雲一つ無く、燦々と輝く太陽が眩しい朝空の下。
その清々しさを台無しにする、物々しいサイレン音があちこちで鳴り響く街の一角で、六人の女装男子達(一部本物の女性)が集まっていた。
「これでお店の人が通報する危険性はなし、と」
礼野智美(
ja3600)は、そう呟いて携帯電話の通話を切る。
彼女は今から依頼人を連れて行く喫茶店に、席の予約と軽い事情説明しておいたのだ。
これで無事に店に着きさえすれば、心穏やかにティータイムを楽しめるだろう。
問題は、事前の説明だけでは払拭しきれなかった道中の危険である。
智美は近くの交番に赴いた時に手に入れた情報を、その場にいる全員に伝えた。
「みんな、気を付けくれ。昨日、この近辺で何か事件が起こったらしく、今日は特に多くの警察が周辺地域を警戒しているらしいんだ」
忍の依頼とは全く関係のない所で起こってしまった事件。
その詳細までは知ることはできなかったが、警戒から気をピリピリさせている警察達は、不審人物がいれば容赦なく事情聴取してくるだろう。
智美が皆にそう注意を促していると、人気のない待ち合わせ場所に向かって、件の依頼人が歩いてくるのが見えた。
小麦色の健康的な肌をした、元気そうな少女だ。
大胆に肌を露出させたワンピースが恥ずかしいのか、頬を赤く染めて顔を俯けている。
いよいよ始まる任務を前に、念のため咲魔聡一(
jb9491)が自分の姿を確認した。
「中途半端な女装は逆に恥ずかしいんだけど…」
胸に詰め物はせず、メイクも基礎のみで喉仏も隠さないなど、今日の彼はあえて手を抜いた女装をしている。
「スカートの私服、姉上から借り髪の毛を三つ編みに。肩幅苦しいし胸ぶかぶか…似合ってないよなぁ、どう見ても変…よし」
智美も、自分が『女装した男』に見えているかどうかを確かめて頷いた。
各々が自分の格好をチェックしていると、彼らのことに気が付いた忍が、ドスドスと軽やかに駆け寄ってきて……少し距離を置いた所で、急に立ち止まってしまった。
何か眩しいものを直視してしまったかのように、目を手で庇いながら細める。
「な、なんて美形揃いなの……」
小さな声で何事かを呟いた忍に首を傾げつつも、カミーユ・バルト(
jb9931)は尊大な所作で離れた場所で立つ彼女に歩み寄った。
「僕たちが、君を必ず目的の喫茶店まで送り届けてやろう。忍君は大船に乗ったつもりでいたまえ」
貴族然とした、高貴な気品のあるカミーユの雰囲気に、ちょっとだけ気後れしてしまった忍が後退る。
女装をしているのに下品さの欠片もなく、どこかキラキラとした輝きを放っているカミーユに続いて、フリルドレスを着込んだ紺屋雪花(
ja9315)も、何やら緊張しているらしい忍に気さくに声を掛けた。
「初めまして 、貴女が忍さんですね。紺屋雪花と申します。どうぞお見知りおきを」
彼はそう言うと、何も持っていなかった手にポンッと花束を出して、彼女に手渡す。
即興の手品に、忍は軽く目を見開いた。驚きから、一瞬だけ緊張を忘れる。
それによって生じた心の隙間にするりと入り込むようにして、雪花は微笑みかけた。
「私のことは、今の間だけ『ゆき』とお呼び下さい」
「……ゆき、ですか?」
雪花(ゆき)の提案に忍が頭に疑問符を浮かべていると、聡一も続く。
「初めまして。私、咲魔『さとり』と申します。聡一……ふふ、どなたの事かしら?」
「あ、そういうことですか。今日はよろしくお願いします」
そこでようやく意図を汲んだ忍が、頭を下げる。
彼らの心遣いが嬉しかったのか、その頭を振り下ろす勢いでヒュンっと空気を斬るような音が鳴った。
「忍ちゃん、今日はよろしくね!」
少しだけ肩の力は抜けたものの、まだまだ恐縮そうにしている忍に弾んだ声を掛けたのは、恵瑠羅威(
jb4797)だ。
彼女はれっきとした女性なのだが、女の子らしい服装をしていても女装した美丈夫にしか見えない。
(わかる! すっごく分かるよ! 忍ちゃん! 仲間だー、仲間がいたー! 僕も女の子なんだよ! オトメなんだよー!)
どんな格好をしても、乙女ではなく漢女(オトメ)になってしまう。
似た悩みを持つ同士としてシンパシーを覚えたのか、忍は美形集団を前にしたことで生じていた緊張が完全に解れた。
気持ちに余裕が出てきたことで、一人どう見ても女性にしか見えない中津謳華(
ja4212)に気が付く。
骨格は明らかに女性のそれであり、胸も詰め物には見えないのだ。
忍が訝しげにしていると、彼女の疑問を察した謳華……今は『闘華』になっている彼が説明した。
「中津荒神流の107神技の2つを用いています。とはいっても、ちょっと骨をずらして筋肉を寄せて、喉をこう……コリュコリッとしているだけですけどね?」
闘華が学生証にある『謳華』の写真を見せると、忍は驚愕から限界まで目を見開いた。
完全に別人と言っていい謳華の雄々しい姿は、どう見ても男にしか見えない。
体の筋肉量や骨格すら変えてしまう謳華の技に、忍は強い興味を示した。
もしこの技を身に付けたなら、自分の悩みが無くなるのだ。
期待の眼差しを向けてくる忍に、しかし闘華は申し訳なさそうに苦笑した。
「忍さんも試してみますか? 馴れない方がこれをやると30分程で血管の圧迫に限界が来て破裂して死んでしまいますけども……」
闘華の説明に、忍は落胆からがっくりと項垂れた。
女性らしい姿になれるのは魅力的だが、流石に命には代えられない。
「忍さんのその姿は撃退士として、多くの命を守るため鍛えぬいた結果なのでしょう。そんなご自分の姿を、恥じることはありません。それが原因で女性らしく振舞うことに制限を……というのは実に悲しいこと。今日は思いっきり好きなことを楽しんでいただければ」
落ち込んだ様子の彼女に、ゆきは慰めの言葉を口にしながら、そっと肩に手を置いた。
「ところで忍さんの専攻は? 鬼道忍軍の変化の術を使えば、鍛錬を重ねる前の姿に戻る事も可能なは――」
ゆきがそう提案するも、忍は自分の肩に触れた手に意識が傾いてそれ所ではなかった。
これまで男性と接する機会が少なかった彼女にとって、その程度の接触でも刺激が強く――
「きゃっ!」
忍は小鳥が鳴いたような可愛らしい悲鳴を上げて、深く腰を落とした。
ズンッと足下の地がひび割れ、つい全身の力がのった両の手の平を前に突き出す。
瞬間、ボッと肉を叩く音が空気を震わせた。
腹部を襲った衝撃に吹き飛ばされ、ゆきがゴフッと息を吐く。
並の撃退士であれば即病院送りの一撃であったが……彼は、痛みを堪えて立ち上がると、気丈に笑顔を浮かべた。
「はっはっは、照れ屋さんな所も実に可憐ですね」
「ご、ごめんなさい!」
恥ずかしさからつい押してしまった忍は、彼に駆け寄って慌てて頭を下げる。
勢いよく振り下ろされた額が、今度は同じくゆきの傍に来ていたカミーユの頭にドゴンッと重々しい音を立てて衝突した。
あまりの圧力に、彼の足首が陥没した路上に埋まる。
一瞬だけ白目を剥いたカミーユだったが、すぐに意識を持ち直した。
「ふっ、なかなか良い突きを持っているな」
「あわわわ、ごめんなさい」
平然そうにしながら、実はダメージから足をガクガクと震わせているカミーユに、忍は深々と頭を下げて謝罪した。
忍に男に対する免疫がないことを察し、目的地までの道中では中身も同じ女性である智美と恵瑠が、彼女の両脇を固めることにする。
「そういえばね、最近この近所に出来たケーキ屋のシュークリームが美味しかったよー!」
忍が尻込みしてしまわないよう、恵瑠が他愛もない話を振りながら、一行は目的の喫茶店へと出発したのだった。
●
「今日はカフェに行って美味しいケーキを頂くだけよ。警戒なさる必要がありまして?」
そのさとりの言葉により、こそこそせずに堂々と喫茶店へ向かうことになった。
「あそこのお店、可愛い洋服がいっぱい揃っているんだって!」
皆の頼もしさに加えて、忍の同士とも言える恵瑠が積極的に話しをしてくれるお陰で、彼女の内心にあった怯えが消える。
このまま何事もなく喫茶店に着けば最良であったのだが……どうしてかその日は、いつも以上にアクシデントが多かった。
「そこの貴方、待ちなさい! いえ、お待ちになって!」
「――くっ! 忍くん、こっちだ!」
カミーユがそう言って忍を先導すれば、何故か追い掛けてくる婦警の数が増え――
「お姉様をいじめないでください! 撃退士として皆を守るために鍛えぬいた結果の仕打ちがこれだなんて、あまりにもひどすぎます……っ!」
忍法【友達汁】と乙女の涙を駆使したゆきが、憂い顔に心を射貫かれた警官たちに群がられ――
「普段男に見える女の子同士で流行の喫茶店に行ってみようか、という話になりまして……あの、聞いてます?」
「そんなことよりも、貴方の氏名と連絡先を教えてもらますか?」
ゆきと同じく【友達汁】を使った智美が、目をハート型にした婦警にしつこく事情聴衆され――
「僕は女の子だってばぁ!」
「ええ、ええ、分かっていますよ。それでは同じ女同士ですし、体の隅々まで身体検査しましょう」
「め、目が怖いよ!?」
目を血走らせて手をワキワキさせた婦警に気圧された羅威が、慌てて逃走し――
「驚かせてごめんなさい。でもね、彼女は身も心もれっきとした女の子なの。だから、そう怖がらないであげて?」
「うん!」
優しく諭した少女に、しばらく相手をしていた闘華が懐かれすぎた挙げ句……
「お姉ちゃん、私と結婚して!」
「申し訳ありません『謳華』には既に愛し、愛してくれる大切な方がいます。貴方も、きっと良き方とめぐり合う事ができますよ」
と、幼い求愛を断るハメになって少女に泣き出されたり――等々。
行く先々で足止めがあったせいで、目的の喫茶店に着く頃には、忍とカミーユ、聡一の三人になっていた。
「今日はどうして、あんなに婦警さんが多かったのでしょう?」
いくら事件の影響で警戒網を敷いているといっても、あまりにも警察……それも婦警ばかりに遭遇したことに、忍が不思議そうに首を傾げる。
だが本来の狙いからは外れているものの、色々な意味で注目を集めやすい六人に囲まれることによって忍に目が行かず、彼女は無事に念願の喫茶店へと辿り着いたのである。
残りの面々は遅れて合流することになっており、ひとまず三人は先に店へと入った。
●
アンティーク調の、可愛らしい内装をした喫茶店の一角。
カップを持ち上げたカミーユが中の紅茶を口に含むと、彼は少しだけ口端を弛めた。
「美味しい……ふむ、良い店じゃないか」
貴族然とした外見を相俟って、足を組んで優雅に紅茶を飲む姿が似合っている。
そんな彼の姿を眺めて、ほうっと熱いの息を吐いていた忍に、とある企みから咲魔さとりが声を掛けた。
「忍ちゃんも裁縫をするそうね。ぜひ詳しくお話聞きたいわ」
ちょっと普段より声を大きくして話すのを心掛けながら、さとりは頭にリボンを巻いた猫のハンドパペットを取り出す。
その愛らしさに、思わず忍はうっとりと目尻を弛めた。
「この子私が作ったのよ、可愛らしいでしょう?」
『初めまして!にゃん子だにゃ!』
さとりが腹話術でパペットを動かすと、忍は慌てて鼻からこぼれ落ちそうになったものを手で抑えた。
「ええ、とても可愛いです……」
目をキラキラさせてパペットを見つめる忍に苦笑しながら、さとりは彼女から裁縫に関する話を引き出していくように、会話を誘導する。
さとりは忍の持つハンカチの刺繍などから、彼女の裁縫技術はかなり高い水準であると認識していた。
(思うに、問題は容姿よりも孤立している現状の方だ。友人が出来れば、自ずと真相も知れ渡る筈……何とか彼女が友達を作れるようにしてあげたい)
そう考えていたさとりは、折を見て話を切り出す。
「そんな素晴らしい裁縫の技術、一人で楽しむだけでは勿体無いわ。学園には手芸の集いが沢山ある。忍ちゃんも加わってみたら如何かしら? 不安なら私もついていくから」
『友達いっぱい!お勧めだにゃー』
「…………」
さとりの誘いに、しかし忍は顔を俯けてしまった。
「でも、私なんて――」
「もしかして、忍さん?」
唐突に声を掛けてきたウェイトレスの女性に、忍が目を丸くして顔を上げる。
「貴方は、同じクラスの――」
「盗み聞きするような真似をして、ごめんなさい。でも忍さんって、もっと怖い人だと思っていたのに、全然イメージと違ってて……それに手芸が得意だって聞こえたから」
「う、うん……」
最初はおずおずと、やがて二人の会話が弾んでいく。
この時、さとりは自分の目論みが上手くいったことを確信した。
智美による事前調査により、忍のクラスメイトがこの店で働いていることを、さとりは知っていたのだ。
人が少ない時間帯を調べて席を予約してあったので他に客はおらず、二人が会話する暇は十分にある。
(あとは、彼女次第だよね)
切っ掛けは作った。
ここから彼女らが友達になれるかどうかは、二人の問題だろう。
「あ〜、酷い目に合ったよ。あの婦警さん、怖すぎ!」
「思わず【縮地】で逃げてしまった……」
「レディの願いを叶えるためとはいえ、大勢の男に口説かれる経験は遠慮したかったな」
「あの子にも、将来いい人が見つかれば良いのですが……」
よくやく喫茶店にやってきた四人と合流し、それから六人+二人のティータイムは長々と続いたのだった。