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「料理はコースが二種類がございます、どちらになさいますか?」
ウェイトレスが、送別会の出席者たちにそう尋ねた。
来賓としてこの送別会に出席した八人の撃退士は、同じ卓を囲む叶子の選択に注目した。
メニュー表の写真で見る限り、AコースもBコースも前菜のスープ以外に違いはない。
Aコースは、赤と黄の色彩がいかにも辛そうなスープ。
Bコースは、いわゆる普通の野菜スープが前菜だった。
辛いものが苦手だという事前情報からして、叶子はBコースを選ぶのが妥当かに思えた。
だが、はた迷惑なほど几帳面なだけはある。
叶子は視覚で判断せず、どういうスープなのか、ウェイトレスに尋ねた。
「Aコースのスープはベトナム料理のトムヤンクン、辛そうに見えますが実際は酸味の強い海鮮スープです。 Bコースのスープはハバネロ入り野菜スープ、辛さに加え、ニンニクとごま油の香りが香ばしく、食欲を刺激します」
叶子は迷わず答えた。
「Aコースにしてちょうだい」
Aコースのトムヤンクンを用意したのは黒髪長身の美女・紅 貴子(
jb9730)。
彼女は口元に微笑を浮かべ、隣席の少年に耳打ちする。
「やはり、こちらを選んだわね」
赤い目を持つ少年・仮面(
jb9630)が無言のままコクコクと頷く。
Bコースの一見、普通の野菜スープに見えるハバネロスープを考案したのは仮面だ。
その罠を避けられてしまったかに見えたが、実はこれが、撃退士たちが考案した仕掛けの一部だった。
出されたトムヤンクンを口にした叶子は満足げな顔をした。
辛さはほとんどなく、酸味が食欲をそそるスープだ。
一方、Aコースを選択した撃退士たちは脂汗をダラダラ流している。
特に顔が苦痛に歪んでいるのは、撃退士中最年長のミハイル・エッカート(
jb0544)だ。
「いや、これは辛い。 興味本位で世界一辛い唐辛子を選んじまった。 だが、このコースを選んだのは俺のミスだ、残さずに食べねばね。 叶子さん?」
ミハイルの真向かいの席に座る叶子は、すまし顔で答えた。
「そうね、自分のミスは自分で責任をとらねばならないわ」
瞬間、撃退士たちの目が、宵の明星を思わせる輝きを放った。
かかった!
この言質が欲しくて、二種類の前菜スープから選択をさせ、さらにミハイルが話を振ったのだ。
ミハイルは痛みに強い、痛覚である辛味など本来はものともしない。
苦痛に満ちた顔をしていたのは、野菜スープに苦手のピーマンが含まれていたからに過ぎない。
貴子が、ラベルの貼られていない小瓶を叶子の前に差し出した。
「トムヤンクンは、これを全体的にかけて召し上がるととても良い香りがするんですわ」
来賓の薦めに、外面のいい叶子は、素直に小瓶の中の花椒を振りかけた。
スプーンを口に運んだとたん、叶子の顔が大きく引きつる。
辛味。 痺れるような辛味が彼女の口内を攻撃しているはずだ。
通常、トムヤムクンに花椒はいれない。
だが、振り掛ければ痺れるような辛味をプラスすることができるのだ。
実際に花椒はさわやかな香りがするので貴子は嘘はいっていないし、かけたのは本人の判断だ。
叶子は一瞬、カマキリメガネの奥から貴子を鋭く睨み付けたが、文句を言う事は出来なかった。
「さあ、ここからが試練ですよ」
只野黒子(
ja0049)が、金色の前髪に隠した瞳を光らせた。
彼女が用意したのは、同じくベトナム料理のフォー。
米粉を使った麺であり、今回のコースの主菜である。
スープは醤油色で、全く辛そうに見えないが、チリソースや青唐辛子が効いており尋常ではなく辛い。
だが、自分で選んでしまったコース。
撃退士たちに引き出されてしまった言葉の手前、残すわけにはいなかった。
自分のミスは、自分で責任をとらねばならないのだ。
後悔の溜息を灼熱の温度にして吐き出しつつ、彼女は、トムヤンクンとフォーを食べきった。
「あ〜、次はエマダツィかあ、付き合うのが面倒くさいなあ」
ハーフ天使の嶺 光太郎(
jb8405)が、かったるそうに頭をかきながらぼやく。
彼が用意したエマダツィはブータン料理である。
外見は、ピーマン入りチーズフォンデュに見える。
そのせいか、ミハイルがかなり警戒をしながら、一口目を食べた。
そして、美味さに納得をした顔でうなずいた。
それを見て安心したのか、叶子もエマダツィを口にする。
とたん、彼女のコメカミに青筋が浮き出した。
辛いなどというものではない。
世界一辛いという評価すらある料理である。
ピーマンに見えたものは青唐辛子だったのだ。
一瞬、悲鳴をあげかけたが、世間体を何より重しとする彼女の事。
意志の力でそれを抑えたようだ。
会場のあちこちから悲鳴があがっている。
所員と撃退士の料理は、叶子のそれと同じ究極の辛味料理なのである。
叶子の部下たちには『叶子以外の参加者は料理は辛味を抑えるべきか』と尋ねておいたのだが、彼ら自身の希望で辛味を抑えるのは、この争いに関係のない来賓用の料理だけにしたのである。
「ハーブティーを用意しました。 お口直しにどうぞお召し上がりを」
蛇蝎神 黒龍(
jb3200)が爽やかな笑顔で、叶子にデザートのケーキとハーブティを差し出した。
「こちらは和風プチロールです。 一口でどうぞ」
タキシード姿が様になっているものの、黒龍は悪魔族出身である。
美青年然とした笑顔も、今だけは悪魔のそれに戻っていた。
彼が用意したケーキは、和カラシをふんだんに練りこんだスポンジと、刻み山葵を混ぜ込んだ山葵生クリームで構成されたものである。
罠から逃れるために飛び込んだ場所にあるのは、また罠。
甘味に救いを求め、頬張ったケーキ。
そこに潜んでいた伏兵に、叶子はついに悲鳴をあげた。
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地獄の食事が終わり、会場に司会者の声が響いた。
「では、今回の主賓であります上野叶子様に、所員御一同が心を籠めました花束の贈呈です」
大きな花束を二人で抱え、黒子と仮面が登場した。
小等部の二人が、フラワーガール、フラワーボーイの役目を仰せつかったのだ。
花束に入ったメッセージカードに叶子が気付いたのは、受け取ってすぐだった。
彼女は一枚目のカードを取り出すと、表情も変えないまま、黒子と仮面に言った。
「だめよ、こういうイタズラしちゃ」
カードには仮面の文字で『ラベンダーの花言葉 不信感』と書かれていた。
「面倒な事に、子供たちのイタズラではないんだな、これが」
光太郎が、小さな二人の頭に手を置きながらそう言った。
「その花束は、あんたの下で働いてきた所員さんたちからの嘘偽ざるメッセージさ」
地位のある賓客たちが、食事後に会場を去った事もあるのだろう。
地獄の食事を除けば、笑顔を取り繕ってきた叶子の目が、感情を顕わにした。
「なんですって!?」
かなり強烈なヒステリー持ちのようだった。
彼女は、『完璧な仕事をする自分が不信を買うわけがない、こんな事を撃退士に頼む部下がいたとするのなら、それは仕事の出来ない人間の逆恨みだ』という意味の言葉をマシンガンのようにまくしたてた。
その怒気は凄まじく、叶子の部下が心を病んでゆくのが、充分に理解出来るものだった。
撃ち尽くしたマシンガンの弾薬庫を交換しようと、叶子が水を飲んだその隙に、ミハイルが呟いた。
「表情を見ているか? あんたの部下たちのだ。 花言葉に籠めたメッセージが決して嘘じゃない事が、わかると思うがね」
叶子に向けられていたのは、『不信感』に満ちた視線。
彼女を信頼し、見守っている部下は一人もいなかった。
「感謝の言葉がないのは、若い子たちが礼儀を弁えていないせいよ! いなくなった人間は努力が足りなかったんだわ!」
ミハイルの言葉と、部下たちの視線に憤ったのか、叶子は貰ったばかりの花束を床に叩きつけた。
「可哀そうな事するな、花に罪はないやろ」
桐生 水面(
jb1590)が、そう言い花束を拾いあげた。
「今回みたいな割と陰湿な手に出たのは謝罪せんといかん。 せやけど、こういうことをされた原因について考えて欲しいんや」
ポニーテールの少女は、乱れた花の形を整えてやりながら、大人びた口調で言った。
「確かにあなたは仕事ができる。完璧やな。 ただ、その完璧さを部下たちにまで強要するのはどうなんやろ? みんなその結果疲れて仕事に影響を及ぼす悪循環。 努力が足りないと言うけど誰しも完璧には出来んもんや」
「私は出来るわ!」
「部下は上野さんやない、別の人なんや」
眉を曇らせながらそう言う水面。
彼女の持つ花束を、黒髪の美青年、鷹司 律(
jb0791)がひょいっと取り上げた。
彼は花束の中から、黒龍の用意したアザミと自らが用意したドクニンジンを取り出した。
「アザミの花言葉は『厳格』、ドクニンジンの花言葉は『貴方は私の命取り』です」
アザミはトゲを持つ紫色の花、ドクニンジン白い小さな花である。
「それが何よ? 私は貴方たちと違って、心持つ者の命を奪った事なんてないわ」
久遠ヶ原にいる以上、叶子もアウルの力を持つはずだ。
それを行使せず内勤に徹しているのは、心密かに荒事を蔑んでいるためらしかった。
「自覚がないだけで、奪っているのかもしれませんよ?」
律はゆっくりと首を横に振った。
「例えば 『天魔が病院を襲撃した。至急助けてほしい』 という依頼で 急いで駆けつければ助かる命も 貴方の手書きや文面の完璧への拘りで 貴重な時間が失われ 救えなくなります。 貴方の厳格さは依頼人と私達、双方の機会ロスと時間浪費であり命とりです。」
「仮定の話だわ、大体、仕事なんだから厳格にやって当然でしょ?」
開き直る叶子に、光太郎が頭をかきながら言った。
「あんたさー、むしろ厳格さが足りないんじゃない? 自分に対しての」
「な!?」
「労働基準法知ってるか? 残業や休日出勤して手当なしとか、ブラック企業とか違法行為言われてもしょうがねえだろ。ここは中世じゃねえんだからも少し考えたほうがいいよ」
叶子は、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「はん! 残業代? ミスしたり、トロトロ仕事をしたりしたらお金をもらえる制度の事? 怠け者の甘えじゃない!」
「だいたい万年筆で手書きとか時代遅れ過ぎるだろ。 それをやらない、遅い出来ない奴は努力が足りないって、あんた以外全員あてはまっちまうよ。 逆になんでPCじゃねえんだ。非効率だろいろんな意味で」
「上の方たちはそれを評価してくれるのよ、誠意を感じる仕事だってね。 私がこうして栄転出来た事が、その正しさを証明しているでしょう?」
取りつく島もないとは、この事だろう。
自分は絶対的に正しくなくてはならない。
この前提ありきで生きてきたがゆえに、自分と異なる意見は全て間違っていると否定出来てしまうのだ。
「あの女性はスイセンですわ」
貴子がそう呟いたのは、スイセンの花言葉がエゴイズムや、うぬぼれを意味するからである。
「でも、それを指摘したら、彼女はますますエリカの花びらの奥へ逃げ込んでしまうやろな」
水面が用意して花束に籠めたエリカの花。
その花言葉が示すかのように、叶子は会場にいる誰からも目を逸らしていた。
『孤独』という名の、柔らかな花びらの中へ逃げ込んでしまったのである。
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叶子と撃退士の間で五分近くも沈黙が続いた。
互いに己の主張を受け入れる事が出来ず、譲歩の余地がないのだ。
この状況を、事前から正確に予測していたのは、最年少の黒子だった。
仕返しのみは結局、両者の態度が硬質化してしまう。
それを徹底的に回避したいと彼女は思っていた。
だが、結局、こうなってしまった。
両者仲良くなるよう尽力したかったのだが、何を言えばその方向に進められるのか、見当もつかない。
これは、彼女が未熟だからではない、他の撃退士が言葉を誤ったのでもない。
叶子の周りの人間は黙り込み続け、問題を解決しようとしなかった。
十年以上も溜まり、発酵したガスが、ここで一気に爆発をした結果なのだ。
沈黙を破ったのは意外にも、言葉を持たない少年・仮面だった。
彼は、黙り込んでいる斡旋所所員たちの卓に歩み寄り、そこに置かれたままの食器を指差した。
そこにはいつの間にか、二枚のタロットカード、愚者と塔が置かれていた。
「もうお腹が空いたの? でも全部食べちゃったから……」
受付嬢のミアはそう答えかけて、仮面の真意を悟った。
二枚のタロットには『自分たちを省みて』という意味がある。
それが、空の食器に置かれているのだ。
「叶子さん」
ミアは立ち上がり空の食器を見せた。
「見てください、私たち、食べました。 ありえないほどの激辛料理を、所員全員が完食したんです」
「それがなに?」
叶子は苛立った声でそう答えた。
「あの料理、ただの嫌がらせじゃないんです! 花言葉と同じでメッセージなんです!」
「どういう事?」
「私たち、ずっとあなたに辛酸を舐めさせられてきました! それに比べたら、世界一辛い料理だってどうってことない! それを示すために、どんな事があっても完食しようって、みんなで誓い合ったんです!」
「あ、あの非常識な料理より、私の管理が辛かったですって!?」
料理の衝撃が、未だ舌を痺れさせている叶子は唖然とした。
自分の業務管理は正しく、当然だと思っていた。
だが、所員にとっては、非常識なほど辛かったというのである。
「あなたに謝れだなんて言いません、でも次の職場では同じ事はしないで下さい」
その言葉を受け、周りの所員たちも口を開き始めた。
「そうだ、過ぎた事はどうしようもない」
「問題に立ち向かわなかった俺たちが悪かったんだ」
「いい年して、若い撃退士さんたちに代わりに言わせるなんて本当にだらしねえよ、俺たち」
所員たちは花言葉で気持ちを伝え、激辛料理を完食した事で、多少なりとも自信を持ったようだ。
戸惑う叶子に黒龍が新たな二枚のタロットを見せた。
「皇帝の逆位置は『周りへの配慮を忘れずに』 司祭長の逆位置は『多様な価値観を認め、他人を認める事』って意味だ、それが出来ればあんたは一転」
黒龍はタロットをくるりと、正位置に持ち替えた。
「最高のリーダーになれる」
皇帝は『責任感の強さ』司祭長は『信頼』正位置だと、それぞれ意味が変わる。
「ほれ、最後の花言葉だ」
ミハイルが花束から抜いた一本の紫陽花を叶子に渡した。
「紫陽花の花言葉は、『無情』さ」
「本当に『無情』ね、十年以上頑張って、最後にこんな……」
「けれど、別の意味もある、その一つが『変節』さ。 恨みだけじゃない、変わって欲しいと彼女らは思っているんだ」
鬼に例えられた叶子の目に、涙が浮かんだ。
紫陽花は雨に打たれ、土壌が変わった時に、その色が変わるのだという。
土地を移した紫陽花が、優しい色に変わる予感を誰よりも叶子自身が感じていた。