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究極の氷菓。
それを生みだすべく、仄(
jb4785)がヒマラヤ山脈に登って一週間。
彼女は、ついに目的への足掛かりとでもいうべきものを発見した。
即ち、雪山に残された巨大な足跡である。
「むふ、これは定説通り、ヒグマのそれと考えるべきか……いや、その陰に隠された本、物の、イエティ、かもしれない」
なぜ、究極の氷菓作りにイエティが必要なのか?
イエティの体やその一部がアイスの材料、もしくはそれを作るための調理器具の部品として必要なのか?
「どうせ、イエティ、という、新種で、無いのならば、ギガントピテクス説、に、落ちつけたい気が、する」
ギガントピテクス、即ち、身長約三m、体重五百キロにも達したと言われる類人猿。
三十万年前まで生息していた痕跡が確認されているが、現在、生きたその姿を見た者はいない。
あるいは現生人類と全く違う文明を密かに築いており、それが究極の氷菓に通じると仄は考えているのだろうか?
「二足歩行の熊、では、芸が無さ過ぎるし、それではやはり、話題、と言うか、人々の、注目を、集めん、だろう。 何か、引っ掛るもの、が、ある筈だ。 それを、見つけ出し、世に問う、のが、今の、仄、の、務めな気がする、ぞ」
氷菓とは全く無関係な使命感!
その使命を遂げるべく、仄は雪山のさらに奥深くへと踏み入って言った。
「いや、真実は、仄、の、中一つでも、構わん。 兎に角、この、ヒマラヤ山脈、で、イエティ、の、痕跡を探すの、だ……!」
全くアイスクリームと関係がない気がするが、あるいは、究極の氷菓のレシピを伝授してもらうのにイエティの牙が必要とか、そういうRPG的なお使い要素なのかもしれない!
今は、仄の努力が無意味でない事を信じ、約束の日にそのアイスクリームが生まれる事を期待しよう!
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灼熱の国にいるのは秋姫・フローズン(
jb1390)、そして彼女の中にいるもう一人の彼女とでもいうべき修羅姫だった。
「無事……つきましたね……」
『日差し……強いな……』
飛行機のタラップを降りると、南国・インドネシアだった。
究極の氷菓に使用する材料探し、そして修行のため秋姫たちはこの地を訪れたのだ。
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慣れない土地で、風習や気候に悩まされながらも、秋姫は国一番と言われる氷菓職人の店に辿り着いた。
この国のアイスクリーム文化は、日本以上に豊かである。
ピサゴレンと言われる、バナナの揚げ物を利用したアイスクリーム。
エス・サラン・ブルンと呼ばれる、燕の巣を使った最高級のかき氷などが知られている。
秋姫の目指す究極の氷菓は、パフェ。
パフェの語源はパーフェクトであり、即ち、完璧なデザートを意味する。
「こんな感じ……でしょうか……」
『それで良いと……思うぞ……?』
氷菓職人に弟子入りし、修羅姫とともにその技術を学ぶ秋姫。
イエティ探しに比べると、究極の氷菓にだいぶ、近づいている気はするが、油断してはならない。
椰子の実生い茂る暖かな南国だからこそ、究極の氷菓に相応しいものが、身近に潜んでいるかもしれないのだ。
今は慎重に技術を高め、食材探しの視野を広く持つべき時だ。
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築田多紀(
jb9792)がアイスクリームと融合させたのは、同じく夏の風物詩でありながら、決して交わる事のなかった“あるもの”だった。
「出来た!」
多紀は、防寒服のまま震えた。
確かに寒いが、こんな寒さなんともない。
今の震えは、歓喜の震えだ。
究極の氷菓完成に必要な“あるもの”
それが今、この冷凍室でようやく出来たのだ。
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多紀が最初にした事は、世界屈指の飴職人に弟子入りする事だった。
まずは必要な果物やチョコレートなどの飴を作る。
材料は、金に糸目をつけず世界中から取り寄せた最高級の物。
飴を作るのは難しいが、やりがいがある。
しかも、そのまま食べるために作ったのではない、“砕くため”に作ったのだ。
匂い立つほど濃度が濃く、冷たくしても味わえる物になった飴。
それを、部品から作ったオーダーメイドの機械にかけ、糸状へと変幻させてゆく。
飴の糸を特別冷凍室内で棒に巻き付け、大きくしてゆく。
即ち“綿菓子”
綿菓子部分はもちろん、棒の部分でさえぱりっとした食感の棒状飴細工にしてある。
納得のいく大きさになったところで、綿菓子を最高級のジェラートに刺し、濃厚でファンタジックな森を作り上げた。
カラフルなこの森をトロフィー状の器に盛り、多紀の考える究極の氷菓は完成した。
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二週間前、ロジー・ビィ(
jb6232)だけは日本を動かなかった。
アイスクリームチェーン店“レジーナ”日本支社ビルにある冷凍室、そこで究極の氷菓を作り始めたのである。
用意したものは、海に浮かんでいた氷山の一角。
氷山の欠片を二m四方程に切り取ったものだった
「このロジー、腕に寄りを掛けて素敵なモノを創りましてよ!」
ロジーは、冷凍室の中、防寒着を着て氷を掘り始めた。
頭の中にあるのはポクロフスキー聖堂――モスクワは赤の広場にある七つの塔を持つ城である。
日本人にとっては、超有名ロシア製落ちものパズルゲームの、ゲーム背景になっている城として有名だ。
スピンブレイドなどを駆使して大雑把に形を造り、あとはノミと槌を振い、精巧に緻密に繊細に仕上げて行く。
純粋無垢な水晶を思わせるそれが、個性豊かな彫刻の為された七つの塔の本体へと姿を変えてゆく。
搭の上のドーム部分は、別彫りにする。
中にアイスクリームを入れるためだ。
色味が分かるように、透かし彫りにする。
城が仕上がったら、アイスクリーム等の氷菓を作る。
食紅や天然素材を使って作った虹色のアイスに、様々なジェラート。
虹色アイスは、一番高い塔のドームへ。
色とりどりのジェラートは、他のドームへと入れてゆく。
「んー…… 一応これで完成なのですけれど、インパクトが足りませんわ。 アグレッシヴさもアバンギャルドさも足りませんわね」
なぜ、大聖堂にアグレッシヴとアバンギャルドを求めるのか?
周りで見ていたレジーナ社員たちにはさっぱりわからなかったが、ともかくロジーはフルーツを彼らに用意してもらった。
フルーツの王様と呼ばれるドリアンを七つの塔の先端に刺し、周囲にも凍らせて
半生状態にしたフルーツを敷き詰める。
「ようやく……ようやく、これで完成ですわ」
夏真っ只中の二週間を、氷点下の冷凍室で過ごしたロジーは、涙の浮かんだ目でそれを眺めた。
「確かに、よく出来ているわ。 でもこの城にはまだ、欠けているものがある」
そう言ったのはレジーナの若き日本支社長・アダルジーザだった。
「それは、なんでしょう?」
「もう私が用意したわ――これから他の三人を空港に迎えにゆく、その間にロジーさんは準備をしておいてちょうだい」
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レジーナ日本支社ビルの冷凍室入口で、ロジーが帰国した秋姫、仄、多紀を出迎えた。
「お、お、お帰りなさいませ……」
頭に銀のティアラ、おとぎ話の女王様を思わせる雪色のドレスを着ている。
というか、アダルジーザに着せられたのだ。
ここは氷点下の冷凍室、ノースリーブのドレスでは寒い。
笑顔は凍りつき、歯の根がガクガク言っている。
「私が、ヒマラヤで、雪男を、探す間、日本では、雪女を、捕獲、したのか」
仄の言葉に、フッと笑うアダルジーザ。
「雪の女王よ。 氷の城に美しき城主がいなければ、気分が出ないわ」
「氷の城?」
ドレス姿のロジーに導かれ、冷凍室の奥へ入ってゆく、防寒服姿の秋姫たち。
その奥に、氷の城がそびえていた。
「これは凄い」
多紀が声をあげる
「食べてしまうのが……もったいないです」
秋姫も、城の美観に圧倒された。
これこそが、ロジーの考える究極の氷菓である以上、いずれは食べて壊すことになるのである。
「これを食べる資格があるのは、水の運動会で王者の栄冠を掴んだもののみよ」
「つまり、試食、は、出来ん、と?」
「中に入っているジェラートは、別にちゃんと用意していますわ」
ロジーが、寒さで鳥肌の立つ腕で、ジェラートを皆に配った。
「し、し、し、城を鑑賞しながら食べて頂ければ、気分が出るのではないかと――」
相変わらず、歯の根が合っていないロジー。
それでもスマイルを保っているのは、女王の誇りか。
この格好の提案者であるアダルジーザが、ようやく反省した。
「やめましょう、雪の女王が凍死寸前な時点で、気分が出ないわ」
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ロジーもようやく防寒着を着せてもらい、試食会が始まった。
色とりどりのジェラートのうち、多紀が真紅のジェラートを口に含む。
「む――」
充分な防寒着を着ているはずなのに、多紀の小さな体が凍りついたように動かなくなった。
「何のジェラートかしら?」
アダルジーザが尋ねると、ロジーはニコニコしながら答えた。
「赤のジェラートには食紅を使おうと思いまして――食紅を利用した日本の代表的な食べ物という事で、紅ショウガのジェラートに挑戦してみましたの」
「紅ショウガのアイスクリーム!?」
「うむ、美味い、商品化、すべき、だ」
仄は心の底から感心し、真紅のジェラートバクバク食べている。
アダルジーザが咳払いをする。
「オホン、ロジーさんのジェラートは個性的だわ、大抵の人は敬遠するけれども、ごくごく稀ーに、物凄く好きになる人もいるタイプの味ね」
「うむ、実に、美味い」
「まあ、お褒めに預かり光栄ですわ」
ロジーと、仄だけが、機嫌がよさそうだ。
「では、このまま全員の試食審査に移ります。 各々、自分の見付けた究極の氷菓を作り、ここへ持ってきてください」
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究極の氷菓第二弾は多紀のもの。
綿菓子森のアイストロフィーだ。
「冷たくて……ふわっとした……なんとも、不思議な食感です」
「それを食べ終えると今度は、棒飴のパリパリした冷たい食感が楽しめますのね――どこ一つ無駄のないところが、日本文化の“モッタイナイ精神”を感じさせますわ」
「夏ならではの、綿菓子に似たアイスなら誰の目も惹くだろうと思って」
概ね好評で、多紀の顔にも自信が満ちる。
「見た目の個性といい、食感といい申し分ないわね。 これは究極の氷菓候補に相応しいわ」
アダルジーザも絶賛した。
惜しむらくは、一品ものの機械と特殊な材料を使わねば再現出来ない事。
生産性が著しく低いため、口に出来る機会は、ほぼないだろう。
だがこれは、王者のみが口に出来る究極の氷菓の開発なのである。
希少性はむしろ、評価を上げる要素になる。
例え、生涯一度しか味わえなくとも、口の中に一瞬で消えてしまう綿菓子の印象と相まって、食べた者の心に永遠に残るのではなかろうか?
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皆、防寒服を脱ぎ、残暑の日差しも厳しい、社屋の屋上に出た。
食べ物には、それぞれ相応しい場所というものがある。
秋姫が用意した究極の氷菓は、当初予定していたパフェだけではなかった。
ココナッツミルクのアイスクリーム&シャーベットも別に用意してある。
「修行したインドネシアに沢山生えていた椰子の実――つまりは、ココナッツを利用しました」
大きな椰子の実に、そのまま入ったココナッツアイス。
スプーンで掬って口に入れると、独特の甘みが冷たく喉を潤してゆく。
「このトロピカル感! 氷の城の女王の次は、南の島の大王気分にさせてくれますわ」
「椰子の起源は、白亜紀、食べると、恐竜に、なった、気分だ。 よかろう、今度は、モケーレムベンベを、探しに、行くぞ」
ロジーと仄がどれぞれ、独自の言葉で美味しさを称賛した。
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「ココナッツはいわば前菜……こちらが主菜になります」
秋姫が出したのは、グラスに入ったパフェだった。
「普通のミルクパフェのように見えるけど」
スプーンで一掬い、それを食すアダルジーザ。
唇の内側でそれが溶けた瞬間、独特の香りと濃厚な旨味が口の中いっぱいに広がった。
「この香りは、牛乳じゃないわ」
笑顔で答える秋姫。
「山羊乳です……私が手で絞りました」
産地の牧場で手絞りした、山羊乳のアイスクリーム。
それをパフェの主体にしたのだ。
「山羊の乳は、牛乳より濃厚で、たんぱく質、脂質、カルシウム、ビタミン類が豊富。 ココナッツも脂肪を燃焼させる、美容に良い食品だと聞く、美味さと、健康感に満ち溢れたアイスだな」
多紀も健康知識を披露しつつ、満足げにそれを完食した。
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最後は、仄の考える究極の氷菓披露だ。
仄の手引で、なぜか、暗室に連れてゆかれる。
そこに用意されていた物を見て、皆は呆気に取られた。
光るかき氷。
神秘的だったり、透明感溢れる輝きをはなっているのではない。
蛍光色に輝く器に盛られ、蛍光色に光るシロップがかけられたかき氷だ。
「色は、蛍光紫と、オレンジだ。 見目が、良いだろう。この、蛍光を、出すのが、難しかった」
「た……確かに綺麗……だけど」
「食欲をそそるかどうかと聞かれると」
秋姫とアダルジーザが難しい顔をしている。
「本当は、夜光塗料、でも入れて、暗闇で、光る仕様に、したかった、が、食べれなければ、意味が無いのでな。 残念だ」
「そこに気付いていなければ、もっとすごい事になっていましたのね」
見た目に唖然のロジー。
「食べた感じ、普通のかき氷だな」
「夜店で売るには……ちょうどいいかもしれないですね」
食してみた多紀と、秋姫が何とも言えない顔をする。
シロップで蛍光色に光る唇で、アダルジーザが苦笑した。
「聞いた話だと、仄さんは氷菓の事は忘れて、イエティの虜になっていたのだから、まあ、仕方がないわね」
見た目と言い、味といい、素晴らしい氷菓子を食べたばかりの身には、凡庸に感じてしまう。
だが、仄の次の一言が評価を逆転させた。
「これ、は、帰り際、ヒマラヤ、からとってきた氷雪で、作った。 つまり、アレクサンドロス大王、が、食べたのと、同じ、もの、だ」
「それは!」
「まさに、王者に相応しい氷菓子だわ!」
冷凍技術の発達した現在、かつて命がけだった氷も簡単に持ち運び出来る。
だが、歴史上の偉大な王ですら、滅多に食べる事の出来なかったものだと思うとありがたさが数万倍に跳ね上がるのだ。
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「見た目でロジーさん、食感で多紀さん、味で秋姫さん、ありがたみで仄さん――それぞれが究極ね」
それがアダルジーザの最終評価だった。
「では……どうしたら?」
「簡単な事だわ。 ロジーさんの氷の城に、多紀さん、秋姫さん、仄さんの氷菓子を入れるのよ」
「なるほど、四つの、究極が合わさってこそ、真の究極、と、いうわけ、か」
こうして、究極の氷菓は、水の運動会の王者に相応しいものとして完成した。
いかな熱闘の末に誰が王者となり、究極の氷菓を口にした時、どんな顔をしたのか。
それは、また別の話である。