱい”を食べていた椿の興奮が治まった。
「はっ? 私は今、何をしていたのだわ?」
「四ノ宮さんのはチョコの成分ではなく、言葉による暗示な気がします」
健康にいいというので、安心してチョコをパキパキ食べ出す参加者たち。
持参した砂糖抜きのカフェオレを飲みながら、ゆなが尋ねた。
「チョコといえば、みんなはどんなのが好きです?」
「俺は板チョコですね」
安定した答えを返す悠人。
「これです」
ウサは、先端に苺チョコのくっ付いた三角錐型のチョコを食べながら言う。
宇宙船の名がついた超ロングセラーチョコだ。
「僕は同じ超ロングセラーチョコでも、こっち派かな」
ゆなが示したのは、台形型でお馴染みの十円チョコだった。
近年二十円に値上げしたと誤解されがちだが、あれはコンビニでのバーコード管理のために発売された大型タイプであって、十円の従来型も駄菓子屋などでは販売され続けている。
「子供の頃は、十円あったら買ったチョコだわね」
「種類豊富でいろんな味があって、季節限定品まであって、しかも安い! 最高ですよね♪」
「……うん……御茶請けとか良いよね……話の種に……なるし一口サイズ……だし……板チョコだと……一人で食べるには……少し食べにくい……って思うかな、食べ切り……でないから……」
無口な威鈴が、十円チョコに関して饒舌になったので、夫の悠人も少し驚き気味である。
「そんなに好きなのか……というか、夫婦で好みが乖離していて不安を感じるんだけど」
悠人は、板チョコ好きを先程宣言したばかりである。
威鈴は首を横に振った。
「悠人と食べるなら美味しい……半分こするの……なんか良いよね」
「そうか、なら」
食べていた板チョコを割り、威鈴にアーンして食べさせる悠人。
威鈴の幸せそうに口を開けている。
「なんで甘々さが板チョコ並なのだわ? 私より若いカップルなんか、板チョコ並にぺきぺき割れればいいのだわ」
板チョコを正拳突きでぺきぺき割りながら、一人寂しく食べているアラサー女子所員。
「四ノ宮さん、独身をこじらせすぎです」
悠人はチョコ山から一枚のミルクチョコを取り出し、一口齧ってから話し始めた。
「そのまま豪快に食べる事も、仲間と割って分け合って食べる事も出来るのが、この板チョコタイプだと思うんですよね、食べた時の幸福感を分け合える事が出来るチョコだと思います」
眼鏡男子同士のシンパシーか?
語る悠人の目に浮かぶ優しさを見て、ただ好きなだけではないなと雅人は感じた。
「何か、思い入れがあるんですか?」
「実は昔、公園で黄昏ている少年を見つけた事があったんです。 心配して近づいたら俯いてしまって――近くに座ってなんの気もなし板チョコを食べようとしたら、顔をあげてこっちを見てくれたんですよ。 “一口食べる?”と、このチョコを分け与えた途端、笑顔になって話をしてくれたんです、本当は親と逸れてしまったらしく」
「……チョコは即効性のエネルギー食ですからねぇ……」
「子供は少し遊んだ後、無事親元に帰れました、だから僕はこのメーカーの板チョコが一番のチョコだと思うんです」
「いいお話ですね」
雅人の言葉に悠人は微笑んで頷いた。
「チョコは食べた人を幸せにする魔法のお菓子ですよね!」
すると威鈴が、板チョコのブラウンに金文字の包装紙を見つめながら感心したように呟いた。
「……わかった………だから、ここにメイジって書かれているんだ……」
「威鈴、そのメイジは魔法使いのメイジと違うぞ」
ウサが、人数分の白磁のカップに紅茶を注いだ。
「アールグレイです、チョコと相性ぴったりだ、という口コミの検証をしようと思いまして、ふふ」
その香りを優雅に楽しみながら頷く律。
「確かに、柑橘系の芳香が甘みで緩んだ口内をリセットしてくれる気がしますね」
対してゆなはカップを持ったままガタガタ震えている。
「アールグレイは人の記憶を操作するって言います、恐ろしいです」
「ゆなさん、それはアールグレイでなくリトルグレイです」
「チョコだけに、ほろ苦い出来事でした」
ウサはアールグレイを楽しみながら、チョコに関する思い出を語り始めた。
「このチョコを知人男性から貰った事があったんです、胸がときめきました」
ウサの掌には先程と同じ、ピンクとブラウンの三角錐チョコが乗っていた。
一見、ただのコンビニ菓子だが、ウサには思い入れがあるらしい。
「ときめいたのも束の間、相手は既婚者でした。 これがフリーの男性だったなら、今シーズンのバレンタイン特集は晴れやかな気持ちで見れていたでしょうに」
落ち着いた佇まいで、白磁のカップからたゆたう芳香を楽しんでいるウサ。
その切なげな横顔を皆が、無言で見つめていると、
「……思わせぶりな態度とんなって……」
ウサが口の中で愚痴を言っているのが聞こえた。
「コホン。 いえ、何でも」
再び優雅な笑顔を浮かべたが、もう皆に聞こえてしまっている。
ごまかすように、話題をふるウサ。
「そうでした、これを機に一念発起して作ってみたんです」
ウサがバックから取り出したのは、ラッピングされた箱だった。
中には一口サイズの兎型チョコレートが入っている。
「これは、ウサさんの手作りですか?」
律に尋ねられ、嬉しそうに微笑むウサ。
「普段は、食べ専なんですが料理に挑戦してみたんです」
「料理と言っても、湯煎して固めただけなのだわ」
若夫婦の甘々ぶりを見せつけられた椿は、未だにふて腐れ気味だ。
「そうですね、でも私なりに工夫はしているんです」
「どこです?」
「湯煎する時の火を普通とは違う方法にしました」
「……」
「その目はなんです?」
「手作りチョコなら、私も作ってきたんです」
律もラッピングした箱を持参してきていた。
「そういえば鷹司くんは、こないだのチョコ売り依頼でチョコを作りをしてくれたのだわね」
「はい、このチョコマフィンですね」
ラッピングを解いて出てきたのは、カップに入ったチョコレート色の焼き菓子だった。
「コンビニでホットケーキの材料を購入して、実際にホットケーキを作る過程でチョコを入れれば簡単に作れます。 そういう意味では、大量生産ができて、かつ手間をかけた手作り感が演出できるお手軽品でもあります」
配られたチョコマフィンを、一口食べるウサ。
「……この味? どこかで」
「バレンタインシーズンに学園で販売されていた“うまいチョコ“です。 リーズナブルなチョコですが、チョコの質ではなく、ちょっと手間を加える事で味を上げました」
一口食べ、納得したように頷く威鈴
「良い工夫……安心感と……新鮮さが同居しているの……」
「それを突き詰めていくと、こういうものも出来ます」
律が次に出したのは、ザッハトルテというお菓子だった。
杏ジャムを塗ったスポンジケーキをチョコレート糖衣で包んだケーキで、オーストリアの伝統菓子である。
「練習に練習を重ねた上、ようやく完成させる事が出来ました」
「そんなに難しいのですか?」
「詳細な調理過程は省きますが、調理工程を間違えずに順当に仕上げられれば、学園にある調理室でも作る事は可能です。 ただ失敗する事も多いです。 それを乗り越えて成功させれば恐ろしく手間暇かけて作る分、本音チョコよりもハイクラスです」
「実に豊潤な味です」
「……チョコレートケーキの王様と言われるだけの事はありますねえ……」
律の苦心作である高級菓子を、満足げに舌鼓を打つ袋井と恋音。
「これをバレンタインにもらえたら、ハートを撃ち抜かれちゃいそう」
ゆなの言葉に、律は困ったように頭をかいた。
「貰うとホワイトデーが恐ろしくなる一品ですよ。 慣習ですと三倍返しとも聞きますから、手間の重さを考えると」
椿が、ふてくされたようにそっぽを向く。
「どこの世界の慣習なのだわ? 去年は、婚活パーティで目を付けた相手に高級チョコを渡したら、ホワイトデーに納豆一パックが返ってきたのだわ」
「四ノ宮さんの世界が独特すぎます」
ウサの手作りチョコを食べながら、威鈴が朴訥と語る。
「市販で売ら……れているチョコ…も美味しい……けどもやっぱり手作り……チョコのがもっと……美味しい」
「それは良かったです、始めてだったので自信が」
ほっとするウサ。
「愛情……たくさん……でその人が頑張ったの……わかるし食べると……その人のこと思い出すの……」
「そうですね、私もこれを食べる時、あの時の事を思い出します」
そう言いつつ、雅人が給湯室から持ってきたのは、チョコがグツグツに煮えた金属鍋だった。
チョコフォンデュ。
大きめのサイコロ大に切り揃えた食パンやフランスパンに、熱々のチョコを付けて食べる料理である。
「何か思い出があるのですか?」
金串に刺してそれを食べながらウサが尋ねる。
「はい、私はラブコメ仮面という正義のヒーローとして日々苦労しているのですよ」
ラブコメ仮面は、雅人が恋音の巨大ブラを頭に被って変身するヒーローである。
アウル能力がなければ、ただの変態である。
「それで、酷い極悪人にお仕置きした際に、チョコを使ったことがあるんです!」
「チョコをお仕置きに?」
「全裸にして全身に熱くてドロドロに溶けたチョコをかけて固まるまで放置して蝋人形ならぬチョコ人形に……」
「うわぁぁ」
耳を塞ぐゆな。
己に置き換えると、身の毛のよだつ拷問だ。
「またある時はお尻から熱くてドロドロに溶けたチョコを注入して、口では言えないトンでもないことに……」
「……おぉ……先輩、それは皆さんにトラウマを植え付ける事になるのではぁ……」
恋音に諭され、話を止める雅人。
しかし時すでに遅く、チョコフォンデュは雅人が一人で平らげることになった。
「うぅ……段々、胸やけが……」
散々、チョコを食べた後、鍋一杯のチョコフォンデュはきつい。
「……先輩、私も手伝いますぅ……」
小食な恋音が恋人を健気に支えてくれようとする。
「ありがとうございます、恋音」
微笑み合う二人。
「仲がいいねぇ」
悠人が既婚者の余裕を以て微笑む。
「いやー、それほどでもありますよ! 見て下さいこれ!」
宝物を自慢する子供のように、それを皆に見せつける雅人。
「この恋音の愛情が詰まった、光り輝くチョコ達を」
箱に詰まったチョコは、本当に螢のような輝きを放っていた。
「本当に光っているのだわ、なにこれ?」
「物凄く強化したチョコを毎年バレンタインにくれるんです。 といっても、まだ二、三度ですけどね。 長いようでまだ付き合い始めて二年くらいしか経っていませんから」
「そうなの? お正月に変な夢を見たから、てっきり十万年くらいの付き合いだと思っていたのだわ」
「……おぉ……私もですぅ……(ふるふる)……」
何か切ない夢を思い出したのか、爆乳をふるわせ涙を流す恋音。
「僕も、そういうチョコを貰いたいんだけど今年もダメだったなあ」
どちらかというとあげる側に見えるゆなだが、久遠ヶ原では見た目と性別がカオスになり過ぎていて、どうでもよくなっている。
「……男の人はバレンタイン……は何時もそわそわ……するのはチョコ……食べたいからなのかな……?」
ずれた事を言ったように見える威鈴だが、あながちそうでもない。
お金では買えないチョコを食べたくてそわそわしているのは、事実なのだから。
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「だいぶ、残っちゃったのだわね」
会議終了後にも会議机には大量のチョコが残っていた。
「皆、自前のチョコを持ち込みしましたからねえ」
実は悠人も自作のガトーショコラとチョコマフィン。 恋音はホワイトチョコチーズケーキを人数分持ち込んで皆に御馳走している。
よって日持ちのするバレンタインチョコは、さほど片付かなかった。
「余った分は、皆で一つ残らず持ち帰って欲しいのだわ」
「本当ですか?」
目を輝かせる参加者たち。
うんざりするほど食べたはずなのに、まだ食べ足りないらしい。
「四ノ宮さんもチョコは好物だったはずでは?」
悠人が尋ねると、椿は鬱気味に顔を背けた。
「ここにあるチョコを食べると、今日の会議で見せつけられた、二組のカップルの甘々ぶりが口の中に蘇って、虚しい気分になりそうなのだわ」
浪風夫妻と、袋井と恋音をジロリと睨む椿。
「……おぉ……それは申し訳ありません……(ふるふる)……」
時に甘く、時に苦く、時には虚しいチョコの味。
人に愛を伝え、生気を蘇らせ、幸せを分け与えるそれは、まさに魔法のお菓子と言えるだろう。