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朝七時、味星家の庭。
「謳華兄ちゃん、朝飯出来たっすよー」
朝稽古をしている長男・中津 謳華(
ja4212)を、峻は二階の窓から呼び寄せた。
「了解した」
流派の演武を続けたまま、謳歌は返事をする。
峻はそのまま、三階へとあがり、二男・夜劔零(
jb5326)の部屋に入った。
「零兄ちゃん、ご飯っすよー」
零が目を覚ます。
「おはよ」
黒髪でいかにも頑強な肉体をしている長男とは対照的に、銀髪で引き締まった体つきをしている。
「なんすか、それ」
ベッドの周りに散らばっているお札のようなものを見て、峻が尋ねた。
「此は霊符って言ってな。 陰陽師が戦闘するのに使うのさ」
零は窓を開け、陰陽師としての技を弟に見せるべく、空に向かって実演を始めようとした。
「天地煉獄、黄泉の煉火。 壊刧刧火……」
「早く降りてくるッす、みんな待っているっすよー」
峻は、階段を降りて行ってしまっていた。
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「戦いには興味なしのようだな、峻は」
一階の洗面所で顔を合わせた長男と次男は、三男の心の向きに関して、認識を一致させた。
「撃退士ではないのか――こうなると、教えてやれることが思い浮かばないぞ」
「不器用なのは自覚しているが、ちゃんと、兄らしいことはできているのだろうかと不安になるな」
謳華、零、峻。
三人が兄弟になり、この家で暮らし始めた頃はぎこちなかった兄二人。
だが、怖じしない性格の峻に、ほどなく胸襟を開くようになっていた。
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「峻お兄ちゃん、おはようございますぅ〜」
台所で、配膳を手伝っている峻。
その背中に、パジャマ姿の神龍寺 鈴歌(
jb9935)がハグをした。
「ヘッヘヘッ、鈴歌ちゃん、今日も激きゃわだよ〜」
鈴歌を後ろから抱き上げ、朝から変質者まがいの声をあげているのは峻ではない。
桜花(
jb0392)、奔放そうな表情をした十六才の少女。
この家族ごっこでは、長女という事になっている。
「鈴歌ちゃんに、ちゅ〜しちゃうぞ〜」
「ふみゃ〜! 桜花お姉ちゃんの朝ちゅーがくるですぅ〜」
「桜花姉ちゃん、僕にもやって欲しいっす!」
峻が、滑らかな頬を桜花の前に差し出した。
「うっひょ〜! この家庭、ヘヴンすぎだよ〜」
メロメロになった顔で、鈴歌と峻の頬に唇を近づける桜花。
「ちゅ〜んっ……あれ?」
桜花の唇が吸っていたのは、黒くて固い金属だった。
「そこまでだ」
峻と桜花の間にフライパンを刺しこんだのは、凪澤 小紅(
ja0266)。
年齢的には桜花と一緒なのだが、身長を理由に峻の妹で三女というポジションを買って出ている。
家庭内ヒエラルキー的にはどう見ても、長女より上だ。
「小紅ちゃんもして欲しいの? ちゅ〜ん♪」
小紅のほっぺに、キスをしようとする桜花。
「や、やめろ、バカ姉ぇ!」
持っていたフライパンで、頭をガンッと叩く。
「痛っ〜」
「今朝も賑やかですね〜」
焼き上がったマフィンをトレイに乗せて食卓に歩み寄ってくるのは、美森 あやか(
jb1451)。
長い黒髪に童顔の少女だが、味星家ではお母さん的役割を担っている。
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「いただきま〜す!」
長男の謳華から順に零、桜花、あやか、峻、小紅、鈴歌と七兄弟が食卓についている。
食事の合間、零が峻に話しかけた。
「崚はどんな料理が好きだ。 俺は納豆が嫌いだ」
「なぜ、人に好きなものを尋ねて置いて、自分は嫌いなものを答える?」
七人もいながら、ツッコミポジが一人しかいない。
小紅にとって非常に、多忙な毎日だ。
「納豆嫌いな人って、茨城県で生存可能なんすか!?」
目を丸くする峻。
ここは久遠ヶ原、行政上は茨城県だ。
「納豆は日本の朝の要だ、それが嫌いとは感心せんな」
謳華は主食がマフィンなのに、単体で食べるつもりなのか、納豆をかきまぜていた。
鈴歌が窓の外を眺める。
晴天。
この週末は快晴が続くという予報だ。
「明日あたり、みんなでどこかに遊びに行きたいですぅ〜」
「なら僕、ピクニックに行きたいっす」
「いいですね、お弁当を持っていきましょう、重箱五段くらい?」
「少ない、デザート付きで十段だ、喰わんと強くなれん」
両掌を広げる謳華。
味星家は峻も含め、料理をするのが好きな者が多い。
なので、希望者で持ち回りしている。
明日の朝は当番が謳華なので、重箱の中身は和食になるだろう。
「零の分は、納豆巻きにしてやるからな」
いかにも厳格げな顔で言う謳華。
「勘弁してくれ」
他愛のない会話に兄弟たちは、笑顔を浮かべている。
その中で、小紅は真顔だった。
不機嫌なわけではない。
彼女は、両親を天魔に殺されて以来、笑う事が出来なくなったのだ。
小紅だけではない。 今笑っている撃退士中にもの幾人かは、同じような過去を背負っている者がいた。
あやか、鈴歌も家族を、零は親友を、桜花は年下の知人たちを、目の前で失っている。
自分がこの依頼を受けたのは、峻を救いたいからだけではないと、内心、理解していた。
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その夜。
桜花と鈴歌が、ソファー等の家具を片づけ、居間に広いスペースを作っていた。
そこに布団を運んでくる
「今日は、夜通しゲームと、枕投げだよー」
「寝ずにやるですぅ」
「なんだそれ、明日が辛くなるから、ちゃんと寝ろ」
妹に怒られた桜花が、プゥと頬を膨らませる。
「だって、小紅がフライパンガンガン叩いて起こすの一度やってみたいって、言ったんじゃん」
「小紅お姉ちゃんのために、寝坊するですぅー」
「そんな気遣いはいらん」
「俺も参加だ」
零が、自分の分の布団を運んできた。
「零兄ちゃん、女の子たちの間で寝たいんだろ? むっつりぃ」
「ち、違う! 俺は枕投げをやりたいだけだ!」
桜花が零をからかっていると、峻が風呂からあがって居間に戻ってきた。
「何してるっすか?」
「峻くーん、お姉ちゃんと一緒に寝るか、夜通しゲームやるかどっちがいいー?」
峻の目が輝く。
「なんすか、その両方逃すわけにはいかない選択肢は!?」
「だよねー、魅力的だよねー、じゃあ、両方やろー」
「待て! 私も参加する! 峻と鈴歌を桜花の毒牙で汚すわけにはいかないからな!」
小紅も布団を持ってきた。
「楽しそうですね、なら私も」
「枕投げもいい修行になる」
謳華とあやかも参加し、結局七人全員が居間に集った
ただ、枕投げはすぐ終わった。
零の一投目が、峻に直撃したからだ。
「す、すまん峻、目を覚ましてくれ!」
「撃退士の力で投げると、枕も凶器だな」
峻の好きなボードゲームで、夜深くまで過ごした。
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「起きろ〜!」
小紅がおたまでフライパンを叩く。
「う〜ん、あと三時間……小紅も一緒に寝ようよぉ」
寝ぼけ眼で、小紅を自分の布団に引きずり込もうとする桜花。
フライパンでガーンと殴られる。
「痛っ、冗談だってば!」
「ふみゃ〜! 寝坊したのですぅ〜、昨日準備しといてよかったのですぅ〜」
謳華とあやかは早起きしており、弁当も朝食もばっちり出来ていた。
「そう急ぐ旅でもあるいまい」
「慌てず、ゆっくり出発しましょうね」
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玄関から外に出ると、暑くはあるものの、爽やかな風が吹いていた。
「はぅ、お天気が太陽燦々なのですぅ〜♪」
「ピクニックか、楽しみだな」
謳華とあやかが戸締りを、何度もしっかりと確認した。
「出発前に、記念撮影するですぅー」
家の前で七人揃って写真を撮った。
謳華が無人の家に向かって、頭を下げる。
味星家のピクニックが始まった。
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羽上山。
自然豊かでなだらかな斜面を持つ、標高約四百メートルの山である。
登山道の脇には渓流が走り、山の中腹にある台地には湖を湛えている。
ゆっくり景色を眺めながらピクニックコースを登ると、お昼の時間になっていた。
山頂で、レジャーシートをしいてお弁当を開ける。
「うぉー、さすが十段重ね、大迫力っすわー」
「たーんと召し上がれ」
唐揚げ、和風ハンバーグ、たけのこと牛肉の煮物、彩り野菜炒め、山菜ご飯、七種類の色とりどりなおにぎり、卵焼き、太巻き、サーモンと油揚げの細巻。
どれも謳華とあやかが、存分に腕を振るったものだった。
「美味しいな。 やっぱ料理作りが上手いのは良いよな」
デザートも桃、パイン、キウィなど夏のフルーツを中心に、苺キャンディーゼリー、ミルクとフルーツの寒天など盛りだくさんだった。
七人で談笑をし、全てを平らげた。
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渓流。
ここでは釣りが楽しめる。
「魚をただ取るんじゃなくて、誰が一番多く取るか勝負しようぜ」
釣り道具を出しながら、零が悪戯な笑み浮かべる。
「この魚取りゲームで最下位だった奴は罰ゲームとして優勝者の命令を聞く、さらに各階の風呂掃除、荷物持ち、料理作り、マッサージだ」
「零兄さ〜ん、そういうの、自分でやる事になるフラグだよ〜?」
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零を挑発した桜花だが、蓋を開けてみると一人だけ全然、釣れなかった。
対して零は、順調に釣れている。
「君の釣った魚、私に譲らないかい? 数に応じて夕飯のおかずをあげよう」
ビリにだけは、なってはならじと、こっそり零に交渉を持ちかける。
「フラグとやらは、桜花の頭の上に生えてきたようだな」
冷笑で断られた。
峻とあやかは、ようやく一匹目。
譲ってもらう余裕はなさそうだ。
「たくさん捕まえるならお魚さんを網で掬うのですぅ〜♪ 網にエサを仕掛け魚を大漁ゲットで脱罰ゲームですぅ〜」
鈴歌は仕掛けた網を、岩の上からのんびりと眺めている。
待っているのも手持ちぶたさなので、他の兄妹たちの姿を探す。
少し上流に、謳華がいた。
「いた! 謳華兄さん、へるぷみー」
謳華は川に入り、水面を睨み付けていた。
「何やってんの?」
「うむ、魚をな――素手の方がよく採れる」
魚を睨むその目は、実戦の時の如き気勢に満ちていた。
「交渉出来る雰囲気じゃないなぁ」
桜花は、さらに上流に登る。
何分も歩き、かなりの上流に、やっと小紅の姿を見つけた。
「騒がしいと魚は逃げるし、魚は水の流れに逆らう習性があるから、上ってくるだろうと思ってな」
小紅のタモの中には、すでに相当数の魚が入っていた。
「少し譲っ」
「自分で釣れ」
「ですよねー」
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十六時半、勝負が終了し、集計に入った。
「見ての通り、坊主でやんす」
罰ゲームは桜花に決定。
「家事全部かぁ、誰か手伝ってよ〜」
桜花がぼやくと、零が小声で呟いた。
「心配するな、もう芝居も終幕だ」
あと三十分、十七時を以て、この任務は終了なのだ。
最後の日に、揃ってのお出かけを示し合わせたのは、家で終わりの時を待つよりは、出先で解散した方が、しんみりとしなくて済むと考えたためだ。
夕べ、居間に布団を敷き、皆での夜更かしをしたのも、楽しい家族の時を、一刻も長く噛み絞めたいがため。
零も、無意味だとわかっているからこそ、厳しすぎる罰ゲームを提案したのだ。
この一家が、あの家に帰る事はない。
峻だけは可能性があるが、その時、共に過ごすのは、この家族ではない。
峻の主治医が新たに手配する、別の家族なのだ。
『いろいろな家族と過ごさせて、記憶を刺激する』という療法なのだ。
峻に変化がない以上、今回の六人の中には、適切な人物がいなかった――それだけの話だ。
だからこそ、楽しいこの時間を、最後の一秒まで噛みしめていたい。
それは、皆、同じだった。
魚釣りで同数トップの小紅と鈴歌が、岩の上に魚を並べ、大きさを比べている。
「どうかな……?」
小紅がマジ顔になっていた。
「これは――小紅お姉ちゃんの方が少し大きいですぅ」
「やったー!」
思わず万歳する小紅!
「私が優勝だ!」
小紅の顔に、笑顔が浮かんでいた。
両親を失って以来、一度も笑った事のない小紅が――。
その事実に、皆が呆気にとられている中、小紅に抱きついた者がいた。
「真央……やっと笑ってくれたっす」
「え?」
「もう笑ってくれないかと思ったッす、櫂兄ちゃんの事嫌いになったかと思ったっす」
峻が体を震わせ、小紅の肩で泣いていた。
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味星 峻――本名は高橋 櫂
彼は、五人兄弟の四番目として育った。
両親は海外出張が多く、滅多に家に戻ってくる事がなかった。
だが、歳の離れた兄姉が、親代わりに可愛がってくれたため、屈託のない性格に育つ事が出来た。
一月半前、両親が見覚えのない男女を連れて家に戻ってきた。
峻の実父と実母。
彼らは、峻が一才の時に事業に失敗し、子供を健やかに育てられない状態に陥った。
やむを得ず、同じ姓で、親友でもあった両親に、しばらくの間、我が子を預かってくれるよう頼んだのだ。
その“しばらく”が、十年以上に及ぶとは思いもよらずに。
峻は、他の兄弟四人と血の繋がった子ではなかった。
兄や姉は事実を知っていながら、峻を実の弟として扱ってくれたのだ。
知らなかったのは峻本人と、妹の真央だけだった。
妹は、変わった。
峻に、笑顔を向けてくれなくなった。
十年間、兄妹としての笑顔を向けてくれていたのにだ。
その事が、峻には辛すぎた。
今後の家族を選ぶ選択権も、考える猶予も、峻には与えられていたが、ある日、逃げるように実父母の家に向かっていた。
その途上に起きたのが、あの交通事故だった。
心は、封印したいものを、封印してしまった。
小紅が初め浮かべた笑顔が、その封印を砕いたのだ。
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「思い出したっす……笑わなくなったのは、真央じゃなく、僕が先だったっす。 血の繋がりがないのに、兄ちゃんだって騙していたんだ、そう思って笑えなくなったんす。 だから真央も、僕に笑いかけてくれなくなったんす」
夕日に染まりかけた空の下、峻は啜り泣いた。
その涙を、あやかがハンカチで拭いてやる。
「もう、お家に帰る時間ですよ」
空は夕焼け。
時刻は十七時を過ぎていた。
「帰るっす」
どこへ――とは誰も聞かなかった。
峻は、兄弟たちを真っ直ぐに見つめた。
「謳華兄ちゃん、零兄ちゃん、桜花姉ちゃん、あやか姉ちゃん、小紅、鈴歌。 血の繋がりはないけど、僕はみんなの事、ずっと――」
「当たり前だ」
謳華が、静かだが重みのある声で峻の言葉を遮った。
「改まって言うことでもないぞ」
零も、兄らしくたしなめる。
「車に注意してね」
あやかは、お母さんのままだった。
「血が繋がらない姉弟って、ロマンだよね〜」
桜花も、平常運航だ。
「注意しろよ、こういう変態にもな」
小紅は、より自然な笑顔を浮かべていた。
「峻お兄ちゃん、今日は楽しかったですねぇ〜♪」
鈴歌は、ふんわりした笑顔を浮かべた。
今日は楽しかった、だが、明日から楽しくなくなるわけではない。
久遠ヶ原の家では一緒に暮らせなくなる、それだけだ。
絆に、何の変化もない。
特別な言葉も必要ない。
「じゃ、行ってくるっす!」
出発する家族にかけるのは、
「行ってらっしゃい」
この一言で、充分だった。