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「らっしゃい!」
高級寿司処・久遠の暖簾をくぐって入ってきたのは、若さに似合わず風格を帯びた青年・鳳 静矢(
ja3856)だった。
紫の和服を小奇麗に着こなしている。
鳳はつけ台に向かってしずしずと歩きながら、つけ場の大将と座敷席から様子を見ているメルに目配せをした。
「いき……決まった形には非ず」
語りながら、落ち着いた所作で大将の前の席に腰掛ける。
「スピーディーな動きを見せるのもいき。ゆっくりとした動作で見せるのもいき」
あがり、いわゆるお茶を出してくれる大将。
出されたあがりを一口飲むと、その新緑色の水面に己を映して見つめる。
「周りの環境がどうあれ変わらぬかつ自然な所作でもあり、逆に言えば自然のままで周りに合わせる所作でもある」
「なんにしますか?」
大将に尋ねられ、鳳は微笑を浮かべつつ答えた。
「お勧めを」
「今日は帆立のいいところがはいってるよ」
我が意を得たりとばかりに無言で頷く鳳。
流石は寿司職人である、初見の客の好みを読み取った。
大将は、おおぶりな帆立を見つくろうと殻を開け、薄橙色に輝くぷりぷりとした貝柱をさばき始めた。
白銀に焚かれたシャリを掌にとり、呼吸と一体化しているが如く無駄がない動作で握りを仕込む。
すぐさまゲタに帆立が置かれた。
「見事だ、この帆立。 大きさといい固さといい、本能を刺激してくれる」
鳳は帆立貝を胸の前に持った。
大将の握りと同じく慣れた動作でそれを割ろうとしはじめた時、愛用の石を持ち合わせていない事に気づく。
今は、ラッコのキグルミを着ていないのだ。
「これは粗相をした、今はそのような時ではない」
動ぜず貝を大将に返す鳳。 いきである。
「こちらこそ失礼を! お客さんを見ていたら、生きた貝の方をお出ししたい衝動にかられてしまって」
大将は、慌てて帆立の握りをゲタに乗せなおす。
小皿から醤油をちょいとつけた。
「寿司は基本素材の味を生かす料理だ、故に醤油などはアクセント程度に少量が望ましい」
帆立の握りを口に含む。
震えるほど柔らかな身から広がる甘みと、受け止めるシャリの力。
「ふむ、私もラッコの魂が身についてきたという事だな。 それに感じてくれてむしろありがたい」
他人の過ちを責めず、むしろ感謝の言葉で返す。 いきである。
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翌日、回転寿司・ゲキタイの自動ドアをくぐる鳳。
この店はオール四人席という構成になっている。
店員に案内されて席に座ると、同じ依頼を受けた逢見仙也(
jc1616)がいた。
「逢見さんも来ていたのか」
「食べ放題だと聞いて」
ビニールパックに入れられたお手拭を開けて手を拭く逢見。
「いきについて考えてる時点でいきじゃ無いし、特にCMなら自分の好きなように満足するまで食べるのが一番相応しいのではと思うわけです」
「違いない」
うなずく鳳。
「鯛、ヒラメにアジ、と」
逢見は、タッチパネルで注文をした。
「鳳さんは注文しないんですか?」
「私は、流れているネタから選ぼう」
鳳は、着物の袖を少し捲り引いた。
袖がレーンや寿司に当たらないよう配慮して取っているのだ。
「そのしぐさもいきですね」
逢見に褒められつつ、取った皿の上のネタに軽く醤油をつける。
このネタも貝である。 今度はハマグリ。
「こうして海の幸がレーンを流れる様を見ていると、波の中をたゆたい泳ぐ貝を追いかけるような気分になるのだよ」
鳳のラッコぶりをよくしらない逢見、怪訝な顔をしている。
注文した寿司が届いた逢見は、鯛の握りを手で摘まんで食べた。
茶で口を休め、続いてヒラメの握りをご馳走になる。
白を帯びた半透明の身がカリコリとした歯ごたえを生み出してくれる。
そして茶を一口飲み、今度はアジ、締め鯖、赤貝、帆立、雲丹、イクラ、穴子と次々に平らげていく。
「淡白なものから順に、濃厚なものへと移っていく。 ネタの味わい方を心得ているな」
「自分の食べたいように食べているだけです」
締め鯖が特に良い仕事をしていた。
握りもいいが、ばってらもいい。 硬派な身から沁み出る酢の中にほのかな昆布の香り、そして押し寿司独特のボリュームのある喉越しが、舌、喉、胃袋と立て続けに快楽を与えてくれる。
逢見が小さくうなって頷いた時、この四人席に新たな客が訪れた。
銀髪の少女Rehni Nam(
ja5283)だ。
「相席よろしいですか?
「やあレフニーさんか、どうぞ」
夕食時の回転寿司屋の待合席には多くの客が溢れている。
大将の依頼とはいえ四人席を二人で占拠しているのは、やや気が引けていた。
三人いれば、気も安らぐ。
「粋って言うのは良く分りません、なので私の拘りをお見せしますね」
まず、お茶で口を湿らせるレフニー。
お手拭で手を拭きながら、目でレーンを追い欲しいネタを見繕う。
最初に手に取ったのはイカ。
包丁で、格子状に切れ目が入ったものだ。
「使うかな?」
鳳が割り箸を差し出してきたが、レフニーは断った。
「箸を使うのは苦手ではないですが――というか、お箸マスターと呼ばれてもおかしくないほどの腕前ではありますが、お寿司はやっぱり手で食べないといけないと思うのです」
イカ寿司を逆さまにし、小皿から醤油をちょいとつけて口に含むレフニー。
「いただきまーす♪ むぐむぐ……やっぱりイカは筋に沿った飾り包丁の物に限るのです。 斜め格子も嫌いじゃないですけど、この歯応えが良いのですよね〜」
イカの弾力は飾り包丁によって最適な優しさとなり、歯ごたえとともにその旨味を存分に引き出してくれた。
「その拘りは、いきだね」
レフニーも逢見と同じく一皿食べるごとに茶で口を洗いながら、淡白なものから濃厚なものへとネタを移していっている。
「こうしないと口の中に残っている先に食べたものの味と混ざって、味が壊れちゃいます
からね、後に食べるものの味が濃ければ気になりませんが」
エンガワ、鮪の赤身、イクラと食べたところで、テーブルに置かれたガリを取る。
とかく無視されることも多いガリではあるが、醤油をつけて軍艦に塗るのに役立つのだ。
ガリはむろん、食べる。
茶では洗いきれない後味をリフレッシュさせてくれる。
「最後は、一番好きなアナゴです」
レーンからアナゴをとるレフニー。
皿に添えられた専用のアナゴだれを、ネタにかける。
「では、早速――ん〜、濃厚、蕩ける、幸せー♪」
頭から猫耳を出し、落ちそうなほっぺたを両掌で抑える。
鳳は赤貝を、逢見は鉄火巻をこの食事の〆とした。
「おいしかったのです〜」
「うむ、ご馳走様」
「ご馳走様でした」
逢見が率先して素早く外に出る。
辺りにはまだ明るさと暖かさ残っている。
春が深まり、徐々に日が長くなりつつあるのだ。
満腹の腹に、それらが心地よい。
「食べ終えたら、さっそく店を出るのもいきだね」
店の外で鳳に言われ、軽く照れる逢見。
「ダラダラするのは好きじゃないもので、鳳さんも着物の袖に気を使っていましたけど、他人の目は気にしない、同時に迷惑をかけないようにする、というのがいきだと思います」
夕食時の店では、多くの客が待合席にいた。
同じく寿司を愛する客がお腹を早く満たせるよう席を開けてやる。
これも、いきである。
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数日後の昼間、一人の西洋人がテイクアウト寿司・ブレイカーに訪れた。
店のカウンターで待っていた大将が、声をかける。
「外国人さんが、寿司屋で和服とはわかっているね」
「そうだろう、俺は日本通だなんだ」
自身満々にほくそえむミハイル・エッカート(
jb0544)。
「米国人なりの”いき”を表現してみせてやるぜ、大将」
ミハイルはカウンターでメニュー表を見ると、注文を始めた。
「……と……と……で」
「すまんが、もう一度言ってくれ」
「……と……と……で」
ミハイルが何を言っているのか、大将の鼓膜では聞き取れない。
「悪い、俺も歳でな」
大将の求めに、ミハイルははばるかのように辺りを見回しながら、やや強めに囁いた。
「大声で言ったら、間者に聞かれてしまうだろ」
「間者?」
「読唇術から逃れるために、こういう姿勢で話すんだろ、平安貴族ってやつがそうしていたらしいぜ」
ミハイルは、和服の袖で口元を隠しながら注文をしようとしていた。 これではよく聞こえるはずもない。
ようやく注文を終え、寿司を持って帰っていくミハイル。
その背中を大将とメルが不安げに見つめる。
「あれが勘違い外国人ってやつか」
「椿さんの話を聞く限り、かなり個性的な方らしいです」
大将とメルは、島内にある旅館の一室に向かっていた。
「なんで寿司を食うのを見せるのに、こんなところへ呼びやがるんだ?」
指定された部屋にいくと、そこは和室だった。
おかしな飾り付けがなされている。
「なんじゃこりゃ」
障子で仕切られた部屋の中に、アメコミの描かれたパーテーションやら、廃材を組み合わせて造った馬の彫像やらが置かれている。
BGMにはシンプルなピアノ曲が流れていた。
ミハイルは和服姿のまま、畳に座っている。
前に置かれたテーブル上には、ミニ枯山水と呼ばれる箱庭めいたものが置かれていた。
広い箱の中に粗目の砂を敷きつめ、そこに石や小皿をちりばめるようにおいている。
「何をされているのでしょう」
恐る恐るメルが尋ねる。
「寿司の一つ一つに世界がある」
ミハイルは寿司を見つめながら謡うように語り始めた。
さきほどテイクアウトした寿司が伊万里の皿に乗せてあった。 ウニ、イクラ、中トロなど高級なネタばかり十貫ほどだ。
その手は小さな熊手で粗目の砂の上に流れるような模様を作ったり、渦を描いたりしている。
「その配置により世界同士が共鳴しあい、干渉し合い、美しい調和を取る、すなわち枯宇宙(かれこすも)」
「はあ」
目をパチクリさせながら、そう返事をすることしか出来ないメル。
「流れるような川にみえるのは銀河、渦は遠い星雲、岩は惑星、ガイアが、ゴーストが、シャードが俺に囁く」
「シャードって誰だ?」
「ミハイルさんの彼氏さんではないでしょうか? お噂はいろいろと耳にしております」
顔を赤らめて嬉しそう口元を緩めるメル。 腐女子。
ミハイルは誤解されているとも知らず謡い続ける。
「俺は寿司に世界を、その先の宇宙を感じた」
言い終えると箸先を醤油で濡らし、寿司の上に滴らせ、口に運ぶ。
まずはウニ。
シャリの周りに張られた海苔の中から、苦みと甘みを兼ね備えた柔らかな雲が口の中へと広がっていく。
「美味い」
一つ食べ終えると、伊万里の皿に目を戻し将棋盤を見つめるように熟考しながら、また一つ摘み、口に運ぶ。
その様子を呆然と眺めるメル。
その横で、大将が呟いた。
「50年間寿司を握っているが、寿司に宇宙を感じた事なんざねえなあ」
日本の心を考えすぎた末に、感性が日本人を超えてしまったのだろう。
黄金に輝く髪を持つ、スーパーニホン人の誕生だった。
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「らっしゃい!」
再び高級寿司処・久遠の暖簾が揺れた。
今回入店してきたのは、着流しを着崩した長身の男、鐘田将太郎(
ja0114)だ。
(回転寿司屋はここのはずだが、どうみても高い寿司屋だな)
出ていくもの無粋。
すまし顔でつけ板の席に座る鐘田。
(斡旋所で四ノ宮さんに貰った地図が間違っていたのか。 まあ、高い店だろうとお上品な作法になんかこだわらねえぞ)
大将から見て右斜め前の席に座り、出されたあがりをずっと一口啜る。
高い店は、茶まで高い味がする。
「お兄さん、いなせだねえ」
お世辞か本気かわからないが、大将が栄やしてくれた。
着流しのきこなしについてらしい。
「ありがと、大将」
素直に応じる鐘田。
「まずはコハダ握ってくれ」
これを板前がどう握るかで腕を量る。
大トロは仕入れ八割、コハダは仕込み八割と言われるほど、素材より仕事が大切なネタなのだ。
手で摘まみ、口に投げ入れる。
気の利いた言葉は用意していた。
だが、うますぎると人間言葉が出ない。
その意味で”舌が蕩ける”というのは、絶妙な表現だ。
(一代で撃退寿司をここまで育てた男だけあるな)
商才もあるのだろうが、根っこは真面目。 寿司職人の魂があるのだろう。 客にしろ、職人にしろ、人がついてくる。
続いて、ヒラメのエンガワを、鮪を食べる。
「お兄さん、食いっぷりがいいね」
「これが江戸っ子の食い方でい」
なんとなく応じてしまったが、本当は新潟県民である。
故郷にごめんなさいの心を持って、今度はシャリを味わう。
「良いシャリだな。酢の具合、炊き具合が絶妙だ。 これだけでもいけるぜ」
「米の味がわかるね」
「米どころ出身なんでな」
言ってからやや後悔、江戸っ子だと言ったばかりである。
少なくとも現在の東京に米どころのイメージはない。
大将は、気づかないのか気にしていないのか、機嫌よさげににこにことしている。
「ホッキの握りを」
赤と白のツートンカラーも美しい貝の身がシャリに乗ってやってくる。
甘くシコシコとした歯ごたえが楽しい。
これも鮮度が命、本格派の寿司屋ならではの味だ。
最後にいくら軍艦が、黒い海苔に守られた赤い宝石が口の中に弾け、極上のエキスを舌の上に砲撃してくれた。
「お勘定頼む」
通ぶって”おあいそ”と言いたくなりがちな場面であるが、これは”お愛想がなくて申し訳ない”という意味に当たるので控える。
暖簾をくぐり外に出ると、ため息が出る。
「美味かった」
これほどの寿司を無料で食わしてくれるとは、実にきっぷのいい大将だ。
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こうして依頼は終了。
翌日、大将に高級寿司処・久遠に呼び出されたメルは、中断していたCM内容の打ち合わせを再開する。
大将の顔は満足げだった。
「どいつもいきな奴だったぜ。 特に鐘田の兄ちゃんはいきってもんを体現できていたな」
普段から米好きを自認している鐘田。 米を使ったものへの愛情が大きかったのだろう。
「お手本にしたいと思います、着流しは似合うかわかりませんが」
「あれは似合う奴が似合わない奴がいるから、無理しなくていい。 それよりお前さんにぴったり似合うものを見せてくれた奴がいただろう」
大将に言われ、メルは怪訝な顔をした。
「私に似合う? 鳳さんのラッコさん衣装ですか?」
「今回は着てねえだろ」
「逢見さんの速攻撤退?」
「いきだが、俺が言いたいのは違う」
「まさか、ミハイルさんの枯山水ですか?」
「あれはあの外国人さん独自のいきなんだろ。 斬新すぎて客がついてこられない」
メルが迷っていると大将が表情を崩した。
「レフニー嬢ちゃんの笑顔だ」
レフニーがアナゴを食べた時の、蕩けそうな笑顔。 美味しいものを美味しいと素直に表現する最良の方法、それを大将はいきと受け取ったようだった。
それは、メルにも似合うものだった。
「何か握ってやろう、好きなものを好きなだけ喰いな」
「いいんですか! じゃあ……」
打ち合わせの間、メルはその笑顔を何度も浮かべるのだった。