●
その夜、鈴代 征治(
ja1305)は、夜道を歩いていた。
全身に包帯を巻き、顔には深い苦悶の色が浮かんでいる。
普通っぽい少年の普通でない様子に、すれ違う人々は皆、不審か不安の視線を投げかけた。
久遠ヶ原島内を徘徊し続けた征治が、人気のない住宅街の角を曲がった時、『それ』と遭遇した。
「あ!」
「うわっ! チルルさんじゃないですか!」
雪室 チルル(
ja0220)、久遠ヶ原学園内では有名な青髪元気っ子である。
有名である理由は、本人曰く『学園さいきょー』な戦闘力にもあるが、それ以上に――。
「見つけたわ、あんた! 黒歴史の騎士でしょ!」
話しただけで不安になる、頭の出来具合にある。
「違いますよ、僕です、鈴代 征治です。 黒くもないし、騎士でもないじゃないですか」
普段黒い学生服を着ている征治だが、今日に限っては夏服のYシャツを、包帯でぐるぐる巻きにし、黒い部分はほとんどなかった。
チルルとは任務で何度か顔を合わせた事がある。
だが、チルルの脳は黒歴史の騎士探しで容量が一杯になり、それ以外は別メディアに隔離保存してしまっていたようだ。
過去の任務での事をいろいろ征治が話し、ようやくチルルは征治の記憶をメインメモリに乗せてくれた。
「ああ、思い出したわ、普通の人ね。 こんなとこで、何してんの?」
「多分、チルルさんと同じですね、黒歴史の騎士を探しているんです」
普段は制服か、夏なら白のサマードレスが印象的なチルルだが、今日は厨二感たっぷりな黒ロングコートに青色のアクセサリという姿だった。
「そのファッション、光速の異名を持ち重力を自在に操る高貴なる女性騎士な感じですね」
「そうなのよ! ブティックの店員にもそう言われたのよ! 何か強そう感じだったから、即買いしたのよ!」
><な笑顔で嬉しそうなチルル。なお別に某RPGの主人公に似ている訳ではない。
その店員に完全にバカにされているか、店員も完全なバカなのかどちらかなのだろう。
征治が何からツッコむべきか迷っていた時、その目の端に巨大な影が映った。
住宅街の舗装堂をガシャガシャと金属音を立て歩いてくる、巨大な黒い全身鎧。
「来ました! 黒歴史の騎士です!」
●
騎士は野太い声で問いかけてきた。
「我は問う、汝、忌まわしき過去ありや?」
噂通りの行動だ。
征治は生唾を飲んだ。
用意していた答えはある。
全身に巻いておいた偽包帯が、その伏線だ。
相手が怪人といえど、恥ずかしい過去は知られたくない。
だが、元々は雄介という好青年だったようだし、元に戻ったら、お互いだけの秘密という事で忘れてもらえれば――。
というのが、征治がこの赤っ恥前提な任務に対する期待だった。
だが、間の悪い事に知り合いに、チルルに出会ってしまったのだ。
知り合いに黒歴史を知られるのは、征治の計算にはなかった。
「我は問う、汝、忌まわしき過去ありや?」
騎士が、征治に近づいてきながら、再び訪ねてきた。
『ない』と答えると逃げられてしまうらしいので、仕方なく答える。
「ありま――」
言いかけた征治の背中を、真冬のような寒気が襲った。
チルルが、冷気を纏いながら黒歴史の前に歩み出たのだ
「あたいの名はチルル………世に大いなる冬の到来を告げるものよ」
ドヤ顔で見栄を切るチルル。
「ああ……恐れることはないわ。あんたにも冬が訪れた。 ただそれだけの話!」
騎士が首を傾げている。
征治から見ても会話が噛みあっていないし、第一、意味がわからない。
「あの、チルルさん、意味がわからず、騎士が困ってるみたいなんですけど」
征治が耳打ちすると、チルルが起こり出した。
「あんたたち! 何でわかんないのよ! やっつけるって言ってんの!」
「普通に言えばいいじゃないですか?」
「ダメなのよ! 恒之に『これを覚えて、間違わずに言え』って言われた台詞なのよ!」
「恒之って、依頼人の方ですよね。 道理でチルルさんにしては難しい単語が並んでいると思いました――というか、そんな難しい事を覚えるくらいなら、チルルさんの恥ずかしい過去を普通に言えばいいじゃないですか?」
「カコとかあんまり覚えてないのよ! そしたら恒之が『歴史は振り返るものじゃなく、作るもんだ』とか言って、台本を書いてくれたの!」
「あー、そういう事ですか」
恥ずかしい過去がない、もしくは覚えていないのなら、これからそれを作ってしまえというのが恒之の方針らしい。
「もう! あんたと話していると、暗記したのを忘れちゃうのよ!」
脳内の過去ログが消えかかっているらしく、チルルは焦って早口で騎士に捲し立て始めた。
「さあ、審判の時は来た! 冬に抱かれて氷獄に沈むがいい!」
ぶわっとマントを翻し、武器である大剣に封砲をチャージし始めるチルル。
「カマック……ラーノナ……カヌィコタツ……トゥミ……カン……」
途切れ千切れで、もはや忘れかけている呪文を懸命に思い出そうとしているのがありありである。
よく聞くと恒之が適当に考えた呪文だとわかるだが、チルルは素直なので間違えまいと必死だ。
「最終奥義!『フリギトゥス=カノーネ』」
チルルが叫んだ瞬間、黒歴史の騎士が突如チルルの眼前に駆け込み、右脚でチルルの大剣の刀身を蹴り付けた。
「え?」
膨大な氷結エネルギーをチャージしていた大剣の切っ先が、チルル自身へと向きを変える。
吹雪色の輝きを帯びた衝撃波が闇夜を裂き、チルルの顔を直撃した。
数秒後、征治の足元には、カチコチに凍り付いて気を失ったチルルがいた。
「チルルさん! うそでしょ!?」
チルルはバカキャラではあるが、戦闘の達人だ。
普段なら、あんなタイミングの前蹴り、絶対に喰らわないだろう。
だが、恒之に教えられた口上を間違わずに言う事に全能力を注いでいたがゆえに、文字通り、自爆してしまったのだ。
「痛し、痛し、我が心は六の衝撃を受けた、だが未だ屈せぬ 計二百の衝撃を受けぬ限り、我が黒歴史の力は失せぬ」
今のチルルの厨二的言動は、六ダメージだったらしい。
当人はまだ自覚していないだろうが、将来、チルルが成長した時に、布団の中で思い出して『うわー』って なるレベルの恥ずかしさなのだろう。
「汝、忌まわしき過去ありや?」
再び、征治に問うてくる騎士。
チルルがやられた事は衝撃だが、征治にとってはチャンスである。
他人に聞かれず、黒歴史を騎士にぶつけられるのだ。
チルルの攻撃の余波で、解けかかった包帯を巻き直す。
まずはバンテージよろしく手に。
三角巾で肘に。膝や足首にサポーター代わりに。
頭にも片方の目を隠して雑に巻く。
今まで普通に歩いていたのに、突然、足を引きずり、腕を庇いつつ苦悶の表情で歩き出す。
「……ち、こんな時に『奴』が疼きだしやがった、 ダメだ、今この封印を解けば耐えられない! だがやられる訳には!」
普通少年の征治だが、昔、こういうのがかっこいいと思っていた時代があった。
捻挫、骨折などで友達が包帯をしてるのを見て『傷は男の勲章』と感じていたのである。
確かに、スポーツや、戦いなどで受けた傷なら名誉の負傷と呼べるのかも知れない。
だが、征治はとにかく包帯姿が羨ましく、特に何かしたわけでもないのに、自分の身体にぐるぐる巻いて、感嘆の溜息を吐いたりしていた。
今、恥をしのんで、その頃の再現をしてみているのだ。
●
その時、背後に女の子の声がした。
「貴方も闇の力が抑えきれずに昂ぶっているんですよね……ふふふ」
少女は、右目に眼帯をし、髪を黄色いリボンでポニーテールにまとめていた。
名を狩霧 遥(
jb6848)という。
「ようやく巡り合えました、私と同じ闇の眷属たちに――」
遥は、黒歴史の騎士と、征治の元に歩み寄り、二人の手を同時に握った。
本気で仲間だと思っているのだ。
「違います! 僕は本当、違うんです!」
征治は、慌てた。
騎士以外誰も見ていないと思えばこその渾身の演技だったのに、思い切り見られてしまったのだ。
遥は、征治に妖しげな含み笑いを向けた。
「フフフ……隠さなくていいんですよ、包帯の下の貴方の目は常闇なんですね?」
「はあ?」
「その証拠に、私の眼帯の下の常闇と共鳴しているんですよ――そして、黒歴史の騎士さん、貴方の兜の下にある常闇ともね」
「常闇って、何?」
目を点にしてパチクリさせる征治。
「今はまだ、それを知るべき時ではありません――もうすぐわかりますよ、そう、もうすぐね――」
クククッ、と笑うと遥は騎士と征治に背を向けた。
「……近いウチにまたお会いしましょう、闇の眷属の同胞さん」
駆け出してゆく遥。
遥の背中に向かって、騎士が呟く。
「痛し、痛し、我が心は七の衝撃を受けた」
確かに今の娘は痛かった――思わず同意してしまう征治。
続いて騎士は、征治に向かっても呟いた。
「痛し、痛し、我が心は十の衝撃を受けた」
「今の娘より、僕の方が痛いの!?」
カビーンとショックを受ける征治。
もうここから姿を消したい。
その一心で、発煙手榴弾を投げる。
「い、命拾いしたな!」
とりあえず、捨て台詞くらい吐かないと屈辱感が紛れそうにもない。
あとは、ひたすら逃走である。
こうして、撃退士と黒歴史の騎士の戦いは、その第一夜目を終えた。
●
第二夜。
『黒歴史の騎士殿。我、貴殿と剣を交えたし。丑二つ時、高等部校舎の裏門にて待つ』
掲示板その手紙を貼ると騎士は、律儀に時間を守って校舎裏に現れた。
手紙の主は、黒いロングコートに大量のチェーンと十字架を着けた少年、咲魔 聡一(
jb9491)だった。
普段は黒髪に眼鏡という真面目っ子スタイルの彼だが、今日は赤メッシュを入れ、片目に赤のカラコンを付けている。
全身各所に、包帯を巻いていた。
やはり包帯は厨二心をくすぐる定番アイテムらしい。
騎士の姿を認めた聡一は、大声で名乗りをあげた。
「やはり導かれたか、我こそは腐敗せし屍の上に咲ける魔性の一輪花、名をソード=サクリファイス! 喰らうがいい、我が愛剣、呪われし牙の一閃を!」
騎士に斬りかかる聡一。
騎士は、剣を抜き、それを受け止めながら尋ねた。
「汝、忌まわしき過去ありや?」
「フフッ、我には、人を殺めし過去あり――」
聡一は不敵な面構えで答えた。
「黒歴史の騎士よ! 貴殿の掌からは人血の匂いを感じぬ!」
●
実は聡一が人を殺したのは、自分が脚本を書いたお芝居の中での話である。
それでも、この場ではなんとなく上から目線になれるのだった。
「先刻より我が鼻腔を擽りし死の香り、やはり、咎人か」
騎士の声が震えていた。
真に受けちゃっているのだ。
(楽しいけど何故だろう、大切なものを失っている気がする……)
聡一の意識が演技の世界から、外に出始めた時だった。
●
十四夜の月の下、校舎の屋根でツインテールの影が叫んだ。
「他人の黒歴史を曝くつもりで自らの黒歴史を築くとは、まったくもって傍ら痛い……悪に美学を、正義に鉄槌を!」
黒髪の女子高生、沙 月子(
ja1773)が改造済み儀礼服を纏い、校舎の屋根に立っている。
月子の出現に、慌てたのは騎士ではなく聡一だ。
「あ、やば、見られてた」
他の撃退士とバッティングするとは想定せず、思う存分、自分の世界に浸ってしまっていたのだ。
しかも、バッティングしたのは一人ではなかった。
校舎向かいの時計塔。
その先端には、黒いタキシードにシルクハット、マントにハロウィンのカボチャマスクという出で立ちの少年、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が立っていたのである。
「いやあ、良い月夜ですねえ。 こんな月夜に悪事は無粋……そうは思いませんか?」
月を背にしたエイズルレトラの全身がスポットライトに包まれる。
「奇術『師』? ……いいえ、奇術『士』です。 『奇術』を操る撃退『士』……奇術士エイルズ参上!」
『士』とか『師』とかいう漢字の差を口で伝えてもわからないため、懸命に指で空に文字を書いてみせているのが可愛い。
校舎の屋根の月子と、時計塔の上のエイズルレトラは示し合わせたわけでもあるまいに、同時に飛び降りた。
「悪の秘密結社(自称)総司令がお相手仕ります! とうっ」
「この夜(よ)に我がいる限り、悪の栄える道理なし……とう!」
余りにも相反しすぎている口上に、聡一は思わずツッコんだ。
「もう、きみら二人が戦った方がいいんじゃないかな?」
何だかバカバカしくなってきた上、顔を見られるのも恥ずかしいので、聡一はとっとと去る事にした。
先輩である雄介が完全に救われるまで見届けたい気持ちはあるが、出来る限りの事はやったはずである。
「痛し、痛し、我が心は五の衝撃を受けた」
コートを夜風に翻し、去ってゆくその背中に、黒歴史の騎士が採点を告げてくれる。
呼び出し時間を厳守するだけあって、実に律儀な怪人である。
『ありがとう』と、手を振り聡一は去って行った。
あまり変な世界に深入りしない方がいいな、と痛感しながら。
●
壁走りで校舎の壁を駆け、騎士に肉薄してゆくエイズルレトラ。
「汝、忌まわしき過去ありや?」
「え、黒歴史? そんなもの、私にはありませんよ。 はーははははははは!」
今していることが、まさに今後の黒歴史になるはずだが、エイズルレトラは将来の事なんか考えてないっぽかった。
ギャンビット・カードと言われるカードをアウルで作り出し、それを騎士の鎧の隙間に差し込む。
「アインス……ツヴァイ……トライ! エクスプロード!」
挟んだカードが、カウント終了と同時に爆発する。
カウントはドイツ語なのに、爆発は英語だが、カッコ良ければどうでもいいのである!
●
一方、月子の方は出遅れていた。
校舎の屋根から飛び降りたは良いが、着地に失敗してしまったのである。
だが、悪の威厳を保つため、何事もなかったかのように立ち上がり、お尻から痛みが引くのを待ってから、戦っている二人の元へ歩み寄った。
お手製ブックカバーをかけた本に向かって、語りかける。
「今こそ目覚めよ、呪われし魔導書よ、古より伝えられし秘術を我に!」
この魔導書、ゲーティアという名であり、持ち主を不幸にするという逸話がある。
着地失敗も、あるいはこのせいかもしれないが、攻撃の際に出てくる牙やら爪やらが、厨二臭くてかっこいいので、手放す気はなかった。
ギャンビット・カードとゲーティアに左右から攻撃され、無事ではいられるはずはない。
そのはずだったが、騎士は傷つき、鎧から煙を出しても動ずる様子がなかった。
自己暗示で異常に力を増しているというのは、本当らしい。
「自らの罪の重さを知りなさい」
月子が虚空から無数の釘を出現させた。
相手の罪を貫く、獄卒の釘である。
だが――。
「我に罪なし、無罪放免を乞う」
考えて見ればこの騎士、変な格好で夜中に徘徊して質問をしているだけで、特に悪い事をしているわけではないのだ。
法律を詳しく調べれば軽犯罪なのかもしれないが、たぶん、『事件』に至らず『事案』止まりであろう。
チルルを吹っ飛ばしたのは正当防衛だし、銃刀法違反とか、久遠ヶ原では無粋である。
「ふふ、今日のところはこれで勘弁して差し上げます」
攻撃を諦め、瞬間移動で去る月子。
「オ フヴォワーフ」
今度はフランス語だ。
格好良ければ統一性なんかどうでもいいっぽい、エイズルレトラ。
「痛し、痛し、我が心は七の衝撃を受けた」
「痛し、痛し、我が心は十二の衝撃を受けた」
月子に七、エイズルレトラに十二という高評価を与えて、黒歴史の騎士は夜闇へと消えて行った。
第二夜目はこうして幕を閉じた。
●
「うぅ……恥ずかしい」
明音(
jb8807)は島の電柱に『黒歴史の騎士よ僕と勝負!! 深夜二時に僕お部屋で待つ』と書いたポスターを貼った。
その夜、想像以上に後悔した。
任務とはいえ、自分で思い出すのすら辛いことを、他人に話したくはない。
明音は、話下手で線の細いタイプなのだ。
午後二時ジャスト、明音の部屋のインターホンが鳴った。
「は、はい」
『我が名は黒歴史の騎士――此の地、明音の住処なりや?』
「そ、そうです」
ドアを開け、騎士を招き入れる明音。
騎士は、ハンカチでちゃんと足の裏を拭いてから玄関にあがってくれた。
「どうぞ」
騎士は明音の部屋に入ると、薦められるまま座布団に正座した。
「汝、忌まわしき過去、ありや?」
お茶を出した明音を前に、騎士は件の問いかけをした。
明音は、恥ずかしそうに俯きながら告白する。
「僕、昔、天界では音を司る者だったんです」
騎士は、お茶を飲もうとして、兜が邪魔である事に気付き、諦めている。
「騎士さん、何も言わないで下さい、まずはその時の歌を聞いていただけますか?」
うなずく騎士。
明音は唄い始めた。
常人の観念からは、歌とは呼び難い歌だった。
歌詞は、厨二病患者が妄想した呪文の詠唱ぽい内容。
音程に至っては、某超有名ガキ大将のリサイタル並だ。
「ど、どうでした?」
騎士は、しばらく固まっていた。
だが、死んではいないようだ。
やがて、重々しく口を開いた。
「汝、臥薪嘗胆の過去を持ちしものなり」
図星を突かれ、明音の目に涙が浮かんだ。
「そうです、そうなんです、辛い日々でした」
歌を司るものと言えば、誰もが歌の名手だと思う。
いわば専門家である。
だが、専門家がその分野において素人以下の実力しか持っていなかったら?
その生活が、とても辛いものになる事は、誰の想像にも難くない。
事、明音は音を司る天使として英才教育を受けて来た。
それが、全く花開かなかったのである。
罵声と否定の言葉に塗れた日々。
隣には、自分と同じ教育を受け、順調に育っている兄がいる。
明音は劣等感に耐えられず天界から逃げてきたのだ。
「痛し、痛し――」
評価をしかけて騎士は、突如、言葉を止めた。
何かを思い付いたかのように立ち上がり、明音に語りかけた。
「我、汝に会わせたきもの在り」
「僕に、会わせたい人ですか?」
明音が騎士に連れられ、夜の公園を歩いていると、突然、エレキギターの音が響き渡った。
「Invaaaaaaaaaaaaaaaade!!」
シャウトとともに、夜空から闇の翼を広げた銀髪の女悪魔が舞い降りてくる。
メイヘム・スローター(
jb4239)である。
身を体制や伝統への叛逆の象徴であるパンクファッションに包み、ピアスやメッシュで彩っている。
厨二病の中学生が、部屋にポスターを飾りそうなスタイルだった。
「黒歴史の騎士よ、貴様が来るのを待っていた! 我が名はメイヘム・スローター!宵闇を駆ける殺戮の執行者なり! Invaaaaaaaaaaaaaaaade!!」
荒々しい演奏とともにシャウトし続ける、メイヘム。
明音は、茫然とその様子を見ている。
その背中を、騎士はメイヘムの前に押し出した。
「汝、この者を師と仰ぐべきなり」
「この人に弟子入りしろと!?」
呆気にとられる明音。
「天の歌そぐわぬなら、地獄の歌、汝を歓待するやもしれぬ」
天界の歌が下手でも、地獄を想起させるヘビメタなら上手く歌えるかも、と騎士は言っているのだ。
「何なんデスか、アナタたちハ?」
相手の様子がおかしい事に気付いたメイヘムが、演奏を止めて歩み寄ってきた。
●
「そういう事デスカ――で、アンタ、やる気ありまス?」
明音に尋ねるメイヘム。
「もう成り行きですし、少しでも劣等感が晴れる可能性があるなら、ダメ元でやってみます」
明音は溜息混じりに頷いた。
極めて、流されやすいタイプのようである。
「じゃあ、まずアタシについてシャウトしてください――Invaaaaaaaaaaaaaaaade!」
「は、はい、iNVAAAAAAAAAAAAAAAADE!」
「音程がめちゃくちゃデスヨ! 大文字と小文字が、逆さまデス!」
「こ、こうですか? Invaaaaaaaaaaaaaaaade!」
「今度は発音が全角っぽいです! 半角的発音じゃないとダメデス!」
「よくわかりません!」
その後も、二人は黒歴史の騎士が見守る中、特訓を続けた。
数時間後。
「もう無理です、喉が潰れて――」
かすれ声の半泣き顔の明音。
「これは時間がかかりそうデス」
途方に暮れた顔のメイヘム。
天国、地獄に関わらず、明音のところに音程様は来てくれないようだ。
●
「我、汝に会わせたきもの在り」
「またですか!?」
「面白そうだから、着いてゆくデス」
満月の下、騎士に連れられ、明音とメイヘムがやってきたのは森の奥の小さな祠だった。
そこには銀髪金眼の小さな女の子、白蛇(
jb0889)が待っていた。
「知人にわしの身の上話をしてやるよう頼まれたのじゃ」
白蛇も、手紙で騎士を呼び出した口である。
「まずは自己紹介じゃ、わしは白蛇、力と記憶を失い、人の身に堕ちた神である。 白蛇様と呼ぶがいい」
「汝ら、此の神に願をかけるが良い」
なぜか、騎士が明音とメイヘムに促している。
「イヤですヨ!? 大体、この子供、本当に神サマなんデスカ!?」
「白蛇様、お願いがございます」
明音は、やはり流されやすかった。
「なんじゃ?」
「音痴を治したいのですが、出来ますでしょうか?」
白蛇は腕を組んで考え込む。
「ふむ、嘗ては完全な人の身であったが、はーふ化の技術により神性の一部を引出す事に成功したのじゃ」
「本当ですか? なら!」
「まあ、それでも嘗ての一割どころか一分、一厘にすら届かぬ有様じゃが ……やがては荒神の、負の神性をも引き出せれば良いのじゃが、さてはて」
「要は、『出来ない』って事デスネ」
ガクッと肩を落とす明音。
失望されたのを感じた白蛇が、祠の奥む手招きをし、何かを呼び出す。
「待て、わしの司……召喚獣を紹介しよう千里眼、堅鱗壁、千里翔翼、そして神威、我が神性の一部を司った分体じゃ、負の神性も僅かばかりは引き出せるようになったが、まだまだじゃのぅ」
「要は、『努力はしているから、期待せず待て』って事デスネ」
「みたいですね」
肩を落としたままの明音。
「とまあこんな所じゃ、騎士退治の役に立ったかの?」
白蛇に言われ、ようやく明音とメイヘムは思い出した。
本来の目的は、音痴の矯正ではなく、黒歴史の騎士に精神ダメージを与える事だったのだ。
「痛し、痛し、我が心は十五の衝撃を受けた」
明音に向かって、改めて評価する騎士。
「痛し、痛し、我が心は六の衝撃を受けた」
これは、メイヘムへの評価。
「痛し、痛し、我が心は六の衝撃を受けた」
白蛇への評価もメイヘムと一緒である。
明音の評価だけがとびぬけて高いが、これは今夜、他人に引き合わせて痛い目に遭わせてしまった詫びを籠めてのものなのだろう。
「全く悪人には見えなかったのう」
騎士が去った後、白蛇が呟いた感想がそれだった。
「元に戻してやりたいものじゃが――」
ここまで黒歴史の騎士に立ち向かったものの報告を依頼人が累計し報告してくれた。
合計七十四ダメージ。
指定された二百ダメージには到底、及ばない事がわかる。
しかも、立ち向かう意志を持つ撃退士はあと二人だけ。
必殺の一撃を与え、騎士を元の雄介に戻せるものは現れるのだろうか?
●
第四夜目。
金髪ストレートの小学生、アヴニール(
jb8821)はウサ耳メイド姿で公園のベンチに座っていた。
昼間、パトロールをしたり、空き地で待っていたりしたのだが、そんな恰好なものだから、声をかけてきたのは、ハァハァと息の荒い、怪しい人間ばかりだった。
昼間は騎士が現れないとわかったので、仕方なく電柱に『汝、我に勝てるかや?』と張り紙をし、夜、この公園で待機している。
アヴニールと一緒にいるのは、城前 陸(
jb8739)。
ボブカットのボクっ娘、女子高生だった。
「そのノートはなんじゃ?」
アヴニールに尋ねられ、陸は膝の上に乗せたノートを表にした。
表題には『ぼくのかんがえたさいきょうのせいぎのみかた』とある。
「ボクの考えた『オヒナサマーン』というヒーローです」
ノートの中には、雛祭りにちなんだ『オヒナサマーン』の主題歌、必殺技、巨大ロボ等々記載してある。
「おお、かっこいいのう」
「依頼人の恒之さんに相談したところ、これがいいと助言を貰ったんです、なぜでしょうか?」
「ふむ、大人の考えることはわからぬのう」
揃って首を傾げる、陸とアヴニール。
恒之としては、数年後に黒歴史となると見込んでいるのだが、この二人はそんな疑問を抱かないほど純粋だ。
「アヴニールさんは、騎士さんに何をぶつけるつもりなんです?」
そう陸が尋ねた時、背後から金属鎧の歩行音と、低くくぐもった声が聞こえてきた。
「汝、忌まわしき過去ありや?」
振り向くと、黒い全身鎧の騎士が立っている。
「出おったな、黒歴史の騎士」
騎士の前に飛びだしてゆく、ウサ耳メイド。
「我、黒き翼を纏いし、光を持つ者、アヴニール」
そう名乗り、掌に雷の剣を出撃させる。
「光陰の者、陽光の者、全てを包みし闇に罪を委ね、灰燼と還れ! 雷光衝撃剣(サンダーブレード)!」
自分で考えた口上を懸命に述べ、斬りかかった。
黒歴史の騎士も自らの剣を抜き、アヴニールと剣撃戦を始めた。
小柄な体で必死に剣を振るアヴニールに対し、鎧を着ていると身長二mを越す騎士の動作は、重量感に満ち、極めてゆったりしているように見えた。
「騎士さん恰好いいですね、設定とか参考にさせてください」
陸が戦っている騎士の横から尋ねる。
「我、過去の恥を力と換えるもの」
「恥をかけばかくほど強くなるって事ですか! 酔拳みたいですね――あ、写真も撮らせてください」
カシャカシャとシャッターを切る陸。
あまり気にせず、騎士は再びアヴニールに尋ねた。
「汝、忌まわしき過去ありや?」
アヴニールは、体格と力で圧倒されながらも答えた。
「お、幼き日の話しじゃ、深夜0時に鏡を見ると、自身の死に顔が見えると言う話を聞いてしまってな――しばらく夜中にトイレへ一人で行けなかったのじゃ……幼き日の事なのじゃぞ、あくまでもの!」
それを聞いた騎士は、あっさり剣を引いた。
騎士は、勝負したいわけではなく、他人の恥ずかしい過去を求めているだけなのだ。
「痛し、痛し、我が心は三の衝撃を受けた」
しょぼんとウサ耳を垂らすアヴニール。
「三ダメージか、少ないのう」
「どちらかと言えば、痛いというより可愛さの勝る黒歴史ですよね」
こうなれば、もう陸のノートに賭けるしかなかった。
陸は、『ぼくのかんがえたさいきょうのせいぎのみかた』ノートを見せた。
ベンチに座り、それを読む騎士。
陸が書き溜めた数冊のノートを、月明かりと街灯を頼りに全て読む。
陸は、その手元を不安そうな視線で眺めていた。
そして――。
「これは黒歴史じゃない、黒歴史にしちゃあいけない」
今までのような低く、くぐもった声ではなかった。
爽やかで真面目そうな青年の声。
「え?」
顔をあげると、サラリーマンカットの青年、雄介が眼鏡ごしにノートを見直していた。
騎士の兜は外して足元に置いてある。
「恒之は、これが黒歴史になると言って、僕にぶつけようとしたんだね?」
「は、はい」
「それはダメだ。 もし、キミがこの内容を心ない人に笑われ、書くのをやめてしまったとしたら、確かに数年後に黒歴史になるだろう――けど、厳しい批評を浴び続けても、改良を繰り返し、諦めずに書き続ければ、夢を叶えるための一ページとなる」
優しい目で、陸にノートを返す雄介。
「小説、漫画、ゲーム、どんな形でもいい。 キミが最高だと思うヒーローを世に送り出しなさい――その時、名前はオヒナサマーンではなくなっているかもしれない、姿も大きく変わっているかもしれない。 けど、その芯を為すものは、今、そのノートに書かれているものと同じはずだ」
「はい!」
目を輝かせ、ノートを大事そうに胸に抱える陸。
「なんじゃ、正気に戻っておったのか、いつからじゃ?」
アヴニールに尋ねられると、雄介ははにかんだように、頭を掻いた。
「昨日、明音くんの身の上話を聞いた辺りからかな? 彼の身の上話を聞いていたら、ふと心配になってね、来年は僕も久遠ヶ原の教師になるんだから、彼が教え子になるかもしれないなって意識が強くなって、元の僕に戻っていた。 それからは自分の意志で騎士を演じ続けていたんだ」
「ふむう、天性の教師じゃのう。 それが、なぜ黒歴史の騎士などという怪人になってしまっていたんじゃ?」
「小学生の時、恒之に恥を掻かされて引きこもっていた時、親父に言われたんだ」
●
『人間は恥を掻けば掻くほど、大きく強くなる。 たくさん恥を掻けば、無敵のヒーローになれるはずだ。 恒之くんに恥を掻かせてもらって良かったな』
雄介が、父から貰った言葉だった。
「それを聞いて、また学校にも行けるようになったし、恒之ともずっと友達でいられたんだ」
「いいお父さんですね」
懐かしそうな目で、夜空を見上げる雄介。
「撃退士だったよ、それからすぐ、天魔との戦いで死んでしまったけれどね――親父の言葉を支えに頑張って、僕も撃退士になった」
足元に置いた、黒い兜を自戒するような目で見つめる雄介。
「けれど、優等生だ、エリートだなんて持ち上げられているうちに、また心が弱くなってしまっていたんだな。 十何年ぶりかに大恥を掻いたら、今度は親父の遺した言葉の鎧の中に、心が引きこもってしまったんだ」
心配げなアヴニールと陸の視線に、雄介は笑顔を向けた。
「大丈夫、今回の件は、黒歴史にはしないよ。 キミ達が自分の恥を晒してまで、僕を助けようとしてくれたんだからね。 この誇りを糧に、良い教師になれるよう頑張るさ」
己の愚かさと弱さを知る者は、愚かさと弱さを持つ人間を包み込む事が出来る。
雄介は、必ずや良い教師になるだろう。
撃退士の多くは、そう確信したのだった。