【殺害当日】
東明警察署、鑑識課の一室。
寝台に、白い布で覆われた一人の人物が眠っていた。
刑事は白い布をめくり遺体の顔を覗いていた。
若く、整った顔立ちの男。
その死顔には壮絶な無念の形相が浮かび上がっていた。
刑事は顔をしかめ、溜息をついた。
「相当、憎まれて殺されたな、倉橋 龍也先生」
刑事は懐から写真を取り出した。
捜査線上に浮かびあがった、六人の容疑者の写真。
「この中の、誰かは知らないが……」
【殺害前日】
【容疑者1 藍 星露】
午前七時十分。
私立東明高校、屋上。
繊細な美貌を持つ少女藍 星露(
ja5127)が、高校教師・倉橋 龍也と対峙していた。
まだ、登校してくる生徒はおらず、校庭にも、校舎にも人の気配はない。
「お前から呼び出すとは珍しいな?」
馴れ馴れしく肩を抱く倉橋を振り払い、星露は彼を睨む。
「もう、いい加減に……あたしを解放してよ!」
「ほぅ? あの映像、ばら撒かれてもいいのか?」
倉橋の言葉に星露は蒼ざめる……が、涙を零し、か細い声で訴えた。
「……来ないのよ、先々月から……」
星露の頭に、忌まわしい光景が閃く。
三か月前、三年C組教室。
授業中、星露はたまりかねて立ちあがった。
「先生、ちゃんと教えてください!」
「……あん?」
「全然テキストが進んでないじゃないですか! 話が脱線して雑談ばっかり! もう皆、やる気なくしてますよ!」
周りの生徒たちは、教科書に落書きをしたり、携帯ゲームをしたりと好き放題やっていた。
「自分が担任のクラスでは熱心に指導しているそうじゃありませんか! 他人のクラスだからって、酷くありませんか」
倉橋、気まずげに頭をかく。
「すまんすまん、そんなんじゃないんだが、好きな作家の項目だと、つい話が広がってしまってなあ。 お詫びに、やる気がある奴には放課後、個別授業してやるよ」
放課後、一人で生徒指導室に入る星露。
ドアの影に隠れていた倉橋が、突然、襲い掛かり、星露の口元を抑える。
制服を脱がせ、散々に凌辱した後、星露を撮影する倉橋。
三か月が経ち、朝の屋上で星露は忌まわしい告白をせねばならなかった。
「病院に行ったら……赤ちゃん……出来てるって……あんたの……!」
星露の告白に目を見開いた倉橋だが、すぐに不遜な顔に戻って星露の胸を鷲掴みにした。
「いっ……!
「――ま、出来たものはしょうがねぇ。 けど、その前に」
身嗜みを整えつつ倉橋が屋上を出ていく。
取り残されたのは、制服を乱され肌を顕にした星露。
「何で……こんな……」
涙に潤んだ瞳は、深い殺意の色に染まり始めていた。
【容疑者2 咲魔 聡一】
午前七時三十二分。
私立東明高校、三年A組。
皆が登校してくる前の教室で、クラス委員・咲魔 聡一(
jb9491)は、学園祭で行うクラス出し物の企画書を作っていた。
「出来ました」
教壇の上に、出来上がった企画書を置く。
「はい、ごくろうさんでした、と」
企画書を読みもせずに、担任許可欄にハンコを押す倉橋。
「見ないんですか?」
「お前に任せておきゃ大丈夫だろ」
スマホをいじりながら、欠伸をする倉橋。
「お疲れですか?」
親しげな笑顔で聡一は尋ねる。
「ああ、俺んち金融の仕事しててな、跡取りがなんだって親も兄弟も煩いのなんの 」
「跡を継がれるおつもりで?」
にこやかに微笑む聡。
「いや? この仕事給料いいし、周りに若い女は多いし、やめてたまるかよ」
聡一は、半分からかうような口調で耳元囁いた
「先生、それ問題発言ですよぉ」
「理事のお偉方にだって、ウチに金借りてんだ。 表に出来ない奴をな。 何にも言われやしねえよ」
傲然とした態度の倉橋を、聡一が冷たい表情で見つめている。
聡一の脳裏に閃く、幼い頃の記憶。
家で一人留守番をしていた聡一の元に、倉橋金融の者だと名乗る男が尋ねて来た。
黒メガネの若い男、それが倉橋本人だったのかはわからない。
翌日、父母は自動車で山奥にある湖の畔へ、聡一を連れて行ってくれた。
水遊びをする聡一の頭を、いつものように撫でてくれた父の掌。
その大きな掌に、突然、満身の力が籠められた。
湖に頭を沈められ見せられた、水の中の暗い記憶。
奇跡的に意識を取り戻した時、両親は冷たい遺体となって、湖面に浮いていた。
「へー、こりゃ近所だな」
倉橋の声に、聡一の意識は高校の教室へと引き戻された。
ネットニュースの一ページに興味を寄せているようだ。
「知ってるか? ここの近くで猫の死体が見つかったって」
「え、そうなんですか……? 」
聡一の掌に、猫の体温が蘇る。
聡一は猫が好きだった。
夕べも、掌で子猫を撫でていた。
そして、気が付くと大好きな猫を、幼き日の父のように……。
「水に沈められて殺されたんだと。 気持ち悪いよな、よくそんな事が出来たもんだ」
職員会議のため、教室から出てゆく倉橋の背中を、聡一の目は憎しみを持って突き刺していた。
『お前の、お前の親のせいだ! 俺がこんな風になったのは、お前の!』
【容疑者3 指宿 瑠璃】
休み時間。
黒髪の気弱そうな女生徒・指宿 瑠璃(
jb5401)が、廊下で滑って転びかけていた。
「せ、先生! ひゃぁっ!」
倉橋の大きな胸板が、瑠璃を温かく受け止める。
「あの、先生……あ、ありがとうございました!」
深々と礼をする瑠璃。
「先生のおかげで……わ、私、成績上がったんです!」
潤んだ目が、倉橋を見つめている。
「こんなブスでドジでとりえの無かった私にも、先生のおかげで勉強という唯一のとりえができました……先生はわたしの恩人です!」
倉橋に撫でられた瑠璃の顔が、真っ赤になった。
「せ、先生……」
次の休み時間、校舎の裏で瑠璃は一人、コミックのページをめくっていた。
ヒロインの女の子が「せ、先生! ひゃぁっ!」と転び、先生に抱きとめられている。
ページをめくると、ヒロインが猛勉強を始める。
先生に一目置かれるようになる。
やがて、頭を撫でてもらい顔を真っ赤にするヒロイン。
瑠璃は、読み飽きたそのコミックを焼却炉に投げ込んだ。
倉橋が担任になってからの数か月、瑠璃はこのコミックを忠実に再現しようと努力した。
全てが再現出来た、台詞も行動も、コミックの中のヒロイン通りだ。
それを終えた瑠璃の表情は、今までのようなラブコメじみたものとは程遠かった。
彼女が新たに開いたコミック誌。
そこには、恋人の生首を肉包丁で刈る、別のヒロインの姿が描かれていた。
瑠璃は、楽しげにそれを読みながら嗤った。
「先生……飽きちゃったし、殺しちゃおうかな」
【容疑者4 遠石 一千風】
結いあげた黒髪にスーツを纏った新人女教師。
遠石 一千風(
jb3845)は、絶望していた。
担任である三年C組の生徒たちが、全く授業を受けようとしないのだ。
教科書に落書きをしたり、携帯ゲームをしたりと好き放題やっていた。
声を張り上げて注意をしては、無視され、溜息をつく。
それを繰り返している一千風に声をかけたのは、クラスの優等生・星露だった。
「遠石先生、お話があります」
星露の顔には、深い陰が差していた
学年主任室で一千風と二人きりになった倉橋は、呆れ果てたように首を振った。
「遠石先生、それは図々しいでしょ」
「図々しい? 私のクラスでもちゃんと授業をしてくださいってお願いする事の、どこが図々しいんですか!? 生徒の将来のためです! 倉橋先生には、それが出来るだけの実力がおありじゃありませんか!」
一千風が声を荒げる。
倉橋は心外そうに、瞬きをした。
「図々しいですよ、遠石先生の査定成績をあげるために私に頑張って働けって言うんですもん。 いやいや参りました、そこまで図々しいとは」
首をコキコキ傾げながら、学年主任室の出口へと向かう倉橋。
その背中に一千風は宣言した。
「もういいです! 自分の担任生徒の成績だけを重視する、教師の査定方法が間違っていたんです! 理事会に相談します……藍 星露さんのお腹の赤ちゃんの事も!」
倉橋は一瞬、脚を止めたが、すぐ嘲笑いの表情で振り返った。
「いやいや、この事は、私から馴染の理事たちにお伝えしましょう」
倉橋は勝ち誇った視線で、一千風の横顔を撫でた。
「学校体制批判、先輩教師への言われなき誹謗。 いやはや――。 遠石先生はお綺麗ですから、もっとお金を稼げるお仕事に移れますもんね? 羨ましい話です」
笑いながら、学年主任室を出てゆく倉橋の背中を一千風は睨み付けた。
本当にバカだった。
何も知らず教師として憧れていたなんて。
こんな男、いちゃいけない。
私の人生をメチャクチャにして、さらに生徒の未来も壊そうとする。
孤立していた私が何を言っても無駄だろう。
ならば、いっそ……!
【容疑者5 紅 貴子】
カフェのバイトを終え、待ち合わせ場所に向かった紅 貴子(
jb9730)は、ふと足を止めた。
そこで、いわゆる痴話喧嘩が行われていた。
倉橋と、その学校の女生徒。
女生徒が泣きながら走り去ってゆくのを確認してから、貴子は倉橋に話しかけた。
「先週とは、違う娘ね」
声に怒りはない。
艶やかな黒髪と、薔薇色の唇、
本業がモデルである貴子にとって、その気になればまともな恋人を作る事など簡単な事だ。
いわゆる、割り切った付き合いだった。
「疲れるよ、何で自分が俺にとっての本命だなんて、勘違い出来るかなあ?」
倉橋の言葉が、押さえつけていた貴子の感情を、ゆっくりと活性化させ始めた。
「あなたはあの子の時もそうやって笑ったのかしら……?」
貴子には妹がいる。
両親は小さい頃に他界しており、姉妹二人きり、とても大切にし合っていた。
妹の担任が倉橋だった。
妹は姉のために、優等生でいようとがんばっていた。
それが災いし、倉橋に気に入られ、手を出された。
それからは、今と同じ展開だ。
本気になった妹を、倉橋は弄ぶだけ弄び、酷い扱いをして捨てた。
精神が不安定になり部屋から出なくなった妹。
だが、決して倉橋を責めようとはしなかった、自分が悪いと言い続けた。
真相を確かめるため、貴子は倉橋に近付いたのだ。
「あの子はずっと自分を責めて泣き続けているのに……あなたは今も笑顔で悲しみをばらまくのね」
気が付くと、貴子は声を張り上げていた。
数年間、身内にも見せたことのないほど感情に、身を震わせていた。
「分からないでしょうね、家族がどれほど大切かわからないあなたには……! 私にはあの子しかいないのに。 笑っていてほしかったのに!」
想いを吐きだし終えた貴子を、倉橋は嘲りの表情で見た。
「もう少しモノを考えろよ、兄弟なんか死んだ方がいい存在なんだよ。 一人居れば、遺産の分け前は半分に減る、二人居れば三分の一だ。 俺にとっちゃ、悩みの種だよ」
悪徳金融会社を営む両親の遺産を、倉橋は独り占めしたくて仕方がないようだった。
「金の話抜きにしたって、うざったい存在だろ? 引きこもりになった妹を、本当は邪魔だと思ってんだろ? 無理して大切なふりなんかすんなよ、捨てちまえよ。 お前だって本音ではそうしたいんだろ?」
――今すぐ、殺したい。
それが、貴子の本音だった。
だが、姉が殺人者になっては妹を一人ぼっちにしてしまう。
貴子は、殺意を抑えた。
いつまで抑え続けられるかわからないが、今は抑えた。
【容疑者6 九鬼 龍磨】
「俺の頼みが聞けないってのか」
古いバーのカウンターに、倉橋の声が響いた。
客は倉橋と、その連れである黒髪の大柄な青年・九鬼 龍磨(
jb8028)の二人しかいない。
一人きりのバーテンも客同士の揉め事には、無関心であらんと努めている。
「それは無理だよ、キミのクラスの辻くんではとうていW大には入れない」
「そこをお前の口利きでなんとかしろって頼んでんだ!」
龍磨は有名進学塾の講師である。
柔和な人柄が人気となり、最近は名も売れていている。
多くの高校や大学の関係者に顔がきくようになってきていた。
「僕の口利きでどうにかなるのは、あと一歩が足りないレベルの人間だよ、辻くんでは三歩も四歩も足りない」
「どうせ、お前の塾生を、何人かW大に押し込むつもりなんだろ? その枠を一つ辻に譲ってやってくれってだけの話だ!」
「それでは、頑張っている塾生に申し訳が立たない」
「助けてやった恩を忘れやがって……あばよ、能なしの役立たず」
倉橋は冷徹に吐き捨て、バーから去っていった。
龍磨は学生時代、倉橋にいじめから助けられたことがある。
今もそれを理由に利用されている。
倉橋にしてみれば教師への点数稼ぎにすぎなかったのだが、 龍磨自身は助けられたことに心から感謝し、それ『だけ』を支えに生きている。
受験に成功した沢山の生徒や父兄から、感謝と敬愛を受けているのに『だけ』をだ。
倉橋のような男に救われてしまった事実が、龍磨の心に歪みを生んでいた。
ひとり残された龍磨は、バーテンに語りかける。
「ねえ、マスター、今度は僕が、助けてあげなきゃいけないよね?」
その瞳に薄く涙が浮かぶ。
「悪いことをしてたら、止めてあげなきゃいけないよね?」
殺意の現れたその笑顔は、いっそ妖しいと呼んでしまいたいほど、哀しくも美しかった。
【投票時間】
視聴者たちは、六人の殺人者候補の中から一人を選択し投票をし始める。
このドラマにはロジックもトリックもない、ただ殺害に繋がる強烈な動機があるのみである。
一位の得票を得た者が、明日の殺人者となる――。
【殺害翌日】
東明警察署の受付に一人の人物が訪れた。
艶やかな黒髪と薔薇色の唇を持つ女、貴子。
受付を前に、静かな表情で何も言わずに立っていた。
「あの、どのような御用でしょう?」
受付の婦警が戸惑い、尋ねる。
「ありがとうと、伝えて欲しいのです」
「はあ、どなたにですか?」
「倉橋を殺してくれた少年にです」
貴子は白磁の頬に大粒の涙を流し、署の奥にいる少年に深々と頭を下げた。
「貴方がいなければ、私は妹を一人ぼっちにしていました」
取調室。
「だそうだ、綺麗な姉ちゃんだったらしいぞ」
報告した刑事は、皮肉げな笑顔を聡一に向けた。
聡一は、殺害当日の夜、自首を申し出に来たのだ。
スタンガンで倉橋を気絶させ、縄で縛って動けなくする。
流しに張った水の中へ、右掌で頭を抑えつけての、溺死による殺害。
それが、両親の仇討だった。
「まあ、何年かわからんが真面目に務めあげるんだな。 あんたまだ若いんだ、外に出たらしたい事もあるんだろう?」
刑事に言われ、聡一は頷いた。
「猫が飼いたいです――今度はちゃんと、可愛がれると思うから」
その右掌は、何もない空間を、丸く暖かな何かがあるかのように撫で続けていた。
心ならずも殺してしまった猫たちへ、心から詫びながら。