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岩に囲まれた白濁湯から、温泉の独特な匂いが漂う露天風呂。
その静謐で心地よい空間に足を踏み入れると、湯野琴羽(
jb9497)は夜空に浮かぶ満月を眺めて目を細めた。
「お天気良くてよかったですねぇ」
「月が綺麗だよね! こんな日に温泉に入れて幸せ♪」
琴羽に続いて風呂場に入ってきた文月輝夜(
jb8554)が、弾んだ声を上げる。
手に小さなタオルを持っているものの、二人は衣類を一切身に付けていなかった。
輝夜の髪にある鈴の付いたかんざしや、琴羽の手にある円柱型をした銀色の容器以外は、おおよそ入浴時において正しい姿である。
故に、二人が恥ずかしがる要素は何もないはずなのだが……輝夜は、羞恥心から萎縮しそうになる気分を誤魔化すようにして、殊更元気そうに振る舞った。
「ここのお湯、美肌効果もあるんだって! もっと綺麗になれるのかな? ねえ、早く入ってみようよ!」
「あらあら輝夜ちゃん、あんまりはしゃいでいると転びますよ?」
「分かってるよ、琴羽お姉ちゃん……って危ない!?」
温泉の泉質上、滑りやすくなっている床に足を取られて、琴羽が転び掛ける。
斜めに傾いて倒れゆく彼女の体を、輝夜は慌てて支えた。
反動でタオルを手放し、二人の体がより露わになる。
その瞬間、ぐっと強くなったソレに、輝夜は思わず小さく呻いてしまった。
(ディアボロの注意を引くために、出来るだけ自然体でいないといけないんだけど……落ち着かないよぅ)
心の中で弱音を吐きながら、輝夜はさり気なく露天風呂から見える山間の景色へと目を向ける。
そうして見えるのは、組体操の大技、人間ピラミッド。いや、正確にはディアボロピラミッドと言うべきか。
久しぶりの……それも極上の獲物の気配を本能で嗅ぎ付けた彼らは、輝夜達が想定していた時間よりも早く姿を現し、狭いベストポジションに殺到して体を縦に積み重ねていた。
本人達は隠れているつもりなのかもしれないが、あれでは撃退士でなくても丸分かりである。
肌に突き刺さるような熱視線を浴びて、どうしても動きがぎこちなくなる輝夜。
そんな彼女とは裏腹に、琴羽はまるでディアボロの目に気が付いていないかのように、自然体で輝夜に話し掛けた。
「わたくし、マナー本で温泉の作法や楽しみ方を勉強してきたんですよ」
「そうなの?」
「ええ、まずは背中の流し合いです。輝夜ちゃん、そこに座ってくださらない?」
「う、うん……」
少しだけ嫌な予感がしたが、輝夜は素直に浴室に備え付けられた椅子に座る。
早速、琴羽は円柱型の容器に入っていた液体で自分の体を泡立たせると、輝夜の無防備に晒された小さな背中にぎゅむっと抱きついた。
「それ♪」
「ひやぁぁあ! 琴羽さ…お姉ちゃん、もしかして読む本を間違えてない!?」
思わず悲鳴を上げつつも、辛うじて親戚同士という設定を守る。
唐突に始まった過激な流しっこに、山の森から歓声が聞こえた気がして――
次の瞬間、遠方で豪快な爆発音が鳴り響いた。
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少し時は遡り、琴羽と輝夜が温泉宿の脱衣場で服を脱いでいた頃。
月明かりに照らされた森の中を、音もなく進む四人組がいた。
その中の一人である黒装束を着込んだ少女……ファラ・エルフィリア(
jb3154)が、闇の翼で空に飛び上がって周囲を確認する。
彼女は事前に、温泉宿の従業員らから「視線」を感じたとされる方角を詳しく調べていたのだが……現場に来てみれば、開けた場所に集まっているせいでディアボロ達の位置は探すまでもなく丸分かりだった。
ファラからディアボロ達発見の報を聞くと、久遠ヶ原学園の女子制服を着た鑑夜翠月(
jb0681)が、悲しそうに顔を俯かせる。
「えっと、その、生前に遣り残した事とはいえ、女性のお風呂を覗くのは――」
「なんとも破廉恥でござるな」
翠月が口にしかけた言葉を、淡雪(
jb9211)が継ぐ。
彼女は、着物の懐に忍ばせておいた位牌をギュッと握って意気込んだ。
「これは、おじいさまの大好きだった『時代劇』とやらの勧善懲悪をやる時でござるな! がんばるでござるよ!」
「うんうん、乙女の柔肌を無断で見るたぁふてぇやろーだよねっ」
ファラが、目を爛々とさせながら義憤を露わにする。
夜闇の中、きのこ柄の迷彩服を着ているせいか逆に目立っている橘樹(
jb3833)も、怒れる三人に同調した。
「まったく、はれんち極まりない……ファラ殿その瞳の輝きはどうしたんだの」
「溢れんばかりの決意の表れだよ!」
樹に指摘されると、ファラはさらに瞳を輝かせて、むふーっ!と鼻から熱い息を吐く。
作戦に差し障りのない範囲でチラチラと露天風呂を眺めている姿からは、「仕事でのぞき放題だぜやっふぅぅ!!」という心の声がダダ漏れであった。
そんなファラの様子に、樹が苦笑していると……
突然、ディアボロ達の空気が一変した。
殺気にも似た、ピリピリと重く張り詰めた空気に、四人は慌てて身を潜める。
何事かとディアボロ達を伺うと、彼らの視線が露天風呂に現れた二人の女性に釘付けになっていた。
我先にとベストポイントに集って人間ピラミッドを形成した彼らは、鬼気迫る様子で露天風呂を注視している。
やがて二人のタオルがはだけ、その下に隠れていた桃源郷が晒されると、ディアボロ達は歓喜に身を震わせ……直後から、仲間割れを起こして戦い始めた。
ディアボロの一体が、背が低い方のなだらかな胸板を見て、アフッと鼻で笑ったのだ。
それに反応した二体のディアボロが急に怒り始め、さらには他の三体が鼻で笑ったディアボロに加勢したことで、大乱闘になる。
先程まで仲間だったはずの相手と本気の戦いを繰り広げるディアボロ達に、翠月は困惑した声を上げた。
「あのディアボロ達、放っておいても全滅するんじゃないでしょうか?」
「ふむ……いっそ、どちらかに加勢してみるかの?」
樹の提案に、ふと淡雪が首を傾げる。
「橘殿は、どっちに加勢したいでござるか?」
何気なく聞かれ、樹が数が少ない方に加勢する方が合理的だと答えると、ファラが意味ありげな含み笑いをした。
「ほむ、橘さんは貧乳派なのかな?」
「ち、違うからの!」
「あの、ここは事前に決めていた作戦通りにいきましょう。ディアボロ達が動きを止めている間に、三方向へ」
後ろ髪を指に絡めて敵の動向を見守っていた翠月は、ディアボロ達が急に喧嘩を止めて再び露天風呂を注視し始めたことで、そう判断する。
ディアボロ達のいる覗きポイントを中心にして、四人は三方向に分かれることにした。
ばれないよう静かに移動し、それぞれが所定の位置に付いた頃を見計らって、樹がペンライトを振って合図を送る。
敵が風呂場で始まった過激な流しっこに夢中になっている内に、樹はぐるぐるとペンライトの光を回してから、点滅でカウントダウンを取った。
三つ目の点滅の後、三人が同時に範囲攻撃を放つ。
「ごめんなさい、ここで退治させていただきますね」
鑑夜翠月が、花火のように色とりどりの爆発を起こす魔法、ファイアワークスを。
「イイ思い出と共に逝きなァっ!」
ファラ・エルフィリアが、足下に出現した炸裂陣から巻き起こる爆発を。
「覗きは犯罪だの!!!」
橘樹が、直線上の敵をなぎ払う炎の球体を。
三方向から放たれた火の攻撃が、ディアボロ達を灰燼に帰せんと殺到する。
折り重なった三つの攻撃は、敵が立っていた場所を中心に、大地を震わすほどの大爆発を引き起こした。
烈風と共に激しい火柱が立ち上り、辺りが昼間のように明るく照らし出される。
感じた手応えから、攻撃を放った三人は敵を仕留めたことを確信していた。
しかし――
「も、燃えながら覗いている!?」
燃せ盛る炎の中、まだ原型を留めて覗きを続行していたディアボロ達に、樹が驚いた声を上げる。
赤く揺らめく衣を纏いながら、ディアボロ達の目は依然として露天風呂の方向に向いていた。
今も肉体を焼かれ続けているというのに、苦しむ素振りを見せるどころか逃げようとすらしない。
攻撃をしてきた敵に構うこともせず、ただ粛々と自分達の本分を全うしようとしている。
死に瀕して尚、決して己が信念を曲げない侍たちの姿が、そこにはあった。
「なんという執念。敵ながら天晴れでござる」
淡雪が、思わず感心から目を丸くした。
「我が従者よ、参れ」
すぐに我に返った彼女は、暗青の鱗を持つ竜……ストレイシオンを召喚して、追撃を掛けようとする。
「尽く滅するが良――」
「……えっと、もう死んでますよ」
翠月の言葉に、すぐに他の皆もそれに気が付いた。
淡雪も、飛び掛かりかけていたストレイシオンを慌てて制止する。
攻撃前から微動だにしていなかったので、分かりづらいが……彼らは既に、立ったまま息絶えていた。
恐らくは、燃えている途中で力尽きたのだろう。
「見てよこれ。ラ〇ウのポーズだよ、一片のくいもない感じだよ」
右手を天に突き上げて死んでいるディアボロに、ファラは呆れているのか感心しているのか分からない声を漏らす。
念のため淡雪が召喚したストレイシオンがディアボロの体を粉々に砕き、その夜の戦いは終わったのだった。
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無事にディアボロの討伐を終えた後は、任務に参加した面子で温泉を楽しむことになった。
今日は他に一人も客がいないから自由にしていいと、温泉宿の経営者から許可を貰っている。
先に露天風呂に入っている囮役の二人と合流すべく、討伐役であった四人は浴場の手前にある脱衣場へと直行した。
「わぁい、混浴混浴ー♪」
弾んだ声を上げながら、あっという間に服を脱いでしまったファラに、女性用の脱衣場まで強引に連れて来られた樹が慌てて目を逸らした。
「えっ……混浴なんだの……? わし恥ずかしいから目隠ししておくの」
そう言って自分からタオルで目隠しをするする樹に、ファラと同じく既に服を脱いでいた淡雪が苦笑する。
「む? 樹殿、目隠しでござるか? 相変わらず『しゃい』でござるなぁ」
「いえ、あの、恥ずかしいのが普通じゃないでしょうか?」
四人の中では唯一の人間である翠月がそう指摘するも、常識が色々とズレている三人には通じない。
そう言う翠月も、実は同じぐらいズレているのだが……タオルを体に巻いてキッチリ胸まで隠している姿に違和感がなさすぎるせいで、まだ誰も気が付いていなかった。
「転ぶと危ないよー? 手ぇ繋いで行こっか♪」
しめしめといった笑顔を浮かべたファラが、そう言って樹の右手を引く。
「うむ。拙者もファラ殿と一緒に手を繋いで湯船まで案内するでござるよ! 」
淡雪がファラとは反対側の左手を引き、樹は目隠しをした状態で二人に挟まれながら、露天風呂のある浴場へと足を踏み入れた。
ファラは樹を誘導しながら、さりげなく彼の進行方向に石鹸を転がす。
彼女の目論み通り、樹は石鹸を踏んで体のバランスを崩した。
「って橘さんが豪快に転んだぁああああああ! うっかりタオルも外れてOH!YES!!」
叫びながら、ファラはどさくさに紛れて樹の腰に巻いてあるタオルを剥ぎ取る。
彼は大事な所を隠すものを奪われたことに気が付かぬまま、勢いよく温泉の湯にダイブした。
「な、何!? あれ、橘樹さん?」
「ディアボロの討伐、お疲れ様です」
盛大に水飛沫を上げる樹に、先に湯に浸かっていた輝夜が驚いた声を上げ、琴羽がマイペースに労う。
「すすすすすまぬ、悪気はぬおおおおお」
二人の声に、樹は赤面しながら慌てて立ち上がった。
白濁の湯は、彼の体を太股までしか隠してくれず……
「♂!?」
「あらあら、立派ですね」
輝夜が持ち前の好奇心を満足させ、琴羽が無邪気に感想を述べる。
ある意味で大事故を起こしている樹に、淡雪とファラは体を一切隠そうともせずに歩み寄った。
「勢いよく滑ったでござるが、大丈夫でござるか〜? ……おやファラ殿、目が煌めいているでござるが如何した?」
「心のカメラで、ちょっと撮影をね」
「えっと、手に本物のカメラも持っていますよね?」
堂々とデジタルカメラのシャッター音を鳴らすファラに、翠月が小さな声でツッコミを入れた。
と、その翠月が浴場の端で小さくなっていることに気が付き、ファラが不思議そうに声を掛ける。
「鑑夜さん、何でそんな隅にいるの? こっちに来なよ」
「それは、その……目のやり場に困って……」
「……?」
男である樹ならともかく、同じ女同士で何を言っているのだろうか?
……と思った所で、ようやくファラは翠月の性別のことを思い出して、ポンッと手を打った。
「ああ! 違和感がなくて、男の子だったのを忘れたよ」
代わりに、男の子なのにタオルで胸の上まで隠す必要があるのだろうか? という疑問が浮かんだが、似合っているので触れないことにする。
「みなで温泉につかると幸せだの……」
未だ腰のタオルを失っていることに気が付かぬまま、樹が湯に肩まで浸かってそう呟く。
しばらく皆で温泉を楽しんでいると、やがて気分が乗った輝夜が軽やかに歌い始めた。
露天風呂から見える山間の景色によく合う演歌調の歌声に、淡雪はほぅっと心地良さそうな息を吐く。
「風流でござるなぁ。これに、日本酒の熱燗があれば完璧でござった……」
「あ、お酒はないけど牛乳ならあるよ」
「ふむ、牛乳でござるか?」
歌を止めて牛乳を勧めてきた輝夜に、淡雪は微妙な顔をしかけて――
「わたくしが読んだマナー本によれば、牛乳を飲むと胸が大きくなるとありましたわ」
「頂くでござる!」
琴羽の言葉に、目をぎらつかせた。
他にも次々と牛乳を所望する声が上がったことで、輝夜は一旦脱衣場に戻り、本当ならみんなで風呂上がりに飲もうと用意していた牛乳を人数分持ってくる。
ファラは受け取った牛乳を一気に呷ると、ぷは〜っと息を吐いた。
「たまにはお酒じゃなくて、こういうのも良いね〜。ほら鑑夜さんも、飲まないと大きくなれないよ!」
「いえ、あの……僕がいくら飲んでも、大きくならないと思うんですけど」
胸元を見ながらそう言ってくるファラに、鑑夜はチビチビと牛乳を飲みながら困ったような笑みを浮かべる。
広い露天風呂を貸し切りという贅沢な宴は、賑やかに夜遅くまで続いたのだった。