●
久遠ヶ原学園にある、小さな調理実習室。
ここで今日、はぐれ天魔・ローゼの体験入学が行われようとしていた。
参加する八人の撃退士たちは、わかっていた。
この体験入学の成否は、自分たちが作る料理の味にかかっているのだと。
胃袋を掴む事と、心を掴む事。
撃退士たちは、料理の得意な者を中心に、腕によりをかけた料理を準備した。
これらの味が、彼女の中で合格ラインを越えれば、彼女の説得は難しくないだろう。
そして朝九時、黄金の髪と白い翼を持つ天使が調理実習室に入場してきた。
黒髪ポニーテールの少女は、ローゼに快活な笑みを向けた。
「はじめまして、天宮葉月です。 早速だけど、うどんの卵の固さの好みは? 嫌いな物とかあったら遠慮なく言ってね」
天宮 葉月(
jb7258)は、この実習室に四つある調理台の一つを借り、味噌煮込みうどんを作った。
「嫌いな物はございません」
ローゼは言った。
名門貴族の令嬢という出自に相応しい、気高い表情だった。
「なら良かった。 固さはどうする? 柔かめ? 半熟? 固め?」
「多めでお願いします」
「あれ? 量を聞いたわけじゃなかったんだけど」
首を傾げつつも、葉月は卵を一つ余計に入れたうどんの丼を、ローゼに渡した。
受け取るなるや、ローゼがそれを食べ始める。
速い!
箸の動きも日本人顔負けだが、何よりその食の速度だ。
滝の水が落ちゆく速度で、うどんが唇の奥へと吸い込まれてゆく。
丼を空にするまでに十秒とかからなかった。
「ごちそうさまでした。 この味噌煮込みうどん、赤味噌を使っていますね」
「うん! これは譲れないね!」
「まことに良い出来です」
煮込みうどんを気に入ってくれた様子のローゼに、葉月は安堵した。
「もう一杯、どう?」
「十杯ほど」
冗談かと思い、一杯だけ渡したのだが、その丼の中身も数秒せずにローゼの胃袋に消えてしまう。
また次の丼を渡す。
大盛りにしたうどんなのに、わんこそばのように、よそってもよそっても一瞬で丼が空になった。
「二十玉全部なくなった」
茫然としている葉月から最後のうどんを受け取ると、ローゼはその丼を左手に持ち、右手の箸でずるずると啜りながら、手前の調理台へと向かっていった。
「やはりガス加熱式に限りますよ、ホットプレートで作る人もいますが、僕個人としては論外ですね」
黒井 明斗(
jb0525)は、にこやかな表情でそう言いつつ、朝から鰹節で煮出しておいた出汁を添えて、たこ焼きをローゼに渡した。
一粒目を口にしたとたん、ローゼの瞳孔が大きく見開かれた。
「こ、これは! 表面はフワッとしていながら、中からジュワっとした熱さが口内粘膜に広がり、奥歯にはコリっとしたタコの食感が伝わってきます! 未知の味覚です!」
ローゼはまだ、人間界に定着して間もない。
食に関心が深いだけに、一口食べて分析出来る味がある反面、知らない食べ物があっても不思議はなかった。
「どうですか? 飾らない庶民の味は、僕は、凝った料理も良いと思いますが、肩の凝らないのも良いものでしょう」
「素晴らしい味です! 何という料理なのでしょう?」
「たこ焼きです」
「その名はいささか庶民じみすぎています。 わたくしの高貴な舌をも魅了するこの料理には似つかわしくありません。 ふさわしい名を与えましょう! そうですね……」
ローゼは自信に満ちた顔で、こう宣言した。
「フワン・ジュワール・コリーニ。 これこそがこの料理の真の名です!」
「僕のたこ焼きがフランス料理っぽい名前に!?」
食べていて、肩が凝りそうなくらい高尚な名前な響きだった。
高尚かつ安易だ。
フワン・ジュワール・コリーニ。
フワッ、ジュワ、コリッというたこやきの食感をそのまま名前にしただけである。
普通のソース味、塩味、ネギたっぷりのネギマヨ味、バジルソースとチーズで食べるイタリアン風、そして海老煎餅でたこ焼きを挟んだタコ煎。
明斗が焼き上げた百二十個のたこ焼きを様々な形で全て平らげてしまうと、ローゼは次の調理台へと移動した。
そこでは、月乃宮 恋音(
jb1221)と袋井 雅人(
jb1469)のカップルが、東南アジア料理を作っていた。
「これは?」
「ガイ・タックライと言います。 タイの鶏肉串焼きですね」
一品目として、それを出した雅人が説明を終えるのも待たず、ローゼは皿に盛られたそれを完食していた。
「これはレモン風味の鶏肉にココナツミルクのソースの相性が抜群! タエです!」
「タエ?」
雅人が聞き慣れない単語に首を傾げた。
「トゥロンが出来上がりましたぁ、召し上がってください」
恋音が、ややはにかみ気味にバナナの春巻きを差し出す。
「ふむ、パリパリとした皮を歯で突破すると、中から三温糖に浸されたバナナが出迎える。 これもまたタエ!」
「もしかして、『妙なる味』の『タエ』なのかな?」
「美味しいって事ですねぇ、どんどん召し上がれぇ」
その後も、ローゼは料理の一皿ごとに、『苦みの中にも、独特の香りが生きていますね。 タエです』『噛めば噛むほど、香ばしさが増すようで、タエです!』などと批評をしていたのだが、二十皿目を越えた辺りから表現が面倒臭くなってきたのか『タエ! タエ! タエ!』と甲高く連呼しながら料理を書き込むだけになった。
「何かの武道かな?」
「珍しい動物の鳴き声にも聞こえますねぇ」
最後である四つ目の調理台では、絶対味覚を持つと言われる少女、聖蘭寺 壱縷(
jb8938)が待っていた。
「ローゼさん、韓国料理は食べた事がありますか? 韓国料理には冷麺やビビンバ、ナムルなど……いろいろあるのですよ♪」
ローゼの目の前には、すでに出来上がった三皿の料理が並べられている。
それらもあっと言う間に平らげてしまうと、ローゼは壱縷の顔をじっと見ながら言った。
「今のが冷麺、ビビンバ、ナムルでしょうか?」
「そうです」
「よろしければ、『など』の方を頂けますか?」
「え?」
「おっしゃっていたではありませんが、冷麺、ビビンバ、ナムル『など』、いろいろあるのだと」
「いえ、この場合の『など』というのは料理名ではなく」
「わかっております!」
ローゼは力強く断言をした。
「わたくしは! この韓国料理とやらを今! 全種類食べたいのです!」
「無理です!」
韓国料理と一口に言っても何百種類あるかわからない。
何より、もう食材がない。
ローゼの食が量、速度ともに凄まじすぎるせいで、食材も、費用も、全て使い果たしてしまったのだ。
本来、この後、久遠ヶ原を案内がてらに散歩しながら、美味しいお店で昼食をとり親睦を深める予定だったのだが、根本から潰えてしまった。
「おしまいですか、では御馳走になった料理の総評をいたしましょう」
ローゼは実に残念そうな顔をしつつ、口元をナプキンで拭った。
この総評が、任務の成否に直結することを悟った撃退士たちは固唾を呑みこんだ。
●
「四十点、不合格です」
不合格と言われた事は元より、あまりの点数の低さに撃退士たちは愕然とした。
「四十点? まさか、百点満点の四十点ですか!?」
「千点満点です」
「あんなに食べておいて、それはないよ!?」
ローゼと同族の天使で、幼く無垢な容貌をしたエマ・シェフィールド(
jb6754)が抗議の声をあげた。
「みんなの料理美味しかったじゃん!」
料理がさほど得意でない彼女は、ローゼが来るまでの間、仲間の調理の手伝いをしていた。
味見をしては、美味に感激して、隠していた翼をピョコピョコ飛び出させていたほどだったのだ。
「味は確かに上々でした、料理店であの味を御馳走になったら、さぞ満足するでしょう。 ですが、場所が問題です」
ローゼは撃退士たちを睨み付けるように言った。
「ここは久遠ヶ原! 天魔を狩る者の本拠地ではありませんか! 天魔であるわたくしは、不安で食事が喉を通らなかったのです!」
「物凄い量が通っていたように見えたが」
和服姿の少女が、冷静なツッコミを入れた。
食の太さに自信があり、当初はローゼとの競い合いも考えていた生駒 カコ(
jb9598)だが、もはや、比べる事すらバカバカしくなっている。
ローゼは言葉を続けた。
「島の外で暮らした方が、わたくしにとっては幸せなのです」
「果たしてそうでしょうか?」
ローゼの前に歩み出たのは、ディアドラ(
jb7283)、紫銀の髪と金色の瞳を持つ、どこか神秘的な美貌の少女だ。
「私もエマさんも、貴方と同じく堕天した身ですが、この久遠ヶ原で幸せに暮らしています。 ここだと、天魔であることに気兼ねなく過ごせますし。気を抜いて過ごせる場所っていいですわよ」
「貴方にとってはそうかもしれませんが、でもわたくしが、美味しく食事が出来る場所ではないのです、久遠ヶ原は」
そっけなく反論するローゼに、恋音が遠慮がちに言葉をかけた。
「あの……ならば、どこなら美味しく食事が出来るのでしょう?」
恋音は、元来内気な性格である。
だが、ローゼに関しては依頼を聞いた段階から言いたい事があったようだ。
引っ込み思案を推して、その胸の内を吐露した。
「撃退士を警戒するのであれば、いつ討伐に来るかわからない刺客を警戒するのも一緒ですぅ。 それなら、少なくとも撃退士が警戒してくれる分、学園の方が安心の筈では?」
それが正論である事は、ローゼにも理解出来たようだ。
だが、理性に従えない感情がローゼの中にはあった。
「それでもなお、今の学校を離れたくない理由があるのです」
ローゼは、そこに宿った誇りを守るかのように左胸に拳を当てながら語った。
「わたくしには透という盟友がおります」
盟友と言っているが、そこに宿るものが恋である事はローゼの表情を見れば明らかだった。
「今の学校で透と出会った時、私は彼の事など意にも介していませんでした、彼は太っていて、ちんちくりんで、顔など卵とじカツ丼そっくりだったからです」
「どんな顔ですか、それ?」
雅人は想像してみたが、見当もつかなかった。
「けれど、彼には夢があるのです。 世界各地の名物料理を一か所で食べる事が出来る巨大なレストランチェーンを作るという夢が。 天魔から見れば、蜻蛉ほどの時しか生きられない人間が、巨大な夢に向かってひたむきに努力している姿を見た時、わたくしは彼に惹かれました」
ローゼは、頬を桜色に染めてうなずいた。
「わたくしは彼のそばにいたいのです。 一緒にいて、彼と共に夢を叶えたいのです」
「大切な人がいて、叶えたい夢がある。 良いことじゃないか。 少し羨ましいな」
カコが穏やかな顔で呟いた。
「ローゼの夢、私にも応援させてもらいたい。 だからこそ、私個人の意見として述べさせてもらう、その夢の成就を願うなら、此処への転校が最良だと思う」
「なぜです?」
ローゼの疑問に答えたのは、同じく堕天をした天使・エマだった。
「ボクが久遠ヶ原に来る事にしたのはね、追手の話をきいたからだよ。 今のボクには、いざっていう時みんなを護れるだけの力は、ないって気付いてたから。 自分のせいでみんなに危害が及ぶのはもっといやだって思ったんだ」
それは、とりもなおさず、追手が透に魔手を伸ばす可能性を示していた。
ローゼ一人なら、追手から逃げられる可能性もあるのかもしれない。
だが、そうなれば最も近しい透の命を餌に、ローゼを炙りだそうと考える天魔が、いつか必然的に現れる。
その餌に釣られてローゼが姿を現したとしても、透を無事に返してもらえる可能性はゼロに等しかった。
「そうですね、わたくしは彼の夢の後押しをしているつもりで、いつか足かせになってしまうのかもしれません」
ローゼは寂しそうに呟き、涙を流した。
「仕方がありません、彼から離れましょう。 透のオム焼きそばのような顔を見られなくなるのは残念ですが、彼の夢を潰えさせるわけにはいきません」
ローゼは転校に関する検討をし始めた。
撃退士たちに、この学園での生活や、そこにあるメリットを真剣な顔で尋ねてゆく。
一つ目、特に、恋音が話した三つの利点には興味を持ったようだ。
全国各地、さらには海外出身の方もいる為、居ながらにして各所の料理のお話を聞くことが出来、さらに一般に知られていないマイナーな名物の情報も得やすい事。
二つ目、撃退士の収入が開店資金の調達に繋がる事。
三つ目、色々な人に会うため、将来のレストランチェーンの開店顧客のコネを作るチャンスもある事。
「四つ目、私たちがローゼと友達になれる事だよ、それが最大のメリットだ」
カコの言葉に撃退士たちがうなずいた。
ローゼと仲良くなりたいというのは、この依頼を受けてよりの皆の、共通した願いだった。
「そうです、ここの方たちは、私たちはぐれ天魔を友人として守って下さるのです」
「いつか種族とか刺客なんて気にしなくてもすむ日がくるって、ボクは信じてる! ここにいれば、それが信じられるんだ」
ディアドラとエマが口ぐちに言った。
ローゼは、穏やかに頷いた。
「わかりました、帰ったら透に正体の事を含めて全てを話しましょう」
「そうだね、きっとそれで離れるような相手じゃないだろうし」
葉月の言葉にローゼがうなずく。
「その方が透も安心して夢を追える事でしょう」
撃退士たちは、顔を見合わせ、安堵の笑みを浮かべた。
転校の決意は固まったようだ。
だが、ローゼの顔には一抹の寂しさが残っている。
透との距離が離れる事に、未練があるのは、誰の目にも明らかだった。
「ローゼさん、今の人間界では離れたからって顔が見られなくなるわけではないですよ?」
ディアドラが言うと、雅人が学校から借りてきたノートPCを二台、テーブルの上に広げた。
「これね、ビデオチャット、便利なんだよ」
葉月とディアドラがビデオチャットを起動させ、使ってみせるとローゼの顔が興奮に輝いた。
「す、すごい! これなら確かに離れていても、透の煮込みハンバーグのような顔を、毎日見る事が出来ます」
これを通せば、学校が離れていても顔を合わせて夢を語り合う事が出来る。
互いの学校で覚えた料理を、カメラ越しに作ってみせる事だって出来る。
二手に別れて夢を目指すのではなく、二人三脚のまま、より速度を増す事が出来るのだ。
「遠距離恋愛って、直接会う機会は減りますけれど、こうしてネットで顔を見ながら会話も出来ますし、逆に直接会うことが新鮮になって――燃えるそうですわよ、恋心が!」
ディアドラの言葉に、ローゼは照れ隠しのように手を振った。
全ての問題は解決した。
だが、一つだけ気になっている点が雅人にはあった。
「透さんの顔、どんどん変わってない?」
卵とじカツ丼、オム焼きそば、煮込みハンバーグ。
次々に変わりゆく透の顔を、雅人はぜひ見てみたいと思った。