ファミレスの奥にある小さな事務室に、電子音が鳴り響く。
受話器を取った店長の耳に聞こえて来たのは、凛とした女性の声だった。
「今そちらに向かってます、窓から引き離すので厨房などの奥への避難を開始してください」
撃退士だ。彼等が助けに来てくれる。
それを聞いて、部屋のあちこちから安堵の溜息が漏れた。
通話を切った月影 夕姫(
jb1569)は、スマートフォンをグループ通話のモードに切り替える。
その間も足は止めずに、全力で目的地へと走った。
「その角を曲がった所……」
コンビを組んだ楯清十郎(
ja2990)が、地図を見ながら方向を指し示す。
「あれです!」
馴染みのチェーン店の、見慣れた建物。二階部分にある店は、通りを向いた正面と側面の二方向が全面ガラス張りになっている。
そこに、見た事のないものが貼り付いていた。
正面に浮いた二つの目玉が、くるりと後ろを向く。青い虹彩が二人を睨み付けた。
「上を取られるのは厄介ですね。お酒をあげれば乗れるなんて事も無さそうです」
その視線が再び逸れる事のない様にタウントで固定すると、清十郎は飛龍翔扇を構えた。
「射撃の的ではないですが、狙う目安にはなりそうかな?」
目玉の中心を目掛けて扇子を投げる。
と――
ぶるんっ!
命中の瞬間、目玉が震えて独楽の様に回転した。その勢いで扇子が弾き飛ばされる。
手元に戻る筈の扇子は、コンクリートの上をカラカラと音を立てて転がって行った。
拾いに行くか、それとも得物を変えるか……だが、迷っている暇はない。2体の目玉から、清十郎の位置を正確に狙って光線が放たれる。
それを咄嗟に構えた盾で受け止めた清十郎は、白銀の杖をかざして後ろへ下がった。
注目の効果はまだ続いている。2体は清十郎の後を追って窓から離れ、地上へと降りて来る。
そこで清十郎は一転、前に飛び出すと片方の目玉に向けて杖を振り下ろした。
「どうやら、魔法攻撃の方が効きやすい様ですね」
虹彩の色を赤く変えて跳ね回り、光線を放ちながら押し潰そうとする目玉の攻撃をかいくぐりつつ、清十郎はその調査結果を夕姫に伝えた。
それを他の仲間にも伝えると、夕姫は側面に残った1体の目玉と対峙する。
姿は変でも能力はシャレにならない。だが、これ以上は……
「やらせないわよ、絶対に」
夕姫は黒く光る五つの球体を身に纏った。
「窓から離れなさい!」
自分の攻撃でガラスを割る事のない様に、まずは横に回り込んで一発。そこから少しずつ角度を変えながら、次々と撃ち込んで行く。
五発目を打ち終わった時、夕姫は完全に建物を背にして立っていた。
これで、被害を気にする事なく攻撃に集中出来る。
「さあ、覚悟なさい」
夕姫の周囲に、再び黒い球体が現れた。
その先にあるスーパーを狙う敵は5体。ここには3人の撃退士が駆けつけていた。
平屋の建物は、駐車場に面した正面の全てがガラス張りになっている。残る三方は壁面で覆われている為、5つの目玉達はそこに横一列となって並んでいた。
その様子を見たアリス・シンデレラ(
jb1128)は、残る二人を制して列の横に回り込む。
「敵が固まっているうちに、一気に決めるわね」
闇の力を腕に纏うと、並んだ目玉を3つ纏めて串刺しにした。その列が乱れないうちに、もう一撃。
が、流石に三度目ともなると列も乱れる。
串刺しにされた3つの目玉はガラスの向こうの獲物よりも、自分に傷を付けた撃退士達の方に興味を持った様だ。
だが、残る2つは相変わらずガラスに体当たりを繰り返している。
戦う前に、中の人達に声をかけて安心させておきたい――蜜珠 二葉(
ja0568)はそう考えていたが、どうやらそんな余裕はなさそうだ。
ここは、もし万一の事があっても彼等がパニックを起こさない様にと祈るしかない。
(無力な身では御座いますけれど、わたくし達を信じて、その場で耐えて下さいますように……)
そう念じると、二葉はガラスに取り付いた目玉を狙ってアサルトライフルを横から撃ち込んでみた。
魔法の方が効きがが良いらしいとの連絡は受けたが、至近距離での銃撃なら効果も違うかもしれない。
撃ち込まれた弾丸は、ぷすりと音を立てて白い体にめり込んで行く。
くるりと振り向いたその目は、赤く燃えていた。
効いてはいる様だが……怒った目玉は闇雲に跳ね回りながら、周囲に光線を撒き散らす。
そこに他の目玉からの攻撃も加わって、二葉はすっかり防戦一方。
「まずはこの数を減らした方が良さそうですね」
二葉は得物をカーマインに切り替えると、スタンを狙った一撃を見舞う。
紅い糸に絡め取られた目玉は、その場に落ちて転がった。
次の攻撃に備えて気を練ろうと動きを止めた二葉に、2体の目玉が襲いかかる。
だが、左右から体当たりを仕掛けようとした所に、鍋島 鼎(
jb0949)が横合いから炸裂符を叩き付けた。
攻撃を逸らされた2体は、その矛先を鼎に向ける。だが、それこそが鼎の狙い。
敵の目を自分に引き付けた所で素早く身を翻すと、今まで鼎が立っていた場所に黒い影が落ちる。その影から現れたのは、大鎌を手にした何体もの闇の塊だった。
アリスの形をした闇は片方の目玉を取り囲み、切り刻む。大きな目玉は次第に痩せ細り、浮力を失って地に落ちた。
その間に準備を終えた二葉は得物をライフルに戻し、練り上げた気の全てを注ぎ込んだ一撃を加える。
目玉が水の入った風船の様に弾け飛んだ。
続いて、二葉はガラスを狙っていたもう1体の目玉を地に転がし、その始末を死神の大鎌に委ねる。
ここに至って漸く不利を悟った残る2体は、そろりそろりと現場を離れようとしたが……
「逃がしませんよ」
その前に立ち塞がった鼎に炸裂符を叩き付けられる。
押し戻された2体は、仲間達の火力で吹き飛ばされた。
「ここはもう大丈夫そうですね」
周囲を一通り見て回った後、いつの間にか受けていた傷を癒やしながら鼎が言った。
敵の数が多かったとは言え、こちらも人数を割いただけあって、それほど苦戦する事もなかった様だ。
しかし、まだ何処かに隠れている個体がいるらしい。
「避難している人達に、まだ外には出ない様にと言って来ますね」
退治完了の報告も兼ねてと、二葉が店の奥へ入って行く。
残る敵に関しては、索敵に向かった仲間が上手く見つけてくれるのを祈るばかりだが……
まだ、連絡はない。
鼎にとって、人ならぬ存在と共に戦うのはこれが初めての事だった。
天使や悪魔……彼等によって何か被害を被った記憶はない。
なのに、心に湧いた猜疑心を消し去る事が出来なかった。
憎むには過去が足りない。信じるには何かが足りない。
足りないものは、何だろう。
信じるための何かを、見定めたい。
鼎は彼等との間を繋ぐ小さな機械をそっと握り締めた。
敵の存在が判明している最後の場所、オフィスビルにはハルシオン(
jb2740)が向かっていた。
二階の窓の外に2つの目玉が浮かんでいる。それに気付かれない様に、ドアをすり抜けてビルの中に入る。
階段を駆け上がってドアを開けると、一斉に悲鳴が上がった。どうやら敵と勘違いされたらしい。
「助けに来たのじゃ。先ずは落ち着いて欲しいのじゃ!」
そう言われても、パニックはなかなか収まらない。
「生き残りたくば、わしの言うことを聞いて欲しいのじゃ……駄目かのう?」
かくーり。可愛らしく小首を傾げて見せる。
「……敵じゃ、ないのか?」
震える声でそう問われ、ハルシオンは久遠ヶ原の学生証を見せた。それは、正真正銘味方の証。
そこで漸く話を聞いて貰う事が出来た……のは良いのだが。
――カシャーン!
派手な音がして、ガラスが割れた。
――キャーッ!
もっと派手に、悲鳴が飛び交う。
ガラスの強度を上げた商業施設とは違って、オフィスビルの窓は脆いのだ。
その代わり、少し小さい。
その狭い窓枠に体を無理やりねじ込んで、目玉達は部屋の中へ入って来る。
「落ち着くのじゃ! 落ち着いて三階へ避難するのじゃ!」
パニックになった人々を廊下に押し出しながら、ハルシオンは氷晶霊符が生み出した氷の刃で目玉を狙う。
娯楽溢れるこの世の中を守る為、それを生み出すかもしれない大事な人々を守る為。
「まったく、お主等を生み出したのは誰じゃ?」
……此の良さが解らぬ愚か者共め。無粋な目玉達に、心の中で悪態をつく。
だが、二対一ではいかにも分が悪い。その背に民間人の命を負っていれば、尚更だ。
「通路にバリケードを築くのじゃ! ここはわしが食い止める!」
背後に向かって叫びながら、ハルシオンは既に室内に作られていたバリケードの間をぬってちょこまかと動き回る。
「ほれほれ。こっちじゃぞ、何処を見ておる!」
こっちじゃ! こっちじゃと言うに!
……援軍は、まだかのう?
その頃、カルパ・コメット(
jb2869)とナナシ(
jb3008)は敵の姿を探して空を飛び回っていた。
カルパはまず見通しの良い大通り沿いを飛んでみる。
「敵の行動様式から見て、大きな窓のある建物が怪しいと思うのですよね」
そんな場所は、大抵が広い通りに面している。空からでも充分確認出来る筈だ。
しかし、いくら跳び回ってもそれらしい姿は見付からない。
仕方がないと、カルパは地上に降りる。こうなったら地道に足で稼ぐしかない。
歩き始めた途端、何かがポロリと落ちて胸の前にぶら下がった。
「……ぁ」
携帯電話に差した、マイク付きのイヤホン。ぶらぶら揺れるそれを捕まえて、再び耳に押し込む……が、猫の耳にはどうにも据わりが悪い。
歩く度にポロポロと落ちるイヤホンを、その度に耳の中に押し込みながら、カルパはふと可笑しくなった。
戦いは好きではない。なのに今、人の為に戦おうとしているのは、何故だろう。
(人が死ぬと、友達が悲しむ)
だから……か。
我ながら影響されすぎだとは、思う。
とは言え、特段理想を低く定める理由もなかった。ならば、これ以上の犠牲者を出さない。それを目指そう。
一方のナナシは、イヤホンを片耳だけに嵌めて、もう片方の耳で周囲の音を拾いながら飛んでいた。
敵が居るなら、その場所では何かしら騒ぎが起きているかもしれない。
と、その空いた耳に何かが飛び込んで来た。小さく、くぐもった……地の底から聞こえる様な、叫び?
ナナシは周囲を見渡してみるが、それらしい騒ぎは見当たらない。
「でも、確かに聞こえた……」
ほら、また。
地上に降りたナナシは、声がした方向に走る。
と、そこにビルの地下に吸い込まれて行く様な道があった。
「地面の下にも道が?」
人間は面白いものを作る。そう思いながら道を辿ったナナシの耳に、今度は聞き間違える筈もない音量で悲鳴が響いた。
そこはショッピングセンターの地下駐車場。何も知らずに降りて来た客が、2つの目玉に追われていた。
「2体、発見したわ!」
イヤホンマイクに向かってそう叫ぶと、ナナシは弾かれた様に飛び出す。
人と目玉、その間に割って入ると、ナナシは黒いフード付きのローブを翻して光線を防いだ。
「柱の陰に隠れて」
一言告げると、床を蹴って舞い上がる。
だがこの場所は天井が低く、相手の上を取る事はほぼ不可能。
ならばと、外へ誘い出す事にした。
「ほら、こっちよ!」
目玉達は柱の陰に隠れた獲物よりも、目の前を飛び回るナナシの方に気を取られた様で、床や天井にぶつかりながら追って来る。
外に出ると、ナナシは目玉達の遙か上空まで舞い上がった。
「悪いけど、一方的に攻撃させてもらうわよ!!」
自分の背丈よりも長い和弓、鶺鴒の弦を引き絞る。放たれた矢は、狙い違わず白い球体に突き刺さった。
これならカウンターを食う怖れもない。物理攻撃が効きにくいなら、数で勝負だ。
「なんでだろう。思ったよりも落ち着いてるわね、私……」
天魔に関する記憶は全くない。ディアボロと対峙するのもこれが始めての事だった。
資料から得た知識しかない筈なのに、身体は動く。それが身体に染みついた動きであるかの様に。
だが、相手も黙ってやられてはいない。ここでは不利だと思ったのか、再び地下へ潜ろうとする。
しかしそこには巨大な戦斧を両手に持ったカルパが待ち構えていた。
「ここから先は、通さない」
もはやイヤホンは胸に付けたクリップからぶら下がったままだが、気にしない。
カルパは相手が放った光線を巨大な斧頭で受け止めると、床を蹴って飛び上がる。
飛行は苦手だが、斧の扱いには慣れていた。上段から振りかぶり、叩き付ける様に振り下ろす。
巨大な刃が虹彩にめり込み、ねっとりとした液体が流れ出た。
引き抜いて、今度は横に薙ぎ払う。虹彩に十字の切れ込みを入れられた目玉は、体液を垂れ流しながら床に落ちた。
殆ど同時に、もう一体もナナシが降らせる矢の雨に打たれて沈む。
仲間に報告を入れたナナシは、ハルシオンが苦戦中である事を知った。
「行きましょう」
それを聞いたカルパが頷く。
去り際、柱の陰から顔を出した人に向かって、ナナシは片目を瞑って小さく手を振って見せた。
もう大丈夫、安心して良い。そう言ったつもりなのだが……相手が何度も頭を下げている所を見ると、その意図は通じた様だ。
「私が惹き付けるから、死角からお願いね」
夕姫が清十郎に声をかける。ファミレスの現場では、最後に残った1体にトドメを刺すところだった。
未発見だった2体の敵が既に葬られた事は聞いている。スーパーの方も片付いたと報告が入った。だが、まだ倒すべき敵は残っていた。
「後がつかえていますので、ここは一気に決めさせて貰います!」
清十郎は白銀の杖を更に白く輝かせ、目玉の背後に向けて思い切り叩き付けた。
白い球体がひしゃげ、体液が飛び散る。ぼとりと地に落ちたそれは、もう動かなかった。
「ここはもう大丈夫よ」
事務所や厨房で息を潜めていた人々に声をかけ、二人はハルシオンの元へと急いだ。
『もうすぐ応援が行きます、それまで頑張って下さい!』
オフィスビルの二階で頑張るハルシオンの耳に、鼎の声が響く。
それは有難い。ただ戦うだけならば目玉如きに引けはとらないが、背後に守るべきものを背負っての戦いとなると、そう簡単ではなかった。
と、窓の外に二人の翼ある者達が姿を現す。階段からは五人の仲間が駆け上がって来た。
「おぉ〜待っておったぞ!」
室内は多少……いや、かなり荒れたが、人々には傷ひとつ付けていない。
ハルシオンは頑張った。
後は選手交代しても良いだろう……。
かくして、目玉の怪物は全て退治された。
信じる為の何かは見付かったのか、それは本人にしかわからないが……
「目玉なのにガラスが見えなかったのでしょうか?」
ふと思い出した様に清十郎が呟く。
それもきっと、本人……いや、本目玉にしかわからない、永遠の謎――