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収録日当日。
”久遠ヶ原討論スタジアム”のスタジオに六人の論客が集合した。
「……個人的な見解でいいのか?」
翡翠 龍斗(
ja7594)は、隣に座る愛妻・翡翠 雪(
ja6883)の顔をじっと見た。
「――俺にとっての、ラスボスは雪だな」
「龍斗様!?」
提示された本人が驚いた声をあげた。
「いや、個人的な見解としてだ。 最後の敵という意味合いよりも頭が上がらなかったり、色々な意味で勝ち目のない相手だからな」
「ふむ、カカァ天下というやつか?」
アイリス・レイバルド(
jb1510)が首を傾げた。
「俺は翡翠鬼影流の継承者でな、人の気配を読む事を散々叩き込まれたのに、雪の気配だけは読めないんだ」
「それは、気を持たない人造人間のようなものですか?」
咲魔 聡一(
jb9491)が眼鏡をクイッする。
「いや、そうじゃない。 普段は気がある。 だが、結婚前に温泉旅行に行ったら、寝込みを襲われたんだ。 ”壁ドン”して、優位な状態に持っていたはずなのに、気付いたら”床ドン”されていた」
「先日の格闘大会にも、ご夫婦で対戦なさったと聞きました」
同大会に出場経験豊富な仁良井 叶伊(
ja0618)が興味深げに尋ねる。
「うん、だが、結果は敗北だ。 俺は最適な戦闘方法を確立できなかった」
「勝っていたら、旦那さんが精神的なマウントポジションを取り返せたんですかね?」
咲魔の提示した可能性を、龍斗は否定した。
「無理だな。 雪は可愛いし、賢いし、悠然としている。 殴り合いに勝ったとしても敵わない部分ばかりだ」
「まあ、龍斗様ったら」
頬を赤らめる雪。
「草食のドラゴンと、肉食のうさぎの関係みたいなもんだ。 ドラゴンの方が体は大きいが、うさぎに食われる側だという食物連鎖の図式は変わらない。 食われたからって死ぬようなもんじゃないし、俺も食われることに生きがいを感じている」
「龍斗さんって意外とM……」
川澄文歌(
jb7507)がジト目で龍斗を眺める。
龍斗がゲフンゲフンと咳払いをし始めた意味を察してか、議長が時間制限ベルを鳴らした。
「はい、この議題はここまで。 要するに雪ちゃんに支配はされているけど、龍斗君の前から去られると龍斗君の中の世界は闇に閉ざされてしまうという事なんだな」
「TV的にそれで纏まるんならこの場はそういう事にしておこう」
龍斗と雪が顔を赤くする中、議題は次に移った。
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雪は赤くしていた顔を引き締め、やや唐突に語り出した。
「ラスボス……それは、最後に立ちはだかる者。自身を正義とするならば、悪の枢軸たる存在、私にとってはそうなっています」
「おお、言葉の意味はわからんが、とにかく凄い自信なんだな!」
「雪さんのラスボスはやはり旦那様ですか?」
近い将来、翡翠家と同じく新婚さんになる予定の文歌がわくわくしながら尋ねた。
「いえ、龍斗様はラスボスではありません。 私にとってのラスボスは、圧倒的なカリスマと強さを持ち、時に世界の半分をやろう等と言った 余裕すら漂わせる存在です」
「つまり、雪にとって俺は、カリスマも強さも余裕もないという事に……」
龍斗はうつ伏せに倒れ、ばたりゅーとする。
「いえ、決してそういうわけでは! 私の世界の半分は龍斗様です」
慌てて夫をフォローする雪。
「と、いう訳で。 これまでの数々の激戦の経験と知識を基に、今回はラスボスの絵を事前に用意しました。 それがコレですドン!」
雪は、絵が描かれたフリップをドンと机の上にかざした。
全員しばし絶句。
龍斗だけが眼鏡を直しながら、フォローを入れ返す。
「すまん、雪は可愛いし、強いし、頭もいいんだが、絵だけは、な?」
フリップに描かれていたものは”なんか黒くてなんか大きくて角とか一杯生えててなんか爪とか牙とか尖っててよくわからないけどなんか禍々しい
ごてごてしたナニカ”だった。
「う〜ん、小学男子が描いた”僕が考えた最強のラスボス”的って感じなんだな」
「これこそまさに魔王と呼ぶに相応しい、圧倒的な存在のプロパガンダと言えるでしょう」
雪は、ドヤ顔で自慢げにフリップをかざし続けている。
「雪、もういい休め」
龍斗は雪の絵がカメラに映らないよう掌で隠そうとしているが、雪はそれを避けてカメラに移そうと必死になっている。
「このような脅威がいずれ、私達の前に立ちはだかるでしょう。その時こそ、私達が一丸となって」
「いいから、これしまえ!」
龍斗は絵を取り上げようとしているが、雪は夫の行動の先を読んでいるかのように笑顔でそれをひょいひょい躱す。
龍斗にとってのラスボスが雪である事は間違いなさそうだった。
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次に提議したのはアイリスだった。
「私の考えるラスボスは、差別と貧困だな」
「いきなり議題が重く苦くなったんだな」
「確かに人類誕生とともに生まれて、滅亡まで苦しめられ続ける最大の敵かもしれませんね」
仁良井の言葉にアイリスがコクリと頷く。
「人物ではないが、とりあえずは双子の姉妹として擬人化させてみた」
金髪と黒髪の姉妹の自作フィギュアをさっと取り出す。
「まず、差別のほうだが」
金髪の姉フィギュアをアイリスは掲げた。
「実際、この戦争に勝利したと仮定して異界に連なる者たちその者たちとの混血が、何の隔たりもなく万人に受け入れられるだろうか?」
「はぐれ天魔も、私たち覚醒者も特別すぎる能力ですから、警戒されるのも当然かもしれませんね」
文歌は寂しそうな顔をした。
彼女も一般人とのアイドルコンテストで理不尽な制限を付けられ、苦しんだ経験がある。
「差別された者は傷つく。 特に心がだ。この差別に常に伴うのが貧困だ」
今度は、黒髪の妹フィギュアを取り出すアイリス。
「両親という財産を理不尽に奪われた子供たちが真に豊かな心を育むのは難しいだろう。 アウルを犯罪に使うものが出てくるのは不思議ではない」
「どんな技術も使い方次第だからな。 刃物を作る技術は、人殺しの武器を作る事も出来れば、人の腹を満たし幸せにする料理を作るため包丁だって作れる」
「龍斗様の料理は、人を殺しかねませんけどね」
良い事を言っておきながら、さらっと雪にツッコまれる龍斗。
もう妻の絵を隠す事は諦めている。
「魔王を生み出す負の苗床を育む土壌、それこそがラスボスと呼べるのではないだろうか」
アイリスが言うべき事を言うとスタジオに静寂が訪れた。
しばらくして、咲魔が口を開く。
「僕は故郷である冥界においても『腐った血』と呼ばれ、差別された。 天界にも人間界にも似たような境遇の人はいるだろう。 それを撲滅させるなど果たして出来るのかな?」
それに答えたのは文歌だった。
「わからない、わからないけど、ともかく”差別はいけないことだ”という観念自体が昔はほとんどなかったと思うんだよ。 人類誕生以来、何万年も身分差別で社会が維持されてきて、でもここ数十年か数百年で建前だけかもしれないけど身分差別に依らない社会が出来てきたんだよね? それって素晴らしいことだと思うんだよ。 私たちはまだ第一歩目を踏み出したばかりだと思う。 道のりは果てしなく遠いかもしれないけど、皆がくじけないように私は、歌い励ましていきたいと思うよ」
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仁良井は、メモをとっていた手をふと止めた。
「何万年と積み重なった価値観がラスボスですか」
仁良井は、懐から金色をした丸い何かを取り出した。
身長2mの男の掌に乗っていると小さなコインのようにも見えた。
「先ほど、雪さんもしていましたが、私にも私なりにラスボスの定義というものがあります。 それを語らせていただけないでしょうか?」
「いいと思うんだな」
「では、失礼して――まず第一にそれは、武力で倒せるような物では無いです」
「差別と貧困も根本的には倒せないな」
アイリスが頷く。
仁良井は言葉を続けた。
それは、数多くの謎と理不尽に守られています。
それは、今の我々にも何らかの恩恵を齎してもいます。
それは、無限の力と永遠の命を持ち、 戦い方を間違えれば問答無用で確実に我々が消える事になるしょう。
それは、勝利すれば日常への帰還の権利が得られるでしょうが、それは一つの 時代の終わりです。
それは、天魔より性質が悪いですが、戦い自体は引き延ばし続ける事は不可能では無いです。
仁良井は掌に乗せたそれを見せた。
金色をした円の表面にガラスが張られ、ガラスの向こうで針が蠢いている。
懐中時計だった。
「誰もが知っているラスボスの名は”ジカン=セイゲーン”と言います」
その言葉に咲魔が顔を引きつらせた。
「私が知る限りではこれは今の戦争の向こう側にいると思われます」
「この戦争が終われば、人は時間さえも支配できるようになるとか、そういう意味か?」
解せぬ表情で龍斗が尋ねる。
「さすがにそこまで都合よくいくとは……。 ただ、”ジカン=セイゲーン”に会う事が出来れば勝ち筋は見えて来るでしょう」
「戦争って、いついつまでに決着を付けるとか指標が出るようなものなのでしょうか?」
困惑している雪。
「向こうから侵攻してくる以上、継戦能力には限界があるからな。 これ以上戦い続けたら勝ったとしても採算がとれない。 そういう地点まで来たら和平なり停戦なりを申し込んでくる。 だが、いかんせん姿なき敵だ」
アイリスの言葉に文歌が頷いた。
「私たちが常に時間の掌に包まれているというのに、こちらからは姿を見る事も干渉することも出来ないというのは恐ろしいですね、まさしくラスボスです」
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「いかん、ネタがかぶった。 いや厳密に言えばかぶっていないが……」
咲魔が一人でぶつぶつ言っている。
「これ以上は困る――今すぐこれをご覧ください」
咲魔は慌て半分、番組進行お構いなしに机の下から一枚の絵画を取り出した。
「遠い昔……数十、数百万年……下手したらもっと昔に、冥界で描かれたと言われる絵画です」
絵画には青い空と生い茂る木々、そこを飛び交う美しい小鳥たちが描かれている。
「そんな時代の絵画が残っているんですか?」
「やけに鮮明な気がしますが」
絵画を回し見しながら、いぶかしげな顔をする文歌と仁良井。
「ふむ、この絵の具の質は百均の……」
絵画も嗜むアイリスが分析し始めたので、咲魔は慌てて絵画を取り返した。
「偶然です! 古い絵なんです! ともかく、このように冥界はかつて、人間界に劣らない生命の息吹に満ちた素晴らしい世界だったと言われているのです。 なぜ今のようになったのかというと、それには元凶が存在していると僕は考えています」
「元凶?」
「その者は冥界に新たな命が生まれ出ずる事を妨げ、冥界の夜明けを妨げ、冥界だけで飽き足らずこの人間界にも足を伸ばしたのです」
「人間界にまで進出しているんだな!?」
「考えてみれば、人間界もここ数十年の環境破壊が著しい」
「つまり、その陰には咲魔さんのいう”元凶”の存在が?」
真剣な面持ちで咲魔は頷く。
「皆さんが依頼において自由に行動したり、武器を思う様改造する事を妨げる……全て”元凶”の仕業なのです」
「そ、その名前をいう事は出来るんだな?」
声を震わせる議長。
「出来ます」
咲魔は意を決したように声に出した。
「その名は、ジスウ=セイg(ピー)」
【この番組は、×月×日に収録されたものです】
咲魔の頭上にテロップが浮かんでいる。
『ちょっと! なんで僕が死んだみたいな編集になっているんですか!?』
咲魔、声はすれど姿は見えない。
某番組でいう”映す価値なし”状態になっている。
「咲魔さんは命を賭して、真実に迫ろうとしたんですね」
「彼の勇気に敬意を表しましょう」
ハンカチを自分の目頭にあてがう参加者たち。
『だから死んでませんって!』
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「この学園でラスボスと言ったら、月乃宮 恋音ちゃんだね!」
文歌の意見に全員が賛同した。
「そうだな」
「お噂聞き及んでおります」
「間違いない」
「私もそれでいいです」
交友がない人間まで納得。月乃宮 恋音(
jb1221)とはいかなる人物なのだろう?
「えらい言われようなんだな、でも胸がいくら大きくてもラスボス扱いはおかしいと思うんだな」
元力士のクレヨー議長だって並外れた巨乳である。 だが、そんな言われようはしない。
「恋音ちゃんがラスボスである証拠があるんです」
文歌は紙パックに入った飲料を取り出した。
「これは?」
「恋音ちゃんが携帯しているものです、胸のサイズを二倍から一千倍にまで増加させる事が出来るという恐ろしい飲み物です!」
胸が大きすぎる事で悩んでいる恋音が、なぜそんなものを持っているのかも謎だったが、皆はただ恐怖を顔に浮かべていた。
「あれが一千倍となると、久遠ヶ原島を圧し潰すことも可能ですね」
「恋音ちゃんがラスボスとして君臨した暁には、このドリンクを大量生産して皆に飲ませるつもりなのです!」
「そうなったら!」
「私の彼氏が悲しみます、聞くところによると小さい方が好きらしいので」
文歌はヨヨと泣き崩れる
「そんな次元の問題じゃないだろ 世界中の女性が島を圧し潰せるレベルの巨乳になったら!」
「現在ある陸地は沈み、残るは巨大な乳だけか。 そこが新たな大陸になるのかもしれんな」
「おそらくはそれが恋音の狙いだな、母なる星たる地球を、乳なる星へと生まれ変わらせる。 ふむ、興味深い」
咲魔(生前収録)が、龍斗が、アイリスがふざけているのか真面目なのかわからない考察を始めた。
そこへ、ゆさゆさ揺れる巨大な乳がスタジオに飛び込んできた。
「おぉ……ラスボスではないのですよぉ……(シクシク)」
恋音本人である。
「そう、実は恋音ちゃんはラスボスじゃなくて、裏ボスなんだよ!」
「では、表のボスは他にいるという事ですか?」、
仁良井の問いに文歌は妖艶な笑みを浮かべると、大胆に衣装を脱ぎ捨てた。
その下から過激なボンデージ衣装が現れる、顔にはバタフライマスクを着けていた。
「わらわの名は乳神に地上の支配権を委ねられし、神聖アイドル帝国女帝ミスティローズ! みな、私にかしづきなさい!」
アイドルの艶やかな太ももの下でorzする番組スタッフ。
恋音は乳を震わせる。
「委ねた覚えがないのですよぉ……(ふるふる)」
「ちなみにわらわは洗脳されているだけなので、倒せば仲間になります! わらわのHPは1000! ファンクラブに1人加入するたびにHPが1減少!」
「つまり世界を救うには文歌さんのファンクラブ会員が1000人必要と?」
「その通りです!」
「……あざといのですよぉ」
そんな具合で、元々迫るつもりもなかったラスボスの正体には、やはり全く迫れなかった。
【真のラスボス、それは皆さん一人一人の心に潜む、弱い自分なのです】
こんなテロップで無難に絞める予定だったのだが、それも文歌がファンクラブ会員登録ページのURLと差し替えてしまっていた。
番組は絞まりすらせず、あざとく、だらしなく終了したのだった。